怠惰な散歩  2023年6

   6月27日(火)

久しぶりび新刊書を買う。三島由紀夫だ。若い人は知らないだろう。「作家なんて死んでしまえば1年もしないうちに本屋の書棚から消えるよ」と瀬戸内寂聴が言っていた。まったくそのとおり。三島由紀夫なんて化石に近い作家だろう。1970年11月25日に割腹自殺している。今から53年前の話だ。

花壇の手入れを3ヵ月ぶりに始める。そこまで体力が回復したということである。花壇は徹底的に荒れている。おいらの美学からすればとことん醜い。しかし、体が動かなくて何もできなかったのだ。ああ、神さま赦しておくれ。

「新版・三島由紀夫が復活する」小室直樹を読む。第2章は難解だ。もともと4部作の「豊饒の海」を読んでいないのだからあたりまえのことだ。こういう場合はどうするかといえば飛ばして次の章に行く。これがすっきりする。さわやかなウンチのようなもの!!万歳だ!!。
 
   6月26日(月)

夕方、爽やかな6月の風を受け約3カ月ぶりに庭の草むしりをやる。それだけ体調が良くなったのだろうか―。実感として回復したとは思わないが、ただ、庭の草むしりをやろうという気が出てきただけで救いだ。ぼんやりと伸び放題の雑草を見ながらため息ばかりついていた。今日まで本当に長かった。

20分ぐらいしかやらないのにさんざん蚊に刺される。この時間帯 は蚊が多いとをすっかり忘れている。やはり現場で体験しないと本当のことは分からない。

少しは体も回復してきたのでこれからは前向きに生きなければならないと考える。なにしろ残された時間は刻々と短くなっているのだから―。そうかといってだいそれた企画など思いつかない。わが町、小松周辺の景色を織り込んだ手軽なものと考える。ただ、今は暑いからダメ!!。
 
   6月25日(日)

山猫から潮来市に来ているというメールあり。大生殿霊神の調査に来ているのだろう。時間があるなら食事を一緒にと誘われたがそれにしてもおいらの体調が悪い。長野からクルマを走らせて潮来まで来て調査や写真撮影というパワーと熱意には敬服する。

なんとか秋口の涼しくなるまでに体を治して会いたいものだ。ぼやぼやしていたら二度と会えなくなってしまう。それではこまるのだ。なぜなら、おいらの詩や写真をほめてくれる数少ない女性なのだ。社会の片隅で生きているおいらに一条の光を射してくれる女性こと山猫なのだ。だから、こまるのだ。

山猫は鹿島灘からの朝陽を拝んだようだ。たくさんメールで送ってくれる。おいらはここしばらく霞ヶ浦からの日の出を見ていない。これも体調不良が最大の原因だ。なんとか一生懸命に歩いて秋までには元気になろう。
 
   6月24日(土)

ああ、ありがたきことなり。今日も生きているのだ。そして、ぼんやり庭を眺め詩作などを試みる。何も浮かんでこない。そこで思い出したようにメシの種の仕事に取りかかる。正直いってこの仕事は飽きた。秋田県も通り越し北海道の最北端まで行っている。それでもやめるわけにはいかない。随分、助けてもらったのも事実。感謝、感謝です。

最近、朝の早起きができなくなった。よいしょと気合を入れて布団から飛び出すことができないのだ。5時ころに目を覚ましてもいつまでもグズグズと寝ているのだ。さらに昼間でもとにかく眠いのだ。年寄りってウトウトと眠るのが最大の仕事だろうか―。

最近、あまり膝が笑わなくなった。整復師会の先生の話では少しでも歩くことを心がけたほうがいいという。そこで少し歩く。でも10時近くになると暑くてそれでどころじゃない。やはり早起きして歩かなければと思う。さあ、明日の朝はどうなることやら、楽しみだ。
 
   6月23日(金)

のんべんだらりとブログを書いている。何のために書いているのか自分でもわからない。どんな文字でも書いていれば認知症の予防になるような気がする。そんな言葉の格闘をしている日本詩人クラブから7月例会の案内が届く。おそらく欠席だろう。退会したいと思っている。

みんな辞めたい。茨城民俗学会、詩人会議、詩人クラブ、茨城県郷土文化振興財団。まっさらになりたい。簡単にいえばスッピンでいたい。なにしろ体が思うように動かないのだからどうしようもない。天からの声が届く。「君はそのまま静かに死すべし」。ああ、ありがたきことなり。

わが家の庭は草ぼうぼう。なにしろ主がヨタヨタだから手入れができない。それでいいのだ。自然のなるままに雑草が伸び天下を謳歌すればいい。おいらは、ままならぬ膝を揉みながらぼんやりと眺める。そして思う、もう全部終ったのだ―。
 
   6月22日(木)

薄曇りの日、体調はいい。昨晩は本を始末している夢を見る。どんどん捨てろという勇ましい掛け声で始めるがチラリと覗いた活字に目を奪われ何度も中断する。ニンゲン欲張りだからなかなかモノを捨てられない。それだけ世の中にしがらみがあるのかと思う。

久しぶりに本を読む。タイトルは「汝みずからを笑え」とふざけているが作者の土屋賢治はエライ大学の先生で哲学者。本棚でしばらく背表紙を見ていたがようやく手にした、といっても随分昔に読んだ本。内容などすっかり忘れている。しかし、とても楽しめる内容だ。そういうことで数ページ読んでサラバする。

頑張って散歩をするようになったら膝の調子がいい。数か月ぶりのような気がする。スタスタとまではいかないがそれに近い動きができる。健康であることの歓びを噛み締めている。このままの状態が続けばと願う。
 
   6月21日(水)

頑張って、整骨院まで歩いて行く。当然、帰りも歩くことになり苦しい思いをしなければならない。その覚悟を持って歩いて行く。途中休憩1回だけ。素晴らしいことである。約20分歩いて到着。とにかく、孫のような若い先生にそのことを報告。喜んでくれる。

昼過ぎ、いばぶん事務所へ。Kさんと会う。彼はおいらより1級下。それにしても元気。驚くのはおいらと同じ病気を抱えてるという。根本ぶどう園の作業員は高齢者だらけ。病気を抱えてない人などひとりもいない。それでも前向きにしているのだ。全員、エライ!!

本日は頑張って6400歩も歩く。この反動がどう出るか―。神のみ知るのみ。分かっているのは今晩は爆睡できること。それでいいのだ。
 
   6月19日(月)

生活リズムを立て直すということ。これは年寄りには至難の戦いだ。なにしろ全てが老いの峠を下っているのだから。さて、本日をいかに過ごすのか―?。バーカに問うこともない。いつものぼーっとしているのだ

今日を生きたふりした、明日も生きたりするふりをする。これをフリフリ人生という。実に新鮮な造語だ。こういうバーカなことを考え付く日は体調がいいのだ。そうかといって体は思うように動いてくれない。こまったものだ。

少しでも歩くことに努める。朝夕でないとこれは無理。日中歩いたりした天国か地獄が待っている。おいらが息を切らしてぜいぜい歩いているとサッサッとお尻フリフリの姉ちゃんが追い抜いて行く。思わず後ろから頭をポリとやりたいぐいだ。しかし、おいらは追いつけないのだ。残念無念なりだ!!
 
   6月18日(日)

ムンムンと蒸し暑い一日だった。その中を千鳥が池公園まで散歩に行く。整骨院の 先生の話ではとにかく歩くこと。そうすれば筋肉がついて動きがスムーズになる。それを少しでも実行しようとしているのだ。本当はもっと遠くまでと思っていたが20分も歩くと息切れしてしまう。ああ、なんとも情けない。

ここしばらく本を読んでいない。本棚に並んだ背表紙のタイトルをぼんやりと眺めているだけ。これはなんという読書方法だろう。読み終わった本でもほとんど内容は忘れている。さらに、積読だけの本もチラチラ見える。いつか、手にして読むことがあるのだろうか―。大きな疑問だ。

こんもり山の色濃い緑もだんだん赤味を帯びてきた。熱い陽射しにこんがりと焼かれたようになっている。夏はまだまだ終わらない。これからが本番だ。どんどん色あせていくのだろう。そうなるとなんとなく秋が近づいたような気持になるのだが、これからの本格的な暑さに耐えられるだけの体力はあるのだろうか―。大いなる疑問だ。
 
   6月17日(土)

「精神衛生上、ぼんやりの時間はあった方がいい」と精神科の先生は言っていた。しかし、これが毎日続くと考えてしまう。それでも性懲りもなくぼんやりしている。今日は気温が高いせいか膝の調子はまあまあだ。庭の草むしりでもと考えるが暑さにまいったのか体が動かない。そこで庭をぼんやり眺めて過ごす。

詩人会議会員の飯泉昌子さんから詩集「いつものように」が送られてくる。経歴によると茨城県生まれとある。なんとなく親しみを感じる。おいらの場合は「いつものようにぼんやりしてます」となる。


年寄りはフライングして再スタートというのは無理のようだ。そこでお願い。朱里さまにお願い。

〇拝啓、夢おおき朱里様、お元気で遊んでいますか?
体いっぱい動かして遊んでください。勉強はおまけのようなものです。
よれよれおじんは「いつものようにぼんやりの毎日です」。

〇返信不要。バイバイです!!
 
   6月16日(金)

ウグイスの鳴き声を聞き時おり雲間から射す夏日に目を細める。黄色いユリの花が誇らしげに咲き蜜を吸いにくる蝶々を受け入れている。なんでもない一日が始まろうとしている。詩人の金子光晴は「ニンゲンにはそうたんとやることが無いよー」と言っていた。本当にそう思う。こうやって大過なくぼんやりと一日が送ることができれば最高だ。

かあちゃんの友だちの告別式。アッシー君をやる。晴れているせいか幸い足の調子もいい。この病気は気象庁の予報士と連携しているようだ。それも濃密な関係らしい。こまったものだー。

今日、物置から扇風機を持ってくる。久しぶりのご対面。しっかり仕事をして欲しいと思う。それにしても今日は暑かった。それでも頑張って庭の草むしりをやる。ということはそれだけ体が動くということだ。うれしくなる。このままスタスタ歩けるようになればと願う。サラバだ!!。
 
   6月12日(月)

こんもり山を見ながら
こうして人は死んでいくのかーと
静かに過ぎ行く時間を噛む

子ども時代の無邪気な乳くさい匂い
青春時代のどぎついほどの青い匂い
そんな時代を人なみにくぐり今日を迎えた

今では加齢臭をまきちらし
よろよろと歩くりっぱな老人
こんもり山に訊く
あんたはいつまで生きようとしているのだ
バーカ 神のみしることだ
りっぱな老人とほざくあんたも同じことよ
 
   6月11日(日)

菜種空の一日だった。牧場で遊ぶ山猫一家の写真がたくさん送られてくる。みんな元気そうでなにより。おいらは終日ぼーっとして過ごす。人生はこれでいいのではないかと割り切れるようになった。すごいものだ。

本棚を見ながら考える。積読だけの本はどれぐらいあるのだろう。とにかく目の前に本がないと安心できないのだったが、今はもうどうでもいいよという心境で人生はこれでいいのではないかと割り切れるようになった。すごいものだ。

変形性腰椎症は加齢によりするすり減った背骨が原因らしい。すり減った骨は元には戻らない。幸い今のところ足元がふらつくが痛みなどない。開き直って仲良く付き合うことだと納得させる。人生はこれでいいのではないかと割り切れるようになった。すごいものだ。
 
   6月9日(金)

泥付きの大根をぶら下げたおばさんが曇り空を見上げている。「あんなに低く飛行機が飛んでいる。曇りだから低いのかしら―」。想像力の逞しさに負けた。今日は膝を震わせながら4000歩あるいた。まだ、自分の足で歩けるだけでも良しとするしかない。

とにかく眠い。ぼーっとしながらコックリこっくりと居眠り。考えてもしょうがないのだがロシアとウクライナのことが気になる。この戦争はおいらが生きているうちに終わるのだろうか―。落としどころはどこにどんな手があるのだろうか―。
たった一人の男に世界が翻弄されている。りっぱな世界の指導者よなんとかしてくれ!!

この一週間は静かにしていようと思った。それなりに静かにしていた。本を読むこともなくブログも更新せずだった。やはり体調不良が一番の原因。何をやるにしても資本となるのは元気な体。これも加齢とともに風と共に去りぬになる。それが人生だよ!!。
 
   6月8日(木)

コルセットを付けて歩いてみる。腰の具合はいいがヨロヨロとした足取りで不安定だ。それでも、昨日よりたくさん歩いた。ブログ用の写真を撮れないもかとスマホを持っているが、写真を撮ろうという意欲がわかない。小松霊園の墓所に座り考える。写真家の石元泰博は体が動かなくなったら写真をやめよう。これは助手におぶってもらったり車椅子で写真を撮っていた土門拳を意識していったのではないと思う。ああ、おいらもすっぱりと写真とはいわずをこんな体になったら人生もやめるべきか―。

黄色いユリの花が咲いた
あいさつもなく咲いた
ユリは花を咲かせ
喜んでいるようでもない
悲しんでいるようでもない
なぜ花を咲かせたのもわかっていない
 
   6月7日(水)

コルセットを探していたらゾロゾロといろんな種類のコルセットが出てくる。ああ、これだけのコルセットの世話になったのかと感慨深くなる。いろんな場面でケガをして必需品となったのだろう。それだけ、生きてきたということだ。

わが家の庭に黄色いユリが咲いた。今年はコロコロ菜園もコロコロ花壇も最悪の状態だ。なにしろ仕事人のおいらが体がガタガタで動けない。そこで、今年はすべてをあきらめることにする。なるようになれだ。まぁ、格好よくいえば不耕起栽培といったところだ。

足腰が弱ったのだ。年をとるといことをしみじみ実感。貧乏ということもたっぷり実感。こまったことだけど、これが現実。世の中の掟をしるといことだ。バイバイなり!!
 
   6月5日(月)

初めて整形外科の診察を受ける。バタンバタンと腰を中心にレントゲンを撮られる。簡易ベッドの上でよろめきならポーズをとる。バーカじゃないか、ただ体が思うように動かないだけだよ。元気印の看護師が応援してくれる。うれしい。

先生の診断は「変形性腰椎症」という病名。ひとは何かの各印を押されると安心するのか―。病気だというのにうれしくなる。ここからグーグル先生の登場。調べれば調べるほどの絶望的世界。■変形性腰椎症は治りますか?
〇残念ながら、骨に変形が起きている場合は完治することはありません。まぁ、いいか―。

兄貴が山形産の米を届けてくれる。これで今年は米を買わなくても済みそうだ。山形の墓じまいを住職と交わした話を聞く。さっさと山形の思い出など払拭したいと思うがそうもいかない。いつの時代も陽炎のようについてまわっている。もう、みんなお終いだ、お終いにしようよ!!
 
   6月4日(日)

「筑波の黄味じまん」。これはスーパーに売られている卵の段ボールに書かれていたコピー。思わずうまいものだとうなる。コピーライターのキャッチコピーは冴えているといつも感心する。昔、「丸井、丸井は駅のそば」というコピーがラジオでそれこそ暇なしに流れていた。一説ではギャラは100万円で作家の野坂昭如が書いたという。ぶったまげた。

根本ぶどう園に行く。やはり体調すぐれず。脚立に上れないのだ。今日の体の具合では6月は少しは仕事をやろうと思っていたが今の状態では無理だ。しばらくは休養を取ったほうがよさそう。

とにかく体が思うように動いてくれないから次の一歩が進まないのだ。進むのは酒ぐらいだ。きっとこれも悪いのだろう。酒に逃げるのは将棋でいうなら最悪の指し手だろう。おいらの父親は山形で上位に入るほどの将棋名人だったという。地方新聞の将棋欄に解説を連載していたと母から聞いた。残念ながら息子のおいらは駒を動かせるだけ。DNAというのは良いところはカットするようだ。無念なり。
 
   6月3日(土)

久しぶりに歩いてみる。フラフラしながら40分ほど歩く。汗をかく。自宅に戻り何をすべきかを考える。どうでもいいブログを書くことぐらいしか思いつかない。ベートーベンの運命のCDを聴きながら書く。この音楽のように格調高いブログは書けない。それでもいいのだ。

詩人クラブのタニグチさんから「フォト詩集」を自費出版したらというメールがくる。おいらの家にはそんな余裕はない。そもそも本にしようという意欲がわかない。もう、すべてがどうでもいいことなのだ。

当面の宿題は脊髄狭窄症を完治すること。この病気は一生連れ添うことになるのだろうかー、辛いことだ。今日、今週最後の日。先生に来週から週に3日ほどにしたいと話す。すかさず、先生は来週も毎日通院したほうがいいという。わかりました、そうします。ここは素直になる。そう、何でも素直な心が大切。しかし、これには金銭がからんでいる。辛いところだ。
 
   6月2日(金)

インフルエンザに罹ったあかりちゃんは無事に回復したようだ。元気な写真がたくさん送られてくる。子どもは元気がなによりの親孝行だ。ぼーっおじさんは朝から体調が悪い。どうもお天気を読むようで今日のような湿りっけが多い梅雨空は最悪だ。ブログを書こうとするが気合が入らない。そこで気付薬の力を借りることになる。最悪だ。


なんにも悪いことしてないのに
時間は音もたてずに進み
わたしを死の泉に誘う

生きたいと思ったとき
死にたいと思ったとき
無表情のまま
空はいつも真っ青だ
 
   6月1日(木)

山猫商店からくず米25キロ届く。思わずかあちゃんと顔を見合わせる。世界の何処かで、日本の何処かで、わが家の何処かでとんでもないことがいつ起こってもおかしくないことを知る。二人で玄関隅までよっこらしょと寄せる。今の体力ではここまでしかできない。

詩人クラブ役員のタニグチさんが主宰する詩誌「ここから」が送られてくる。力のある詩作品が多い。みんなベテランだ。正直いって、おいらはもう詩作は飽きたからやめたくなっている。もともと飽きっぽい性格だけど生きることにはまだ飽きていないのかプップッオナラをしながら生きている。

ぼーっの達人は本日もひねもす緑濃いこんもり山を眺めて終わる。ここで考える。小学校4年の新聞配達を皮切りに今日まで働き通しだった。もう75歳だ、もう働かくなくていいよという声が聞こえる。ところが、ショハンの事情でそうはいかないのだ。無念なり!!。5月は死んだ月だった。6月は少しは身になる月にしたいものだ!!。
 
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