怠惰な散歩  2022年11

   11月30日(水)

本日で11月も御仕舞です。それでもおいらは12月も生きてやろうじゃないと思っているのだ。年寄りの恥知らずという声が聞こえてきそうだ。そんなことをほざく奴には臭いおならをかましてやるのだ!!。

詩人会議に詩を投稿。毎月末に採否はともかく一編送付することに決めたのだ。シルバー土浦に川柳を三篇送付。これは遊びだ。
□認知症 みんなで罹れば 怖くない
□腹八分 満腹になるまで くすり飲む
□希望消え 目標さようなら 暇を食う

いばぶん事務所に行きほーページを更新する。パソコンは10年以上使っているので動きが遅い。それでも「茨城の寺社巡礼」を更新。その後、四中公民館に本を借りに行く。「日本の花々」三木卓、「母 住井すゑ」増田れい子、「涼しい脳味噌」養老孟司、「野良犬の値段」百田尚樹を借りる。比較的軽そうなものばかり。読む力がないのだ!!
 
   11月29日(火)

朝5時に目覚める。外は真っ暗だが暖かい一日になりそうだ。カーテンを開け東の空を見る。薄暗い空を見ると薄い雲がかかっているのが分かる。これは朝陽の撮影日和になりそうだ。そこでそそくさと着替えで、いざ霞ヶ浦へ。もちろんカメラをお供にだ。

朝陽が昇るということ。
昨日を忘れろということ。
今日を生きてみろよ!!
はい、わかりました。

3年ぶりに藤代に住む兄貴宅を午後1時過ぎに訪れる。兄貴は本日午前5回目のコロナワクチン接種を済ましてきたという。6歳年上だから80歳といってもいい。ここ数年、体調を崩していたという。そのせいか気弱になっているようだ。お互いガンバレ!!。お土産にウナギのかば焼きを頂く。ごちそうさまです!!
 
   11月28日(月)

「人はいつか死ぬ」ロシアのプーチン大統領がウクライナとの戦争で息子を亡くして嘆き悲しむ母親にいったという新聞記事を見て考えさせられた。人間はいつかは死ぬのは誰でも分かっている。同じ死んでいくにもこの場合は戦場で殺されたのではないかー。

延増マンションの階段をほうきで掃いている時も、駐車場の草むしりしている時も「人はいつか死ぬ」が蘇ってくる。おいらの詩のテーマの根底にあるのは「死ぬことと生きることについて」。そのため「いのちの重さ」はいやが上にもついてまわる。

プーチンは「どうせ死ぬんだから戦場で殺されたとしてもいいんじゃないか」と平然と答えている。「命」は一度死んだら復活しないのだ。息子を亡くした母親はどんな気持ちで聞いていたのだろうー。
 
   11月27日(日)

空は青く暖かい。今年は暖冬だろうかー。昨日の懇話会で温暖化で魚の生息海域が移動して漁港で水揚げする魚に変化が起きているという。まさか霞ヶ浦にクジラが出没することはないだろうが世界中で同じような現象傾向にあるという。なかなかピンとこないものがある。

「何の総括もしないで企業戦士になったといるぜ、僕らのあとは思想的にペンペン草さえはえなかって」「ペンペン草さえはえなかったというのは本当だろう」。70年代の学生運動から足を洗い大手企業に勤めた団塊の世代の座談会。「辻井喬と堤清二」近藤洋太著より。

おいらはノンポリだが痛切に感ずる。若者が実におとなしくなった。権力に潰されたのか封じられたのか。息の根を止められたような思いをすることが度々ある。「みんな勝手に護りあえばいい」。個人主義が特急列車で暴走しているようなニッポン。
 
   11月26日(土)

ここ数日ブログを更新できなかった。23日は書いていたがアップを忘れて日長ぼーっに徹していたかー。よく思い出せない。思い出せないことが多くなった。思潮社発行の「辻井喬と堤清二」を読む。河出書房新社発行の「福田恆存」を読む。

今日は茨城民俗学会161回講話会。天気が悪く気分がのらなかったが引きこもりはいけないと出かける。講話は」渡辺敦子さんの「消えゆく茨城の家庭料理」。天気が悪いから参加者は少ないだろうと思っていたが的中で10人ほど。

子どもの頃、しみ豆腐をよく食べたが産地は茨城県北部だそうだ。山形は雪が降り作れない。農家の人の現金収入源となっていたが今では生産者も減り温暖化で生産時期も短くなったという。コンニャクの消費量は山形県が全国一と聞いて納得。どんな料理にもコンニャクが入っていたような気がして懐かしくなる。「大生ものがたり」を理事長に渡す。どさくさしていたので感想はなし。
 
  11月23日(水)

そうだ、長靴を履いて散歩するにはもってこいの日だ、ということで長靴を履いてビニール傘をさしマスクをして小雨の中を歩く。ビニール傘に雨粒がはねる音が聴こえる。耳を澄まして聴くと同じ音色はない。これまでは無意識に聴いていたから同じように聴こえていたのだ。音楽を奏でていることを知る。自然の豊かな恵みの贈り物に感謝。

図書館に本を借りにいったらパソコン席は満員。それも若い人ばかりで驚く。今まで見たことのない盛況ぶりにどうしたのだろうとクビをかしげる。勤労感謝で祭日だというのにお天気が悪くどこへも出かけられない腹いせにパソコンに口惜しさをぶつけているのだろうかー。

「小林秀雄の人生論」を読了。これは嘘だ。全編の半分も難解でまだろしっこて読みこなせかった。ただ、最終ページまでたどり着いて本棚にサヨナラしてもらった。そんな本がたくさん本棚にお行儀よく並んでいる。その仲間入りしてもらったということ。バイバイ!!
 
 
   11月22日(火)

今日は詩人会議の運営委員会。会場のJR山手線大塚駅は都電乗り場もある。そこで、早目に行って乗ってみよう。大塚駅から早稲田まで20分ほどだが実にのんびりとしている。路上と一緒だから赤信号では停止。乗客を見ているとこれものんびりしている。急いでもしょうがない。ただ、目的地まで走ってくれればいい。忙しすぎる世の中だからそれでいいのだ。

会議で隣に座っていたM女史が突然、「信用していた人に裏切られたことありますか?」さては電話詐欺の被害にでも遭ったのかと聞いてみるとどうもそうでもない。長年付き合い信頼していた友人に裏切られたという。細かい話は会議が始まり聞けなかったがどでにもいつでもある話らしい。

さて、詩人会議。これは財政不足で自転車操業。今年12月に60周年記念のアンソロジーを出す計画。その参加費でなんとか切り抜けようとしている。役員のほとんどは何十年というベテランばかり。どうしたらいいものかおいらには分からない。まかせようよいうことでただ傾聴して終わる。
 
   11月21日(月)

今日の延増マンションから見える筑波山は霧がかかっている。ここでの清掃の仕事は週1回3時間で出勤は自由。おいらは月曜日の9時から12時までとスケジュールを決めた。そうかといっても今朝は小雨もぱらつき雲行きが怪しい。日延ばししようかと迷うが出かける。

「墓場への切符」ローレンス・ブロックの探偵小説をようやく読み終える。久しぶりに369ページという長編を読み切った。とにかく前へ前へと進める物語展開は素晴らしい。こういうストリー展開ができるのをプロ作家というのだろう。

隠れたプロ技の持ち主は全国津々浦々にごまんといる。自分にすごい才能が思っていたらとんでもない驕り。おごりは自らのどんぶり飯で食べて満足すればいい。世界は広く多種の民族が暮らし考え方も違うのだ。その中に、国境を越えた天才はいるはずだ。大人たちよその若人に光を与えよ!!
 
   11月20日(日)

空は曇っている。気分が沈む日だ。昨日、根本ぶどう園の清掃に行っていて留守にしている間に姫丸子が来たとかあちゃんが言う。お茶を飲みながらの四方山話に花が咲き長時間話したという。女同士の話はブーメランのように同じことを繰り返すから長い。まぁ、いつも家に引きこもっているから少しは気晴らしになったのだろう。せいせいとした顔している。


山猫から誕生日祝いにもらった「バーカ隊長へ night noise」のCDを聴きながら書く。この音楽は心が静まり精神衛生上とてもいい。朝、起き掛けに聴くのには最高にいい音楽だ。クラシックはいい。そういえば「絶望書店」に耳が聞こえなくなったベートーベンの苦悩が綴られていた。ああ、おいらは健康を感謝すべきだ。

そういうことで本日は終わる。夕方になっても空を覆っている雲を見上げながら明日は青い空が広がることを祈る。バイバイ、おやすみなさい!!
 
   11月19日(土)

「小林秀雄の人生論」を読む。ランボー詩集「地獄の季節」じゃないけど小林と長谷川泰子の同棲生活は毎日が地獄のようだったらしい。二人の関係については大岡昇平などたくさんの文人が書いているから少しは知っていたが今回改めてドロドロさに驚く。ああ、女はクワバラクワバラ。

「子供を作りたくなくなるという将来の不安要素は、当り前ですが、確実に少子化を誘導します。私は、何も対策を取らなければ、残念ですが日本などの先進国の人口減少が引き金となり、人類は今から100年ももたないと思っています」ー「生物はなぜ死ぬか」小林武彦。
すごい警鐘だ。驚く。さて、人としてのやるべき道とはを考える。

山猫からプレゼントされた「ーよび覚まされるー霊性の震災学」を読み始める。まだ数ページしか読んでいないが面白い切り口だ。東北大学学院大学の金菱清教授のゼミナール報告書。若い人もそれなりに鎮魂の世界を模索しているらしい。真面目に読もう。
 
   11月18日(金)

インフルエンザのワクチンを「チクリとしますよー」と優しい看護婦さんに声をかけられ打つ。これまでインフルエンザのワクチンなど接種したことがない。土浦市から後期高齢者の補助を知らせる案内が届いたので従うことにしたのだ。さては、貧乏生活でももっと生きていたいという願望の表れかー。ああ、情けなや!!

「小林秀雄の人生論」浜崎洋介著を読む。小林秀雄を読むきっかけとなったのには思い出がある。東京時代、ガラス拭きのアルバイトをやっている時だ。仕事仲間はほとんどが夜間高校生。その中にひとりだけ音大学生がいた。

昼休みはほとんどんどの仲間は眠りこけっているがおいらは太宰治の本を読んでいた。その音大生「太宰なんか駄目だよ!」そこで手渡されたのが小林秀雄の「芸術随想」?。それからはまった、そして全部忘れた。
 


 
 11月17日(金)

10月の根本ぶどう園の給料は3504円也。今日受け取る。とても有難いことだ。おいらのぶどう園清掃の労働を認めてくれたのだからー。どんな仕事でも労働対価というのがつきまとう。あたりまえのことだ。

インドのニランジョンからメールがある。いつも午後の3時過ぎだ。
元気そうだ。今、どんな仕事をやっているのだろう。たくさんの著作がある。また、次の本作りに励んでいるのだろうかー。とにかく元気でなによりだ。

昨日、久しぶりに山王姫に電話をする。応答がないのでショートメールを送る。水戸のソロプチの会議で電話に出られなかったとのこと。彼女は副会長と要職にある。そのためいろいろと仕事が多くなっているのだろう。年末にかけて益々忙しくなるのだろう。「バーカ、ヒマを持て余しているよれよれオジンとは違うのだ」と、金魚ちゃんの声。
 
   11月16日(水)

今日は根本ぶどう園の片づけ。女性オーナーと二人で作業をやる。彼女はまだ60代の前半。体力があるせいか動きがキビキビしている。あらゆる動作は完璧に圧倒されている。それでいいのだ。張り合ったところで勝ち目はないとあきらめマイペースで椅子を洗う。天気は最高に清掃日和。

ー 地球は新鮮さに満ちています。全てが常に生まれ変わり、入れ替わっています。ターンオーバー(生まれ変わり)。そしてその生まれ変わりを支えているのは、新しく生まれることとともに、綺麗に散ることです。この「散る=死ぬ」ということが、新しい生命を育み地球の美しさを支えているのです。ー「生物はなぜ死ぬか」小林武彦。

思わず、うなった。「生まれ変わり」「散る=死ぬ」。そして新しい生命を生んで育てる。世代交代というより自然の摂理の中で地球もあらゆる生物が進化しながら生きている。素晴らしいことだ!!。
 
   11月15日(火)

小雨ぱらつく肌寒い中を東京・大塚へ行く。自宅から詩人会議事務所までの所有時間をきっちりはかってみる。片道約2時間かかることがわかる。本日の仕事は事務局会議と封筒の宛名貼り。黙々と宛名を貼っていく。

月2回の同会議と月2回のシルバー編集会議、さらに週1回の清掃、さらに飛び入りで根本ぶどう園の清掃と広瀬邸の草刈りの仕事。それにメシの種の整復師会の仕事が3カ月に1回入る。およそ1カ月のおいらの行動パターンとなる。

自宅に帰ったら山猫商店から干し柿や甘酒のほかに「小林秀雄の人生論」浜崎洋介、「絶望書店」頭木弘樹、「霊性の震災学」、「プーファフリーであなたはよみがえる!」崎谷博征」、「加工・保存・貯蔵の知恵」の本が入っている。山猫の読書遍歴は裾野が広い。たまげた。過分な佃煮代もだ。いろいろありがとうございます。
 
   11月14日(月)

焼却炉で枯草を燃す。焼却炉といってもブロックを積み上げて作った簡略なもので焼却炉と呼べるか。火の粉が飛ぶのが怖いから飛散しないようにだけはしてある。いつでも水がかけられるようにホースをひいてぼんやり火の用心。

この揺らめく赤い炎を見ながらいつも思い出すことがある。インドのガンジス川の死体焼き場だ。簡単な架台にマキを積んで遺体をのせる。そして火を点け焼くのだ。まわりには数人の男たちが長い鉄棒をもって見張っている。毎日の仕事だから慣れているのか無表情で焼き上がり具合を見つめている。

露台は5~6台等間隔でならんでいる。壮観というより唖然としながら見ていた。焼き場の周りにはマキをうず高く積んだ店がずらりとならんでいる。依頼人はマキを購入して焼却してもらう。貧しい人は燃え尽きるまでのマキが買えない。そうすると生焼きのままガンジス川に流すという。火の重さと悲しさとはかなさー。頭を大ハンマーで打たれたような衝撃だった。もう、遠く昔の話だがー。
 
   11月13日(日)

東日本女子駅伝をテレビで見る。「ただ走っているだけなのに何が面白い」と、頭のいい甥っ子は言ったことがある。おいらに言わせればそ「ただ走る」という単純な行為が美しく楽しいのだ。人間の基本は二本足で歩くことから始まるのだ。それを、なんのために息を切らして苦しみながら走らなければならないのかー。そもそもおいらには走るということはそのまま天国行き。それだけに拍手を贈りたいのだ。

詩人会議は月一本の投稿を必ず実行しようと誓う。採否はどうでもそうしないと何か生活のリズムがつかめないのだ。毎日をドタキャンのその場しのぎの生活を送っている。すなわちボーッの日々。これではいかんと考え、とりあえず広瀬邸の草刈りをやる。

今日から大相撲が始まる。人間の体というのは鍛えれば誰もが相撲取りのように大きくなるのだろうかー。それにしてもデカイ。テレビの画面からはみだしそう。応援している高安の初日は白星。うれしい。しばらくは楽しみな日が続きそうだ。
 
   11月12日(土)

朝日新聞の書評欄を読んでいたら欲しい本が見つかる。そういえば山猫にもらった図書カードがある。残金はどれほどだかわからないが使い切ろうと出かける。書評欄で取り上げられた本のコーナーがあるはずだから分かるだろう。うろ覚えのタイトルのまま出かける。ところが、一週間前の書評欄まで。タイトルもわからないので諦める。

いばぶん事務所へ行き雑用をこなす。その後、久しぶりにながみね温泉へ。昼食にとパンを2個購入。財布から取り出して掌にバラ銭をおいて数えるが足りない。1個を返却してなんとかパンにありつく。ここではセブンカードもスマホ決済もできないのだ。ニコニコ現金取引。そのうほうがいい。

「生物はなぜ死ぬのか」小林武彦(講談社現代新書)を大広間でパラパラ読む。「おいらの財布はなぜ死んでいるか」と考え込んでしまう。「バーカ、貧乏だからよ!!」金魚ちゃんの声。そのうち爆睡。これで本日は店じまいです。
 
   11月11日(金)

小春日和を抱きしめぼーっと過ごす。そして、自分の立ち位置について考える。考えてもわからないと知りながらも考える。とにかく何もかにも興味を失った。老いにおける思考力の減退。さらに体力の減退。それでも陽は昇り沈む。すごいものだ。

小春日和を噛む
ぼんやりを噛む
休息と暇を噛む

噛むということについて考える。そして、考えるということはどういいうことかと考える。空は限りなく青い。眩しいぐらいの青さだ。空の色をなぜ青なのだろうー。誰が青と決めたのだろうー。ピンクと呼称してもいいのではー。そんなバーカなことを考えて一日は終わる。
 
   11月10日(木)

小春日和の穏やかな一日であった。少しでも動き回ると汗がにじむような陽気。地球まるごと温暖化の影響によるものだろうかー。暖冬だとすれば燃料費が少なくてすみ家計が楽になるのになぁー。ひとり呟いて青空を仰ぎ満足にしている。

5回目のコロナワクチン接種。その後、乙戸沼胡淵の銀杏並木を見に行く。どんな具合だろうと思っていたら百点満点。しばし、ぼーっとベンチに座り世界の平和を祈ったふりする。

ところが公園を一周しようと歩きだしたら足がフラフラする。両足に力が入らないのだ。さては、昨日の草刈りのせいかと疑うがどうも様子がおかしい。そうか、ワクチンのせいかー。前回もそんな症状がでた。からだ全体が気怠いのだ。そこで早く帰って休むことにする。いつになったら幕が下りるのだろうー。
 
   11月9日(水)

贈呈されてきた詩誌や詩集を読む。ところが全然といいほどことばが頭の中に入り込まない。活字を追っているだけだ。これはこまったものだ。ここ4年、詩のことばかり考えてきた。おいらの性格からいうと一つのことに夢中になってもおよそ3年で飽きてしまう。最後の土壇場に舞台から放り棄てれたような感じだ。

ともかく、広瀬邸の草刈りとコロコロ花壇の手入れ。そして、怠惰を逃れるように詩誌、詩集を読む。読むことは生きる力だと奮起を促すが流しそうめんのようなに言葉は流され消え流れる。

ああ、人生とは流しそうめんなりきかとため息。そしたら、入れ歯が落ちそう。すべてが落下点に向かっているようだ。バンザイなり!!
 
   11月8日(火)

昨晩、今宵は満月だと鼻歌まじりで浮いていたが身内から不幸な知らせがはいり意気消沈。かあちゃんと仲良しの親戚のダンナがなくなったという。まだ60代前半だった。躁うつ病を患っていると聞いていが真相はわからない。世の中はわからないことだらけ。

1時半過ぎシルバー人材センターから電話。今日は編集会議だという。カレンダーを見ると11日の金曜日に赤丸がついている。びっくり仰天。「今からでも間に合うか?」「間に合うよ」。そこで慌てて事務所へクルマを走らせる。

「すみません、すみません」と頭を下げ会場の長テーブルに座る。今日の作業は出来上がったばかりの広報誌の発送作業。白髪、ハゲのオジンたちが黙って広報誌を三つ折りにした封筒に入れている。ああ、現役のころはこんな作業は若手にやらされたのにという嘆きが聞こえそう。でも、黙々と老人は作業を進める。これが人生だよと思う。
 
P-yamaneko /nagano
 
 11月7日(月)

小春日和の陽気。わが家の目の前にあるこんもりも色づきはじめた、といっても迫力は乏しい。茨城は気候温暖だからののほんとしている。県民ものほほんとした性格が人が多いような気がする。ガツガツしていないのだ。

延増マンションの清掃の仕事に行く。このマンションの住人とはまだ接触はなく一度も顔を拝んだことがない。それだけ気楽でいいのだが玄関のぶ厚い鉄扉を見ながら思うのだ。どんなことを考えて生きているのだろう。「バーカ、掃除夫とは関係ないよ。黙って仕事をしてればいいのだよ」そんな声が返ってきそうだ。

老人よ愚かなる大志を抱くな!。ほうきをこまめに動かし綿ぼこりを掃いていればいいのだ。たとえ数時間でもからだを動かして働けるだけでも幸せ老人だよ!ガンバレ!!
 P-yamaneko /nagano
   11月6日(日)

昨晩は「土浦全国花火競技大会」。土浦が一番元気になる日だ。なにしろ人口14万人の土浦市に80万人の見物客が集まる。競技大会というのだから全国の花火師の運動会のようなものだろう。なにしろ、いい成績を残せば来年の注文が増える。それとは知らずに花火は次々と打ち上げられ激しい爆発音を残し豪華絢爛な光を散りばめ観客を魅了する。

常陽新聞在勤のころは何度も写真を撮りにいった。撮影場所は報道関係の特別席だからなす最前列。しかも無料だから申し分なし。爆音は地響きをあげからだを震わす迫力。入れ歯をした年寄りならはずしそうなぐらいだ。

そこで思う。この爆弾び音は知らない国だがウクライナでは日常茶飯事か。昔、ある集会の演説で沖縄の高校生の女子は「もうヘリコプターの音はいい!!」と訴えていた。あのテレビ映像が忘れられない。
 
   11月4日(金)

今日、「詩人会議12月号」が送られてくる。おいらの詩はなし。これは寂しいものだ。仕方がない。会員まんべんなく載せる都合がある。ページの制限もあり毎月投稿したとしても年5~6回掲載されればいい方だ。おいらの今年は6回。いい方だろう。

長野の山猫商店から防寒ブーツやらいろいろな品が送られてくる。防寒ブーツはかあちゃん用。早速履いてみる。「あっ、ぴったし。敷がわはいらない。あったかくて気持ちいい」と満面の笑み。感謝、感謝ありがとうございます。

広瀬邸の草刈りというよりいがぐり拾いころころ菜園の大根の間引き。これがよく分からない。説明書を読みながらだ。文字が小さすぎて読めないので老眼鏡をかけてやらなければならないからなかなか作業が進まない。イライラしながら小さな苗を引き抜く。さて、これからどうなるのやらー。
 
   11月2日(水)

気合いを入れて詩人会議に詩とエッセーを投稿する。あとはどうなるのやら。どちらかが1月号に掲載されることになっている。なんのために無報酬の詩を書いているのかと問われてもこまるのだ。本人も詩とはなんぞやが良くわかっていないのだから仕方がない。

それにしても小春日和の穏やかな天気だ。霞ヶ浦湖畔のベンチに座りブログを書いている。筑波山もくっきり見え柳の枝がゆううらりゆうらり揺れている。この気持ちのいいほどの眺めをいつまで見ていることができるのか?。ぼんやりと日が傾くまでとはいかない。要するに飽きてしまうのだ。

そういえばわが家の庭にスズメがやってこないことに気づく。いつも10羽ほどえさ台で戯れていたのにどうしたもだろうと思っていたら今朝3羽がやってきてチィチィと鳴きながら餌をついばんでいる。これまでの一族と違うようだ。どうも初めてらしい。必ず1羽が見張ってキョキョロしている。この注意力がおいらにあったら出世しただろうかー。バーカ、そんなことないよ、あきらめよ!!。
 
  11月1日(火)

11月しょっぱなの朝は曇り空。心のなかまで曇り空。こういう天気の日はどんどん落ち込んでいく。ウサを晴らすように広瀬邸の草刈りをやる。草刈り機を30分もふりまわせば息があがる。心臓がドキドキと波うっている。

図書館で文藝春秋の石原慎太郎の追悼集を読む。石原慎太郎とは日生劇場のエレベーターの中でばったり会ったことがある。大江健三郎、江藤淳、谷川俊太郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成した会合に出席した時だった。スタイルが良く格好よかった。

常陽新聞時代の同僚から先輩記者の写真が送られてくる。いくつになったのだろう。スポーツ好きでマラソンをやっていた。何度も海外に出かけ市民ランナーとして活躍していた。その面影はない。残念なり。
 
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