怠惰な散歩  2022年7

   7月31日(日)

ここ数日ブログをお休みした。休んでいただけで死んでいたわけではない。しっかりと呼吸をして生きていた。だから今日のブログを書けるのだ。そこでここ数日前を振り返ってみる。

昨日は筑波山、今日は霞ヶ浦湖岸を山猫とドライブ。「大生ものがたり」の校正のため遠路はるばる長野から土浦までやってきた山猫への感謝を込めてだ。世間でいうおもてなし。ところが、こういうことは慣れていないのでどうやっていいものか迷う。さらに暑さも加わり呼吸をするのもやっと。まあ、何とか土浦駅まで送りバイバイする。

村山さんから色々注文の電話が入る。ここまで進んでいるのにまた直しかと思うとウンザリ。意外と簡単な手直しで終わることが分かる。ひと安心。なにしろスポンサーだから頭が上がらない。ああ、おいらの人生は頭を下げっぱなしで終わりそう。無念なりで7月も本日で店じまいです。さようなら。
 
   7月26日(火)

夜半に雨音を聞いた。朝起きると雨は本降りとなっている。そのせいもありで涼しいので体が生き返ったような気がする。ころころ花壇のマリーゴールドも日日草も嬉々として雨に打たれている。久しぶりに天からの恵みに雨の優しさに感動しているようだ。

いいむらしず詩集「海とシラスと汚染水」が送らてくる。一気に読み通す。社会派の詩人だ。時々刻々に起きる社会現象を冷静に女の視線から見た矛盾や疑問を簡潔な言葉で綴っている。おいらが一番苦手とする詩の題材だ。どこかで見たような名前だと思っていたら今年の詩人会議新人賞でおいらと同じく「肝を据えた日」佳作に入賞している女性。おいらより6歳年上だ。

あらためて女の強さを感じる。とにかく女はしたたかでしっかりしているのだ。ヨダレを垂らしてオンナのケツを追い回している男とは違うのだ。いいむらしず様、ありがとうございます。
 
   7月25日(月)

とにかく今日の暑さは乗り切った。明日はわからないが明日があるということは事実だ。頭がぼーっとしている。熱を帯びたぼーっだ。自分で本当に生きているのかさえ怪しくなる。何もかにもが重荷に感じる。それでも朝早くに庭の芝刈りをやった。これは奇跡に近い。

空を見上げれば大きな白い夏雲がわがもの顔で浮かんでいる。どこから見ても夏の面をしている。ああ、恐ろしや恐ろしやだ。クルマ屋さんが代車の代車を用意してくれる。タイヤはしっかりと4本ある。さらにハンドルもついている。これなら筑波山を乗り越え天国まで行けそう。

夕方、ぼんやりころころ花壇を眺めていたらアブラゼミがベランダのニガウリの棚に飛んできて鳴きだした。おいらはそれを見ながらぼ-っとしている。ところがひと鳴きすると何処へ飛んでいった。ケチンボアブラゼミだ。
 
   7月24日(日)

どういうわけか今軽トラに乗っている。理由は書けない。まあ、諸般の事情によりということで勘弁してもらう。その軽トラで買い物に行く。荷台は広いからいくらでも積める。それには先立つものが必要となる。限界がある。満載をあきらめる。

山猫が校正の付きあわせに土浦にやってくる。せっかく茨城に来るのだから筑波山に連れていってやりたいと思う。こうなると軽トラでドライブとなるのかー。それじゃあんまりかわいそう。さらに、オンボロ軽トラで坂道を上がれるのかも心配だ。Mさんに代車の交換を頼むことにする。考えてみれば高齢者の軽トラドライブというのもなんかお洒落のような気がする。最早、恥ずかしいという言葉が死語に近い年齢なのだからー。

今場所の大相撲は髙安の休場で面白くなかった。勝っても負けても贔屓力士が入ればそれなりに大相撲観戦にも力が入るのだが今場所は不発だった。あんなに転んだりすっ飛んだ路してよく怪我をしないものだと感心するだけだった。バイバイです。
 
   7月23日(土)

この暑さは本物だ。花も畑のトマトもぐったりしている。冷たいタオルで体を吹いたりシャワーを浴びてみたりと忙しく暑さから逃げようとするが生半可な暑さではない。インド人もびっくりする暑さだ。

「大生ものがたり」冊子の初校が出来上がつてくる。おいらが書いたところに大きな間違いを発見。完璧を目指していたがやはり無理だったかー。組版なんてやったことがないから難しいしもどかしい。それにこの暑さで頭がぼーっとしている。

山猫も忙しそうだから先延ばしとも考えたが突っ切るしかない。だらだらやっていてもしょうがない。やはりきちんとケジメをつけるべきだと踏んばる。おいらの分は修正データの作成が終わる。月曜日には初校戻しをしたい。
 
   7月19日(火)

朝からムシムシと湿った空気が部屋中に漂っている。扇風機は風を送ってくれるが湿気は追い払ってくれない。そこで、早めに詩人会議の運営委員会に出かけることにする。電車の車内ならたっぷりと冷房が効いているし事務所も冷えて心地いいだろう。

事務所に足を一歩踏み入れただけですう-っと汗がひく。昼食を摂りながら考える。これからの暑さ対策のひとつとして車内や事務所で過ごすのも悪くないなぁー。常磐線に乗り何度も往復して数時間の旅を楽しみ涼む。

今日の事務所は編集部のメンバーも集まっているのでいつより人数が多い。会議終了後は事務の仕事では発送のお手伝い。数人が手分けしてやるので早く終わる。おいらには部屋の整理をするという役柄が与えられる。雑然とした部屋を見渡し愕然とする。どこから手をつけたらいいものやらー。
 
   7月18日(月)

一日、飛び飛びの読書三昧。土浦古書倶楽部で求めた「生き方の研究」森本哲郎、『「死体」が語る中国文化』樋泉克夫、「ことばを読む」井上ひさし。の回し読み。「生き方の研究」はどうも読んだことがあるような気がしていた。同著100頁の「忍耐について」確信する。ああ、みんな忘れているのだ。

ニンゲンは忘れやすい哺乳類。70歳も越すと母の乳房を求めたことなどすかっかり頭から消えている。最近では昨晩、何を食べたのかさえ思い出すまで時間がかかる。

それでも時間は休みなく進んでいく。これは神さまだ。とにかく万民に平等というところが凄い。今日を振り返っても何もなかった。平穏な退屈な一日が終わったという思いだ。これでいいのかも知れない。金魚ちゃん曰く「永遠のバーカはそれでいいのだ!!」。ああ、あり難きお言葉でございます。それではお休みなさい。
 
   7月17日(日)

潮来マリーナの村山社長より電話あり。「娘とフォンテーヌの森を見たいのでこれから行く」。唐突の申し出に驚く。ちょうど山猫と「大生ものがたり」についての電話を終えたばかり。さあ、これからと、朝のぼーっ時間に浸っている時だった。

いばぶん事務所へ。根本ぶどう園の見回りと掃き掃除をする。アニマルキャッチャーに獲物が入ったような様子がある。だが、アライグマはいない。調べてみると簡単の入り口から逃げられることが分かる。これは欠陥品だと叫ぶ!!

娘さんは三女の恵美子さん。フォンティーヌ森に案内する。少し興味を抱いた様子。二代目社長といろいろ話し込んでいる。村山さんが造ったキャンプ場をやってくれればいいとハッパをかける。村山さんも期待している様子。さあ、これからどうなるのやら。何でも物語は一寸先は闇だよ!!。だから人生は面白いのだ。
 
   7月16日(土)

久しぶりにながみね温泉へ。中庭の花壇がきれいだ。土浦市主催の花壇コンクールで最優秀賞をもらったというだけの美しさがある。これはお金もかかっている。おいらのコロコロ花壇の数倍のお金を公費で使っていると睨む。

暇つぶしに本を読みたくなった、そこで忍者屋敷のように入り組んだ古本屋へゆく。どこに何があるかよくわからない。「生き方の研究」森本哲郎、『「死体」が語る中国文化』樋泉克夫、「ことばを読む」井上ひさし。3冊を土浦古書倶楽部で買う。

おいらの母ちゃんの遠い先祖は海賊らしい。山猫ももどうやら誇り高き先祖を辿れば海賊らしい。宮本常一も瀬戸内海の周防大島出身。やはり代々先祖は海賊で流れ流れ着いたではないかと思う。おいらはどこからやってきたのだろう。先祖は山賊だったのかもしれない。それでもよしよしだ。
 
   7月15日(金)

曇り空で涼しい。それならと昨日の続きの土手の草刈りをやる。この天気なら今日で決着がつけられる。そうすれば今月と来月は手をつけなくてもいい。そう思って草刈りをやっていたら雨が降り出した。雑草は逃げるわけではないと諦め次回送りとなる。

農家からいろりが無くなったことについて「ぼくは本来人間というのは詩人だと思います。散文的になったというのは何がもとだろうということね。魂を凝集させるものはああいう光りの中にのみあるんじゃないですか」

電灯もない農家のいろりで細々燃える光だけ見つめながら話を聞いたという。山猫が送ってくれた「ー旅する民俗学者ー宮本常一」で水上勉との対談で宮本常一はそう語っている。炎は魂を凝集させる、ウン納得なり。

 
   7月14日(木)

上野駅から大塚駅までの山手線の車中で見かけるのはほとんどの乗客がスマホを手にうつ向いている。中吊りポスターがなくなりたくさんのモニターからひっきりなしに広告が流れる。中吊りポスター交換を生業としていた人たちはどうしたのだろうー。

「汽車に乗ったら窓からよく外を見よ、そして畑に何が植えられているか、育ちが良いか悪いかをよく見よ、村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところに上がって見よ」。民俗学者の宮本常一の父はそう言って生まれ故郷を後にする常一少年を見送ったという。

今の時代、高いところに行かなくてもスマホを利用すれば高いところからどこでも見渡せる。ましてや山手線から田畑を見ることはない。だからどうなんと考える。結論、分かりません。
 
   7月13日(水)

いばぶん事務所で「大生ものがたり」を山三印刷へ出稿する。だが、体が怠い。本来なら安心してすっきりしていいのだがどうも体調がすぐれない。低気圧のせいだ。こういう日は静かに家で過ごしていたほうがいい。そそくさと帰る。
「死んだ男の残したもの」の歌がFMから流れてくる。

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による歌。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられた日本の反戦歌のひとつ。ますます暗くなる。いろんな人が歌っているが石川セリが一番好きだ。

どちらかというとリリィ、浅川マキなど退廃的な歌いかたをする歌手が好きだ。バーカ、さっさと寝ろ。
 
   7月12日(火)

今日は詩人会議運営常任員会の会議で東京へ。曇り空で暑くない。これなら体も楽だから欲張りしてカメラとノートパソコンをリックに詰める。どれぐらい体に負担がかかるかというテストも兼ねている。リックを背負ってみてもそれほど重くはない。これなら大丈夫。次回からもこのスタイルにしよう。

さて、会議の方だが、同会の主たるメンバーは在籍4,50年のベテランばかり。この9月で入会してからようやくまる4年目というおいらは末席でウンウンとわかったような顔をして頷いているだけ。そもそも、おいらが全国500名近い会員の中で常任運営委員に選ばれ参加しているのか理解していない。

今日、会議でおいらが発したのは「茨城詩人会議のメンバーは3人。平和の祭典の朗読会に参加するのはまだ保留にしておいて下さい」の数秒。往復4時近くかかったというにー。まあ、わが人生、こんなものさ!!バイバイ。■
 
   7月11日(月)

パピアからのメールあり。

『 ‎安倍晋三さんの死去のお知らせを深く悲しく思います。彼はインドの偉大な友人であり、そび‎‎え立つ‎‎世界の指導者でした。
‎阿部さんは2007年に私のセンターインド日本文化センター(ラビンドラ・オカクラ・バヴァン)のオープニングセレモニーに出席しました。その日、私は幸運にもその場にいらっしゃいました。‎
‎彼の魂が永遠の平安のうちに安らぎますように 』

歯医者の後にいばぶん事務所へ。暑さは本物で頭のシンから熱が伝わってくるような感じ。おいらは芯から暑さを愛していない。寄るな触るなと叫んでも一向に太陽は遠くに行ってくれない。

安倍元首相はこの暑さを知らない。残念、無念。
 
   7月10日(日)

日の出とともに広瀬宅の草刈り。半端な雑草ではない。しっかりと成長した雑草はおいらの背丈より高い。草刈りを始める時期が遅すぎた。こうなると戦いで草刈りというより開墾で重労働だ。刈り払い機が悲鳴をあげている。おいらの体も泣き叫んでいる。昔の人はこの作業を人力でやったのかと思うと頭が下がる。

山猫から宅急便。「大生ものがたり」もいよいよ大詰めを向かえた。どのような仕上がりに出来るのか楽しみだ。これでようやくパソコンのモニター画面からフォルダが一個消えることになる。うれしいような淋しいような気がする。

午後4時からタイスケさんグループの展覧会の打ち合わせ。タイトルは「五感繚乱展」。茶道家、版画家など8人の作家が出展する。展示方法や運営方法はすべてタイスケさんにおまかせ。ただ話を聞いているだけ。それでも暑い。来月に最終打ち合わせをするそうだ。とにかく暑い一日だった。
 
  7月9日(土)

子どもは眠るのが仕事です。年寄りも眠るのが仕事です。とにかく眠いのだ。こんなに昼寝をしたら夜は眠れないのではと心配になるがそんなことはない。布団に入って数分もしたら爆睡だ。これはおいらの特技の一つだ。

ほかにどんな特技があるかといえばぼーっとしていること。この怠惰で神秘的な時間に没頭できること。これは神業、匠の技に近い。そんな生き方はニンゲンじゃないといわれようがぼーっとしている時間の快楽は言葉では説明できない。

今日も土浦イオンで涼む。持参したのは凍ったウーロン茶、ノートパソコン、辻仁成著「千年旅人」「賢者の名言」「詩人会議8月号」。書きかけの詩一編。タバコはなし。ここではりっぱに禁煙を守れるのだ。エライだろう!!(バーカ、イオンは全館禁煙だよ!!)金魚ちゃんの声あり。
 
   7月8日(金)

久しぶりに根本ぶどう園へ。アニマルキャッチにはアライグマは入っていない。ここ1週間忍びこんできた様子もなく5匹も捕まえたから絶滅したのか?。ここで油断をするとアライグマの逆襲ということがあるかもしれない。そこで、アニマルキャッチの入口に新鮮なキャラメルコーンを補充して万全を期す。

1時間ほど掃き掃除をして帰宅。朝の涼しいうちにと広瀬宅の草刈り。ここの草刈りを始めたのが遅かったから雑草はおいらの背丈もある。こうなると最早戦いだ。そうかといって無制限一本勝負といかない。30分もすると息があがる。後は明日にしようと雑草に声をかけそそくさと退散。

お昼前、安倍元首相が銃で撃たれたというニュース。慌ててテレビをつける。現場が映し出される。他人の不幸を喜んではいけない。好きな政治家ではないが命の重さは平等。「かわいそうに」と呟いてスイッチを切る。
 
   7月7日(木)

朝からイラつく。何に対してイラつくかと考えるが思いあたるフシはない。朝は涼しくて気持ちがいいというのにイラつく。何でイラつくのかと原因を考えるとまたイラつく。イライラのウィルスがわが家を包囲している。やっかいな奴だ。どうやって退治しようかということで時給1200円草刈りをやる。1時間やればタバコが2個買える。

詩人会議に小詩集コーナーへ4編の詩を提出したら「大変よい出来で早く送られてきたから10月号予定から前倒しして9月号に掲載する」という連絡ある。褒められれば誰でもうれしいものだ。「ああ、ありがたきことです」と返信。

山猫から電話あり。横浜、埼玉を経由して自宅に戻ったということ。ただ、山猫の怒りは沸点、というものも「大生ものたり」の著者名で彼女の名前を間違えていると「バーカ、バーカ」の連発。おいらの不甲斐なさにまたイラつく。ああ、早く寝たいよ!!。
 
   7月6日(水)

今日は涼しかった。久しぶりに心地よい爽やかな風がころころ花壇から吹いてくる。気持ちがいい朝だ。年寄りにはかわいそうだから少し休息を与えてやろうというように幸せ風が吹いてくる。扇風機も団扇も冷やしおしぼりもいらない。爽やか風さんよどんどん吹け。大歓迎だ!!。

そういうことで行こう行こうと思っていた山王姫宅へ久しぶりに車のハンドルを石岡へ向ける。高台にある姫宅はこんもり林に囲まれとても涼しい。庭も手入れも行き届き別世界のようだ。山百合もつぼみを広げ始めた。

居間にはデンと山王姫のポートレートが立てかけられている。きれい、美しい。40代の頃かと思って聞いたら50歳のころだという。ウン、女は化けられる。しかし、化けの皮はいつかは剝がされるのだ。これは男も同じ。山王姫のアルバムに真剣に取り組む約束をしてバイバイ。気つけ薬をもらう。有難きことなり。
 
   7月4日(月)

朝を歩く。まだ外は暗い。時計の針は4時をちょっと回っただけ。なぜ、こんなに早く目が覚めるのかといえば寝るのが早いからだ。昨晩は疲れ切って7時前に布団に入りすぐに爆睡。目が覚めて時計を見ると超深夜の11時。チョロチョロおしっこをしてすぐ二度目の就寝でまたまた爆睡。再び目を覚ましたのが4時前。面倒だ起きて散歩に家を出たのだ。

散歩から戻り朝の涼しいうちにと刈り払い機で庭の草刈り。雨が少ないせいか雑草もあまり勢いがない。それでもころころ花壇の美しさを損なうまでになっている。そこでが刈り払い機で一網打尽だ。ざまぁみろ。

さて、今日はどうやって過ごそうかと考えたらやはり詩集や同人誌のお礼の返事を書こう。取り急ぎ4人分だ。お礼の品としておいらが撮った写真の絵はがきを入れることにする。おいらは霞ヶ浦近くに住んでいることを知らせてやろうと写真を選抜。この時代、絵はがきでやりとりする機会も少なくなったと思うが、相手はほとんどが高齢者。何かの時に使ってくれればと祈る。
 
   7月3日(日)

今日はお仕事で筑波大学の柔道場へ。日整全国柔道少年茨城大会茨城県大会が開か
れる。このくそ暑いのにご苦労なこった。参加選手が年々減っている。それも低学年になるほど少ない。張り切っているのは保護者と指導をしている先生。子どもたちは暑さでバテ気味。

おいらは代表選手となった子どもたちの写真を撮るまでひたすら汗を流しながら待つ。男女混合の試合だが圧倒的に男子が多い。その中で小学5年生の部で女子選手が優勝。やはり女は強くなっているのだ。負けた男の子は泣きながら口惜しがっていた。それでいいのだ。

暑さは本物で人いきれと壊れているというクーラの影響もあり柔道場はサウナなみの湿気も加わり息苦しさを感じるぐらいだ、顔見知りの会員とあいさつを交わせれば「暑いですね!!」それだけ。後は口をきくのも勘弁してくれというほどバテている。それでも何とか務めを果たしてサラバする。とにかく暑かった。
 
  7月2日(土)

霞ヶ浦の朝日を見たくなった。4時に家を出る。朝の空気はひんやりと肌に優しい。この優しさは早起きした人へのささやかなプレゼントかもしれない。車中で待つこと15分。太陽は顔を見せる。霞ヶ浦湖岸竹中橋から見るの日の出は土浦共同病院から昇りだした。真っ赤だ。どうして太陽は赤いのだろう。おいらが生を授かってから浮気もせずにずうっと同じだ。エライものだ、

歯医者に行く。奥歯で物が噛めないのだ。冷やしソーメンが流しソーメンとなって咽を通過する。ああ、情けない。おいらの兄は虫歯が一本もないと威張っていた。しかし、いぼ痔で何度も手術をした。どちらも辛いことだ。きっと五体満足がピンピンな人などいないだろう。

頭がすっきりしているうちにと土浦イオンに涼みもかね、大生ものがたりの原稿を手に行く。しっかり校正をするのだ。しかし、これが怪しい。漢字を書けない読めない。なんとも自信がないがそれなりに頑張る。今日も暑かった。朝の爽やかさはどこへお隠れになったのだろう
 
  7月1日(金)

根本ぶどう園でおいら自身について考える。いったいおいらは何を目標として生きているのだろう。こうやってぶどうの蔦をハサミでチョキンチョキンと切っているが何のためにこんなことをやっているのだろう。チョキンと貯金通帳の因果関係はどうなっているのだろう。

そんなことを考えぼんやり仕事をやっていたら左手の甲をハチに刺される。チクリと痛みが走る。ウナコーワはなのかと探すがない。そこで思い出す。山形に住んでいたころは夏になるとよくハチに刺された。子どもたちはどこで教わったのか「ハチに刺されたらおしっこをひっかければいい」。そこで昔を思い出しおしっこをタラタラとかける。効果はどうかわからない。

故事ことわざ辞典を見ていたら「詩を作るより田を作れ」。実生活に用のないことよりも実益のあることをせよの意。庭を作るよえいも田を作れ。とある。先人は偉いことをいうものだ。
 
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