怠惰な散歩  2022年4月

 
photo:山猫/長野
 4月28日(木)

今日は土浦シルバーセンターの就職相談日。理事長や事務員など4人が居座る中で面接が始まる。どうやらコロナ禍の影響を受け仕事そのもが少ないようだ。歯切れが悪いと思っていたら順番待ちが多く待機組が相当いるようだ。仕事の空きが出たら電話をすることのこと。おいらからも連絡を入れて欲しいとのこと。これは仕事意欲を確認するためかも知れない。そこで、しばらくは仕事を諦めることにする。生活はなんとかなるだろうと開き直る。

散髪屋に行きながみね温泉に。大鏡に写ったおいらの裸体を見て驚く。まぎれもない老人が目の前にいる。正真正銘のくたびれた老人だ。老人よ大志を抱くな!!。老人らしくぼーっと呼吸をしていろ!!。

長野の山猫商店から写真が送られてくる。遅い春が一気にやってきたようだ。みんなでバンザイして生きよう!!
photo:山猫/長野
   4月27日(水)

ここ数日は体調が悪かった。そのせいかパソコンを開くのも億劫になり、ただ、ぼーっと金魚を眺めては横になっていた。このまま静かに人生にさようならかー。なんとしても生き抜いてみせるぞいう気概がなくなった。詩人会議から新人賞をもらい詩を書くぞいう気力も萎えてきた。次の仕事が決まらないのもあるようだ。そんなあんなことを考え、ぼーっと過ごす。

どうも暗くしているのは仕事が決まらないだけではなさそうだ。仲良くしている隣のおばあちゃんが93際で亡くなった。着慣れない背広を着て昨日お通夜に行った。暑い日だったのでとても疲れた。おじいちゃんも同じ歳で特老施設に入っている。告別式には出席できないかもっ知れないと家族は話している。なかなか辛いところだ。

年2回ぐらい手作りの「写真詩集」を作ろうかと思う。10部ぐらいで知人に勝手に送りつける。そんなことを考えながら過ごす。さあ、どうなることやらー。
 
   4月25日(月)

朝から強烈な日差し。年寄り殺すには刃物は要らぬ。カンカン照りの路上に放置して置けばいい。急に夏日がやってきたような暑さだ。これは年寄りでなくても堪える。体が暑さに慣れていないこともあるが、これから本格的な暑さがやってくるのかと思うとぞっとする。

そういうわけではないが、93歳で亡くなった一軒隣のおばあちゃんの通夜に行く。なにしろ、かあちゃんの中学校の先生の奥さん。「もういいかい?」「もういいよ!」と言って旅立ったような感じ。

人がひとり死んでしまうということを少しは考える。考えても死んだ人はなにも語らず、きっと自分が死んだこともわからないだろう。だからこそ、生きていることができるのだろう。それを信じたい。
 
   4月24日(日)

「写真はわからない」という新書版の広告を新聞で見た。本当に写真はわからない。なぜかといえば「何でも写ってしまうから」。写ってほしくないものまで写ってしまう。バカじゃないかと思うほど写ってしまう。

フィルムからデジタルになって暗い所まできれいに写る。これは驚きだ。さらに簡単に加工ができるようになってどれが実物だかわからなくなってきた。おいらにはその技術はないからできないが、絶対非演出をモットーとしていた土門拳などの影響を大きく受けているだけになおさらだ。

とにかく写真はわからないということでパチリパチリやる。これでいいのかも知れない。世の中にはわからないことがあっても不思議じゃない。それでこそ生きる価値があるのかもしれないー。今日は体調がすぐれなかった。こまったものだ。
 
   4月22日(土)

かあちゃんのアッシー君でかかりつけ医院へ。その後、いばぶん事務所へHP更新に行く。土曜日だというのにつくば文化郷はひっそりしている。やはりオーナーがいなくなってから寂しさが募っていくような気がする。もともと文化の発信基地を目指して作られた施設。先頭を引っ張る人が欠けどんどん寂れていくのだろうかー。

山王姫宅へ写真を届けに行く。広い日本庭園はきれいに手入れされている。気持ちがいいほどの緑をたっぷりいただく。山王姫は昨日の定期検査で良好と診断されほっとした様子。良かった、よかった!!。
 
「苦海・浄土・日本 ー石牟礼道子 もだえ神の精神ー」田中優子著を読み始める。ユージン・スミスが水俣で撮った母と子の入浴写真がある。文芸評論家の奥野健男が、「この写真を見るべき責任が人間にはあるー」と何かに書いてあったので、A3ほどの大きさにして一年ほど机の前に貼っていたことがある。東京時代だが、そのせいか細部まで覚えている。水俣の海を一度だけ見たことがある。きれいだった。美しいものには毒があるのだろうかー。
 
   4月21日(金)

そうだ、新緑の下でブログを書こうということで土浦の水郷公園へ出かける。平日の午後とあって人出は少ない。この時間に公園を散策できるのは暇をもてあました老人たち。若い人は少ない。今ごろは必至で働いているのか。そうだ働けいてもらわなければ老人はこまるのだ。

おいらは十歳から今日まで働き通しだ。本来ならゆっくりと老後を楽しんでいいはずだが食えないからまだ仕事を探して働こうとしている。メシの種を求める彷徨える老人でシルバー人材センター就職待機組だ。

なんでこんな年になってまで働かなければならないか。答えは簡単。どんぶり勘定で生きてきたツケがまわってきたのだ。誰のせいでもない。このことは神さまがよくご存じ。緑陰の下の風は心地いい。万歳だ!!。
 
   4月20日(木)

本日は病院なり。たくさんの人がいる。全員が患者さんではないだろうが、こんなにたくさんの人が病を抱えているのかと驚く。薬局に行っても同じように人が多い。たくさんの薬を手にしてそそくさと帰る。みんな薬に生かされているようだ。かくもニンゲンは弱い動物だ。サルが薬袋を手にして山へ帰ったという話はまだ聞いたことがない。

担当医師が替わった。これで三人目の先生。先生の話ではおいらが入院していた時のことを憶えているそうだ。こちらは何年前だったのか定かでないのにエライものだ。結果は良好だそうだ。しばらくは生きていてもいいよということらしい。有難いことだ。

昨晩、神林留学生奨学会事務局の加茂さんが電話が入る。今年は採用式を開くそうだ。広い会場ということでいつもの精養軒ではなく学士会館ないそうだ。アジア各国の留学生が集まる。それこそ国境を越えてコロナがわんさかやってくるかも知れない。慎重にならざる得ないことだ。
 
   4月19日(水)

長野の山猫ショップから味噌や野沢菜やらワンサカ品物が届く。山猫の自家製の味噌はとてもおいしい。昔、おいらのおばあちゃんが作っていた味噌の味を思い出す。おばあちゃんは畑を耕しいろんな野菜を作っていた。機織りもやっていた。何か田舎の匂いが漂ってくる山猫ショップ。荷造りや送料もバカにならないだろう。ただ、感謝するしかない。

山猫からタイヤ交換したというメール。そうか、この時期に冬用タイヤから普通タイヤに交換するのかー。寒さの厳しい土地はなにかと大変だ。雪かきや雪下ろし雪かたずけと雪の降らない土地に住んでいるとその辛さがなかなかわからないものだ。

「怒る富士」新田次郎を読み始める。「怒る富士」のタイトルを見て林武の「赤富士」の絵画を思い出す。箱根の森美術館で初めて見た時は感動した。その帰りに車中から本物の赤富士を眺めることができ再感動したものだった。感動は何度あってもいい。
 
   4月18日(月)

朝から体調が悪い。昨日、会合の後に水戸駅周辺をぐるぐる歩いてパチリパチリやったせいだろうか。その疲れだとしたら何とも情けないことだ。体が重苦しく動かないのだ。お天気も悪い。どんよりした空が広がり世界中の不幸を抱きしめているようだ。

それでも、「旅する巨人」佐野慎一著をようやく読み終える。宮本常一も渋沢敬三もまったくすごい男だ。さらにこれをまとめた佐野慎一もすごい男だ。渋沢敬三のポートレートは写真家の木村伊兵衛が撮っている。彼らしい自然体の柔らかな表情の写真だ。

写真を覚えたころ木村伊兵衛の真似をしてポートレートを撮った。大きな影響を受けた写真家のひとりだ。木村を含め、これまでも明治生まれの男は気骨がありすごいと思っていたが再認識させられた。もっとも佐野慎一はおいらより一級上だけ。宮本の「忘れられた日本人」は中学生三年の時に読んでいたという。おいらは小年サンデーだった。この差異はあまりにも歴然として現在に至っている。無念。
 
   4月17日(日)

茨城詩人会議の再スタートに向けた会合のため水戸へ電車で行く。電車はいい。のんびりして座っているだけで目的地に運んでくれる。車窓からの眺めを楽しむ。風景が流れているのか風景に流さているのか。その中で存在するおいらは何者かなどという哲学的なことを考えているうちに水戸駅に着いていた。

約束の喫茶店で会い、詩人会議新人賞のお祝いの花束をKさんから頂く。それからしばらく同会の今後について話す。茨城に在住する詩を愛する人たちを知っているのは地元生まれで地元育ちのKさんだけだ。全部おまかせとして次の発会式の準備をお願い。六月ごろを目途にする。

Kさんから茨城新聞においらの受賞記事が載っていると知らされる。早速、帰りに駅で新聞を買って探す。文化蘭にベタ記事を見つける。これぐらいが妥当。地方新聞はこういう記事が多い方がいいと思う。例えば町内会のゲートボールで誰々さんが優勝してオシッコをもらしたとかー。ああ、疲れた。
 
   4月16日(土)

今日、山王姫宅へ伺おうと電話をしたら来客があり都合が悪いとのこと。そこで、明日の午後と約束して電話を切る。それからしばらくして思い出す。明日は茨城詩人会議の会合がある。慌てて電話をしてその旨を伝える。それなら、月曜日ではと聞くと都合が悪い。詩人会議もそうだが三年ぶりの会合だ。コロナ禍に疲れたのか諦めたのか、人々は行動するようになったらしい。特に年寄りは三回目のワクチン接種を終えて安心したのか元気のようだ。

やはりひとはひと恋しい動物のようだ。閉塞状態の精神を解放させてやりたいのだ。暇で退屈でもそばに人がいればそれで安心するのだろう。メールのやりとりだけだは繋がらない温もりを感じほっとするのだろう。そんなことを感じた電話のやりとりだった。

山猫に「大生ものがたち」の原稿を送る。おいらの担当部分の文章は終わり。
ひと安心。後は長野からの吉報を待つだけ。ほっとする。さあて、これから何に励もうかと思案する。なにもなし。こまったものだ。
 
   4月15日(金)

朝から小雨がぱらつく。これがな菜種雨というのだろうか。長ぐつはいて傘をさして歩く。健康のためというより暇をもてあましての散歩。頭の中は空っぽ。軽くていいや。

「旅する巨人」を読む。読み始めてからもうすぐ一週間近くになるがまだ終わらない。本を読むにはエネルギーが要求される。そのエネルギーが乏しくなっているのだ。さらに目も悪くなっている。体のあちこちにガタがきている。もう補修は効かない。年をとることとはこういうことなのだと実感。

詩人会議5月号を注文したのにまだ届かない。メールで催促したら「気がにつきませんでした。すみません」と返信。事務所の人も高齢者だ。きっと、うっかりミスだろう。かわいそう。
 
   4月14日(木)

朝から寒い。昨日との温度差10℃という。からだが悲鳴をあげている。オチンチンも縮こまっている。肩も縮こまり首が短くなったようだ。わが家もふくめ小松界隈も縮こまり、日本も縮こまり、世界もロシアのせいで縮こまっている。こまったものだ。

こんな日は読書。「旅する巨人」のページをめくる。「敬三は三田網町の五千坪の豪邸を財産税のかわりに物納し、自らは敷地の片隅の崖下にあった執事の薄暗い晒屋に移り住んだ。三十三部屋もある宏壮な邸宅から三間しかなく、汲み取り式のボロ家の四畳半の居室に移りながら敬三は平然たるものだった」

すごい男がいるものだ。その覚悟のよさは見習うべきかー、と思いきやおいらの住まいは3DK。でも汲み取り式ではない。しかし、茨城に引っ越して来た借家は汲み取り式のトイレで黄色い花が咲く沈黙の部屋だった。
 
   4月13日(水)

昨日は「詩人会議運営委員会」の集まりがあったので東京・大塚までノコノコ出かける。暑かった、そして遠かった。2時間余りの会議に要した交通時間は往復5時間余。まるで疲れるために行ったようなものだ。会議もコロナ禍の中でイベント開催の予定が立たないということで盛り上がりに欠ける。月に2、3度は上京するようになるのだろうかー。

いばぶん事務所へ。パソコンの調子を確かめる。これなら大丈夫と安心。理事長とパソコンの件は相談しよう。もっと有効的な金の使い方を考えよう。ともかくパソコンは大丈夫。これからは少しHPの更新を進めようと思う。

土浦シルバーセンターに電話、「クビを長ーくして連絡を待っているのだがどうしたものだろう?」「相談会に参加してはいかがですか?」ということで、28日の相談会に申し込む。働きたくてもどんどん狭き門となっている。何より年齢的なものがカベとなる。さらに、肉体的な衰え。こまったもので、なかなか辛いものがある。
 
   4月11日(月)

いばぶん事務所へ行く。パソコンの動きが遅いので友人から教わった「回復」をやってみる。さらに不用なファイルを削除する。なんとか無事に完了する。スムーズとはいかなくてもスピードは速くなった。そんなに頻繁に使うわけではないから、これなら無理して新しく購入しなくてもいい。

山猫からたくさんの品物が送られてくる。まるで、ミニミニスーパー便のような品揃え。味噌、野沢菜などジャラジャラ。わが家の台所では「バンザーイ、バンザーイ」の大合唱。暗い台所はぱっと幸せのスポットライトがあてられたような光に包まれる。まったく、何とお礼を申し上げていいものか有難いことだ。

「鳳源水」の原稿を整理。もう少しで恰好がつきそうだ。急ぐ原稿でもないが、何となく後ろから追いかけられているようで精神衛生上よくない。途中まで進めて中断。また、いつかということで本日はお終いです。
 
 
長野の臥竜公園の桜
 4月10日(日)

チャーコこと大家さんとかあちゃんの三人で福岡堰の花見に弁当を持って見に行く。初夏を感じさせる暑さ。二人のお喋りにつきあっているのも面倒になりカメラをクビからぶら下げひと回りしてくると席をはずす。やけにからだが重い。

河川敷の桜並み木を歩いているとスマホ片手に桜をバックに記念写真を撮っている人の多さに驚く。それもマスクをしたままだ。よほど自分の顔に自信がないのか。まるで、「私はぶさいくな顔をしているのです」と高らかに宣言しているようだ。

これからの季節はますます暑くなる。そこにマスクとなればひと殺しのようなもの。おいらは、マスクを外してぶらぶら歩いている。マスク越しの冷たい視線を感じる。まるで犯罪者だ。ああ、恐ろしき時代を生きていることを実感する。
 
   4月9日(土)
郵便局の赤いポストに投函して水郷公園まで自転車で走らせる。ベンチに座りスマホでブログを書く。桜の花びらが頬っぺたに降ってくる。若いアベックがお手々つないで目の前を通り過ぎる。あんな時代もあったと空を見上げると世界中につながっている空が広がっている。

ウクライナでは地下に避難して空も見ることもままならないというのに、桜の花びらを昆虫とりの網ですくっている子どももいる。平和だ。これが普通の生活だ。桜吹雪ならぬ爆弾が降ってくるとはなんとも理不尽だ。情けない情けない。同じ人間として、本当に情けない。

ここまで書いてウーロン茶を飲む。タバコに火をつける。何もかにもが自由だ。テントを畳んで帰り支度をする若い家族連れ。子どもたちがはしゃいでいる。帰る家があるのだ。地下生活を畳んで自宅に戻りたくてめ帰る家を失くした人も大勢いるだろうと思うと悲しくなる。水郷公園の見事なくらいに晴れ上がっている。桜がまた頬っぺたにくっつく。ここまで書いてパソコンに送る。
 
   4月7日(木)

朝、「め」さんから「詩人会議5月号見ました。新人賞おめでとうございます」のメール。さて「め」さんとはどなたか見当もつかない。詩人会議の読者のようだが「め」とは何かの暗号か。「朝だからさっさと目を覚ませ」というエールか。この時点でおいらの手元にはまだ同誌は届いていないからどんな扱いになっているかも分からない。まあ、分からないから人生は面白いのかー。

続いて山猫から電話が入る。相変わらず早起きだ。電波の状態が悪いのか何度も中断する。話しが四方八方に飛ぶ。とにかく山猫の周囲では災難続きのようだ。これらは金があれば解決することもある。それより辛いのは精神的な不幸。これだけは金があっても解決しない。でも、女は男より強いのは確かだ。「乗り切ってみせる!」と力強い言葉で切れる。とにかくかんぱってほしい!!。

■第56回詩人会議新人賞入選「役回り」
 
   4月6日(水)

「貧しいけど勤勉で、時にはずるいところもあるが、とにかく精一杯生き、平凡に死んでいく人たちである。しかし、その人たちにも歴史はある。一人一人の歴史があるばかりでなく、名もなき民衆そのものに歴史はある」。「宮本常一と渋沢敬三ー旅する巨人」佐野慎一より。

名もなき民衆であることの難しさを感じる時もある。名もなき民衆にもそれぞれの悩みや喜びはある。その中で、名もなき民衆で生き続けるというカベがある。これがやっかいなのだ。

畑仕事をせっせとやる。夏日を思わせるような暖かさだ。うっすらと名もなき民衆の老人のひたいに汗がにじむ。汗をなめてみる。なんと名もなき民衆の味がするではないか!。ああ、名もなき民衆バンザイだ!!。
 
   4月5日(火)

2年ぶりに電車に乗り東京へ行く。ガタコトンガタコトンという音を久しぶりに聞いた。上野駅の公園口はガラリとリニューアルされ昔の面影はまったくない。たった2年間来なかっただけでというのこのんなに豹変するものかとお上りさんはただ驚いて口をあんぐり。

何用あって行ったかといえば第70回「光陽展」の絵画展を観るため。同会の審査委員となっている瑞恵先生からの招待。今回、瑞恵先生出品の「シルクロード紀行」を観るなり「あっ、いいじゃん。優しくなった!!」と思わず声を上げてしまった。

そうです、すべて生きものに対する優しさがなければ個人的も生きる価値がないのです。武田泰淳は言っておりましたぞ「愛をもって接しなさい」。これがすべてでございます。サラバでござる。

 
   4月4日(月)

朝から雨が降っている。目覚めた時はいつもぼーっとしているが雨のせいかぼーっぼーっと連呼しているようだ。これはいかんと傘をさして散歩に出る。歩いたからといってぼーっが解消されるわけでもない。それはわかっているが歩く。歩きながら考える。雨の日はなぜ傘をさすのだろうかー。この哲学的の問いに解答はあるのかとまたまた考える。

雨に打たれ朽ちそうな長屋を見る。答えはこの中に隠されているのではないかー。そこで傘をさしながら写真を撮る。なぜ傘を閉じて写真を撮らないのだろう。そう、雨に濡れるのがイヤだからだ。このイヤだからというのはなぜかと降りやまぬ雨に訊く。雨はイヤだといいいながら降っている。

民俗学者の宮本常一が「イヤなことはブタに食わせろ」と書いている。ところがわが家にはブタはいない。それならゴキブリにもでも食ってもらうかと探す。寒さだけではなくヒモジイ台所にはめぼしいエサがないのだ。こまったものだ。
 
   4月3日(日)

詩人会議運営委員の事務長から、同委員のやりとりを「ライン」を通じて頻繁にやりたいという連絡を受け、未知との遭遇のようにスマホを操作していたら開通した。そしたら、昔なじみの人たちからやたらと連絡が入る。おいらが山形で過ごした70数年前の社会状況とはあきらかに変わった。変わりすぎて追いついていけない。

「5000日後の世界」でケヴィン・ケリーが述べていたが、今、スマホを自由に扱っている若者も数年後にはおいらのように取り残された世代として苦労するだろう。進化のスピードがケタ違い。ソロバンなどという計算機は民俗博物館に陳列さているのとなんら変わりない世界が訪れるのだ。ああ、恐ろしや、恐ろしや。

図書館に行く。「大生ものがたり」の「鳳源水」に集中。あちらこちらさまの資料を集め、ようやくまとめられそうと実感。きれい、きれいのトイレで新鮮なオシッコしてサラバする。
 
   4月2日(土)

歩きながら考える「病気の9割は歩くだけで治る」というのは活字を追っているだけでは歩いたことにならない。やはり実際に歩かなければならい。そこで効果を高めるために同書を読みながら歩けばいいのかと考える。二宮金次郎の時代ではない。クルマにぶつかったらすべてぶち壊しだ。そういうことでやめることにする。

「旅する巨人」佐野慎一を読みだす。送られてきた本の山を見てこれは本命だった。佐野慎一のノンフィクションは面白からこれまでの数冊読んでいる。途中まで読んだがとても面白い。これからが楽しみだ。

久しぶりに山王姫宅に行く。いばぶんの今後について話す。コロナ禍のさ中、これといった活動もままならない。ただ、ぼんやりと流していこうという。さんともサマにならない結論。
 
  4月1日(金)

さあ、新年度のスタート。おいらは晴れて毎日が日曜日のスタート。なにもかもが瑞々しく輝いている。わが家にやってくるスズメたちも真新しいランドセルを背負って餌をついばんでいる。「バーカ、嘘だぁー」金魚ちゃんの声。「バーカ、今日はエイプリルフールだぞ」

山猫から送られてきた「病気の9割は歩くだけで治る」という本。それならバカも歩けば治るのかとひたすら歩く。1時間ほどわが町内を歩くが出会ったヒトはいない。クルマとはすれ違うがヒトの姿がないのだ。どうしたのだろう。

今日は花冷えのような寒さ。それでみんな家の中にこもりテレビでも見ているのかー。コロナが怖くて閉じこもっているのかー。静かでいいと思う反面、やはりヒトがいない風景は淋しいものだ。
 
2021年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12

2022年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12
 

おひまな方はこちらへ