怠惰な散歩  2021年12

   12月31日(金)

寒い一日だった。本日で2021年は終わり。これまでよく生きてきたとしみじみ思う。さらに図々しくまだ生きようとしている。恥知らずのアンポンタンなのだろうか?考えてしまう。

山猫から2回も雪かきしたと写真付きのメール。雪かきは女の人にはきつい労働だ。今晩は仕事日。途中、未来屋書店で本を3冊買う。山猫の影響を受けたのか「神社とは何か」新谷尚紀(講談社現代新書)まで入っている。最後まで読みとおせるのだろうか?。そもそも理解できるのだろうか?。ともかく心静かにして読んで見よう。

我が家の金魚ちゃん2匹は26日に昇天した。そこでジョイフル本田で5匹購入。今度からは外で飼うことにする。これまでは過保護だった。自然体で育てればいいという結論に至った。底冷えのする日が続いているが元気に生きている。来年は気張らず元気にをモットーにしよう。そういうことで2021年のブログはお終いです。
 
   12月30日(木)

寒さのせいか肩凝りがすごい。やつれくたびれた筋肉でも凝るのは同じのようだ。わずかに残された筋肉でも人並みに凝り固まる。肩や首を回したり前後左右に振ってなだめても消えてくれない。やはり辛抱強く、暖かくなる春まで待つのかー。

少しは元気になったと山猫に連絡。遠い長野から心配してくれるのだら有難いものだ。贈ってもらったハチミツを少しずつなめる。思ったより甘くなくおいいしい。食べ物ならどんなものでもどなたからも遠慮をしない。これは我が家の鉄なるモットー。

早朝、詩人会議への投稿詩をエイヤーと気合を入れて投函。12月末日締めだからギリギリ。今回は苦労した。25日には出そうと決めていたが突然の体調不良。それどころではなかった。郵送してほっとしてたら詩人会議2月号届く。おいらの詩も掲載されている。2か月ぶりでうれしい、元気が出る。

「玉こんにゃく」詩人会議2月号自由の部。
 
 
 photot:山猫(長野) 
 12月29日(水)

ー 人のために詩を書くんじゃなくて、自分自身のために詩を書く。自分自身の物の考え方や感じ方が、もろくも崩れ去ってしまわないために、それに一つ秩序のようなものを絶えず持たせておくために、詩を書き続けてきたような気がする ー詩人会議1月号「小野十三郎さんに聞く//青木はるみ」より。

77歳でまだ煙草を吸っているという歌手の小椋佳は「静かに消えていきたい」という。ーカントも実は「神はいない」と言っているんですよね。その反面、「神はいた方が人間にとって都合がいい」とも言っていますー。(文藝春秋1月号)。その方が人間は楽だ。

26日から体調を崩した。からだ全体が重くて動かないのだ。気力も体力もわかないのだ。静かに過ごすことにする。「大生ものがたり」をまとめることができるのかと心配になる。ようやくブログを書く気になる。
 
 photot:山猫(長野) 
   12月25日(土)

山三印刷が来るというのでいばぶん事務所へ。「大生ものがたり」の印刷についていろいろ相談する。話しのはじめに「来年のことだけどー」「来年の仕事だけどー」を連発。そうなのだ、来年になればどんなことが起こることなど誰にも分からないのだ。

終えてから山王姫に会いに行く。術後で療養中のことでどんな具合かとー。少しやつれたようだが元気そう。この季節は寒いからきっと辛いだろうが頑張って欲しい。しばらくは静かにしずかにシズカーニしていることが大切だ。

夕方は歯医者に行くかあちゃんのアッシー君。夕焼けがきれい。美しいものは自然の壮大さにはニンゲンは呆然として眺めるだけだ。あの夕焼けの変化は大空のリングで壮絶な戦いをしているせいだろう。ケンカも美しい時があるのだ。
 
   12月24日(金)

今日はクリスマスイヴならぬ「苦しみます、長い夜」ということで宿直という誇り高き仕事に就く。勤務表では大晦日の夜も出勤日。やけくそバンザイだ!!。

奥歯の詰め物が取れたらしい。歯がガタガタで思うように噛めない。そこで歯医者へ。先生、覗き込んで「ああー、ううー」と何度もうなる。うならなくてもいいから治療して欲しいのだ。おいらは疑う、この先いのち短し老人の歯を治療すべきかー。ましてや金銭的には恵まれていそうもない。こちらも商売だ。いのちと痛さと重さ。ああ、悩む。

「詩とはなにか?」荒川洋治は「アジール」と言った。公の世俗的権力とか日常的な常識とかどこかで対立するもうひとつの空間。それは実際の役にたたないが、もしそれがなかったら人間の精神の拠り所がなくなってしまう。中上哲夫は「結局この世には、居場所がない。詩を書いていくよりしょうがない」。
■「詩学入門」中村不二夫、川中子義勝編より拾い出す。もっとものことだ。役立たずの詩を書く人は居場所がないかいそうな人。
 
   12月23日(木)

詩人の高良留美子さんの訃報を新聞で知る。88歳だという。ニランジョンが来日した時、駒場東大で詩人クラブの会合に招かれ行った。パーティーで留美子さんに「いつもわたしの顔は怖そうに出てくるから優しい顔を写して」と頼まれ撮って送ったことがある。

その後、「春になれば」の写真集を送ったら「いいご本を出されましね」とお礼の手紙と母である高良とみさんの自伝的な本を送ってきてくれた。「この本をもう一度まとめなおしたいので、その時は手伝って」とも書かれていた。

おいらに手伝えることなんてあるのかー。その後、人づてに体調を悪くされ出かけることもままならなくなったと聞いていた。それから会うこともなく今日、亡くなったことを知った。ああ、みんないなくなってしまうのだ。これが世の常というものかー。
 
   12月22日(水)

昨日は仕事。出かける時にいつも持っていくバッグが軽いと思っていた。宿直室で気づく。ノートパソコンを忘れてきた。夜9時の見回りを終えてから詩らしきものの推敲を楽しみしているのになんということかー。なんとなく気抜けする、

気抜けしたまま仕事を終えて帰宅。今日は宍塚の大家さんの家に竹をもらいに行く約束をしている。お天気は快晴で絶好の竹狩り日だ、ルンルン気分で帰る。

大家さんの屋敷は広い、竹林や畠、屋敷に築山のある庭を合わせて3000坪ぐらいありそう。広いことは解放感があっていいだろうが管理も大変だろうとため息。竹を切り倒して輪切り。かぐや姫は現れなかった。計12本を頂く。これで雑草を入れる囲いを造るのだ。楽しみが増えた。バンザイだ!!。
 
  12月21日(火)

「ー自分の住む世界の価値観に、人は暗黙のうちに合されてしまう。常識や慣習、考え方、ものの見方、人の世に暮らせば、知らぬ間にそういうものが我が身に染みついているんですー」(「猫も老人も役立たずでけっこう」養老孟司著。河出書房新社。

ー人間は堕落する。義士も聖女も堕落し、それを防ぐことはできず、また防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生きそして堕ち、そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではない。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけである。ー(堕落論:坂口安吾)
 
   12月20日(月)

朝、滝の園から西に消えてゆくお月さんを撮る。だが、想定していた風景とはならない。残念無念なり。自然はニンゲンが考えているようには動いてくれないのだ。

パソコンの手軽な写真ソフトを探す。高価なものでなくていいのだ。どうせ使いこなせないのだからー。そこでハタと気づく。カメラメーカーが提供しているソフトは無料だ。ニコン写真ソフトで探したら無償というのがあった。

そこでダウンロードする。大昔はニコンのソフトを使っていた。シンプルでいいと思っていたが進化している。いろいろ試してみたが複雑で分からない。そもそも写した写真を後で加工しようということが間違っている。おいらは絶対非演出をモットーにしていた土門拳の影響が強い。この考えは浦島太郎のようなものだろう。それにしてもややこしくてまいった。
 
   12月19日(日)

寒い一日だった。それでも頑張ってジャガイモ、サトイモ、ヤーコンを掘りだす。少しは台所のまな板の上にのせる食材ができた。後はどういうふうに料理するかだ。これはかあちゃんにおまかせ。マル投げということ。

本棚の背表紙を見ていたら、ふと「福永武彦詩集」(岩波書店)が目についた。取り出してパラパラと読む。どれも難解だ。きっとおいらとはレベルが違うのだろう。奥付けを見ると1984年3月発行。東京に住んでいるころ新刊書で買った。これまで何度引っ越したかわからないがまだ手もとにある。奇跡的だ。

それにしても2600円と高価な本をよく買えたものだ。当時はまだバーコードも消費税もない。あの頃も詩を書いていたのだろうかー。皿洗いのアルバイトと麻雀に明け暮れていたような気がする。どういう心境で買ったのだろう。不思議だ。
 
  12月17日(金)

詩人クラブの会報と会員住所録が送られてくる。同会理事をやっているバアサンと知り合いになり「会員じゃなくても会友になってよー」と推奨され「会友」となった。今年の会費はまだ払ってないなぁーと思っていたら「振込用紙」がポロリと会報の間からこぼれてくる。まるで手品だ。

詩を書いて詩誌などに載せてもらうにはお金を払うということを初めて知った。アンソロジーであればページいくらのギャラを払わなければならない。コンテストでも参加料なるものを要求される。ああ、すべて金、カネまみれの世界だ。

身の丈にあったお金があればと常々思っていたがそれすらも怪しくなった。格差のない社会なんてつまらないし無くなるわけがない。ただ、身の丈にあったお金まで算段つかなくなったらー。まず、金魚ちゃんが犠牲になる。「バーカ、食えるなら食ってみろ!!永遠に化けて出てやるぞ!!」金魚ちゃんの反撃。ああ、恐ろしや、おそろしやだ。
 
   12月16日(木)

山猫は真壁に泊まっているという。それなら以前から約束していた筑波山周辺を案内することにする。臼井の湧水と白滝だ。両方とも久しぶりのご対面だ。しーんと静まり返っている。最初に体験した不思議な霊力みたいものは感じられない。それでも懐かしい雰囲気が漂っている。

真壁で埼玉に住む娘夫婦と孫娘の所へ行くという山猫と別れる。帰りに久しぶりに上大島にある一条院に立ち寄る。そこで石仏をパチリパチリ。ここも静かだ。「バーカ、カメラを持って墓地をウロウロしているヤツはどこか狂っているよ」金魚ちゃんの声。

夕方、孫娘のあかりちゃんの写真が送られてくる。まるまると太って元気そう。子どもは元気がなによりのプレゼントだ。年寄りはそうはいかない。いかに疲れをとるかだ。そこで早々と寝ることにする。バイバイだ。
 
   12月15日(水)

おかしいと気づく。昨日のブログの日付が今日になっている。間違いは誰にでもある。そうーっと直す。これぐらいの間違いは許される範囲に入る。これが難病を治すとなると困難を極める。自分の力で治すことができれば一番いいのだが年寄りにはその治す力がない。年齢を重ねるということはこういうことだったのだ。

さて本日はどう過ごしたのか。宿直明けの朝はウルトラぼーっとしている。生活サイクルのリズムを取り戻すのに苦労する。どうすればいいのかと考えるが思い当たり治療法はない。そこで庭の草むしりをする。

これが一番の救いの神だ。芝生の間から顔を出している雑草を抜き取る。それが気持ちいいのだ。どうしてそんなに気分爽快になるのかー。自分でもよく分からない。お金もかからない大人の遊びと位置付けして本日はお終い。サラバだ。
 
   12月14日(火)

今日は朝から寒かった。昼過ぎには冷たい小雨がぱらつくという冬らしいお天気だった。こういう日は家に籠り静かに静かに過ごすに限る。そこで、「大生ものがたり」の写真整理に取り掛かる。

取り掛かるというほどの大げさなものではない。ここ三日間パチリパチリやった写真を忘れないうちに区分けするだけ。パソコンとにらめっこして目が疲れると本を読む。「バーカ、それじゃ目の保養にはならないじゃないかー」金魚ちゃんの声。

ここしばらく見なかったスズメたちがやってきてエサを奪い合うように啄んでいる。そんなに慌てて食べなくともいいのにとブツブツ言いながらぼーっと見ている。いつものわが家の光景だ。なんとなくほっとする。やはり、おいらにはぼーっの生活が似合っているようだ。「バンザイ、それでいいのだ!」金魚ちゃんの声。
 
   12月13日(月)

空は晴れているが風が強く冷たい。白鳥の里で水鳥を見ながら鹿島神宮へ。地元の愛鳥家によれば「オガガモ」だという。案内版には表示されていない。そのことを言うと「俺に聞かないからだ!」。なんでもそうだ。地元の物知りに聞いて作ればいいのだ。

鹿島神宮で物忌が運ばれたという御輿を撮影。童女が乗ったせいか小さい。派手な装飾はない。鳳凰の彫り物がある。緑畳にちょこんと座り何もわからずに運ばれたのだろうかー。

罐谷神社に再び行く。ここからの道中の景色がなんとなく好きになる。春先はもっと明るい緑に包まれるような気がする。昼食は潮来の道の駅で食べる。そこで山猫と別れる。これまで運転手は山猫ひとり、お疲れ様でした。
 
   12月12日(日)

さあ、今日は真剣勝負のパチリパチリだ。お天気もいい。気候条件は最高。ここで心配事をあげるとすれば体力だけ。カメラマンなどというのは肉体労働者で頑健な体だけがあればいいのだ。

今日の暦のごろ合わせは「1212」で「いちにいちに」。そこでくたびれオジンは山猫の案内に従い物忌の撮影ポイントをパチリパチリ。

鹿島市の物忌館跡から稲荷坂を下りエンマの入り口までの坂道を歩く。これはかなりきつい。坂道の多い所で暮らしているから鍛えているといっても年寄りには辛い。鹿島側のコースを教えてもらう。体力と時間がある時にまた周ってパチリパチリやろう。

 
   12月11日(土)

当直明けで体はきついが「大生ものがたり」の写真を撮りに潮来に行く。本日は土曜日。そのせいか霞ヶ浦湖岸をめぐるサイクリングを楽しむ人が多い。ファミリーマートではバイクの自慢をお互いにしている。盗み耳で聞くとそれはそれはたいそうなゴタクを並べている。やたらとヨコ文字が多く意味不明。

お天気が良いから気分はいい。待ち合わせ場所に着く前に大生神社に立ち寄りパチリパチリ。次は七つ井戸の一つ思井戸の池に行きパチリパチリ。ここには思井戸の説明板とミス日本「水の天使}という大きな看板が立てられいる。どういう神経でこんな看板を立てたのだろう。まったく意味不明。立て看板ならぬハラが立つ。

夕方、鹿嶋方面から北浦の夕日をパチリパチリ。某氏の「残照記」というタイトルの出版記念会を思い出す。「わたしの人生ももうすぐ終わり。これが最後の本になるので残照記にしました」某氏のあいさつ。ああ、わが人生も夕焼け近しだ。
 

 photot山猫(長野) 
 12月9日(木)

朝、山猫から鹿島灘の動画と写真が送られてくる。海は荒れ寒そう。それにしても元気だ。物忌オタクでオッカケを自認しているが間違いなく本物だ。すごい!!。

花壇に花キャベツを植える。金魚ちゃんの寝室兼トイレ兼食堂兼居間を掃除する。かあちゃん買い物のアッシー君をする。ヒマでタイクツだからやみくもに歩く。本日は9785歩。1時間28分。この数字にどんな意味があるということだろう。

「男たちよ」ーフツウの男をフツウでない男たちにするための54章ー塩野七生著を読みだす。学習院大で塩野と同級生だったという女性記者か常陽新聞にいて一緒に仕事をした。ダンナはつくばの研究所に勤めネコ好きのフツウのオバサンだった。フツウであればいいのだよー。「うん、そうだよ」金魚ちゃんの声。
 
 photot山猫(長野)
   12月8日(水)

宿直明けの滝の園の玄関前はモミジの枯れ葉が泳いでいる。水もないのに泳げるものだと感心していたら風の悪戯。自然はすご、なんの抵抗もなくなく受け入れ行動に移る。これは神業に近いと感心する。

ブログ用にスマホで写真を撮ろうとしたら片手に傘もう一方の手はバックを持っている。両手がふさがっている。そこで諦める。そこで考える両手がふさがっている時はどうやってそれをカバーできるか。スマホを口にくわえて写真を撮ることは神業だ。なにより不可能だ。風雨が激しくなったのでそそくさと帰ることにする。

昼過ぎ、雨は降っているが近所にある太い根っこを見たくなった。傘をさして小道を歩いていると秋が真っ盛り。紅葉が目に飛び込んできた。ああ、きれいだ。遠出しなくても紅葉狩りはできるのだ。バンザイだ。
 
   12月7日(火)

ー考えから生まれる詩は/ほとんど賞味期限切れである/やみくもに歩きだして/ぶつかったものを拾う方がいいー谷川俊太郎はそういっている。これは正解だろう。机に座って脳みそをぐるぐるかき回してもいい結果は生まれない。五感で味わったようなものから素直な詩は生まれるのだろう。

「詩人会議1月号」が届く。おいらの詩はなし。2カ月続けて不採用となった。淋しい。今号は新春特集ということで巻頭詩は90歳になる谷川俊太郎。50人ほどの詩人が寄稿している。全員ベテランで年寄りが多い。詩人は夭逝か長生きのどちらかだ。

86歳になる大塚史郎さんは27冊目の詩集を出版した。おいらはゼロだ。悲しい。ネットで調べたら自費出版するさいは100編ほどの詩を用意しておいた方がいいという。いつかは格安のネット印刷で出版したいものだということになり、ここ3年分の整理を始める。外は雨、退屈で暇なおいらにはちょうどいい。今夜は仕事日。雨はまだ降っている。
 
   12月6日(月)

わが家から霞ヶ浦が見える水郷公園までの距離と徒歩でどれぐらいかかるのか。スマホの歩行計が見張り番。自宅から水郷公園までは片道5012歩で42分かかる。そこでプカリプカリとやりながら詩を書く。

だれが
わたしの
化粧箱に
いれて置いた
筆と墨を持ち出し
夜半にこっそり
筆を走らせたものか
今朝の霞ヶ浦は
鈍色の空を抱いて
眠っているようだ 
 
   12月5日(日)

「われわれジャーナリストという職業は、そもそも専門を持たないものである。(略)一つのテーマが終わると、すぐに忘れ、またつぎのテーマに没頭するという具合である。」(ドキュメント安楽死:Pp240)おいらにもその傾向がある。それに飽きっぽい。そこで広く浅くということで○○オタクというのはない。残念なり。

今日は大きな二つの約束事がある。わが町内の餅つき大会に参加してホカホカお餅をもらこと。これはわが家の食生活を豊かにするという大切な行事。そこで出かける。「モチ貰えませんか?」「子どもだけです」鋭い反応。主催者の話によれば想定外の参加者でとても餅が足りない。そこで卑しいジジババはお断りになったらしい。

午後は告別式に。生活の糧の一部となっている組合紙創刊の時からの付き合いがある人の母。昔、常陽新聞に俳句を投稿していた。99歳だそうだ。黒装束で行く。さすがにワイシャツは白でハンカチも白い。黒い革靴は駄々をこねている、足が痛い。
 
   12月4日(土)

良く晴れた一日だった。朝からメールで物忌の講義がある。寝起きの頭にはすんなりと入力されない。ぼーっにぼんやりのダブルぼーっ。それなりに詩を一編作る。できは良くない。気負いだけが目立つ。やはり等身大の能力で書くことの大切さを忘れてはならない。

空があまりにも美しいので霞ヶ浦を見に行く。土曜日で休日のせいか釣り人が多い。こんな広い湖から魚を一匹せしめようということはどういうことかと考える。県外ナンバーが多い。遠出してまでそんなに魚を釣りたいとやってくるのだから霞ヶ浦の魚も一匹ぐらい犠牲になってもいいように思う。

山猫家では冬はカレーにジャガイモではなく長芋を入れるという。かあちゃん見習って作る。食べる。長芋はシャキシャキしている。それなりにおいしい。初体験だが何でも挑戦することに意義があるようだ。
 
   12月3日(金)

「ドキュメント 安楽死」森岡恭彦著。ようやく世み終わる。発行は1989年3月1日:講談社。これはフランスの話であるが人類が生存する限り世界の普遍的な永遠の課題だろう。

ー医学の分野でも、他の分野と同様、学問が種々の発見を成し遂げ、不治と思われる患者も、やがては希望が持てるようになるようになるという期待を徹底して捨てていないのです。何よりもまず、霊魂の不滅という見方、そして、忍従の気持ちで苦痛を甘受し、身を任せるものなら、この世の苦痛はあの世の快楽になるという信仰があります。生命を短縮させ、魂を横取りすべきでないというのも、とくにこういった見地からのものであります。(P180)

物忌の「私は豊子」の詩が送られてくる。とっさにヴァレーヌ(フランスの詩人)「選ばれてあることの/不安と恍惚と/二つわれにあり」を思い出す。「バーカ、ちょっと違うんじゃないのー」金魚ちゃんの声あり。
 

  photot山猫(長野)
 12月2日(木)

わが家から見上げる空は世界中の青い空をかき集めてきたように真っ青。いつも思う。空はなぜ地球を飽くなく見ているのだろう。ツバを飛ばし罵りあいをしたり、はてには戦争という大ケンカをして大切な命を奪い合ったりしている悲しいニンゲンの住む地球を見捨てないのかとー。

山猫の提案のように「大生ものがたり」においらの詩も織り込んだらということで組立てみる。なかなか思いつかい。よくよく考えたら「物忌み」についてまっくたく理解していない。山猫の小論文などひもといても実態が思い浮かばない。

そこで考える。ああ、これはおいらが特異としているドンぶり勘定の生き方が反映されているのではないー。出会いがしらの生きざまだったがまだ五体満足で生きている。不思議だ。「ドキュメント安楽死」を休み休み読む。辛くても読み切らなければパンツをはいたサルとはいえないのだー。
 
 photot山猫(長野)
  12月1日(水)

さあ12月だ、股引きのゴムをぐんと締め頑張ろう。おいらが持っている股引きはオールドであまり暖かくない。広告などで見かける何とかヒーター下着などあるわけがない。それでもはかないよりはいい。

さて、12月は「大生ものがたり」の写真撮影に励もう。なにしろ山猫ならぬ優猫ならぬ清織姫がついている。若いから元気でお肌ピンピン。とにかくフットワークがいい。おいらはあっちこっちをパチリパチリに徹すればいいだけだかららくちん。

山王姫から電話あり。昨日のみどりさんの授業に感動したとのこと。同感なり。今日も「ドキュメント 安楽死」読んだが、途中で投げ出しそうになるくらい辛い話ばかり。まだ半分ほどしか読んでいない。辛くても最後まで読むべしと心決める。今日の夕焼けは美しかった。
2021年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12

おひまな方はこちらへ