怠惰な散歩  2023年2

   2月28日(火)

ああ、寒い2月よ今日でサラバだ。今日は暖かった。庭の手入れに精を出す。テントウムシを数匹見つける。アリンコもいる。大地は何でも受け入れくれる。エライものだ。

詩人会議に2月締め分として本日投稿する。「玉稿、ありがとうございました」とのメールあり。きっと、投稿者にはそういう返事のひながたができているのだろう。それでも、玉稿という言葉を考えてみる。今回の詩の出来具合は良くない。よっぽど2月は見送ろうかと迷った。それでも、ここで休んだらおいらの精神的緊張が一気に瓦解するのではー。そっちの方が怖い!!。

さあて、明日から三月。ご同輩、それなりに元気でガンバロー!!。大げさなアクションはいらない。静かにガンバローね!!
 
   2月27日(月)

さあて、今日という日をどうやって過ごそうか。空は明るく青い。庭のお手入れをするにはもってこい。そういうことでペッタンコと座り雑草むしりをしようと外に出たら鼻水がタラリタラリ。北風が冷たい。年寄りにはきつそうだ。決断と実行で中止とする。

そこで「天路の人」沢木耕太郎を読み始める。これを購入できたのはバレンタインデーに山猫がプレゼントしてくれた図書券のお陰。なにしろ2400円もする大作だぞ。ああ、有り難や有り難や!!。

ところがだ、30分も読んでいると瞼が重くなりコックリコックリ。
500ページを超すこの本を本当に読み切れるのか不安になる。それでもなんとか100ページは読んだ。ただ、どれほど理解しているのか怪しい。困ったものだ。無念なり。
 
   2月25日(土)

朝を起きる。ああ、まだ生きている。ウツラウツラとウクライナとロシアのことを考える。昨日、衝動買いした岩波文庫の「シェフチェンコ詩集」を読む。初めて知るシェフチェンコはウクライナの国民的詩人だそうだ。詩集はシェフチェンコが詩作を始めた1837年から死の直前の1861年まで。今から約100数十年前。少しはウクライナのことがわかるかも知れない。チカラを入れて読もう。

久しぶりに山王台の姫に会いに行く。年をまたいで3カ月ぶりだ。お互いに体調がすぐれなかった。いつもなら軽い足取りでクルマを走らせて恋瀬川を越え会いに行くのだが、その元気がなかった。

二人で話したことは気力と体力の衰えの嘆き節。この民謡の相方の掛け声が面白い。「どっこいしょ、どっこらしょ」。こればかりでは人生は寂しい。そこで「おまけに、うんこらしょ」でぷっとオナラ。かわいいものだ。
 
   2月24日(金)

整復師会の初稿が入る。早速、事務所に転送。後は広報部長とうまくやって欲しい。畑仕事を少しやる。すぐに息切れしてしまう。草むしりを少しやる。すぐに息切れしてしまう。それでもまだ五体満足で生きているのだから不思議。

昼頃、久しぶりに山王姫に電話を入れる。何度呼び出しても出ない。耳が遠くなったと聞いているが本当だろうかー。仕方ないのでショートメールを入れる。しばらくして電話が入る。最近は、調子が良くないという。今でも布団の中から電話をしているという。

おいらの知人、友人諸氏はみんなお年寄り。明るい話題がない。明るい話題が浮かばないのだ。それでも山王姫と明るい話をしに行くと約束をする。お互いの体調のいい時というが、やはりもう少し暖かくなったほうがいいような気がする。
 
   2月23日(木)

今日は天皇誕生日。祝日には必ず日の丸の国旗が掲げられる三軒隣の大久保さんの家。今回はない。日の丸の国旗を掲げる人が昨年の12月に亡くなったのだ。92歳だった。なんとなく寂しいものだ。

惰性のようにブログを書き進める。詩人会議投稿の詩に難渋する。投稿をやめればすべて解決する話。ところがそうはいかないのだ。おいらにも意地というものがある。今年一年は採否はともかく、月一編を必ず投稿すると決めたからには簡単に投稿ならぬ投降して撤退することはできないのだ。

あくびをしながら考え、屁をしながら考えなんとかまとまったような気がする。明日の朝、しっかり推敲しよう。これは怪しい約束だがー。
 
   2月22日(水)

さあて、本日は何をして過ごそうかと考える。土曜日から3連荘で仕事をしたからもう休んでもいい頃だと思う。そこで、締め切り迫る詩人会議の詩を書こうと踏ん張る。フンバリがきかない。時間だけがぼーっと流れる。言葉が浮かばず逃げるだけ。バーカ、しっかりしろ!!。

空を見る。あまりにも青く澄み渡り眩暈がしそう。やはり、自然にはかなわない。まるでおいらの心のように澄んでいるのだ。朱里にも叶わないはずだ。ざまあみろというものだ。

夕方、山新に灯油を買いに行く。園芸コーナーを覗くともうタネイモを売っているではないか。おいらには「男爵」という銘柄がふさわしいというこで購入。さて、いつ植えることができるか楽しみだ。というより気分と体力との勝負だ。まあ、なんとかなるだろう!!
 
   2月21日(火)

朝から寒い。香里ちゃんの元気な写真がたくさん送らててくる。子どもはただ遊んで大きくなればいい。とにかく健康であること。そこから物語は作られる。

根本ぶどう園へ。本日で2月の作業はほとんど終わった。帰ったら
畑仕事をやろうと思うが北風が冷たそう。そこでやめる。退屈で暇な時間をどう過ごそうかとぼんやり考えているうちに眠くなる。

大岡信賞に詩人の野村喜和夫さんが受賞という新聞記事を目にする。71歳で半世紀に詩を書き続けてきたという。たくさんの受賞歴がある。初めて知る詩人。もっとも詩人などいう人種は無限大の数で知れざる人がたくさんいるのだろう。「人生は美しい」なかなかいいタイトルの詩集だ。
 
   2月20日(月)

根本ぶどう園の剪定作業は本日で終わり。3月の誘引作業までしばらくお休み。少しはゆっくりできるのだろうかー。これは体力と精神状態次第だ。どうも、「そう」と「うつ」の入り替わりが激しい。

午後、しばらくぶりに畑の草むしりをする。土の感触はいい。何か無限大の生命力を宿しているような気がする。

今月締めの詩人会議投稿の詩を書く。言葉が出てこない。夢の中では出るのだが目覚めると全部忘れている。素晴らしいことだ。くだらない言葉をいつまでも引きずっていることはない。
 
   2月19日(日)

ノートパソコンは段ボールでこしらえた本棚の裏に隠れていた。これでひと安心。いつものようにソファに座りブログを書く。今日を振り返っても大きな変化は何ひとつない。これでいいのだろう。

やはり膝が弱った。階段の上り下りがきつい。情けない。地下足袋をはいて各地の建設現場を飛び歩いていたのが夢のよう。7歳年上のかあちゃんの方がはるかに元気だ。負けた、参った。

「1日1編 人生を成功に導く 365人の言葉」。ー人生の指針、仕事の哲学ーという帯文。もういいよという感じ。もう、働くことはできないようだ、ということは収入の道が途絶える。食の道が途絶えるのだ。凛としてサラバをしなければならない。
もはやジタバタしてもしょうがない。
 
   2月17日(金)

「死とどう向き合うか」ということは「生とどう向き合うことか」と」朝一番に考える。「生死」は紙一重である。「戦争、大義が私には分からない」「生きるという大義が私には分からない」。世の中、分らないことだらけー。

今日の大仕事は皮膚科と眼科の医者巡りだ。この検査結果次第ではしばらくお休みできるはずだ。ルンルン気分で出かける。どちらも待合室では忍耐の一字に尽きる。結局、朝9時に出かけて帰ってきたのは午後2時。昼食をはさんでいたとはいえ辛い。


「365人の言葉」(php編集部編)からを今日の言葉にする。365人はいずれも身近な日本人。親しみがあっていいと思い買う。BOOKOFFも最近は古本の値段が高くなる。500円ほどの値引きで1800円也。まぁ、いいかー。
 
   2月14日(火)

ぶどう園に様子を見に行く。少し、仕事をやる。自宅に戻りウツラウツラ。最近はよく眠れる。そして、朝になると起きているのだ。すごい老人パワー。


雪の秘密

雪と抱っこして
雪に抱っこされて
キラキラ光る
白い雪の眩しさに
無限のウィンク

転んで
滑って
頬ずりして
おなかのおへそちゃん
ケラケラ
ポンポコリンの大合唱
 
  2月13日(月)

昨日の朝日新聞朝刊の見出し。「戦争の大義、私にはわからない」。
捕虜となったロシア将校のインタビュー。「激戦地で降伏、捕虜施設で語る」。このことについて考える。まるで「仁義なき戦い」の東映のやくざ映画のようなフレーズ。

考えても分からないが考える。それにしても朝から小雨がぱらつき寒い。三寒四温というがこれから一雨ごとに暖かくなるのだろうかー。それならうれしいがー。

萎えた足腰に少しでもしっかりしてもらおうと雨の中を歩く。このままいったら後数年で歩けなくなるのではー。そしたら人生バイバイだ。これまでたくさんの友人知人を見送った。もう自分の場になっても当然だし満足しているからいいよー。
 
 
   2月12日(日)

今日こそはブログを更新しよう。強い決意で朝からウーロンハイを飲む。完璧なアル中だ。アル中ならアル中の生き方死に方があるはずだ。

今日の空は明るく暖かい。うれしい!!。このうれしさを誰に届けよう。2月4日以来ブログを更新していないことを知る。しかし、その抜けた時間もおいらは生きたいた。もちろん、かあちゃんもだ。

わが家はかあちゃんの方が元気だ。7歳も年上だというのに強いのだ。秘訣は酒を飲まないこと。努めて粗食に甘んじること。そして、リックを背負い買い物に行きひたすら坂道だけの町内を歩くこと。ガンバレ!!。
 
   2月11日(土)

こんなはずじゃなかった。耕運機の始動レバーを引く力がないのだ。やはり電気のにすれば良かった。もう遅い。諦める。

ぼーっとしていてもしょうがないと清掃の仕事をやりに行く。足腰が弱ったから階段の上り下りが辛い。それでも体を動かした方がいいと頑張る。さて、この頑張りはいつまで続けられるだろうか。皆目見当がつかない。

朱里ちゃんの動画が送られてくる。こちらは元気はつらつ。うらやましい。写真の方がいい。ブログにアップする方法が分からない。分からなくてもいいことが多すぎるような気がする。
 
   2月10日(金)

雪が降りそうだ。でも降らない。降るなら早く降って欲しい。
それでも雪は降らない。さっさと降ってみろ。これは雪国の人をバーカにしている。どれだけ辛いのかおまえさんも体験しているではないか。人間、みんな勝手な生き物であることを痛感。

ようやく帯状疱疹の病気が癒えたようだ。体が重く辛い1カ月だった。まだ、体の全面回復とはいかない。

ブログは毎日書いているが更新する元気がない。なぜだろうと考える。やはり気合、気力がなくなったのだ。ましてや、どうでもいいような内容。絶対に更新しなければという義務もない。
 
   2月9日(木)

まぎれもなく晴れた日だったが心は真っ暗闇の一日だった。これはどういうことだろうと考える。日めくりカレンダーがめくられるごとに暖かくなっている。頭も暖かくなり空っぽになっていくようだ。

では、明日のことを書こう。バーカ、書けるわけがないだろう。まったくのバーカをどうするかだ。

「いのちの窓」河井寛次郎を少し読む。明治生まれの賢人には言葉の重みがある。たまり場のような家族構成で受け継がれた家庭が瓦解したのはいつのじょとだろうと思う。それにしてもおいらとは育ちの質が違う。
 
   2月8日(水)

朝早く、山猫から電話あり。ガラクタを送ったが届いたらしい。その俺の電話。寝ぼけ眼で応対する。長野の冬は辛そう。我慢だ。春は必ずやってくる。

整復師会ニュースの編集会議で水戸へ。令和5年度は役員改選で広報部長が交代するらしい。少し、うれしくなる。そりが合わなかっただけにもっとうれしくなる。そのうち、おいらも交代させられるだろう。これはしょうがないことだ。この収入が途絶えたらどうなるのかー。想像もしたくない。

世代はどんどん変わっていく。それに乗り遅れてはならない。ヤフーと整復師会ニュースでは物語の舞台が違うというものだ。そこを、最後までわからかったようだ。残念、無念なり。
 
   2月7日(火)

ねぇ、うなぎのかば焼きを食べに行こう。あの角を曲がった一膳めし屋の食堂へ。バーカ、その店は半世紀前にも潰れてなくっている。無くなること、消滅することの素晴らしさ考える。よく考えてみれば親しくしていた人がたくさん亡くなった。おいらは、まだ生きている。すごいことだ!!。

「いのちの窓」河井寛次郎の詩とエッセーを読む。短詩がいい。ただ、全体に生活臭が感じられない。きっと、京都のボンボンだったのだろうと推測する。その点、詩人会議の会員の詩は貧しかった子ども時代の詩が多い。推測するには言葉を発して現実から逃げたかったのだろう。おいらも同じ。

「一年で一番嫌いな日」これは2023年2月号で「私の推す一編」で人気のあった作品。今号は充実した内容で感動した。スタッフのみなさま、ありがとうございました。表紙のタイトルは是非、「われら地球人」にしてほしい。創造は勝手です。
 
   2月6日(月)

昨日、耕運機のエンジンかけに励んだせいか体が動かない。根本ぶどう園の剪定作業を休むことにする。体がガタガタだ。

春の匂いを感じる陽ざしが窓から降りそそぐ。なんて気持ちのいい朝だろう。これで、もっと体が頑健ならと願うがそうは神さまはゆるしてくれそうもない。

詩人会議3月号の東日本大震災12年 東北からの発信」にはどぎもを抜かれた。まず、表紙写真の洗練されたデザイン。涙がでる。おいらは勝手に「われら地球人」とタイトルをつける。この感性はただならぬものだ!!。12年前に体験した被災地から発せられた言葉の重みにただ涙するだけ。
 
   2月5日(日)

わが家のミニ耕運機はエンジンのかかりが悪い。一度、メーカーに送り返し修理してもらった。返ってきた時はエンジンのかかりが良かった。あれから半年になる。ガソリンも抜いておいたそれなのにだー。チョークを引く力が弱いのだ。完璧な失敗の買い物だった。こういうことはこれまでも何度もあった。驚くこともないだろうが残念無念なり。

詩人会議3月号は「東日本大震災12年 東北からの発信」の特集。福島県を中心とした会員たちが詩やエッセー寄せている。現場で体験した人でないと書けない迫力。生の声は強い。地震と津波と放射能の被害をモロに受けて詩を書いてどうなるのだという葛藤も聞こえる。辛いところだ。

ここ数日暖かくなったような気がする。こうなると気分も明るくなる。でも、相変わらず体が重く辛い。歳をとったことを痛感する。みなさんお元気でね!!
 
   2月4日(土)

体調が優れず午前中、ひたすら寝る。どういうわけかロシアとウクライナのことばかり考えている。おいらにはどうしようもない遠い国の戦争だけどとても気になる。最後はどうやって決着をつけるのだろうー。どうしても分からない。それならと起き出して神立のビル清掃へ。

頭の中がぼんやりしている。いつもだからニュースネタにもならない。窓からぼんやり雑木林のこんもり山を見ている。こうやって人は静かに死んでいくのかと考えると人生は虚しいものだ。

時々刻々とこんもり山の色が変わる。美しいものだ。きっとそれだでいいのだろう。多くの物を求めすぎると悲しみが倍となって跳ね返ってくるのだろう。詩人会議3月号をチラチラ読む。それで一日を終える。サラバだ!!
 
   2月3日(水)

子どもよ子どもよ
思い出の玉手箱作りに
ひたすら励まなければならい

例えば
キラキラキ輝くお星さまは
お昼はどこかに隠れてしまったのだろう

それは一晩中光を放ち続け
君と同じように
ただ疲れてお昼寝しているだけだよ

そういうことを
ひとつひとつ知り
思い出の玉手箱に
貯めておくんだよ

それが子どもたちの
唯一の大仕事なんだよ

思い出の玉手箱を
いつ どこで開けることなんて
みんな知らなくていいんだよ
 
  2月1日(水)

今日から2023年2月の始まり。「君よ、天なるものへの飛翔を試みよ!!」このコピーを書いたのは今から30、40年前。確か「未来へ」というフォト詩集をHPに公開しようとしていた時だ。

まだ若かった。何か未来への大きな期待が満ち溢れていた。そこで自分を奮い立だせようとしていて浮かんできた言葉だった。何か、まだ可能性が残されているのではということから浮かんできた言葉だった。誰もが天なるものへを目指しているのだ。

今ではすっかり錆びついてしまった。年寄り臭の垢がポロポロだ。わが家からは美しい夕空が見える。そこでパチリパチリ。本当に自然の美しさには歯が立たない。参った!!。



こどもたちへの捧げもの
地球人こどもへの捧げもの





 
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2022年
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2023年
1  2  3 4  5  6
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