怠惰な散歩  2021年4

    4月30日(金)

昨晩、あきらかに飲み過ぎた。酒は百薬の長というが飲み過ぎると百害となって体の隅々を襲う。そういうことで何もする気になれない。根本ぶどう園には顔を出しただけで1時間もしないうちに退散する。

昼飯の時間になっても腹は空かない。胃袋がメシを要求しないのだ。そういうことで一食抜きとなる。それでも山王姫との約束があるのでセロリとサヤエンドウを手土産に出かける。姫宅の庭は緑が一層濃くなっている。まるで体全体に迫ってくるようだ。ピーちゃんはまわり廊下でうたた寝。長閑だ。

山王姫宅での用事を済ませ帰宅。この時間帯になりようやく胃腸の具合回復してくる。そこでまたチビリチビリ。年寄りなのだからほどほどに飲むことにしようと早めに切り上げる。今日で四月も終わり。よくぞ、今日まで生きていると思う。
 
   4月29日(木)

根本ぶどう園でスマホのフェイスブックをいじる。友だちにならないかとたくさんメッセージが届いている。知っている人より知らない人の方が多い。オロクさんがフェイスブックをやっているせいかインド人も多い。これも知らない人がほとんど。世界中でどれぐらいの人がふんわか気分で利用しているのだろうかー。

詩会通信には第54回日本詩人クラブ賞に水戸市在住の武子和幸詩集「モイライの眼差し」が選ばれている。「モイライ」とはなんぞやとなる。調べれば「ギリシャ神話における、運命を司る三人の女神たちの総称。クロートー・ラケシス・アトロポスの三柱を指す。」とある。タイトルの意味が分からないぐらいだから本編となるとからっきし。「バーカ、審査員が評価しているのだ。オマエさんはりっぱなノータリン!!」。叫びに近いような金魚ちゃんからもっともな声。ありがたく頂戴する。

「詩は、日常生活の中にあるのだから、日常の言葉で表現したいものだ。研ぎ澄まされた詩もすばらしいが、できるなら普段の言葉で書きたい」と鹿児島県の宇宿一成氏。おいらもそう思う。誰もが読んでわかる平易な言葉で表現すれば詩世界の窓口をもっと広がるはず。どうやら、エライ詩人たちは自分たちだけの世界にとじこもり満足しているようだ。ああ、かわいそうな巣ごもり詩人たちよ何処へ行くのだー。
 
   4月28日(水)

本日は長野に住む清織姫のお手伝い。彼女は鹿島神宮の調査をしている。そのお陰で真壁町に住んでいる懐かしい人に会う。まずは、古代灯篭を作っている加藤石材店の当主。突然訪れたがおいらのことは憶えていてくれた。初めて会った時は長男の嫁さんを心配していた。今では結婚して孫が二人いるという。跡取りができてうれしそう。「いくつになった」と聞かれ「72歳」と応えたら「俺は82歳だ」。まだ現役バリバリで仕事をやっている。元気で何よりだ。

今日は助手席に座りあっちだこっちだと言っていればいいから楽だ。そういうことで久しぶりに蚕影山神社へ。この神社には何かと縁が深い。年に2、3回訪れ写真を撮っている。ただ神社に行くにはきつい石段を上らなければならない。それでも清織姫とよっこらどっこらと上り辿り着く。境内の一部が崖崩れで青いシートが張られている。このままでは神社はいつか無くなるのではー。

最後は五所駒瀧神社へ。桜井宮司夫妻としばらくぶり顔を合わせる。失くしたという14年前に撮った写真データをそっくりあげる。いろいろと雑談する。境内の緑が美しいのでパチリパチリ。清織姫から長野のお土産をたくさん頂く。大きな手提げ袋に手作り味噌まで入っているのに驚く。いろいろありがとうございました。
 
   4月27日(火)

朝、すがすがしい空気が広がってる田んぼのあぜ道をシュリと歩く。もう田植えが終わり水を張り根がためをしている田んぼも見られる。田んぼは大鏡となり空から地上までぼんやりもぼーっもあらゆるものを写している。この時期だけに見られる田んぼの大キャンバス。

昨晩の当直はきつかった。寝入りばなの午前1時ごろ宿直の介護士にたたき起こされ、やれ玄関を開けて医務室を開けてと催促され寝ぼけまなこでバタバタする。外では救急車が赤いランプを点けて待機している。急に容態が悪くなったらしくストレッチャーで運ばれて暗やみに消える。

「エントロピーの増大より先回りして自分の細胞を破壊し、新しいものに入り替えているからです。つまり自ら壊し続け、作り替えることで『安定』を得ているのが生命です」文藝春秋5月号。「ウィルスに勝つという幻想」福岡伸一×柴咲コウの対談がとても面白かった。
 
   4月26日(月)

わが家の土手の草刈りに挑む。急斜面だけに作業はなかなかきつい。黙っていても雑草はどんどん生えてくる。まったく恐ろしい生命力でその勢いに圧倒される。さて、体力的にこれからどれぐらい続けられるだろうと休憩中に考える。

「ドマネの歌」田上悦子詩集を読了。作者はしっかりした信念を持っている。一つひとつの言葉に引き込まれその強さに圧倒されるようだ。おいらの書いている詩の貧弱さを知らされる。ルバイヤ-トからの替え歌もある。シヴ神も出てくる。相当、勉強しているようだ。武蔵野詩人会議の会員というが同会議には力のある人が多いとは思っていたが、彼女はその中のひとりのようだ。

はかない夢を見ているだけかも知れないがこんな詩集を一冊まとめたいものだ。「バーカ、夢ははかないから夢。七十面さげてまだわからないのか!。バーカはグダグダしないでさっさと寝ろ!!」。久しぶりに金魚ちゃんからの天の声。実にさわやかな響きだ。
 
   4月25日(日)

よしフンドシを締めて4月応募の詩をまとめよう。顔をゴシゴシ洗って歯を磨いてゴシゴシ頭をブラシしてパソコンに向かう。ああでもないこうでもないと切ったり貼ったりして1時間ほどでできあがる。気持ちが張っているあいだに投函しようと郵便局に歩く。ポストにポットン。安心して帰る。

後は庭いじりに励む。この作業がとても楽しい。これから雑草は目を覚ましたようにグングン伸び始める。今のうちに刈っておけば後が楽。「ドマネの歌」田上悦子詩集が贈られてくる。詩人会議の会員からだ。前回詩集から12年ぶりで今回で第五集だそうだ。

著者は1935年生まれ。おいらより13歳も年長。読んでは庭いじりの繰り返し。そしてその間に居眠りが入るから一気にとはいかない。さて、どんなお礼をしたものをすれば喜んでもらえるだろう。それにしても女は強い。
 
   4月24日(土)

「大塚邸でICHI場」の案内の知らせがあったので出かける。つくば市北条でやっていると思ったら大間違い。慌ててネットで調べると開催地はまったく別の場所。要するに案内をよく見ないでやってきたというわけ。北条ではいろんなイベントをいつもやっているという思い過ごし。こういうことはよくある。

あらためてクルマを走らせ向かう。ようやくたどり着くとそれらしいノボリと人出。会場は大きな屋敷でりっぱな長屋門もある。市にふさわしくさまざまな店が品をそろえている。

お琴の演奏もあり12時からだという。そこで演奏を聴こうとカメラを手に待つ。演奏者が「これから始めます」とお琴に向かった時、12時を知らせる柱時計が刻を打つ。「終わるまで待ちましょう」ということで12秒着に開始。若い子連れが多い。年よりは少ないような気がする。おいしそうなトマトを買って帰る。
 
   4月23日(金)

生産性のある散歩の一環として根本ぶどう園へ。くたびれた眼をあけてよく見ると巨峰にはうす緑色の小さな房ができ始めている。それはとても華奢でちょっとでも触れたら壊れそう。生まれて初めての体験。感動とともに愛おしくなる。元気印の北沢工務店の一人親方「よう、ぶどう屋さん!」と声をかけてくる。彼も滝の園で宿直の仕事をやっている。東京の高校の先生だったそうでボランティアで時々出向くという。まったくの元気印のオジサン。負けられません。

「詩学入門」を読む。「偶数に対して奇数の文化を考えてもいいのではないか。」なるほど面白い。文化というのをそのようにひっくり返して見ることによって新しい発見が生まれるのかも知れない。

「詩人会議」への応募締め切りが近づいてきた。毎月二編応募することにしている。これはこの二年ぐらい続けている。ハレの日もあればクモリの日もある。これがなかなかの曲者で往生する時もあるが、また楽しみでもある。さあ、フンドシを締めてカンパロー!!。
 
   4月22日(木)

山新ホームセンターのガーデン売り場にはたくさんの花や野菜苗などがならんでいる。みんな大きな収穫を期待しているのだろう。みんな素人のようだから、うまくいくかは天が知るのみ。おいらはゴーヤの苗を3本を買い求め植える。

昨日の打ち合わせといばぶん書類の報告に山王姫宅へ。広い庭園には鮮やかな緑の絨毯が広がっている。まるで緑の饗宴だ。緑色といってもその濃淡の諧調は千差万別。おお、緑よ緑よ何を伝えたいのだ。

山王姫からいただいた焼酎をチビリチビリやっていたらフトひらめく。彼女は大変な愛猫家でもある。今はピーちゃん一匹だがそれまでもたくさんの猫を飼ってかわいがっていた。愛した猫たちの写真をアルバムにまとめたらどうだろう。写真好きでもあるからきっとたくさんの撮っているはずだ。相談してみよう。お土産ありがとうございます。
 
   4月21日(水)

当直室で朝4時半に目がさめる。外は薄ら明るい。すぐに起きだし館内外を巡回。終えるとシュリの散歩。犬小屋に行くとシュリは丸まって寝ている。「こら、起きろ!」シュリは迷惑そうに目を開け邸宅から出てくる。そして大きく体を揺すり大きな欠伸。寝ぼけ眼のままさっさと連れ出して田んぼ道を歩く。終えて万歩計を見ると2200歩。健康のためにはいいのだろう。

昼過ぎ、根本健一コレクション展の打ち合わせに参加。山王姫はソロプチの理事会に出席するため欠席。イサカさんもハスミさんも初対面。どうしてここへ参加しているのか不思議。ともかく無事終了となる。

帰り、図書館に立ち寄り本を返却。「詩学入門」を借りる。詩人クラブ発行。編者の中村不二夫と川中子義勝は数年前に東大駒場で会っている。うろおぼえだがタゴール生誕100周年で招待されたニランジョンと一緒だった。どういうわけか、全員の記念写真を撮ってほしいと頼まれ100人近い会員を前にシャッターを切った。あの写真は何処へ行ったのだろうー。もうすっかり忘れた。すっきりしたものだ。
 
   4月20日(火)

暑くならないうちに「腐葉土」の下ごしらえをしようとこんもり山の斜面に掃き集められた落ち葉を拾いに行く。ホームセンターに行けば売っているがそれでは面白くない。ネットで調べたら作り方は簡単。葉っぱを腐らせればいいだけ。そういうことで大きなポリバケツに葉っぱを積め調味料として米ぬかを混ぜて水を加える。蓋をしてさらにビニールで覆ういしっかりゴムバンドで閉じる。後はじーっと寝かせるだけ。

久しぶりにCROSSに行く。事務所には元相棒が仕事をしている。そそくさとあいさつを交わし一路筑波病院へ。入院中の木村さんにCROSSからの「感謝状」を届けるためだ。病院の入り口には頑丈な関所がある。「身内」という手形を持っていないため担当の看護師を呼んでもらい渡す。

元気過ぎるコロナの影響を受けニンゲンどもはオタオタしている。これが世界中で起きているのだから末恐ろしい。敵は殺傷力の高い武器ではないニンゲンが敵だ。こまったものだけでは済まされない。
 
   4月19日(月)

わが家のタケノコ物語。いつもこの時期になるとタケノコを届けてくれる知人が今年は竹林を整理し小さくしたのでタケノコは無理かもしれない。そういうことで、16日JA土浦で購入。かあちゃん1000円も使ったと叫ぶ。ところが、翌日の仕事場の滝の園へ行けば受付カウンター前に「ご自由に!!」と貼り紙の下に大きなタケノコが置いてある。そこで事務員にことわり3本いただく。

18日、「ああ、一日早かったら!かあちゃんため息。さらに夕方、いつもタケノコをくれる知人が「今年は小さいのしか採れなかった」と持ってきてくれる。さらに今朝、近所のOさんが「採れたてのタケノコです」と茹でて持ってきてくれる。

さあ大変。せっかくもらったタケノコを腐らして捨てるようなことがあったら小松三夜様のバチがあたる。かあちゃんタケノコ料理の知識をふんだんに絞りだし一日がかりで料理。■教訓・「くれるまで待とうタケノコ」、「店で買うことは絶対にやめること」。そういうことで今シーズンのわが家のタケノコ物語は終わりです。
 
   4月18日(日)

午後の五時
七つの子が鳴り
コロコロ食堂に
スズメたちが
わんさかやってきて
こんもり山の
樹木たちは
大きな緑の波をうつ

午後の五時
今日みてきたもの
今日さわったもの
今日匂いを嗅いだもの
みんな忘れよう
みんな夕闇の中に
隠してしまおう

新しい午後の五時を
迎えるために
 
   4月17日(土)

奈良の姪っ子からカモメのトマト苗が20個も送られてくる。おいらが畑作りに励んでいることをかあちゃんからなん度も聞かされたせいのようだ。以前にも送られてきた。カモメのトマトジュース用の苗はホームセンターで買うと結構なお値段。品種改良をしているせいか栽培には手間暇がかからない。背丈も低く芽かきも不用。

長野の清織姫から予定が一日早くなるというメール。道中は長いからくれぐれも気をつけてと返事。それにしても元気旺盛。何かに夢中になると一途に走る。燃えるものがあるということはいいことだ。

明日はお天気が晴れてくれればいい。そうすればトマト苗を植えようと思う。天気予報というのはあくまでも予報だからあてにできない。ぼんやり過ごしていても一日いちにちがあっという間に終わってしまう。コロナ禍もあっという間に終わってくれればいいが、もう一年になる。いつ終息するのか誰にも分らない。分からないから面白いのだとばかりもいっておれない。こまったものだ。
 
   4月15日(木)

気持ちのいい爽やかな朝だった。気分はルンルンということで金魚ちゃんに「おはようー」のあいさつ。返事なし。ああ、おまえさんたちも気持ちがいい朝を迎えたのだなよしよし。長い付き合いだ心の裡が読めるよ。こうなると金魚ちゃんとの阿吽の呼吸。すごいものだ。

体調もいいということで朝からコロコロ花壇の手入れと芝生の雑草取り。ビニールを敷いてぺたんと芝生に座り何とも横着なスタイルだ。足腰が弱っているからしゃがんで作業をするのは辛い。ぺたんこスタイルが一番楽。お尻で大地とお喋りしていると思えばいい。高尚な言葉で表現するなら自然との無言の対話。ああ素晴らしいことだとひとり納得する。

根本ぶどう園の仕事を数時間やる。スマホでFM放送から流れる音楽を聴きながらチョコチョコとやる。これが実に気持ちがいい。やはり体を動かすことは健康の源と実感する。こうやって働ける元気な体を与えてくれた両親に感謝。バンザイです。
 
   4月14日(水)

朝から雨。こういう日は気持ちがどんどん沈む。どうしたらいいものかとコロコロ花壇をぼんやり眺める。山王姫から買ってもらった花キャベツがノッポになり黄色い花を咲かせまるで菜の花のよう。雨に打たれ風に揺られている。コロコロ食堂にはスズメが傘もささずに餌を食べにやってくる。

こういう日は本でも読んで静かにしていろいうことーと、金魚ちゃんの声。そこで本を広げる。すぐに眠くなる。眠くなったらそのままお休みタイム。少しは生産性のあることをと、傘をさして散歩。途中でどしゃ降りに遭い靴がビショビショで濡れ濡れオジンとなる。こんな大雨の中を歩いたのは久しぶり。

真壁の五所駒瀧神社へ電話。宮司曰く、孫がもう高校生になった。おいらが写真を撮りに通っていたころはまだ就学前ではなかったかと思う、ということはあれから十数年の歳月が流れたのかー。月日の経つのは早い。ともかく、長野からやってくる味噌作りに励んでいる清織姫とのアポを取り付ける。雨はまだ降っている。
 
   4月13日(火)

長野の知人にトマトを植えたというメールを送ったら便りが届く。まだ霜がおり苗の植え付けはできないという。ゴールデンウィークは茨城の真壁、石岡、鹿嶋をまわり調査するという。とても熱心な茨城民俗学会の会員。真壁といえば、数年前に五所駒滝神社の一年をカメラで追っかけたことがある。その写真はほとんどお蔵入りとなった。こういう、どうでもいい無駄なことが楽しいのだ。

久しぶりに開館休業のような土浦市立図書館へ。図書館にはなぜ本がたくさんあるのかー。調度品のように館内にただ並べられている本の数々。まるで冬眠しているようだ。

本日、写真集2冊借りる。図書館の辛いところは必ず返却しなければならないこと。それが、なかなか面倒なのだ。それなら借りなければと言われそうだがそうもいかない。これをうまく解決する方法はないものかと金魚ちゃんに訊く。「バーカ、ただのものぐさ太郎というものだ。真面目に生きろ!!」。ごもっともなご意見に納得。世の中には無限大のルールがあることを知っただけで大収穫。バンザイです。
 
   4月12日(月)

「ランボー以後」飯島耕一著(小沢書店・昭和50年11月20日初版発行)。この本は面白い勉強になる。小林秀雄訳のランボー「地獄の季節」を読んだのは二十代前半。「季節(とき)が流れる お城が見える」ー。このフレーズだけ執拗に憶えている。
そんなことを思い出しながら読む。「バーカ、詩なんか考えてないで、生活を考えろ!!」不可侵条約を破るような金魚ちゃんの突然の声。ああ、まだ、おまえさんは生きているんだね。ランボーと同じだよ。とにかく生きることだ。1975年初版、今から45年前の本。土浦古書倶楽部で求む。

一昨日、刈払い機で草刈りをした。30分弱だと思うが今日になって体のあちらこちらが痛くなった。今日、トマト6本とナス4本を畑に植える。野菜は子どもを育てるようなものだとは、山形の住む叔母の話。その叔母も大年寄りになり畑仕事ができなくなった。かわいそうだけど何もしてあげられない。
 
   4月11日(日)

牛久自然の森公園に行く。瑞々しい緑とおいしい空気を吸い、世界の平和と国家安寧、かあちゃん元気と友人知己の健康を祈願して歩く。これぞ、格安パック旅行。これを旅行とよんでいいのだろうかー。金魚ちゃんに訊く、「バーカ、ビンボー夫婦はそれが身の丈にあっている。それ以上を望むな!!」「はい分かりました」。
金魚ちゃんの言葉はしっかりしており頼もしい。

牛久自然の森公園の樹木のあいだから見上げる空は、もう夏雲を思わせるような勢いを見せている。美しく過ごしやすい季節は永遠に続かないことは分かっている。夏本番の暑さにへこたえているおいらを想定していないことは確かだ。ニンゲンなんて勝手なものだ。

巨人×広島戦を見ながらブログを書く。弱いジャイアンツが今日は勝っている。岡本もツーラン初ホームラン。この調子で勝ち続けてくれればうれしいが適当に負けないと面白くない。ファンなんて勝手なものだ。
 
   4月10日(土)

日本詩人クラブから会報「詩界」268号が届く。丹羽京子さんが「困難なときの詩、あるいは困難なときんこそ詩」というタイトルで、インドとバングラディシュについて書いている。丹羽さんとは数十年前に我妻和男先生に東京・九段下にあるインド大使館で開かれたタゴール祭で紹介された。千鳥ヶ淵の桜が満開の季節だった。

東ベンガルと西ベンガルの分断されバングラディシュとして独立した時代の詩について丹羽さんは書いている。ニランジョンが住んでいるのは西ベンガル州。もともとはバングラディシュと一つでインド領。

バングラディシュの人とは縁がある。滝の園で働いている男性がひとりいる。その前は、常陽新聞に勤める前に働いていた板金工場の職場で五人ほど働いていた。彼らには必ず夕方五時ごろ電話が入っていた。現在のようにスマホ全盛時代でないない。働きやすい職場の情報交換を電話でやり取りしている。山形から東京に出稼ぎに行くのと違う。海を越えて出稼ぎにやってくるのだから、それこそ毎日必死に生きている。すごいものだと思っていた。そういうことで本日は終わりなのです。
 
  4月9日(金)

根本ブドウ園のお手伝い。女親方が颯爽と登場。いろいろと教えてもらう。どこまで理解してその教えをこなすことができるかは不明。なにしろ体力的についていけるか怪しいのである。しかし、出張散歩としてとらえればいいのだ。これは生産性のある散歩なのだ。気張らずやろうと決める。

二時間ほど作業らしきことをして帰宅。本を読みながら昼寝タイムとなる。午後はトマトを植えるための苗づくりに励む。それからの物語はおいらにはなくぼーっと過ごす。ふと、二十六歳の若者、國友公司の「ルポ 西成」を思い出す。

若者は問う、「ひとはなんのために生きるのですか?」-坂本さんいわく「西成でそんなこと考えてる奴、ひとりもおらん」という。そして、ポツリ「みんな死ぬまでの暇つぶししとるだけや」。”死ぬまでの暇つぶし”、これはいい生の言葉。バイバイ!!。
 
   4月8日(木)

根本ブドウ園の初仕事。ぶどう女史に教授を仰ごうと電話をするが話し中。そこで、ひとりでミトモ流で始めることにする。ミトモ流といってもなんらかの基本的な台本はない。ただ、天国を目指しているのか上に伸びようとする枝を誘引してそっちは駄目よ、こっちは駄目よとするだけ。これがなかなか手強い。なぜなら脚立に乗っての作業だから踏み台を上がったり下がったりで疲れる。

さらに、ビニールハウスの中は暑い。四月はじめでこの暑さならこれからが思いやられる。時間的には午前中の早い時間でないと務まらないことを実感。さらに、見上げてばかりいるのでクビが疲れる。どちらもよれよれオジンには辛い。しかし、生産性のある散歩と思えばいいのじゃないかと開きなおり二時間ばかり作業をしてバイバイする。

わが家から見えるこんもり山の緑群が実に美しい。西日だ射しこむ時間帯はほれぼれする緑の濃淡の美しさを見せてくれる。ぶどうちゃんが目指す天国とはこんな世界かと思う。ニッポンの一番きれな季節だ。うれしい。
 
   4月7日(水)

久しぶりに詩人で翻訳家の谷口さんから電話が入る。五月に東京の練馬から娘夫婦が住む山梨県に引っ越すと聞いていたのでどうなったのかと思ったらほとんど終わったという。「ニランジョンが離婚したというがー」。思わず絶句する。初耳だ。知らなかったと答えると、「引っ越し騒動でメールのやりとりもしていない。何か連絡しにくい」。さらに、日本詩人クラブの理事になったという。

「それは大変だ!!」理事会は東京で開かれる。そのたびに山梨から上京することになる。自分では断るつもりでいたが娘夫婦が引きこもりになるからと強くすすめられたという。早稲田のワンダーフォーゲル部だったという彼女は行動的だ。それを案じての母思いだった。

夕方、インドのオロクさんに電話をしてニランジョンの様子をメールで知らせてほしいと頼む。日本語を勉強して日本の大学に入ると張り切っっていた19歳の女の子オロショカは日本の水に合わず帰国したという。一体どうなっていることやら。

■詩人会議5月号
 
   4月6日(火)

文藝春秋4月号「三人の卓子」に、先月号掲載されていた芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」の読後感が載っている。おいらも目を通したが数ページ読んで理解できなくサジを投げた。卓子は齢76だという。卓子も意味が分からないまま中盤から作品に入りこみ、一気にラストまで。すごいエネルギーだと思う。タイトルの”ずいし”でなく”おし”と読むとは知らなかったというがおいらも同じ。

同誌の愛読者で60年。年2回の芥川賞受賞作は欠かさず読んでいるというからさらに驚き。76歳になれば視力も気力も減退してるはずだ。世の中にはすごい人がたくさんいる。同誌はおいらも年数回は購入しているが、おそらく芥川賞が掲載されている号が多いような気がする。ただ、芥川賞は純文学で年々読解不能となり途中で挫折することが多い。こまったものだ。

今日の朝は寒かった。も引きが恋しくなる。いばぶん事務所へ。根本ぶどう園の打ち合わせ。付録ニンゲンとして山王姫宅へ。それから、滝野園のシュリと散歩。そう、お仕事なのです。みなさん元気でね!。
 
   4月5日(月)

朝から雨が降っている。これじゃ草むしりもできない。ひたすら本を読む「造花の密」連城三紀彦。「このミステリが読みたい2010年度版総合1位」。定価1800円だが土浦古本倶楽部で買い求めたから100円。10年前の古本だがこの推理小説は面白い。今では知っている人も少ないだろうが連城三紀彦の小説は随分と読んだ。

ミステリ作家として忘れられてしまっている人は多い。寡作だったが地方作家の土屋隆夫、福永武彦を師匠と仰いでいた歯切れのいい文体の結城昌治など多くいる。これらの作家の本を夢中で読んだのは東京時代。一緒に住んでいた早稲田大学文学部の田島さんから教えられた。

そういえば、早稲田界隈のパチンコ屋には文学書も景品として多くの本が置いてあった。その本を求めてパチンコに夢中になり運よく勝って欲しい本を手にした時の歓びはひとしおだった。そういえば詩人会議の運営委員長をやっていた詩人の黒田三郎詩集をせしめたこともあった。しかし、今は手もとにはない。ああ、懐かしい。
 
   4月4日(日)

つくば文化郷内ある「陶芸工房KISEボッタリィ」は本日オープン。手伝えることは少ないのでせめてオープン初日の写真を撮る。コロナ禍のさ中、先生も生徒も全員マスク。もしかしてゴキブリもマスクをしているのではと思い探したが寒いせいか見つからず。

さて、陶芸教室はどうか。全席がうまるほど盛況。ママと子どもたちが粘土をこねて思いおもいの作品に取り組んでいる。その姿は微笑ましいかぎりだ。つくば文化郷がにぎやかになってくれればうれしい。スマホで夢中になっているママさんもいる。世の中はこうやって毎日進化していくのだろうー。

「断捨離」の写真整理をやる。いばぶんのパソコンは年寄りでノロマでイライラする。ニッポンはイライラする老人がこれからどんどん増えていくのだろう。そのひとりとして素直にノロノロパソコンと付き合う。
 
   4月3日(土)

「西成」を読了。作者は筑波大学出身の26歳。そのせいかつくば市と土浦市の地名が出てくる。大阪の西成に潜り込んでその体験をまとめたもの。若さが成せることだ。これからこの若者はどこへ行くのだろう。そしておいらが26歳のころを思い出してみる。東京・代々木のボロアパートに住みパントリーのアルバイトで明日のない生活をしていた。将来の夢など何もなかったが、若さだけはあったから何の不安も感じなかった。

散歩をしていたら「昨日はどうーも!」と手をふりながら歩いて来る女性。マスクをはずすと全然知らない中年女性。こちらもマスクをしているから知り合いと見間違えのだろう。マスクを外した女性の顔がなにかのっぺりしてる。ああ、口紅をつけていないからだ。立体感のない笑顔はいくら優しくてもとても淋しいものだ。

夕方、仕事に出かける。滝の園に着くとシュリが盛んに鳴いている。これは辛いことだ。飼い主から見放されたシュリ。ニンゲン世界にも見られる。
 
   4月2日(金)

ああ
今日で
四月のふつかめ
四と死とふたつ。

ひかりは
おもいのたけ
こんもり山に
たたきつける。

ひかりは
まんべんに
休むことなく
放射し続ける。

ただ、ひかる。
あどけないような
その正直さに
祝杯をあげよう。
 
  4月1日(木)

久しぶりに土浦図書館へ。いつものように館内は実に静かー。しかし、パソコンコーナーでキーを叩いている人たちはまさに武田信玄の風林火山のようだ。風のように素早く動き、林のように静かに構え、火のような激しく燃え、山のようにどっしりと構えて動かない。ところがおいらはソワソワして落ち着かない。

それはガラス越しに見える階段を上る女性の姿を追っているからだ。来館者が少ないから上り下りする人は少ない。圧倒的オジンとオバン。たまに場所を間違えたようにやってくる若い女性をじーっと見ているから集中力は限りなくゼロに近い。

単なるスケベ爺なだけだろうかー。それでも数カ月も放っていた「断捨離の祈り」をまとめる。それも1ページだけだ。何とも情けない。これまで進めていたことをすっかり忘れている。図書館で集中してやろうという目論見はいとも簡単に砕ける。出直しだ。それを気がついただけでいいじゃないかと図書館を後にする。
 

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