怠惰な散歩  2023年3


 
 3月28日(火)

桜が一気に花びらを広げはじめた。そこで、スーパーハリガエで特売品のイモ焼酎を買ったあとかあちゃんと桜川の土手にクルマを走らせる。小雨もぱらついているせいかひとっこ一人いない。しっとりと桜の花びらが濡れている。ああ、いつまで花見ができるやらと深いため息。

「詩人会義」の投稿詩はどうやら間に合いそう。朝から本気で取り組んだ。明日、メールで送ろう。「生き物の死にざま」を読む。「子に身を捧ぐ生涯」ハサミムシの話に涙がでる。

すべては次世代にバトンをつなぐための行為。おいらはもうバトンをつなげない。もちろんかあちゃんもだ。それでいいのだ。どんどん元気な生命が誕生して爆発すればいい。みんな元気で頑張ろうね!!。バイバイだよ!!。
 
   3月27日(月)

大阪詩人会議の詩誌「軸」が送られてくる。初めて見るというか読む。このような詩誌は全国にどれほどあるのだろうかー。その数を把握するのは困難。ただ、多くの人が詩を愛していることは確かなようだ。

採否はともかく、月一編の詩を詩人会議の投稿することを目標としているが今月は怪しくなってきた。ほとんど出来上がっているが自分で納得できるまでは道遠い。後四日でまとめることができるかー。これはとにかく体調しだいだ。

「軸」は「コロナ禍の三年が過ぎて」の特集をやっている。孫がかかり、親もかかり老いた夫婦もかかりてんやわんやだったという内容が多い。てんやわんやを考える。バーカ、てんやわんやでいいんだよ!!
 
   3月25日(土)

20周年記念の野球大会入場式の写真撮影は雨で中止。これまで一度も雨天中はなかったというが残念無念。そしてそれからあれからのことを考える。とにかく死ぬまで生きるしかない。

長野から春休みを利用して里帰りしている朱里ちゃんの元気な写真が送られてくる。お天気が悪いけどこういう写真は楽しく元気がもらえる。うれしい。おいらも頑張らなければと思う。

「ヒトの壁」養老孟司を読了。虫取り好きのオジサンも80歳を超した。愛猫まるちゃんも19歳で死んだ。次は誰か?。そんなことは分かっている。どのテーマも歯切れがいい。さすがだ!!。

 
   3月23日(木)

昨日、アマゾンから松葉茶二袋が送られてくる。注文した覚えはない。送り元はアマゾンとなっている。さては山猫かと狙いをつけるがその名前の記載はない。かあちゃん新手の強引な販売手口じゃないかと疑う。最近の詐欺は巧妙で年寄りには分からないことだらけだ。今朝、山猫から連絡あり解決。

昨晩、布団のなかでこんな言葉が浮かぶ。■白球に栄光の夢を語れ!!■白球に未来の夢を語れ!!。少年野球大会のサブタイトルにしようかー。ゲートボールおじさんからのメッセージとしてだ。ちなみに、漢字では門球と書くそうだ。

雨がしとしと降っている。明日晴れたら草むしりをしたい。とても素直に雑草は大地からさよならしてくれる。実に素直なのだ。いばぶんで少年野球の仕事に取り掛かる。それにしてもいばぶんのパソコンは素直でない。動きがあまりにもスローすぎるのだ。理事長に買い替えを相談してみよう。
 
   3月22日(水)

山王姫の仲介で編集の仕事を頂戴する。はじめに25日に少年野球大会の写真撮影に行かなければならない。足もとがフラフラでうまく撮れるか心配だ。それでも生きるために行かなければならないのだ。

新しい仕事が入るとワクワクするのがこれまでだった。金銭的なことも含めいろんな想像力が働くからだ。それが年々薄れてきたのは確か。山王姫も足が弱ってきた。それでも「動けば、回る」と張り切っている。すごいものだ。

ワールドクラシック野球で日本が優勝。すごいものだ。このような強いチームができるのはしばらくはないだろう。それとも、4年後はもっと強い選手が生まれるのかー。ガンバレ、ニッポン!!。とにかく楽しませってもらいありがとう!!。
 
   3月20日(月)

山猫が送ってきてくれた本の「生き物の死にざま」稲垣栄洋(草思社)をパラパラ読む。これは面白そうだ。注文カードがはさまれたままだ。はたして、彼女はこの本を読んでいるのだろうか?。わざわざおいらのために購入したとしたのだろうかー。ああ、切ない!!

村山さんから今年春の大生殿神社の祭礼は中止だという連絡が入る。山猫は残念無念だろう。どこの地方でも昔からの風習がどんどん消えていく。おいらは運がよかった。山形に住んでいたころ昔から受け継がれた祭事がたくさんあった。その日が近づくとムネがわくわくしたものだった。

メシの種の仕事の締め切り日が近づいてきた。ああ、早く終わって欲しい。できたら今すぐにでもこの仕事から身を引きたい。わが家は超貧乏。家庭の事情でそうは許されない。老体にムチをうち頑張るしかない。辛いところだ!!
 
   3月19日(日)

昨日、小松霊園の脇を散歩していたら大勢の人が墓前に手を合わせにきている。そうだ、大久保家の墓参りに行こうと思い立つ。どうしてなのか分からない。そういうことで本日は山王姫と行く。墓前にとコロコロ花壇からクリスマスローズと雪柳を失敬する。

お天気は最高にいい。このシーズンは一年でも快適な日々が過ごせる。そのせいかクルマが多く道路は混んでいる。車中から眺める風景にブログ用に収めよう思うがなかなかクルマを止めて撮る気になれない。ヨタヨタ足が気になるのだ。それでも山王姫と一緒に花を手向け手を合わせる。なんとなくほっとする。

午前中、山猫からいろんなものが送られてくる。「不耕起栽培」の本まで入っている。これなら耕運機など買わなければ良かった。だいたい耕運機を動かせるだけの体力がなくなった。「ヒトの壁」養老孟司を読む。相変わらず歯切りがよく面白い。
 
  3月18日(土)

高安を見る。いつもおいらがテレビ観戦すると負けることになっている。今日はどうだろう。勝ってくれることを祈りながら見る。

最近、にランジョンからのフェスの更新が頻繁だ。いつも午後の5時頃だ。時差が7時間だから深夜の11時頃だろう。彼は夜型人間だ。

だんだん高安の取り組み時間が近付いている。しばし、ブログは休憩大声で応援するがジンクスは生きている。バーカ、やっぱり負けた。ああ、悲しい。


私たちは死の先手を打つことによって死に勝つことはできない。
死に対しては、永遠に後手しか引けないのである。最後まで後手を引きとおさなければならない。つまり、あくまで死から逃げ切ろうとしながら、死に近づいていく以外にないのである。


「人間・この劇的なるもの」福田恆存(新潮文庫)より。
 
   3月17日(金)

寒い一日だった。こういう天候だと膝の調子が悪い。それでも夕方散歩に行く。30分ほどだがフラフラヨチヨチ歩く。少しでも体を動かした方がいい。とても運動をやっているというものではない。

静かに過ごす。本を読んだり新聞を読んだりしながら終日ぼーっとする。おいらはきっとぼーっとしたまま静かに死んでいくのでは想像する。ああ、あり難きぼーっちゃんなり。

山猫は「物忌考」について張り切っている。何でもいいから打ち込めるものがあれば素晴らしいことだ。頑張れ!!。おいらは体がガタガタでギブアップ状態。残念無念なり!!


私たちは三十五日とか四十九日とか、あるいは一周忌、三回忌というような法事をいとなむが、会葬者はもちろん、遺族の悲しみも、そのたびごとに浅くなる。

「人間・この劇的なるもの」福田恆存(新潮文庫)より。
 
   3月16日(木)

可もなく不可もなく平穏に一日が終わる。わが家から見える雑木林のこんもり山を見ながらぼーっとして過ごす。このぼーっの時間についてぼーっとしながら考える。

そもそもヒトはぼーっとしながら運よく地上に顔を出したのではないか。二世それも未熟児と産まれ立ち上がり親の手を借りずに動けるようになるまで数年を要する。はた迷惑んことだ。


現在では自由とはたんに逃避というほどの意味に用いられているにすぎぬようだ。それは私たちにとってもろもろの「いやなこと」からの逃避を意味する。


「人間・この劇的なるもの」福田恆存(新潮文庫)より。その点、馬などは産まれるとすぐに立ちあがり歩き始める。
 
   3月15日(水)

大江健三郎が亡くなった。それなりに同作家の本は読んだがどれもピントはずれだった。自宅の書棚にも数十冊ならんでいる。読んではいるがどれも難解だった。ここで踏ん張ってもう一度読もうという気持ちにはなれない。ただ、少しの時間を共有できたことに感謝。

そういえば思い出した。常陽新聞に入社した時は40歳。歓迎会を開いてくれた。おいらは「遅れてきた青年です」と自己紹介をした。みんなはきょとんとしていたが社長だけは苦笑いしていた。

社長は同著を読んでいたのだ。ほかの新聞記者はみんな若いから読んでいないようだった。この社長は大変な読書家で文集もうまい。世の中にはすごい奴がいるものだと思ったものだ。
 
  3月14日(火)

久しぶりにいばぶん事務所へ。3月決算に向けての整理。資金がどんどん少なくなる。このままでは解散が早くなるような気がする。もっとも早く辞めたいと思っているからそれでもいいが、流れ解散となればなんとなく辛い。

いばぶん事務所がある吉瀬界隈を歩く。おいらが住む小松も雑木林がたくさん残る田舎町だが、ここはその兄貴分にあたる。これじゃ、根本ぶどう園の天敵アライグマなどの野生動物も快適な生活を送れるだろう。帰って少し本を読み、刈り払い機で庭を清掃する。

■失敗者は失敗の必然を、成功者は成功の必然を欲する。いうまでもなく、それは自己確認である。自己がそこにあることの実感がほしいのだ。
■「人間・この劇的なるもの」福田恆存(新潮文庫)より。 
 
   3月13日(月)

特定健診に行く。自分の体の状態を知っても本人に改善しようという気持ちがないのだから行かなくてもいいようなものだが最速のはがきまで届いたので出かけた。

空は曇っている。なぜだろうかとスマホを取り出し探る。いろんな気象用語が飛び出すがチンプンカンプン。理解したとしても空は曇り雨が降りそう。精神的には最悪だ。どんどん落ち込むのだ。

瑞枝先生から絵画展の案内が届く。今の体の状態では東京都美術館までゆく元気がない。上野駅の改札を出ると老若男女問わずの上野のお猿さんがわんさかわんさか!!あれが疲れるのだ!!。
 

 
 3月12日(日)

今日の目標はブログを更新することだ。書きためてはあるがアップしていない。今日で東日本大震災から12年だそうだ。あの大地の揺れを体験しながらまだ生きている。図々しい限りだ。

さて、ひざの悩みを解決したいと「サントリーグロコサミンアクティブ」無料でお試しください!に申し込む。こういうサプリメントはあまり信用していないが無料というのがいい。ただし、こういうのは継続を必ず求めてくる。それでもいいと思いながら案内の話に耳を傾ける。全面広告だからそうとう儲かっているらしい。

今日から高安ハラハラドキドキの大相撲が始まる。ハラハラドキドキが明日へのスタート台になればそれでよしだ。


「春、少女よ」詩人会議4月号。
 
   3月11日(土)

今日のテーマはとにかく生きること。9時過ぎに布団から出る。早起きを自慢していたが最近は早く起きるのが億劫になった。布団の中でウツラウツラしている。頭の中は真っ白。サラサラの粉雪のよう。素晴らしい。

「詩人会議」も「日本詩人クラブ」も資金難で金集めに奔走している。カンパといわれてもこまる。わが家も火の車なのだ。こちらからお願いしたいぐらいだ。

金の話は一番嫌いだ。生まれた時から金儲けのDNAはなかったのだ。生涯を貧乏で終わる。これも人生なりだ。「我、今日生きたり」。ざまぁみろだ!!
 
   3月10日(金)

今日は股引をはかなくていい暖かさだった。うれしいことだ。昨日、山猫から鹿島神宮の神事に招かれ鹿島に来ているという電話。滅茶苦茶に驚く。フットワークがいいというのかすごいものだ。

この日のおいらは肉体的にも精神的にも絶不調。誰にも会いたくないし話もしたくない。布団を被ってただ眠るだけ。ああ、あの世を目指して眠る。ところが夕方に目を覚ましているいる。末恐ろしい。

「日本の食があぶない」文藝春秋4月号。「団塊の花道」中央公論4月号。新聞の月刊誌の広告見出し。どれも読んでみたいが買ってまでとも思う。やはり図書館だ。
 
   3月8日(水)

今日は朝から暖かった。そこで畑の草むしりに精を出す、が足もとがフラフラしているからなかなか移動がスムーズに行かない。目的とする場所に足が進まないのだ。昔、鉄筋屋で鍛えた肉体は何処へ。

プロレスラーで格闘家のアントニオ猪木だって人並み以上に肉体を鍛えたのに死んでしまうんだからー。モハメドアリも死んでしまい寂しい。時々、ユーチューブで二人の試合を見て彼らにとってのあの戦いの時間は何だったのだろうかと考える時がある。

その時、その時、人は最良の判断で行動であることを信じているのだからー。本日、詩らしきものを書いた。うれしい、おやすみなさい。
 
  3月7日(火)

あきらかにくたびれている。覇気がないというか明日へのときめきがなくなってきた。ああ、夕方、わが町の防災スピーカーから流れる「カラスなぜ鳴くのメロディーがシンシンと心に染み入る。「もう、永遠に帰らなくていいのだよ」と聞こえる。

NHKFMの「邦楽のひととき」を聴きながら書く。何かが欠けている。なんだろうー。考える。分からない。酒を飲みながらブログを書く。起爆剤として酒が欲しくなる。いわば精神高揚剤のものだ。これはあきらかに麻薬だ。朝がきて目覚める。頭は酒でクラクラ酔っている。こまぅたものだ。どうしてこんなにも酒を飲むのだろう。要するにバーカなのだ。

そのバーカは本を読み、次の写真展開を考える。最後の写真詩集「いたかもしれなかった自分に」なんとなくイメージがわく。さあ、からだとあたまがそれなりに動くかだー。
 
   3月5日(日)

あきらかに疲れている。それも形の見えないもので精神的にボロボロだ。家の中にこもっているとウツウツが増すだけだと朝早く清掃の仕事に行く。外に出ると寒さで震える。気はしっかりと張りつめる。

「天の旅人」沢木耕太郎著を読む。なかなか進まない。「詩人会議4月号」を読む。おいらの詩も載っているがほめられる詩ではない。言葉のリズム感が悪い。よく掲載してくれたものだと驚く。

さて、本日の収穫はあったか。画家ゴーギャンの言葉。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」。これは、人類が地球に存在する限り普遍的テーマである。結論からいえば分からないのだ。バンザーイ!!。

 
   3月3日(金)

今日はうれしいひな祭り,といってもおいらにはまったく関係ない。
ウクライナの国民的詩人いわれる「シェフチェンコ詩集」(1814~61)(岩波文庫)をパラパラ読む。200年前に書かれた詩だ。

「静けさに満ちた世界 愛するふるさと/わたしのウクライナよ。/母よ、あなはなぜ/破壊され、滅びゆくのか。」

理不尽な民族的抑圧への怒りと、嘆きをうたったウクライナの画家で詩人でもあるシェフチェンコの詩集。帝政ロシアに対する痛烈な批判。日本のように海に囲まれた国境と大陸続きではもめごとが深く長い。おいらには分からないがが難しそう。長編詩10編は素晴らしい。夕方、S氏、豪華なお土産を手にやってくる。うれしい。
 
   3月2日(木)

ノートパソコンの動きが遅くなった。おいらの普段の動作と似ている。人間の体は交換はできないが機械だからパーツを取り換えればということでパソコン屋さんへ。若いあんちゃんが真剣に相談に乗ってくれる。結論、重要な頭の部分が満杯。修理より買い換えをお薦めする。

バーカ、今さら新品のパソコンを買って何年使用できるというのだ。ハラの中でそう思いながら熱心に聞く。進化という言葉はあるがそれは進化した部分を受け入れるだけの能力を持った人々。おいらは完璧に取り残されている。検討しますと言い残しサラバする。

午後遅く、草むしりをしようと外に出たら小雨パラパラ。バーカ、お天道様はおいらをバーカにしている。そこで畑におしっこして退散する。
 
  3月1日(水)

今日はジャガイモを植えようと空を見ると曇っている。そのため、あまり気が進まない。寒ければダメ、暑くてもダメという何とも気まぐれな農業。これじゃ、いい作物ができるわけがない。

結論からいえば、野菜や果物は買ってきた方がはるかに安い。それでもなぜ手を出すのかー。ヒマを持て余しているのだ。ヒマを持て余すので時間をつぶそうと何かを始めようとすると体力がない。これは辛い。

体力に春がくればいいのだが氷の世界に引き込まれるだけだ。朱里ダンスでも見て元気をもらおう!!。

こしをふりふりてあしをばたばた♫
♪♯♪♪♪。これは一体何なのだ????。

こしをふりふりてあしをばたばた♫
♪♯♪♪♪。これは一体何なのだ????。


ときめきいろ

春告げ花の
水仙が花びらは
冷たい風にを振るわせている

あかりの
ましろき胸は
未来への期待で
七色にときめいて色
万歳だ

 
2021年
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 7  8  9 10  11  12

2022年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12
 
2023年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12
 

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