怠惰な散歩  2022年10

   10月31日(月)

今日で10月も終わり。今年も後2か月。よくぞここまで生きてきた。まだまだ生きようと思っているからすごい度胸だ。そのくそ度胸でマンションの清掃に行く。5階までの階段を何度も上ったり下りたりする。ここでしみじみ体力の衰えを感じる。シジミを食べればいいかという問題ではない。74歳という年齢だ。同じような仕事があれば兼業も考えたが保留とする。

「太宰と安吾」檀一雄著をパラパラ読む。何度も同じようなことが繰り返されている。しかし、二人と会った場面のシーンでもうまく表現を変え読ませる。さすがだと感心する。檀一雄の傑作は「家宅の人」だろう。夢中で読んだことを思い出す。

かあちゃんスマホで友だちにメールが送れたと大はしゃぎ。そういえば土浦市年1回の大イベントの「全国花火競技大会」が近づいている。かあちゃんの喜びはその予行花火ならぬは予行はしゃぎかー。万歳だ!!。
 
   10月30日(日)

ガラ携からスマホに替えても今なら手数料1円で済みます。そんなダイレクトメールが郵送されたのは1か月前。そこでどういうことかと聞きに行く。どうしようかと母ちゃんは迷うが「世の中はスマホ社会に移行している」という店員のすすめでスマホを購入。しばらくは迷いながら操作となるだろう。それでも頭の体操になっていいだろう。

「祈り」藤原真也著より。 
ー わたしは今『その風景』を受け入れ、同居している。和解したというわけではない。好むと好まざるとにかかわらず、その風景の生を授かり、その中で暮らしていく人々のいる限り、その風景を否定してはならない老僧が働く年齢に達したということかも知れない。ー

『その風景』『老僧』についてよれよれおじんは少しだけ考える。平凡につつがなく生きるということはなかなか難しいものだ。
 
   10月29日(土)

奈良県の熊井三郎さんから同人誌「詩のもり」が送られてくる。主宰者の熊井さんは83歳。2014年に詩集「誰かいますか」で坪井繁治賞を受賞しているベテラン。「詩を素直に読めること書けることを考える。おいらよりはるか年寄りが懸命に同人誌を発行していることに敬服。

朝起きたら気持ちいいほどの青空。これはもったいないとマイ電動自転車で水郷公園へ。山猫にもらった手袋をつけてサドルを握り颯爽とくびれオジンは必死にペダルを踏む。今日は死ぬのにはもったいない日和だ。

水郷公園は静かであった。
どこまでも静かであった。
時間がゆっくり流れている。
 
   10月28日(金)

昨日、土浦ハローワークに就職相談に行く。そこで知る。「74歳」という年寄り壁があることをー。清掃の仕事にしても同じ年寄りでも70代未満を求めている。トイレ清掃があれば女性に限られてくる。どんどん狭き門になっている。これは長生きしすぎたということかー。無念なり。

「読書という荒野」見城徹著。著者は幻冬舎社長で数々のミリオンセラーを出している。「言葉によって正確な言葉と自己検証によって深い思考が可能になる。そして深い思考こそが、その人の人生を決める唯一のバックボーンになるのだ」

そういうこと図書館に行き本をどっさり借りてくる。「私にとって酒はなくてならないものだが、この10年のうちに、一人で長々と飲むことを覚えた。飲んでいると自然にいろいろなことを考えるというか、おもうのだ。父は酒を飲むのは『時をたたせる為に』と言っていた。「父 吉田健一」吉田曉子著。評論家の吉田健一は政治家吉田茂の長男。著者はその娘。
 
   10月24日(月)

今日はマンションの清掃に行く。これまでいろんな清掃の仕事をやった。東京時代はガラス拭き、ホテルの皿洗い、事務所の清掃、土浦市民会館の清掃、根本ぶどう園の清掃。そして本日はめでたくマンションの清掃。何がめでたいのか良くわからないが体を動かして働けるということだろう。

5階の廊下から筑波山が見える。雨模様ではっきりしないがなかなかの景色が広がる。神立の住宅街を見下ろす。ああ、みんなこの屋根の下で生きているのかー。誰もが明日も明後日も生きていると思って毎日を過ごしているのだろう。それでいいのだ。貧しくても生きようという意思があればそれでよし。

山猫からあかりちゃんの誕生日祝いに贈った返礼品。とにかく品数がすごい。キノコ類の食料品から冬用の靴下からほんわかベストの防寒着類まで。感謝、感謝とメールを送る。これまで手袋は拾ったものを5年も使っていた。今冬は新品の手袋で散歩をできるのかと思うとうれしくなる。バンザイだ!!
 
   10月23日(日)

朝を散歩していたら心地いい風と澄んだ秋空を見て今日はかあちゃんとドライブしようと意気込む。帰ってからその旨を伝えると皺だらけの顔がほころぶ。老夫婦にはそれなりの気分転換が必要なのだ。

そこで愛車小型ベンツで出かける。途中、寄り道をして八郷のそば屋で昼食をと計画をしていたが二人ともお腹が空いていない。そこで笠間へ行くことにする。八郷から笠間へ行くにはひと山越えの峠がある。小型ベンツは馬力がないからエンヤラコンヤラと上ったり下がったり。

笠間の陶芸美術館で昼食。芝生の上にビニールシートをひいてパン一個食べて終わり。年寄だから食が細い。それでも横になり心地いい風に吹かれながら目を閉じる。しばしの休憩が大切だ。子どもたちは元気に土手で芝すべり。あの時代には戻れないのだ。残念なり。往復5時間の運転は疲れる。
 
   10月22日(土)

おいらのここ1週間の平均歩行数は6622歩だそうだ。多いのか少ないのか分からないがここ数日はできるだけ前後に足を出して歩くように努めている。よく会う90歳過ぎのオジサンから「歩くことはいいことだ!!頑張れよ!!」と応援してくれる。

なにしろ今週から5階建てのビル清掃の仕事が待っている。これ以上の筋肉モリモりは無理としても単純生産性肉体労働をこなせる体力をつけなければということ。

新春特集の詩をほぼ書き終える。これから1週間ほど寝かして再校だ。この寝かすというが大事。今回は苦労した。なぜかといえば気負いが先に立っている。これが一番の原因ということは分かっている。あかりちゃんの詩を書くときのように素直になればいいのだ。これがななか難しいのだ。なにしろ老人はずるくてへそ曲がりという定評だからー。それでいいと思うのだがー。
 
   10月21日(金)

朝早く起きて気合を入れてメシの種の仕事を終わらせる。これは初期段階でこれからいろいろと注文が入るはずだ。覚悟はしている。矢でも鉄砲でも持ってこいだ。そんな武器は現代では通用しない。ミサイルだ。撃てるなら撃ってみろ。

書棚で眠っている「死ぬのはぼくらだ!」門脇健を取り出して読んでいる。たくさんの付箋がついている。以前読んだのは確かなようだが全部忘れている。「私の幼年時代はとっくに死んだの昔に死んでしまったのに、私は生きている」アウグスティヌ「告白」(354~400)。今から1500年以上前に書かれた言葉だ。どきりとする。誰もが生まれたばかりの時はただの物体だった。

さて、その物体がどんどん成長して老体となる。ここからが問題なのだ。再びの赤ちゃん返りとなるが、その時は父母も祖父母もとうに地上から消えているのだ。誰かの世話になることになる。ああ、辛いものがある。
 
   10月20日(木)

昨日は土浦シルバー人材センターから、清掃の仕事があるので下見をしてほしいと連絡があった。事務員と神立まで出かける。現場は神立駅の近くの5階建てマンションの内外の清掃。条件は週1回で時間は自由というのがおいらのいい。とりあえず引き受けることにする。

今日は阿見医大で定期健診。ぼーっとした頭で出かける。病院へという心あらずのまま終える。検査結果は良好ということだ。山ほどの薬を手に帰る。まったく心あらずのように薬に助けられ生きているという感じだ。

ぼんやりの時間が長い。ぼんやりと生きてぼんやりとくたばるような予感がする。きっとニンゲンが主導権が握っている地球はぼんやりといつかは滅亡するのだろう。何千年、何万年先か分からないけど人類は消滅するだろうー。それでいいのだと思う。最近、変な夢を見ることが多くなり変なことを考えるようになった。こまったものだ。
 
   10月18日(火)

詩人会議の常任員会会議で東京の大塚へ。相変わらず空は曇っている。全身が気怠さで覆うわれている。それでもリックに必要なもの詰め込み背負い電車に乗る。ぼんやりと車窓を流れる風景を追う。田んぼがあったり太宰治が表現した鳥小屋の家並みが続き東京が近づくにつれニョキョニョキビルやマンションが登場する。ああ、みんな、この空の下で生きているんだと感慨にふける。

恒例の会議は高齢者の慰め会で進む。眠くなる。となりのkさんはこっくりこっくり舟をこいでいる。おいらも眠いがガマン。15人のメンバーは全員70歳をこしている。この場合、長生き万歳とはいかない。

みんな東京に越境越えをして集まっている。会場に着いただけで全員がエネルギーを使いきっているのだ。ご同輩ガンバレ。なんとか役目を果たしご帰還。とにかく疲れた。バイバイです。
 
   10月17日(月)

空気が湿気を食べすぎ重くて気分が落ち込んでいく。気圧が低いのだろう。まだるっこさの衣を被り倦怠感が体を襲う。こういう日は駄目なのだ。

「ぼんやりの時間」辰濃和夫著を読んでいたら山猫から電話。「仕事場に向かう途中クルマが故障した。今、路肩にクルマを止めレッカー屋さんを待っている。ヒマだから電話をした」。ヒマなおいらはぼーっとしながら「ぼんやりの時間」を読んでいる。こういう偶然に国境はないようだ。

「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必ず貯えられているものがある」串田孫一の「山のパンセ」から引用している。図書館で探して読んでみよう。
 
   10月16日(日)

「小松秋祭り2022」を見に行く。会場の小松公民館&千鳥ヶ池公園は歩いて数分。チンドン屋が来ている。久しぶりだ。15歳で東京に来てから初めて見た。派手な衣装とドンドンと音楽をならして踊る。脳みそをほじくって思い出してみるとパチンコ屋の開店祝いの店先だった。秋になれば案山子が田んぼに並ぶ山形の山村の景色とは完璧なほどに違っていた。

修理に出していたミニ耕運機が戻ってきたので畑を耕す。以前よりエンジンのかかりが良くなっている。さんざんの文句が功を奏したようだ。ただ、体力がない。無念なり。それでも予定していた畑を耕すことができた。時々、ミミズが顔を出す。ああ、おまえさんの命はどうなっているのだと訊きたくなる。

このごろ、いのちの大切さについて考えることが多い。どうしてだろう。もういつ死んでも年齢になったせいだろうかー。
 
   10月15日(土)

地元では小松の三夜様として親しまれて百段の石段を上る。おいらは数えたことがないが地元の人はちょうど百段だと言っているからそう信じている。とにかく傾斜が急だからきつい。途中、お年よりはどうぞ休んでくだいというように踊り場が二か所ほどある。しかし、ここで休んだら二度と足が進まないのではとひたすら歩くのだ。

「薬の話」山崎幹夫著(中公新書)を飛ばし読みをする。どういうわけか書き出しの小見出しは「つわものたちの夢」。芭蕉の「夏草やつわものども夢のあと」から始まる。ー 新薬の開発には、長い年月と、莫大な経費、それに何人もの”つわものども”の労苦の積み重ねが必要とされる。ー まったくそのつわものどもお陰でおいらは生きている。

広瀬邸の草刈り、詩人会議新春号の詩とエッセーを考える。なかなか浮かんでこない。1月号の巻頭詩は毎年決まっている。谷川俊太郎だ。今年もそうだろう。それにしても息の長い詩人だ。こういうのを天才詩人というのだろうー。
 
  10月14日(金)

昨日は土浦シルバーの編集会議。月2回ほどありそうだ。これは些少ながら日当が出る。ありがたいことだ。わが家は人並みの生活を送っているが台所事情は厳しいものがある。働いて収入を得なければならないのだがあらゆる方面から狭き門となってきている。年齢的にも体力的にもだ。

それでも、今朝は根本ぶどう園の掃き掃除に行く。もうぶどう狩りも終わりのようだ。週に1、2回1時間ほど竹ぼうきで枯れ葉や落ちたぶどうを掃いて終わり。まあ、竹ぼうきを友とした朝の散歩と思えばいいのかー。

久しぶりにながみね温泉へ。この前は工事で休みだったので念のため電話で確認する。営業しているという。 ながみね温泉にはトレーニングルームがある。温泉利用者は圧倒的に年寄りが多いから利用する人は少ないだろうと予想していたが、今日の利用者は10人ほどだから盛況だ。ホールには駄菓子屋もある。焼き芋は年中売っている。夏はアイス焼き芋。これが人気商品だと職員が笑みを浮かべ話していたが今はホット焼き芋。風呂上りに焼き芋を食べたいと思わないがー。
 
   10月12日(水)

「天才と発達障害」岩波明著を読む。今日のような曇り空の下で心が沈む日に読む本ではない。どんどん気分が滅入っていくだけだ。それでも読む。どんどん心が沈む沈む沈む。人は誰でも精神的な疾患を抱えている。そういうことで自分を納得させる。おいらももちろんだ。

写真集「宇宙美術館」中冨信夫著を見ながらブログを書く。宇宙船コロンビアから撮影した関東地方の写真がある。そこには霞ヶ浦と北浦周辺が写っている。思わず小踊りする。今、おいらはここで生きているのだと叫びたいぐらいだ。

大宇宙はとにかく広すぎおいらの存在など皆無に等しい。それでもおいらは生きているのだ。ざまぁーみろだ!!。さて、詩人会議新春特集号の詩だが、なかなか浮かんでこない。新春だから明るいものと思っていたが昨年のを見るとなんでもありのような感じ。納得する。
 
   10月11日(火)

詩人会議の事務局委員会で東京へ。ラインの通知では新人賞の宛名書きをしてほしいとあった。どういうことか分からなかいが現場に行けば分かるだろうと出かける。どんな雑用でも頼まれればやるしかない。体調不良で欠席すると2人から連絡が入っている。なにしろ高齢者の集団だから仕方がないことだ。

事務局打ち合わせを終えると宛名書き。この仕事は昨年の新人賞応募者全員に今年も応募をお願いしますというもの。3人でせっせと宛名書き。応募原稿を見ると若い人も結構応募している。これは驚きだった。全国の老若男女が何かを訴えようと詩を書いたのだろう。少しうれしくなる。

帰りの車窓から美しい夕焼け空が見える。きれいだと見とれ車内の乗客を見るとみんなスマホに夢中。なんとも淋しい限りだ。そんな小さなスクリーンを見ていないで夕陽を見ろと叫びたくなる。そういう世の中になったのかと悲しくなる。長野の夕焼け空も同じようで山猫からもメールで送られてくる。寒い!!というメッセージがついている。
 
   10月10日(月)

今日は体育の日だそうだがわが家は草刈りの日。かあちゃんと二人で難敵の土手の雑草に挑む。二人合わせて155歳。よくぞここまで生きてきたものだ。そして草刈りもできるのだからたいしたものだと健闘を称え合う。

長野に住む山猫から冬支度をやっている写真が送られてくる。障子の張替えやら忙しく動き回っているようだ。寒い土地の冬は辛い。山形でさんざん経験したというより体験させられた。子どもだったからこれが普通の冬の生活と思っていたからその時は感じなかった。これから寒い土地に住むぐらいなら死んだほうがましだ。

小松町内の秋祭りの準備が整ったようだ。本番の16日にお天道様が味方してくれればと願う。広報誌を見てもたくさんの秋のイベントが企画されている。「老人と財布の相談会」を探したがない。切実な問題なのに残念なり。
 
   10月9日(日)

ここ数日前から急に寒くなった。わが家では石油ストーブを物置から運び出し居間にでんと座り赤い炎をゆらゆら。ああ、寒いのは嫌だ。そうはいってもこれからどんどん寒くなるのかと考えただけせ悲しくなる。

土浦シルバー、整復師会の編集会議が二日続けてあった。雨が降り寒いがメシの種だからとフンドシを締めて出かけ、それなりにつつがなく終わる。

小松町のお祭り準備を公民館の広場でやっている。3年ぶりだから祭り好きにはうれしいかぎりだろう。これで普通の生活に戻ったような実感がする。浜本はつえ詩集「海に返す」が送られてくる。表紙の写真がいい。女性の視線で描かれた生活詩。1時間ほどで読み切る。詩人はおいらと同年齢。2冊目の詩集だそうだ。これが最後となるのだろうかー。

詩人会議11月号「畳上げ」
 
   10月5日(水)

今日で歯科医院の治療が完了する。治療中よく考えていたものだ。いくばくもない老人にとって歯を治療することはどういうことだろう。山田風太郎著に「あと千回の晩飯」とエッセーがあった。晩年、老いへの提言をユーモアたっぷりの死生観を語ったものだった。その本を通院しながら何度も思い出していた。

こちらは「中年以後」曾野綾子著。三十代半ばから中年で終わりは五十代までと思っていると著者はいう。その後は老年代となるのなら七十代過ぎは超老年時代というものだろうか。おいらはその渦中にあるということかー。曽野綾子の本はこれまで一冊も読んだことがない。読みだしてみるととにかく歯切れがよく小気味がいいエッセーだ。本日、読み終える。

「自分がいい人だということを信じていられるのは、精神の形態としては、よく言えば若いのだが、悪く言えば幼稚なのである。」というようにズバズバと切り込んでくる。年をとるとズバズバと物をいえなくなる。なんでもわかっているという思いあがりがありズバズバ精神が停止しているというより消滅してしまうようだ。情けない、無念なり。
 
  10月4日(火)

久しぶりに根本ぶどうへ。大分ぶどうはくたびれてきたがまだキャンプ場のお客さんのぶどう狩りはやっているようだ。1時間ほど園内の掃き掃除をする。おいらの人生は掃除で終わりそう。万歳だ。

詩人会議から、「わたしと詩人会議」のエッセイを書くようにの依頼あり。ありがたく引き受けます、と返事を出す。そこでいろいろ思案するがここですぐに浮かんでくるわけがない。酒でも飲んで考えるしかない。編集長が交代して誌面内容が変わっているようだ。会員を増やそうといろいろと工夫をこらしているがうまくいっていない。詩を書いたり読んだりするのが好きな人は変人。こまったものだ。

最近、とみに足腰が弱ったことを痛感する。だからといって家にこもっていてはいけない。老いぼれからだをいじめてやらなければと庭の草むしりをやる。雑草どももだいぶ勢いよく伸びるという力が衰えた。これも季節の移ろい。それを実感できることに感謝!!。 
 
   10月3日(月)

わが家のコキアも赤く色づきだした。ユウガオも白い花びらを広げはじめた。季節の移ろいは休むことをしらない。感謝状を贈りたいぐらいだ。朝、頭がすっきりしているうちに一編の詩をまとめる。まったく生産性のない仕事というより趣味。№をみたら71。ここ3年は毎年100編ぐらい書いている。4日の1編、バーカじゃないかー。

「人間、この劇的なるもの」福田恆存著をパラパラ読む。懐かしい名前だ。二十代のころ愛読したが今ではすっかり忘れている。この著書も読んだような気がする。「シャッター以前」にも懐かしい写真家の名前がたくさん載っていた。ああ、あの70年代は完璧なほどに終わり消えていくと実感したものだ。

シルバー人材センターの紹介で働く現場を見学。30分以上の職場はわが家から遠すぎるような気がする。そのことを担当職員に伝える。今後はどうなるのかわからない。連絡待ちだ。太宰治の小説「走れメロス」の心境だ。
 
   10月2日(日)

10月になったのでブログの表紙を更新する。スッピンの空を一直線に流れる飛行機雲だ。早朝の空は空気が澄んでいるからとても美しく映える。そこで考える。何用あって人工の雲を空に披露しなければならないのかー。雲というのは自然発生するのではないか。そういえばきのこ雲というのも日本の空を覆った時代があった。

朝めし前にと広瀬邸の草刈りをやる。雑草という生き物に欲望があるとしたらただ生きることだけだろう。クルマが欲しい洗濯機が欲しいななどは絶対に言わない。刈られても踏みつぶされもただ生きるというどっこい精神を持ち逞しく伸びる。すごエネルギーだ。少しは年寄りにもおすそ分けをしてもらいたい。

きれいきれい汗さっぱりとながみね温泉へ行く。ところが館内のお風呂とプールは工事中で利用できないこと。「わかりました」素直に従いすぐに帰る。「ばーか、自宅の風呂に入ればいいのだ!!」金魚ちゃんの声が耳もとに聞こえる。そういう一日でした。
 
  10月1日(土)

からだがだるくおもくて動かない。お天気は秋晴れだというのにどうしたものだろう。秋の夜長の飲み過ぎかー。暇で退屈でやることがないから酒で逃げる。最悪のパターンだ。たばこはめっきり少なくなったが酒はやめられない。こまったものだ。

「シャッター以前」をチラチラ読む。カメラマンの岡村昭彦は資産家の生まれだったようだ。蔵書が2万冊近くあった。シャッター以前とはこのことかもしれない。福沢諭吉全集を戦場に持ち込んで読んでいたというからすごいものだ。おいらとは格が違う。世の中にはすごい人物がわさわさいるようだ。

水郷公園のイチョウが黄色くなってきた。あたりには銀杏がたくさん落ちているが誰も拾わない。ジョギングする人たちに踏みつぶされかわいそう。踏みつぶされてもきっと来年も実をつけるのだろう。ニンゲンはそうはいかない。踏みつぶされたらそれこそ永遠にバイバイの世界。どこかの国ではそれが日常茶飯事。かわいそうでは済まされないのだ。
 
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