怠惰な散歩  2022年3月

   3月31日(木)

さあ、今日で3月も終わり。だからといって人生を終わるわけではない.。茨城新聞の記者から詩人会議新人賞の問い合わせがある。どうやら詩人会議ではリリースしているようだ。きっと毎年のことだろう。中央紙では絶対に取り上げない。地方新聞ならということだろう。載ってもベタ記事の数行だろう。掲載紙を送ってほしいと頼んだがどうなることやら。

いばぶん事務所へ。大量に送られてくるメールをみんな削除、削除のオンパレード。かくもなぜこのようにどうでもいいメールが多いのだろう。法人団体のせいか?迷惑メールというより犯罪が臭うクサイクサイメール。バーカメ。

山猫から朱里ちゃんのイチゴ狩りの写真が送られてくる。へぇーこんな栽培方法もあるのかと驚く。ブドウ狩りのようなスタイル。立ったまま摘み取れるのだ。どうなっているのだろうとグーグル先生に聞いてみるがよく分からない。そんなこと分からなくていいというのだろう。いつも失敗するから今年はイチゴ栽培はやらないのだ。
ざまあみろだ!!
 
   3月30日(水)

山猫から送られて来た本を毎日のように読んでいる。「デジタル・ファシズム」堤未果、「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」加藤英明、「コモンの再生」内田樹。そして、今日は「5000日後の世界」ケヴィン・ケリー。第六章「イノベーションと成功のジレンマ」が面白い。

「人生に満足している人にはいくつかの共通点があります。それは、ずっと「自分が何者であるか」という疑問を持っているかということです」。「何者かとはー」これは人間の普遍的な問題。おいらもそうなのだ。「おまえさん、何を考えて生きている?」。問われれば窮するがそんなことだ。

そこで最近飼い始めた何代目かの金魚ちゃんに訊く。「バーカ。先代から聞いていたけど、満員電車のすし詰めバーカだったんだね。悲しい。」「そんなこと世界の偉人でも分からないよ。バーカ、バーカ。」
写真は最後となった朝のの検食と元霊安室という宿直室。
 
   3月29日(火)

本日で滝の園ともお別れ。約2年半メシの種として働かせてもらった。正直にありがとうございました。茨城に越してきてから数度目となる仕事探しが始まります。働くことは嫌いじゃないけどまた仕事探しかと思うと気が重い。

単純生産性肉体労働を苦にしなかったが、何ともいっても年寄りだ。肉体的な衰えもあるし高齢者という年齢の壁もある。それでも、死ぬまで生きなければならない。

城山三郎の「毎日が日曜日」というタイトルの小説があった。しばらくはそんな生活を送ることになるのかもしれない。シルバー人材センターに申し込んでから1ヶ月になるというのに音沙汰なし。まぁ、事務所で働いている職員には痛くも痒くもないことだから仕方がないか。それではこまるのだがー。写真は滝の園の咲きだした桜。この桜が散るころまでには仕事が見つかるかー。どうなることやらです。
 
   3月28日(月)

久しぶりに電動自転車でサイクリングを楽しむ。今年初めてだ。ブラックマンディー。勤め人は思い腰をあげあくびをこらえながら働いているだろう。ザマーミロだ!!。働け青年、働け成人、働け中年。年寄りはさっさとくたばれ!!
ロシア人よ立ち上がれ!!。

ブロッコリーのホワイトを買ってきて植える。白なら畑も清らかに美しくなるのではと思ったからだ。土を起こしならよく見ると名も知らぬ虫たちがチョコマカ動いている。

養老孟司は「ヒトは地下に棲む虫たちをどれほど殺してきたのだろうかー」と言っていた。イラクで生活している虫たちは無限大に近い数で殺されているのだろう。ああ、生と死がわからなくなる。 ロシア人よ立ち上がれ!!。
 
  3月27日(日)

図書館に行く。突然、携帯電話が震える。ワン切りをする。以前、図書館の職員がこれは一大事件だとばかり吹っ飛んできて「静かにして下さい。ベランダで話して下さい!」と声を張り上げて注意されたことがある。よほど、職員の声の方が大きかったような気がしたがー。そこでベランダで確認する。かあちゃんからつまらない用件こと。

さて、図書館で何をしていたかというと「大生ものがたり」の水の話をまとめようとしていたのだ。どうしてもうまく進まない。気乗りしないせいか能力不足かー。自分で何を書こうとしているのか分からなくなる。

スマホには山猫から朱里ちゃんの写真が次々と送られてくる。頭をひねる。確かにスマホは現代社会を生きていくうえでは欠かせない必需品。だけどと考える。小さな親切、大きなお世話ということもある。池田昌子が必要としなかったということを理解する。 
 
   3月26日(土)

久しぶりに池田昌子の本を読んだが、彼女の書き物はおいらにはとにかく面白い。神道について、「じっさい、合掌して顔を上げたそこには、何もないのである。あるいは鏡があるのである。これはすごいことではないだろうか。」

「神道はなんと自在でいい加減」。そうだ、このいい加減なところがいいのだ。「じっさい、わが国の古神道には教義もなければ教祖もいない」「神々がここにいる。あとは自分でやれ。」とも書いている。これはすごくて意味深だ。深閑とした神社は問うているのだ。自分の脳みそで考えろーと。
おいらのブログを見て便りをくれた。信じられない。新山中学校の同級生。彼は頭がよく運動も抜群だった。優等生というとんでもない奴だった。最後は新山中学校校長を務めた。以下原文。

お元気ですか。
しばらくぶりで「みともぺーじ」を拝見しました。感動、感動です。現下のコロナ禍をものともせず、精力的に活躍されていること、素晴らしいと思います。
当方は、コロナ禍に加え今冬の大雪で心身ともに疲弊寸前でしたが、ようやく春の陽射しをうけ回復傾向にあります。クラス会もままならない状況が続いていますが、来るべき際には是非お会いしましょう。 佐藤富士雄
 
   3月25日(金)

池田昌子の「41歳からの哲学」を読む。彼女は「ケータイもパソコンも所有していない。どころか、テレビすら天気予報以外はニュースぐらいしか観ない」「それだって仕事がなければおそらく観ない。内的必要性を、ほとんど感じられないのである」では、何を見ているのかといえば「内省」(ないせい)しているのだという。自分の内側を探り考えることらしい。

ここで気づく。おいらがぼーっしていることと同じではないか。大いに納得。青空を見るような爽やかな気分になる。ぼーっの効用はなんといってもお金がかからないということ。

わが家のかあちゃんは贈り物好き。古き日本文化を受け継ぐ返礼文化、風呂敷文化とでもいうのだろうか。宅急便の配達のお兄ちゃんには必ず飲み物をやるというようにマメだ。それがとても精神衛生上に良いらしい。ビンボーどこ吹く風だ。
 
   3月24日(木)

「コモンの再生」「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」を読了。「天国なんてありゃしないと 想像してごらん。地獄もありゃしない」「そして宗教もない。そうしたら、みんな平和に生きられるってさ」イマジンのこのフレーズは神道だという。

メシの種は校了となる。これでしばらく食いつないでいけそうだ。
毎月、ハラハラドキドキの最終コーナーをヨタヨタ歩いている感じ。ゴールがどこにあってどんな形になるのか想像もできない。「41歳からの哲学」池田晶子を読みだす。この作者は好きだったから数冊読んでいる。残念ながらもう逝去している。46歳だった。若すぎる。

近所の雑木林から枯れ葉を集め米ぬかを入れて腐葉土作りをする。この方法が正しいのか分からない。ただ、ホームセンターで腐葉土を買ってくるのがしゃくだからだ。というのは目と鼻の先に枯れ葉のこんもり山を見つけ、これを利用しない手はないと考えたからだ。金がないと色々と知恵が浮かぶ。楽しいことだ。
 
   3月23日(水)

「鳳泉水」の原稿をまとめようと土浦イオンへ。なんとなくざわついたところでないと頭がまわらない。そういえば、「月山」で芥川賞を62歳で受賞した森敦は、ぐるぐる回り続ける山手線の電車に乗り座席で小説を書いていたそうだ。これが一番原稿がはかどると話していた。

切符はひと駅買えば済むし、まず車内で知り合いとばったり会うなどというのは宝くじの当たりより確率が低い。電車に揺られ車輪の音を聞き駅員のアナウンスをひとつのリズムとして書いていたのだろうかー。

さて、おいらはどうかというとメシの種の校了日が近づいていることもありイオンのフードセンターでどさりと腰を下ろして時にスマホが吠える。「再校を送った」という連絡。さあ、それからはバタバタとやりとりして終わる。とても原稿どころではなかった。
 
   3月22日(火)

山猫が送ってくれた「コモンの再生」内田樹(文藝春秋)を読む。ー「正義」もあまりに厳密に適用されると、むしろ社会は生きにくいものにする。堅苦しく抑圧的な正義よりも、本音剝き出しの邪悪さや欲望の方を「人間」らしく感じるということが起きる。ー
おいらはウンウンと頷き納得する。

朝から雨が降っている。しばらくする白いものがチラチラ降ってくる。昨日の暖かさとうって変わって寒い。空は薄暗い。こういう日は気分がどんどん落ち込む。何もする気になれない。

山猫からの本をつまみ読みする。ハウツー本から詩集までバラエティーに富んでいる。谷川俊太郎の詩集もある。昔の本のせいか活字が小さくて読みにくい、と感じるのはおいらの視力の衰えを証明しているようだ。ともかく、終日ぼーっとして過ごし、夕方仕事に出かける。
 
   3月20日(日)

山猫から宅急便が届く。たくさんの本とサプリメントなどの品々。量の多さに驚く。お礼のメールを送ったら「便秘解消、ご協力ありがとうございます」の返信。どちらさまも本の始末には苦労しているようだ。どれぐらいの厚さになるのか測ってみる。40センチ。この分、おいらの部屋は狭くなりのかー。面白そうな本もあるので楽しみだ。

お日柄もいいということで畑に作付けをする。里芋、ブロッコリー、インゲン豆、レタスなどを植える。さあ、うまく育ってくれるのかーこれも楽しみだ。「人生楽しんだ者が勝ち!!」と山猫。そういうことだよね。

それにしても北杜夫の「ドクトルマンボウ医局記」は面白い。こういうのがプロの書き手というのだろう。彼の代表作は「楡家の人びと」。これぞ純文学だという迫力があった。東京時代に夢中で読んだ。すごい小説だとただ驚いた。とても太刀打ちできないと思った。楡家ならぬみとも家の本棚には見当たらぬ。どこかでマンボウのようにふわふわと消えてしまったのだろう。
 
   3月19日(土)

今日は暖かくて気持ちがいい。お天気によって気分が左右される。仕事から帰るなり餌台に米ぬかをパラパラとまく。するとスズメがどこからとも現れる。もちろんおいらの姿が見えなくなってからだ。

そこで部屋から観察。スズメは実に忙しい。「ゆっくり食べろ」と声をかけるが馬耳東風とばかりちょこまか啄んでは飛びさり戻って来て食べる。その繰り返しを何度かやり、一斉に飛び去る。あんなに忙しい食事をしていたら胃袋に悪いのでは心配してしまう。「バーカ、いつも二日酔いで苦しい思いをしているお前さんとは違うのだ」。久しぶりに天国にいる金魚ちゃんの声。ああ、懐かしいです。

夕方、今晩の宿直にKさんが具合が悪いので出勤してくれないかという電話。最後のご奉公だ。ガンバローといことで。慌てて出かける。こまっている時はお互い様だよ。
 
   3月18日(金)

山猫から本が送られてきた。「ぼーっとしていないで真面目に読んでみろ」というメッセージがどこに隠れていそうだが見当たらない。「ウォーター・サウンド・イメージ」4,000円もする。どうも難しそう。哲学書のような気がする。よほど、精神的に余裕がある時でないと読めそうもない。写真がたくさん載っているからとりあえず目から楽しもうと思う。

今日は朝からぐずついた天気。冷たい小雨がパラツキ寒い。昨日まで暖かったのでことさら体にこたえる。こんな日は部屋にこもってしているのがいい。そこで「大生ものがたり」の写真整理に励む。いつまで写真が撮れるだろうかー。

今読んでいる本は内容が暗い。そこで気晴らしにと北杜夫の「ドクトルマンボウの医局記」を本棚から引っ張り出す。ずうーと昔読んだ。ほとんど忘れている。アル中について「追想脱落(全健忘、部分健忘)に遺ること等がその主たる特徴」というそうだ。おいらはまぎれもない確信犯のようだ。
 

 3月15日(火)

ナサケナイ、ナサケナイ。なんてニンゲンはナサケナイ哺乳類だろう。ナサケナイ、ナサケナイと草をむしる。ここ数日、ウクライナの惨状をテレビ、ラジオ、新聞で目にするたびにナサケナクナル。地球が誕生した時は一本の境界線もなかったはずだ。それを勝手にまだら模様の国境線を引いたのはまぎれもないニンゲンたち。

「プーチンは、ロシアをも殺したのです」ロシア文化の研究者の手記が朝日新聞朝刊に載っている。「この男はいずれ国と世界を破局へ導くと述べてきましたが、それが現実となったのです」。

民衆の嘆き悲しむ画像は辛いのでテレビニュースは見ることをやめる。ラジオと新聞で知るだけの限られた情報。見ざる聞かざる言わざるといっても現実をどう対処して受け入れいいのか分からない。また、雑草を一本むしり取る。
  3月13日(日)

詩人クラブのT女史から電話あり。「詩と思想」の月刊誌で、亡くなった詩人の高良留美子特集を組むという。そこで原稿を頼まれ難渋している。ニランジョンと連絡を取りたいとのこと。

この件についてはニランジョンからT女史と話したとの電話があったので用件は済んだものと思っていた。今、詩人クラブの理事会で東京にいるとのこと。彼女は山梨に住んでいる。はるばるご苦労さんと激励。

よく話しを聞いてみると色々なことが重なり少しまいっているようだ。家庭のこと、10月にインド大使館で予定されているイベントのことなど。それに原稿依頼。インドの写真を提供して欲しい。それなら、おいらの高尚なHPを見て選んで連絡をということで終わり。生きているから色々なことがあるのだ。それでも女は強いのだ。 
 
   3月12日(土)

すっかり春めいてきた。朝夕はともかく日中は石油ストーブのお世話にならなくてもいい暖かさだ。陽気がいいからぼーっも拍車をかけたように進行している。頭の中に霞がかかっているように気怠い。

朝、山三印刷にメールを送ろうとしたら突然ネットがつながらない。頭がパニックになる。メシの種が失われる。それじゃ餓死してしまうではないか。今、読んでいる本はベルト・カイゼルの「死を求める人びと」。これじゃ「死を求めなければならない人びと」になってしまう。庭をウロウロして対策を考える。

いつも世話になっているJCOMに電話をしよう。営業は9時。ぴったりその時間に電話。1回でつながる。「回線はつながっています。フリーズしているかもしれません。一度、電源を抜いてしばらくして入れ直して下さい」指示通りにやる。すると回復しているではないか。何度も頭を下げて「ありがとう、ありがとう」を連発。おいらの頭もフリーズしていたのだ。

 
   3月11日(金)

久しぶりに図書館に行く。なんとか「北浦航空隊」をまとめようとパソコンをパチパチやっていると突然館内放送。「1分間の黙とう」という。そういえば今から11年前の3月11日の午後2時46分ごろ大きな地震があった。荒川沖に住んでいる時だった。もう、すっかり記憶から遠ざかろうとしている。恐ろしいことだ。

事細かに過去の出来事を記憶していたら頭が大爆発するだろう。忘れるからこそ思い出すのだ。こういう場合、うれしいことはあまり思い出さない。やはり、苦しかったことのほうが多いような気する。原稿の方はピタッと1分間停まったがなんとか8800字にまとめることができた、約800字オーバー。もう一度見直せばいいということでここで打ち切りとする。

庭の草むしりをする。芝生の間からの雑草は強い。何という名前だろう。とにかくむしってもむしっても出てくる。逞しい奴だ。踏んづけられても出てくる。見習うべきだ。そういうことで本日は終わりました。
 
   3月10日(木)

吉本隆明の昨日の続き、『だいたい動いているのか動いていないのかわかんない日常の風景で、こういう所もあったのかという感じで、時間のテンポも思考のテンポも、日常のすべてのテンポが違う』吉本は東京下町出身。

動いているのか動いていないのかわからない日常の風景はわが家の近辺も同じ。生きているにんげんがいるのかわからないような静かさだ。そして、この動いていないような風景というのは実は大変なことなのだ。

世界中が注目しているロシア軍のウクライナへの侵攻。そこに住む人々の動かないような日々の暮らしが一気に動き出す。それが、ハッピーな方向に動いていけばいいがまったくのどん底に世界に引きずり込まれてしまうということ。全てを失い国を逃れなければならないという理不尽をどう理解していいのかー。ここ数日、そればかり考えている。
 
   3月9日(水)

評論家の吉本隆明は若いころおいらの故郷の米沢に三年住んでいたことがある。その米沢駅に着いた時の印象を書いている。 『四月はじめで、雪がまだ屋根や道路の端に残っていてさ、さびれていてね、とんでもねえ所 だ、もう帰るかなあ。こんな所に何年もいるのかって思うと侘しい感じでね、それが本音でした』。おいらは、そんなさびれた土地で十五年間過ごしたのだ。

ジャガイモを植える準備を始める。今年は滅茶苦茶に土に良い思われる自家製の腐葉土、もみ殻、鶏ふんを入れ耕運機でかき回す。これはあくまでも素人の土づくり。どうなることやらー。

人間は誰でも何からかの精神疾患を患っているように思う。自分で分かっている人もいれば気づかないだけで生活している人もいるはずだ。それでも明日を生きようとしているはずだ。明日死のうと考えている人はいないはずだ。そんなことをぼんやり考えて終日過ごす。
 
   3月7日(月)

「北浦航空隊」の原稿11枚をバタバタ切り刻む。山猫との打ち合わせでは図版なしで原稿は4枚と決めた。そのための作業に没頭。やればできるものでどうにか5枚ほどまで進む。大いに満足とうれしくなる。

吉本隆明解説の「東京詩集」を読んでいたら喜多条忠の「神田川」が紹介されている。一気に20代後半の自分を思い出す。「貴方は もう忘れたかしら~」のメロディーは忘れもしない。

40数年前、神田川が流れる下落合の六畳一間のアパートで暮らしていた。一緒に住んでいたのは慶応大学経済学部を卒業して就職もせずおいらと一緒に鉄筋業を生業としていたスミタさんという男。彼も数年前に死んでしまった。おいらはこうして生き残っていることが不思議なぐらいだ。明日のことは分からない。
 
   3月7日(月)

青い空を見て
青い詩を書いてみたい

白い雲を見て
白い詩を書いてみたい

朝焼けを見て
明日の
朝焼けの詩を書いてみたい

夕やけを見て
明日の夕焼けの
詩を書いてみたい

それだけです
ほんとうに
それだけです

■山猫と「大生ものがたり」の打ち合わせをする。
 
   3月5日(土)

詩人会議から「役回り」のデータを送るようにとメールあり。受賞の言葉は後送と書いて送る。きっと事務所は土曜日で休みだろうから返事は来ないはずだ。そこで送信済を確認。大丈夫らしい。しかし、こういう文面のやりとりには何か醒めたものを感ずる。

畑を耕そうと意気込むが耕運機がいうことを聞いてくれない。きっと寒がり屋なのだ。「冬はかかりにくいー」と電話口で呟いていたメーカーの人の声が蘇る。高価な耕運機には手が出ないのでを一番安いのを買った。安物は安物だけしか働かない怠け者のようだ。こまったものだ。

働くといえば、シルバー人材センターからの連絡はまだない。次の仕事先が決まらないと何となく落ち着かない。どんぶり勘定で生きてきたツケがやってきたようだ。もっとも、ここ数年は綱渡りの毎日。それでもこうして生きているのから、これからも何とかなるだろう!!。

■「大人になるということ」詩人会議4月号
 
   3月4日(金)

気怠い一日だった。新聞を読めばウクライナの辛いニュースに覆うわれている。見たくなくとも自然にその記事に目が向く。決して、遠い国の戦争だと逃れないものがヒシヒシと伝わってくるのだ。5歳の子どもはまだ国境越えを目ざしまだ歩いているのだろうかー。

気分転換に歩くことにする。まるで5歳の子どものような足取りだ。すっかり足の筋肉が衰え細くなった。生きていれば年は黙っていても重なり年寄りとなるのだ。実に見事な神さまの裁きなり。

頭がぼーっとして新人賞の受賞の言葉を書こうとするがなかなかまとまらない。昨年は全国から400編以上の応募があった。今年は何編ぐらいだろう。400分の1の確率。それにしても驚きだ。受賞の言葉は気分がいい時に書くことにする。今日は駄目だ、駄目なものは駄目なのだ。
 
   3月2日(水)

詩人会議新人賞受賞のお祝いメールが届く。かわゆいかわゆい由美さんから。さては役立たずのおいらのブログを覗き見しているらしい。覗き見というのは犯罪ではないかと考える。「バーカ、覗き見される期待をこめてブログをおまえさんは更新してるのではないか。」(金魚ちゃんの声)

「大生ものがたり」の写真整理に夢中になる。カタコリコシコリまではいいがチンポココリまではいかず。無念を噛みしめ青空を見上げる。浮気者の白い雲にもなんとなく春のあやしげなお色気が漂う。

わが家のコロコロ菜園がおいらの出番を待っている。そこでご挨拶がわり朝一番のオシッコへ。くたびれたホースから「おはよう」のあいさつ。畑の土は申し訳なさそうに「オジン、ありがとう」。ああ、世界は感謝と奉仕であることを知る。
 
  3月1日(火)

春を感じさせる温かさだった。気象庁によれば3月から春と呼ぶそうだ。しかし、雪国で暮らしている人たちにはピンとこないのではー。水戸の偕楽園の梅まつりも始まったようだ。近所の白梅も青空に映えている。よしよしというものだ。

「無念の雇い止め」というのだろうかー。昨日は少し気分が沈んでいたが一晩寝たらすっきりした。新たな仕事にまい進するべし。といっても清掃員の仕事。問題は体力の衰えだ。年々、足も細くなり力こぶなど透明人間。ああ、これが年寄りというものかー。

「戦争の責任は、偉い人たちや、政治家、資本家だけにあるとは思いません(略)人間には、もともと破壊本能が、殺戮の本能があります。殺したい、暴力をふるうという本能があります。(略)ことごとく破壊され、傷つけられて、人類はまた、新規まきなおしに始めなくなくてはならないでしょう。(アンネの日記)

写真はインドの二ランジョンから。
■「役回り」 第56回詩人会議新人賞
 
2021年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12

2022年
1  2  3 4  5  6
 7  8  9 10  11  12
 

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