怠惰な散歩  2022年9

   9月30日(金)

「シャーマンの環」ナンシー・ウッッド著。ナンシーはまえがきで「こに収められた詩は、それ自体が儀式である。できれば、木の下で、あるいは小川のほとりで、ひとりで読んでもらいたい。これを読んだら立ち上がって踊りたい、歌いたいという気持ちなってほしい。」と述べている。

そこで「ペダルを漕ぐにはもってこいの日」ということで自転車に積み水郷公園へ。なかなか難解で読み込めないので緑陰の下で読んでみようということだ。「シャーマンの聖なる環の中に入ってあなた自身の詩を書いてほしい」とも述べている。結局、「花と星の結婚」まで読んでやめる。何度も読み返すとだんだんわかってきた。宇宙的な観点から魂のよりどころを求めている。また、挿し絵が素晴らしい。

訳者が「自分は妻を昨年亡くした」と手紙に認めると「死に道理などありませんー死は生の一部なのです。私たちはこのことを受け入れなくてはいけません。一日一日が今日が最後だと思って生きてゆかなければなりません」と励ましている。ああ、おいらは今日も生きてしまった。明日はどうなのだろう。
 
   9月29日(木)

牛久自然観察の森に行く。薄暗い樹林の小道を歩いていると「おまえさんのことはすべてはお見通しだよ」という葉ずれの音が聞こえてきそうなほど静かだ。平日ということもあって人影がない。

どういうわけか土浦シルバーの広報委員に任命された。そこでエッセーを書いてほしいと頼まれ600字前後にまとめて写真とともに送付する。どうでもいいような内容のエッセーだ。どうでもいいような毎日を過ごしているからそうならざるを得ない。こまったことだ。

詩人会議の編集長から新春向けの詩を書くようという依頼を受ける。こんなことは初めてだ。書く人が少ないのだろうか。とにかく高齢者の団体だから無理がきかない人ばかり。うれしい半面、若い人に譲ればと思うがその若い人は少ない。承諾のメールを送る。
 
   9月28日(水)

本を整理しているという山猫から本がどっさり送られてくる。ぼーっおじさんぼーっと本でも読んでいなさいということらしい。「今日は死ぬのにもってこいの日」のメモ書き。ナンシー・ウッドの本にあった。この言葉は印象に残っているから覚えている。シャーマンかインディアンの言葉だった。

「シャッター以前」はカメラマン岡村昭彦のこと。ベトナム戦争時代に活躍した。戦場で望遠レンズを使わず広角レンズを主としていた。それだけ被写体に接近するので戦闘場面では危険な行為だ。その逸話をしっかり憶えている。たしか全集も出版されているはずだ。岡村昭彦にはもう一つの思い出があるが次の機会にしよう。

エリオットの詩集まで入っている。驚く。この詩人の話はよく耳にするがこれまで詩を読んだことはない。大昔に読んだかもしれないが全部忘れているというより難解でぶん投げたような気がする。「思想をバラのように嗅ぐ」分かるかい。まあ、しばらくは本は買わなくても借りなくてもよさそうだ。
 
   9月25日(日)

自立自尊、自分のことは自分でし、人の手を借りない。(略)まわりがみな味方だと思っていると、人間は力を失って弱くなる。反対に、まわりに敵がうようよいると思えば、どんなノンキな人間でも、緊張、努力して、気をゆるめず自を励ます。活力が出る。元気が湧いてくる。

さあ!「華麗なる加齢」をの帯文。タイトルは「老いの整理学」外山滋比古著。2014年初版で新書版で15版が出た。その本を買ってしまった。「80代からを明るく、楽しく生きる方法」このような宣伝に惑わされてはならい。後、6年の先のことなど誰も分からない。

今日は晴れて過ごしやすい気候だったが体調がすぐれなかった。ミニ耕運機の調子も悪い。エンジンがかからないのだ。バーカメ。そこでまだ保証期間は生きている。着払いで修理依頼をする。送り先の住所は長野県上高井郡高山村。これは日本の辺境ではないかー。それでも明日には届くと山猫ならクロネコヤマトお兄ちゃん。ニッポンハスゴイ!!
 
   9月20日(火)

今日は詩人会議の常任委員会。朝から風が強く時おり激しい雨が降る。行きたくないと思っていたら昨日のうちに会議中止のメールが入っている。重くたれこめた心の裡が一気に晴れる。

そこであかりちゃんのアルバム作りに励む。完成具合はともかくあかりちゃんの5歳の誕生日プレゼントと考えていたのでこれなら間に合いそう。ひと安心。

雨の中、かあちゃんと芋焼酎を買いに阿見町のタイヨーとカスミへ。「シルバー割引」「10%割引券」を合わせての胸算用をかあちゃんはしている。おいらの運転手当は眼中になし。ヒトは足し算と引き算だけの世界。なんとも悲しい生き物だ。

どう見てもシンプルなデザインがいい。やり直すことにする。あかりちゃんはみんなの元気印。もっともっと大きくなってほしいと願う。
 
   9月19日(月)

昨日は3年ぶりにひたち海浜公園のお茶会に参加。おいらの仕事は茶道具運び。茶席ができあがれば後は暇。ぼんやり外を見ていると突然非常用の消火栓が開き放水が始まる。これはなんのことかとビックリ。どうやら誤作動らしい。職員が慌てて止めようと操作盤をいじるが反応なし。かれこれ20分ぐらい放水が続き停止する。んかなか見られない光景だからスマホでパチリパチリやっている人が大勢。いる。

茶席の方は30人ほどきたからまあまあといったところ。コキアはまだ赤くなっていない。もうすぐのようだ。見晴らしの丘を人がゾロゾロ歩いている。コロナの影響もだんだん遠のいて普段の海浜公園の顔を取り戻しているようだ。

本日の朝は7000歩を記録。まだまだ歩けるようだ。今日は何処へも出かけずあかりゃんのフォトブック作りに専念。すこし恰好がついてきた。どんなのが出来るのやらおいらにも分からない。
 
   9月18日(土)

今日という一日を考える。空は青い。どういうわけかユリの花の根本から咲き出したアサガオが可憐で美しい。楚々と花びらを開き朝を知らせているようだ。アサガオの笑顔に送られ散歩へ。足が弱ったことを感じる。膝がヨロヨロしている。こうなるとヨレヨレヨロヨロオジン。無念なり。それでも万歩計は7000歩を越えている。

歯医者の帰り明日の準備のためにいばぶん事務所へ。雑務をこなしてあかりちゃんの絵をスキャンする。まったく自由奔放に描いている。これには夢がある。あかりには横断歩道の信号はいつも青。みんな渡らくても一人で渡ってもいい。どんどん進めだ。おじさん負けました。
前進あるのみ!!
前進あるのみ!!
前進あるのみ!!
前進あるのみ!!どうだまいったか!!

公園の砂場でアリの動きを観察。画家の熊谷守一は自宅の庭でアリを日長観察していたという。「ことばの歴史」スティヴン・ロジャー・フィッチシャー著によればアリのこみコミュニケーションはどうだかと書いている。分からない、わからない。
 
   9月15日(木)

スマホの操作を覚えるより年寄りは今日を生き抜くことが先だ。かあちゃんの具合は良くなっている。しかし、おいらの体調が悪い。体が気怠く全身に力が入らないのだ。それでも頑張って根本ぶどう園で1時間ほど仕事をやる。

13日に土浦シルバーセンターの広報員会に初めて出席。団塊の世代がずらりならんでいる。この世代はパソコンが出来る人と出来ない人に分かれてしまう。事務系の仕事をやっていた人はそれなりに出来るが現場で働いていた人たちは覚えるチャンスがなかった。今さら習おうという気がない。そこで話がかみ合わなくなってしまう。こまったものだ。

夏の疲れが今頃になって出たのだろうか。体を動かせば少しは良くなるのかと散歩をするが調子は戻らない。そこで山猫が送ってくれた「直観を磨くもの」小林秀雄対話集をパラパラ読む。「わかりません、わかりません」の連発。でも面白い。パパになった高安が今日も勝った。不思議だけどバンザイだ!!。
 
   9月12日(月)

「大地の5億年ーせめぎあう土と生き物たちー」藤井一至著に誘発されて大地ができて5億年と向き合う。人と土がつきあうようになり1万年。そういうことで5億年前の土をいじる。おいらの場合はつきあってまだ3年余。

ポットに入った土を取り出しビニールシートに敷く。それから雑草を捨て牛糞をまぶし腐葉土を入れてスコップで混ぜる。さらに秘伝のヤギ一家産のもみ殻をふりかけよろしくパラパラ撒く。さらに丁寧にかき混ぜる。それから天日干しを数日。

ハタと気づく。牛、豚、馬、鶏などの肥料は販売されているがヤギはない。なぜないのか?。量が少ないせいかもしれないがまったく大地の栄養源としてはゼロに近いのかもしれない。ヤギ一家の二次利用されないヤギちゃんの糞はかわいそう。かわいそうなかあちゃんの下痢は夏疲れではないかという掛かりつけ医師の診断。しばらく静養していることとのこと。これでひと安心なり。
 
   9月11日(日)

暗い日曜日だった。かあちゃんは昨日から下痢続きでおいらは二日酔気味だ。こういう日はどうやって一日を過ごすか。簡単だ。ひたすらぼーっに徹する。無限大のぼーっ。宇宙的なぼーっ。野に咲く可憐な花のようなぼーっ。

詩人クラブの谷口さんから「詩と思想 8月号」が送られてくる。特集「高良留美子の人と世界」に寄稿しているから読めということ。この雑誌は文字が小さく読みにくい。それでも老眼鏡を近づけ読む。ぼーっとしているからなんだか分からない。それでもヨシとする。

高良留美子を検索すると住まいがある山梨県立図書館では89件、国立国会図書館の著作では245件、記事として416件がヒットしたと書いている。谷口さんは忙しくて倒れそうと電話で話しているがまんざらではなく楽しんでいるよう。なにしろ、泣く子も黙る早稲田大学ワンダーフォーゲル部出身。「バーカ、いつまでぼーっとしているんだ!!」そんな声が聞こえそう。 
 
   9月10日(土)

今日の常陽リビングの「差し上げます」コーナーにヤギ一家の主人が「もみ殻 家庭菜園などに。取りに来られる方。柴原農園」が載っているのをかあちゃんが見つける。人のため世のための優しい心遣い。ああ、阿見町は神さまのような人々であふれているのだろうかー。

そこで考える。「もみ殻」ではなく「新米」だったらどうだろう。いわゆる誤植だ。それこそ柴原農園には新米をただでもらおうという卑しい人がわんさか押しかけるだろう。もしかしたら交通整理のおまわりさんやマスコミも駆けつけ大騒ぎ。

昔、まだ活字を拾って新聞を作っている頃。「住生活の知恵」と書いたおいらの記事が「性生活の知恵」となっている。「住」と「性」では違う。あきらかに職人の悪戯。にやりとしながら赤えんぴつを入れた記憶がある。まあ、人生には間違いはつきもの。ケラケラと笑い飛ばし生きましょう。
 
   9月9日(金)

梅原猛著「日本の深層」に太宰治の「津軽」の話が出てくる。若い頃は虚無主義に走り太宰と坂口安吾の本を耽読したという。そして太宰が歩いた「津軽」に沿って慌ただしく旅行した。おいらも同じことを真冬にした。「津軽」の本はどういうわけか沖縄に行く「ひめゆり丸」の船中で読んだ。19歳の夏だった。乳母たけとの再会シーンに涙流したというがおいらも同じだった。

本日も阿見町図書館へ。おいらにはとても親しみやすい図書館だ。ただ残念なのは、町内在住者でないから本の賃借ができないこと。荒川沖に住んでいる頃、土浦図書館より牛久図書館の方が近くて便利でよく利用した。牛久市内勤務者なら可能ということで同市内にあった明恒パールに勤めているとして図書カードを作ってもらったことがあった。

阿見町の場合はどうかー。阿見町のスーパー太陽とカスミをよく利用している。阿見町医療大学には2ヵ月に1度は通っている。さらに、ヤギ一家からもみ殻を年数回盗んでいる。どうだろう、審査は通るだろうかー。「バーカ、読む力が衰えたのだからそんな姑息なことは考えるな!!」金魚ちゃんの声あり。
 
  9月8日(木)

朝早く目を覚ましたら東の空が真っ赤。これはきれいな朝焼けが見られるのではと急いでクルマを走らせる。ところが明るくなるうちに空はどんどん白みだし霞ヶ浦湖岸に着いた時には朝焼けは消えている。これまでの経験から朝焼けはほんの一瞬で数秒だ。素敵なショーほど短いとでもいうのだろう。

そしたらいつもの人が松葉づえをついて霞ヶ浦に視線を送っている。いつもの場所にクルマを停めている。何度かこの光景を見た。おいらと同じぐらいの年齢だから年寄りだ。チャンスがあれば背後にまわりおじさんをシルエットにして「今日への朝陽」のタイトルで写真を撮りたいぐらいだ。今の時代、そういうことが許されなくなってしまった。残念なり。

広瀬邸の草刈りをやる。しばらく行かなかったら雑草がぐうーんと成長。まったく彼らの生きる力はすごいものだ。こうなると雑草との戦いだ。なんとか刈り倒しへし折り目鼻をつける。後2、3回戦えばきれいになるだろう。そういうことで本日は終わりです。 
 
   9月7日(水)

歯医者の治療を終えるとヤギ主人の自宅へ向かう。もみ殻は黙って持っていってもいいよと言われているが仁義をきろう電話を入れる。米狩りシーズンを向かえ忙しいのか不在。それなら遠慮せずにもらおう。山のようなもみ殻をビニール袋に詰める。一袋だけでどこを掬いとったか分からない。

もみ殻を積み終わると一目散に阿見町図書館へ。あたりをキョロキョロしながらクルマを走らせる。稲刈りの終えた田んぼはやはりどこか淋しい。ハンドルを握りながら考えてみると阿見町は坂の少ない町だと気づく。おいらの足のように偏平足なのだ。

荒川沖に住んでいる時も平坦な道ばかりで散歩などは楽でかあちゃんは自転車で買い物に行けた。ところが現在住んでいる小松町は坂ばかり。そのため、かあちゃんは自転車に乗ることをあきらめ二足歩行に専念。まあ、原始人に戻ったということ。梅原猛著「日本の深層」をようやく読み終える。母は蝦夷出身で広島県呉市の男と合体しておいらは誕生したらしい。久しぶりに骨身にしみる本を読む。山猫に感謝、感謝なり。
 
  9月6日(火)

昨日は詩人会議主催の平和の集いに参加するため東京へ。コロナを
心配してみんなは戦々恐々としている。なにしろ会員の多くは高齢者。会場は池袋駅南口から10分ほど。東京に住んでいる頃は何度か遊びに来たが、どちらかというと馴染みの薄い街だ。大きなビルに囲まれた道路を歩いていると圧迫され息苦しい。平和の集いは60人ほどが参加。プログラムは詩の朗読と講演会。高橋哲哉氏(東大名誉教授)の「戦争のと論理に抗してーウクライナ侵攻と日本・アジア」の講演会は勉強になった。もっと聞きたかったが時間が足りず残念。

昨日の疲れが今日あらわれたのか朝から体が怠い。それに頭のぼーっが加わりダブル。山猫から「おはよう」とお握りの写真が送られてくるが返事を出すのも億劫。だったら、さっさと死んだらと金魚ちゃんからのメッセージ。バーカ、まだ死なないよ!!。

コロコロ畑を耕運機でうなる。体が思うように動いてくれない。そこでおいらもウーンとうなる。おいらのパワー不足はどうしようもない。酒を飲んで勢いをつけたらどうだろうか?。この炎天下では「ハイソレマデ」となるのが目に見えるようだ。とにかく、今日は生き延びた。バンザイだ!!。
 
   9月4日(日)

久しぶりに青空が広がる朝を迎えた。「よう、おはよう青空ちゃん」。気分がいいので根本ぶどう園へ。掃き掃除と傷んだぶどうの間引きをやる。間引きとは言わないのか廃棄作業をやる。まあ、もったいなぁと思うが、おいらにはたわわに実ったぶどうの販売方法を知らない。知ろうとも思わない。

「日本の深層」を読む。すぐに眠くなるからなかなか終わらない。文庫本だから文字が小さくて読みにくいせいだろうかー。昔、文庫本の文字が小さいからと買うのをやめた時があった。そこでこれまでの文庫本を全部捨てた。以来、文庫本を買うのをやめていた。廉価でいい本がたくさんあるというのにだ。ここにも年寄りの見えない敵がいることを知るのだ。ああ、なんとも辛いことだ。

ミニミニ畑の土づくりをやっていたらヤギ一家のモミガラを思い出す。去年はたくさんもらった。そうだ、連絡してもらいに行こう。夕方、ヤギ主人に電話をする。多忙なのか出ない。しばらくして折り返しの電話がある。「いつでもどうぞ!!」という返事。阿見町の図書館といいヤギ主人といい阿見町の空には明るい人の声が響き渡っているようだ。

■詩人会議10月号「あやつり人形」
 
   9月3日(土)

朝一番の仕事はあかりちゃん詩をブログに載せること。それが終わると広瀬邸の草刈り。それからパン一枚の朝食。新聞を読んで読んだ先からどんどん忘れていく。ただ、土曜日は読書欄があるのでそこだけは熱心に読むが手応えなし。

「みる」コーナーに川田喜久治著の「Vortex(渦)」の写真集が紹介されている。最初は写真家の長島有里枝が撮ったのかと思ったら解説が彼女だった。長島有里枝という写真家に興味を抱いたの数十年前。感性豊かで赤裸々な若い女性写真家という印象だった。写真の世界は時々刻々と変化している。とてもおいらにはついていけない。

わが家の里いもは葉っぱは大きいがイモがついていない。もともと植えた記憶がないのにニョキニョキ育ってきたのでこれは儲けものと思っていたのが間違い。そこで、芋がら作りに励む。手は真っ黒。それからは山猫がバーカ隊長へ贈ってくれたCD「Nightnoise」を聴きながら「日本の深層」を読む。これは滅茶面白い。しかし、すぐに眠くなる。そういうことで今日は終わりました。バイバイなり。
 
  9月2日(金)


 ポテトサラダ

おいもちゃんを
ゆでゆでして
あつあつおいもちゃんは
冷たいシャワーをあび
サラダボールにお引っ越し

それからあかりの出番だよ
ポテトマッシャーちゃんで
おいもちゃんこねこねくすぐる

マヨネーズも入れて
こねこねこねこちゃん
かわいいこねこちゃん

だあちゃんは
赤いのやら緑いろの野菜
パラリンコとふりかける

ポテトサラダちゃん
あかりはいただきまーす。

■今日はおいらの誕生日。74歳だぞ。バンザーイだ!!。
 
  9月1日(木)

さあ、今日から9月だ。だからどうっていうことはないが明日が誕生日で74歳になる。この年になると誕生日を迎え祝うことはどういうことかと考える。前倒しで山猫商店から大量の誕生祝いの品物が贈られてくる。開けてびっくりたまぁげーる。素直にうれしいのだよ。

図書券に本が4冊。その他モロモロで書ききれない。山猫商店自慢の自家製黒ニンニクがでぇーんと座っている。「日本の深層」梅原猛が面白そう。なにしろ「山形紀行」がある。後の3冊は自己啓発本。こういう本は苦手だ。

古本市をやっている阿見町図書館へ。前回で味をしめたのだ。


楽しきことを考えよ
かく思ひ、愉しさにとりすがれども
小さき魚は水に消え
かなしみばかりしたしけれい
(三好達治・詩集「測量船」池に向かへる朝餉ーより抜粋)
 
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