怠惰な散歩  2022年5月

     
   5月30日(月)

根本ぶどう園の仕事は朝5時半から8時半ころまでが体力的はいいようだ。これから暑くなるなるからもっと短時間になるかも。それにしてもブドウちゃんは成長している。疲れを知らないオッパイが静かにふくらんでいる。実にかわいいものだ。

明日は詩人会議の運営委員会。そのためのと超整体師医院へ。昨日のことを話したら治りはじめているのだから2~3日はゆっくりするように。神の声として聞く。そういうわけで詩人会議にメール。明日の会議は断腸の思いで欠席するとラインで知らせる。反応は即座。お大事にということはあったが、そのまま棺桶という言葉はなかったひと安心。サラバだ!!

静かにしていよう。それでも心臓パクパクしているようだ。ゆっくり休みましょう。みなさまお休みよ。元気でバイバイだよ11
 
   5月29日(日)

朝、6時過ぎ山猫から元気そうなメール。どうやら農家のおばさんは草刈りで一日の幕を開けるようだ。おいらはどうも気分がすっきりしない。空は真っ青だというのに心が晴れない。どうしたものかとか長田弘の詩集を読んでみようと広げるが頭の中に入らない。すぐに閉じる。

メシの種で水戸の開発公社へ。整復師会の定時総会。ブログと紙面作り写真をパチリパチリ。まったく昨年と同じ内容の議事進行が続く。出席者は全員マスクでよく顔がわからない。その方がお互いにいいのかもしれない。

終わると茨城民俗学会の理事会へ。山猫の天敵M氏は欠席。残念なり。だらだらとやたらと長い。進行役が悪いのだ。おいらは黙っていることにする。出席者は高尚な顔を仕事をしているようだが、おいらは欠伸をこらえるのが仕事。参加することに意義ありかー。ああ、寂しいことだ。
 
   5月28日(土)

かあちゃんの知り合いの保険のきかない整体師に行く。なにしろぎっくり腰で戸板にのせられ運ばれた患者が帰りは自分の足で歩いて帰れたという超整体技巧を持っている。おいらより一歳上。その魔法の手で施術をしてもらったら「痛くないだろう!!」で終わり。そしたら本当に痛くないのだ。まったくの凄腕。あまり世話になりたくないが「今度、また何かあったらよろしくね」とルンルン気分で帰る。

今日は暑かった。それもただの暑さではない。湿気がムンムンの肌にまとわりつくジメジメ感。ああ、イヤダイヤダとため息と欠伸の連続。そこで考える「ため息」と「欠伸」について。結論は「ぼーっ」となる。「永遠のバーカ。そんなことより世界の平和を祈れ!!」金魚ちゃんの声あり。

今日もなんとか退屈で暇な一日は無事に終わった。人生なんてこれでいいのだろう。もしかしたらこれが究極の幸せな世界かもしれない。
 
   5月27日(金)

朝起きると右足の太ももあたりが痺れるように痛い。こんなことは初めてだ。昨日の草刈りが原因か?。からだのあちこちにガタがきているようだ。年寄りは辛い。

朝から雨。根本ぶどう園に行く。朝6時だから誰もいない。剪定をやるがとても広くて太刀打ちできない。「この野原いっぱい~」森山良子の歌を思い出す。「このぶどう園いっぱい蔓がのび緑の葉っぱが広がる~」だ。

「苦海・浄土・日本ー石牟礼道子 もだえ神の精神ー」田仲優子を読む。『もだえ神の精神とは、せめて一緒にもだえて、哀しんで、力になりたいという強い気持ちのことである』。神さまはどこにでもおられるのだぞ!!。夕方、高橋式治療を思い出し試してみる。偏平足がすべての責任を負っているのだ!!。

 
   5月26日(木)

朝一番の仕事は草刈り。地主からバッテリー式の刈払い機ん借りての作業。エンジン式よりとても軽く扱いやすい。これは年寄り向きだ。草刈りを生業としている人には馬力が弱い商売向きではないから使わないだろう。

昨日締め切りの特集「現代の戦争」に投稿しようと「平和について」のタイトルで詩を書いてみたがとうとう間に合わなかった。戦争詩には気乗りしない。

チューインガムに
平和の
文字を刻み
噛んでみよう

チューインガムは
隠し味のない
平和が口のなかで
スキップできる
すっきり味がいい
(未完)

お粗末さまでした。では皆さまお休みなさい。
 
   5月24日(火)

ぼーっの恩返しには「真綿色の紙にこころ色のペンで書いたぼーっの詩」という山猫からメールあり。さあ、考えてみようとハンドルを握り根本ぶどう園へ。三日間留守にしたいたがぶどうちゃんは大きくなっている。まったく自然の素直な生き方はすごいものだ。何がすごいかといったって報酬を求めないこと。金銭的なことを考えるのはニンゲンだけ。

それから それから
あちらから あちらから
今日がおわり
明日という日を
期待して
人々は眠りにつくのだろう。人生なんてそんなもんじゃないかと金魚ちゃんに問う。無言なり。あんたはエライ!!ぶどうちゃんもエライ!!
 
  5月20日(金)

「ゆとりの国イギリスと成金の国の日本」マーグス寿子(草思社」をようやく読み終える。200ページほどのエッセーだが一週間かかった。まったく読むスピードが衰えた。情けないと思うがこれが年寄りの現実。とにかく読み始めると眠くなるのだからページが進むわけがない。

イギリスはに日本より経済的には貧しいがゆとりのある生活を送っていると両国の暮らしぶりや考え方を比較して述べた書物。納得のいくことがたくさん紹介されていて面白かった。

「同じ独り暮らしをするのでも、社会が独り暮らしを認めている場合と、孤独であるのはあたかもその人の欠点であるかのように扱う場合とでは雲泥の差がある」。ウンウン納得。
 
   5月19日(木)

時間は黙っていても進む。21日の長野行きは随分先のこと思っていたがもう目の前に迫ってきている。一日早いが準備を始める。長野は寒いというのでジャンバーをバックに入れる。その他モロモロを詰め込む。完璧を目指すがどうなることやら。

燐家の大地主から草刈りの仕事が舞い込む。これまでやってもらっていた人が高齢になり体力的に無理だと断わられ白羽の矢がおいらに立った。おいらだって今年75歳になる年寄りだ。そのことに今日気づく。まだ73歳で9月の誕生日を迎え74歳になると思っていた。のんきなもんだ。それにしても算数は弱い。2022-1948=74が73になるのだ。情けない。

そこで明日の当直の面接は断ることにする。根本ぶどう園、地主の草刈り。この二つで今年は過ごすにする。三つの仕事を掛け持ちする体力はない。のんびりしよう。
 
   5月18日(水)

山猫から重い写真集が送られてくる。画集や写真集はグラビア印刷で紙も厚手を使っているから全体に重くなる。問題は中身の重さだ。「被爆者たち」というタイトルが示すように被爆者を取り巻く環境を撮らえている。1996年発行とあるから22年前だ。森下一徹著とある。一徹に被爆者に寄り添ってまとめたのだろう。重い写真集で出来るなら目にしたくない。

石碑に刻まれた峠三吉の詩の写真もある。この詩集はおいらも持っている。段ボールの本棚で鎮座している。「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」一連目にはそう書かれている。

おいらはまぎれもない年寄り。辛いものがある。バイバイみんな元気でね!!
 
  5月17日(火)

昨日は朝から雨、根本ぶどう園はお休みとして自宅で静養する。そこで、「5月の晴れた空」の詩を書いてみようと空を見る。空は雲っている。それでも明るい青空を思い浮かべる。そして、ぼーっがバカな詩を書くということについて考える。眠くなる。眠る。そのまま永遠に眠っていればと思うが目がさめて空を見る。曇っている。詩は出来上がらずあきらめる。

本日は雲っているが根本ぶどう園へ。9時ごろKさんが来る。なんとネットで探してくれたと「当直」の募集案内をプリントして持ってきてくれ「ここへ電話をしてみたら」。
驚いた。そこまで心配してくれるならと電話をする。人事の担当者が不在で明日、こちらから連絡するとのこと。

人体の不思議について考える。こんなに精緻に作られている人間を簡単に殺していいもかー。いつか人体についてをテーマとした詩をまとめてみたいと考える。考えると眠くなる。そこでまた眠る。老人の仕事とはどうやらひっきりなしに眠ることらしい。 
 
   5月15日(曇り)

根本ぶどう園から筑波山を望むことができる。この風景を見ると何となくほっとする。理由はわからない。自宅でぼんやりと金魚ちゃんの動きを見ていても何となく安心する。どうでもいいようなことに目をやりぼーっとしているとほっとする。平凡で退屈な風景をぼんやり眺めていられるのは数分だ。人は金魚ちゃんのように金魚鉢の中だけで一日を過ごすことができない。忙しなく世間を動き回りたくなるのだ。堪え性がないほ乳類なのだ。

根本ぶどう園の仕事を3時間で切り上げる。2~4時間が限度のようだ。今日は涼しかったからできたようなものでこれから暑くなるからもっと短くなるかもしれない。それでも体を動かしていると精神的に落ち着く。永遠の貧乏症なのだろう。

帰りは土浦イオンで休憩。マーガリン入りバターロールとアイスコーヒーで朝食。しめて246円也。これでも人間は十分に生きていけるのだ。万歳、バンザイ、ばんざいだ。
 
   5月14日(土)

さあ、今日のことを静かに書こう。そして、おいら自身に聞いてみよう。「退屈で暇で平凡な一日で終わったのか?」、と。そういうことで何の変化もない欠伸連続の今日は終わりましたが、朝から雨が降り空はどんよりと悲しそうに曇っていました。

根本ぶどう園へ。1時間半ほど仕事をやり切り上げる。帰るころ雨は何処へ遊びに行ったのか止んでいる。空は相変わらず鈍色。筑波山もの頂きを隠している。まるで悪戯っ子の泣き顔のような空。

山王台の姫から連絡がある。先般頼んだプリントを欲しいという。そこで昼寝を終えてから出かける。姫は池に咲く菖蒲をスマホでパチリパチリとやっている。用件を済ましてからが大変。自然豊かな日本庭園にはやぶ蚊が大きな顔をして徘徊している。ウナコーワの世話になりそそくさと退散。ああ、クワバラくわばらだ。
 
   5月13日(金)

今日は13日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび)で縁起が悪く不吉な日だ。「不機嫌なキラキラ星」の詩を作ることのメールが山猫から入る。今日の天気は不機嫌で朝から雨が降る。それでも根本ぶどう園へ。ぶどう園は大きなビニールハウスで覆われているから雨の日でも作業ができる。

Kさんも剪定バサミでチョッキンチョッキンと手伝ってくれる。彼はおいらより1歳下で80歳までは仕事をしたいという。まったく元気でうらやましくなる。

仕事は午前中だけにする。昼寝をした後、雨の中をビニール傘をさして長ぐつスタイルで散歩。傘を打つ雨の音が聞こえる。不機嫌、不機嫌と音をたててるように聞こえる。世界中でどれほどの人が不機嫌な一日を過ごしたのだろう。雨は終日降っていた。
 
   5月12日(木)

平凡で退屈な一日について考える。思索の場を求め乙沼公園を歩く。遊歩道は自転車も車も通行禁止だから歩いているか走っている人しいない。杖をついてゆっくりと歩いている老人もいる。四つ足歩行だ。こうなるまでの彼の生きた歳月を考える。

すべての人はただ死ぬためにのみ
この世に生まれる。
人はこちらの扉から入って
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている
*フェルドスィー「王者」岡田恵美子訳

毎朝、長田弘詩集を読むようにしている。彼の詩はおいらと皮膚感覚があう。プレゼントしてくれた山猫に感謝をしなければー。
 
   5月11日(水)

昨日は詩人会議の運営委員会で東京・大塚へ。コロナ禍の影響でこれまでやっていた「平和の集い」を今年は開催するかー。喧々諤々の議論もなく開くことで準備を進めることになる。そこで「平和」について考える。長田弘はー平和とは、(平凡きまわりない)一日のことだ。

大塚駅前通りは下町のごじゃごじゃした歓楽街。お尻ピンピンプリプリの女が堂々とした顔で歩いている。何か、新宿の歌舞伎町に似ているような気がする。おいらは、こういうざわつきのある界隈が好きだった。しかし、それは若いうちだけ。年寄りには何かと疲れる。

「赤ひげ」という薬局に出くわす。驚き、うれしくなりパチリパチリ。目の前を通りすぎようとケツデカの女性がニヤニヤして撮り終わるまで立ち止まってくれた。ああ、日本は平和だ!!
   5月9日(月)

山猫の「巫女舞神事」を見る。かわゆい女の子が作ったようなレイアウト。思わずクスクス。クスクスはニコニコ。そういえば山猫のメールには絵文字がたくさん金魚ちゃんのフンのようについてくる。まるで風薫る五月の鯉のぼりのような時もある。そのたびに時代は変わったのだと実感する。

朝、出がけに100円の老眼鏡をかけ6000円の詩集「長田弘全詩集」を読む。山猫からプレゼントされたものだ。帯には「最初の詩集から50年15冊の詩集。471編の詩を収める唯一の完成版」。一年で10編ほどの詩しか発表していないのかー。ボツにした詩は山ほどだろうと推測する。

根本ぶどう園の仕事は順調だ。なにもかにも忘れて夢中になれることは精神衛生上いいようだ。今日は寒かった。これにはまいっただ。
 
   5月8日(日)

根本ぶどう園に朝6時に到着。早速、捕獲箱を見る。金網の中で一匹の動物が眠っている。タヌキに似ている。バタバタと音をたてると起きだしおいらを見ている。「おはよう」とは声をかけられない。タヌキかハクビシンかアライグマかー。市役所でもらった注意書きを見る。どうやらアライグマらしい。獰猛という注意も記されている。

さて、処分をと思案。まだ6時を過ぎたばかりオーナーには失礼ということ7時過ぎに報告。市役所で引き取りに来てくれるという。ところが今日は日曜日。明日、問い合わせてみようということになる。

山猫から応援電話が入る。一服しながらモニャモニャと話す。それからぶどう園の仕事。10時ごろになると日差しも強くなりやめる。トーマス・マンに「ベニスに死す」という小説がある。「ぶどう園で死す」もまずいのではとそそくさと退散する。
午後、山猫から原稿が届く。疲れたので明日見ることにする。
 
   5月7日(土)

久しぶりに仕事らしい仕事をする。朝6時に家を出て根本ぶどう園へ行き落葉清掃を11時までやる。またホウキを持つはめになった。これが一番おいらには似合っているのかも知れない。山猫から電話が入る。「働けてよかったね!」。茨城に来て何度仕事を変わっただろうかー。数えるのも面倒だ。

根本ぶどう園前の田んぼでは田植えツアーをやっているようだ。子どもたちがはしゃいでいる。現代農業は広い自然をバックにショータイムのような形に発展してしまったのだろうかー。何でも簡単のお金を出せば楽しめる。米作りという労働の有難味が薄らいでいくようで悲しくなる。

詩人会議から大きな表彰状が届く。記念にとコロコロ花壇をバックにこころを静めパチリ。きっと、この先は押し入れ深く仕舞いこまれ二度と見ることもないだろう。それを察してか丸筒まで同封されている。ああ、あなたよ、サラバだ!!。
 
   5月6日(金)

いばぶん事務所に。Kさんがいたので根本ぶどう園のアライグマ退治の相談をする。捕獲用のオリを作ってくれるという。Kさんは器用だから何でも工作する。機械科の先生だったらしい。つくば市役所に問い合わせると無料で捕獲用のカゴを貸してくれるという。早速、借りに行く。本腰入れて根本ぶどう園の管理をやろう。そうだ、根本ぶどう園の星になろう!!「バーカは永遠なり」金魚ちゃんの声あり。

貧乏性だから働いていないと落ち着かない。これは生まれた時からの貧乏生活でビンボービンボーの合唱が響く家庭で育ったせいだ。机上でものを考えるタイプではないことはとうの昔から知っている。年寄りでも少しはからだをいじめてみるのもいい。

心配なのは衰えた肉体だ。すっかり足腰が弱くなった。それに腕力が萎えた。でも頑張ってみよう。明日から朝の早いうちに出かけ根本ぶどう園で働くのだ。バンザイだ!!。
 
   5月5日(木)

朝の涼しいうちにと刈払機で庭の芝刈りをする。この作業は30分が限度。腕が痺れ腰が痛くなるのでそれ以上は無理。もっともわが家の庭はそんなに広くないから20分もやれば終わってしまう。そして休み休み草取り。おいらの人生の幕切れは草取りで終わるのか。

昨日、マキノさんから届いた「無念の宮田氏」の原稿を読む。これといった直しはないようなのでその旨をメール。この原稿の作業をしたのは去年の今ごろ。注文主の我がままと予算不足の中でよくまとめたと思う。

「日本そばをごちそうする」という山王姫の誘いに乗り石岡へ。彼女の抱えている悩みを聞く。ナーバスな神経の持ち主なだけに一人悩むことが多いようだ。不安とか悩みのない人間なんてひとりもいないだろうがー。なかなか難しい。花木センターに行きたくさんの花を眺めて気分転換。そういうことで今日は終わる。
 
   5月4日(水)

風呂場のカビが目立つ。このままではカビだらけになってしまい始末におえなくなる。そういうことで母ちゃんと二人で掃除を始める。天井のカビが一番やっかい。
でも母ちゃんは「わたしは海賊の娘。運動神経はあんたよりいい」と、脚立に上がりゴシゴシやる。70過ぎのじいさんと80過ぎのばあさんの作業だけにハラハラドキドキ。それでも何とか無事に終える。風呂場が明るくなる。

ごほうびということで外食。阿見町の「しのぶ庵」に日本そばを食べに行く。あきらかに帰省した若い人と久しぶりに顔を合わせ家族とともに食事にきたというお客さんで満員。予約も入っており小さな子どもははしゃいでにぎやか。世の中、にぎやかで楽しいほうがいいに決まっている。

山猫から「大生ものがたり」の地図が送られてくる。若い人に頼んでいるようでなかなかセンスがいい。おいらのような年寄りはもう固定観念で固まっているのでこういう発想はなかなか浮かんでこない。きっと素晴らしい地図となるだろう。大いに期待する。
 
   5月3日(火)

朝から、ぼんやりと水槽の中で気持ちよさそうに泳いでいる金魚を見る。バーカじゃないかとおもうほど動きまわっている。あれじゃ運動不足にはならい。金魚の尾ひれに万歩計をつけ動いた数を計ったらどうだろうー。バーカなことを考える。

ここ数日、痛飲したせいか体調が悪い。酒を飲むのではなく酒に飲まされているという感じ。体調が悪いのは自明なり。なぜ、そんなに酒を飲みたくなるのかー。酒を飲むと気持ちがハイになる。そうすると明るい未来が見える。それがいいのだ!!。「バーカ、年寄りだからほどほどにしろ!!」金魚ちゃんの声あり。

このままではいけないと自転車で水郷公園へ。最高の行楽日和だ。家族連れなど思い思いに楽しんでいる。ベンチに座りぼんやりと時間の経過について考える。こうやって、人間は生きて静かに消えていくのだろう。山猫から電話が入る。今日は農家のおばさん役はお休みで大生神社の巫女舞を整理中という。カッパってチョ!!。
 
   5月2日(月)

昨日の続き。詩5編のテーマを考える。世界の平和を考える。かあちゃんの平和を考える。山猫の平和を考える。わが家にやっれくるスズメちゃんの平和を考える。七匹の金魚ちゃんの幸せを考える。

あかりちゃんの詩を書く。なかなかうまく言葉が進まない。汚れ切ったおじんの心には邪心で真っ黒。戦時中の黒塗りの教科書のよう。それでも数時間かけてまとめ近いうちにアップすると山猫に連絡。

詩人会議の詩編5のテーマを考える。やはり「生と死」になるだろう。これは人間の普遍的なテーマでもある。ふと「五体満足?」が思い浮かぶ。以前から興味があった。数億年かけて進化を続けてきた人間がなぜ殺し合わなけばならないのかとー。次の足掛かりとなるかもしれない。
 
  5月1日(日)

さあ、今日から五月だ。そうかといって特別なことは何一つない。ひたすら雑草取りに励むだけ。主婦の家事労働は月26万円ぐらいに値するそうだ。さて、おいらの草むしりはどれほどの賃金になるのだろう。ギャラなし無報酬だ。かわいそうなり。

詩人会議の新編集長から電話あり。小詩集のコーナーに書いて欲しいとのこと。4ページで詩5編ほど。7月末締め10月号掲載という。有り難く受諾する。テーマを決めようか?、それともこれまで書きためたもので良さそうなのを選ぼうか?、ただ今思案中。

山王姫宅へ。「今日は寒い!」のあいさつを交わす。居間には亡くなった猫ちゃんの写真がたくさんある。さらに骨壺に入ったままのものもある。愛猫家だったが今は一匹も飼っていない。その代役をつとめているのが狸ちゃん。毎晩、パンを与えている。山盛りの菓子パンが台所にある。メシが食えなくなったらおねだりっしようと考えている。
 
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