怠惰な散歩  2021年

   1月29日(金) テスト

ロシアの作家チェーホフの小説は読んだことがあるだろうかと思い返してみると、姉がモーパサンなどの短編小説を読んでいて何度か文庫本を借りて読んでいたから、その中にあったのかも知れない。しかし、どれも思い出せない。

今日まで人間は、創り出すどころか、ぶち壊しばかりしていました。森はだんだん少なくなる。河は涸れてゆく、鳥はいなくなる、気候はだんだん荒くなる、そして土地は日ましに、愈々(いよいよ)ますます痩せて醜くなっていく。チェーホフは1860~1904年ということは、今から100年以上前に人間は悪さをしていることになる。

そうなると、今さらなにをジタバタするのだとも言いたくなる。もっとも、人間が地球に住みつくようになってから繰り返し言われてきたことだろう。そもそも原風景というのは誰にも分からないはずだ。どうも考えがまとまらないので今日はやめにする。
 
   1月28日(木)

「一日一章」を更新していたらドストエフスキーが出てきた。ドストエフスキーには思いでがたくさんある。20代の前半、パントリー(皿洗い)という仕事でメシを食っていたころだ。今でいうなら派遣労働者。その職場に正体不明のあやうい男がいた。

その男はドストエフスキーや鈴木大拙、西田幾太郎などの文庫本を真っ赤になるまで線をひいて熟読していた。その男にドストエフスキーを読んだかと聞かれた。読んでいない、読め。そこで急旋回して太宰治から脱出して猛烈な勢いでドストエフスキーを読んだ。身につかず、今ではすっかり忘れているが「罪と罰」だけはしっかりと憶えている。不思議なものだ。

夕方、雨混じりの雪が降る。雨でもなくみぞれではない、かといって雪でもない。はっきりしろと言いたくなる。茨城地方の雪はこまっている。雨でも雪でもない未熟児のまま地上を濡らすことを恥じといる。それはそれでいいんだよと呟く。わが庭が真っ白になることはないと信じながら眺めている。そして、今日を終わるのです。
 
   1月27日(水)

本日のつくば文化郷は少し賑やかになる。昨年亡くなった根本さん一周忌に合わせて開催される「根本健一コレクション展」の話し合いが行われ関係者が集ったから。百姓の倅は百の仕事をこなさなければならないと豪語して根本さは果敢に動き回っていた。それが、あっという間に亡くなってからあと半年で一年となる。月日のたつのは早いものだ。

元相棒の相沢氏の進行で大まかな企画は決まる。これからタイムスケジュールを作り実行委員はくたびれた体にムチを打ちそれなりの動きをすることになる。さあ、おいらはどんなことが出来るか。せいぜい便利屋の役回りだろう。それでもいいのだ。

霞ヶ浦を見ながら帰る。湖面に靄がかかりぼうーっとした景色が広がっている。この霞がかった本当の霞ヶ浦かもしれない。ぼうーっとした霞ヶ浦をぼうーっと見ている。ぼうーっと、これが飽きないのだ。ぼうーっぼうーっ.。さよならさよなら。
 
  1月26日(火)

朝から曇っている。こういう日は一日中、全身満杯のように暗くなる。それではどうしたらいいか。頭から布団をかぶって寝ていればいいかー。睡眠はたっぷりとっているから眠れそうもない。さらに腹もへるしトイレからの呼び鈴もなる。そこで本を読むことにする。

読書となれば老眼鏡は必携。そこでかけて読む。メガネは読書を拒みずり落ちる。そのたびに指で持ち上げる。ああ、そこまでして本など読まなくていいと思うころに眠くなる。なんと見事な連係プレー。そのままスース―と瞼をとじて眠る。これが気持ちいいのだ。

遥洋子は「死にゆく者の礼儀」で書いている。病院のベッドで母は水を飲みたいという。医師はなんとかなんとかの理由でと拒否される。追懐として、一滴の水と好きな煙草を吸わせてあの世に送りたかった。その悔やみがトラウマのようになり数年間苦しんだという。トラウマとはそういうことかと妙に納得する。バイバイです。 
 
   1月25日(月)

暖かい一日だった。庭木の剪定をする。山王姫から枝葉を払うコツは向こう側の景色が見えるようにすること。その教えに従いミトモ流でやって見る。素人だからその指摘もままならない。問題は、この切り取った枝木の処理をどうするかだ。うららかな日にのんびりやろう。

その山王姫宅へ午後向かう。ブログ用にピーちゃんの写真を撮る。おいらの後ろで山王姫が「ピーちゃんピーちゃん」と呼びかけカメラを見るように叫ぶ。優しく呼びかけるというのではない叫ぶのだ。ピーちゃんは高齢で耳が遠くなったので大声でないと聞こえないという。「ピーちゃんピーちゃんピーピ―」とうるさい。だからといって、ピーちゃんは呼びかけに応じてくれるかといえば知らん顔。こまったものだ。

パソコンの具合を見て用事は終了。普段あまり使っていないからスイッチを入れるのが恐いという。想定外の動作をしたらパニックになる。これはおいらも同じでこれまで何時間費やしたかわからない。アナログ世代にはこまった便利品でもある。
 
   1月24日(日)

岡倉天心は詩人でもあったと大岡信は述べている。本日は、天心の詩を拝借して終わりとする。

戒告

私が死んだら、
悲しみの鐘を鳴らすな、旗をたてるな。
人里遠い岸辺、つもる松葉のしたふかく、
ひっそりと埋めてくれーあのひとの詩を私の胸に置いて、
私の挽歌は鷗らにうたわせよ。
(以下略)
 
   1月23日(土)

「書物の世界には奇妙な傾向があって、一流の著作よりも二流、三流と遇されている本の方が口当たりもよく役に立つという場合がことのほか多いものである」(「人間通」谷沢永一)。巻末に人間通になるための100冊の本を挙げているが、おいらはその中で1冊も読んだのがない。当然だろうが、それだけ世の中には本の宝が眠っているということだろう。

今日は朝から雲っている。そして寒い。小松界隈はまったく静かで人びとの気配がない。ああ、皆さま部屋の中に閉じこもりどうしているのだろう。「呼吸をしていますか?」と一軒いっけん尋ねたくなる。もしかして、わが家に誰かがやってくるかもしれない。「生きていますか?」

山王姫から電話あり。元気な声だが、コロナで神経過敏に萎縮した毎日を送っているようだ。世界中の人々は出口なしという刃を突きつけられているようなもの。神は沈黙したままだ。
 
   1月22日(金)

いばぶん事務所へ。NHKエンタープライズから木村さんの「ナミテントウ」の本を購入したい。何でも屋というか便利屋の役目が突然舞い込んで来る。そこでスムーズに対応できればいいが何をするのにも億劫。後で、後でとなるといつになるか分からない。そこで、発送する。

ー人間は最終的にとことんのところ何を欲しているのか。それは世に理解されることであり世に認められることであるー「人間通」谷沢永一。世界に理解されることとはどういうことか?を考える。では理解されないこととはどういうことか?を考える。考えてもなかなか分からないが今日の空は青く暖かい。とても過ごしやすい日和だ。それが今のおいらの理解される世界。

昨日、バカでかいレンズをつけ湖面で写真を撮っているいる人がいた。そこで尋ねる。トンビほどの大きさのミサゴが急降下して水中の魚を捕る。その決定的瞬間を狙っている。追尾モードで焦点を合わせておけばピントはばっちり。これまでの写真を見せてもらったがみんなすごい迫力がある。毎日通っているという。年はおいらと同じぐらい。熱中できる世界があることは素晴らしいことだ。この場合の世界とはなんぞや!!。
 
   1月21日(木)

潮来マリーナへ行く。北浦の湖面は穏やかだ。今日は冬休みで釣り堀には誰もいない。初めて見る空っぽの釣り場。ヘラブナたちもゆっくり休めるというものだろう。水原の白鳥の里に行ったらたくさんの冬鳥が羽根を休め日向ぼっこ。のどかで居眠りしたくなる風景。

大野家の話を聞き資料を預かる。回転が鈍く頭では整理できるかが心配だが、ここは数少ない仕事を与えてもらったと感謝してガンバルしかない。

体力と気力の衰えは生きていれば誰にでもやってくるのだろうが、これだけは年寄りになってみないと分からない。こんなはずではなかったとアクセルを深く踏んでみるが空回りするだけで前に進まない。そこで金魚ちゃんに訊く、「どうしたらいいものでしょう」「なるようにしかならのだよ!バーカ、愚痴らないでオナラをするように精いっぱいリキんでみろ!」ああ、ありがたきお言葉。ハーイ、ガンバァリーマース。
 
  1月20日(水)

朝早く、頭が冴えているうちにと詩を一編書いて詩人会議にメールで送る。封筒に宛先を書いて原稿を入れ切手を貼り郵便ポストまでトコトコとという一連の作業が完璧に消えている。「送信」をクリックすれば瞬時。だが、一抹の淋しさもある。トコトコの部分だ。あの時間にはなにかのときめきがあった。そういう時代なのだと言われてもやはり寂しいものだ。

「ー現代の情報源は、テレビ、新聞、週刊誌、の順である。ー」これは1995年12月10日発行の谷沢永一が「人間通」(新潮選書)で述べている。今から26年前はネット情報はなかったのだ。今ならテレビの前にネットが入るだろう。あっというまに情報源が広がりもはやネット情報は無限大に近い。それもどれが真実で偽物かの判断も容易ではない。意に反するなら見なければいいのだといわれても社会システムがそのように構築されたのだ。年寄りには辛い。さっさと消えてくれということかー。それでは、あまりにもかわいそうではないかー。

今日は大寒、一年でもっとも寒い日とされるという。だが、空は青く晴れわたっている。気晴らしにかあちゃんとビンボードライブを楽しむ。 
 
   1月19日(火)

柴犬シュリと朝を散歩。。強い北風に洗われた空は晴れ筑波山がくっきり。シュリが手綱をぐいぐいと引っ張るからこちらも速足になる。いつもよろよろと歩いているから追いついてゆくのがやっと。シュリはまだ若いのだ。「おまえさんもいつかはよろよろ歩きになるのだ」と後ろから声をかけるが知らんぷり。朝の北風は冷たい。

ーいまも、詩は最高の言語表現と考えています。散文は情報伝達が得意で「受け取る必要を満たす言葉です。他方、詩は「蓄える必要」を満たす言葉、心を耕すのが詩の言葉です。中西進(国文学者)2021年1月19日朝日新聞。

「心を耕す」とは素晴らしい言葉だと復唱しながら畑を耕そうと思ったが北風ピューピュー吹いて寒いので中止とする。シュリの散歩の時はそんなに風の冷たさがこたえなかったがいざ畑に出陣とならず。シュリの散歩は仕事の一環、畑は趣味の世界。ここが大きく違うのだ。さよならです。
 
   1月18日(月)

「ノーフォールトト(無過失補償制度)」岡井崇(早川書房)、「悪医」久坂部羊(朝日新聞出版部)と現役医者が書いた本を二冊読んだ。何か急に本が読
、すぐに眠くなることはなかった。最近では珍しい。

今日はトコトコ歩いて8000歩。いつものことだが人と出会うことがほとんどない。道路の貸し切りという感じで寂しいかぎりである。ただ、白梅が花芽をつけチラチラ咲き出し何となく春が近いような気がしてワクワクする。

春になればコロナも落ち着いているかー。これだけは誰にもわからない。早くこの閉塞感から解放されたいと願う。だが、花粉症の方はどうなるのだろう。今年はインフルエンザがとても少ないというから花粉もそう願いたいものだー。さて、どうなるのやら。
 
   1月17日(日)

空は暗い。気温も冬をきちんと伝えるように低い、ということは寒い。朝5時に起きてそうーっとカーテンを開ける。この場合、カーテンをそうーっと開ける必然性はない。自分の部屋のカーテンを引き外を見ようとしているだけなのだ。ましてや、借家といえどもわが家だからコソ泥のようなことはしなくてもいい。それなのにカーテンをそうーっと開け外を伺う。真っ暗だ。そこで安心してカーテンを閉める。どうも、コロナ禍で精神が狂っている。

そこで考える。同年配の身近な人は毎日をどう過ごしているのだろうー。コロナ鬱になっている人はいないだろうかー。指を折って顔を思い浮かべてみる。そしたら五本指が全部折れないうちに終わったしまった。亡くなった知人のほうが多いような気がする。

畑に自家製の腐葉土を入れ土づくりに励む。陽気がいいせいかはかどる。ただ、少し労働しただけですぐに息切れする。スコップを持ってもクワを持っても重く感じる。そんなよれよれオジンを見た青空がケラケラと笑っている。空も笑うことを新発見
 
   1月16日(土)

2020年度のテーマ「断捨離の祈り」は終了とする。さて2021年度の写真テーマはどうするかー。ここ一カ月考えている。昨晩、酒の勢いを借りて決める。筑波山と霞ヶ浦を出会いがしらでいいから撮ってみよう。いつ最後になるか分からない年寄り。せめて、美しいものをインプットしてグッドバイ。これで良しとする。

霞ヶ浦は新聞社時代に何度も周回した。おおよその撮影ポイントは知っている。筑波山は土浦方面からしか見ていない。ほかの地域はおぼろげにしか分からない。撮影ポイントを探すだけで楽しめるかも知れない。もっとも、それら全部が制覇されているだろう。それでもいいのだ。

そんなこんなでそういうことで本日は店じまい。暖かい一日でなんとなく心も晴れやかな終日でした。夕方、元気印の潮来マリーナ社長から電話がある。もう終わったと思っていた「大生家と大野家」の続編について。木曜日に会う約束する。本日はこれ終わりです。
 
   1月15日(金)

詩人会議で「100人詩集」をシリーズ発刊している。個人の自費出版で編集のお手伝いを詩人会議でやってくれる。お値段はどれぐらいするのかと尋ねてみるとA5判64頁300部で30万円。「どうでしょうか?」と誘いのメールがくる。「まだまだ勉強中で、いつかチャンスがあればー」とやんわりお断りする。

年金支給日には列に加わる家計事情では雲を掴むような話。話は話題で終わるのだ。いわゆる企画倒れ、いや命倒れということ。世の中、すべては金次第というところが面白い。貧乏人は金儲けの努力をしなかったのか才覚がなかったのかのどちらかだ。おいらは両方。じつに均衡のとれたヤジロベエ。

生きていると金がかかる。タイヤ交換を迫られようやく本日完了。まだクルマは運転できるし生活するには絶対必要。これもお金を要求される。「断捨離の祈り」の小冊子をネット印刷で作ろうと調べるとA5判50部で約40000円。これも金次第。こまったものだ。
 
   1月14日(木)

三月上旬の陽気だそうだ。暖かくて気持ちがいい。ルンルン気分で山王姫宅へ。
帰りに「あわびのやわらか煮」「高級いも焼酎」「山王姫特製おでん」をいただく。大変なごちそう。本当にありがとうございます。ルンルン気分、百点満点の笑顔で恋瀬川を越え桜川を渡り自宅へ帰る。

おでんの大根が圧巻。モノサシで測る。直径8センチ厚さ3センチ。これが4個もある。かあちゃん具が多すぎて土鍋に入らないとうれしい悲鳴。ああ、われに幸ありとはこういうこというのか。あとはひたすら無言で舌鼓。幸福とは身近なところであるのと実感する。

ところがだ、寝ながら本を読もうとしたらメガネが行方不明。貧乏ジジババの苦しい生活に嫌気がさして家出したのか。探す、探す、細い記憶をたどる。もしやと山王姫に電話。声高らかに「あった!」。突然、世界が明るくなる。これが我が人生の現実かー。忘却とは忘れ、忘れまくること。当面は予備のメガネを使おう。
 
   1月13日(水)

朝は冷え込んだ。6時20分ごろから滝の園で飼われているシュリの散歩。あたりは朝もやがかかり空はまだ暗い。シュリは柴犬でかわいいが、まだ完全に慣れていない。それでも噛まないからいい。結構な力でおいらをぐんぐん引っ張る。シュリが先にくたばるかおいらが先にくたばるか競争しているようだ。

わが家から見える空き地で地鎮祭がおこなわれている。分譲地として販売されていたがその第一号のようだ。これはブログの写真に利用できるとパチリパチリ。かあちゃん、これでゴミ当番が一回楽で切ると喜んでいる。

昼食後、明日の引継ぎの準備のためいばぶん事務所へ。今日は水曜日でつくば文化郷は休日。実に静かだ。この辺は大きな屋敷が多いから静かさも大きく感じる。それなりまとめて帰宅。大相撲を見ながらチビリチビリ。こうして一日は終わるのでした。
 
   1月12日(火)

久しぶりに元相棒から電話がある。声を聞いただけで風貌が浮かんでくる。元気そう。生きている人はみんな元気であって欲しいものだ。用件は故根本健一氏の「一周忌企画展」について。そうか、もう今年の八月で一年になるのかー。あっという間の一年だ。

昨晩、山王姫から電話が入ったが内容がおぼろ月夜。そこで肉声のテープを再現してもらうために電話をする。これはあきらかに痴呆の足音が忍び寄っている証拠。酒を飲んでいたからでは済まされない。まだまだ生きる予定だから踏んばらなければと思う。そういえば姫丸子も夕方やってきた。

曇天の中スタコラスタコラと散歩。本日のがに股行進は4207歩。今晩は当直日和だはないが当直日。夕方、雪が振らないことを祈りながら読書をして過ごす。「インディアンブルー」が恋しい。「カリフォルニアブルー」、「小松ブルー」でもいい。やはり青空が見えない日は淋しい。
 
   1月11日(月)

家に閉じこもってばかりいては気持ちが縮こまってしまう。よし、歩こう。目標は7000歩。これはスマホの歩数計が示した数字。防寒対策をしっかりやって歩く。途中、スマホカメラでパチリパチリやりながらスタコラ歩く。

三連休の最終日だが町の中はひっそりしている。出会う人は少ない。出会っても全員がマスクをしているから表情が読めない。悲しそうな顔なのかうれしそうな顔なのかわからない。これはい異常なことだ。おいらが生きているうちにコロナなどいうy疫病に遭遇するとは思わなかっただけに驚きの毎日だ。

目標の7000歩には届かず6841歩、疲れた。長嶋有の「佐渡の三人」を読む。病院の医院長だった祖父はスリーナイン、99歳と9ヵ月で亡くなったという。最後に何か欲しいものはと聞かれ「タバコを喫いたい」。驚いた。お医者さんだからタバコの害など分かっていたはずだ。家系的には愛煙家が多いそうだが、まったくわからないものだ。
 
   1月10日(日)

100円ショップでライターを買う。ここが一番安い。しかし、当たり外れがあり点火がおぼつかないものもある。廉価だからと諦め捨てる。それを目当てに販売しているのかもしれない。

ドラックストアでは雪かきのショベルが大きな顔をして陳列されている。茨城県南の土浦では売れないだろう。なにしろ雪は降らないのだからー。それでも買い手がいるということは大きな屋敷が多い小松界隈の住人は落葉すくいに使うのかもしれない。

いばぶんはの運営をきっぱりと譲ることを理事長に報告する。了解してくれ肩の荷が下りた。約10年何とか持ちこたえてきた。もう疲れた。今瀬さんも根本さんも黄泉の国に旅立ち気力が萎えてしまった。これからは山王姫グループの陰の人となろう。
 
   1月9日(土)

「天下国家を無理して考えない。この地域で楽しく生きていく。この地域を侵すものとは戦う。それでいいんだとはあらためて思った。」(森まゆみ)。地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を仲間と創刊して長く編集人を務めた作家。哲学者の鶴見俊輔に、「それで生きていけるということがいいんだ」と言われ、勇気づけられたという。(朝日、1月9日、折々のことば)

そこで、ヒントを得る。これは、大決心だ。ただ、実行できるか。できなければ泡沫だ。それなら最初から公言しなければいい。だが、私的公言という言葉があるかどうか知らないが。記録としてきちんと書きとめておこう。ただ、発表はまだだ。

さて、本日は如何に退屈な日々だったかを振り返るが思い出せない。だが、二つだけははっきりしている。かあちゃんの友だちがお茶のみに来る。そして、宿直の仕事があるということ。ともかく寒い一日だった。
 
   1月8日(金)

昨日の夕方、山王姫と電話で話した。話したことは憶えている。だが、どんなことを話したのかはすっかり消えている。これはいけないと今日電話をする。「何か約束をしたことはなかったか?」「それはなかった」と、山王台界隈の空気を目覚めさせるような元気な声。よかった思う反面、山王姫は強いとあらためて思い知らされる。とにかく、ぐうたらオジンより女の方が強いのだ

気分転換に稲敷市の大杉神社にお参りに行く。ゴーリキーの「どん底」を思い出す。吹き溜まりがないと人は息がつまる。神社がその吹き溜まりなのだろうかー。神という言葉の前に吹き溜まりという場を考える。

境内の一角で紅梅が蕾をふくらませ花弁を広げている。花の少ないこの時期に青空に映えるように咲いている紅梅を見上げなんとなくうれしくなる。
 
   1月7日(木)

いばぶん事務所で山王姫こと大久保理事長と当財団の打ち合わせ。山王姫とは今年初顔合わせ。しっかりマスクをしているので顔色が分からないが声を聞くかぎり元気そう。今後については相談しながら進めることにする。決めてとなる打開策がないのが辛い。

どんずまりの空だ。薄墨色の雲が空いっぱいの広がり寒さを誘い込んでいる。とにかく、世の中に明るさがない。わが家周辺も静かなもので物音ひとつしない。いつものことだが住民は息をひそめ生きているようだ。

さえない頭で日本現代詩選をパラパラ開いて読みだす。言葉一つひとつが頭をかすめて過ぎ去るだけだ。体は寒さで萎縮、心はコロナで萎縮、頭はぼーっと萎縮。さらにビンボービ生活で萎縮。これはこれはこまったものだ。
 
   1月6日(水)

どんずまりの空だ。薄墨色の雲が空いっぱいの広がり寒さを誘い込んでいる。とおかく、世の中に明るさがない。土浦も不要不急の外出自粛というお達し。これは、しばらくは死んだふりして生きるしかない。

詩人クラブ創立70周年記念のアンソロジーを読む。500名余、670ページという分厚い詩選集だ。みんな詩がうまいと感心する。もっとも理解できないものもある。おいらの詩も会友というコーナーに載っている。まあ、詩の出来栄えははともかく記念になるだろう。

夕方、ソロリソロリと酒を飲む。ソロリソロリと生きて行くしかない。早く春が来て欲しいと願う。それでも本県は雪が降らないだけでも助かる。山形の雪景色を思い出す。さようならです。
 
   1月5日(火)

滝の園で初めて犬の散歩をする。「噛みつきますからチカヨラナイで下さい」という張り紙をしている。そのため朝夕の散歩を拒んできた。なぜなら、5、6歳のころ犬にハラを噛みつかれた。母が看護婦だったとういこともあり手荒い手当を受けた。その傷痕は消えたがトラウマのように残った恐怖は消えない。それが理事長からの命令という。

一度慣れている人と一緒にと頼むがそれも駄目。どうなっているのやら。それを理由に解雇をしているのかとも勘ぐる。そうなったら、また土浦シルバーセンターのお世話になるしかない。どうにでもなる。どうにかする。結局、Nさんが一緒にということで慣らしてくれる。30分ほど犬を連れて歩く。大丈夫のようだ。

久しぶりに長峰温泉に行く。大きな風呂はいいものだ。大鏡で自分の裸体をを見る。あきらかにくたびれたオジンが映っている。ああ、無常なり。
 
   1月4日(月)

土と遊ぶ。これが一番の気晴らしだ。何しろ土は喋ることをしない。おとなしく成せるままに応じてくれる。ただ、こちらの体力が続かないから休憩時間が長い。そうなるとプカプカが始まる。椅子に座り空を見上げると真っ青。あまりの静謐さにこちらの頭も真っ青。今日は仕事始め。三が日をつつがなく過ごしたご褒美のように体調もいい。ただ、出かける頃は真っ暗で寒いのが辛い。

先日、インドのパピアから電話が入る。新年おめでとうのメールがきていたが返信をしなかった。それで心配して電話をしたという。ありがたいことだ。そこで思い出したように詩人クラブのたにぐちさんに電話。新人賞の選考委員をやっており山ほどの詩集を読まなくてはならい。滅茶苦茶に忙しくてパピアには連絡を入れていなとのこと。もう少し待って欲しいという。今年は翻訳の仕事がしたいと張り切っている。こういう元気な人もいる。
 
   1月3日(日)

朝から気分がすぐれない。そして寒い。部屋の窓は凍りついて開かない。冷え込みが厳しいのだろう。寒さとコロナ鬱が重なり心まで凍りついてしまったのかー。ああ、どうして一日を過ごそうか悩んでしまう。

そこで気分転換に歩くことにする。わが家の小松界隈は左に曲がっても右に曲がっても必ず坂道を上ったり下ったりしなくてはならない。「年寄りの健康坂」と冗談を交わしていたがそのような冗談も最近は出なくなった。それだけ体力が衰え坂道がきつくなってきたのだ。

それでも防寒対策として毛糸の帽子を被り手袋をして歩く。今年の三が日は好天に恵まれ青空がいっぱい。心も青くさっぱりと澄み渡ればいいのだがと思いながら歩く。どこを歩いてもひっそりとしている。世の中全体が閉塞感で覆うわれているようだ。そんなことをブツブツ呟きながらひたすらヨッコラショヨッコラショと歩くのでした。
 
   1月2日(土)

さあ、今日のことを書こう。朝5時に目覚め起きる。東の霞ヶ浦方面を見るがまだまだ真っ暗。わが家からは7時近くにならないとハッピーハッピーとお日さまは顔を出さない。何しろ太陽もお年を召して化粧時間が長くなったようだ。

ここからフンバル。エンジン全開。詩人会議からの初めての依頼原稿のまとめに全力集中。ようやくメールで送稿。なんとなく肩の荷がおりる。次は新人賞応募の詩。これは昨年の暮れころから書いている。何度も直した。ここは覚悟を決め美しい切手を貼り郵便で送る。メールでもいいのだが古い人間には郵便が楽しい。片道20分の40分弱のポストは年寄りの運動不足にはもってこいの距離。無事に投函する。

今月は詩を4編投稿することになる。昨年の新人賞は400人ほどの応募の中で予選通過を経て60番目ぐらいだった。今年は10番以内を目指している。ただ、これだけは選者の針の一刺しのようなもので分からない。だから面白いといえば面白いのだがー。
 
少しは  1月1日(金)

今日から2021年がスタート。簡単にいえばカレンダーが新しくなり、2020年のカレンダーは用済みとなったということだ。わが家から新年の空を見あげるとどこまでも真っ青で雲一つ浮かんでいない。恐ろしいような青一色に驚きとともに何か不吉な恐怖さえ覚える。

コロナ鬱の症状の兆しがある。これはいけないと気分転換に水郷公園に行く。公園の芝生広場では若いパパとママとその子どもたちが凧上げをやっている。凧はマスクをしていない。凧を操っている人はマスクをしている。人間は上で見上げている時は口をあんぐり開ける習性があるそうだがマスクをしているので口あんぐりは分からない。

少しは正月気分に浸ってみようということで、かあちゃんそれらしい盛り付けの料理を作る。これで今年の正月を締めとする。人生には締め切りがあるからいいのだと或る詩人が言っていた。そうです、何でも始まりがあれば終わりがあるのです。今年もブログを休まず更新しようと誓う。これが怪しいのだ。
 

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