怠惰な散歩  2022年12

   12月28日(水)

寒いけど踏ん張ってマンションの清掃に行く。寒さは体を硬直させるから肉体労働にはきつい。老人となればなおさらだ。そうなんだよ、今日も生きているんだよ。しかし、26日の朝、根本ぶどう園の仕掛け網にかかったアライグマを見に行ったら死んでいたよ。

瞼が腫れているので眼科に行ったら軽いものもらいの炎症という。翌日、頭にブツブツができているので皮膚科に行ったら「帯状疱疹」と診断される。ああ、体がガタガタだ。

それでも令和5年はやってくる。75歳になるのだ。何もかにもが限界のような気がする。それでも年末を控えたせいか各地から詩集や詩誌が贈られてくる。そして、カンパの願いと振込用紙。ああ、詩を発表することはお金がかかることだと知る。無念なり。

■詩人会議2023年2月号  「ぼんやりの時間」
 
   12月25日(日)

「継続は力なり」とはよく言ったものだ。このくだらないブログを毎日更新するのにもそれなりのエネルギーが要求される。体調の悪い日はパソコンを開くのも億劫。ましてや写真となると益々億劫になる。足腰が弱くなり行動範囲が狭くなっただけではないようだ。気力が萎えたのだ。それに寒さもある。

根本ぶどう園にまたアライグマが檻にかかる。今年で10頭目だ。疲れた。つくば市役所の引き取りは火曜日の27日。なんとか生きていてもらいたいと水とパンを与えて退散。

長野から雪だよりの写真が届く。とにかく雪は戦いだ。春になれば溶けるのにそれまでは格闘だ。もう、おいらの体力では立ち向かう元気がない。山猫よガンバレ。女は強いのだ。
 
   12月23日(金)

昨日は雪が降りそうな重たい空から小雨がぱらつく。精神衛生上最悪のお天気なり。何もする気になれず何をすることもないから終日ぼーっと過ごす。

今日は一転して抜けるような青空。ただし北風が強く体を吹き飛ばししばりつけような寒さ。右目のまぶた周辺が腫れている。むくんでいるので醜い老人の顔がお化けのようになっている。自分でも鏡を見るのも憚れる。どうも様子が変だということで荒川沖時代から世話になっている大沢眼科へ。

3年ぶりの受診だそうだ。そこで様々な検査をする。高齢だからこれからは4カ月に1度は受診するように。右目の腫れは「ものもらい」だそうだ。原因は疲労や寝不足、ストレスなどから体の抵抗力が著しく弱まっている時に起こりやすい。寝不足やストレスとは無縁な生活を送っているつもりだが分からないものだ。
 
   12月20日(火)

さあ、いざ出陣、東京だ。それも創刊60年を迎えるという詩人会議の事務局員の雑用だ。封筒に様々な案内のチラシを入れる。全国区だから500通はある。さて、案内をもらった人はどれほどの人がしっかり読むのかー。それは問わない。黙々と作業をする。終わる。さすがに普通は感じない痛みを体のあちこちから聞こえる。

みともさんは遠いからからと3時ごろ解放される。スタッフ7人のうち男は二人。完璧なる女性パワー強烈。ことば一つひとつかに支配力が伝わる。ああ、こわいこわいなり。

来年の目標をいろいろ考える、先ず、体力と気力。これは、山の手線の大塚駅を下る階段。エレベータもあっがひと踏ん張りと頑張る。これがきついのだー。無念なり。山の手線の車両の色が替わっている。驚きだ!!。
 
   12月19日(月)

朱里ちゃんの写真がたくさん送られてくる。でもマスクをしているので表情読めず。残念無念なり。朝のうちは風が冷たく仕事に行くのが嫌だったがこれを乗り越えなければと出かける。不思議なもので10分も体を動かすと機敏になっていく。まだまだ大丈夫のようだ。

明日は詩人会議の今年最後の事務局会議。前回の運営委員会はかみさんの体調不良ということで欠席した。今回は必ず出席しようと固い決意。ところが気分屋のおいらにはどんでん返しがある。さてどうなることやらー。

「開高健の文学世界」吉岡栄一をパラパラ読む。多くの作家や評論家は開高健は文章がうますぎるといっていると記されている。本当に彼の文章のうまさにはたまあげてしまう。取材に行ってもメモはあまり取らず瞬時に頭に刻む、そして乗り出せばあっという間に書き上げてしまうという。こういう人を相手にしないこと。クワバラクワバラなり。
 
   12月17日(土)

曇天の空を仰ぎ
悲しみをみる

なにが
悲しいかと
いったって
曇天の空に

覆い隠した
罪深き
おいらの
言葉の数々

曇天の
どこかで

嘆き
悲しんで
いるような
気がしてならない
 
   12月16日(金)

みとも何でも屋さんに新規の仕事が舞い込む。といっても頭をフル回転させるような高尚な仕事ではなくある個人宅の草むしり。これならおいらの得意とする分野。冬の弱い陽ざしを受けひたすら草をむしる。ウクライナのことを考える。水上勉のことを考える。12年目を迎える3・11の詩について考える。これがいいのだ!!。

草取りは後3日もやれば全部終わるような気がする。課題は体力とやる気だけ。これがなかなか難しい。今日は暖かくて風もなかったからスムーズに進んだがいつもこううまくいくとは限らない。神のみぞ知るのみ。

朱里ちゃんの弁当箱は美しく中味もおいしそう。おいも中学時代弁当持参だった。朝は忙しい。新聞配達を終えて帰宅するとカマドでごはんを炊く。そそくさとメシを食い弁当作り。おかずなど梅干しかタクアン。間に合わなけれな昼飯はカット。時代は豊かになったというのかー。
 
   12月15日(木)

今日はつちうらシルバーの編集委員会。ここ2回ほど遅刻をしていたので本日は時計とにらめっこして早めに出かける。開始前に到着したからといって何のご褒美もない。ただ、新年号ということで霞ヶ浦からの朝陽の写真を見せたら採用となったこと。素直に喜ぶ。

「父 水上勉」窪島誠一郎を読み始める。今日は元気がないから書けないがいつかどうでもいい思い出を書こう。

そういうことで今日を終える。とにかく寒くて嫌だ。熊のように冬眠ををして春を迎えたいよ。あかりちゃんの熱が下がったという連絡あり。それは良かった良かった。
 
   12月14日(水)

昨日は死んだ一日だった。今日も怪しいがブログを書く気になっただけでも少しは生き返ったようだ。寒さに体が凍えているせいか何をやるにも億劫になる。これはいけない。スロースローでもいいから目の前のぼんやり仕事を遂行するように心がけよう!!

四中公民館に本を返しに行く。図書館にはひとっこ一人いない。寂しい。やはり図書館には人と本がお見合いしているのがふさわしいような気がする。

今度は土浦市立図書館に本を借りに行く。冷たい北風がフラフラ体をいじめる。すっかり足腰が弱くなった。毎日少しは歩いたり仕事をして現状維持をと努めているが冬の寒さはなかなか辛いものがある。ともかく、明日も生きる予定。縁あるみなさまにはよろしくお願いします。
 
   12月12日(月)

ラジオニュースで、「今年初めての雪かきをした」という便りが紹介されていた。山形に住んでいた頃は毎冬雪かきをした、というよりやらされた。東京、茨城と流れ着いて雪かきから解放された。

もっと遠くから
もっと遠くから

近未来を語れる
暖かい炬燵があればいい

ぐるぐるまわしの幸せ
四本の足でからませ
遊ぶのさ

もっと近くから
もっと近くから
 
   2月11日(日)

娘の増田れい子が書いた「母 住井すゑ」を読了。「橋のない川」の著者として有名でわが家からそう遠くない牛久市で住んでいたが、おいらは同書を読んだことも会ったこともない。土浦で開かれた「90歳宣言」の講演会を一度見たことがある。元気はつらつばあさんという印象を受けた。

牛久沼の暮らしぶりが描かれており聞きなれた地名がたくさん出てきて楽しかった。それにしても牛久沼の自然の豊かさは今では信じられない。

夕方、M・Aさんから頂いたつくば古典音楽合唱団の定期演奏会に出かける。久しぶりのつくばノバホール、そして音楽鑑賞。バッハのバロックは好きだけど2時間も延々と聴かされるとさすがに疲れる。
 
   12月10日(土)

知り合いの長老がどんどん亡くなっている。薬剤師で研究員だったK・Oさん94歳。近所で深いおつきあいをしているk・Oさんも94歳。かあちゃんの父は98歳で母は99歳で黄泉の国に旅立った。長寿社会を喜ぶべきかー。わからない。9日夕方に角送りをする。

本日は大久保邦夫先生の告別式に参列。大久保先生はかあちゃんの中学校時代のあこがれの体育の先生。おいらは親しくする時間は短かったがかあちゃんは角送りだけでは済まされない。棺に白い菊を入れ最後の別れをする。

そういうわけで、本日は空が真っ青だというのに一日中気分が重かった。そこで帰るなり酒を飲みはじめる。最悪だ。体がボロボロになっているのが分かる。ここ数日、自分でも精神状態が狂っているような気がしてならない。いや、いろんな不愉快なことが重なって本当に狂っているようだ!!。無念なり!!。
 
   12月8日(木)

土浦シルバー人材センターから11月の出勤簿を送るようにとメールあり。早速PDFファイルで送る。1カ月働いて数万円の収入。それでもわが家にとって大きな金額。ああ、どんぶり勘定の生活設計のしわ寄せがどっときている。詩人会議の台所事情と大差なし。

朝から体調が悪い。空は真っ青だというのにおいらの精神状態は真っ暗闇。酒も煙草もやめてしまえばいいと思うがこれが出来ない。どちらも完璧な依存症の病人。治療法を考える。檻にぶちこまれればいいのだ。あそこは禁酒禁煙。

昔、新宿の歌舞伎町で深夜の大立ち回りをやり留置場にひと晩お世話になったことがある。野次馬がすごかった。元気だった。留置場では酒も煙草も吸えなかった。そうしようかー。もうそんな元気も度胸もない。残念無念なり。
 
   12月6日(火)

貧乏所帯の詩人会議の事務局会議で東京へ。世の中、すべて金がつきまとう。ああ、悲しき現実なり。創立60周年のアンソロジーを作るというがどれほどの参加者がいるかー。

東京は疲れる。なぜかと考える。人が多い、ピチピチギャルのおっぱいやおしりを見られのは楽しいがやはり疲れる。詩人会議の会議はつつがなく終わる。結論は逼迫した財源をどうするか。

ー手書きの場合はいったん情報を処理する必要があり、内容を吸収しやすくなるのだー「スマホ能」アンデシシュ・ハンセン著より。やはり文字を打つ場合は思考が一旦停止する。詩を書いているときに痛感する。そういうことで同感なり!!
 
  12月3日(土)

神林留学生奨学会の年末交流会に行く。三年ぶりの開催で会場は神保町の学士会館。いつもの上野の精養軒でないのは残念。土浦からだと3回乗り換えなければならない。

本日はヴィオリン演奏会あり。とても美人でかわいい。そこでパチリ‼️。演奏者は中国の陳金さんで東京音楽大学博士課程在席。久しぶりにヴィオリンの音色を生で聴く。やはり迫力が違う。

理事長も84歳になるそうだ。役員たちはみんなオジサンだ。世代交代の波がヒシヒシ押し寄せてきている。おいらも近いうちにクビになるだろう。それにしても若さはうらやましい。そしてきれいな女性は得だ。みんな記念写真を陳金さんと一緒に撮ってと集まる。白髪のオジサンはパチリパチリだけ。かわいそうな年寄り。 
 
   12月2日(金)

常陽新聞時代の同僚だったM女史と数年ぶりに会う。彼女はコーラスをやっている。つくば市のノバホールでコンサートを開くのでとチケットを頂く。彼女は文化活動をいろいろやっている。ピアノ、子供たちへの読み聞かせなどフットワークよく活躍している。驚いたのはおいらと同じ年なのに何の薬も服用していないという。

同僚たちの思い出話に花を咲かせる。彼女の情報によるとみんな年をとって動きが鈍くなったようだ。おいらもその一人。すっかりフットワークが悪くなった。それでも彼女と別れてから根本ぶどう園の清掃に行く。アライグマがいるではなないか。驚いて見ているとそそくさと立ち去る。ワナを仕掛けて帰る。夜行性の動物じゃないのか?。

その帰り、もう一つの踏ん張りと水郷公園を一周。一周1,5キロ。おいらは歩くのが遅いからどんどん追い抜かれる。みんなと同じ速度で歩いているつもりでも抜かれた人がどんどん遠くなる。まるでおいらの人生を物語っているようだ。無念なり。
 
  12月1日(木)

12月の幕開けは空がどんより曇り肌寒く気持ちを暗くする一日となった。こういう日は静かに本でも読んでいよう、ということで「涼しい脳味噌」養老孟司を読み始める。どうも以前読んだような気がしていたがやはりそうだった。どんどん忘れる。忘却とは美調にあり。

よれよれオジンの読書法は乱読。なんでもかんでも読むが横文字は駄目。理由は簡単で外国語は一切読めないからだ。ただしSEXなどエロ英語は少しは分かる。スケベ爺の本領発揮かー。

□インドの詩人二ランジョンはフェスブックをやっており盛んに更新してりう。詩も送られてくる。

彼は詩人のように見えた、
詩のように見えた
風のように、草がゆれれば
草の花は目覚めるでしょう!
光が消えたとき、
まだ影がある

元気そうでなにより。愛犬のクロと遊びお茶を楽しんでいるようだ。
 
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