怠惰な散歩  2022年1

   1月31日(月)

広い空と湖を見たくなったので霞ヶ浦湖岸に出かける。やたら風が強い。少しでも歩こうと車の外に出るなり体が吹き飛ばされそう風の勢い。風の抵抗を少しでも和らげようと前かがみになって歩く。雪国での登校を思い出す。吹雪で前が見えなくなる。年長の子どもが5、6人の年少の子どもを囲みながら吹雪がおさまるのを待つ。子どもは子どもなりの知恵があった。

片道1時間ほどかかった。6年間もよく通えたものだ。これが普通の暮らしだろうと思っていた。自然との戦いで心身は鍛えられたというより、そうしないと生き残れないと子どもは子どもなりに知っていたのだろう。

それから60余年過ぎ、霞ヶ浦の寒風は骨身に堪えるとブツブツ言いながら歩く。いつも凪いでいる霞ヶ浦は逆波をたて防波堤に打ち寄せる。なかなか見られない風景だ。そこでパチリパチリ。痩せ細った骨がパリパリと悲鳴をあげている。ほどほどにしてクルマに逃げる。
 
   1月30日(日)

探す、探す、「探し物はなんですか?」「等身大の予科練」常陽新聞社刊。この本はおいらも取材チームに入っていた。おいらの部屋の本棚にあったはずだ。朝から探す。ない、ないのないないのばあーだ。あきらめて図書館へ。ところが館外貸出禁とある。ああ、無情なり!!。ところが夕方、偶然にも見つかった。バンザイだ!!

ー自然物の岩石草木、動植鉱の物々のそれぞれの中に霊魂が宿っていて、時にわれわれに接近しようとする。そうした接触した機会にいろいろな災いをわれわれがうけることになる。ー「神社とはなにか」新谷尚紀。

山猫からコンポストのでんぐり返しの写真が送られてくる。畑と土と混ぜ合わせ堆肥づくりをしている。グリーンのコンポスト、黒い土と白い雪。茨城でもやっている人はいるだろうが白い雪はない。昔、祖母が白い畑に人糞をまいていた。黄色に染まった雪面がキラキラ輝いて美しかった。 そんなことを思い出しす。
 
   1月29日(土)

昨日の当直は辛かった。深夜に入居者が亡くなったのだ。医務室のカギを開けたり玄関の開けたり門扉を開けたり。深夜だというのに連絡を受けた遺族が来るという。今か今かと待つがなかなか来ない。遠方なのだろうかー。深夜で寝ているところへの突然の電話。慌てているのだろう。朝早く嘱託医師がやってきて死亡確認が終わるまでは辛抱、辛抱と寒さで縮んだオチンチンを励ましながら震えているのでした。

詩人会議の運営委員について考える。昨日は金銭の話はなかった。追って書類を送るで終わった。ボランティアを覚悟しているがー。財政は厳しいと聞いている。おいらも家の台所も厳しい。それを察知してゴキブリも姿を見せない。寒さだけではない。エサがないのだ。かわいそうなゴキちゃん。
 
   1月28日(金)

「もしもしアキムラです」詩人会議編集長から突然の電話。「常任運営委員を引き受けてくれないかー」「先般、運営委員を引き受けると返事を出しましたがー」「いや、常任運営委員だ」「まだ入って3年ですから」「長い短いは関係ない。事務所までどれぐらいかかるか?。イハマさんに聞いたらそんなに遠くはないと話していたが?」「1時間半ぐらいですかね」。

常任委員会の役割とはを説明する。それによれば月1度は東京の事務所で同会をどう運営していくかという会議に出席するとのこと。どうも、全国で約500人という会員の高齢化が進み常任運営委員が不足しているようだ。なにしろ編集長にしても80歳を超しているのだから。

「できることは手伝います」と引き受けることにする。同委員会は委員長を含め14人で構成されている。事務所が東京だから東京近郊が多く千葉、埼玉、神奈川の会員で占められている。その中に利根川を越えて茨城が入る。金がない金がないと悲鳴をあげている舞台裏を覗き見できるのは楽しそうだが、どうなることやらー。
 
   1月25日(木)
 
本棚にならんだ背表紙を見ていたら「無念の戦後史」西部邁著がぼんやり目に入った。北原ミレイの石狩挽歌を聴きたくなった。作詞はなかにしれい。この歌は好きだ。なんとなく感傷的になったときにCDをかける。西部もなかにしも北海道出身。共通項はそれだけではないと思う。ただ、どちらも何となく深く暗く重いものを背負い一生を終えたような気がする。

そこでおいらは考える。おいらが背負とっている重いものはーと。そこで無料でポストで配達されてくる「PLAZA2月号」を見る。「ラーメン特集」に目がゆく。日本人はラーメンと日本蕎麦は好きだから店を開いても潰れないと聞いことがある。今は百花繚乱。選別不能なり。とにかく食べてみることだ。

おいが背負っている重いものとは色々なラーメンを食べること。なんとも軽い話だ。
 
   1月24日(水)

朝から「バーカ、バーカ」というありがたきメールをちょうだいする。「バーカ、アホ、オマエノカアチャンデベソ」といわれようが生き残らなければならない。バーカ万歳だ!!。

お天気が良かったら小鳥の餌台を直そうと思っていたが、あいにくの天気で中止。今日は駄目かとため息ついていたらが気まぐれ天気は午後から回復。そういうことで作業開始。出来上がった餌台の支柱は「八の字」。よく見ると鳥居に見える。

そこで考える。鳥居の餌台にしよう。春先になったら青々とした竹をもらい、完璧な設計のもとに小鳥の餌台。かあちゃんに構想を伝える。口をあんぐり。絶望的な顔。これもしかり事実なり。みなさま、健康には留意されたし!!。
 
   1月23日(火)

昼食のラーメンを食べ残したので、これはもったいないと小鳥の餌台に。そこで観察。スズメがやってきたが食べない。次にやってきたヒヨドリはあたりをキョキョロ見まわしながら食べている。スズメの好みに合わないのかヒヨドリが食いしん坊なのかー。聞いてみようと窓を開けたら挨拶ももなくさあーっと飛び去った。

詩人会議にメールで詩1編を投稿。結果は小鳥たちのように飛び去ってしまうのかー。神のみ知ることになる。そもそも神さまは存在するのかー。神さまに聞いてみようと探したが見当たらない。トイレットペーパーが目の前に浮かんできた。

今晩は仕事。天気予報では明日の朝方に雪が降るかもしれないと。雪はかんべんしてほしい。おいらの小型ベンツはスノータイヤもはいてなければ馬力は年寄りドライバーと同じで力不足。降らないことを神に祈るばかりだ。
 
   1月24日(月)

「親は不幸を作るために、子は不幸を背負うために、この世に生まれてきたみたいではないか」「NHKスペシャル ルポ中高年ひきこもりー親亡き後の現実ー」(宝島社)。「自分は、社会に必要ない‥」。これは、老人全員にあてはまることかー。無念なり。

蝋梅が咲き出した。花壇に植えたチューリップも芽を出した。ああ、どどんどん春に向かっているようだ。これから日ごとに暖かくなると思うとうれしくなる。とんでもない冬真っ盛りだ、という方々にはご勘弁を。

■森の精霊たちの名前■森の王/森の王の妻/森の王の娘/雪女/ヤマナラシ姫/ヤマナラシ姫/牝松姫/エゾノウツミザクラ姫/リスの母/森族/森のじいさん/森の乙女/森の女主人/森の悪女/森の召使い/森の妖怪/森の母/森の人/森の守り主。
 
   1月22日(土)

ここ最近は長い文章を書いたことがない。ブログはせいぜい400字前後、詩となると400字詰め原稿用紙で2枚から3枚。昔、何かの本で短い文章ばかり書いていると長いのが書けなくなる。そんことが頭をよぎる。

「大生ものがたり」の航空隊の部分をまとめているがこれがなかなか進まない。ようやく10枚ほど書いた、といっても引用文が多いからもっと少ない。昔から長いのを苦手としているのは確かだが馬力がなくなったのも確かだ。エンストしそう。

今晩は連ちゃんの仕事ということもあり何処へも出かける気にならない。それならばと歩くことにする。歩いていて気づくのは人とすれ違うことも見かけることも少ないこと。みんなで巣籠りしていれば世界は平和で日本は安泰かー。空は晴れて青い色が眩しいぐらいだ。ぼーっ散歩にはもってこい。どこかのバーカ犬の遠吠えが聞こえる。バーカ、永遠に吠えてろ!!
 
   1月21日(金)

フィランドには死者のイニシャルと生没年を、松の木に刻むー「カルッシッコ」という独特な風習がある。「木碑」というものだろうかー。それも生木に刻むのだ。もし木が伐採されたらどうなるのだろう。なかなか意味深である。そこで「精霊」について考える。

「精霊」があるなら「悪霊」があってもおかしくない。その方がバランスがいい。「せい」と「あく」という言葉からイメージするなら断然「せい」の方が響きがいい。では、中庸はないのか。その時の状況に応じてどっちにでもで転ぶという嫌らしい性格。「精」と「悪」の間の言葉?。「中霊」。「ああ、バーカは永遠なりだ!」わが家の庭に眠る金魚ちゃんの声。

よくよく考えてみれば、これはおいらのことを言っているのではないかー。ああ情けなや情けなやなり。それこそ「チコちゃんに叱られる」だ。そういうことで本日は店じまいです!!
 
   1月20日(木)

昨晩、面倒をみてもらったK・Sさんが死去したことを知る。頭が混乱する。フラッシュバックする。数々の思い出だ。剛腕でしたたかな事業家だった。「おまえはバカじゃないから、少しは金儲けに頭を働かせろ」「おれにはそういう才覚がないからどうぞ」。そんな会話したこともある。

イケイケドンドンで病院を経営をしたり特老施設をたくさん作ったり、軟式野球部を作って国体に出場したりと稼いだ金を惜しげもつぎ込んでいた。彼は親思いだった。彼は生まれ古郷を愛し信仰心が強かった。

山猫から「ハリール・ジブラーンの詩」(角川文庫)「フィランド・森と精霊と旅する」(プロダクション・エイジア)が送られてくる。「森と精霊」のような写真を撮ってみたくなる。
 
   1月18日(火)

頌春2022 「太陽の光は わたしに 世界の命を扉をひらく/愛の光は わたしに 世界の宝をしめす」タゴール。懐かしいT・Kさんから年賀状が届く。追伸として「来月タゴール詩集を出版予定です」。

彼女は、といってもおいらより年上だが、約50年前にタゴールに魅了されてインドに渡りタゴールソングとダンスを学んだ。今から50年前のタゴール国際大学があるシャントニケトンを想像してみれば広大な森に囲まれたド田舎だったろう。まだ、山賊も出没したいうから、すごい度胸だ。やはり、女は強い。

「大生ものがたり」頑張る。少しは見えてきた。ある程度メドがついたら「物忌」の整理に入ろう。今日は筑波下ろしの冷たい風が吹いて寒い一日だった。寒いのはイヤダイヤダといいながら70数年も生きてきたのだから、これもいい度胸だ。
 
   月17日(月)

気が変わらないうちにいばぶん事務所に行き「北浦海軍航空隊」の整理をする。同航空隊のことはこれまで書かれたものがたくさんある。それらを読み焼き直しするだけのようだ。少しはオリジナルもと思ってもサビた頭では回転もしない。そこでどうするかー。うなるだけだー。「バーカ、あきらめろ!」金魚ちゃんのうなり。

うなるといえば、わが家の畑にフキノトウがうなるように芽を出した。試食してみようと無理やり掘り出して天ぷらにして食べた。やたらとニガイのだ。これから大きくなろうとしている時に食われるはめとなったフキノトウの反撃にあったようなものだった。

人間は身の丈にあったことしか出来ない動物のようだ。ほどほどに自分の限界を知りほどほどにやるのが精神衛生上もいいようだ。そういうことでうなるのをやめることにする、とスカッペが出た。どうなっているのだろうー。
 
   1月16日(日)

土浦図書館に行く。珍しいことに駐車場が満杯だ。そこで秘密の駐車場に停める。短時間なら大丈夫。街全体が沈んでいるから人出でも少なくクルマの往来もない。今日から「大生ものがたり」を始めようと資料を見ていたら行方不明なのが出てきた。長い間放っていたので自分でも分からなくなっている。

必要項目を図書館でコピーを取る。おまけに「長田弘全詩集」を借りる。手元に置いておきたいが高価で6000円もする。いつかは買える時があるかもしれない。何でもそうだ。欲しい物はいつかは手に入ると思っているうちに自らがオサラバということもある。これだけは分からない。

県対抗女子駅伝大会をテレビ観戦。この駅伝大会は中学生、高校生、社会人などが混じって走るので面白い。地元の京都が優勝。好きな選手の福士加代子はラストランとなる。39歳というから息の長い選手だった。今日までありがとう、感謝感謝だ!!。
 
   1月15日(土)

これといったこともなくぼんやりした平穏な一日だった。朝、山猫からメールが入る。時間は5時7分。早起きだ。まだ外は暗く星がきれいだという。長野の片田舎で暮らしているから空気が澄んでいるのだろう。きっと小松界隈よりはたくさんの星が見られるはずだ。

山形に住んでいたころ冬の夜空はそれこそ星が降るように輝いていた。それが普通だと思っていたが東京に住むようになってから星を見る習慣がなくなってしまった。キラキラ輝くネオン灯が美しい星になった。茨城で見る星は数少ないような気がする。

ー 森はいつも生き生きとして湿った匂いがしたが、洞のなかは遠い時間の乾いた匂いがした。そこにいると、とても親しい何者かにそのままじっと抱かれているような感覚を覚えた。ー長田弘詩集『詩の樹の下で』「洞のある木」より抜粋。
 
  1月14日(金)

ー すべての木は、誰かが遺していった手紙の木なのだ。こういうふうに生きたという、一人の人間の記憶がそこに遺されている。物言わぬ手紙の木。ー長田弘詩集「手紙の木」より抜粋。

長田弘詩集「詩の樹の下で」を読む。2015年75歳で逝去したという。好きな詩が多い。気負っていないのがいい。このように気負わない言葉で訴えるというのは凡人には出来ない。そこで、おいらはおいらなりの詩を書いてゆこうと固い決意。「バーカ、おまえさんの力量ではそれさえも無理無理!」久しぶりにあの世に旅立った金魚ちゃんの声。

昨年のうちに決着をつけようとしていたものがようやく出来上がる。ひとり満足する。さあ、「大生ものがたり」に本格的に取りかかることを決意。「バーカ、勝手にホラを吹いていろ!」再び金魚ちゃんの声。ああ、懐かしい金魚ちゃんよ。あの世の暮らしはどうだい?。後でこっそり教えておくれ。 
 
   1月13日(木)

いばぶん事務所へ。I氏に会う。「どうしている?」「ボチボチやっている」。なるほどボチボチ生きていることかー。そういうことなら何でもかたずく。ボチボチ明日をを思い描いたり明後日を考えたり。これに共通するのは今日をボチボチ生きているからこそ可能なこと。ボチボチと死んでしまうのも共通語かー。

40数年ぶりに静岡の浜松に住む友人から電話あり。驚き、玉あげる、玉あ下駄だ。聞き覚えのある昔の声。突然の電話はお互いがあの世に近づきつつあることを察知しているせいかー。

彼も酔って弾みがついての電話らしい。おいらも酔っている。いろいろ昔の思い出を話したが今日になったらすっかり忘れている。きっと彼もそうなのだろう。年寄りははそれでいいのだとh思う。
 
   1月12日(水)

ようやく買い求めた1冊をかたずける。「日本のメディアは世界の真実を報道しないー」谷本真由美を読了。筆者は元国連事務員で世界各国で暮らし日々の生活から感じたこと報告。ともかくコロナ禍の真っ只中は正しい情報を素早くキャッチして対応して欲しいと訴えている。

その他、興味をひきそうな海外の事例を紹介している。しかしだ、おいらのような年寄りにはどうでもいいことばかり。ようするに棺桶が迫っている状況下で生きていれば、どうぞ好きにやって下さい。老婆心としてともかく頑張ってください。

そもそも「真実」などというのは何処にあるのかー。台所の片隅で甕の中で発酵している味噌が「真実」の重みを証明しているかも知れない。甕のまわりをウロウロしているゴキブリかもしれない。そうだよ、真実を知らぬまま逝くのが人生だよ!
 
   1月11日(火)

「神々は恐るるに足りない。
 死は恐るるに足りない。
 幸福は手に入れることができる。
 苦痛は耐えることができる」
その昔、カッパドキアの賢者は言った、
それがこの世の四つの真実だと。
(長田弘詩集『死者の贈り物』「あらゆるものを忘れてゆく」より勝手に抜粋)

「神々しい」とは「こうごうしい」と読むそうだ。初めて知る。調べると①神聖であって、けだかい②尊くおごそかである。けだかく厳粛である②あやしくいかめしい。
漢字を探すと①交合②咬合③皇后などなど。どうもどうもだ。

朝から雨だった。静かにしていろということだと勝手に解釈して一日パソコンに向かい何やらをやっていた。目が疲れる肩が凝る。
 
   1月10日(月)

昨日、イオンの未来堂でたくさん本を買った。目の前にたくさんの本が積まれている。こんなに読めるのだろうか。昨日、欲しかったのは「人間晩年図巻」(岩波書店)。ところが未来堂には在庫がない。図書カードでアマゾンからの購入はできない。そこで、ウロウロチョロチョロしながら5000円を消化しなければと買い求めた。その中には、失敗したかというのもある。だんだん気が重くなる。

大きな書店でも岩波書店の書籍を置いているのは少ない。新書版か文庫だけだ。どちらかというと専門的な学術書が多いからだろう。だが、公共施設での購入は多いと思う。

さて、今日をどうして過ごしたかといえば本の山をぼーっと見て終わった。そして歩いた。ひたすらぼーっとしながら歩く。歩いても歩いても人と出会うことはまれ。みんなで巣籠りすれば恐くないということなのかー。
 

 
 1月9日(日)

ぼーっとしないうちと詩人会議投稿の詩を何度も推敲する。まだ外は薄暗い早朝のこともありあたりは水を打ったように静まり返っている。なんとかまとめてトコトコ歩いて郵便ポストに「えぃやぁー」と気合を入れてポトリ。バーカじゃないかしら。

「詩の樹の下で」長田弘詩集を読む。ー復興の復の字は、『字統』によれば、死者の霊をよびかえすという意味があり、興の字にも、地霊を興すという意味がある。ー
知らなかった。日本語は意味深だらけ。

山猫からプレゼントされた図書券をしっかり持ち土浦イオンへ。駐車場が混んでいる。珍しいことだ。三連休で豪華に買い物かー。コロナもこれには負けるのじゃないか。わが家の貯金は増えることはないが感染者はどんどん増えている。一瞬たじろぐが知ったこっちゃない。こういう人が増えているのだろう。
 
   1月8日(土)

早朝、山猫は贈ってくれた谷川俊太郎詩集「女に」を再度読む。詩集は文字が少ないだけに短時間で読み切ることができるからいい。ところが、そこに落とし穴がある。一つひとつの持つ言葉の重みや行間に込められたメッセージ。これは読み手の読解力を要求される。

そんなことを考えながら朝を歩く。「あなたを主題としたこんな詩を書いてみたい」と山猫に言った。さてはと考える。日本で一番、名の知られた詩人とは太刀打ちできるわけがない。そこで歩く歩く歩く。

思い出したように考える。全体構想はタイトルはとかー。ぼんやり歩いていて着いたの小松一丁目の公園。ベンチに座り再び考える。「人間は考える葦」と言った哲学者もいたようだが、「人間は死ぬまでただ歩くだけ」。そんな言葉がくたびれた口もとから漏れる。冬は寒い。かあちゃんは寒い方が好きだというけどおいらは嫌いだ。そういうことで本日は終わり。お休みなさい。
 
   1月7日(金)

昨日は雪やこんこんだったが今朝は青空がいっぱい広がっている。おいらのミニベンツは雪を被ってポカンと駐車場で佇んでいる。エンジンを温めておこうとドアを引っ張るが凍って開かないのだ。慌ててお湯をくんでかける。そしたら開いた。山猫の苦労を少しは分かる。

雪の坂道を宅急便のお兄ちゃんが大きな荷物を抱え上がってくる。山猫からのプレゼント。メールで予告を受けていたが想定してより大きくびっくり。かあちゃん大喜びでおいらもニンマリ。貰えるものなら何でも貰おうというビンボー精神をいかんなく発揮。

図書館に行く。やけに駐車場が混んでいる。平日でこんなにあるというのはどういうことだろう。館内に入ると利用者は数えるほどしかいない。何か会議でもやっているので関係者の車が多いということを知る。図書館には本がたくさんある。きっと誰の手に触れてもらうこともなく処分される本もあるだろう。かわいそう。
 
   1月6日(木)

朝、滝の園から電話。滝の園からの電話はドキリとする。いつもハッピーな電話ではないからだ。「Hさんが体調が悪いから交替して欲しいと連絡が入ったので今晩宿直をやってもらえないか?」「はい、分かりました」。今日の天気予報は午後から雪。当番でなくて良かったと安心していたらこういうことになる。おいらもそういう時もあるかも知れない。お互い様だ。互助精神が大切ということで引き受けた。

天気予報は大当たり。午後から雪が降り出す。わが家の駐車場から坂道をバックで下らなければならない。午後2時頃には坂道が白くなってきた。これはヤバイ。そこで早めに出てイオンで時間をつぶしてから行くことにする。そこからは滝の園も近くクルマの往来も多いから安心、ということでイオンぼーっ。我がぼーっ人生は時と場所を選ばず。

夜、山猫より電話あり。声は弾んでいるが心の裡までは分からない。ひとは誰でも悩みや不安を抱えている。それをどうやってクリアするかー。雪の止んだ夜空を見上げると星がキラリ。なんとなくしんみりする。ぼーっじやないよ、しんみりだよ。
 
   1月5日(水)

さあ、今日のことを書こう。朝の滝の園はバタバタ。入居者がひとり亡くなった。「息をしていない」と介護士。それから慌ただしくなる。それも1時間ぐらいだ。滝の園近くで開業している掛かりつけの先生がやってきて書類にペンを走らす。あとはいつもの朝の時間を取り戻す。みんなは慣れている。冬場は多いようだ。

自宅に戻り「朝鮮と日本に生きる」金時鐘(岩波新書)を読みながら30分ほどウトウト。これが最高だ。不眠症に悩む老人の相談ををNHKラジオでやっていたが、おいらにはまったくの無縁の世界。いつどこでもすぐに熟睡。簡単にいえばノー天気なのだ。

さあ、詩人会議に投稿する詩をと踏ん張る。これもノー天気で頭が回転せず。衰えた頭脳を叩いても冬枯れなのだ。そこで花壇の柵造りに励む。こういう単純な作業は精神衛生上いい。体調はいい。これまで良く頑張ってくれた。感謝、感謝!。
 
 
二ランジョンの幼友だちパピア(インド)
1月4日(火)

昨日は4人もわが家にやってきた。新聞記者時代の後輩とはたくさんの懐かしい思い出などを夢中で語りあった。この夫婦は社内結婚でどちらも記者だった。ダンナの方は読売新聞に引き抜かれ北海道勤務。すでに結婚をしていたので二人とも茨城を離れた。「給料は倍になったけど仕事量も倍になった」と便りがあったのを思い出す。

歳を取ると未来のことを語るのはあまりない。どうしてもあの時どうだったああだったという話題ばかり。血気盛ん元気印の真っ只中。ああ、あの時間は戻らないのだ。悲しい。

昨日、はしゃぎ過ぎたせいか体が重い。重さはぼーの倍返し。ぼーっとしているうちに夕方になりご出勤となる。大晦日から飛び飛びで3日の宿直はやはりからだにきつい。それでもおいらはフンドシを締め直して行くのだ。
 
■朱里の白い窓
  1月3日(月)

28年ぶりに常陽新聞社時代の仲間が来訪するという突然のメール。驚く、金の二つの玉あげる。ふたり登場。頭の毛も顔も皺多く悲しきなれどだけど面影を残す。ふたりとも元気だ、うれしい。話し弾む。数々の思い出が蘇る。ああ、、これぞ生きていることなりかー。

仕事帰りの朝、自宅に戻るなり金魚鉢を見る。まだ、二匹は生きている。「なぁ、おまえ戦え!」と声をかける。空は真っ青だ。これこそ生の進行形なり。

夜,、かみさんの妹と姪っ子が来る。ペチャクチャお喋り。おいらはそそくさと自分の部屋へ。居間でのペチャクチャは長い。女は喋るのが気晴らしになるようだ。どんどん喋れ!!
 
 photot:山猫(長野)  1月2日(日)

寒さに凍え震えていた一日だった。暖房器具は石油ストーブひとつだけ。いつもそれで十分に暖かかったが今日はことさら寒く感じる。外の金魚鉢を見たら金魚ちゃんが3匹死んでいる。水槽には氷が張っている。寒さのせいだろうかー。2匹は生きている。これはタフなのか生きるという生命力が強いのか。しばらく様子を見よう。

寒さといえば長野に住む山猫の家では水道管が凍って朝から大騒動だそうだ。今年は例年になく寒さが厳しく積雪も多いという。そういう話を聞くと山形時代を思い出す。わが家には水道が引かれていなかった。置き水に凍りが張っているは毎朝のことだった。これが普通の生活だと思っていたから苦にはならなかった。<br>

終日、ぼんやりと寒さに怯えるように本を読んで過ごす。今日は仕事日。滝の園に行った方が暖かいようだ。
 photot:山猫(長野)
  1月1日(土)

滝の園巡回の朝5時。それを終えてから2022年の初日の出を見ようと駐車場で待機。からっ風が吹いて寒い。全身がかたまっている。つくずく人間は弱い動物だと思う。

ー 今、六十歳、七十歳と一口に言ってしまいましたが、六十代と七十代というものは全然違うものだということが、自分が実際に七十歳になってはじめて分かりました。何がそんなに違うのかというと、肉体的には大した変化はありません。変ったのは心理です。自分の死が見えてきたなという思いが急に出てきたのです。ー「立花隆の最終講義」立花隆(文春新書)
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