怠惰な散歩  2021年2

   2月28日(日)

「琵琶湖毎日マラソン」をテレビ観戦。ニューヒーローが誕生した。鈴木健吾選手が2時間4分56秒という日本新記録を達成。久々に明るいニュース。鈴木選手は優勝インタビューで「自分でも信じられない」。きっと神さまが背中を押してくれたのだ。甥っ子は「ただ走っているだけじゃないか。何がそんなに面白い」というが、この歩く走るという単調な運動がどれほど大切かを彼は知らない。彼はまだまだ若い、といっても40歳を超しているがー。

美しいものに憧れる。そして美しいものを見て死にたい。そこで花の美しさを写真でみとも流に表現できないものか。決して豪華絢爛な花たちではない。野辺に健気に咲いている楚々として可憐でたくましい花たちだ。

野辺の花は踏まれても踏まれても花を咲かせることに力の限りを尽くす。すなわち生きることに懸命だ。それが好きだ。野辺の花はどれも小さい。うっかりすると花が咲いていることに気づかずに通り過ぎる。そこで足腰を踏ん張るのではなく目ん玉を踏ん張って歩くようにしている。さて、これをおいらはおいらなりに消化できるかー。ともかく挑戦してみよう。
 
   2月27日(土)

「見よ、旅人よ」長田弘(朝日選書)を開く。この詩人の詩はたくさん読んだがこのようなエッセーは初めて。「マサマサ」「イッパツヤルカ」シンガポールを旅している時に耳にした現地人の言葉。マサマサ「マッサージ」でポン引きの呼びかけ。マッサージを終えると「一発やるか」とマッサージ女ははっきりした日本語で誘う。商売というのは複雑な糸で結ばれからまっている。長田は日本の統治化にあった過去を静かに綴る。

金子光晴が「マレー蘭印(らんいん)紀行」を著したのは1940年。植民地時代を何年もくぐり国籍不明の自分は何人かわからない。ともかく人間だと訴える若者。「見よ、旅人よ」は1986年に発行された本だから現在は様変わりしているのだろうかー。

新聞社時代の上司サカモト社長と会う。現在は大学の非常勤講師とネット配信「ニュースつくば」の代表を務めている。現場を歩いているから話題は豊富。さらに元気そうで意気軒高。健康を維持するには多くの好奇心と動き回ることが大切だと諭してくれているようだった。
 
  2月26日(金)

久しぶりに禁煙公共施設の土浦図書館に行く。実に静かなもので館内は入館者より職員や清掃員の方が多いのでは思われるほどだ。無料駐車券の手続きはこれまでは入館と退館の二度だったが、入館時の一度だけ打刻となった。無料はこれまで通り二時間。これがもっと長くなれば誠に助かるのだがー。

「地球家族」ー世界30か国のふつうの暮らしーの写真集を見る。自宅にある持ち物をズラリと庭にならべ家族全員に集合してもらい撮った写真。インドのアーラウル村のヤテブさん一家は6人家族で持ち物は必要最低限の数点の食器とソファーだけ。日本のウキタさんの一家は4人家族で自家用車、テレビ、ピアノなど数十点にのぼる。

あまりにも違い過ぎる。1992年撮影とあるから現在ではもっと増えているはずだ。ああ怖ろしや怖ろしや。おいらの2人家族はヤテブさん一家に似ている。どちらかというとおいらの山形時代に近い。なにしろヤテブさんの家には電気がないから電化製品は役ただずだ。おいらの村には信号機はなかっが電気はきていたぞ。
 
   2月25日(木)

筑波山をひとまりしてロケハン。結論、あんまり魅力がない山だなぁー」とひとりごとを言いながら帰る、風景が美しいのは自然の厳しい土地だろう。茨城は気候温暖で無風。とてもおとなしい、優しいといったらいいのかー。

そういうことで今年の写真テーマの切り替えを考える。さしあたって今のところ何もなし。無風状態だ。これは淋しいことだ。しかし、これから草花が咲きだせばまた気持ちが変わるかもしれないと慰める。

「悪魔のささやき」加賀乙彦著を読む。人間は弱いから悪魔にそっとささやかれ犯罪の道に進む。これは誰にでも起こりえる。「ついフラフラと」「気がついたら動いていた」「よく覚えていない」「魔が差してーー」。これが曲者でいつどこで起こるかわからない。自殺の場合もそういうことがあるそうだ。まあ、一寸先は闇だから瞬間大事人間として生きるべし。
 
   2月24日(水)

「太陽がいっぱい」という映画があった。アランドロン出演でラストシーンのどんでん返しは今でもしっかり覚えている。悪いことはできないものだ。「タイヨーには芋焼酎がいっぱい」ということで阿見町のタイヨーに行く。万引きではない。悪いことをすれば御用となり後始末が大変だ。

インドのオロクさんからメールがくる。地震は大丈夫か?と心配してくれる。そのメールは地震の翌日だった、そしたら本日も届いている。オルシカという女性が日本で勉強している。何の勉強かはわからない。まさか、「日本における完璧な万引きの方法」ではないだろうな?

今、千葉の柏に住んでいる。時々連絡を取り合って欲しい。できたら泊めてやっても欲しい。そんなことを言われてもわが家は3DKの小さな家。どこで寝てもらうかー。庭にテントでも張って泊まってもらうのがいいかもしれない。一度会っているが年齢は二十歳前後だと思う。世界から日本人はウサギ小屋に住んでいると揶揄されているのを実体験してもらうのもいい。オルシカに連絡をするように返信したが約束を守るという時間の概念が薄いインド人のこと、どうなることやら。
 
   2月23日(火)

米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」は面白い。プーチンにも指名されるロシア語の同時通訳者で本の批評家だそうだ。本大好き人間である。何よりいいのが自らの生活の匂いを本の批評の間にさりげなく流しこんでいるところがすごく惹かれる。ああ、こんな暮しの中で読んでいるのか。

残念ながら癌を患い2006年に56歳で亡くなっている。癌との闘いは壮絶。あらゆる治療法に挑み医師との闘いもあったようだ。「あなたのようながん患者は診察をお断りします。これまでの治療代はお返しします」と宣告されたのが2回もある。ともかく本の批評家だからあらゆる癌関係の本を読破。質問や疑問点をぶっつける。医師も納豆のようなしつこさと石ころのような頑迷さに閉口したのだろう。

愛猫家でもあり愛犬家でもあり金魚も三匹も飼っている。認知症の母を抱えての奮闘ぶりには頭が下がる。女はいざとなると強いものだとしみじみ思う。男は威張っているがいざとなると腰砕けになるように出来ているようだ。ところで、金魚ちゃんたちはその後どうしたのだろう。
 
   2月22日(月)

米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」を読んでいたら懐かしい本に出くわした。「あれほど威厳を持ちながら、この悲劇の壮絶さに自分の身の卑小を感じ、恥じて崩れ落ちたのだ。仏陀の清貧と安寧の哲学は、パンを求める国民の前に恥じ入り、力つき、砕け散った。仏陀は世界に、このすべての貧困、無知、抑圧、大量死を伝えるために崩れ落ちたのだ。」「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」モフセン・マフマルバフ著。

この本は昔読んだ。彼は映画監督でもあり「カンダハール」という衝撃的な映画を封切りと同時に見た。あれは何年前だろう。調べると2001年製作とある。今から20年前。あの時の記憶が忽然と鮮やかに蘇ってくる。不思議なものだ。今まで何処へ隠れていたのだろう。

明るい陽ざしに誘われるようにつくばの梅園公園に行く。まだ満開ではないが紅白の梅の花が青空に映えている。保育園の園児が青い帽子を被り手をつないでやってくる。梅の木の下にシートを広げくつろいでいるママと赤ちゃんもいる。長閑な風景の中でしばしを過ごす。
 
  2月21日(日)

つちうら古書倶楽部へ自転車で行く。忍者屋敷のような店内をゆっくり見回りどこにどんな本を陳列しているかを頭の中に叩きこもうというのが、本日の大きな目的だ。驚いたのは細江英公の写真集「ガウディの世界」が1500円で売られているのだ。何とも安過ぎる。細江英公がかわいそう。

そこで豪華な写真集や画集はどれぐらいの価格だろうと調べる。全体に思ったより安い値段だ。こういう本は図体もでかくかさばる。とてもおいらの部屋の本棚には似合わない。そのせいで安いのだろうか。それとも人気がないのだろうかー。

「楽老の計」河上和雄、「悪魔のささやき」加賀乙彦、「ビートルズとボブ・ディラン」中山康樹、「詩を読む人のために」三好達治、「遠い風近い風」瀬戸内寂聴、「死を想う」石牟礼道子・伊藤比呂美、「見よ、旅人よ」長田弘、「髑髏になってもかまわない」山折哲雄、「うちのめされるようなすごい本」米原万理。10冊で合計2915円也。昨日は2冊で2000円を超した。やはり古本は安い。 
 
   2月20日(土)

二日酔いでもないのに体がだるい。体全体に重くのしかかる倦怠感。どうしたものだろうと原因を探すが見当がつかない。もしかしたら花粉症のせいかも知れない。春一番の風と共にやってくるこの病気とは長い付き合いだ。毎年悩まさられるから慣れたとはならない。とにかく一日も早くスギ花粉が風とともに去りぬを期待するしかない。

一日一章を書き写していると分からないことに何度も出会う。本日の「理性」ということもそうだ。辞書で調べると「物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動する能力」とある。そうか、今日のおいらは理性がまったく欠落していたのだ。

出勤前にイオンの本屋に立ちよる。相変わらず山のように本が陳列されている。誰が買い求め読むのだろうといつも不思議に思う。2冊買う。予想通り2000円を超した。明日は「土浦古書倶楽部」へ行こう。古本の忍者屋敷のようになっている書店だがゆっくり探せば格安で読みたい本が見つかるはずだ。
 
   2月19日(金)

NHKFMの「古楽の時間」を心地よく聴ける朝は体調がすこぶる良い日だ。今朝は満点だった。それならとバロック音楽を聴きながら村山さんの残りの仕事を一気にやっつける。手直し原稿をFAXで送る。PCの世界はまったく知らない世代。それでもFAXと携帯電話は重宝している。まぁ、おいらと大差はないがー。本日の
「天で幸福に生きるために」(1718年の曲集から)作曲者不詳:作曲(メゾ・ソプラノ)波多野睦美、(合奏)アンサンブル・エクレジアがとても気持ち良かった。

ひと段落したのでりんりん道路へサイクリングに出かける。自宅からりんりん道路川口起点を出発して虫掛休憩所から藤沢休憩所を目指す。サイクリングロードは平日のせいか空いており、まるでおいらの貸し切りのようだ。なんとか目標の藤沢に到着。虫掛から藤沢までの3,7キロを20分かかる。これはママチャリタイムだろう。

お昼タイムでコロッケパンといくら醤油漬けおにぎりを芝生にでんと座り食べる。空は世界中の青空を集めたようにどこまでも青い。途中、日光連山の白い頂きが見えたがここからは望めない。春のやわらかな光を浴びひとり幸せ色にくるまれる。人生、これだと大いに満足するのでした。
 
   2月18日(木)

胃腸の調子が悪い。理由はわかっている。昨晩の深酒したせいだ。簡単に言えば二日酔い。かあちゃんの買い物のアッシー君はなんとかこなす。村山さんの手直しを思うが気が乗らない。そもそも肝心な原稿をいばぶん事務所に忘れてきた。これでは話にならない。

世の中が狂っているようだ。いや、おいらの頭がおかしいのだ。どうしたものだろうと金魚ちゃんに訊く。金魚ちゃんただ水槽の中で泳いでいるだけ。こうなると神も仏もない。セネカは「われわれは人生に不足しているのではなく濫費(らんぴ)しているのである。」と申している。

そういえば読みかけのセネカの文庫本はどこへ行ったのだろうと思い探す。確か四行詩をまとめたもので岩波書店発行だった。探す気力もない。そういえば、作家の井伏鱒二は酒好きで「二日酔いになったらどうするのですか?」と訊かれ「ひたすら向かい酒をやる」とこたえたそうだ。おいらはそうはいかない。ひたすらのボーッに徹して胃腸さまをなだめることだ。
 

   2月17日(水)

村山さんが追加の原稿と大判焼きを土産にいばぶんに参上。まったく疲れを知らない人だ。男はタフでなければ生きる価値がないということを実践している。見習うべきかー。近年は長距離運転をするのが辛くなった。そのせいか行動範囲がぐうーんと狭くなった。村山さんのやる気満々を見ていると負けられませんという気持ちにもなる。

このブログはFMで石川さゆり「津軽海峡冬景色」を聴きながら書いている。この歌を耳にするたびに思い出すのは水上勉の小説「飢餓海峡」。東北地方はどこも暗く貧しい。特に青森には鈍色の空がいつも覆っているようなイメージが強い。

むかしむかし、太宰治「津軽」の小説に誘発されて冬の津軽を旅した。ストーブ列車、竜飛岬、鶏小屋、斜陽館。いまでもあの時に見た風景を思い出す。あとで知ったのだが「津軽」はノンフィクションではなくフィクションだという。そういうものはたくさんある。石牟札道子「苦海浄土」もそうだと本人は述べていると何かで読んだ。どちらでも感動する読み物ならジャンルは関係ないと思う。そんなことで本日は店じまいです。
 
   2月16日(火)

朝をシュリと散歩。風が強い。強風にあおられ足もとがおぼつかない。さらにシュリにぐんぐん引っ張られるのでなおさら体がふらつく。ヨタヨタしているのが自分でもしっかりわかる。こうなるとまぎれもない老人を証明しているようだ。

午後から霞ヶ浦と筑波山の写真を撮りに土浦の沖宿方面に出かける。ところが今度は霞ヶ浦からの強烈な風が吹いてくる。カメラを持っている体が風にあおられ焦点が定まらない。足腰に力を入れて踏ん張るが踏んばりきれない。そういうことで、そそくさと帰ることにする。

そこではたと気づく。これだけ風が強かったら花粉が飛びまわっているはずだ。マスクもしていなかった。もう遅い、毎年春先に悩ませられる花粉症との戦いははじまったばかり。コロナ+地震+花粉症とつながりグリコのおまけのように貧乏暮しが加われば鬼に金棒だ。金魚ちゃんに今日のことを報告。まったくの知らんぷり。それでいいのだよ!!。写真は滝の園からの朝
 
   2月15日(月)

上弦の月が西の空に輝きだした夕方、仕事場の滝の園に出かける。この上弦と下弦の月の違いがよく分からない。グーグル先生で調べても頭に入ってこない。おそらくこれが上弦の月だろうと見上げる。分からなかったら素直に三日月が出ていたと書けばいいのだ。年取ると素直さがなくなる。

朝から雨が降る。春雨の匂いがする。大地は嬉々としている。コロコロ花壇も菜園には恵みの雨だ。こういう日はどうやって一日を過ごそうかと考える。ところだが、昨日、村山さんが手直しの写真を持ってきてくれた。ひたすら集中する。さらに、昼ごろ村山さんから電話が入り追加注文。そこで再び気を入れ直してパソコンの前で踏ん張るが一時間もするとぐったり。

眼がチョボチョボするのだ。これは目を閉じてお休みなさいというシグナル。素直にソファーに横になる。時おり雨音が激しくなるのが聞こえる。雨は何を考えて降っているのだろうと考えているうちに熟睡。30分ほどで目覚めて思う。雨は何も考えていないのだ。空で巣籠りしているのに飽きたから降っているのだ
 
   2月14日(日)

昨晩、大きな地震があった。完全熟睡型のおいらも思わず目を覚まし起きる。テレビをつける。震源地は福島沖。まったくコロナに地震と重なり自然の猛威は休むことを知らない。それでもニンゲンはひたすら生きなければならないのだ。今日の朝起きてすぐに山王姫へ大丈夫かとメールを入れる。反応なし。そこで電話をする。「大丈夫」とのこと。

村山さんから電話があり、気晴らしのドライブを兼ねていばぶん事務所に来るという。そこで差し替え原稿を受け取る。85歳になっても杖頼りだが自分で歩ける。頭も冴えており意気軒高。まったくすごい老人がいるものだ。

村山さん大生殿霊神の話をひとくさり。「動けば回る」というモットーを貫いている。言われてみれば確かにそうだが、コロナ禍のせいか精神的に落ち込んでいる世間さまとはかけ離れている。昨晩の地震の話などひとつもしない。明日を生きるというエネルギーに満ちている。見習うべきだろうがなかなか実行にはうつせない。無念なり。
 
   2月13日(土)

お日柄もいいということで電動自転車でつくばりんりん道路をサイクリング。お尻の筋肉が少なくなったので凸凹や段差のあるところはもろに骨に振動が伝わり痛い。途中、腰掛けに小さなクッションをあてペダルをこいでいる人に出会う。そうだ真似をしよう。帰り、百円ショップに寄り探す。そしたら手ごろなものがあるではないか。ラッキーと100円玉を握りしめ買い求める。

すぐに試してみたがやはり痛い。このようなクッションを三段重ねにしないと無理なようだ。もしかしたら五段重ねぐらい必要かもしれない。高校生などピチピチお尻だから筋肉もプリプリで柔らかく受けとめてくれるのだろう。ところが年寄りはそうはいかない。尾てい骨が悲鳴をあげているのだ。

りんりん道路は虫掛からその先の園芸店まで行きUターン。りんりん道路はまっ平だからお尻の痛みもない。自転車だけはなくジョギングやマラソンをしている人もいる。道路わきに植えられた桜並木に花が咲いたらさぞ美しいだろうとヨタヨタサイクリングを楽しんだのでした。
 
   2月12日(金)

村山さんの原稿を入稿したせいか気が抜けたように一日を過ごす。そこでしみじみ考える。デジタル社会の到来は確実に世界を変えた。イギリスの産業革命のスピードとはまったく違うハイスピードで日々進化して行く。写真家の森山大道がいうように写真なんてただ目の前のものをコピーしただけではないか。まったく同感だ。世の中はコピー文化で花盛り。コピー文化+デジカル文化=空虚。

そこで考える。デジタル写真でなかったら、おいらは写真を撮れない。フィルム時代はフィルムや現像プリント代などで大きな出費。とても今のように手軽に写真を撮れない。さらに、文字を書くという作業。漢字も言葉もよくわからず紙に文字を認めるということはできない。これこそデジタル文明の恩恵を受けている。

わが家から見下ろせる工事現場で若い職人がTシャツ一枚できびきびと動き仕事をしている。見てるだけでその体の動きに感動する。おいらにもあんな時代があった。ニッカボッカに地下足袋。ああ、あの時代は戻ってこない。悲しいかぎりです。
 
   2月11日(木)

いばぶん事務所へ。村山さんの原稿をヤマサン印刷に渡す。昼の12時過ぎ、突然インドのニランジョンから電話が入る。さらに、それから四時間も過ぎたころインドのオロクさんから電話が入る。それから二時間も過ぎたころオロクさんの娘ミミから電話が入る。今日はインドのなんとか記念日だろうかー。電話をくれた全員元気そう。今や日本とインドは月に行くぐらいに遠くなった。

帰りに靴を買いに行く。同じ靴を三年近くはいていたら穴があいた。店で探していたら山王姫から電話が入る。「ガマンガマン」ということ。ニンゲンは欲のかたまりのようだ。何か欲しくなったら闇雲に突っ走る。悪いクセだ。急ぐことでもないので納得。

今日は暖かった。それだけでうれしくハッピーとルンルン気分でいたら、夕方、姫丸子がバレンタインデーのチョコレートのプレゼント。さらに焼き鳥などもいただく。珍しく変化のある一日だった。生きていればこういうハレの日もあるもんだ。不思議な一日でした。
 
   2月10日(水)

男子、厨房に入るべし、ということでカレー作りに励む。まず、具材がそろっているかをかあちゃんに聞く。不足しているのは精肉ということ。ブタにするかトリにするかウシにするか、二人の会議は男女の差別なしに進む。結論はブタちゃんと決まる。トンちゃんかわいそう。と

とことこ健康坂、一の坂、二の坂を上りスーパーハリガエへ。そうだキノコを入れようというインスピレーション。キノコカレーにしよう。これも洒落ている。そこでマイタケを追加して買う。タバコ二個かったら予算オーバー。手持ち金は2000円しかない。十分間に合うと思っていたが電池を四個買ったのを忘れていた。慌ててタバコ一個返す。

「火災報知機の原則」「貴重財産の集中力」「選択圧」「闘争か逃避か」「人間の脳は悪い噂が好き」「手書きメモはPCに勝る」「鉄道酔いとデジタル酔いの違い」ーー「心の不調ほど軽く見られている健康問題はない」ハーバード大学教授ヴィクラム・パテル。以上、「スマホ脳」アンディッシュ・ハンセンを読んで考えさせられたこと。

久しぶりに山王姫に電話。元気そうでなにより。ソロプチの定例会から帰ったばかりだという。詩人会議の会員は400人ほど。その中で70歳以上が100人ほどだという。ソロプチの会員は70歳以上はどれほどいるのだろう。カレーはそれなりの味に仕上がりました。
 
   2月9日(火)

平均で一日四時間、若者の二割は七時間もスマホを使うという。その弊害として睡眠障害、うつ病。さらには学力の低下や依存症など。スマホの便利さに溺れているうちに脳が確実に蝕まれていくという。ああ、恐ろしやスマホ。これは「スマホ脳」を読んで知ったこと。

確かにスマホは便利だ。おいらも使い方をもっと熟知すればさらに便利なものとなるだろう。おいらはそこまで習得していない。第一、一日四時間もスマホとにらめっこをしていない。せいぜい数十分だろう。ニュースで信じられるのは新聞かラジオ。テレビはほとんど見ないから分からない。時々、ドキュメント番組とスポーツ中継を見るぐらいだ。

そこで考えたのだがスマホ時代の子どもたちが老健施設の世話になったらスマホをどうするのだろう。部屋に籠ってツールしているのだろうか。なにしろ時間はたっぷりある。どう想像しても美しくない光景のように思う。
 
   2月8日(月)

わが家から見下ろす分譲地に一軒の家が建つ。なにしろまる見えだから工事の進み具合がよくわかる。本日は型枠に生コンを流し込んでいる。おいらが鉄筋屋をやっている頃は打設工事は大勢の人夫がかり出された。ここから見ているかぎり最低でも5~7人はいる。ところが今日の現場は作業員3人。生コンはすごく重いから人出を要する。それがゾウさんのように長い鼻を自在に動かすポンプ車がやってくれる。ここでも、あきらかに人びとの仕事は奪われている。

昨日は春の息吹を感じ喜んでいたらどっこい。本日は、年寄りは炬燵に入り静かにしていて下さい。耳が遠くなったからと気にせずボリュームをいっぱいに上げテレビでもウツラウツラ見ていて下さい。そんなうすら寒い一日でした。皆さま、本日もご苦労さまです。明日も元気で頑張りましょう。

追伸:「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン 久山葉子(訳)新潮新書を読む。ものすごく面白い!!。
 
   2月7日(日)

朝、滝野園の守り神シュリと宍塚の田んぼのあぜ道を散歩。シュリはちっこいがピチピチ体力。力まかせにリードを引く。ヨタヨタオジンも足を踏んばりついていく。朝7時はまだ冷気がぼんやりまなこで眠っている。日の出を待つように頑張る。

シュリ、クンクンやりながらオシッコの連続。おいらをもオシッコタイム。東の空を見ながら地上への愛を注ぐ。シュリは怪訝そうに見あげている。きっと、あまりにも小さなチンポコに悲しくなったのか。

昨晩、偉大なる土浦イオンの書店で買い求めた「スマホ脳」を読む。あまり話題にならなくなったが、おいらは無限大にはびこる電磁波の方が脳に与えることも気になる。視力の前に聴力の欠落だ。まぁ、そこまで生きていないだろうがー。
 
   2月6日(土)

いばぶん事務所へHP更新に行く。それらしいことを何もやってないから日付の変更だけ。ただ、こうやっていればいばぶんの活動が続いていることになるのではー。簡単にいえば存在証明。アリバイ作り。

フォンテーヌの森にぶらりと行く。土曜日のせいかテントを張っている人もいる。都会の喧騒から逃れこのキャンプ場をやって来た人たちには心休まる自然空間だろう。おいらは毎日そんな環境で暮らしているから感動はない。ただ、うすら寒い雑木林だ。

今晩は当直の仕事。早めに家を出てイオンの本屋さんへ。土浦市の「コロナに負けるな券」が1500円残っている。期限付きだから使わないとソン。新書版2冊買って時間が早いからソファーで本を読む。あたりを見回すと全員スマホに夢中。本を広げている人などいない。本屋さんの目の前にあるというのにだ。最早、紙に印刷された文字を読む人間は古代人に近いようだ。ああ、怖ろしや。
 
   2月5日(金)

春を待つ

春を待ち続け
重ね着したように
ただ 疲れた

季節が冬という
凍える寒さは
いく枚もの
重ね着をすればいい

春を待つ心は
疲れたという
言葉さえも忘れ
疲れ果てている

いつもの春よ
すっぴんで
やってきておくれ

■「男爵いも」を作付け
 
   2月4日(木)

春一番のような暖かい南風が吹く。寒の戻りはあるだろうが春に向かっているのは確かなようだ。金魚ちゃんに春の予感はするかと訊く。「金魚鉢という狭い世界に住んでいてもヒシヒシとわかるよー。なぜなら飼い主の足音が軽くなっている」うーん、さすがに達観した金魚さま。エライものだ。

ポストに入っている無料タウン誌「PLAZA」の表紙をめくれば「首都圏最大級の公園墓地 牛久浄苑」のコマーシャル。春の訪れとともに墓地への誘い。ああ、これが現実。ターゲットはおいらの世代に決まっている。こうなるとおいそれと死んでたまるかと闘志もわく。

ジョイフル本田で種ジャガイモを買う。店頭に並び出したということは植え時だぞというシグナルと、信じる。それとも売らんがためかー。バーカなせっかち素人は買うはずだという商魂の賜物かー。とにかく明日、作付けしようー。
 

 2月3日(水)

潮来マリーナへ行く。宮沢賢治の「注文の多い料理店」ではないが、いろいろと追加注文が入る。電話のやり取りでは追いつかないので顔を見て内容を聞くことにする。お天気もいいのでドライブ気分でクルマを走らせる。行動範囲が狭くなったので日帰り旅行のよう。

潮来マリーナの釣り堀は盛況で30人ほどがひねもす釣り糸を垂れている。この寒いのにご苦労なこと。コロナのせいで最近はお客さんが増えているという。湖岸からの風が冷たく思わず身震い。ここは土浦より1,2℃が低いのではー。

帰り、玉造の道の駅に立ち寄る。筑波山が美しく湖面に映える。そこでパチリパチリ。売店でコイの甘露煮を買う。今晩のチビリチビリのツマミだ。山形に住んで居るころコイの甘露煮はハレの日のごちそうだった。心が躍る。それにしても疲れた。やはり長時間の運転は疲れる。バイバイです。
 
   2月2日(火)

この写真は今朝、シュリとの散歩したもの。小雨の中約30分。おいらのブログは更新していてもいつ書いたのかいつの写真か自分でも分からなくなる。不思議な曼荼羅模様の日記。日記とは本来他人さまに見せるものではない。それを公開しているのだから噓八百になってもかまわないと思うが世間さまはどう思っているのだろうかー
。それでも、この写真はスマホで撮った今朝の写真です。

ミャンマーで軍のクーデーターがあった。3年ほど前にミャンマーの仏跡旅行に行った。あの時の印象では仏教に信仰のあつい国民、国家だと思った。軍は人殺し道具を持っている。さらに人を殺すという訓練を受けているから無防備なニンゲンにたまった集団だ。どうなるだろうかー。

今日の昼は暖かった。これぐらいの気温だと過ごしやすい。本格的な春が待ち遠しい。なにしろ一大仕事の草取りがまったくない。失業状態だ。もっともこの仕事は収入とは結び付かないから失業していても構わない。大切なのは副収入の仕事がばったり途絶えたこと。コロナがが早く収束してくれることを願うだけだ。
 
  2月1日(月)

今日から二月。とても寒い一日だった。ここしばらく続いた村山さんの仕事の目安がつく。一時はどうやってまとめようと熟睡しながら考えた。そうしてようやく目鼻がつき今晩からはダブル熟睡できる。そこで、山王姫から頂いた「元祖 柿の種」をつまみにチビリチビリ。

最近、わが家の小鳥の餌台に野鳥が来なくなった。特にスズメが飛来してこない。どうしたのだろう。周囲を見回してもスズメの姿を見ることが少なくなった。どうしたものかヒヨドリと猫はやってくる。ヒヨドリはミカンのくずなどを食べ猫は魚やから揚げのくずなどを食べにくる。決して仲よくはならない。

柳田邦男の本に「空白の天気図」というのがある。その空白の日々がここ二日間続きブログを休んだ、というより珍しく一度もパソコンを立ち上げなかった。村山さんの仕事が一段落して気持ちが緩んでしまった。それでも今日は少し歩いて詩集を少し読んだりしてまたまたぼーっと過ごして終わった。二月のぼうーっのスタート。少しは何かに頑張ってみるかー。


死について考えるのは
死んでから考えればいい
時間はたっぷりあるのだから
死んだ人は
何を考えて
死んでいるんだろうねー。
 

おひまな方はこちらへ