怠惰な散歩  2021年

   7月31日(土)

さあ、七月最後の日記を認めよう。まずは音楽を流そう。清織姫からもらったCDを流す。とても静かで爽やかでまるでおいらの心の裡を読みとっているよう。清水が湧き出る緑陰で静かに平和を祈っている。そんな自分の姿が見える。(バーカ、恥ずかしくないのか)金魚ちゃんの声が聞こえるが無視する。

朝、滝の園の帰りに根本ぶどう園に行く。本日は親方も開園準備のために登場。ゴールドフィンガーという品種のブドウは元気に育っている。おいしく実ったこと知ったハクビシンが食べにくる。ブドウ棚の下には皮がたくさん散らばっている。きちんと皮をむいて食べているらしい。お行儀がいいというのかー。

そこでハクビシンが上がれないように腹巻きをビニールの波板でしてやる。これなら滑って上れないだろうという素人考え。うまくいくだろうかー。きっと、難なく突破すると思う。ハラが減ったらどんなことでもするのが生きているものの宿痾。さて、どうなることやら楽しみだ。
 
   7月30日(金)

昨年の詩人会議1月号に「今のコロナが変異したら、ぞっとするほど恐い」と九州会員で医師がコラムで書いていた。それが、今の日本国を覆っている暗雲だろうかー。コロナとの共生を本気で考えるべきではないかとつくづく思う。ただ、相手は話し合いの場には応じるだろうが言葉が通じない生きもの。さらに、おいらはいつ死んでもいいのだという覚悟を持っている。こまったものだ。

「玉稿ありがとうございます。たかはし」。本日詩人会議にメールで原稿を送った返事。玉稿とは言い難いが今回は詩らしきものを書くには苦労した。採否はともかく目標の2編を投稿することができた。必ず投稿しなければいけないという義務があるわけでもない。ボケ防止のブログと同じようなもの。

詩人の高良留美子さんは「私たちが詩を難しくしてしまった」と話していた。詩の愛好家は全国で三千人ほどだという。ましてや職業として成り立ちメシが食えるとなるとやぶ蚊のように小さい。やぶ蚊は刺されると痛いから気づくが、そういう人たちの詩でさえ一般の人が読む機会は少ない。本当に小さな世界で楽しんでいる。それはそれでいいのかも知れない。
 
   7月29日(木)

さあ、今日のことを書こう。あたりまえだ、日記とは私事のことをつづるのが目的じゃないか。昔は自分だけの秘め事として誰にも見せなかったが時代は進歩(?)して手軽にそのくだらない私事を発信できるようになった。環境さえ整っていれば地球人90億人が閲覧できるのだ。ああ、恐ろしや怖ろしや!!。「バーカ、おまえさんのブログなど読んでいる人なぞいないから、思う存分に役立たずなことを認め満足していろ!!」金魚ちゃんの温かい励まし。ああ、うれしやうれしや!!。

本日の大仕事はかあちゃん二度目のコロナワクチン接種のアッシー君なり。これでわが家は金魚ちゃんスズメちゃんゴキちゃん、その他の生きものを除いて全員完了なり。これで安心していいのかは神のみ知るのみ。

滝の園の当直組のKさんから電話あり。休んでいたYさんが8月から復帰するという。そういうことで固定的な曜日にするという。おいらは火と金に決る。日曜日が月一回ほど入るという。ああ、うれしやうれやでさようならです。
 
   7月28日(水)

暑い一日だった。この暑さから逃れる術はないものかと汗をかきながら考える。そうだ、ながみね温泉に行こう。冷房は効いており50畳の大広間がある。お客はいつも少ない。せいぜい一人か二人だ。眠くなったら使い放題の座布団を重ね高いびき。なにより150円という値段が大味方。

そこでワンコインを握りしめ出かける。この出かけるという一歩がきついのだ。外へ出るなりものすごい暑さ。ハンドルまで悲鳴をあげている。夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもちーーと気合を入れる。

風呂から上がり月末締めの詩をまとめようとノートパソコンを立ち上げ奮闘開始。ところが大広間のばかでかいテレビでは日本とドミニカ共和国の野球中継を流している。こうなると詩作どころではなく詩は死んだ状態となる。結局、日本の逆転さようなら勝ちを見て安心して帰る。万歳です。
 
  7月27日(火)

朱里もまっしぐら

青い空は
どこまでも
遠くにあって

食べきれない
綿菓子のような
白い雲は
まっしぐら

そよ風ふき
寄せる波音
夏は秋を信じ
まっしぐら

朱里も
明日に向かって
まっしぐら
 
   7月26日(月)

「心には二つの大きな流れがあって、漢語系の求心的な流れ、和語系の散乱的流れ。コントロール系と煩悩系といってもいいのだが、これが時代の変遷とともに入り交じり、二つの流れの差がきわめて難しくなり、複雑な支流を生みだしてきたー」(生老病死・山折哲雄)

台風が近づいているせいか涼しい風が吹いて爽やかな一日だった。ところが気分は落ちつかず気怠い一日でもあった。きっとコントロール系の神経がこんがらかっているせいだろう。こういう日は月に数日はやってくる。まさに招かざる客だ。

滝の園から見える夕焼けが美しかった。時々刻々と変化する空の色。それこそいろいろな色に心変わり。シュリと散歩しながらだがシュリは一向に夕焼けに視線を移すことはない。ひたすら鼻をクンクンさせてあぜ道のにおいを嗅ぎながら歩くだけ。ああ、かわいそうなシュリちゃん。もしかしたら色めくらなのかもしれないー。これを差別用語というのかー。
 
  7月24日(土)

朝、空を見上げると白い雲がもこもこせり出してくる。夏、真っ盛り。これは静かにしていなければならない。暑さがどんどこやってくる。歓迎せざる厄介者。年寄りにはきつい。

ブログ用にとパチリパチリ。デジカメは抜けるような青空がなかなか写せない。ポジフィルムで撮ったときのような抜けるような色の切れ味がない。きっとデジカメで写真の世界に入った人にはきっと理解できないだろう。モノクロから写真をはじめからだで覚えた色の感覚はそう簡単にはなくならないようだ。

夕方、日陰になったところの草むしり。麦わら帽子を被り、芝生に肥料袋を広げてペタンコと座りチョコチョコ。これは精神安定剤のようなものだ。おいらが気分的に落ち着くのは草むしりに限る。「バーカ、酒を飲んだりタバコを吸っている時もじゃないのかー」と金魚ちゃん。大当たりだ!!。
 
   7月23日(金)

東京オリンピック2020が開幕した。当直室でテレビ観戦。1964年の東京オリンピックの時は山形から上京してまもなかった。まったくといっていいほどオリンピックというものを理解してなく、何となく代々木公園に聖火なるものを見に行った。競技などテレビでチラチラ見たぐらいだった。ただ、あの時は誰もマスクをしていなかった。

今回の入場行進は全員がマスクをしている。それも各国自慢のファッションをデモンストレーションするかのようにカラフルだ。そこで思った。女性はきっとマスクを外してきれいにお化粧した晴れ姿を見せたかっただろうにー。そのための準備もしていたはずだ。

ともかく東京オリンピック2020は開幕した。どんなことが起こるかは神さまだけが知るのみ。今は、このオリンピック狂騒曲が静かに幕を下ろしてくれることを願っている。コロナに勝った負けたということではない。どんなハプニングが発生しようとニンゲンとしての行動をと切望する。「バーカ、なに気取っているんだ」金魚ちゃんの声。
 
   7月20日(火)

朝早く、滝の園の喫煙所でプカプカやっていると田んぼのあぜ道を刈り払い機で草刈りしている女の人がいる。遠くなのでうら若き女性かおばさんか分からない。しかし、その容姿からは農家のおばさんと思える。若い娘は今ごろ半開きの口からヨダレを流してスヤスヤの時間だ。

山形時代、中学の同級生で農家の長男坊は「おらぁ、嫁っ子さもらうどぎは、田んぼこのあぜ道だべを米だわら一俵担いで歩けるおなごさをもらうだ」。ああ、あの男はどうしているだろう。意外と華奢な女をもらって苦労したのではー。

その点、ここから見える女性は逞しく強そうだ。刈り払い機は結構重い。それに体が絶えず振動を受けているので足を踏ん張らないと刈り払い機に振り回れてしまう。おばさんはそれをいとも簡単そうにやっている。女は強いものだとつくずく思う。
 
   7月19日(月)

梅の土用干し二日目。梅ちゃんまだブヨブヨしている。梅干しの作り方によれば二日二晩ぐらいで元の甕に戻してもいいとなっているが、これはもう少し干さなくてはならないようだ。要するにかあちゃんのようにカラカラに乾いた体にすることかー。

清織姫とSMSを頻繁にやりとりしている。そのおかげでいろいろ便利なことを覚えた。これを復習学習というのだろうかー。まず写真も一緒に送れること。不用なメッセージの消し方。彼女は時々何とかスタンプという大きなものを送ってくる。どうも、おいらの神経には目障り。そこで不要なものはバタバタとさようならする。

ぼーっとしながら辺見庸の詩集「生首」を読む。正直いって難解だ。この詩集は中原中也賞を受賞したという。。審査員はこれを読んで理解できるのだからすごい。どうも本物の詩人というのは異次元の世界に住んでいるようだ。とにかく、今日は暑かった!!。
 
   7月18日(日)

梅の土用干しをする。何しろ初めての挑戦。甕の蓋をそろりと開けると梅ちゃんはお寝んねしている。赤じそちゃんも添え寝している。それを中国製のザルにならべる。色は梅干しらしいがまだら模様。お日さまと仲よしこよしで過ごすことになる。お味はどうかー。これは運まかせとなる。

昨日は所用で山王姫宅へ。ブログ用にぴーちゃんをパチリ。そういうことで写真はぴーちゃんと梅干しとなる。どういう因果関係があるのかは分からない。これを夏の風物詩とでもいうのかー。

細々した頼まれごとをこなす。コピー取り、本の郵送、雑草の引き抜き、金魚ちゃんお住まいになっているお部屋のお掃除。どれも不用不急のことばかり。日常生活は不用不急の積み重ねで成り立っているのだ。その中にはオナラもアクビもある。これだから人生は面白いのだろう。稀勢の里は負け越し。残念なり。
 
   7月16日(金)

プロ野球オールスター戦をテレビで見る。健康そうな選手が楽しそうに野球をしている。そういえば、選手同士の乱闘騒ぎが見なくなったな。選手がおとなしくなったのだろうか?。ニンゲンが判断を下す場面が少なくなり機械頼りが多くなったせいだろうか?。ニッポン国が平和でいつもさわやか幸せ風が吹いているせいだろうか?

よく考えてみればこうして気ままに役立たずブログを書いていられるのもニッポン国が穏やかな社会だからかも知れない。テレビなどで紛争国の銃撃音を聞くことはあるが我が家周辺では皆無だ。

聞こえてくるのは数軒先に住む痴呆症を抱えた家からの怒鳴り声。徘徊が進み目を離せなくなったらしい。徘徊老女は自分で徘徊している意識がないから怒られても家を出てトコトコと歩く。足腰はまだしっかりしているのだ。人生100年時代というが、これがどういう意味を持つのか考えさせられる。
そいうことで、本日もつつがなく終わりました。さよならです。
 
   7月14日(木)

昨日は久しぶりにブログを休む。しかし、酒は休まず飲む。昨日はつくば市内に住むMMという精神科医の奥さまがダンナさまの書いたものをまとめ小冊子にしたいとある人から紹介されたので会う。精神科の先生が書いたとなれば難解できっと読解不能かもしれない。ともかく原稿を拝ましてだけもらおうと出かけたのだ。そこで長話しとなりそれだけで疲れブログを書く気にもならなかった。

そもそも、このブログは気分転換を含めボケ防止のために書いているのだからいつ休んでもいい。しかし、書かないと朝の起きっぱなしのプップッーが不発に終わった時のように何か寂しい。そこで、今日は頑張って書く。

そうかといって特だんに書くこともない。ただ、インドのパピアからメールが届いている。2回目のワクチンを打ってほっとした。東京オリンピックのテレビ中継を楽しみしている。今、コルカタはモンスーンで厳しい天気が続いている。これが終われば連日40℃を越える毎日だとあっさり。ああ、住み慣れた環境の中なら何ともないのかー?。やはり世界のニンゲンはヤワではないようだ。万歳だ。
 
   7月13日(火)

大リーグのホームラン競争を見る。超満員の観客は誰もマスクをしていない。ようやく日常の生活に戻った感じがする。アメリカらしく明るく祭りを楽しんでいる。いいことだ。期待した大谷選手は残念ながら1回戦で姿を消す。それでもメジャーリーグで両刀使いで大活躍しているのには驚きだ。怪物としかいいようがない。バンザイだ。

写真のことを考える。思い切って写真を壊さなければならない。これはなかなか難しい。絶対非演出という土門拳の影響を受けすでに頭が固くなっている。写真を壊してうまくいっているのは森山大道
。すでに半世紀前からやっており、今でも現役バリバリ。すごいものだ。

宿直メンバーがひとり欠けているので出番が多い。週4日の勤務はなかなか大変だ。昨日に続いて今晩も当番。本を読みながら体力温存と横になるとすぐに眠くなる。そして、小雨の合間をぬって庭の手入れ。また本を読みながら眠る。これがよく眠れる。そのまま永遠に眠っていればと思うがやはり目をさます。どうしたらいいものかー。
 
   7月12日(月)

「死んだらどうなるかというのは死んでから考える」と言ったのは作家の中村真一郎。8月に開催される「根本健一1周忌展」イベントのフライヤーには「死んでからも考える」というコピーが入っている。死んでも考えるーというのは、せっかくあの世にゆっくり休んでいるのにたたき起こすような気がして何となく故人がかわいそう。

そのイベントの打ち合わせに山王姫と出席。おいらの役回りは皆無に近いが山王姫は「呈茶・楽茶」という大切な仕事がある。流行の言葉でいえば来場者への「おもてなし」。コロナ禍のこともあり紙コップで差し出すかという乱暴な提案もある。これこそナンセンス。それなら最初からプログラムから外したほうがいい。

結局、抹茶茶碗で呈茶することとなる。「◇◇道」と付く日本文化はできるだけ昔から伝承されたしきたりで行うのが受け継いできた先輩諸氏に対する礼儀だと常々思っていただけにほっとする。やはり、最後は「やって良かったね!」と笑顔で終わりたいものだ。そうそう、記録ビデオを作るということでドローンで全員撮影される。初めての経験。見上げてドローン追い続けクビが痛くなる。これこそ「クビイタイタひょうたん島だ!!」。

 
   7月11日(日)

夕方5時近くになるとスズメちゃんたちがワンサカワンサカやって来る。しかし、なかなかコロコロ食堂にはおりてこない。燐家の猫が2メートルほど離れたコキアの中に隠れているのを知っているのだ。

猫は姿を隠しチャンスをうかがっている。しかし、上空からはまる見えだからスズメたちはエサを食べたいが電線にとまって様子をうかがっている。猫とスズメちゃんの持久戦。それをぼーっとおいらは見ている。

これを解決する方法は猫をコキアの茂みから追い出すこと。そこで水をかけてやる。普段は花壇に水やりをするホースを取り出し蛇口いっぱいに開いて勢いよく狙い撃ちする。すると猫は慌ててコキアの茂みから駆けて逃げていく。そのスピードは100メートルランナー並みのスピードだ。それを見て喜んでいるぼーっオジサン。まったく平和だ。
 
   7月10日(土)

仕事帰りに根本ぶどう園を見に行く。素人目ながら順調に育っているように見える。巨峰は少し色づいてきた。当直仲間のkさんとしばし談笑。二人とも夜勤明けでくたびれた顔をしている。太陽がジリジリ照りだしてきた。「これは仕事どころではない。早く帰って休もう」ということで別れる。

「人間って、病気か健康か、グラデーションの上のどこかをうろうろ、行ったり来たりしている存在なのです」中田研スポーツ医学専門家は「イップス症状」についてそう語る。うーん、なるほど。精神のバランスはいつもやじろべいみたいなものだということかー。世界中に正常な人など一人もいないと思っているだけに妙に納得する。

清織姫から小論文のコピーが届く。老眼鏡をかけて丁寧に読む。鹿島神宮の「物忌(ものいみ)」について少しは理解することができた。よく考えてみれば神の妃たちは何ともかわいそう。きれいなお顔はやはり広く皆さまに見せてやったらー。アフガニスタンのブルカの世界かー。あれも何とも悲しい。美しい乙女のお顔を見せておくれ。「バーカ、スケベジジィ」突然、金魚ちゃんの声。「うるさい!!」
 
  7月9日(金)

一晩だけ家を留守にしただけだが「湯上り娘」も「朝顔」も「夕顔」も確実に成長している。喜ばしいことだ。草花は言葉をもたないが美しさで話しているような気がする。さて、彼ら彼女らはどういうことを囁きあいながら花を咲かせているのかー。「ヨレヨレオジンはどうも美意識が乏しいようだ。ああ、教育が悪かったのか遺伝子によるものかー、かわいそうに!!」

梅干しを日光浴させるために専用ザルを買う。中国製とある。日常品が海を越えはるか遠くから運ばれているんだなーと驚く。とにかく国産品より安いから手が出る。梅干しは国境を問わないで静かに日本のお日さまを迎え入れてくれるだろう。

整復師会ニュースの2校が届く。一年ぶりの発行の目途がつく。これはわが家にとっては重要なこと。食卓のおかずが一品増えるか減るかという瀬戸際にあるのだ。ともかくひと息いれて二匹に減った金魚ちゃんに報告。「われわれも生きているんだよ!!」ハイハイわかりました。 
 
   7月8日(木)

隊長が用意してくれたビジネスホテルで昨晩は二人で痛飲したせいか体が重い。それに外を見れば雨。最悪の天気だ。長野県の遠路から調査に隊長はやってきたというのに梅雨の真っ只中に捲き込まれた隊長はかわいそう。太平洋からの朝陽も拝めない。残念なり。

小雨降る中、常陸風土記に出てくるという神社を訪ねる。昨日は隊長自ら運転してお疲れなのでおいらがハンドルを握る。こういう天気はふさぎ込みやすいがそうも言っていられない。ナビゲーターの案内のままクルマを走らせる。そしてパチパチリ。

終了後、海を見に行こうと鹿島灘海岸に行く。広い海は靄がかかり大きな波を海岸に打ち寄せている。やはり、何となく淋しい。青い大きな海を見たかったのにー。それでも今年初めて見た海。最後に神栖の神の池公園を見て別れる。自宅に戻るとかあちゃんは本日が1回目のコロナワクチンを打ってきて腕が痛いと言う。金魚ちゃん一匹昇天。ああ、かわいそう。
 
   7月7日(水)

清織姫調査隊は潮来、鹿嶋地方を取材。まずは仏跡の拓本。前夜からの雨で中止かと思ったが、ともかく現地に行ってみようということで出発。現場は雑木林の中にある薄暗い小路。地元の人もあまり通らないような辺鄙な所。教えられた崖肌にはうっすらと何やら仏像のような形跡あり。

隊長はとにかくやってみようと果敢に作業を始める。雨に濡れた崖の斜面は滑りやすい。それでも拓本の道具を取り出して始める。崖は濡れているのでうまくいかない。それにやぶ蚊がすごい。痒い痒いでそちらに神経が取られ拓本どころではない。結局、拓本は失敗に終わる。

終了して帰る時「やるだけやったから満足」とサバサバしたように話す。何事も自己満足でいいのだ。好きなことをトコトンやるというのは精神衛生上はいいことだ。その後、隊長の指示に従い各地をパチリパチリ。
 
  7月6日(火)

 チクタク チクタク チクタク
チクタク チクタク チクタク

ぼんやり庭を見ていても
チクタク時計は時を刻み
チクタク チクタク チクタク

どよよんとそれとなく過ごした昨日も
チクタク時計は懸命に針を進めていた
その心地よいリズムの記憶はない

チクタク チクタク チクタク
チクタク チクタク チクタク

ずうーっと昔むかし
オギャーと産声をあげ産湯につかり
まんまるい地球の仲間入り

チクタク チクタク チクタク
チクタク チクタク チクタク
 
   7月5日(月)

長野県に住む清織姫は茨城民俗学会会員でもある。調査のために度々本県を訪れている。昨日茨城県に入ったというメール。今回の調査は「地名」らしい。詳しくは分からないが勤務先に休暇届を出して泊りがけで取材する。その旺盛な好奇心とエネルギーに感服。おいらはアシストを務めることになっている。くたびれたよれよれオジン。どこまで対応できるだろう。まぁ、なんとかなるさ。

「詩人会議8月号」が送られてくる。おいらの詩は掲載されていない。がっくり。今年は1月号から12月号までどんな場所でも掲載されることを目標にしてきた。7月号まで続いていたがここで途切れる。7月の初涙なり。

巻頭は谷川俊太郎。相変わらず小気味の良い言葉ですっきりしている。次が野口やよいの「竜宮城」。たまげるほどいい。こんな詩をおいらも書きたいのだ。詩は面白いけど難しい。「バーカ、詩だけじゃないだろう!」金魚ちゃん。ありがとうございます。
 
   7月4日(日)

雨は降る降る人馬は濡れる。雨は降る降る擁壁は倒れる。わが家の近くに建った新築の家の擁壁が昨晩からの雨で倒れている。近所の人が雨傘をさしてファンそうに見ている。こんな時でもないと近隣に住んでいる住民とrと顔を合わせることはない。

わが家も斜面に建っているので真上の家の擁壁が崩れたら一網打尽で家屋とも住人もこの世とサラバだ。さらにわが家の下も駄目。物語は終わらず、その下にある二軒の住人も有無をいわせず地上から消える運命にある。

緊急工事に大型のユンボ二台にダンプカー四台も現場に入り降りしきる雨をもろともせず賢明に働いている。こういう緊急の仕事は割高だ。親方のほくそえむ顔が見える。それにしても災難というものはどこからいつやってくるか分からない。他人の不幸をテレビニュースで見てかわいそうになる。おいらはつくづく運がいいと思う。金魚ちゃんにそのことをしみじみと話す。金魚ちゃんは無言なり。
 
   7月3日(土)

朝、目を覚ましてここはどこだ?。ああ、宿直室と気づくまでしばらく時間がかかる。ああ、ここは職場かとわれに返る。いつでも、どこでも、どんな時で眠れるというのは強い。気がついたら冥途だったりして。それもいいじゃないかー。

仕事だと布団から起き上がり窓を開け外を見る。激しく雨が降っている。お仕事のひとつであるシュリの散歩。シュリちゃんのねぐらに行くと完全に眠っている。呼んでも犬小屋の中で丸まって寝ている。「この野郎起きろ」あっ、いけないシュリちゃんはメス犬だったっけ。

シュリは勝手なものだ。早く目を覚ませば朝早くキャンキャン鳴いてうるさいぐらいなのに雨が降っているとあいさつもなし。ともかく犬小屋から連れ出し傘をさして散歩。田んぼの緑が美しい。シュリはチョコチョコと雨に濡れ歩いている。こうして本日は幕開けしたのでした。

 
   7月2日(金)

週刊誌は滅多に買わないが「立花隆 追悼保存版」の見出しに引き込まれ「週間文春」の7月8日号を買って読む。スポーツと芸能に葬式と墓にはまったく興味がないと言っていた立花隆が亡くなったのは4月39日だった。世間に知られるまで2カ月ほどかかっている。

「宇宙からの帰還」を読んだのが最初だった。すごい本だと驚いた。何がすごいかといえば宇宙から帰還してどのような精神的変化が起きたかというインタビュー。それ以来ファンになった。100冊以上の著書があるという。おいらはせいぜい数十冊しか読んでいない。それでも、どれも面白く精神衛生上にはプラスに作用している。

週刊誌だからさわりしか書いていないと思っていたがやはりそうだった。新聞はインクの匂いが消える2時間で用済みといわれているが週刊誌はどれほどだろう。久しぶりに買って驚いたのは440円もすること。せいぜい200~300円だ思っていた。どうも、むかし購読していた「朝日ジャーナル」の値段のまま時間が停止しているようだ。
 
  7月1日(水)

今日から七月、だからどうっていうこともないが月替わりカレンダーの六月を勢いよくはがしてさようなら。ああ、六月よさようならだ。さようならだけが人生だ。昨日のことは思い出でとなり明日のことはわからない。人生はさようならに向けて明日を迎えるのだ。明日も生きていればという但し書きはいつも付いているのだ。

雨なので今日はフンドシを締めて丸山健二の「眠れ悪しき子よ 上巻」を読みだす。数ページ読んで以前に読んだような気がする。本棚を探したらあるではないかー。でも下巻がない。真面目な読者でないことを知り家出したのかー。そこで、下巻から読み始める。外は休みなく雨は降っている。

午後、空は曇天だが雨は止む。そこで刈り払い機を持ち出して草刈り。雑草はバタバタとなぎ倒してゆく。ああ、すっきりと気持ちがいい。ただ、この作業は30分が限界。年寄りなのだ。残りは明日の早朝やろう。気分屋のおいらのことだからどうなるか分からないけどー。
2021年
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