怠惰な散歩  2023年1

   1月29日(日)

少しでも体を動かしたほうがいい。そこでマンションの清掃に行く。寒さで筋肉が硬直していることもありフラフラしながら階段を上り下りする。このままずっこけて転びそのままあの世へ。それでもヨシだ!!。

山猫から世界中のこどもたちのための詩を書いてとの注文あり。これは難しい。詩人の金子光晴は孫がかわいいくてその詩集を出した。弟子曰く「先生こんな簡単な詩を書いていいのですか?」「今の心境がこれだ!」

光晴は眼に入れても痛くないほどかわいがった孫と同居している。おいらも子供時代はあったが自分の子供はいない。ましたや孫など居るわけがない。近所で子供を見かけることも少ないこともあり子供心はよくわからない。「宇宙から、子供を励ます言葉」。せめて、香里ちゃんの写真を見ながら想像力を働かせるしかない。うーん、それでも難しい!!。
 
   1月27日(金)

寒い一日だった。ここ数日はこのような書き出しブログが多かった。明日もそうなのだろうかー。相模原市に住む武田いずみさんに詩集「迷路屋」のお礼の手紙を出しに郵便局まで歩いて行く。往復40分かかる。

謹呈される詩集や詩誌のお礼状に毎回頭を悩ます。自分で詩集や詩誌を編んでいる人なら返礼品としてあげればそれで終わりになるらしい。ところがおいらには詩集がない。そこで、簡単な感想と写真絵葉書を送ることにしている。これが遅々として進まないのだ。

今回は自分ながらも早かったと感心する。どうしてだろうと考える。ここ数年、何でも面倒になり先送りするようなになった。億劫になるのだ。詩集のお礼などけろっと忘れている。これはまずいということで今年から心を入れ替えたのだ。さて、いつまで続くかだー。
 
   1月25日(木)

今冬一番の寒気団が上空に居座っているという。そのせいか朝起きたら猛烈な寒さ。長野の須坂に比べたらかわいいものだろうがとにかく寒い。寒いからと家にこもっていては精神的、肉体的に駄目だということで根本ぶどう園へ。筑波山にうっすらと雪が積もっている。

朝一番で詩人会議に詩を一編送付したので疲れた。ともかく常任運営委員なるものをはずしてもらった。うれしい。月2回、茨城から東京へ行くというのは74歳のオジサンにはハード過ぎる。

どういうわけか夕方霞ヶ浦の写真を撮りたくなり出かける。湖上から猛烈な風が吹いてくる。とても太刀打ちできないと早々に引き上げる。しかし、こんなにくそ寒いのに写真を撮りに出かけよういう気になっただけでもエライと自分を褒める。帰りは暖房の効いた土浦イオンでブログを書く。バイバイでーす。
 
   1月22日(日)

延増マンションの清掃へ行く。日曜日のせいか静かなものだ。まあ、いつも静かな駅前通りだ。マンションの陽がささない場所は一段と冷えている。それでも数分動けば体も温まり快調なり。


昼過ぎ、全国男子駅伝をテレビ観戦する。まず、故郷の山形県が優勝することは考えられない。皆無だ。それでも故郷応援となる。ただ走ってタスキをつなぐだけの競技。なにが面白のかと思われるかもしれないが、面白いのだ。長野県が優勝。山形県は問題外。

大相撲は大関貴景勝が優勝。高安は途中休場でがっかり。途中から興味を失いあまりテレビ観戦しなかった。次の場所を期待しよう。
 
   月21日(土)

根本ぶどう園の仕事は原則として土日を休みとする。昨日、オーナーと話し合い決めたので本日は休養日。窓越しに外を見ると本日は畑仕事にもってこいの日より。でも体が動かないのだ。さあ、よいしょして頑張ろうという気力がわかない。無念なり。

そこで詩人会議1月25日締めの原稿に励む。テーマは「地球 命の46億年」。これは重い。もう1か月前から挑戦しているがまとまらない。もう時間もないので諦める。そして空を見る。青いのだ、素晴らしいことだ。

ここ3,4年夢中で詩を書いてきたが玄界灘に引きこまれたようだ。いつかはこういう時期がやってくると予測していた。2023年1月のようだ。まだまだ頑張るつもりだが新鮮味がどんどん失せていくような気がする。
 
   1月20日(金)

根本ぶどう園には賄い夫が4人ほどいる。週2日ぐらい働いているようだ。最高齢は81歳。石岡から1時間ぐらいかけて出勤しているという。今日は顔を見かけなかったが仲間の話しでは「今、山に木を伐りに行っている」という。驚きだ。こういう人間は化け物だ。

さて、ぶどう園の剪定の方はどうかというと順調過ぎる。これもこまったものだ仕事が無くなるのだ。朝は寒いから辛いが30分も動けば体も温まり動きもスムーズ。自分でも驚くぐらいだ。こうなると、世の常に従うことに徹するべし。

気分転換に予科練記念館の公園に行く。遊具コーナーでは子供たちが元気に遊んでいる。「君たちに悩みはないのか?」思わず、そう訊きたくなるほど元気だ。元気に育ち大きくなってほしい。そして、決して記念館の展示品に収まらない人生をと祈る。
 
   1月19日(木)

病院へ行く。大きな変化はない。馬に食わせるほどの薬を手にして帰る。外は寒い。あたりまえだ冬だから寒いのは理にかなっている。体が硬直している。何もする気になれない。

帰りに霞ヶ浦を見る。この景色も硬直している。水鳥が波に揺られユーランゆーらん。彼らは一体何を考えて生きているのだろう。ただ、生きたいから生きているのだろうかー。そもそも自分たちは今を生きているという実感はあるのだろうかー。

きっと、おいらと大差がないはずだ。ただおいらは生きているというよりクスリに生かされているということだ。水鳥にはそれがない。やはり水鳥のほうがエライのだ。
欲がない。それだけでも素晴らしい生き方だ。
 
   1月17日(火)

夕方、久ぶりに青空が顔を出す。うれしくなって霞ヶ浦を見に行く。クルマの中はぽかぽか陽気だが湖岸を歩くと風が冷たい。やはり冬なのだ。湖にはたくさんの水鳥が戯れている。なんという名かは分からない。黒いゴミではないのは確かだ。

湖岸をリックを背負い真っ赤な顔をして走っている老人に出会う。思わずガンバレと声をかけたら息を弾ませ頷いている。疲れ切って声も出ないのだろう。おいらと同じぐらいの年恰好。ご同輩ガンバレだ。

後2カ月ほどの寒さを乗り切れば今年も生きられそう。そんな気がする。寒さに震えながら戦争をやっている国もある。霞ヶ浦の豊かな
自然を眺めながらブログを書いている老人もいる。世界は広いのだ。そして何でもあるのだ。
 
   1月16日(月)

根本ぶどう園の剪定の仕事をやる。小雨ぱらつき寒い。最悪の日だ。それでも約束をしたのだからとガマンをしてやる。世界は忍耐と節約が待っている。オーナーは若いから動きが活発。おいらはヨチヨチの仕事。これも致し方ないこと。とにかく2時間はできた。うれしい。

詩の整理を始めたがあちらこちら書き散らし自分でもわからなくなっている。さて、どうするかー。えぃ、面倒だということでゴミ箱に捨てる。太宰治が売れる前に書いた原稿はやなぎ行李数個あったという。それを全部捨てまた新たに書き始めたという。

写真や詩、雑文など書き溜めたものがたくさんある。これからはどんどん捨てることにする。断捨離だ。言葉は覚悟がいいがなかなか難しいものだ。ブログの写真は部屋の中でごまかす。寒くて動きたくないのだ。
 
   1月15日(日)

体調がよ良かったら仕事に行こうと思ったがお天気も悪いのでやめて自宅で静養。そしたら山猫から節約メールが入る。やはり冬は何かと暖房費がかさむ。いろんなところで忍耐をするがそれも限界がある。年寄りにはきつい冬だ。

貧乏生活にも矜持というものがある。それも辛抱坂を超えた。ひたすら寒さにしのいで一日を過ごす。冬はからだが硬直して何をするのにも億劫。冬眠したいと思う。(バーカ、それなら永遠に寝ていろ)

さて、世界はどうなっているかー。ロシアとウクライナの戦い。どうやって結末をつけるというのだろうー。老婆心ながら毎晩二人の大統領の夢をみる。おいらにはどうしようもないのにこまったものだ。
 
   1月12日(木)

何をするにも「ヨイショ」の気合が必要だ。来週から始める予定のブドウ剪定の仕事はできるのだろうかー。オーナーはおいらが後期高齢者と知っているから少しは大目に見てくれるだろう。いや、これが甘い考えかも知れない。とにかく仕事の守備範囲がどんどん狭くなり棺桶だけが近づいている感じ。

そこで「死とどう向き合うか」アルフォンス・デーケンを読み始める。帯には「輝いて生きていくために」とあるがこの場合は「輝いて死んでいくために」がふさわしそう。

山猫からもらったリンゴでジュースをかあちゃん作る。甘くて目ん玉ががとびだすぐらいにおいしい。幸せは一個のりんごのの中にあり。バンザイだ!!。
幸せの赤いりんごかー。それも良しなり!!

今日は、それなりに頑張れたような気がする。青空よありがとう。
 
  1月11日(水)

詩人会議に「わたしが推奨する一編」の感想文を送付。1000字足らずだがとりあえず2月号の50余作品を全部読まなければならない。新春特集なだけに著名な詩人もおり力作揃い。なかなかの難行だ。13編が候補にあがる。おいらのもあるが無視する。

他人の詩を評価するには厚顔と度胸と無知が要求される。それだけに難しい。ここは無知の涙で送る。ボツになってもかまわない。

山猫商店が大量のはねだしりんごが送られてくる。りんごのほっぺははかわゆいい。かわゆゆいのはかわゆゆいのだ。早く暖くなってほしい。
 
   1月9日(月)

「打ちひしがれた風景」(仮)について考える。考えるのは無料。さらに暇老人にはたっぷりと時間がある。それにしても空は見果てぬ夢をかなえてくれそうなぐらいに青く澄んでいる。すごいものだ。

そこで、また考える。無料だ。限りある生とはみんないうけど、誰もが永遠だと思っている。それでいいのだ、

さて、人生最後の企画だろうということについて考える。それにしても体が動いてくれない。去年はそれなりに動けたが今年に入りガクリときた。散歩をして少しでもと体力維持と思うが坂道の多い自宅周辺を歩くだけで息があがる。足は上がらないのだ。こういうのをあしからずというのだろう!!。12枚の写真と12編の詩。それで終わりだ。バイバイだ!!。


■詩人会議2023年2月号  「ぼんやりの時間」
 
   1月7日(土)

変な夢を見る。なんとこの一年の写真と詩のテーマを真剣に考えているのだ。いろいろとアイディアが浮かぶ。タイトルは「打ちひしがれた風景」(仮)、月1枚の写真と詩を制作。最後は手作りで知り合いに送りつけお金を請求する。うーん、しばらくぶりの明るい話題だ。ただ、企画倒れに終わらないことを祈る。

カメラは断然スマホ。年寄りには軽くていいのだ。もっと高度なテクニックを覚えればとも思うが今さら無理だ。意図した通りに近い形で写っていればいいのだ。これが詩と合致させるとなると難しい。「打ちひしがれた風景」という言葉と写真を噛んで作るのだー。

こういうことは自己満足だから黙っていてもいいと思うのだがバーカだからすぐに暴露する。そうかといっても世界を震撼させるようなことではない。まあ、年寄りのおもらしのようなもの。サラバだ!!。お休みなさい。
 
   1月6日(金)

正月にブログの書初めをしたが更新をするまでに至らなかった。どうしてかといえばダラダラと過ごしぼーっの連続だったからだ。

帯状疱疹の診断を受けたのが年末。精神的にはバタバタして落ち着かなかった。肉体的にはボロボロ。ゆっくり黄泉の国で休みたくなった。それでも朝になると目覚めているのだ。そこで元気印を頂戴しようとカスミのこんもりみかん山の写真を隠れて撮る。りんごもあるではないか!!。ああ、食べておくれと輝いている。そうだ、野菜や果物に限らずみんなに食べて欲しいと育っているのだ。

窓から見る青空はおいらの魂を抜き破るような青さだ。まいった。勘弁してくれ。「汝みずからを笑え」土屋賢一。を読む。面白い。人生性は面白いほうがいい。哲学者土屋賢一の本はこれまでにもたくさん読んだ。ー自分を笑えば、笑い者になるのは恐くないー

山猫から電話と写真付きのメールあり。お天気がいいから炭づくりに挑戦しているという。まったく元気なり。ガンバレ!!。
 
  1月1日(日)

本日から2023年の始まり。小松町内は静かなものだ。わが家の年末年始の過ごし方はいつも同じ。ここ数年はなに一つ正月らしきものがない。だからといって寂しくもない。今年で75回の正月を迎えるのだからもう飽きてしまったのだろうかー。

最近は詩を書くという闘志が希薄になった。詩人会議の自由の広場に毎月投稿している時はメラメラと燃えていた。景気づけに朱里ちゃんの詩を書いて本年の始まりとする。


あなたは春の風の音を
どこで聞いたのか
春の風とどんな話をしたのか
ねぇ、そっと教えて


朱里の2023年

だれよりも激しく
メラメラ燃え
マスクをはずし
大暴れ
世界の不幸を
吹き飛ばして
やるんだぞ!!

 
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