怠惰な散歩  2022年2月

   2月28日(月)

昨日、詩人会議から「第56回詩人会議新人賞ご受章お祝い申し上げます」の知らせと満開の桜の写真が添えられ送らてくる。■詩部門入選 御供文範「役回り」との文面。嘘じゃないかと疑うが本当らしい。佳作に3人の名前とタイトルが書かれている。

さて、「役回り」という詩はどんなものだったのか思い出せない。
頭が混乱している。それは、勤務明けの26日の朝、「次年度の契約ありません。理事長からの伝言です」。事務長からの冷たい宣告。「はい、分かりました」と答えたものの頭が真っ白になる。

また仕事探しかー。70歳を過ぎてから生きるエネルギーがすっかり衰えた。これにさらなる追い打ち。気を取り直して今日、シルバー人材センターに行き「4月から働きたい」と申し込む。「4月からですね、見つかれば連絡します」。ひと安心。ウクライナの国境越えの人びとよりまだ幸せ者だろう。

■「役回り」 第56回詩人会議新人賞
 
  2月25日(金)

朝の新聞を見てから暗くなった。ラジオのニュースを聞いて暗くなった。テレビニュースで国境を越え逃げる人びとを見て暗くなった。一日中暗い気持ちで過ごす。そして考える。なぜだろ、なぜなのだろうだ。分からない、分からないの連発。

規則は破られるもの。そのために新たな規則を作る。規則を積み重ねてもまた規則を破る。これは人間普遍の戦いだ。

今日は暖かく空はどこまでも青い。見上げると旅客機が飛んでいる。成田に行くのか羽田に行くのかー。はるか遠くの空を飛んでいても爆音が聞こえる。あれが爆撃機でそれも編隊を組んで飛び回っていたら堪らない。分からないことが下駄の上の卵じゃないが、たまげている。
 
 
   2月24日(木)

体調もよくなったということで、25日締めの詩人会議投稿の詩の推敲を始める。自由の広場は郵送だがテーマ投稿はメールでもいい。どういうシステムになっているのか分からないが募集要項に従うことにしている。採用になればちゃんと誌面に掲載される。

ああでもないこうでもないと、それなりの頭で考えて直し「エィヤー」と投稿。さてと、ここで頭を切り替え「大生ものがたり」の「北浦航空隊」の直しに入る。現在のところ写真なしで11ページ。いくらなんでも長すぎる。長ければどんどんカットすればいい、ともかくしばらく寝かそう。

早く暖かくなってくれないものかと空を見上げる。空は黙っている。空だって春を待っているじゃないかと声をかけてみるが返答なし。沈黙はひとつの武器になる。そう思う。
 
   2月23日(水)

ここ数日、当直が一日おきで4日も続いた。疲れたのか体調がすぐれなかったがようやく快復した。この、快復感というのは本人でないと分からない。第三者に説明しようにも言葉が見つからない。まぁ、パンツを裏返しにはくこともない状態に戻った、とでも言うのかー。

「幼子のボラナド」神戸朋子著、「生命海流」福岡伸一著の本を回流しながら読み静かに過ごす。目が疲れるとわが家の庭に出てウロウロ。外の方が暖かくて気持ちがいい。

体調が良くなったということで久しぶりに水郷公園へ。元気をもらおうと真っすぐに子ども広場へ。ブランコ乗り場ではしゃぐ子どもたち。そこで考える。ブランコは人が乗って漕がないとなぜ動かないのだろう。働くことを怠けているかー。「バーカ、それはブランコの休息というのだ!!」(天国に召された金魚ちゃんの声)
 
  2月22日(火)

その日の朝
新聞記事で
タゴールの映画を作った
女性の紹介記事を目にする

その日の午前
神戸朋子さん自ら訳した
タゴール詩集が贈られてくる

留美子さんが描いた絵を見る
日差しが明るさを増し
吟遊詩人と草いきれに包まれる

「ヤシの木」を読む
ひとは二本足で立っているけど
ふらふらとして落ち着かない

明るい午前の光は
寒さで震えている
 
   2月18日(金)

わが家の耕運機はエンジンのかかりが滅茶苦茶悪い。おいらが何か耕運機に悪さをしたのかー。息を切らしてしゃがみ込み「いい子、いい子」と撫でてやる。そういえばメーカーに問い合わせたら「冬場はかかりが悪いー」と消え入りそうな声で言っていた。

そこで、耕運機を温めることにする。新聞紙を敷いておいらの部屋へ。今日は暖かいと思うのだが耕運機には寒いのだろうかー。裏日本の積雪地帯とは比較にならなほど温暖な気候の茨城。それなのにと思う。

一時間ほど部屋に入れる。ヨッコラショと外へ運び出す。何度かレバーを引くとエンジンがかかるではないか。拍手をして耕運機を撫でてやる。山猫が教えてくれたように糠と鶏糞を畑に撒く。さあ、耕運機の出番だ。不規則なエンジン音を響かせ、よれよれおじんと耕運機は畑を行ったり来たり。休みを入れて30分ほどやり「ご苦労さん」と声をかけ終了。そうやって日々は過ぎて行くのです。終わり。
 
   2月17日(木)

今日はよく頑張った。誰もおいらを褒めてくれる人はいないから自分で神かがり的に褒めるのだ。まず、朝起きたこと。さらに一日遅れのブログを更新したこと。続いてNHKFMで古楽の時間を聴いたこと。さらに、寒さに震え新聞を取り出し読んだこと。

「透明な言葉」という言葉を考える。巣ガラス越しに話してもガラスに跳ね返るだけで届かない。それこそ「透明な言葉」「透明な会話」なのだろう。日常生活にそのような場面が増えたように思う。特にコロナ禍の中でマスク越しの会話では顕著だ。

そんなことを考えながら畑に撒く糠を探しに行く。狙いを定めた一軒目は空っぽ。二軒目も空っぽ。阿見町のスーパータイヨウでようやく手にすることができた。ここで「空っぽな言葉」というのもあることを知る。どうでもいいことだけどね!
 
   2月16日(水)

今日は定期健診日。先生「どうですか?」「自分では百点です」。先生は血液検査を見ながら「ああ、そうですか。数値も百点ですね」。「今回は花粉症の薬も出して下さい」「以前にも出しましたね。前のと同じでいいですか」。「点鼻薬もお願いします」「分かりました。ところで、私は4月から外来を診なくなりました。次の先生は潰瘍性大腸炎の専門です」。この間5分。予約診療でも待つこと1時間半。暇な老人にはこれでいいだろう。

その待ち時間に「神社とは何か」の本を開いたままたっぷり20分は眠る。目を覚ましたらヨダレが口もとを濡らしていた。夜勤明けだから無性に眠かったのだ。どこでも、いつでも眠れる特技を持つおいらはエライと思う。

次は薬局。暇で退屈だからブログを書く。暇だから数えてみると30人が順番待ちをしている。圧倒的に老人が多い。テレビではオリンピックの回転競技を中継しているが見ている人はいない。無理はない。どう考えてもウィンタースポーツとは無縁な世界で生きている人ばかり。ああ、悲しい。
 
   2月15日(火)

梅の写真を撮りにつくば市の梅園公園に行く。平日の午前ということもあり誰もいない。静かなものだ。梅の開花はまだ二分咲きといったところ。昨年、この公園で梅を拾ったことを思い出す。時期が遅かったので大半は拾われてなかった。落ち穂拾いならぬハズレ梅拾いだった。

さて、今年はどうしようかー。自宅周辺にも梅の木がたくさんある。これまでは梅干しを作ろうと考えたこともなくただ愛でるだけだった。梅園公園まで足を運ばなくても寂しげに梅の実が転がっているのを目にする。あれをせしめてくればいい。

これは土浦市からつくば市への越境越えになる。コロナでまん延防止が延長されるという。隣りの市だといえ境界越えには変わりない。そういうことで、コソ泥に徹することを誓う。
 
   2月14日(月)

朝から目をばっちり開いて「大生ものがたり」の受け持ち原稿「北浦海軍航空隊」に取りかかる。年寄りの衰えた頭はなかなかエンジンがかからないが、今日はうまくいくようだ。午前中に組み立て直し午後は二度目の組み立て。これがうまくいく。ああ、うれしい。

頭がぼーっとしてきたので散歩。小松公園のベンチに座り、これまたぼーっとしながら空を見上げる。空は空の顔をしている。空はぼーっおじんに見られていることを知っているのだろうか。


公園にあるブランコも滑り台もぼーっと冬の日を浴びている。そもそも公園には人っ子ひとりいない。寂しいものだ。これは珍しいことではない。最近は公園で遊んでいる子どもを見かけなくなった。子どもが少なくなったとかコロナ禍だけではないようだ。退屈な時間をやり過ごせる遊び道具が増えたのだ。ああ、こまったものだとブツブツ言いながら大きな欠伸。これもこまったものだ。
 
   2月13日(日)

頭がぼんやりしたまま潮来マリーナに行く。気怠いのだ。雨が降っている。気怠いのだ。気分がどんどん沈む。気分がすぐれないのだ。山猫からは「しっかり働いてチョ」と怒りの鬼マーク3つもついたメールが届く。そこで頑張る。

村山さんに原稿を見てもらい2,3カ所を修正して終わり。孫娘はパソコンが得意のようだからデータを渡して、後はうまくデザインをしてくれと頼んで用件は終わり。昼食をと言われたらが体調が悪いからと断りそそくさと帰る。

帰りも雨が降っている。ニランジョンからのメールを思い出す。父親を亡くしたことで嘆き悲しんでいるようだ。お父さんっ子だったのだろうかー。雨は降りやまない。鈍色の空から展開される冬景色はやっぱり物悲しいものだ。
 
   2月12日(土)

久しぶりにながみね温泉に行く。ヘルストンに座りながらスマホでブログに挑む。受け付けのおばさんは暇をもてあまし気味。盛んに両肩を上下させ体をほぐしている。暇過ぎて晩ごはんのおかずは何にしようかと考え、堂々巡りしてもとの鞘に収まっているようにも見える。

ここから自宅で書く。ながみね温泉から帰るとアマゾンからの宅配便。昨日、山猫がバレンタインデーのチョコを贈ったという連絡があった。開けて見てびっくり。チョコならぬ「長田弘全詩集」が入っている。どこで化けたのだろうかー。感謝のメールを送る。

以前、「長田弘全詩集」は手元において置きたいが6,000円と高価なので手が出ないと書いたことがある。山猫はおいらのブログを見ていたのかー。それにしても想定外のプレゼントに感謝。じっくり、ゆっくり、味わって読もう。そこで卑しい考えが浮かぶ。あれが欲しい、これが欲しいと書けば徳ある人からのプレゼントがあるかもー。「ああ、悲しい」と金魚ちゃんの嘆きの声が聞こえる。
■追伸:由美から筑波山の日の出の写真が送られてくる(右)
 
   2月11日(金)

ーロシアには昔から、書かれたものを声を出すことで息を吹き込んでいくという言霊の文化があります。ー日向寺康雄さん。元ソ連・ロシア。国営ラジオ局アナウンサー。(朝日新聞2月8日)

この言霊の文化という言葉にいたく感動する。雪深い土地で幼少期を過ごしかじかんだ掌に暖かい息を吹きかけ温めた言葉を相手に伝える。大切なことがどんどん希薄になっていくように思える。

9日、メシの種の「整復師会」編集会議はズームを使いテレビ会議。マスコミなどでテレビ会議とはどんな様子かを見て知ってはいたが自分で参加することはないと思っていた。貴重な体験をさせてもらった。利点、交通費がかからない。水戸までクルマを走らせることがないから体力的に楽。さらに、タバコが吸える。先のロシアの文化からほど遠いことを、テレビ会議で実感する。ニンゲンみんなかわいそう!!
 
   2月8日(火)

いばぶん事務所で理事長を囲んで会の存続について4人で話し合う。おいらはすっぱり辞めたいのが本音。詩を書いたり写真を撮ったり花壇や畑仕事と読書の気ままに静かな日々を過ごしたい。

野辺の花を
愛でることを
忘れたのは
どなたですか?

ため息ともつかない
ため息
空が空をかける
 
   2月6日(日)

阿見町のしのぶ庵にそばを食べに行く。オーダーは「しのぶあん」。辛い大根おろしで食べるもので野菜天ぷらがついている。本日は白菜の大盛漬け物のサービス。ここの日本そばがおいらの口にあっている。食べているうちに背中が寒くなってくる。冷たいそばを食べているせいだろうと思っていたら窓が少し開いているのだ。コロナのせいだ。ばかめ。

花壇が淋しいので、ジョイフル本田で花を買う。花とおじさんだ。野菜売り場を覗いてみるが、さすがにこの時節は少ない。ただ、種いもはどっさり並んでいる。植え時はいつがいいのかと聞くと2月下旬からということ。それならと買うのをやめ花だけにする。

今年の詩のテーマを「人体」にしようとお正月に決めた。一向に前に進まない。あまりにも重く難しすぎおいらの能力では太刀打ちできないのだ。
「男にはおちんちんがあり/女にはおめこがあり」そこで止まり前に進まなない。ああ、かわいそう。「バーカ、永遠のバーカ」天国の金魚ちゃんから久しぶりに声が届く。ありがとうでござんす。
 
  2月5日(土)

今年はわが家の庭をマリーゴールドで埋めつくしてやろうと作戦を練る。簡単なのは花の苗を買ってきて植えればいいのだがそれじゃ面白くない。市販の種を買ってきてポットで育てるのだ。昨年もやったがどうもうまくいかなかった。そこで作戦といろいろ考えたが優しくやさしく育てればいいのだという結論。

「愛をもって接しなさい」武田泰淳の小説にそんな一節があった。そうだ、世界は愛に飢えているのだ。せめてもマリーゴールドに百万ドルの愛を注ごう。

ミニミニ耕運機のエンジンのかかりが悪い。こいつには愛を囁いても駄目だ。全身が鉄の固まりだから気持ちが伝わらない。ここに機械文明の大きな落とし穴があるようだ。そういうことで本日はお終いです。 
 
   2月4日(金)

朝からてんてこ舞い。スキャナーがいうことを聞いてくれない。これまで普通に使えていたのにだ。何度もソフトをインストロールするがいつもの表示が出ない。メーカーのエプソンに電話相談。「それでは試しに設定をクリックしてPCのALTを押して下さい」{あっ、出た」。ああ疲れた。この間の1時間は何だったのだろう?。これまでもこんなことを何度も味わってきた。これも生きるという一里塚かー。

宿直室で北京オリンピックの開会式を見る。習近平主席の隣りのバッハ会長とはあきらかに違う超厚着。防弾チョッキをつけている。防弾マスクに手袋。選手入場のプラカードをもつ若い女性は足が長くスタイルがいい。見ていて気づいたのだが生きた人間の登場が少ない。最新のテクノロジーを使った光のショータイム。これが国威高揚というのかー。
 
   2月2日(水)

思わぬ臨時収入があったので大奮発してミニミニ耕運機をアマゾンで買う。ホンダやヤンマーなどのメーカー製は高価だから手が出ない。そこでネットで探すと3万円以下があった。これなら手が届く。

当直明けだが目をランランと輝かせ組立作業、スムーズに出来上がる。さて、エンジン始動と張り切る。ところがエンジンはかかってくれない。1時間もやることになる。事情を察知したあちゃんは眉間に皺を寄せ「中国製かー」「日本製だ」

メーカーに問い合わせる。いろいろと初歩的なアドバイス。エンジン始動の手順は刈り払い機とまったく同じ。こちらは長い間やっているから最早、ベテランの粋に入っているはず。心を落ち着かせ再度挑戦。エンジンがうなる。わが家は平和になる。「安心して酒を飲める」「安心して天ぷらをあげられる」。そういうことで、本日はお終い。

■「満月の夜」詩人会議(3月号)
 
  2月1日(火)

さあ、今日から2月がスタート。山王姫と茨城県庁へ。駐車場に車を走らせていると車窓から紅梅が咲いている。思わず「紅梅が咲いている!!」と声をあげる。「あっ、本当だ!!」山王姫。土浦より寒いといあわれる水戸で梅が開花している。そうだ、半歩、半歩、一歩、一歩と春は近づいているのだ。

これからの山王姫邸についての相談。茨城県のセールスマンと自負する部長からいろいろアドバイスを受ける。県議会が近づき忙しそう。県知事から呼ばれた「10分で終わる」と席をはずす。

守り続けるということは様々な困難が伴う。どうしたらいいものか、おいらの頭では知恵など浮かぶわけがない。すべてを解決するには潤沢な資金があればということかー。それが現実のようだ。こまったものだ。
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