怠惰な散歩  2021年

   5月31日(月)

いばぶん事務所へ。その前に法務局へ立ち寄りいばぶんの印鑑証明書の手続き。どうしても公的機関は苦手だ。生理的に拒否反応を示す。手順さへ間違えなければスムーズに終えることが分かっていて二の足を踏んでしまう。

待てば海路の日よりありというべきか、整復師会より広報紙発行再開の知らせが入る。コロナ禍の影響で多くの事業が中止になり広報紙に載せる材料がないということで1年間休んだ。これはもろに生活に響いた。ともかく綱渡りのようにして過ごしてきた。それもそろそろ限界というかという時期に朗報。ああ、まだ生きていろよということらしい。

今日で「一日一章」を終える。昨年の6月から開始して1年。365日全部書いてきたわけではない。ブログを休んだ日は飛ばしている。それでも300回以上はネコババしてきた。次のをと本屋で探したら「賢者の名言」。どうもタイトルがうやうやしいと思うがー。毎日、くだらない戯言だらけのブログにトップページだけは真面目にという狙いだ。さて、どうなることやら。
 
  5月30日(日)

「みんなで花を植えよう」と町内会で呼びかけているのでスコップと手袋を持って小松公民館にトコトコ歩いて行く。10時開始と案内にあったのでその時間に合わせて行ったらもう終わりに近かった。「みんな早起きですね」とは役員。花の苗とジュースをもらって帰る。

毎日巣ごもり生活を強いられふさぎこんでいる日が多いせいか、こういう時はみんな張り切って動き回っている。子どもたちのはしゃぐ声は大きくよく聞こえるがうれしそうな顔の表情はマスクに隠され見えない。それは寂しくも悲しきことでもある。

金魚ちゃんのハウスクリーニング。水替えだ。水が汚れてきたせいか金魚ちゃんが水面近くで口をパクパクするようになった。命の危険信号である。パクパクする口を覗くと虫歯がない。ないわけだ歯そのものがないのだから。きれいきれいになった水槽で金魚ちゃんゆらりゆらり。「バーカ、もっと真面目に手抜きしないでやれ!」とは金魚ちゃんの声。「ハイ、わかりました」。 
 
   5月29日(土)

金魚ちゃんのハウス清掃以外の今日予定していた作業は全部こなした。別に自慢できることでもない。でもよくやったと自分をほめてやりたい。そうしないとかわいそうだからだ。どうしてかわいそうかといえば作業内容が草むしりという単純でどうでもいいことばかり。要するにやらなくてもいいのだ。冬になれば雑草は枯れて姿を消すのだ。

長野の清織姫からスズメちゃんのブローチととテレホンカードが送られてくる。ブログにスズメちゃんの写真をのせているからとしたらおいらのブログを見ている。どれぐらい頻度は分からない。たまたま開いてみたらトップページにスズメちゃんの写真が飛び込んできた。

30年くらい前に飛騨で買ったイチイ(一位)の福来(ふくら)スズメだという。不苦労=フクロウのことは知っているが福来スズメというのは初耳。スズメ愛のハンパでないーとまで添え書きにおいらのことを記している。ああ、おいらはスズメと心中するのだろうかー。おねだりしないスズメのようだから飼いましょうとメールを送る。そういうことで本日は店仕舞いです。
 
   5月28日(金)

スマホがウンともスンとも言わない。バッテリーがなくなったから充電しようと電源を入れるが反応なし。どうしたのだろう?。コンセントを何度も抜いたり入れたりするがだんまり。ストライキでも起こしているのだろうか?。何に対して不満があるのかー。そいうことでauショップへ。

今の時代スマホなしの生活は考えられなくなった。自分で拒否しても社会システムがそのように構築されている。そんなに持ちたくなかったら生きるのをおやめになったらとでも言われそうだ。

結論は充電器の故障ということが判明。交換ということになる。そういうことで社会参画への道が残される。今日はぶどう園にスマホを持っていかなかった。気がついたのは時計がないから時間がわからない。さらにNHKのFMが聴けない。淋しいといことを知る。やはり、スマホは必携品です。おわり。
 
   5月27日(木)

雨が降る。畑も庭にも雨が降る。いったい何用があって雨は降るのか?。分からないけど雨は降る。天気予報の姉ちゃんはまだ梅雨入りではないとケラケラと笑いながら自慢げにいう。そのせいかケラケラと笑いながら雨は降る。

日清日露の戦役は平民(百姓町人)はまだ戦争は士族がするものだと思っていた。だから与謝野晶子は、弟よ、お前は堺の町の商人の子じゃないか、死ぬことはないんだよと書いたのが「君死にたもうことなかれ」。ーそれを反戦詩として通用させたのは日教組。山本夏彦はそう書いている。初めて知る。知っていても知らなくてもいいこと、どちらだろう?。どうも、花森安治と山本夏彦がおいらの頭の中で混在しているようだ。

雨は夕方になっても降っている。まだ用事を済ませていないようだ。空のどこかに傘を忘れてきたのかー。さぞかし空は広いから探すのは大変だろう。ああ、かわいそうな雨ちゃん。そうかといって慰めのことばをおいらは知らない。知らなくてもいいことだ。雨はまだ降っている。さよならだ。
 
 ピーちゃん  5月26日(水)

「梅はその日の難のがれ」「梅干しを日ごと食べれば福を呼ぶ」ということで、梅干し作りに初挑戦。スーパーでも青梅を売っているがただで入手できないものかと考える。そこで思いついたのがつくば市内にある梅園公園。この春、観梅にいった。花は咲いていたが実はなっていなかった。今なら時期的に梅の実があってもおかしくない。

そこで超早出の4時半に家を出る。現場に到着すると、ああ、もう先客あり。ここで拾い人に取材。「さっき、拾っていった人がいるからもうないね。今年は終わりみたい」。そうか、気づくのが遅かった。それでもと必死になって公園を一周しておこぼれを50個ほど拾う。さあ、レジメを見ながらおいしい梅干し作りに挑むのだ。

午後、恋瀬川を越え山王姫宅へ。県提出のいばぶん報告書を受け取る。公的機関はいろいろと約束事がありうるさい。ピーちゃんとポッポーちゃんをパチリパチリ。かわゆい、かわいい。みんなかわいくあればと願う。気つけ薬頂く。ありがとうございます。忘れていたことを思い出してくれることを願う。
 ポッポーちゃん
   5月25日(火)

当直明けの朝4時に目覚め起きる。ようやく東の空が明るくなりだした。昨日のコロナワクチン注射の副作用もない。ただ、腕の注射を打ったあたりをさわると痛い。触らなければ痛くない。あたりまえだ。気分はどうかといえば実にしっかりしている爽快だ。どうやら、ワクチンはおいらと健康で幸せな契約を結んでくれたようだ。

調子がいいうちにといばぶん事務所に立ち寄り「ナミテントウの世界」「目で見るつくばの歴史」2冊をせしめる。入院しているK氏より持ってきてほしいというメールが入っていたからだ。K氏、ようやく退院でき施設に入居するという。「ワイフに2年ぶりに会える」という。実に長い闘いだった。

さて、午後は山王姫宅へ。ところが昼食を食べた後に全身がだるい。体が重くて動かない。今ごろコロナワクチンの副作用が出たのだろうか。無理をしない方がいいと電話を入れて明日にすると連絡。調子に乗って朝からバタバタ動いたせいかも知れない。家でゆっくり休むことにする。
 
   5月24日(月)

「ブス、ブス、ブス」。次々にコロナワクチンが打たれる。3人の看護士が「はい、次の方どうぞ」と声をかけ立ったまま注射を打つ。滝の園の入居者や働く職員、パート、出入れ業者、その他モロモロの人が呼び出され有無をいわせず流れ作業のように「ブス、ブス、ブス」。注射はほんの数秒で済み痛みもない。注射後30分は待機して下さい。若い人などそんな注意に耳を傾けることなくさっさと園を後にする。おいらは用心してクルマの中で待機。体調の異変もないのでそそくさと帰る。

おいらのコロナワクチン接種は7月頃と思っていたが特老施設で働いているということで一足早くなった。考えてみれば世界中の人々がクビを長くして待ちわびているのだから、これは運がいいというのか神さまの思し召しかー。

テレビのニュースでは全国各地で本格的に接種が開始されたという。「ブス、ブス、ブス」と、ぶすでも美人でも早く全国民が受けることができればと願う。とにかくおいらは1回目の接種は終えたのだ。
 
   5月23日(日)

「闘争無限」とは勇ましい。そういえばこの頃は闘争心が失せてきた。「ぼーっ無限」の時間が多くなったような気がする。スポーツ選手が活躍できる時間は短い。あの体力を維持できるのはどんなスポーツ界でも長続きするものではなく旬の時代ごくわずかの時間だ。

さて、おいらの旬の年齢とはいつ頃だろうと思い巡らす。青春時代を除いて仕事に夢中になり打ち込めたのは45歳から60歳頃までではないか。自分でよくやったと褒められるのは15年間ぐらいのような気がする。

整復師会の定時総会で水戸に行く。一年ぶりだ。昨年度の事業報告でコロナ禍の影響で二十以上の事業が中止になっている。もちろん広報誌発行もだ。それがおいらには大きな痛手だった。さあ、果たして今年はどうなることだろう。まだ、はっきりわからない。なるようにしかならないのだ。
 
   5月22日(土)

薄緑色に輝く巨峰のぶどうが実をつけてきた。まだ子どものオッパイのように小さいけど確実に大きくなっている。親方は6月の梅雨時が心配。無農薬というふれこみだから消毒はしない。いや、どういう薬品を使い時期はいつなのか何も分からないのだ。こうなると神様仏様に祈るしかない。「どうか無事に育つようにお願いします」。のんきなものだ。

わが家のジャガイモも花を咲かせてきた。ブッロッコリーもすくすく。カゴメのトマトも背を伸ばし花芽をつけてきた。今年はわが家の野菜で貧乏食卓をにぎわしてくれのではと大いなる期待。悪さをする虫がやってこなければと願う。ここでも神様仏様と祈る。

詩人会議の応募作品が決まる。さあ、締め切りまで推敲、推敲です。これが楽しい。ここでも神様仏様に掲載されますようにと祈る。高安勝つ、巨人勝つ。うれしい。
 
   5月21日(金)

朝、どういうわけかいつものように目が覚め布団の中で大きく背伸びをして起き上がる。そこで、豆腐屋さんのラッパが奏でる。プップッーとともにオシッコタイム。ああ、朝というもはかくもありきであることのようだ。さあ、一日の本番だ。

ぶどう園でにわか農民がインチキ手入れをする。たわわな葡萄が実ることを期待しながらミトモ流に裁く。これこそ神がかりだ。なぜなら、ど素人が目の前にある邪魔な枝を切り払うのだから、ぶどう様はどんな思いで受け入れてくれているかわからない。そう、会話がないのだ。まるで、水の中でおしゃべりしているみたいだ。どうか勘弁してくださいとあいさつして終える。

午後は歯医者の日。キーンという金属音を想像しながら行く。想定通り。耳もとでうろつく蚊の羽音に似ているが可愛げがない。忍の一字。およそ30分で終える。ああ、こうして今日も終わるのです。外は雨。雨音には優しさがあるように思う。ありがとう!!。
 
   5月20日(木)

スズメたちへ

スズメよスズメよ
どこまでもどこまでも
スズメであれ

スズメよスズメよ
スズメであることに
誇りと自信をもて

スズメよスズメよ
スズメであればこそ
自由のつばさで飛べ

スズメよスズメよ
スズメとして生き
スズメとして死んでみろ
 
   5月19日(水)

アメリカの祈り、おいらの祈り、かあちゃんの祈り、金魚ちゃんの祈りを考える。なぜ、そうなったのか。ラジオからアメリカの祈りの音楽が流れてきたからだ。山本直純指揮でオーケストラ演奏。歌詞はない。ただ、メロディーが流れてくる。どういうわけか涙が出る。

プレスリーもステージで何度も歌っている。アメリカの祈りとはアメリカという国家の名のもとアメリカ人を殺すことに否を訴えるものだ。プレスリーもマイクロジャクソンもモハメッドアリもみんなアメリカに殺されたのだと、おいらは頑なに今でも思っている。

ここのところ健康診断が続く。今日は滝の園の年2回の定期検査。会場は駐車場。傘をさしながら順番を待つ。レントゲンは厳しく男と女に分けられている。女性がやっている時は男性は進入禁止、男性がやっている時はその逆。サービス精神を発揮してもっと解放的にオープンしたらと思う。中国人は「どうせ見られているから」と監視社会にめげていないのだから。
 
   5月18日(火)

書店の本棚を見ていたら「○○トリセツ」というタイトルの本を見かける。さてはどういうことだろう。「鳥の説法」の略だろうか。わが家のコロコロ食堂にはスズメがやってきてピーチクパーチクやっている。さては住人に何かを説法しているのかー。例えば「ぼーっとしていないで生産性のあることをやれ!」

スズメ語は義務教育で習わなかった。だから分からない。それにしても口惜しいのでネットで調べる。「取扱説明書」の略だそうだ。そういわれて見れば本のタイトルも納得できる。まだ「トリセツのぼーっニンゲン」は出ていないのだろうか?。発売されたら読んでみたいものだ。

山本夏彦のコラムは毒があって面白い。コロナワクチン接種予約のシニアの慌てぶりならどうだろう。「ああ、ご同輩よ、そんなに慌てるな!。命長ければ恥多し。生産性のある人たちを優先させるべし!!」。こんな毒をもっていたとしても書かないだろう。
 
   5月17日(月)

今日は楽しくない大腸の内視鏡検査日。病院で大腸の大掃除をすることにしていたので9時20分まで受付をするようにとお達し。そこで、大きなポリ袋に入った下剤が持って待機室へ。数回に分けてポカリスェットのような味がする飲料水を飲みながら排便を待つ。同部屋には2人の先客あり。

検査は午後2時から。それまで時間はたっぷりある。そこで「日本人の質問」ドナルドキーン(朝日選書)を読んで待つことにする。10分も経つと薬の効果が出てきたのか排便をうながすアラーム発生。約2ℓを飲み最低5回は排便するようにと大きな張り紙。こうなると読書どころではない。

大腸は消化管の最後の部分で長さは1,6mほど。午後2時過ぎに検査が始まる。これまでの経験から痛みはないはずだった。ところが今回は挿入菅がなかなか先に進まない。体をよじりガマンガマン。検査の結果は「正常な人と同じよう」と先生。苦しかったのは回復に向かい、腸菅に筋肉がついたために。ひと安心して処方箋を持って薬局へ。馬に食わせるほどもらい終わり。時間は午後4時にちかい。ああ、こうしながら明日も生きようとしているのです。
 
   5月16日(日)

「夕顔」の種を植える。うまく芽を出し花を咲かせてくれればバンバンザイ。午後からいばぶん令和2年度決算書類を見てもらうため久しぶりに山王姫宅へ。広い屋敷の樹木や草花は活きいきとしている。心臓をパクパクさせ生を謳歌しているという感じ。自然は逞しく美しい。ブログ用にとツツジとアヤメ咲く庭の一角でパチリパチリ。

後はコロナの話題になる。コロナをまな板にのせたとしてもさばくことはできない。それでもいつもの不安を解消させる効果はあるようだ。

ブログの話題に転じる。おいらのブログを見ている人はいるのだろうかー。間違って見ている人もいるかもしれない。そういう人は二度と見ないなだろう。それでも休まず更新することに執着する。ああ、何でも自己満足でいいのだ、と、金魚ちゃんに報告。金魚ちゃん尾ひれをふるわせ認めてくれる。うれしい!!。
 
   5月15日(土)

朝から気怠い。体が重く頭はぼーっ。(バーカ、おまえさんの日常生活ではないかー)と金魚ちゃんの声。声の主はユーランユラリと飽きもせず水槽の中を泳いでいる。ああ、オマエさんはエライと呟きながらエサをパラパラ。ああ、パラパラノーテンキ人生とは、と考える。

空は青くない。灰色の幕を敷きつめたようにどんよりしている。気圧や気温の変化によって自律神経のバランス崩れ、頭痛や吐き気を起こすとされる気象病だろうか。気持ちがどんどん沈んでいく。

詩人クラブから送られてきた70周年記念大会のパンフレット「現代詩東西南北」を見る。当日の朗読詩が掲載されている。「漂うものさえなく/一面きみどり染まった/五月の海 激しい風もなく/柔らかな光りもなく/黙りこむ海」(以下略)「五月の海」若宮明彦。そうだ、限りなく透明に近いぼーっを抱え五月の海を見に行こう。そうすれば少しは心が晴れるかもしれない。
 
   5月13日(木)

滝の園から電話があり緊急にPCR検査を受けることになり出かける。朝7時からというから忙しい。これで3回目だ。終わるとそのまま根本ぶどう園へ。まだ8時前でだぁれもいない。のんびりゆっくり蔓の誘引をやる。親方の話しではそんな慎重にならなくてもいい。そこで適当に枯れ枝を払ったり目ざとい葉っぱをばっさり切り落とす。こういう仕事が精神的に落ちつく。

清織姫から書棚の写真が届く。今興味深く読んでいるのは「地霊の復権」ー地霊の嘆息を感受するーと帯に書かれている。ほかの本はおいらの能力では読みこなすことが出来そうもないものばかり。民俗学者の谷川健一もある。沖縄について書いたのを読んだような記憶がある。ほかはチンプンカンプン。

タイヨーに買い物。ついでにわが家で採れたエシャレットなどの野菜を姫丸子にあげる。相変わらず外見はニコニコして元気そう。内面はわからない。多分、元気だと思う。なぜなら、わが家の金魚ちゃんが元気だから。
 
   5月12日(水)

ぼんやりとしながらクルマを走らせ写真を撮りに行く。これといった目的がない。今年はこのテーマで写真を撮ってみようという闘志がわかない。なにかふぬけになったようだ。ここまでがおまえさんの写真は限界。もう写真なんかに夢中にならず、ぼーっと静かに生きて静かにおさらばすればいい。そんな声が金魚ちゃんから聞こえてくる。

久しぶりに図書館に行く。ここは厳格な禁煙所。無料駐車券2時間はタバコとさよならだ。それだけでも価値があるというもの。今日は雑誌を読もうということで「世界」を広げる。さまざまなテーマを論者が意見を述べている。

文藝春秋のような華やかさはない。真面目なのだ。真面目過ぎると肩が凝り眠くなる。ところが居眠りもせず読むことができた。まだまだ活字を追いかける体力は残っているようだ。そういえば、もうお終いに近いからと「残照記」のタイトルで自費出版した人がいた。そういう考えもあるのかとぼーっと考えながら帰る。そういうことで本日の「ぼーっ記」は終わりです。
 
   5月11日(火)

滝の園の仕事を終え福岡堰に写真を撮りに直行。出かける時は晴れそうだったが雲行きがだんだん怪しくなり目的地に着いたら想定外の天気。それにうすら寒い。みごとな空振りだ。昨晩書いた詩を思い出す。

寒い日は厚いパンツ
暑い日は薄いパンツ
うららかな日はノーパン

夕方、イギリスに住んでいる姪っ子とおぶちゃん来る。姪っ子、訳8カ月の足止めを食いようやく帰れるという。リモートワークで仕事は出来たとのこと。世の中、どうなっているのかチンプンカンプン。
 
   5月10日(月)

朝、目覚めるとタバコを切らしていることに気づく。そこでゴミ出しついでにトコトコ歩く。「健康のために歩いて来たよ」と、コンビニの姉ちゃんに言ったら「それならタバコをやめたらどうですか」と言い返されたという新聞記事を覚えているから絶対に口にしないことにして買う。万歩計で往復2400歩。

インドのパピアからメール。
親愛なるみともさん、 コンニチワ。あなたがうまくやっていることを願っています。インドでは居心地の良い状況が非常に悪いです。私と私の家族全員が軽度の症状で5月3日にCovidの陽性反応を示しました。私たちは自宅で孤立し、回復しています。コミュニティから受け取ったすべての助け。私たちの孤立期間は18日までに終わる じゃ、気をつけて  パピア

パピアが住んでいるコルカタ市はイギリスの落とし物の街。首都がニューデリーに遷都してから荒廃の一途。廃墟に近いような街に1500万人も住み公衆衛生など辞書にないような不衛生な街。まるでゴミの
万博会場。ともかく無事回復を祈るとメールを送る。 
 
   5月9日(日)

今日から大相撲夏場所がはじまる。夏場所というにはふさわしいような暑い日だった。暑い夏もいやだけど寒い冬もいやだ。ああ、どこまでニンゲンは我がままにできているのだろう。

力士の大きな肉体を見ていると、思わずどこから食べるかという想像をしてしまう。あの鍛えられた肉の質はどうなのだろう。大岡昇平の「野火」の小説で人肉を食べるシーンがある。やせ衰えた兵士の人肉はおいしくなかったのではーs

福岡伸一の「迷走生活の指南書」(文藝春秋)を読む。なんでもかんでもマニュアル化されるアメリカ。ニューヨーク州ではコロナ禍のSEX指南書が示され「いちばん安全なパートナーはあなた自身です」。さすがアメリカは進んでいる。マスの方法まで細かに注意書きが記されている。科学が進歩してもこれだけは歴史が変わらないということかー。ありがとうございます。応援している髙安が勝つ。ガンバレよ。あんたの毛もじゃらの肉は食べたいと思いません。
 
   5月8日(土)

潮来マリーナへクルマを走らせる。県南の穀倉地帯の稲敷地方の広い田んぼ田植えをほとんど終えたようだ。水を張られた田んぼが五月の風に揺られさざ波を立てている。そういえば、大きな農家の屋根の上に泳いでいるのコイノボリの姿が見えない。子供の日も過ぎたから下したのだろうかー。

「動けばまわる」の村山さんは意気軒高。清織姫からの注文の撮影場所を案内してもらう。削られた断崖は大きな木が鬱蒼と茂り影も形もわからない。ただ、案内されるままにパチリパチリ。ともかく無事に終える。

家に戻るなりバタンキュウ。歯の痛みも下痢気味も治った。まだまだ動けそうだ。深夜目覚めて村山さんに指摘された写真の間違いを確認する。1ヶ月ほど前までネット載っていた写真が見当たれない。どうやら間違いに気づき誰かがカットしたようだ。改めて探すと別人だった。ネットは便利だが落とし穴もあることに気づく。これだけでも本日の大きな収穫だった。
 
   5月7日(金)

深い付き合いをしたくない歯医者に行く。奥歯がグラグラしている。年齢とともに歯肉は衰えやせ細っている。要するに歯を支える土台が崩れかかっているのだ。どう考えても歯肉はもとに戻るとは考えにくい。悲しくなるが、これも長生きした御礼奉公かとあきらめ通院することにする。

長野の清織姫から北浦航空隊の資料がどっさり送られてくる。封筒の厚さの感触から一瞬、封をあけるのをためらう。意を決して封を切る。まるで宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘のようだ。「しっかりやってネ!」のメモが添付されている。何をどうまとめて何を伝えたいのかー。

常陽新聞時代、元予科練生の数人の記者と聞き書きをして連載したことがある。終了後、岩波社長が「等身大の予科練」という単行本にまとめてくれた。出来上がった本を手にして岩波さんの編集能力のすごさに驚いた。ともかく村山さんの主目的がわからない。明日、会って聞いてみよう。
 
   5月6日(木)

「荒れた天気」の詩を一編まとめる。たった40行ぐらいの詩に一カ月近く格闘していた。どうにか詩らしきかたちが出来たというだけ。これから寝かしてまた推敲してみよう。

「カメラの手ぶれをどうするか?」という清織姫からの問い合わせ。ハートを静めて優しくおもてなしの精神でシャッターボタンを押すこと、とはアドバイスしなかっが、昔むかし土浦西友のカルチャーセンター写真教室で二年ぐらい教えたことを思い出す。

大人におとなが教えるということは難しい。神がかり的な精神を持ちあわせていないと無理だ。なぜかといえば大人はズルイからだ。それだけではない、わが家の金魚ちゃんもズルイしコロコロ食堂にやってくるスズメもそれを狙うネコチャンも声もあげずニョキニョキ生える雑草もみんなだ。世の中、ズルクないものを探すほうが難しいようだ。
 
   5月5日(水)

今日は子供の日。おいらの子ども時代はねぎっぱなを垂らしひたすら遊んでいた。どんな遊びだったのか信号機もないようなど田舎。遊園地などあるわけもなく牛と馬のフンがころんころん道端に落ちているような砂利道で正体不明の遊びにふけっていた。もちろん、子供の日のお祝いなどあるはずがない。

大人になったら何になりたいなどという夢も希望もなかった。ただ正体不明の遊びを夢中でやっていた。それでもすくすく育ちいつの間にによれよれおじん。素直にぼんやり生きるということで老人までたどりついたような気がする。

「内側から見たA1大国 中国」ーアメリカとの技術覇権争いの最前線ー 細田直之(朝日新聞出版)を読む。中国のIT世界はすごい。何がすごいかといったら14億人もの国民を完全管理下においていること。監視カメラがいたるところに設置されたえず見張られている。うかつに立ちションベンもできない。日本も窮屈になったと感じるがそれどころではない。ああ、恐ろしや恐ろしや!。
 
   5月4日(火)

長野の清織姫が超高価なイヤリングを五所駒瀧神社で紛失したらい。紛失というのは場所がはっきり断定できれば探すのも楽だが、彼女の場合は宿泊先かと思い探したという。それが、五所駒瀧で椅子の上に落ちていたという。神さまに仕える人がネコババするわけがない。宮司が送付してくれるという。ところで、超豪華というイヤリングを拝見させてもらいたいものだ。

彼女のメールには絵文字がピョコタンピョコタンとたくさんついている。まるで火星人からの伝言かとさえ思ってしまう。この絵文字にはたくさんの意味がこめられているのだろうがなかなか理解できない。まるで暗号のようだ。

世界で一番短い手紙は、「?」、「!」の一文字ずつだそうだ。ある作家が今回出版した本の売れ行きを心配して編集者に「?」と送り返事が「!」。これは記号というより暗号。これから暗号解読の勉強もしなければならない時代になったのかー。まぁ、それも人生の一里塚というものだろう。
 
   5月3日

今日は憲法記念日。今日は畑日和。今日は無観客の日。今日もサヤエンドウの日。わが家のサヤエンドウは鈴生りで毎日のように食卓にのる。もう、かれこれ二週間近い。採ってもとってもということでとってもおいしく食べている。

詩人会議6月号が届く。編集員はみんな高齢者。コロナ禍の中、よくぞ毎号休まず発行していると感心と感謝をする。わたしの好きな詩で谷川俊太郎の「ある墓碑銘」を壇充心美という若く美しそうな女性が紹介している。とてもいい詩だ。2021年4月7日朝日新聞夕刊よりとある。

わが家も朝日新聞の読者だが夕刊はとっていない。荒川沖から小松に越してから夕刊はやめた。東京に住んでいたころ、東京新聞の夕刊の文化欄が面白く朝日と併読したことがある。ところが今は夕刊はないから見落とすことはないはずだ。朝刊にも載っていて見落としたのかもしれない。それにしても、夕刊がないと一日の終わりのけじめがつかくなんとも淋しいものだ。

■「真白き富士の嶺」詩人会議6月号
 
   5月2日(日)

朝、柴犬シュリと散歩。そこで考える。シュリはおいらの引っ張るようにどんどん前に進む。そこで目にするのはくるくると回る尻尾。そこまではいいがまともにお尻の穴までまる見え。シュリには羞恥心がない。おいらは考えるこれは主客転倒ではないかー。

今日は涼しかった。そこで刈り払い機を持ち出しわが家の土手の草刈り。体力的に30分が限界。そこで気合を入れてガンバル。ガリガリ刈られた雑草は一網打尽だ。ざまあみろとうそぶく。「バーカ、おまえさんが自慢できることはそれぐらいだよ!」と、金魚ちゃんの五月声(さつきごえ)。ああ、美しい。

母ちゃんの友だちでもある貸家のオーナーが来訪。サクランボを持ってきてくれる。早く摘まないと野鳥に全部食べられてしまう。去年は全部野鳥さんのお腹に消えたという。ああ、みんな必死に生きていることを知る。今日は、これでお終い、バイバイです。
 
  5月1日(土)

二日酔いも癒えてすがすがしい朝。今日から鯉のぼり泳ぐ五月となる。まあ、四月が終われば五月となるのは当たり前だが、このゴールデンウィークは自粛、自粛で息がつまりそう。これが二年目となるとさすがに人々は限界を越してしまったようだ。

体調もいいので野良仕事に精を出す。トマト苗の支柱にとこんもり山に竹刈りに行く。細くて美しい竹を散歩の時に目にしており、いつかは利用してやろうと思っていた。本日はマスクなしでナタとノコギリを持ってノッソリノッソリ。

「詩学入門」をパラパラ読む。伊東静男の話をしっかりと読む。萩原朔太郎がほめちぎったという諫早に住む詩人。よく理解できない詩もたくさんある。詩人クラブ会員は頭のいい人ばかり。なかなかついてゆくのが大変。詩人会議会員の詩は親しみやすい。庶民の視線で書かれているせいだろうかー。平易な言葉で素直な詩が好きだし、その方が間口広く受け入れられるのではと思う。
 
2021年
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