怠惰な散歩  2021年10

   10月31日(日)

朝6時から農作業に励む。農作業というのは少しオーバーで家庭菜園のこと。この時間のNHKFMは能楽の時間をやっている。これを聴くと、ああ、今日は日曜日だと実感するのだ。なにしろ今日が何曜日で何日かということが分からないような生活。のんきというか間抜けというかー。

ともかく、昨日、伐採した庭木を細かく切る作業から開始。ナタを使っての小枝切り。これがなかなか面白い。小枝はイタイイタイと悲鳴もあげずスパスパ切られる。考えてみればどんな草木も泣き声をあげずに引き抜かれたり切り倒されたりしている。ヒトはすぐに悲鳴をあげるというのにだ。エライものだ。

大学女子駅伝をテレビ観戦。仙台の秋景色を見る。美しい。かわいい女子ランナーを探す。あっちにもこっちにも若くて元気なピチピチギャルがうじゃうじゃいる。若いということは素晴らしい。ともかく、今日で10月ともおさらばだ。バイバイです。
 
   10月30日(土)

宿直明けの朝、空を見るとみごとな青空。これをお日柄がいいというのだろうか。これなら布団を干すのにはもってこいだ。そこで、共用している敷布団を干して帰る。事務員には後で取り込みに来ると伝える。午後、布団の取り込みに布団叩きを持って滝の園へ。玄関に現れたおいらを見て若い事務員「どうしたの?」「布団を取り込みに来た」と布団叩きを振ったら、が手を叩いて大笑い。帰る時もまた大笑い。健康的でよろしい。

そのまま、ヤギ一家へもみ殻をもらいに行く。ともかくヤギ様にご挨拶がわりにパチリ、ついでにクルマの下でうたた寝してネコちゃんもパチリ。さて、ご主人さまといえば作業場で汗をかいて仕事に精を出している。ご主人さまが働いているというのにヤギとネコはなに様だと思っているのだろう。おそらく、最初の教育が悪かったのだ。ああ、ご主人さまはかわいそう。でも、ヤギ一家ではこれが健康的な動物との関係というのだろうかー。素晴らしいことだ!!
 
   10月29日(金)

ああ、ようやく週4日の宿直から解放される。これまで通り週2日になるのだ。早くこいこいお正月ではないが、早くこいこいの11月もすぐ目の前になった。うれしい。まあ、それだけ老齢となり寒さも本格的になると思えばそれなりに辛いものがある。それでも休みが多ければ自分なり生活ペースがつかめそうだ、だから、滅茶苦茶うれしいのだ!!。*「バーカ、それだけぼーっの時間が増えるだけじゃないのか!」金魚ちゃんの声なんか無視だよ。バーカ、餌をあげないぞ!!。

そこで、ハタと気づく。休みが多くなればそれだけ収入減となるわけだ。そうか、晩ご飯のおかずが一品少なくなる。バーカ金魚のエサをちけったぐらいでは追いつかない。それをカバーするのにはタバコと酒をやめればいい。ところがそうはいかない。これだけを楽しみに生きているのだ。まあ、なんとかなるさ!!
 
   10月28(木)

こんな小春日和に家にこもってぼーっとしているのはおてんとう様に申し訳ない。そういうことで我が愛するキラキラ号で霞ヶ浦湖岸を目指す。りんりん道路に出れば霞ヶ浦にも筑波山方面に行くこともできる。わが家からそのりんりん道路まで出るのがひと仕事。

歩道を走るので交差点ごとに段差がある。そのたびにお尻に衝撃がくる。若い人ならお肉たっぷりで和らげてくれるだろうが、年寄りにはその肉がないのだ。お尻が勘弁してくれと悲鳴をあげている。お尻には罪はない。

霞ヶ浦湖岸のりんりん道路に出るとは段差もなくなめらか。まるで今日の霞ヶ浦の湖面のようにお尻も心地よい。船溜まりで休憩。静かだ、ともかく静かだ。何事もなくうららかに時が流れている。簡単にいえば出張ぼーっを霞ヶ浦湖岸で過ごしたということ。これをぼーっの達人というものだ。「バーカ、永遠にバカであれ!」金魚ちゃんの声が聞こえそう。
 
   10月27日(水)

お昼に丸ちゃんの焼きそばを食べるとタオル、ヒゲ剃り、スマホ、タッチペン、着替えの下着、「哲学の使い方」鷲田清一を持って久しぶりにながみね温泉へ。1時過ぎに着いたらガラガラで貸し切りのよう。雨が降っていうせいかもしれない。

新書版は睡眠導入薬、スマホはブログと操作練習のため。本来の目的の入浴はオマケのようなものだ。ヘルストロンに腰掛けブログを書いているから背中がポカポカして気持ちがい。風呂上がりに大広間でぐっすり眠ってきたのにまたウトウト。

年寄りは眠るのが仕事か?。書きかけの朱里ちゃんの詩を整理して山猫に送る。できはともかく子どもの視線から詩を書いてみたくなった。これがなかなか難しいのだが楽しいのだ。先細りい一途の老人と違いきっと子どもには大きな未来があるからだろう。
 
   10月26日(火)

暇で退屈で寒いのでスマホでブログを書く練習をする。指タッチでは余計なところまで触れ混乱してパニックになるのでタッチペンで試してみる。使ってみると思ったよりスムーズに書ける。なるほどなるほどうまくできている。ただ老眼鏡の助けを借りなければならないのは以前とかわらず。無念なり。

蜘蛛を見ながら立ちションをする。チョロチョロオシッコに驚いたのか突然、蜘蛛が動き出す。何か不満でもあるのか。生理現象だ許せ。そこでパチリ。見返り美人ではないが、振り返るとどんよりとした空が広がっている。そこでパチリ。

こうやって、暇で退屈で寒い一日は終わってゆくのです。後、少しの辛抱で週四日の当直から解放されると考えただけでなんとなく心がウキウキしてくる。木村さんの件で、元相棒よりメールあり。酔いつぶれ前にご確認ください、との添え書きがある。お主、よくご存じで。
 
   10月25(月)

昨晩、清織姫と電話で「大生ものがたり」の打ち合わせと称して電話で話したが今朝になってどんなことを話したのか分からない。電話をした記憶はあるが内容を思い出せないのだ。話したことは事実らしい。通話時間の記録が残され30分近く話している。これを「空白の時間」というのだろう。

思い出そうとしても思い出せないので今朝確認のメール。「おじんはスケベだね!」とただらならぬメール。どうもスケベなことを喋ったらしい。ああ、酔っぱらいはイヤだ!!

「いりみだれた散歩」武田泰淳にはスケベなことは何もなかった。自分の娘を「幼女」と書いている。幼女が誰であるかすぐにわかった。「眠そうな町」で何とか賞を取った写真家の武田花だ。懐かしい荻窪界隈も出てくる。久しぶりに小説を読んだような気がした。
 
   10月23(土)

心地よい秋晴れの一日だった。空が澄んでいるせいか濃い目の青い絵の具をぶちまけたようで眩しいぐらい。こういう日は野良仕事に限る。大根の間引きをやる。説明書では30センチ間隔ぐらいとあるがケチだから少ししか間引かない。もっと大きくなったら思い切って斬り捨てゴメンをやろう。

長野から貴重な動画が送られてくる。1分少々の笛の名演奏会。メッセージは「笑ってください」。素直に「笑わせて頂きました!」と返信。

「いりみだれた散歩」武田泰淳という短編がある。「怠惰な散歩」のタイトルは加賀乙彦の同名のエッセー集から拝借したが「いりみだれた散歩」とはどういうことだろう。ページをめくる前に考える。なぜか乱交パーティーのような気配が漂う。スケベジジィなり。
「リベンジだ!」。だあーれもアンコールとをしていないのに再び笛の演奏会動画が送られてくる。ああ、長野は平和なり。
 
   10月22(金)

雨の中、いばぶん事務所へ。つくば文化郷は代替わりして少しずつ変化をしている。お店も増え若い人の出入りが多くなった。やはりニンゲンは人間が好きなようだ。S氏と話しをする。65歳を過ぎたら体力も気力も一気に衰えた感じがするという。そうだ、気力が出ないのだ。便秘気味という症状でもなんということだー・

写真+小文「たまたま地上にぼくは生まれて」の整理に没頭。なんとか形が整ってきた。かあちゃんに小文を読んでもらったら「もっと明るいこと書けないの」。そうだ、おいらの人生暗かったのだ。

夕方、小雨ぱらつく庭の夕顔を見ていたら白い幽霊が現れる。傘をさして大きなマスクをして白いレインコート。よく見たらかあちゃんではないか。すうーっと家を出てなにやらポストに投函してすうーっと帰って来たらしい。秋の幽霊。ああ、恐ろしやおそろしや!!。
 
   10月20(木)

朝起きたら健康優良児のような爽やか青空が広がっている。ああ、これは今日一日はハッピーに過ごせると思っていたら清織姫から泣き虫メールが届いている。「茨城の民俗」出稿の原稿が突っ返されたという。クヨクヨしないで頑張ってと返信。おいらはスタコラスタコラ秋の朝を歩く。

いつもならクビからデジカメをぶら下げているのだが、最近はスマホでパチリパチリやっているのでとても身軽に感じる。ブログの写真もすっかりスマホ撮影が多くなった。横着というより便利なのだ。

「見い 九つの嶺に守らとろう ほいで九嶺(くれ)うんで」九嶺=呉かー。なるほど、父の出身地の呉市はそういうことらしい。おいらは一度も行ったことはないし、特段行ってみたいとも思わない。「この世界の片隅に」ななめ読みで読了なり。
 
   10月19日(火)

「ヒロシマを暴いた男」レスリー・M/M・ブルーム著、高山祥子訳をようやく読み終える。”人間は自らを破滅させる道具を作ったにもかかわらず”と、彼は締めくくった。”人間は望んでいる以上にこの汚い世界を愛していて、恐れたり弄んだりしながら最後にはー”人間はここに留まると信じている。ー暴いた男ことジョン・ハーシーの言葉。

読み応えのあるノンフィクションだった。よくぞここまで資料を蒐集して読み込みまとめたもかとただ脱帽。広島の原爆投下後の悲惨な出来事を隠蔽しようとする国家。どこの国でもやっていることだ。ただ明暗は大きく異なる。難しい。読み終えどっと疲れる。

人類は地球以外の惑星で生存することは不可能なのだからアトムを使うことはなく地球に留まることを選択するだろうー。それが普通の考えだと思う。
 
   10月18日(月)

朝から頭がぼうーっとしている。これは本物のぼうーっだ。自分でも確信できる。月曜日の憂うつというのかー。歩けば少しは解消できるかも知れない。ところが歩く気力も萎えている。ただぼんやりと庭を眺めているだけだ。

そういえば、昨日の朝仕事仲間のKさんから電話が入ったことを思い出す。新しい宿直の人が11月から入りこれからは3人体制に戻るという心躍る電話だった。おいらは前回と同じで火曜日と金曜日ということだ。やはり週4日のスケジュールはきつい。その喜びで少し昨晩は深酒したかもしれない。

今日の空はきれいだ。最高に過ごしやすい日和だ。ただ、体が反応してくれない。ぼうーっとしたまま夕方になり仕事に出かける準備をする。こうやって静かに死んでいくのかー。もの寂しい終日だった。
 
  10月17日(日) 

光りの向こうに

光りの向こうには
何があるの?
パパにきいても
ママにきいても
だぁちゃんにきいても
おばあちゃんにきいても
わかんない?だけ

みんなには
わかんないけど
きっと光りの向こうには
もっと楽しく
うれしいことが
たくさんあるはずー
朱里は信じているんだよ!
 
   10月16日(土)

町内を散策する。スマホを持ってだ。昔は気分転換のぶらぶら歩きに何で携帯を持っていかなけれならないのか思っていたけど、最近は必携品となった。なんとも情けないような気がする。誰がこんな世の中にしたのだろ。

世界は時間を短縮させることに躍起になっている。そして、人の命はできるだけ長くまでと一生懸命だ。何事もほどほどがいいかと思うが欲望というのは無限大のようだ。

詩人会議の新春特集に投稿する。新春はめでたさを祝う紙面だから実力派が顔を揃える。巻頭はここ数年は谷川俊太郎で岩波書店の社長がエッセイを寄せている。今年はどうなることになるやら。どう転んでもおいらが入り込むスペースはないようだがエイヤ―と気合いを入れて投稿。万歳だ。
 
  10月15日(金)

早朝にいばぶん事務所へ。Mさんに頼まれた原稿整理。事務所のPCは10年も使っているから立ち上がりが遅くいつもイライラする。理事長に相談して新しい機種を買ってもらおう。それでも何とか頑張って終了。時計を見ると9時近くになっている。2時間近く集中できたことをひとり喜ぶ。

それで全部終わったわけではない。自宅に戻り朝食。そして続きを始める。昼食をはさみ全てが終わったのは3時近かった。ああ、今日は頑張った。自分に金メダルを贈呈することにする。

清織姫から荷物が届く。いろんなのが入っているが食べ物はゼロ。ああ、悲しい。
「年寄りはマンガを読め!」とばかりに「この世界の片隅に」上中下の漫画本が入っている。ここしばらくは新聞の四コマ漫画しか見ていない。気が向いたら読んでみよう。100万部突破の大ヒットだそうだ。世界は広い。その片隅でおいらは生きているのだ。
 
   10月13日(水)

朝から小雨が降っている。昨日とうってかわって肌寒いぐらいだ。そうだ、もう扇風機とおさらばして石油ストーブを出そう。寒がり屋だからこれからの季節は好きになれない。一晩に1メートルも雪が積もるという豪雪地帯で少年期を過ごしたというのにだが寒いのは嫌いなのだ。

好き嫌いをはっきり言える日本人は少ないという。いわゆるぼかし的な言い回し。美しくいえばわびさび的な表現を好む人種。「すみません」の連発は外国人には理解できないらしい。

図書館の無料蔵出しに申し込む。聞けば雑誌類がほとんどのこと。単行本は少ないようだ。これまでも一度は覗いてみたいと思っていたので申し込む。大きな期待はないが何となく現場を見てみたいという野次馬精神だけだ。なかなか、老いてもこの好奇心は衰えていないらしい。
 
   10月12日(火)

買い換えたスマホの写真撮影の勉強をする。なにしろスマホはスマートで扱いやすいが操作となると小さすぎて扱いにくい。指一本でおいらを操ってみろとデンと座っているようだ。

カメラ機能は進化している。プロという項目があり露出やシャッター速度など複雑な機能まで備えている。いわゆるマニュアル操作だ。写真を覚えた頃はそれが普通だった。今は全てオートマチック。

老眼鏡をかけて必死にアチラコチラを触って試してみる。ほんの少し触っただけで画面は東西南北の飛んでしまい頭は混乱するだけ。いわゆるペーパーに書かれた取り扱い説明書も小さな画面の中にしまい込まれている。人間が作ったものが同じ人間が扱えないわけがないとガンバルが結論として余計な操作をせず初期設定のままパチリパチリやることにする。ああ、疲れた。
 
   10月11日(月)

山猫こと清織姫からたくさんの宝物が届く。宝物にふさわしく柿の種から万華鏡と秘密のあっこちゃんまで豊富。すぐにパチリとやってお礼のメール。さて、鶴の恩返しはと考えるが思い浮かばない。ひらめくまで待とうホトトギスということでしばらく間を置くことにする。

「ヒロシマを暴いた男」ー米国人ジャーナリスト、国家権力への挑戦ーの真新しい本も入っている。書評を見て面白そうだから買ったそうだが、本人は読んでいないという。広島県は切っても切れない縁がある。おいらの父は広島市に隣接する呉市で生まれ育った。まだ一度も行ったことはないがー。

広島原爆記念館に行った時だ。館内に入って展示物を見て両ひざがガクガクと震えたことがある。あまりの惨たらしい風景に唖然となったのだ。二度と訪れたくないと思った。あれから数十年経つ。「ヒロシマ」はいろんな形で耳に入り目にする。この本もその一つになるのだろうー。
 
   10月10日(日)

本日は東京の牧野女史の父親が亡くなったという知らせが入る。世界のどこかで生まれたり死んだりする人は数えきれないだろう。そうやってプラスとマイナスの辻褄を合わせながら地球は回っている。牧野女史の父とは会ったことはない。ただ、ケアハウスに入って先生が予測したより長いので難渋しているとは聞いていた。

「サピエンス全史」36Pまで読んで気づく。この本は一度読んだ、ということはほとんど内容を忘れている。どんどん読んで忘れる。忘れるからまた読む。どんどん生きて生きていることを忘れるぐらいに生きる。これは名言だ。ひとり納得する。

ながみね温泉へ。温泉の大広間でブログを書く。テレビの騒音対策としてスマホでクラシック音楽をボリュームをあげて聞く。テレビの音はまったく聞こえないというわけでもないがイヤホンを付けた方が断然いい。新発見なり。
 
   10月9日(土)

奥田女史から電話が入る。ニランジョンの父親が4日に亡くなったという。享年77歳。シャントニケトンの彼の自宅で一カ月ほど泊めてもらった。彼が来日した時はニランジョンと3人で五浦の六角堂や岡倉天心の墓などを案内した思い出が一瞬にして蘇る。

おいらと同じぐらいの歳かと思っていたが4歳年上だったのかー。シャントニケトンの自宅はインドでは中規模の広さで、花好きの奥さんが熱心に手入れをやっていた。彼は大学教授を定年退職すると自宅近くにある「ガラスの家」の礼拝堂で指導をしていると聞いていた。そのまま、天国に召されたのだろうかー。みんないなくなってしまう。

そういえば、滝の園のわんちゃんシュリもいなくなった。おいらが散歩に連れて行った帰りつまずき手綱を話したらスタコラ走り出してそのまま行く不明。80%は戻るというが5日の夕方から家出して今日も帰っていない。こまったものだ。
 
   10月8日(金)

整復師会の編集会議で水戸へ。会議といっても雑談に近い。暇なのでブログを書き始める。こういうのは進行役(広報部長)の能力が試される。おいらの見立てではあまりかんばしくないようだ。スマホ時代を反映しているのだろうかー。言葉があまりにも軽すぎ幼稚だ。ああ、これからの二ホンはどうなるのだろうー。

ホウレンソウの種を植える。うまくいけばいつかは芽を出すはずだ。それがとても楽しみなのだ。ポパイも好んで食べていたホウレンソウ。どんどん食べて元気もりもりで老人復活なんていうことになればー。

「サピエンス全史」を読み始める。ハラリの著作はそれなりに読んでいるが一躍話題となったこれは読んでいないようで読んだような気もする。。初版は2016年というからかなり古い。それから世界は目まぐるしく変わった。変わっていないのはわが家の金魚ちゃん。今日も元気で水槽だけの世界で生きている。あんたは、エライ!!。

◇夏の暑い夕暮れ時 (詩人会議11号自由の広場)
 
   10月7日(木)

わが家の夕顔がすごい。何がすごいかといえばおいらのように無垢で可憐で優しい白い花びらを惜しみもなく披露していることだ。さあ、さあ町内近隣のの皆さまどうか白いわたしを見てやって下さい。この瞬間をあなたの胸に抱きしめ幸せであってくださいと訴えているようだ。。

完璧な飲みすぎだ。酒に飲まれている。これまで何度痛い目にあったろう。数えきれない。性懲りもなくだ。要するにバーカなのだ。それもウルトラバーカ。困ったものだ。

「詩人会議」の11月号がまだ届かない。編集をやっている人はみんな高齢者。いつまで発刊を続けられるかという瀬戸際だとは聞いていた。
そのため遅れているのだろうかー。この詩誌に発表するのを楽しみにしていただけ廃刊となると寂しい。できるだけ長くをと祈る。
 
   10月5日(火)

当直明けだが体調はいい。これといった悩みもない。無いものは日本銀行で発行しているという通貨だけ。これは天下の回りものだからしょうがない。ましてや老後の蓄えはおろか何一つ備えるということをしていない。これこそ自業自得というもの。

「そんなことはなるようにしかならないのだ」と、ごみを燃している焼却場の掃除をやる。そこで考える。燃え尽きる痛さというのはあるのだろうか?。燃え尽きたら痛さは感じられないはずだ。痛さが伴うのは燃え始めた時だけのはずだ。後は燃え尽きるまで痛さはない。どうだろう?

そんなこと考えながらカマドの灰を取り出す。この灰は痛さを感じていないだろうが二次利用の価値を生み出しているのは確か。それを考えると人は自然に何の恩返しをしていないことを思う。残念なり!!。
夕顔、夕方20枚の花を開いてくれた。ああ、ありがたきなり!!
 
 

10月4日(月)

空はどこまでも青い朝だった。散歩をする。千鳥が公園から小松霊園を抜けシルバーゾーンの標識がある老健施設「飛わの園」を通り健康坂をヨッチラヨッチラコと歩く。このコースは坂道がほとんど。そのためかとても疲れる。

今日は暑くなるという天気予報。お日さまが昇りきらないうちにと刈り払い機で庭の芝刈りをする。年寄りにはきつい作業だから30分が限界だ。何事も限界というものがある。貧乏にも限界があるはずだがこれには底がないようだ。

午後、郵便配達のあんちゃんが自宅前の坂道でバイクを転倒させる。おいらが手伝って二人で起こしてやればと思うが体力的に無理。坂下のOさんにヘルプ要請。彼はまだ六十台。まだまだ若いから配達員とヨッコラショ。おいらの出番はなし。年よりは辛い、ああ、かわいそう!!。

 
   10月3日(日)

久しぶりに自転車に乗って図書館に行く。図書館はこれまでは新型コロナウィルスの影響で何かと制限されていたが通常の形に戻っていた。。ただ、椅子間隔はこれまで通り広い。パソコンコーナーで隣の女の子はやや離れているものの白い指と細い腕が気になってしょうがない。おいらは何の目的で図書館に来たのか?。ほどほどにして帰る。

お日柄もいいということで霞ヶ浦水郷公園へ。子ども広場ではちびっ子が元気にのびのびと跳ね回っている。ああ、何もかにもが解放されたような気持ちなる。カレーパンを食べながらよく見ると全員がマスクをしている。やはりこれまでの日常風景とは違う。

それでもみんなの解放された輪に入れてもらおうとのびのびとオナラをする。ああ、気持ちいい。そこで目にしたのがカレーパンの具。急にウンチのシグナル。帰ることにする。それにしても青空がきれいだった。
 
   10月2日(土)

夜勤明けの朝、外に出て空を見上げると雲ひとつない青空。ああ、白い雲は家出してしまった。そそのかしたのは台風16号という風来坊。空高く風来坊は白い雲とともにお隠れになった。ああ、16号という若い少女はたぶれかされるままというのは辛い!1

それからのことやこれからのことなど真っ白。それでいいのだ。どういうわけか詩だけは書ける。まるでおしっこのようにどんどん浮かんでくるのだ。どうしたことだろうと考える。写真を撮りたいというエネルギーが体力的に弱くなったせいだろうかー。

これからはスマホの時代だ。今から20年前には考えられなかった世界が地球規模で広がったいる。昭和二ケタ世代はどんどん置いてけぼりされていくように感じる。
10月の勤務表を見ると週3日。新しい人を探しているというがこの体制はしばらく続きそう。残念なり。
 
  10月1日(金)

さあ、今日から10月だ。張り切って行こう。さて、何に対して張り切るのかわからないが、ともかく張り切って10月を生き抜こうということだ。マルクス・ガブリエウは「生きることとは?」と問われ、「生きることはとにかく生きること」と言っている。

台風接近中でわが家には容赦なく雨風が叩きつける。コロナ禍における非常事態も解除されたので図書館はどうだろうと思い、出かけようとしたがあまりにも激しい風雨でやめる。

そこで、昨日機種変更したスマホの使い方のお勉強。これが始めたら子供が新しいおもちゃを与えられ喜んで遊ぶように夢中になる。間違えてメールを送ったりで用事もないのに電話をしたりと大変。まあ、これまでのように使いこなせるうようになりひと安心。もっとも、スマホの昨日の数パーセントだろうがー。
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