怠惰な散歩  2023年5

   5月27日(土)

立川昭二の「病気の社会史」を読みながら、あらためて知ったのだが人類は疫病と戦いの中で今日まで生き残ってきた。戦争で弾丸に当たって死ぬのは3割で、あとは何らかの病気で死ぬことを安岡章太郎が書いていた=感染症の世界で虎と言えば、コレラを漢字で書けば「虎列剌」あるいは「虎烈刺」「虎列拉」。 また、「ころりと死ぬ」ということから、コロリ(虎狼痢)とも記述されることもある。= 以上はグーグル先生。

マッサージを受けると体調がいい。そこで庭の芝刈りをする。慎重に慎重にだ。明日は仕事で水戸に行かなければならない。おいらの家の庭は狭いのだから区画割して目標をたてやろうと思う。30分もやれば1週間もかからない。
そうしないと、おいらの体がいつ壊れるか分からないのだ。

もう、すっかりと新しいテーマを決めて写真を撮ろうという気力が失せた。無念なり!!。今では、ブログの写真を更新するだけでも苦労している。五体満足という言葉を噛み締める。
 
   5月26日(金)

みんなで生きるという姿勢
それがいいのだ
そんなことを考えながら
雨に濡れた庭の花壇を眺める
ただぼんやりと眺める

こんもり山の緑の群生を眺める
雨にうたれ命をたぎらしたのか
逞しく波打っている
躍動するこんもり山
黙して生の歓びに浸れる
あなたはつくづくエライと思う
 
   5月25日(木)

まずはマッサージを受けに行く。次は格安床屋に行き散髪をしてもらう。次は土浦古書俱楽部に行き古本を買う。あたりまえだ、バーカ、古本屋に大根やトマトを売っているかー。天才的なバーカよガンバレだ!!。

酒も飲んでいないのに朝起きがるときに足腰がフラフラしている。これは辛いものがある。緊急を要しているのはトイレだ。オシッコをしたいのだ。ところが体が動いてくれない。おいらのオシッコの放出先はどこだ。神さまだけが知っているよ!!。ざまぁ、みろみろだ!!

歌人でもある僧侶の福島泰樹「人生のおりおりに暗誦されてこそ、詩であるのだな」。が朝日新聞の折々のことばに紹介されていた。福嶋大樹は中原中也の研究者としても知られている。さらに加えることの70年代の学生運動家で一世を風靡した男だ。まだ生き残っているようだ!!万歳なり!!
 
   5月22日(月)

東京に行った疲れが抜けないのか体が怠い。神林さんの写真を整理して送付しなければという気持ちは走るが体が動いてくれない。ひたすら、ぼんやりと庭を見てはため息をついている。時間は止まってくれないどんどん進み昼を過ぎている。ぼんやり眼はまだ目覚める気配がない。体が重いのだ。

ようやく体を動かして神林さんの仕事に取り掛かったのは午後3時近く。やはり、おいらはぼーっの達人だと自負する。それが世の中にどれほど役にたつことなど考えもしなければ興味もない。

神林さんの仕事を終わらして郵便局の赤いポストに投函したは5時近かった。ああ、おいらはそれなりにガンバッタのだとほめてやりたい。とにかく疲れた、疲れた。
 
   5月21日(日)

昨日、久しぶりに東京に行き人ごみにもまれ疲れたのか今日は体が動かない。朝からぐたーっとしている。これはしょうがないことだと諦めひたすらソファーで横になってぼんやり過ごす。おいらは涅槃像になりてかー。花壇や畑の手入れをしたいと思うが体が動かない。ああ、情けない。

それでも気合を入れて昨日の神林財団の写真整理をするが、なかなか前に進まない。のんびりやろうとかあちゃんの買い物のアッシー君を務める。長野から贈られてきたバレンタインデーのお返しが気になってしかたないという。とにかく贈り物が好きなかあちゃん。古い世代で小さな親切大きなお世話といわれようが、せっせとこまめに返礼品を送っている。

これは、かあちゃんの目に見えないひとつの病気だとおいらは思っている。どういう品をとなり、わが家の財力と相談しながらということになるからで知恵袋を働かせる。これで頭脳はフル回転。それなりの情報を集めいざ買い物へとなる。アッシー君はおいらなりだ。万歳だ!!
 
   5月20日(土)

公益社団法人 神林留学生奨学会2023年度奨学生・研究助成者採用式という長ったらしいタイトルの式典に写真を撮りに行く。参加者は39人。奨学生はともかく役員は年寄りばかり。どんどん世代交代の時期が迫っていると感じる。今年は新規の採用者は7人で全員中国人。返済不要の14万円の助成金は継続採用者、研究助成者を合わせると22人になる。すごいものだ、おいらだってもらいたいぐらいだ。

上野駅を降りて精養軒までの道のりが大変だ。特に階段がきつい。それでも人の波に押されるようにして頑張って歩く。この人出は土浦では見られない。人がたくさんいるということはそれでけ活気があるといことだ。ところがおいらの足には活力がない。数日前には絶好調だったというのに―。無念なり。

理事長に肩を叩かれ「オモルト・センの本を読んだか?」「の話が出てるぞ」。何のことか分からなかった。しばらくして思い出した。オモルト・センはノーベル経済学部賞をとったシャントニケトン出身のエライ先生。その本が翻訳されて出てているのを知っている。その書評を書いているのが息子の一橋大学の教授・神林竜先生だった。オモルト・センについては書ききれないほどの思い出がある。年寄りは思い出がどんどん消えていく。無念なり!
 
   5月19日(金)

ウグイスの鳴き声で目覚める。なんとも優雅な朝だ。しかし、体調は昨日から悪い。暑い中、無理をして草むしりやら雑用をこなしたせいかも知れない。今は、ちょっと無理をしただけで体がガタガタと悲鳴をあげる。こまったもだ、さらに情けない。ああ、無念なり!!

どうやらモタモタしか歩けないのは脊椎管狭窄症が原因らしい。これはおいらが通っている接骨師会の院長先生から聞いたこと。しばらく通院していると回復に向かった。これならこれでいいだろうと通っているが完治するかは分からない。なにしろ、その日の天気にも左右される。今月は、接骨師の院長の話を信じて通ってみよう。

夕方、兄夫婦が突然来る。珍しい。兄はおいら夫婦の先々を心配してくれている。体のこと貧乏暮らしのことなどありがたいことだ。これでも、おいらは精一杯生きていることを伝える。生活保護のことも考えていることも話す。先取りの情報を収集をとアドバイスを受ける。ああ、ありがたき兄貴なり!!
 
   5月18日(木)

光と影と今日という一日。そういうことで一日が終わるということ。こんもり山の緑はゆうらゆらしながら今日という日を終えようとしている。わが家の花壇の色とりどりの花も風に揺れてれいる。この脱力感は本物だと自分で確認する。なにしろ朝7時からお昼までぼーっと庭とこんもり山を見て過ごしたのだから、すごいものだ。

「ほどよい年齢では我慢できず、もっと長い命を、と望むものは、なんと愚かな人間だろう。長い寿命は、喜びより苦しみを与え、長生きしすぎた者に、愉しみなど、ひとつもありはしない」「生まれたからには、自分が来たところ、あの世に速やかに赴くのがよい」「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎より。

五月の心地いい風を受けながら考える。死ぬということ。いま、このまま息を閉じていいと思うが、死の神さまはなかか参上しない。うつらうつらとこんもり山の緑を眺める。美しい、生命力がみなぎっている。今日は暑かった。それだけにこの生命力をいつまで維持できるかが、おいらのイノチの勝敗の分かれだ。ガンバレだ!!
 
   5月17日(水)

わが家の花壇もそうだが野菜畑も土に勢いがなくなってきた。どれもが生育が悪い。肥料もやらず耕すこともしないから栄養失調になったのだろう。素人の畑は三年で駄目になると聞いたことがあるが本当のようだ。そこで、本日は鶏糞をどっさり買ってきた。明日、頑張って撒いてみよう。

わが家の周辺は実に静かだ。住人は圧倒的に高齢者が多い。みんな息をひそめて暮らし静かに死ぬことを待っているようだ。おいらもその一人だ。「ソクラテス最後の十三日」を読んだせいかやたらと「生と死」について考える。これは考えても生を授かったものには必ず死が派生する。素直に受け入れるしかない。

藤沢周平の「たそがれ清兵衛」を読む。まったく文章がうまい。ようするに読ませる小説を書いているのだ。これがプロの妙技というのだろう。この文章のうまさは開高健の言葉の歯切れのよさとは違う味がある。おいらはどうかというとどうでもいいのだ。なにしろ内容がないのだから―。それでも書くのだ、ざまぁみろだ!!
 
   5月15日(月)

「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎をようやく読み終える。ソクラテスがにんじんの毒杯を飲む前に述べたことを記して終わりとしよう。「さて、みんなは死後の世界について知りたがり、果たして、死んだあと、人間の魂はどうなってしまうのか、肉体が死ぬと同時に、魂は風に吹き飛ばされたように四方に散って、あとかたもなくなってしまうのではないか、などと、まるで子供のような恐怖心にとりつかれているのではないか。そんなバカなことは、絶対のあり得ない。」

久しぶりに根をつめて本を読んだので疲れた。そこで、藤沢周平の「たそがれ清兵衛」を読み始める。藤沢は山形県出身だ。いろいろ拾い出してみると大物の文化人を輩出していることに気づく。おいらの知らない著名人がたくさんいるのだろう。スマホ全盛期となり社会構造がすっかり変わった。老人はさっさと舞台からの退場をせつかれているようだ。みんな、サラバだ!!
 
   5月14日(日)

ひねもす、「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎を読んだり詩作にふける。詩作というとなんとも高尚なことだが中身はゼロだ。ただ、ぼうっーとしてパソコンとにらめっこしていただけ。空は暗いが雨は降らない。雨は降る度胸もないようだ。

山王姫に電話をする。心身ともに体調はあまりよくないようだ。山王姫は一人暮らし。おいらが想像できないような不安を抱えて生きているのだろう。そのあたりはおいらにはよく分かっていない。なにしろ、わが家には7歳年上のかあちゃんが元気なのだ。うれしい、元気ということはありがたいことだ。

本をどんどん捨てようと整理を始める。どんどん捨てる。おまえさんもさっさと命を捨てこの世とオサラバしたらという声も聞える。いろいろ詩やエッセーを書いたり写真を撮ったりして応募したいと思うがなかなか進まない。気負いだけが走る鈍行列車とでもいうべきか―。
 
   5月13日(土)

暑いのか寒いのかわからなくなっている。でも、今朝は寒かったようだ。なぜなら布団からなかなか出ることができなかった。朝食を作っているかあちゃんに聞くと「バーカ、寒いに決まっているだろう!!」。ここで敗北を認める。なにしろ、おいらより早起きして朝めし作りに奮闘しているのだから―。

生きる気力をなくしたらさっさと死んでしまえばいいとおもうがそうはいかない。ソクラテスは70歳で毒杯を飲まされ死んだというより処刑された。紀元前の話だが、当時も老人は早く死んで欲しかったのか。70歳過ぎで役立たずの老人がたくさんいるニッポン。あの世に旅立って欲しい老人を抱えた日本政府は喝采を送りたいだろう。

今日は土曜日で朝日新聞の書評欄が掲載される日。さらに名も知らない出版社の広告も満載でいつも楽しみにしている。読みたい本が時々紹介されているがみんな高価だ。やはり2000円を超えると足踏みする。わが家は貧乏なのだ、万歳だ!!
 
  5月12日 (金)

朝7時過ぎ、山王姫から電話あり。こんな朝早く電話があるのは珍しい。朝顔の花が咲いているのを見たことがないというほどの朝寝坊、夜型ニンゲンだ。昨日から連絡を取っているが応答なし。しばらくすると必ず折り返しの連絡があるのにおかしい。柏市に住む妹さんに電話を入れて聞いてみようかと思っていた矢先だった。とりあえず、元気な声を聞いてひと安心。

草むしりに飽きると「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎を読む。ソクラテスが処刑される前に「死んでも霊魂はある」という自らの信念を考察して証明しよういう話。そんなことなら、本人が死んでみれば分かることだが、その時は語りえない人となっている。そこで、残された日々に悶々と考える。

こういう話が面白い。立花隆は「死はこわくない」という本を残している。「さあ、これから死ねると思うと楽しくなる」と叫んだ王様もいるそうだ。なにしろ、永遠の世界に入るわけだからまったく想像がつかない。そう考えれば未知の世界に旅立つ楽しみもあるわけだ。お花畑があって顔を忘れた父や母が三途の川向うで待ってるのだろうか―。楽しみだ。
 
   5月11日(木)

土浦図書館の除籍済リサイクル資料(再活用図書)でもらったユリイカ(詩と批評)の2021年9月号では立花隆特集。角界の著名人が思い出を語ったり書いている。その中に、「ぼくが書いた100冊」というのがあった。立花ファンのおいらは随分と読んだつもりだが、せいぜい20冊ぐらいだろう。末恐ろしい男だ。

里芋を植える。約20個だがもうj時期が 遅いのかもしれない。ある畑で見たらもう芽を出していた。素人の恐さ無知さだ。まあ、これがおいらの生きざまとマッチしている。「大きくなるまで待とうサトイモちゃんよ」。

今日も、ぼうっーと過ごした。もう少し恰好よくいえば「獏」をゆったりとのんびりと食べて終わったということだ。そこで、「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎を読む。200ページ近くまで読むと眠くなる。残すは100ページほど。久しぶりに読み応えるのある本だ。まだ終わらない。毎日が楽しみだ。
 
   5月10日(水)

朝5時に目覚める。そしたら布団からするりと起き上がりスタスタとトイレに歩いて行ける。ここ数日で最高の体調だ。よし、ブログ用に霞ヶ浦の写真を撮りに行こう。お天気もいいし気分最高だ。ルンルン気分で出かける。霞ヶ浦の湖面は時間を止めたように静まり返っている。べた凪だ。うっとりとして眠っているようだ。

久しぶりだ。本当に久しぶりだ。朝早く起きて写真を撮りに行こうなどという前向きな気持ちになったのは―。やはり人間は健康であることが神さまからの最高の贈り物なのだろう。遠くの高台に見える土浦協同病院を見ながらつくづく思う。

七色吐息の重層なる緑を見ながらながみね温泉へ。空いている。平日の午後だ。暇な老人が気晴らしにくるぐらいだ。それも少しは元気な老人。ながみねおばさんたちもどうやってこの退屈な時間をやり過ごそうかと苦労しているようだ。うっかり欠伸をして写真に撮られSMSで流されたらたまったものじゃない。まあ、こうやって一日は終わるのです。さようなら。
 
   5月9日(火)

山猫から不幸を独り占めしたような状況のメールが届く。まったく次から次へとハプニングに追われているようだ。
どうしたものだろう。何かに取りつかれたのだろうか。あんなに神様を崇め大切にしているというのに―。世界中の神様にお願い!!。どうぞ山猫を温かく見守ってください!!。

探し物は何ですか?図書館で借りた1冊の本です。数日前に返却しようと用意したのはよかったがしっかりと自宅に忘れていく。それなら、今日返しに行こうと探すが見当たらない。おかしい、もしかして返品しているのでは―。図書館に電話して確認してもらう。「1冊、借りてますね」と明るい姉ちゃんの声。あたり前だ、返した記憶がない。まだ、大ボケはしていないようだ。

かあちゃんにも事情を話して探してもらう。おいらはそのまま接骨院へ。1週間ぶりだ。先生と相談して今週から週2回にしてもらう。まだ、1回では効果が得られないという。ビジネスもからんでいるのか―。承諾する。しかし、この接骨院は繁盛している。いつも医薬が満杯だ。おいらは暇人だからどうにでもなるが―。帰ると、テーブルの上に探して本があるではないか!!。かあちゃんは名探偵だ!!
 
   5月8日(月)

そういえば、こんなこと、そんなことがあった。そして、ああいえば、こういわたということもあった。ちぎれちぎれ雲のようにこれまでの言葉が浮かんでは消える。これが、死への道しるべだろうか―。走馬灯という言葉はあるがわが家には馬はいない。まだ、寒いせいかゴキブリもハエも姿を見せることは少ない。

そして、それからが始まり今日という日を迎える。きっと、地球の裏側ではまったく違う今日という日が終わるのだろう。まったく、面白いことだ。久しぶりに山王姫に電話。それなりに元気そう。でも、お天気の不調のまいっているようだ。おいらも同じだ。

さて昨日のことだが、これが最後ではないかというノートパソコンを買った。最新のモデルだから高額だ。いばぶんの経費だから痛くも痒くもない。
 
   5月7日(日)

大型連休最後の日は朝から雨。気分がすぐれないけど明るい気持ちで過ごすように努力する。例えば、女性のズロースとショーツの違いについて。バーカは何を考えて生きているのやら。雨が上がったらニガウリを植えようと空を見ているが雨は一向に止む気配はない。そこで、「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎を読む。すぐ眠くなる。でも、うすら寒いのでなかなか眠りに入れない。


朝と接吻

さあ、みなさん朝だよ
なんのおねだりもしないのに 
朝はしっかりとやってきましたよ

お目めばっちりひらいて
どっこらくたびれた体を動かし
ラジオ体操のスタートですぞ

先生のあかりには
しなやかさやわらかさだけじゃなく
もっと大きくて広い
とんでもない
明るい未来がつまっているんだよ

さあ 耳をすまして
きいてみよう
落ち葉の歌声を
いっちにぃさんだよ!!
 
   5月6日(土)

ラジオ体操の小さな指導者の動画がヤマネコから送られてくる。指導者は4歳のあかりちゃん。
「そこのこしのまがったおじいちゃん、もっとせなかをそらすようにしてがんばってー」
鳥居の下で体操をやっているおばあちゃんに大声で、「年をとってくちはますますたっしゃになったでけどすっかりあしこしがよわくなったとおいうおばあちゃん、くちはうごかさくてもいいからからだをうごかして!!」

神社の境内清掃した後の朝のラジオ体操かその前かわからないけど、とにかく堂々とたあかりちゃのしっかりぶりに驚く。かあちゃんにも見せる。「何歳になったの?しっかりしている。すごいもんだ!!」。世界はあっという間に若返った。

ラジオ体操はここしばらくやったことがない。そのかわりとはいってはんだが草むしりに励んでいる。ちょっと体の動かし方げ違うようだがー。
 
   5月5日(金)

もう子どもに戻れないおいらにも子供の日がやってくる。クソ暑いというのに子供の日はやってきたのだ。ラジオのニュースでは「まだ暑さに慣れていませんから細目に水分を補給して熱中症に注意してください」と盛んに注意を呼びかけている。

おいらの部屋にはハエが一匹やってきてウロウロ飛び回っている。目障りだどハエたたきを手にして構える。小松三丁目三夜様開眼の一刀流だ。ところがハエの動きが素早い。「お主できるな!!」と思わず叫んでしまった。原因は分かっている。おいらの反射神経がだいぶ衰えているのだ。それでも、戦いに挑むのだ。

姪っ子のマコちゃんが寿司をお土産に持って来る。昼食を三人でということらしいが、おいらは自分で食べたいものだけ小皿に盛りそそくさと自分の部屋で食べる。ああ、寂しい男。
 
   5月月4日(水)

そして、一日が始まり、一日が終わる。気がついたら人生は終わっていた。どういうわけか今日は近年、亡くなった知人たちを思い浮かべる。空は青い。まぎれもない青さをたたえ広がっている。さあ、どうするのだ。この青空をどうやって食えばいいのだ。黄泉に旅立った人々よ教えておくれ。

できるだけ体を動かしたほうがいい。そういうことで朝7時に起きて根本ぶどう園へ。ここのオーナーも亡くなった。66歳のゾロ目だった。みんな覚悟よく死んでいくがおいらは生きている。かあちゃんも生きている。金魚ちゃん四匹も小松に越してからも生きている。

「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎を読む。すぐ眠くなる。307ページもあるのにまだ60ページしか読んでいない。これは連休中はもちろんのこと今月中に読み切れるの怪しい。しょうがない年寄りなのだ。
 
   5月3日(水)

根本ぶどう園の隣の田んぼでは家族総出の田植え。山形に住んでいる頃、おいらの学校には農繁休みが一週間ほどあった。田植えシーズンになると子どもも狩り出され苗運びの手伝いをやらされた。女衆はあ苗床で苗取り男衆は田植え。子ども苗を植える人の前に適当な間隔で放り投げていく仕事だった。まだ、鳥海山の頂には白い雪が被っていた。雪解け水がまだ冷たく辛かったけど、思い出せばいい思い出だ。

さて、世間の人はこの連休をどう過ごしているのかと水郷公園に見学に行く。ただ霞ヶ浦湖岸をブラブラ歩いている人もいる。これは手軽で金もかからないから最高だ。サイクリングをやっている人も多い。
これは金がかかっている。なぜなら、どれも高価そうな自転車のペダルを踏み高価そうな衣装を着てお尻フルフリしながら颯爽と風を切っている。まあ、せいぜいそれなりに頑張ってくださいと背中を見送る。
 
   5月2日(火)

窓辺から明るい5月の光がこぼれている。ゴールデンウィークの行楽日にはもってこいの天気。ところがおいらはどこへ出かける予定もない。なぜなら五月の陽光を受けて草むしりするにはもってこいだからだ。今、何が一番気晴らしになり時間を潰せるのかといえば草むしりだ。

大地と正面から向き合う。農家の人はそれを生業としているからエライものだ。
もともと日本人は農耕民族だった。しかし、土地なし労働者はほかの仕事を身に着け働くしかなかった。おいらもその一人。おいらの生まれた家は雑貨屋を営んでいた。それも借家だった。根っからの貧乏一家。こうなると怖いものなんかないよ。なるようになれだ!!。

「ソク(ラテス最後の十三日」森本哲郎を読む。38ページ目で眠くなる。この本は土浦図書館から頂戴したもの。薬局で医師の書いた処方箋の薬をくれるが、この本は図書館がくれた処方箋の睡眠導入剤。よく効くこと!!。万歳なり。
 
  5月1日(月)

さあ、5月だ。だからどおいっていうことはない。根本ぶどう園の剪定作業が今日から始まったということだ。4月に声をかけられても体調不良で動けなかった。今は、滅茶苦茶元気でもないがそれなりに動ける。少しづつ体調とにらめっこしながらやろう。

5月の緑はすごい迫力がある。わんさかわんさかさまざまな色彩の緑が飛び込んでくる。ただ、口をあんぐりあけて見ているしかない。

ーわしは、ただ見物に行っただけなのだ。ところが、いよいよパルナスの山に入りかけたとたん。何とも言えぬ霊力に浸され、まるで冷水をあびたような気分になった。ー「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎。読み始める。


 
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