怠惰な散歩  2015年 11

  11月30日(月)

今日で11月もおわり。なんとなく気忙しくなる師走を迎える。あっというまに今年も11ヶ月が過ぎた。つつがなくぼんやりと今年を締めくくれそうだが、一寸先は闇ということでわからない。わからないから生きているようなものだ。

インドの二ランジョンが来年の1月に結婚するという。甲状腺がんの病をかかえる体がネックとなって一生結婚はできないのではと思っていた。けいこ先生の話では20歳も年下の女性だという。二ランジョンも40歳ぐらいだから新妻は20歳前後かー。どう考えても「うまくやったな!」。なにか裏があるのではと勘ぐってしまう。これはいけないことだ。「おめでとう!」と素直に祝福しよう。

今年成人式を終えたばかりの姪っ子に女の赤ちゃん誕生。内祝いのお返しにカタログギフトが贈られる。迷えるよれよれおじんはきのうから悩みページをめくっている。決断と実行。これが大切だ。今晩中にミトモ家の歴史的大英断を下そう。ばかじゃないか!。
 
   11月29日(日)

常磐線の電車に乗る。電車は料金を払った人だけを乗せて走る。関所破りはご法度どころか完璧なほどにガードされた改札ゲートがデンと構えている。。そこをクリアして電車に乗った自分を誉めたい。

さて、今日の「日印タゴール協会」再活動の打ち合わせだが、ゆるゆるとしたうつぶせの動きにいささかがっくり。事務局はバングラディシュ出身シャーカーさん。英語もベンガル語もできる。日本語の会話もスムーズだが、細やかな日本語の文章まで理解していないようだ。日本語は難しいといいなながら3 人で協会再活動の方向性に向けて話し合う。これからは、シャーカーさんの出番だと励まし、さらにガンバレ!とエールを送る。

どうなることでもない。どうなってもいいことだ。しかし、どうなるという言葉の行方の難しさを痛感。疲れました。バイバイ、お休みなさい!!。
 
   12月28日(土)

お日がらもいいので自転車でサイクリングとしゃれこむ。これがどういうお洒落なのかわからないが、とにかく気が向くまま走らせていたら土浦青少年の家。腰の曲がった老人がクロッケーの練習に余念がない。何度も打ってはボールを追いかけバターを振る。そのたび、カーンという乾いた音がグランドに広がる。まったくのどかな風景。口を半開きにしてぼーっと飽かずに見ているおいらの頭ものどかなものだ。

ヘルマン・ヘッセの本を読んでいたらこんな詩にでくわした。タイトルは「忠告」。
愛する少年よ 多かれ少なかれ
人間の言葉はみんな結局まやかしなのだ
比較的にいって 私たちがいちばん正直なのは
おむつにくるまれているとき そして墓の中
(以下略)

時間をゆっくりと食べる。よく噛んで味わいながら。時間をゆっくり抱きしめる。両手を広げて胸いっぱいに空気を吸い込んで。そうやって、過ぎゆく時間に話しかけてみる。いつまでそうやっていられるのか―。それが悩ましき問題だー。
 
   12月27日(金)

空は真っ青に晴れ気持ちがいいが北風が強く頬をなでる。そんな寒さにもめげず、大姫と姫丸子と3人で東京へフラメンコを観に行く。姫丸子の招待によるものだ。鍵田由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団による創作フラメンコ。演目は「無限」。生命の輪廻転生を描いたようで、観客に思考回路を無限に働かせるような内容だった。

姫丸子はチョコチョコと大姫とおいらをリードして食事や土産物の買い物と忙しい。2人を追いかけて歩くだけで息がきれそうだった。なんでも、観劇のあとは土浦で開かれるなんとか理事会に2人で出席するという予定がくまれている。その時間に合わせたスケジュール。忙しいわけだ。

もっとゆっくり、もっとのんびりと久しぶりに上京した東京見物でもと思っていたが叶わず。しかし、久しぶりに観たフラメンコの激しい踊りと音楽に酔いしれ楽しめた。最後は、最新の特急列車まで乗りあっという間に土浦。さらに、姫丸子タクシーで自宅まで送ってもらうというオマケまでつけてもらった。
みなさまお疲れさまでした。そしてありがとうございます。
 
   11月26日(木)

寒い一日だった。CROSSの喫煙所は屋外の自転車置き場。精神安定のためにはタバコを吸わなければならない。ここで闘いが始まる。「ユクベキカ」「ガマンスベキカ―。小雨もパラついているから傘も必要だ。そして、なにより寒い。ガマンすれば優秀な頭脳の回転が鈍る。これは、世界の大きな損失なる。さて、どちらをとるか?。悩めるオジンはもう一度、部屋から外を見る。ガラス越しに寒さだけが地上を支配している風景が広がる。さて、どうなったのかは秘密だ。

けいこ先生から電話。29日、千葉・市川の自宅にきてほしい。シャーカーさんといろいろと相談したいという。けいこ先生は東大インド哲学科卒。女性の文系学生が珍しかった当時、成績優秀ということで、卒業式にはなんとかという金時計をもらい、NHKテレビが取材して全国に流したという。その先生も79歳。さて、どうするか―。みんな、みんな、なんとなく疲れた。

そうだ、金魚ちゃんの判断をあおごう。そんなことを考えていたら、NHKFMから、高倉健の唐獅子牡丹のメロディーが流れてくるのでした。
 
  11月25日(水) 

そういうこと、あのようなことがあって1日は終わる。今日も、そんなささやかな時間のながれを、そっと手のひらにすくい指のあいだからこぼれ落ちるように終わる。市井の人々にとって、これは平凡で楚々として実に美しい姿なのだ。

地球儀をまわしてトルコとロシアの地理的関係をみる。地球は丸いが、ニンゲン世界は、すべくことがすべてまるくおさまらないことを痛感。憎しみの連鎖という錠前は何処の国の店先でも平気で売られ、気軽に買い求めることができるようだ。

そうだ、金魚ちゃんのエサを求めてジョイフル本田に行こう。
そして、こう注文をしよう。
金魚ちゃんに形容されるウンチの名誉挽回をこめてだ。
「憎しみのウンチがすぐに断ち切れるエサをくださいー」。
 
   11月24日(火)

50数人の幼稚園児たちの写真を撮る。市立土浦幼稚園で開かれた「どんぐり山劇団」公演会。後半は、会場が二手に分かれてのクリスマスツリー作り。それも1階と2階。何度も階段を往復する。園児たちは疲れも知らず、元気にツリー作りに夢中だがこちらはクタクタ。こんな時代がおいらにもあったのかと思うとなんとなく感慨深くなる。

それにしてもスタッフの女性、いやおばさんたちは元気だ。努めて明るく元気に演技に夢中になる。出し物の河童劇はもう何度も見て写真も撮ってきた。その都度、内容が進歩してきたのか充実してきたのかわからないが、園児たちは拍手喝采で夢中になっている。一人ひとりの表情を見ているとなんとも微笑ましい。

ようやく、ニガウリ栽培のネットをはずしたとかあちゃん自慢。このおかげで苦い経験をしたがようやく悪夢から解放された。来年はどうなることやら―。
 
  11月23日(月)

朝を起きる。玄関をあけて朝刊を取り出す。空を見上げる。曇天の空がわがもの顔でひろがる。今日の不吉な一日を予感させているようだ。これはいかん。努めて明るく「金魚ちゃん、おはよう、おはよう」と、何度も声をかけエサをやる。メタボ金魚ちゃん元気にエサをパクパク。血糖値を気にする様子もない。もちろん、かかりつけ医者や門前薬局など門前払いだ。見習おう。

朝食は自力勝負。阿見町のファミリーレストランまで傘をさして行く。歩くから傘が進むのかひとときも離れない。あたりまえだ。それにしてもおいらの歩行速度は遅い。信号待ちで並んだ親子は数分もしないうちに遠くなる。人生は早く、早く、だけではないぞ声をかけてやりたいが、バーカとおうむ返しされそうだからやめる。

その後は読書に浸る。「警官の血」というお楽しみ小説。作者は佐々木譲。上下で800頁近くある。懐かしい名前が出てくる、その名は唐牛健太郎。まったくの過去に人だろうが、おいらの記憶からはなかなか消すことができない。空はあいわらず鈍色でしかめっ面。お休みなさい。 
 
   11月22日(日)

朝から、整復師会の仕事に励む。あと1ページを残して全部出稿する。朝食もとらず根をつめてパソコンとにらっこしていたらクビやカタがコリコリピリピリする。それでも、ひと仕事をすませ、ほっと一息。そういえば、金魚ちゃんに朝食をやるのを忘れていた。お昼ちかいが、朝食だぞといってパラパラとエサをやる。パクつく勢いがすごい。限りなくお腹を空かせハラをたてていたのだろう。金魚鉢を激しく泳ぎまわる姿勢から読み取れる。

F氏から絵画展の案内が来ているが行けない旨を伝える。いつも、おいらの時間はゆっくり流れているのだが、何かの所用があると立て続けにやってくる。もう、瞬時にそれに対処する体力も気力もなくなった。加齢というひなびてかわいそうという冠を授かったのだ。それても、オジンは頑張らなければならない。辛いことだ。
4日分のブログをまとめて書く。こういうのを横着ブログというのだろう。それでも、何か認めていないとクビの座りが悪い。この場合、貧乏性とちょっと違うようだ。それでは、みなさまバイバイ。
 
  11月21日(土)

茨城民俗学会講演会に行く。理事長に「印日タゴール協会の活動再開の準備をしているのでそちらに傾注したいから―」。そのような理由で民俗学会の退会をお願いする。了解の返事をもらう。今、考えてみると民俗学会で何をやってきたのだろう。まったくの真っ白だったという思いがする。

土浦の自然を守る会から連絡あり。「どんぐり山公演会」を地元の幼稚園でやるから記録写真を撮ってほしい。おいらは、よくよく暇人と思われているのか―。いつもこういう頼み事は直前が多い。「用事ある時だけの電話ですみません」と低姿勢。断る理由が見つからない。そこで引き受ける。

水戸の帰り大姫宅へ。キャプテン斎藤の2校を届ける。本宅を出ると外は真っ暗。広い庭園をソロリソロリと陣屋門まで歩く。今度は懐中電灯持参で訪問しなくては―。 
 
   11月20日(金)

大姫と城里町へ。障がい者施設で10年もお茶のボランティア活動をしているというので一度見てみたい。こういうのをヤジ馬根性というのだろうが承諾してくれた。途中、笠間のグリエールで昼食。ママが食後にとサービスしてくれたケーキはかあちゃんのお土産とする。大姫にごちそうになる。ありがとうございます。

施設は城里町というからどこだろうとクルマを走らせるていると、そこは旧七会村ではないか。この村では2年間お世話になった。「ふるさと通信」取材で村の隅々まで入り写真を撮らさせてもらった。当時は県内で1番人口の少ない村。そこを起点に「小さな村から世界が見える」というコンセプトだった。

「自由・平等・博愛」というフランス憲章のように、大姫はどの障がい者にもわけへだてなく親切に茶道の指導をする。エライものだ。お菓子は「秋の山」という名。障がい者は教えてもすぐに忘れる。それでも根気よく何度も繰り返す。窓の外に見える山々を指さして「秋の次は何ですか?」とヒント。「冬!」「冬の次は?」「お正月!」ああ、絶望的になるがあきらめない。

とても、おいらには真似ができない。敬服につきる。お疲れさまでした。
 
   11月19(木)

CROSSを早めに退散。小春日和の牛久運動公園を散歩。公園では10数人で落ち葉掃きをやっている。静かな園内に竹ぼうきの音とカタを寄せ合うように集められる葉っぱのこすれる音。おいらはなんとものほほんと生きているものだと自分で自分に脱帽。

シャーカーさんよりメールあり。近いうちに会っていろいろと相談したいという。インドから印日文化センターのもめごとのメールが届いたばかり。そのことと関係があるのだろうかとギクリ。はるか遠くでの出来事にビクビクすることもないと思うが気になる。

夜は、大相撲を見ながらチビリチビリ。あんな大きな体で本気にぶつかりあってよくケガしないものだと感心していたら、包帯やサポーターをつけた力士が多いことに気づく。みんなボロボロになって闘っているのだろう。二匹の金魚ちゃんの相撲をおいらはまだ見たことがない。ぜひ、観戦させていただきたいものだ。
 
   11月18日(水)

インドのオロクさんからメール。心臓がどきんとする。パリも遠いがインドも遠い。パリからは不幸なニュースが届くが個人あてにメールはない。どういうわけか、インドからはメールが忘れたころやってくる。どうやら、バングラアカデミー(院日文化センター)で内紛があったらしい。どこから、どうして、そんな火の粉があがったのかわからない。この場合、わからないから面白いのだと高みに見物ととぼけていていいものか考える。

昔、新しくできた親子の絆というものはどういうことだろうと坂東札所巡りを4人でやった。そのうちの1人は他界した。今は医者巡りをやっている。昨日は整形外科、今日は眼科と耳鼻咽喉科。どちらも回復の兆しは見えず現状維持という診断。これは加齢という水戸黄門の紋所のようなものが邪魔をしているようだ。こまったものだ。

明るい話題をと大相撲を見ていたら応援する稀勢の里はあっけなく大敗。金魚ちゃんなんとかしてよ!!。
 
   11月17日(火)

疲れた、疲れた、疲れたという文字しかおいらの前にはない。相棒と東海村へ。CROSS取材とお勉強を兼ねてだ。しかし、講義内容は理解不能。残ったのは「疲れた」だけ。クルマの助手席に座り、会場でも椅子に座り数時間過ごしただけというの手土産は「ああ疲れた、ああ疲れた」。なんとも情けないことだ。

夕食後、雨の中を散歩。変な外人に声をかけられる。新興宗教の誘い。どうもわからん。神さまを信じている信者同士がどうして殺し合いをするのか。おいらは、世界中の神さまと称される神はすべて信じる。理由などいらない。ただ信じて愛するのだ。そのようなことをゴタゴタ話してサラバする。

9時からサッカーの試合をテレビ観戦。格下のチーム、格下のチームとアナウンサーが連呼する。生涯格下人生を歩もうとしているおいらには不愉快語。もしかしたら、これは差別用語ではないかと勘ぐる。久しぶりに深夜12時ごろ寝る。
 
   11月16日(月)

「手のひらサイズ5,000円」。これはクルマのへこみキズを簡単手軽格安で引き受けるという宣伝文句。そこで、先般の港湾旅行でクルマのバンパーのイタイイタイを診断してもらった。「バンパーの交換で10万円、中古でも5万円ですが追加料金も考えられます。」

「駄目です。こんなに老いたクルマに外面にこだわるような延命措置は必要ありません。結構です」。そこで、ペイントを買ってきて自分で補修する。考えてみればインドではこれぐらいのキズをつけたクルマがウジャウジャ堂々と走っている。それを誇りにしているドライバーもいる。それなのに、日本では少々のキズでも犯罪者のように見られるなどとブツブツいいながら終了。

整形外科に1か月ぶりに行き診断をあおぐ。順調に回復しておりバンドもはずして良いという許可。あと1か月したらまた来てください。おいらはまだ延命措置がもとめられるニンゲンだろうか―。「フン、どうでもいいが、オマエさんがいなくなったらオイラも死んじゃうから―」。金魚ちゃんのコタエでした。
 
   11月15日(日)

かあちゃん、せっせとリックに荷物をつめる。家出の準備だ。行く先はわかっている。常磐線で荒川沖からひと駅の土浦駅。そして、家出はするが2、3日で必ず帰ってくる。お土産は疲労困憊の身体。幸せはいつも「二律背反」かわいそう。

かあちゃん留守がいいと喜んでいるのはゴキちゃん、黒い鎧に身をかため台所を走りまわっている。こういうチャンスこそ運動不足を解消しなければと軽快な動き。遠くに遠くに生きようとする力がみなぎっている、すごいものだ。

夜の酒のつまみは柿ピーにかあちゃんが作ってくれたシシャモ4匹。4という数字はどうも縁起が悪い。もう1匹加えるべきではないか―。魚といえば金魚ちゃんの顔を思い浮かぶ。そこで「殺生」という言葉が脳裏を走る。そんなことあたりまえだ。バーカ、貧乏人はさっさと電気を消して寝ろ。ハイ、ワカリマシタ。
(写真は三中地区公民館文化祭で)
 
   11月14(土)

「そうだ、雨の日は書を捨て傘をさして街に出よう!」というわけで、土浦駅前に移転したという土浦市役所見学。閉庁日ということもありウララビルは静かなものだ。県南生涯学習センターではたくさんの高校生らしき男女が勉強している。窓際の図書閲覧室で30分ほど写真に関する本をパラパラめくる。

その後、ウララビル周辺を歩く。人は少ない。雨は小止みになったが空は鉛色。人通りの少ない土浦駅界隈はどう見ても暗い。こちらの気分も落ち込んでいく。

フランスで大変なことが起こった。「友愛」という言葉を考える。地球儀をまわして
フランスを探す。日本からは遠い。本当に遠い国だ。萩原朔太郎「ふらんす行きたしと思へどもふらんすあまりに遠し―
」。

なんとなく暗い休日。やはり雨がいけないのか―。
 
   11月13日(金)

時々、物語に潜む行間を考えたりする。30年前を思い出し、これから30年後のの日本や世界はどうなっているのだろうか―。身近なところではかあちゃんもおいらも地上に存在しないということ。常磐線は高架電車になっているだろうか―。地球が養える人口はのパイは40~50億人。日本の細長い列島は7、8千万人といわれている。30年後、世界の人口はどんどん増え続け満杯になる。その時、水やエネルギーは足りているだろうか―。

そういえば、今日は13日の金曜日で世界的に厄日とされているらしい。金魚ちゃんに訊く。厄日って何ですか。バーカ、そんな言い伝えなどおいらの世界にはないよーだ。まったく、人間世界はヒマ、タヌキ、オマエノカアチャンデベソと踊り狂っているとしか言いようがないよ!バーカ。はい、わかりました。

骨折の具合は回復に向かっている。もうコルセットも使わなくていい。完治とはいかず、時おり痛みが走る。とにかく、体を万全にして働かなければと思う。それでも、タバコと酒は欠かさない。ここに、もうひとつ加わる。七色吐息の常備薬だ。いったい、これはどうなっているのだろう―。30年後のことなど考えている場合で
はないよ―。
 
   11月12日(木)

ぼくは時々、詩人になったふりをするんです。

「秋誘い」

さやさや風に誘われて
ススキが揺れる
小枝にしがみつく葉っぱのざわめき
気まぐれに強い風が吹き
飛んでいる赤とんぼを驚かせる
小鳥のさえずりが運ばれてくる
天空には
コバルトブルーだけでは寂しかろうと
白い雲が寄り添いながれる

過ぎ去った時間は戻らない
消えた時間と明日の時間のはざまで
人はそれぞれの生き方を
考え、模索し、行動する
空からジェット機のエンジン音
静止してはいけない時間を抱きしめ
ひたすら飛びつづけ見えなくなる
ぼくはひたすらの沈黙に時を過ごす
 
   11月11日(水)

CROSSに顔を出してから水戸の編集会議に出席。常総市の整復医院豪雨被害写真を見せてもらう。突然、すごいことに出くわすが、それそれの立場でみんな頑張っていることを知る。のほほんと生きていることに何か恥ずかしさを感じる。そういえば、「空から恥が降る」という藤原新也の本があった。恥が空から降るのか空から恥が降るのかわからないが、こういうのを無知の恥というのか―。

CROSSの駐車場から眺める雑木林も秋の訪れを知らせるように紅色や黄色に色づいてきた。もう11月も中場。12月がそこまでやってきている。まるで特急列車に乗っているような一年の早さを感じる。

帰ってきて、歳月の流れの早さに驚いていますと金魚ちゃんに報告。金魚ちゃんのうろこは年がら年中紅葉色。何も語らないがエライものだ。
 
   11月10日(火)

N氏に相棒と一緒に昼メシをごちそうになる。久しぶりに牛肉の舌触りを味わう。少し、食べ過ぎたようだ。東京に行った日曜日に絅子先生に昼メシをごちそうになった。鹿児島会館の中にあるレストランでカキフライ定食。これは量も多く食べ過ぎだった。ごはんを少し残したが絅子先生の方を見るとペロリ。食べ残しなどない。80歳に近いというのにその食欲に思わず「マケマシタ」。今日の昼食もそんな感じだった。

CROSSを早めに退散して耳鼻咽喉科へ。20代のころから蓄膿症だといわれていたが医者にもかからず放置していた。終着駅に近づきあるという人生に、なぜ今さら治療をするのかわからない。治療は簡単で鼻腔にたまった鼻水をバキュームで吸い取るというもの。あとは処方されたクスリを飲むだけ。しばらくは鼻の通りがよくなりすっきりする。このすっきり感がいいのだ。

すっきり感はいいのだがあいにくの雨模様。金魚ちゃんに明日は明朗快活なお天気をお願いしますと両手を合わせる。まったく、バーカみたい。いや、バカだよ。お休みなさい。
 
   11月9日(月)

「忘却とは忘れ去ることなり」とは当たり前のことだが、その忘却の度合いが日増しにひどくなるようだ。「そういえば、昨日は市長選の投票に行ったが結果はどうしたろう」。朝刊を取りにゆくが今日は新聞休刊日。金魚ちゃんに選挙結果を尋ねるが回答なし。そういうことで夕方まで誰が市長に当選したのを知らずに過ごす。

ブログを二日お休みしたので忘れないうちに認めておこう。6日の金曜日はCROSSでそそくさと仕事をする。帰ってきて散歩と称してフラフラ徘徊。ひたち野うしく駅まで歩く。穏やかな日和。途中、町内会の役員二人とすれ違う。どちらも黄昏迫る年代。黄昏族の背中はどこかうら寂しい。
7日の土曜日は張り切って1000円散髪に行く。理容師さんは散髪が終わると三面鏡で仕上がりを確認する。別に見なくてもいいのだが頭の中心部が薄くなっているのを見届けて終わる。それからはひたすら読書に励む。

いつもと同じような生活で大きな変化はない。平凡な庶民の休日。散歩と読書と酒。これだけ歩きまわっているのだから目の玉が飛び出るような拾い物をしてもいいと思うのだが、これまで一度もない。きっと散歩コースは貧乏人しか歩いていないのでは…。そのひとりにおいらも加わっていると思うと悲しく情けなくなる。じっと、手を見る。これはあきらかに貧乏に疲れた手だ。さらばだ。
 
   11月8日(日)

朝から雨が降る。日曜日が雨だとなんとなく一日が損をしたような気がする。雨の日はしょうがないから本でも読んで息をひそめていれば金もかからなくていい。ところが、東京・有楽町で人と会う約束ができたので土浦市長選の投票を済ませてそそくさと出かける。

我妻先生が立ち上げた「日印タゴール協会」はただ今休眠中。その活動を再開してインドのコルカタにある印日文化センターを利用して文化交流を深めようというものだ。こういう活動は誰か突っ走る奴がいないとなかなか前に進まない。

シャーカーさんが張り切っている。彼の紹介でペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学教授と評論家の三浦小太郎氏とお茶を飲みながら作戦会議。来年の5月にインド大使館で再開宣言を行うことを確認する。ペマ・ギャルポ学教授とシャーカーさんと三浦氏に準備を進めてもらうことにする。もう、インドとはおさらばしようと思っていたがなかなか切れない。手切れ金でもやれば縁を断つことができるのか。そんな金もないから成り行きを見守っていよう。
 
  11月5日(木)

早朝シネマを楽しむ。土浦図書館から借りてきたビデオ「炎上」。原作は三島由紀夫の「金閣寺」。原作は遠い昔に読んだが詳しい内容は忘れた。俳優の仲代達也が出演しているのに驚く。水上勉が主人公の少年と会ったことを書いていた。それも詳しくは忘れた。

CROSSには相棒も出勤している。今日はフルメンバーの6人が顔をそろえている。珍しいことだ。しかし、昼前後になると一人が消え二人が消えていく。相棒も消える。よくみたら残るのはおいら一人。静かなものだ。

かあちゃんが出張介護から帰る。おいらの自宅から消えたのはいつだったのだろうかと指をおる。すっかり日常生活に溶け込んでしまった出張介護。いつかあちゃんが消えても違和感がなくなってしまった。これって、どういうことだろう。
 
   11月4日(水)

キャプテン斎藤の小冊子の打ち合わせで姫宅へ。今日も秋晴れ気持ちはルンルン。提示した見積もりでキャプテン斎藤がOKしてくれるか?。悲しいことですが、世の中はすべてカネ、カネで動いています。天使の翼はカネという札束でできているのか?坊主の袈裟はカネをいれるために深く大きいのか?いろいろ考えます。

昨日からお天気もカラリと晴れ過ごしやすい日が続いている。そのせいか、頭もカラリと晴れてスッカラカン。まるで豆腐のオカラのよう。これではいけない。世界の平和と日本の安泰を祈り金魚鉢の清掃に励む。主人に似た金魚ちゃんはただぼーっ、ぼーっと動きまわるだけ。なにひとつ手伝わない、こまったものだ。

追伸、キャプテン斎藤がOKしたという電話が姫から入る。ありがたいものだ。正月のモチ代ができたと感謝してさようならする。おやすみなさい。
 
   11月3日(火)

キャプテン斎藤+姫+ぼーっは大洗港と鹿島港の見学に行きました。お天気は快晴で暖かく気持ちいいドライブを楽しみ目的地を満喫しました。大洗公園ではイベントが開催され大勢の人でにぎわっていました。マリンタワーは今日が「大洗町民の日」で入場無料。タワーの展望台は高さが60メートルもあり大洗町やドッグが一望できました。それはそれはのどかで平和な時間が静かに流れているというものでした。

次の訪問先の鹿島港公園は人出も少なく静かなものでした。岸壁で釣り糸をたれ魚釣りをしている人もいました。キャプテン斎藤が「港は繁栄の母」と茨城県の経済アップに情熱をかたむけ造られたドッグは紺碧の色をたたえどこまでも広がっていました。

最後は、キャプテン斎藤が住んでいた自宅に行きました。今は誰も住んでいないので荒れ放題。それでも、キャプテン斎藤には思いで深い家屋。不自由な足で坂道を上がり二階の角部屋から眼下に広がる鹿島灘を見て満足そうでした。

みんな、それなりのお年をめし辛そうでしたが頑張りました。無事にご帰還できたことに感謝をしています。これも日ごろから神仏を崇める気持ちが伝わり守ってくれたのだと近所にある妙向寺・尾先稲荷神社・荒川沖教会にお礼参りをしようと思っています。おわり。
 
   11月2日(月)

朝から雨が降る。雨粒はよほど地上の香りが恋しいのか夕方になっても降りやまない。天気予報官は明日は快晴という、それを信じたい。うまくあたったらソデの下から新鮮な秋の果物をそっと贈りたい。あきらかなワイロ。こんなことが自然界に通じるわけがない。反省。それでも明日の快晴をお願い。

さて、CROSSを早退して自宅で読書にふける。「科学者は戦争で何をしたか―」益川敏英著(集英社新書)。この本はしっかりとフンドシをしめて読むべきだ。ぼーっを信条としている怠け者には耳が痛いことばかり。ああ、世界がわからない―。
よれよれおじんは遠くなった耳をそばてステレオのボリーュムをあげる。今、ゴスペルが流れる。元気がでる。とにかく、無限大に祈りを捧げ、見返り美人を求めないことだ。よし、寝よう。明日をガンバロウ―。
 
  11月1日(日)

今日から11月。11月の次は12月となるのはあたりまえのことだが、一年なんてあったという間に過ぎてしまう。

荒川沖東3町内合同の歩け歩け大会に参加。乙戸沼公園までの往復約4キロの道のりをただひたすら歩く。ざっと見まわして100人は参加している。お天気がいいこともあるが、それだけ暇ということだ。それとも健康志向が高いのか―。

午後、疲れを癒すためにながみねへ。予想したよりここは空いている。お天気がいいから郊外に出かけて自然と戯れているのか?。それとも各地域で催事が目白押しだから会場へ行き目ぼしい物産品のおこぼれにあずかろうとしているのか?。どうも、貧乏くさいことばかり想像してしまう。これは持って生まれた性というなら、なんとも寂しいものだ。

キャプテン斎藤と山王台の姫との港巡りは3日と決まる。お天気が味方してくれることを祈る。
 
   
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10 11 12
 

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