怠惰な散歩  2014年12

   12月31日(水)

あっ、そうか、今日で2014年も終わりかー。そうか、そうかと一人でうなずく。
がんばって今年の終わりを納得させようとするがなかな実感がわかない。

「そうか、もう君はもういないのかー(開口健逝去に・評論家、矢沢永一)」
「そうか、君にはもう頼まないよー(ある政治家に・石坂泰三元経団連会長」
「そうか、2014年も終わったというのにまだ生きようとしているのかー(ぼーオジンに・金魚ちゃん)」。
だからどうなんだと問われれば、「そうだよ、2014年にはもう用がないよー」と返答するしかない。

今日は引きこもりオジンに徹する。もっとも外の空気が吸いたくなって2度ほどダラダラ散歩をした。ダラダラ散歩というのはぼーっと歩きまわることだ。そして考える、2015年をどのようにしてぼーっと仲良く過ごすか。まずは、「ぼーっクラブ」の創立。会の趣旨・資格。アミニモマケ、カゼニモマケ、ナツノアツサニモマケ、ひたすらのぼーっに徹し、世の掟には盲目的に従うこと―。以下、喧々諤々、金魚ちゃんと議論中。

そんなことで今年は終わりです。皆さま、良いお年をお迎えください。バイバイ。
 
   12月30日(火)

インドへ11回行っている。そして、その間に書きとめたものが400〜500枚ぐらいある。少しはまとめhpで公開しているが、金魚ちゃんのフンのようなものだ。そこで、「最後のインド旅行を楽しもう!、応援するからー!」。

あたたかいお言葉に甘えて今年11月に1週間ほど訪印した。その時、「よし、自分自身の最後の仕事としてまとめようー」。

正月休みを利用して骨太の組み立てを。ここ数日、その作業をしている。しかし、なかなか前に進まない。パソコンを自参して図書館ではどうか?、イオンの雑音の中では?ー。ココスの喫煙コーナーなら?と格闘する。しかし、文は進まない。

原因はわかっている。
加齢による気力不足。おまけに基礎学力不足。文章力不足等などが複雑にからみあっているのだ。もうひとつ加えるとすれば、おいらはへん平足。関係ないかなー。

イオンの帰り、乙沼公園を散歩。池には白鳥がバ―カ、ボーッがうつむいて歩いていると、ダミ声で鳴いている。
そうだ、バ―カ、ボーッを共有しよう。
それこそ普遍的な愛というものだ。ワカルカナァー。
   12月29日(月)

今日、東京の神保町で仕事のことである人と会う約束がキャンセルになった。急きょ、我妻先生の墓参り。
11月のインド旅行出発前にと思っていたが果たせなかった。奥さまのけいこ先生を迎えに千葉県市川市へ。自宅で雑談後、市川市市営霊園へ。ふたりで我妻先生の墓前で手を合わせる。なんとなく、気がはれる。

かあちゃん、今晩から老々介護へ出張。自力勝負が始まる。
とうちゃん、負けません勝つまでは、とこぶしふりあげる。
これは、いったいどういうことか―。結論、バカな人間だと思う。

帰宅後、「親鸞」の下巻を読み終える。若い人の中には「おやどり」と読むこともあるという。読後感、新聞連載小説はどこか軽い。ただ、読ませる術を心得て物語を紡ぐという作家の力量に感服する。

その後、図書館から借りてきた吉田健一の本を読む。句読点が少なく辛い。文体というものに個性があって当然だが、このままでは正月休み中に読み切れるかー。1ページをめくることに「ゆーったりゆーったり」と囁いているようだ。
 
   12月28日(日)

今日の朝日新聞。2014年書評欄の担当者。自から印象に今年残る3冊がのっていた。
その中に、オイラが読んだ本は一冊もない。これは素晴らしいことだ。多様な考えの人間模様に感嘆。

さて、牛久図書館にオモールを探しに行く。見つかる。市内住民ではないので貸出ご法度。コピー代470円也を払い手中にする。オモールとはタゴール戯曲集「郵便局」の主人公。

そこで考える。やはり地元土浦市の図書館を利用しよう。なんといってもお金がかからない。そこで、土浦三中地区公民図書館へ。

「吉田健一 友と書物」2400円、「何も持たず存在するということ」1600円、「ヒンドゥー神話の神々」4500円、「サリンジャー」4600円、「生の日ばかり」1800円。しめて14900円也。オイラの家にはこれだけのお金をねん出することはできない。これらを借りる。

オイラの家は、二人暮らしには広すぎるプップッを連発してもお互いが臭いに気づかないような部屋数と空間はある。だがお金はない。それでもいい!!、と開き直る。

さては、今晩もしっかりとプップッを連発して深い眠りにつこう。
 
   12月27日(土)

朝から空は晴れている。それはオイラが目覚たのは明るくなった7時ごろの話だから夜明け前から晴れていたかもしれない。
晴れた空が好きなオイラは朝からルンルン気分、かといって大きな幸せ運んでくれるプレゼントは届かず。さては、隠れポストの中でコンコン居眠りしているのか?。では、待ちましょう。「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」。太宰治の「走れメロス」。

そういうことで今日の報告。
朝の散歩の途中でマクドナルドで100円コーヒーと100円ソーセージマフィンでぼーっと過ごすこと1時間。
この時間、世界中でぼーっとしている人々を想像する。ぼーっとしていれば争いは起きないのでは―。
これは、大変危険な考え方だということを本で知る。ヒトとヒトは争いを繰り返してきたことで今日まで続いたというのだ。まさに、しかりかもしれない!!。
 
   12月26日(金)

昨晩は筑波山神社近くのホテルで忘年会。「徳一音頭大会」で宴席は盛り上がる。今朝、ホテルの部屋から富士山が見える。頂上付近には真白き雪。富士は大きい。かすかに東京スカイツリーも見える。まったく静かで平和な朝。見晴らし良し。

ホテルで朝食後、CROSSに戻り大魔神の2014年所感を拝聴。その後、年越しそばを食べてCROSSの店じまい。今年もCROSSで生かされてしまった。

昼過ぎ自宅へ帰りかあちゃん、金魚ちゃんと再会。みんな今年も世間さまの慈愛のもと生かされたことを再認識。「親鸞・上」読了後、居眠り。

つくばイオンの本屋さんへ。欲しい本は品切れ。「21世紀の資本論」5900円也。高価だが気になる本だ。難しそうでどこまで理解できるか―?。しかし、読んでみたい本だ。
 
  12月24日(水)

「ジングルベル、ジングルベル、カネモッテコイ!!」
「クルシンデイマス、クルシンデイマス、カネモッテコイ!!」
サンタよ、何処にござるのだ。おいらの家には煙突がないからトイレの小窓を開けたまま寝よう。
どうか、よろしくよろしくお願いします。サンタは平等精神を遵守しなければならないのだ!!。

本日、部屋中の2014年版カレンダーを全部捨て2015年版に取り替える。1週間ぐらいのズレは無限大の時間軸から考えれば極小すぎて目にも入らない。

さては、明日はCROSSの大掃除と忘年会。
そこで考える。清掃される側の身についてだ。勝手に寄せ集めてゴミだからと処分するのはいかにもニンゲンの勝手すぎるのではないかー。
「ソウダ、ソウダ!!」。
掃除が苦手なかあちゃんの絶叫マシン全開。スゴイものだー。
   12月23日(火)

徳一音頭の踊りを見る。
80年ぶりのご開帳という雨引観音の「延命観世音菩薩」を見る。排観料1000円也。裏筑波山を見る。しばし、世界も日本もかあちゃんも金魚ちゃんも忘れ楽法寺の背後に連なる緩やかな山並みを眺める。生命は穏やかな呼吸をしている。明日への息づかいが伝わる。もう、春に向かっているようだ。

どういうわけか萩原朔太郎の詩集をひもとく。
―我は何物をも喪失せず
―また一切を失ひ尽せり。

エィヤと買い求めた新刊本、五木寛之著「親鸞」の上巻を読みはじめる。
目が疲れて休憩。湯らの里へ。散髪をする1080円也。
帰宅して「親鸞」の続き読む。眠くなる。みなさまお休みなさい。

   12月22日(月)

インドのオロクからメールが届く。娘の結婚を控え忙しい。心から感謝をしている。ところどころに意味不明な表現。無視する。時々、メールを下さいとのことで終わる。世の常かー。オヤジはかわゆい娘を手離すのは辛いのか―。それでも良しと思う。

さればなりの一日であった。それでも朝は少し慌ただしかった。ジョイフル本田ではプリンター用のインクが安い。トイレットペーパーも特価。さらに灯油缶が空っぽになった。「寒さで凍え死したくない」ということで意見一致。そこで、父ちゃん母ちゃんは有り金はたいて出かける。ハンドルを握りながら眩しい青空が気になる。青空の衝動買いは雲や雨か―。かあちゃんに問う。かあちゃん相手にせず笑うだけだ。

今日は冬至だという。ウソだと思う。ウソは世界中にはびこっているから驚いてはいけない。いけないことにはもう一つある。「スカッペ」だ。堂々とすればいい。ささやかなスカッペなど宇宙は広いのだから「ペッペッ」とも感じないはずだ。

堂々たる貧乏老後、堂々たるオナラの連発。車中でかあちゃんの「スカッペ」を体感しての感想。みんなで頑張りましょう。
 
   12月21日(日)

昨晩は、荒川沖東公民館で町内会の役員会と忘年会があった。お目当ては忘年会の方だった。ドクターストップで酒を飲めない人もいたが、それなりに飲み交わし盛りあがった。さらに、二人の役員がおいらの家に立ち寄り三人で酒を飲んだ。二次会というのだろうか―。その影響で朝からハラの具合が良くない。

ぼんやりした頭を解消するにはどうしたらいいか。今日は用事もないしお天気も良い。そうだ歩こう。歩いて体を消耗させてこたつに入ってコックリコックリと居眠りするのだ。

そういうわけで、自宅周辺をカメラをぶら下げてひたすら歩く。
犬も歩けば棒にあたるというが、棒にあたるどころかぼーっだけの宇宙が頭を支配しているようだ。

歩いても歩いても背後からぼーっがつきまとう。田んぼは夏の疲れを癒すかのように冬の光を浴びて休んでいる。どこまで歩いても寂しい冬景色が見えるだけだ。そしてぼーっがため息をついている。

そいうわけで2時間も歩いて家に戻り、高校駅伝を見ながらてコックリコックリとしているうちに今日は終わりました。バンザイ、お手上げでした。
 
   12月19日(金)

福島の東日本大震災の被災地を車窓から見る。

だれも住んではいけないお家。
だれも歩いてはいけない大地。
まちは沈黙したまま冬の陽を受けている。
沈黙を強いたのはほかでもないニンゲンだ。

凪いだ海を見る。
海はどこまでも広がっている。
そして、やはり沈黙している。
 
   12月18日(木)

兵庫の片田舎に住む友人から京都自慢の漬物が宅配便で届く。いつもこの季節になると送られてくるお歳暮。いつもの不可も可もないお礼の電話をする。

彼の声は弾んでいた。まさに生きているという感じ。やせ我慢の生き方をしている輩が大半を占める現代社会の中で本物の生き方をしている。こんな奴もまだいるのかと深いため息。「冬は寒いから体に気をつけてー」と言うと「お互いさまー」、という返事。古い友人は、みんな還暦を通り越した年代なのだー。

昨日はベトナムおじさんさんから一年ぶりに電話があった。すっかり忘れていたやりかけの仕事を思い出す。「ベトナムに連れてってー」と頼んで電話を切った。ベトナムで緩やかな風を頬に受けてみたい。なぜか、インドのようにギラギラしていないような風が吹く中で人々が暮らしていてみんなが優しそうな気がするからだ。理由はそれだけだ。

おいらは何を考えどうしようとしているのかねー。うーっむ、わからない。
 
  12月17日(水)

これは本物だ。とにかく寒いのだ。そこで考える。寒さ対策として―。
上半身は金魚ちゃんのウロコを重ねて織ったモモヒキ3枚。下半身はゴキちゃんの羽根を重ねて織ったパンツ5枚。

それとも毛皮にすがるかー。そうなれば山王台のタヌキかネコを捕まえに行くしかないー。阿見町のヤギ一家からヤギをこっそりと手なずけてさらいに行かねばならない―。
これらを社会通念に照らしあわせ遂行しようとすれば家主との説明と同意がいる。面倒だ。そこで、闇の中で速やかに行動することに決める。
以下は作戦成功のために秘密。皆さま、ご用心を。

今日も終わった。なんとなく充実していた。二日酔いの不快感もなく一日を過ごすことができた。ゆっくりと、日長に本を読みたい。今はそれでけだ。バイバイ。

2014年11月インド旅行を公開しました。ぼーっのインド日記を見てください。
 
  12月16日(火)

今日は寒かった。午後からは雨も降りだし雪がチラチラと天から舞い降りてきそうな寒さだった。寒いのは嫌いだ。大嫌いだ。山形の雪深い里の生まれ育ったといえ寒さにはめっぽう弱いのだ。

そういえば、山王台の姫が大切にしているお庭の「にゃんこ池」にも氷が張ったと昨日聞いた。にゃんこちゃんが渡り歩いても平気なぐらいの厚さだと言っていた。それなら、にゃんこちゃんが池に落ちてもおぼれなくて安心、安心と思ったがー。

パソコンと長時間にらめっこしていると目がショボショボチョボチョボプァプァしてくる。 
そのあたりの事情についてのかあちゃんはエライ。まったくパソコンに目もくれず触ろうともしない。おいらも、それで済むならそうしたい。しかし、この時代を生き抜くのには無理だ。パソコンがなくても生きのびられるというなら神業に近い。

ニャンコちゃんもタヌちゃんもキンギョちゃんもゴキちゃんもパソコンなしで生きている。まったくすごい生命力を持っている。その周りを自らの生も一緒にとヒヤ汗を流しながら動きまわっているニンゲンとは、一体、何者ぞ?。
 
  12月15日(月) 

とにかく寒いのだ。どこへ行っても寒いのだ。自然体で歩いているつもりでも背中がまるまり前かがみになっている。すっかりとうつむく老人となってしまった。それでもCROSSへ顔を出しそれなりのお仕事。おいらのデスクには相棒からの宿題が鎮座している。そそくさと目を通して後回しと決める。

後回しとはいかないのが暦の流れ。これはぼんやりとしていても確実な速度で歩み正月に向かっている。何となく気ぜわしい空気が部屋に漂う。匂いもなく姿が見えない。化け物のようで不気味だ。

午後、CROSSならぬCOCOSで姫と待ち合わせ。約束の写真を渡す。ふたりでインド洋服を相手に遊ぶ。これは、実に楽しい。ハッピー満開。

姫に約束の写真を渡した。うれしい。何となく頭の隅に張り付いていたモヤモヤが解消される。年内に残る個人的な仕事は後ひとつだけ。これも早く済ませてお正月モードに入りたい。

そして、ひたすらの「ぼーっ」に集中したい。しかし、「ぼーっ」に集中とはどういうことなのだろうかと考える。まったくバカみたいな思いつきだ。いや、はっきりとバカなのだろうー。バイバイー。
 
 12月14日(日)

本日は金魚ちゃんとにらめっこを予定していたが、朝からパソコンとプリンターのにらめっこで終わる。

朝起きて部屋のカーテンをあけると空はぬけるような青空。思わずニタリと笑う。ガラス越しに見る地上には風はなさそうだが冷たい空気が肩を寄せ合いはりつめているようだ。それでも青空は青空。とにかく青空はうれしいのだよ!。

パソコンとプリンターとのにらめっこの合間にそそくさと本を読む。その間にあくび、もしくはぷーっぷーっの七色吐息のおなら。さらに居眠り。全部が自由だ―。

真なる自由を求めようとしていれば救いはあると信じたい。世界中の生きものが希求しているハッピーには国境はないのだ―。
 
   12月13日(土)

昨日は、福島県いわき市内の徳一調査。往復12時間も運転してとても疲れた。それでも、労働からもたされる疲労にささやかな充実感もある。風の徒労のような行為だがそれでも瞬間的に生きがい感じるならそれでもよしとする。

ああ、今日も疲れた。恋瀬川越えの小さな館の広いお庭には築山ならぬコリコリ山があるようだ。
カタコリ、クビコリ、アシコリ、ユビコリときたものだ。おまけに目もチカチカと痛み視界不良。まったく、コリコリ山ならずとも加齢による体力の減退を感じる。

明日は疲れないことに徹底しよう。
終日、ぼんやり金魚ちゃんとにらめっこして過ごすのだ。
そして考えるのだ。世界の平和とカタコリとの因果関係をー。
これで、良しだ。バイバイ、お休みなさい。
 
   12月11日(木)

空はどんよりと曇っている。金魚鉢も曇っている。おいらの老いた目も曇っている。
ああ、これからの人生は曇続きか―。未来はあるのかと紫式部ならぬ紫煙に先細りの明日の行方を問う。「ゆらゆら、ぼーっぼーっ」と声をかけ合うようにして紫煙は暗い部屋を彷徨いながら消えていく。されば、消えるものを追わずだ、というより追えないのだ。勝手にしろ。

そんなこんなで今日も終わる。夕方になっても相変わらず空は曇っている。
頑張り屋かあちゃんは介護出張中。親愛なるゴキちゃんも出稼ぎで他所の家に出かけたか現れず。部屋にはラジオのFM放送だけが流れている。そうだ、開き直って暗い暗い浅川マキのCDを聴こう。

歌が進むほどどんどん暗くなる。しかし、「明暗」という言葉には「明るい」という希望もある。

しばし、柿の種を食べながら黙考。「プゥーッ」とオナラが出る。音色がよく匂いもいい。
ブログでは伝えきれないのが残念だ。バイバイ、お休みなさい。
 
   12月10日(水)

水戸のご老侯と石岡の菖蒲沢観音に行く。クルマを降りてだらだらした山道を500メートルぐらい登ったところにあると聞いた。そのためこのくたびれた体力で登れるのかと危惧していた。聞いていたように沢道の細いダラダラ坂を登っていく。薄曇りの山林は肌寒い。とにかく前に向かって進む。

ご老侯はすごい。途中で拾った小枝を杖代わりにしてゆっくりと登っていく。とても80歳を過ぎたとは思えない。後10年もしたらおいらはおそらく登れないだろう。

観音堂が見えたが、最後の上り下りの急な石段がある。ご老侯はここで断念。おいらは最後の力を出してゆっくりと観音堂に向かう。そしてパチパチリ。
二人でご苦労さんでしたと声を掛け労わりあう。ああ、疲れた―。
 
  12月9日(火)

 とにかく疲れた。クビの痛みは解消したが、全身がだるい。風邪をひいているせいか鼻水がスゥーット音もなく流れる。久しぶり会った相棒も腕がしびれると嘆いている。みんな若くはないのだ。

ユニセフから「エボラ出血熱緊急募金の協力を―」という郵便が届く。「お願い、ユニセフ様、こちらもすっかりお年寄りになり働けなくなりました。どうか助けてください」。そこで疑問がわく。どういう根拠がありおいらの家にこういう郵便物が配達されるのか?。疲れて謎を解く気力もない。

新聞で読む。フランスの哲学者フーコーは、国家が国民の生命や健康を守る名目で拡大させる社会管理の存否ではないかー。それを「生の権力」と呼称した。まったく身にしみ感じている。

金魚ちゃんよ明日の運命は権力者にあるのだぞー。「わかったか?」「どうぞよきにはからいたまえ。バイバイお休み」。ああ、なんという達観されたお言葉て感謝、感謝。
 
  12月8日(月)

昨日は神林奨学会の「年末交流会」に参加する。自宅を午後2時に出発して帰宅したのが夜8時。創立してから30年という節目にあたるそうだ。そのうち、日陰に徹して20年は付き合っている。奨学生は若い人が多いが役員はみんな年をとった。代替わりの時期が近づいているような気がする、といってもみんな元気だ。話していることが前向きなのだ。すごいものだ。老人パワーをヒシヒシと体感する。

さて本日は晴天明朗なり。
だが、これといったニュースはない。平穏に一日が終わる。

水戸のご老侯に電話。どうも、携帯電話を新品と交換してもらってからつながりが悪くなったようば気がする。気のせいかもしれない。
 
   12月6日(土)「

「クビが痛い、クビが痛い」。イタイイタイを解消してくれる神様、仏様を探す。そうだ、金魚ちゃんに聞いてみよう。「なんとか、このクビの痛みをなおしてください」「バーカ、おいらにはクビなどない。クビと胴体はつながっているのだ。もちろんおいらの問答集には解決策など書かれていない。まぁ、風呂にでも入ってさっさっと寝ることだな」「そうですか―」すごすごと退散。

朝からパソコンに向かいインドの日記整理。疲れてくると近所をジョギング。外は晴れているが風が冷たい。ハナミズも引力に逆らわず静かに流れる。ああ、冬だ。そして師走だ。何となく気忙しく感じる。午後も恋瀬川を越えてパソコンとにらめっこ。その姿勢が悪かったせいかクビが痛いのだ。

ネット社会は怖い。世界中の人と気軽にやりとりができて素晴らしいことだが、その裏には大きな落とし穴があり不幸な事態に巻き込まれることもある。善悪人、誰でも見れるからだ。
ブログなどは慎重と気配りが必要だ。ああ、寒い寒い。
 
  12月5日(金)

 CROSSで真面目にお仕事。お仕事の内容は希薄透明に近いがきちんと定刻までデスクに座りパソコンとにらめっこ。現代オフィスの風潮として、パソコンに目をそそいでいることで、全身全霊で仕事に打ち込んでいると見なされているようだ。内容は問わない。ロボットようによそ見をしないことだ。仕事の内実は問わない。

問いたくないけれど問いたいのは、おいらの家の前にある青空公園の防犯スピーカー。午後5時になると「カラスナゼナクノ―」の童謡が流れる。365日間聞かされていると飽きる。そこで暗い浅川マキの歌や師走ということもありベートーベンの歓喜の歌など日替わりメニューでもいいかと思う。提案したいが前例にないということで拒否されるだろう。時々、カラスの仲間入りを強要するプロパガンダかと疑う。

おいらが生まれた山形の田舎。川西町の広報にはヌード写真で表紙を飾り、物議をかもしたという。その時の担当者は隣家で兄貴と同級生だった。面白いことをやりたなぁー。
 
   12月4日(木)

インドのコウシクからメール。添付された写真を見ると赤ちゃんも元気に育っているようだ。きちんとメシを食わしているのだろう。まだ赤ちゃんだからミルクかもしれない。コウシクは日本で頑張って勉強した。今はデリーの私立大学で教鞭をとっているらしい。写真で見るととてもリッチな生活を送っているようだ。そのせいか少し太った。きっと幸せ太りというのだろう。

雨の中、CROSSの忘年会に参加。何か得るものがあったのかと問われれば、あれからもう一年が過ぎたのかー、早いものだと感じた以外にこれといったものはない。「鳥飛兎走」なり。淋しい限りである。

おいらが年内に済ませなくてはならないことは、神林奨学会の年末交流会の写真撮影、接骨師会と山王台への納品、徳一調査、TISTの忘年会ぐらいか―。どれも、これといって大騒ぎすることでもなくカットできるが明日へのイノチには欠かせないものもある。うまくできていると思う。
 
  12月3日(水)

クロスの編集会議に出席。どういうわけかこの場に顔を出すようになって6、7年になるだろうかー。メンバーも少しずつ変わっている。特集は「科学万博開催から30年」。「ロボット博・映像博」ともいわれたという。

おいらが茨城に流れ着いたのが万博開催のころだった。それから数十年。ここで一生を終える覚悟はなかったが、どうも終着駅のプラットホームに立ったようだ。今日は気分が優れない。会議室の中に飛び交う言葉にのめりこめない。こんな時もあるのだと思う。

話題が聖徳太子に転じた。
今、「梅原猛の授業・仏教」を読んでいる。その中で聖徳太子と宮澤賢治をほめちぎっている。沈黙に徹する。なにしろわからないのだからー。
過度なおしゃべりは金魚ちゃんのように慎もう。
 
   12月2日(火)

呉清源、菅原文太の訃報がマスコミ各社から伝えられる。文太はいいとしても呉清源には思い出がある。昔、当時の県内大手某スーパー会長から呉清源の講演会をやるからまとめて新聞に出してほしいという依頼を受けた。金銭にもからむことなので引き受けた。

呉清源の話しは子どもがおしっこするようにあちこちに飛び散り筋立てがない。魑魅魍魎とチンプカンの連続。お手上げに近い。会長の囲碁仲間に相談しながら1ヶ月ぐらいかかりどうにかまとめて掲載したことがある。

100歳で逝去したという。あの頃、まだ80代後半だったのだろうかー。生ある100年の歴史を日中混乱の中で生き抜いた呉清源は日本人にも中国人にもなれず生を閉じたのかも知れない。

会長と3人で懇談した時、呉清源は細い目と白い指をあやつり宇宙をわしづかみするように話していた。そして、おいらの目を覗きこみながら、「日本人とは――?」と問いかけた。
返答する言葉もなかったことを思い出す。

生あるものはみんな死んで消滅するのだよ。バイバイ―、お疲れさまでした。
 
   12月1日(月)

もう師走だ。今年もあっという間に日々が過ぎた。年をとるごとに去る月日は早いというが、ごもっとうなずくしかない。外は冷たい雨。帰宅すると暗い部屋。かあちゃん不在の薄明かりの居間で月暦をめくる。あとなしの12月の幕開け。どこからともなく冷たくしみいる師走の忙しさ。なんとも寂しい。

これでは暗すぎる。
さて、どうするか―。そうだ、焼酎を飲もう。世界平和のためにこれが重要だ。ウサ晴らしするのだ。晴天明朗なりの精神を堅持しておいらなりの家庭を平和への導き築くのだ。

そんなんこんなを考えながら、どういうわけかおいらの家に流れついた歌手ハコザキハコのCDを聞きながら書く。
これも暗い。そういえば「暗い日曜日」という音楽が流行り自殺者が増えた時代があった。
それはごめんこうむりたい。限りなく明るくぼーっと2015年を迎えるのだ。

「金魚ちゃん、覚悟はいいか」。「バーカ、勝手にほざいていろ。おいらは生まれてまだ数カ月、限りなく輝く未来があるのだ。酔っ払いはさっさと布団に入って寝ろ」。「はい、わかりました」。
 
   
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