怠惰な散歩  2014年

   2月28日(金)

うららかな天気に誘われ、CROSSの仕事終了後、つくば市の梅園公園へ。
梅の開花はチラチラ。梅の木の下で車座になり女ども10数人がペチャペチャ。
亭主元気で留守がいいという年代だ。空は明るく女どもの声を受け入れている。エライものだ。

帰宅後、ながみねのお風呂にモモヒキを脱いでパンツも脱いで入ろうと決意。
どういうわけか、決意のままソファーで眠ること約1時間。脱力感とともにながみ行きは断念。

それから、ひたすらのぼんやり時間は流れ、アクビを枕にひたすらのぼんやりに徹する。

世界はぼんやりとしている度胸がないからヒトを殺し合ったりしているのではないかー。
本気でそんなことを考えているうちに布団に入り眠るという不言の導きを受ける。
みなさま、バイバイ。お休みなさい。
 
   2月27日(木)

21日を最後にしばらくブログを休んでいた。
柳田邦男の本に「空白の天気図」というのがあるが「空白のブログ」というわけだ。
これといった理由はなかった。ただ、気分がすぐれない悶もんと日々を過ごしていた。

ブログを書けるということは健康のバロメータを知るうえでひとつの指標となりえるのか。

少しは暖かくなった。ところが春風に乗って花粉症もやってきた。
心地良い季節だというのに何とも辛い季節でもある。

金魚ちゃんには花粉症はないようだ。
ただ、毎朝空腹病に襲われて金魚鉢の中を忙しげに泳いでいる。
ハラが空くと激しく泳ぐ。それだけ元気があれば十分だ。
 
   2月21日(金)

今日の風は冷たいです。
冷たい風は嫌いですがCROSSの喫煙所は屋外。
カタカタコットン、カタカタコットン、カタカタコットンと肩をふるわせ、
ご同輩が紫煙を忙しげにくゆらせ立ち去りました。

4月の終り頃、いばぶん主催のイベント開催の件で理事長と何度も電話で打合せ。
ひとつの物語を作るということは大変な労力を要します。
講師に対し無報酬となれば説明と協力に奔走します。
今回は無報酬ではないので助かります。

それぞれの日々が過ぎ春はやってきているようです。
とにかく眠り病のとりつかれたように眠いのです。

眠ります、皆さまバイバイ!!。
 
  2月19日(水)

風はない。
空気冷たさに包囲されている
水面の流れは緩慢になる。

さてはと考える。
さればという意味と重みを問う。

みんな、それなりに元気で生を全うできればハッピーだ。

本を購入。新刊本だ。「写俳人の誕生」。これを少し根をいれ読んでみよう。
なにしろ、筆者の岡井輝美は知らない男ではない。

言葉が景色を先行するのか、景色が言葉が先行するのかー。
長い間の疑問。

しかし思うのだ。とにかく生きて、自分の問いにそれなりの答えを導くべきだ。
 
  2月18日(火)

 インド・コルカタの印日文化センターでそれなりの仕事をやっているオロクからメールが届く。
日本の豪雪をニュースを知ったらしい。雪は大丈夫かと心配してくれる内容。有り難いことだが、さてここで考える。心配してくれることはいいが物理的なフォローは可能なのかー。

世界中からこのような出来事が日常茶飯事のように耳目に入る。この情報をどのように整理していいのか分からない。今日返事を出す。

今日、CROSSで真面目に仕事をやる。相棒もパソコンとにらめっこ。その目つきは宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘のようだ。寄らず、話しかけずだ。

かあちゃん帰る。
久しぶりに人間の食事らしいのにありつく。
幸せはひとつぶのお米ちゃんに込められていることに感謝。バンザイだ!!。
 
  2月17日(月)

CROSSに行く。仕事をするためだ。
勢い込んでドアを開けたら相棒は仕事をしている。偉いものだ。
雑多な仕事を終え筑波山神社へ。
「徳一が歩く」第2集の発行と制作代の打合せだ。これを最も苦手としている。
どうにかまとまる。前回より価格は下がる。タナカ印刷にその旨を伝え印刷代の交渉へ入る。

その間に大家さんから携帯に何度も電話が入る。キャッチはしない。

筑波山神社から自宅に直帰しようと思っていたらまた携帯に電話が入る。
筑波山神社で打合せをしていることを伝える。「明日も忙しいので帰りに寄って欲しい」。その声は切羽詰まりもの悲しそう。神社の用件が済みクルマを急がせ理事長室に行くことを伝える。

夕方6時過ぎ、ダブル年寄りは顔をつきあわせ雑談すること、およそ2時間。いろいろ聞き質問をすろ。

帰宅すると、出張介護を脱け出してきたかあちゃんからメモ。おいしく食べました。
 
  2月16日(日) 

映画「小さいおうち」を見る。
女中の出身地が山形県米沢市。奉公先の東京へ向かう吹雪の景色がよれよれおじんの現風景だ。
雪の深さは生半可ではなかった。
あの土地で15年間どうやって生活していたのだろうと振り返るが思い出せない。

映画の後、赤塚公園を散歩。ブログ用の写真をパチリパチリ。
日陰には雪が残り子どもたちが雪遊びしている。
そうだ、これが本来の子どもの姿ではないかとひとり合点。

よれよれおじんの体からぎっくり腰が家出したようだ。
風の如しのぎっくり腰。いつふらりと舞い戻ってくるかわからない。

それでも、今週は用心しながら仕事に励もうと堅い決意をする。
その言葉を認めた瞬間、「プッ、プッー」とチカラのないオナラ。決意が怪しくなる。
 

 
 2月15日(土)

朝起きたら細かい雨が降っている。
今日一日をどうやって過ごそうかー。
腰の痛みはだいぶやわらいだが、長時間同じ姿勢でいると腰がかたまったようになり、元に戻すまで何度も背伸びしなければならない。天気と腰の具合を考えて終日読書に徹することにする。

昼食後、かあちゃん出張介護へ出かける。
ぼおーっは、活字を追いながら「気をつけて」と見送る。非情なものだ。

夕方、目も疲れてきたのでタカギ接骨医院へ。駐車場がきれいに雪かきされてツルツル頭のようになっている。先生いわく「がんばりましたよー。体はガタガタですよー」

がんばるということは体力を酷使することかー。体力もないぼおーっはひたすらの読書にふける。求められる知力は正体不明だ。もしかしたまったくゼロかもしれない。
 

 
2月14日(金)

 眼科の定期検査日。白内障の症状はまだ手術するほど進行していない。6月にまた検査をしましょう。ハイハイと頷きながらとにかく読書が辛くなったと訴えるが診察時間は数分。薄暗い診療室のマスクに隠れた女医の反応は読みとれない。乙女ではないのは確かなようだ。

自宅に戻り、すぐにタカギ接骨院へ。回復しているが治っていないので通院するように。
確かに腰の具合は良くなった。しかし、油断は禁物。CROSSの休みを決断する。

衰えた視力と気力を奮い立たせ本を読む。最中、何度も鼻がむずむずして無色透明なゼリー状の鼻汁が流れる。経験上、花粉症と診断。ああ、たまらん。

外はぼんやりとした曇り空。そしてぼんやりと小雪が舞う。
ぼんやりおじんはひたすらのぼんやりに徹して一日は終わる。
 

 
2月13日(木)

 久しぶりにCROSSへ。
腰は痛い。姿勢はどうしてもうつむく老人。どういうわけかヘミングウェイの「老人と海」の主人公を思い起こす。まったく内容が違うというのにー。バカじゃないか。

ヒトは直立猿人と進化した時から腰痛という病を抱えることになった。
わが家の玄関前で発情したオス猫が雌猫を求め唸っている。オス猫には腰痛はない。ただ、おちんちんが奮い立っているだけだ。うらやましい。

CROSS46号のゲラ三校を読む。
相棒は編集センスがいい。
もっと相棒のポリシーが色濃く発揮されることを願う。

夜、ひとりで焼酎を飲む。これが、実にうまいのだ!!。
 
   2月12日(水)

ギックリ腰の痛みは続く。午前9時、タカギ医院の開院を目指して歩く。その姿勢は猫背だ。
背が伸びない。足元はおぼつかない。わが家のキンギョチャンがハラを空かして泳ぎ回るより貧相で哀れでぶざまな格好だ。それでもぼぉーの命は続く。

タカギ先生の施術を終え自宅に帰ったらキンギョチャンに訊こう。
痛いということと、痛くないという分水嶺は誰が何の目的でつくったのかー。
そして、その間の縁故関係はどうのように結ばれているのかー?。

かあちゃん、実母の面倒で留守。
父ちゃんぎっくり腰でフラフラ。
ごきちゃん、貧乏家庭の食物の貧しさに家出したのかー?。ここ数日、姿を現さず。
とにかく、元気であれよと!!声援を送る。

キンギョチャン、よれよれオジンの問いにあきれ顔をしてこたえてくれる。
限りなく「無」だー。限りなく「無」だー。

そんなこんなで皆さまお休みなさい。
 
   2月11日(火)

昨日の朝、パジャマからトレパンに着替えようとしたら腰にピクリと電気が走る。ギックリ腰だ。
筑波山神社の年越祭の写真撮影は中止。連絡を入れる。相棒にもCROSSは休むと連絡。あきれかえっている。9時開院を待ち焦がれるようにタカギ先生の接骨院へ。

今日はそのタカギ先生と接骨師会編集委員会で水戸へ。タカギ先生に運転してもらう。そしたら、雪かきで腰を痛めたという編集委員もいる。「かわいそうにー」というが、全員はきっとハラの中で笑っているのだろう。編集委員会はつつがなく終わる。

午前中のことだがメールの送受信ができない。遠隔サポートでもラチがあかずプロバイダーに問い合わせてほしいという。プロバイダーに電話をする。休みで応答なし。メシの種だ。こまるのだ。明日、タカギ先生へ行ってから問い合わせしよう。

それにしてもついていない時はついていないものだ。
明日のCROSSは体の調子を見てから考えようと「しーずかに、しーずかに」お寝んねする。
 
   2月8日(土)

雪の朝

灰色の世界が
カーテンをあけた小窓から見える

青空公園の桜の枝に
ブランコに
すべり台に
砂場に
雪はうっすらとつもり
ひとときの別世界を見せる

見たもの
聞いたものは
みんないつかは大地に溶ける

いつの時代も
雪のようにヒトは消えていくのだろう――。
 
   2月6日(木)

サルでも反省できるという今日をふりかえる。
空は晴れ。無限大の冷淡な青さをたたえている。

紺碧は残酷無比。
それを裏付けるように地上を覆う空気は氷点下。
あたりまえだ、立春を過ぎたとはいえ季節は冬だ。

CROSSに行く。それなりの仕事をこなす。
相棒とはしばらくご面会できないようだ。その旨を伝える書き置きがある。
書き置きと遺書はどう違うのかを考える。結局、バカバカしいから考えるのをやめる。

CROSSの帰り、かあちゃん留守だと気づく。
夕めしをどうしようかと迷っているうちに自宅到着。
すると、かあちゃんが居るではないか。

豆腐のようなま白き一日を過ごしたことを報告して終わりです。
 
   2月5日(水)

白い朝を歩く。吐く息も白い。
行き交う通勤通学の人々、足もとに注意しているせいかみんなうつむいている。

そういえば谷川俊太郎の詩集にそんなタイトルの詩があった。
世の常、うつむいてクシャミをひとつしてヒトはバイバイさ―。

インドのコウシクに赤ちゃんの写真を送れとメールしたら早速おくってきた。
容量が小さい。さらに赤ちゃんの顔も小さい。(右写真)

コウシクの父と母の信仰する神は違う。仏とヒンズー。珍しいカップルだ。
父の商売はコルカタ市内で手広くクスリ販売をしている。儲けているせいか裕福な家庭だ。それでも中流という位置づけ。インド社会の格差は日本人にとって想像を絶するようなすごいものがある。

数年前の話だが、父にクルマの免許を取りたいといったら「クルマの運転なんか、専属のドライバーにまかせておけばいい」と怒られたそうだ。
その後、運転の免許はどうなったのか知らない。それよりも大きな父親という役どころを得たのだ。
とにかくオメデトウ!!。

この男の赤ちゃんはいつになったら阿見町立本郷小学校児童(左写真)のような通学風景におさまるのだろうー。
それまで、家族でガンバレだ!!。
 
   2月4日(火)

くしゃみはすきま風を閉じ、よそのヒトの言葉を聞こうとしなしい。

みんなで生きよう。かあちゃんはボロボロ。
みんなでボロボロになれば、ひとつの救いになるのかー。

イノチの重さは平等。
イノチの終焉も平等。

眠い、やっぱり眠い時に目を閉じ眠るのがいいようだ。
それでは皆さま、バイバイ、お休みなさいー。
 
   2月3日(

水戸に行く。
ロイヤルホストで今瀬理事長と須田さんと健康講座の打ち合わせをしていると携帯に電話が入る。
インドのコウシクからだ。
男の赤ちゃんが誕生したと興奮した声で話す。

世界中のどこかで新しい命が生まれ、その一方で閉じられていることを知る。

夕方、大家さんさんが東京からの帰りに顔をだす。
「何もかにもがうまくいった」と興奮気味に話す。そして「疲れた、疲れた」を連発」。

ぼおーっは考える。
「疲れた、疲れた」を連発するほどもう仕事をしたいと思わない。
しかし、気宇壮大な夢を追う人には、まったく違う次元で生きているのだろうな―。
静かに、ぼおーっと焼酎のウーロン割りを飲む。うまい!!

 
 

2月1日(土)

今日から2月。空はどんより曇っている。どうしてぬけるような青空でないのか? 疑問に思い枯れススキに聞いてみる。枯れススキ、ただ枯れているだけで返答はない。耳が不自由なのかとススキを揺すってみる。パラパラと肌色綿毛のような粉をまき散らすだけだ。

運動不足を指摘されたので、20万円の隣にあった1万円で購入した6段ギアの自転車でつくばイオンに。自宅から20分ぐらいで到着。ここも曇り空だ。イオンはばかでかい建物だと驚いていたが、それよりはるかに空が広いことを痛感する。

水戸の帽子女からメールが届く。「御みともページは観覧料、入館料、拝観料が必要と思います」。なぜ、「みともページ」が「御みともページ」になるのかを考える。考えても無意味だからやめる。よきにはからえというところだ。でも、ありがたいことだ。なにしろ無色透明な内容のブログを見てくれるのだからー。

無色透明な人生が最高だと思うようになってきた。もしかしたら、よれよれおじんは枯れすすきの親戚かもしれない。

追伸、帽子女さま。銀行口座は以下の通りです。
ぼんやり銀行ぼお―っ支店、普通110119110119。警察消防のWと覚えておいてください。よろしくお願いします。

 
   
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