怠惰な散歩  2014年

   9月30日(火)

今日で9月もおわり。さて、今日までの生を祝い乾杯しようかとわが居間を見渡す。ゴキちゃんの姿は見えない。水槽の中で生きている金魚ちゃんも駆けつけるわけがない。なにしろ、棲んでいる宇宙というか世界が違うのだからとあきらめる。

そこで考える。金銭や名誉にはまったく興味がないのに何に乾杯したいのか?。
ただ、かあちゃんとともに在住する生きものたちが食うにこまらなければというほどの金銭がほしいだけだ。これがなかなか難しく辛いものがある。招人なしということで祝杯は中止。

それでは、何に喜びを見い出すのかー。結論は酒を飲むこと。このための人生だよ。

今日は、朝6時から、これまでなんとなく収集したインド資料や書物の整理。それだけでくたびれCROSSでそれなりに真面目に仕事をしたせいか、頭の中が真っ白になり帰宅。

かあちゃん、風呂清掃でとうちゃんが帰ってきたことに気づかず。
「帰ったぞ、帰ったぞ―」と、大声を出して上がりこむとびっくり仰天のカミナリ声。
これりゃ大変だ。部屋中に拡声器をつけなければならないのかと疲れが倍になる。
みなさま、お休みなさい。
 
   9月29日(月)

仕事をするということはどういうことかを考える。収入を得ること。それには就労の場があること。そしてそれに見合った金銭が得られること。それがCROSSにあるのだ。

ただし、仕事内容に対する収入の評価は低いのか普通なのか高いのかわからない。なにしろ、66歳という年齢から職場は限られているからだ。要するに後がないのだ。ガックリ!

堀田善衛の「インドで考えたこと」(岩波新書)を再読。4、5回目だ。11月に9度目の訪印。これが最後だ。「春になれば」の写真集を自費出版してインドへのケジメをつけたつもりだったが、ある人から、「応援するから最後のインド旅行を楽しみましょう」という思わぬプレゼント。

これまでの訪印は野次馬気分だった。これでは、よれよのオジンにお年玉をくれた人に申し訳ない。
「インド仏教美術研修の旅」という訪問先の下調べをしっかりしてみようとと発奮。
これが怪しい。怪しいことはいいこどだ。なぜなら真実は誰にもわからないのだから―。
 

 
 9月28日(日)

風邪をひいたのか金曜日の朝からからだが動かない。布団の中から空を見る。澄み切った青空が切れ切れに見える。
くの字になって目を閉じる。CROSSも山王台もキャンセル。ひたすら寝る。食欲もない。

そして、今日の昼ごろから少しからだが回復する。携帯電話を見る。金曜日に相棒から連絡がはいっている。お詫びの電話をする。

相変わらず食欲がない。お金はかからないが何か体力が階段から転げ落ちるように弱っている。
早めに寝て明日はがんばらなければと自分に活を入れる。
とにかく寝よう。

 
   9月23日(火)

かあちゃんは留守。天気もそれなりに晴れて暑くも寒くないので外で読書をしたらどんな気持ちだろうと、ここへ転居してから初めてベランダにサマービーチ用のソファーを出して活字を追う。ベランダは自転車を5台もおいたら身動きが取れないほどの広さしかない。片隅でちいさくなってページをめくる。一冊読み終え大あくびをして深呼吸。実にさわやかだ。

夕方、泰助氏のアトリエ兼住宅お披露目のパーティー会場のつくば市小田行く。こちらは孤立無援ではない。山王台と桜町に住んでいる美女二人を引き連れてだ。しかし、よれよれオジンの名字に照らし合わせるなら「2人のお供」となる。久しぶりに雲龍に会う。今秋の11月にインドとチベットに笛を持って行くという。

宝篋山を背に笛の音色を聞き日本酒に酔う。なにしろ今日は運転してもらえるからと安心して飲む。どちらさまも有難うございました。
 

 
 9月22日(月) 

朝5時に起きてバカみたいに本の回し読みをする。「氷海からの生還」「棚からの哲学」「ODA援助の現実」「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」「遊子随想」「疲労とつきあう」「方丈記私記」「文藝春秋10月号」「朝日新聞922日朝刊」。

これは狂っている。真剣味がない。こんな活字の追いかたでは脳髄の片隅に何も残らないだろう。
現実にゼロでございます。

3時間ほど読めない漢字と理解不能な言葉と格闘して目が疲れコンコン居眠り。これが気持ちいいのだ。やはり読書は睡眠導入剤としかいいようがない。 

くたびれた体にムチをうちCROSSに行く。相棒、真剣な顔で仕事中。こちらもそれなりに仕事に励む。評価はゼロかもしれない。それでもいいのだと開き直る。バイバイ!!。

 
   9月20日(土)

朝、自転車でヤギ一家の広いお屋敷へ行く。
ご主人、腹は白いが真っ黒な顔をしてトラクターのそばで何やらお仕事。 

当方、超暇人だから稲刈りの手伝いをしたいと申しこむが、やんわり断られる。農繁期のくそ忙しいのにヨレヨレおじんが田んぼの中をウロウロされてはハタ迷惑なのだ。ごもっとも!!。
悟りをひらいたという(?)ヤギ一族とご対面。ヤギちゃん盛んに体を寄せ絆を求める。
金魚ちゃんとヤギちゃんだけがよれよれおじんの良き理解者なのか―。

山王台の姫のアルバム写真の整理。読書とぼーっを途中交代しながら過ごす。
― 今日問われているのは、産業革命以来の近代文明社会のあり方そのものである。換言すれば、経済至上主義に生み出された浪費社会に依拠するライフスタイルそのものである―。「ODA援助の現実」鷲見一夫著(岩波新書)。

ごっともとうなずかきながら、夕方には酒を飲み相撲観戦。オマエ本気か!!

 
   9月19日(金)

空よ空よ、なぜ青い
いつから空は青さをたたえていたのか―
なぜ、空は青でなければならなかったのか―
そして、どれほどひとの生死をみつめ青さでくるんできたのか―

悲しみにたえられない青空があり
喜びにこたえられない青空もあったはずだ
ぼくは知るのだ
青空への問いはいつの時代も愚問であったことをー

青空に流れる白い雲
命をつなぐ黄金の稲穂
みどりおりなす山々の繕い
秋彼岸の告知花
曼殊沙華の毒々しいほどの赤瞬き

いわきの旅で
ぼくは今日みてきたよ
 
 9月18日(木)

そんなこんなで今日も仕事を終えて帰宅。ふと辺りを見渡す。
自宅前の青空公園では草取りと落ち葉清掃に励む老人ふたり。
命短し落ち葉を邪魔者扱いにしている。
雑草にしてもこれから冬を迎え長い眠りに入る。
もっと地上に存在の証明を残してやったら―。
ふたりが山姥ように見える。

さて、今日はもっと明るい話題がなかったのかと思い浮かべる。
山王台の姫から飲み会の招待を受ける。土浦のW女史から新米を頂く。
ああ、感謝。ありがとうざいます。

出張介護中だったかあちゃんが帰っている。どうやら、一日間違えている様子。
手違い、間違いは世の常。

ゴキちゃんにメッセージを送る。
今晩は外出を控えたほうがいいよ。
的中率は年齢に見合って73%のスリッパ攻撃が待ち構えているぞ―
                  
   9月17日(水)

今日はがんばりました。これは自己評価ですから第3者はどのような点数をつけるかはわかりません。ましてや知りたいとも思いません。

とにかくがんばったと本人がいっているのですから何かご褒美があってもいいと思うのですが、そんな声はどこからも聞こえてきません。 

秋の気配を感じスポーツシーズン到来かとゴキちゃん。よれよれおじんの書斎(?)では運動会に備えて懸命のトレーニング。

今宵は、スリッパ&新聞紙まるめ攻撃のこわいおばさんは留守。その情報をどこで仕入れたのか実にのびのびとしたものです。

あっ、よれよれおじんのへん平足をグランドと思っているのかチョコチョコしている。あんた、少しは遠慮したら―。

 
   9月16日(火)

朝、大家さんから電話。これからこちらに来るという。何ごとかと思えばワカサギを1パック持ってくる。生ものだから急いでいたのかもしれないが早朝だっただけに驚く。クルマの窓から手渡すと風のように去る。

CROSSでお仕事。疲れからか全身がだるい。何か疲れるようなことをやったのかと考えるがぼーっとしている時間が長いからそんなことはない。これはぼーっ疲れかも知れない。

筑波山神社に行く。「徳一が歩く」の打合せ。とりあえず予定通りに出版することとなる。値下げとなったが担当者のS氏は「ありがとうございます」と何度も頭をさげる。

帰宅後、不通になっていたHPの転送復帰にああでもないこうでもないと操作しているうちに無事につながる。これまでは、プロバイダーに何度も電話をして聞きながら修復していたが今回は成功。思わずバンザイをする。
 
9月15日(月)

 「やさとそば街道ーうまい蕎麦との出会いー」のパンフレットを片手に「まんまや」に行く。
ここは石岡市でも山を一つ超えれば笠間市。荒川沖からは1時間ほどかかる。

気晴らし、暇つぶし、退屈しのぎというそば巡りはどうかと考える。案内によれば市内で19カ所。月一度としても1年半かかる。さて、どうなるのやらー。

それにしても、今日の日本そばはおいしかった。久しぶりに自分の嗜好にあう。細めん、本格出汁。感涙。何度もかあちゃんに「うまい、うまい」か」と問うが腹を空かし過ぎたかあちゃんは夢中でハシを動かし返答なし。

やさとの山々は秋の準備に忙しそうだが、まだまだ暑い日が続きそうな空が広がっていた。
 
   12月14日(日)

世界中の青空を寄せ集めたような澄み切った秋空のもと、土浦二校生による書道ガールズのパフォーマンスが披露される。

ギャラリーは200人ほど。相棒のプロディースによるものだが大成功だ。毎年の恒例となればいいと思う。それにしても護摩供養は長過ぎた。正座をしていたひとりの女学生はしびれを切らして足がつってしまうというハプニングもあった。

午後は自宅でぼーっとしながら読書とあくびで過ごす。
小川国夫の本を20数年ぶりで読む。「遊子随想」(岩波書店)。今まで知らなかったが作者の家はよほど裕福だったようだ。昭和27、8年ごろ友だちとふたりで伊豆旅行を楽しんでいる。

こちらは、山形の片田舎でネギッパナをたらし腹を空かして泣き叫んでいたのではないか―。
生い立ちはいろいろだ。
 
 9月13日(土)

山王台の姫に誘われ石岡の祭り見学。用意しておいてくれたという時別席は土壇場でキャンセル。

そこで、まちかどギャラリーに席を用意してくれる。だが、やはり祭りの雰囲気が味わえないのでひとりで山車巡業について歩く。暑い。さらにカンチュウハイを一杯飲んだせいか頭がフラフラする。

ひとまわりして山王台の姫に疲れたから帰ると告げる。けげんそうな顔してしていたがどうも体調が思わしくない。火の用心、からだ用心、ぼーっ症用心ということで帰宅する。 

石岡のお祭りはどうでもいいぐらい元気だった気がする。今日はそんな活気が見えなかった。暴力団排除ということで屋台が少なくなったせいかも知れない。暴力団排除というなら石岡市民全員が暴力団に所属すればいいと思う。山口組3代目組長の田岡一雄は、「社会の歯車から欠け落ちた若者を誰が救うのか。それがオレの仕事だ」。昔読んだ田岡一雄伝を思い出す。 

世の中、ギスギスとしばりが多くなった。よれよれおじんのように糸が切れた凧のような生き方をしていると辛いことばかりだ。とにかく疲れた。

 
  9月11日(木)

「徳一が歩く」の写真を撮りに下館の中館観音へ。もっと分かりやすい場所にあると思ったが意外に手間取る。きょうは徳一も寺博士も相棒もいない。中館観音はなかなかのもの。どんな歴史があるかも分からずパチリパチリ。五行川のほとりでぼーっと水の流れを追う。方丈記を思いだす。水面の流れをじっ見つめていると川べりの景色が上流に向かって動いているような錯覚に陥る。不思議なものだ。

その後、真壁町のお寺に向かう。残念ながら思い違いだった。カラ振りである。

帰りの車中、CROSSへ行き写真を整理しようか迷うがやめる。そこで図書カードがあったはずだと思い出し、つくばイオンで本を2冊購入、3階の食堂で読んでいると相棒から電話あり。特別の用事があったわけでもなく存在の確認か―。1時間もいたら寒くなったので帰る。
さらば、つくばイオンだ。

夜は柿の種をつまみに酒を飲みながらナイタ―観戦。
ぼーっとしたまま時間だけがゆっくり流れる。
 
 
  9月10日(水)

さては、2020年に開催される東京オリンピック後のニッポンを考える。
考えれば考えるほ絶望的だ。
それは「空き家問題」牧野知弘著(祥伝社新書)を読んだせいかも知れない。

さらに日本と中国、韓国の関係を考える。
自分の頭脳の範疇を超えている。それでも考える。ますます不安を深める。
そうかといって眠れないわけではない。毎日熟睡ができる。

そこでまた考える。考えること数分。結論は何にもわかっていないということだった。

今日も初秋。明日が狂いに狂って初春になることはないと思う
。やはり、狂っているのはよれよれおじんのようだ。狂い万歳だ!!。

 
   9月9日(火) 

CROSSに行く。事務所には誰もいない。無人の部屋は寒々しい。そこでいばぶん事務所に逃げ「徳一が歩く」の原稿整理、といっても住所と電話番号の確認だけだが―- 。 

CROSSの帰りブックオフで本を5冊購入。ノウがないので1冊読んでは忘れ、2冊読んでは忘れるの連続。バカバカしい行為だが、今はそうやって退屈な時間の過ごすことしかできない。ほかに「ぼーっ+退屈時間」の過ごし方を思いつかない。ああ、情けない、バカだ。 

柿の種をつまみに焼酎を飲みながらブログを書く。これがミトモ宇宙のすべてだ。

かあちゃんは老い痩せたからだにムチうちふんばり出張介護で留守。
さて、バンメシはどうするか―。
思い切ってヌキにする。

 
   9月8日(月)

CROSSに行く。相棒はすでにパソコンに向かい真剣な顔をして仕事に励んでいる。なんでも一所懸命というのはいいものだ。相棒のおかげでこちらは大助かり。CROSS編集の追い込みにもかかわらずのんびりとしている。こんなこと、いつまで許されるのだろうかと時々考える。考えるがすぐに忘れる。

「徳一が歩く」第3集の原稿整理をする。これも最終的には相棒が仕上げてくれることになる。その前に筑波山神社に出向き金の交渉をしてこなければならない。ううーむとうなる。

今回のCROSSの編集テーマは医療。これは範疇がひろい。それこそ、すべての分野にまたがりゴキブリをスリッパで叩きのめしてお陀仏させ大拍手するようにはいかない。

昔、インドのコウシク(現在はムンバイの大学で講師をしている。きっとテーマはいかに日本から搾取するかーと推測する)が我が家に遊びにきた。よれよれおじんの本棚を見て驚いている。

「死」をテーマにした本が多すぎると怒る。(こちらも驚く。コウシクは死という漢字を読めるのだ)。「死は生を考えるために大切なことだよ」と答えた。きょとんとしていた。あれから10年も経ったから少しは理解してくれたのだろうかー。

そんなことを思いだしながらゲラの「自宅往生」のテーマを読む。自分の考えを実行しているの素晴らしいと思う。ただ、それだけだったという印象。これは読みこみ不足かー。わからないー。
 
  9月7日(日)

 外は雨。今日は仕事はお休み。手持ちぶたさ、とっても暇、めちゃくちゃ退屈。
本を読んでも頭に入らず、ぼーっと活字が流れていくだけだ。

ぼーっにも飽きてかあちゃんと映画「ルパン三世」を見に行く。館内は満員とまでいかないが、これまで目にしたことがないほど盛況で驚く。さらに中高生らしい人たちがほとんど。きっと、ここではわれわれは最高年齢の観客であることが推測される。
まったく後期高齢者には場違いの映画を見てしまったようだ。「思い出マーニー」にすればよかっかと悔やむ。

そんな中、「65歳以上の市民の方の健康状態を把握ー」という健康度調査票が土浦市から届く。
拒否しようと思ったが、無作為で選ばれ回答がなければ調査回収のために訪問させていただきます。
宝くじにも当たらないのにここで選ばれるとはどういうことかー?。ええぃ面倒だと「はい・いいえ」にメクラバン。

さて、どういう結果になるのやらー。
 
  9月6日(土)

そんなこんなで今日も終わる。
ああ、疲れた。,何がどう疲れたのかよく分からないが、とにかく疲れた。

「ワイル・スワン(下)」読み終える。衝撃的な内容の本だった。
―それでもいまだに、毛沢東の顔は天安門広場を見おろしている―。

この本を読んだから疲れたのかとも思うがそうでもないようだ。何となくぼんやりと疲れたのだ。
これではいけないと自転車でサイクリング。
ただ、ペダルを踏み前へ前へと進む。景色が流れる。風がからだを吹きぬける。
だからといって、何ていうこともない。
自転車は前進するが未来を語れないもどかしさを感じる。

そうだ、金魚ちゃんによれよれおじんの悩める心を聞いてもらおう。答えはわかっている。
「勝手に悩んでいろ―」。きっとそう言うに違いない。それでも聞いてみよう。 
 
  9月4日(木)

 今日は告別式とお茶会。そのことが頭にあったので朝6時に起きてパソコンに向かい仕事にとりかかる。終わったのが9時頃。さてとカレンダーを見ると二つの用件は明日ということに気づく。限りなく未来が暗くなる。

そこでCROSSに行く。いばぶんの会計を整理する。これは一番苦手な作業。S氏に後で見ておいてほしいと頼む。「ひとそれぞれ得て不得手がありますからー」有難い神のような言葉に聞こえる。

14日開催の「書道ガールズ」イベントの打ち合わせに土浦二高に行く。校内に入るのは初めて。りっぱな施設に驚く。こういう環境の中で勉強ができるのは幸せなことだだとしみじみ思う。

部員10人という書道部のパフォーマンスを見せてもらう。明るく書を楽しんでいる。それでいいのだ。とにかく輝く未来があるのだから―。

インドのオロクからメール。近いうちに彼女に会ってから連絡するメールいう。どういう結論になるやら。
こちらの方はいろいろ考えただけで未来が暗くなる。
 
   9月3日(水)

ひとつには光輝く明日を考える。そういう気持ちになったのは体調が良くなったからー。
まったく、ニンゲンとは勝手なものだと思う。

CROSSの帰宅途中、フラフラと寄り道して写真を撮る。初秋は忍び足でやってきている。
まずは、秋。
紅葉に酔う季節がやってくる。田んぼの稲穂を見ながらヤギ一家を思い出す。新米はいらないから一緒に収穫祭を祝いたいと思う。コメをくれるという場合は拒む理由はないー。
しかし、立場が生産者ということをわきまえなければと思う。

さて、楽しいことはないかとふくらんだ腹にくいこむパジャマのゴムをのばしながら考える。
ここで哲学者になるのだ。縮んだり伸びたりしている宇宙は疲れているはずだ。いつかどこかで昼寝をしたいと思ったことはないのかー。

休息は限りない希望への道程だと思う。
宇宙もヒトビトもただ走るだけだ。疲れきっているようでとてもかわいそうだ。

あっ、忘れていた金魚ちゃんの意見を聞かなかった。バイバイだ。
 
  9月2日(火)

 昨日は体調がかんばしくなくCROSSを休む。布団の中で何度か相棒に連絡しようと思ったが、それすら辛かった。

今日はなんとか気をふるいおこしCROSSへ。相変わらず胃のあたりが痛む。これは二日酔いではない。昨晩から酒は一滴も口にしていないのだ。

早目にCROSSを引き上げかかりつけ医師へ。熱をはかり「夏疲れからくる下痢」という診断。
8月に疲れが蓄積されるほど仕事をやったのだろうかー。まったく身に覚えのないことだ。

処方された服用薬を口の中にどんどん放り込み、ひたすら眠る。これがよく眠れる。
夕方5時ごろ、ようやく体調がもどる。

ひとり、今日の誕生日を祝う。
こんな乱暴な生き方をしてきて、よくぞ今日まで生きのびてきたものだとひとり感心する。

それにしても、祝電もなければ祝辞もない。かあちゃんは介護出張中。
いつもウロウロするゴキブリまでひっそりと姿をくらましている。
金魚ちゃんは門外漢だ。なぜならば、60センチサイズの水槽の世界で自分の生を謳歌しているだけだ。

そこで、すべてをあきらめ「ワイルド・スワン(下)」を読む。
もはや、想像を絶する内容に誕生日の祝い事がまたたくまに幻となる。
世界では信じられないようなことが普通に起こっていたことをを知る。
こんなことが赦されるのだろうかと考える。
 
   
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