怠惰な散歩  2015年 10

   10月29日(木)

土浦図書館より、リクエスト本が入りましたという電話あり。ちょうどCROSSの駐車場に着きクルマから降りた瞬間だった。時計を見ると午前9時20分。職員は真面目に仕事をしていることに感心する。もっとも、職務を忠実に遂行することは当然の義務。こんなことに真剣に感心しているおいらがバ-カというものだろう。

かあちゃんと日本シリーズをテレビ観戦。ワタリウム美術館で故志津子館長と話している時、よく神宮球場から歓声が聞こえた。思い出す。「若い人は元気がいいですね。そうであるべきですよ。わたしは、もう、みんな捨てたくなりました。空っぽに―」。

感性が鋭く古今東西の現代アートに通じていた。とても勉強になった。周囲から気概のある人がひとりひとり消えていくのは淋しいものだ。
 
   10月28日(水)

昼休みメシを食べに家に帰ったらかあちゃんが帰っているではないか。3日ぶりのご対面。今日はディサービスでおばあちゃんはお泊りの日。
おばあちゃんはみんなに迷惑をかけて済まないという。かあちゃんはおばあちゃんを簡易トイレに抱っこして運ぼうとしたがよろけベッドに足を思いきりぶつけたと青あざを見せる。介護される側も介護する身にも辛いものがある。辛い話を聞くが天気は穏やかで暑いぐらいとても10月下旬とは思えない陽気。

今月のブログは皆勤賞を目指したがここ2日ばかり、ああでもないこうでもないそうでもないとんでもないことが重なり気が滅入った。これは、誰にでもあることだろうが「平凡に生きるのが一番難しい」とはよくいったものだ。

唯一の相談相手である金魚ちゃんは朝夕の冷え込みが辛いのか元気がない。水槽の底でじっとして動かない。やはり保温器を入れてやらなければと思うのだが面倒くさいが先に立つ。些細なことが面倒くさくなる。加齢による華麗な怠け者というのだろうか。こまったものだ。
 
   10月25日(日)

暗雲たれこめるぼんやり頭。それなのに空は青い。なぜ、空はぽっかりと青いのか―。そこですきっ歯の口を半開きにして空を見上げ聞いてみる。バーカ、晴れた空は青いと思うから青いのだ。それは生まれた時から空は青いと頭の中に叩き込まれインプットされてしまったのだ。青ではなく限りなくグリーンに近い空が広がっているのでも何らおかしくない。いわゆる刷り込みニンゲン完成というわけだ。何か、よく分からない。こんなことは何度も過去にあったではないか。バーカ。

石岡にある社会福祉老人斑山会主催のバザーへ。パチリパチリ写真を撮る。山王台の姫も元気に出店している。みかんの売れ行き好調なり。姫だって体調が万全ではないのに満面の笑みで入居者を励まし来場者に声をかける。エライもだと思う。空の青さに勝る愛の深さのようなものを感じる。

さて、キャプテン斎藤と鹿島港、大洗港訪問はいつにしようかとを考える。どこまでも空も海も青く広がる日に行きたい。よく調べて見よう。天気図、海図とにらめっこして半世紀を過ごしてきたキャプテン斎藤がいちばん知っているのでは―。皆さまお疲れさまでした。お休みなさい。
 
   10月24日(土)

秋晴れのいい天気だというのに、部屋にこもって本読みで一日が終わってしまった。なんとなく虚しく感じる。やはり、こういうカラリとした日はどこでものいいから外に出てたっぷりと空気を吸ったほうがいいような気がする。

それでも夕方はガス抜きにと散歩。帰り、ヤギ一家の弟さんに交差点で会う。トラックを運転中でクラクションと手を振る姿が見えるが一瞬だったので顔はよくわからない。弟かヤギ一家の主人か―。不明だ。トラックの荷台にはコンバインを積んでいた。まだ稲刈りは終わらないのだろうか―。

途中で町内会の役員さんに会う。体力増進のため走っているとは聞いていた。どう見ても速足程度。それでも本人は満足そうに笑顔を見せる。そうだ、体を動かしていれば何かいいことがあるかもしれない。渋面して本を読んでいるよりはるかに健康的だ。そんなこんなことブツブツ呟きながら帰る。なんとなく虚しい一日だった。
 
   10月23日(金)

「うわぉー、イワシの刺身だ!近こう寄れ、近こう寄れ」とかあちゃんがテーブルにのせたお盆を引き寄せる。大好きなイワシの刺身と柿ピーのつまみセット。食べ終わらないうちにとパチリパチリ。安い人間だ。

今日の収穫。昼寝の睡眠導入剤にはもってこいだろうと加藤周一著の「羊の歌」を読み始めて数分、ばたりと眠る。夢の世界は地球を脱出。われひとり宇宙を飛んでいる。そこに何か異物が近づきわれの方を見てケラケラ笑う。「おまえは誰だ!」で目覚める。気がつけば30分は熟睡している。気分すっきり、おしっこ近し。足早にトイレに向かう。

多重骨折は順調の回復に向かっているようだ。痛めた左肩がなんの違和感もなく動かせるようになった。しかし、ここは用心、用心、火の用。みなさま、くれぐれも火の始末には細心の注意をはらってください。ボケとボヤは親戚関係にあるとといいますから―。
 
   10月22日(木)

ある人が、ある人を評して「田舎者だなぁー」と言ったことがある。最初はどういうことかわからなかったが、しばらくしてその意味がわかった。あたりを見わたしてもそういうヒトがウジャウジャといることに気づき唖然としたことがある。ヒトはウジャウジャゴジャゴジャ入り乱れて生活しているから面白いのだろう。

映画監督の黒澤明がインドへ行った時の思い出。「滔々と流れるガンジス、大地に根を張るガジュマルの大木、原色の衣裳、混沌、光と影。人はどこから来て、どこへ行くのかと深く考えさせられた。何かに魂を強く揺さぶられた。あれは何だったのだろう。」この引用文は、土浦市立図書館の本館から借りてきた、黒澤和子著「回想 黒澤明」に書かれていたもの。なにしろ、土浦市立図書館本館から借りてきた本だぞぅー。すごいだろう。何がすごいのかよくわからないが―。

金魚ちゃん、本当だねぇー。ヒトはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうね―。
 
   10月21日(水)

ウーロンハイを手酌で清らかな口から咽喉もとを伝わらせ胃袋にしみ込ませる。つまみは柿の種。パリパリコリコリとコオロギならぬすきっぱからこぼれる不規則音にガマン。ひたすらブログを綴る。

FMからは「アメリカの祈り」が流れている。「よれよれおじんの祈り」は。あれもこれも手に入れたいという欲張り精神は失せた。チャンスをあげるから「欲しい物」ををひとつあげよといわれたら、「干し芋です!」と、元気よくこたえよう。

さて、昨日、土浦図書館で探していた本は「愛する大地」。著者はル・クレジオ。ページ立てが詩になっている。「たまたま、ぼくは、地上に生まれた」(?)と記憶している。1970年代後半か80年代前半ごろ購入した。その後、数えきれないぐらい転居をしたが手離さなかった。荒川沖に越してからも本棚にあったと思い探したが見つからない。雑多な本が多すぎるのだ。

今晩のかたい決意。本を処分しよう。大丈夫、金魚ちゃんはリストに入っていなから安心して―。
 
   10月20日(火)

土浦図書館へ行く。いつも行っている荒川沖の分館ではなく本館。外壁は新しくペンキを塗られ明るくなっているが館内は相変わらず狭く暗い。新館建設の予定があるらしいがいつになったら完成して使えるようになるのだろうか―。近隣の市町村の公共施設がりっぱになったせいかてなんとなく陰鬱で愛を感じられない。さらにお目当ての書籍はなし。リクエストという便利な制度があるので申し込んでくる。

3足100円で買ったハーフ靴下でも足が冷たい時にはけば暖かく気持ちがいい。靴下にも愛があることを知る。愛というのは決してオーバーに表現するものではなくサラリとツツマシクというのが本物のようだ。

夕食は自力勝負。いろいろと献立を考え男子厨房に入るべきと意気込む。結局、コンビニでお惣菜を買ってきて済ます。レジのそばのショーケースにあるメンチカツ2つも買って食べたせいか胃袋がもたれる。揚げ物は控えていたが後の祭り。このメンチカツには愛が不足しているのかもしれない。愛は難しいものだ。
 
   10月19日(月

お日柄もいいのでお昼休みは赤塚公園に行き背筋を伸ばしておにぎりを食べながらぼーっとして過ごす。ぼーっとしながら立原道造の詩を思い出す。

そして私は 
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を 
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…… 
 
夢は そのさきには もうゆかない 
なにもかも 忘れ果てようとおもひ 
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

公園ではジョギングしている人もいる。この時間に走れる人は仕事をやっているのだろうかと考える。暇を持て余して走るのか健康づくりに走るのか―。おいらには関係ないことだが妙に気になる。もしかして恋人にふられやけになって走っているのではないか。夫婦喧嘩をして家にいるのがいたたまれず外に飛び出し走っているのでは―。

人と人の関係というのはどういうものだろうと考える。これまでの一期一会。すでに亡くなった人もいる。まったく消息不明の人もいる。風の噂に近況を知る人もいる。公園でぼーっとしていると何となくセンチメンタルになる。
 
  10月18日(日) 

からだの具合を試してみようと阿見町の親水公園まで自転車を走らせました。公園では穏やかな陽光の下で若い親子連れが思いおもいに遊んでいました。子どもの歓声が響きます。「パパ!ママ!」。「ジジ!ババ!」ではありませんぞ。公園の周りは新興住宅が多いせいかそれにふさわしい若い人たちが集うようです。親子がのどかに芝生で戯れている光景には文句をつけようもありません。まったく平和そのものです。全快まではまだですが自転車にも乗れます。

快気祝いにつくばのおいしいお蕎麦屋さんを紹介するから勝手に食べていらっしゃいと姫丸子からメールが入りました。ありがたいことです。昨日のことが頭にこびりついているのでしばらくは蕎麦のことは忘れようと思います。姫丸子のメールは読み違えているかもしれません。その場合はあしからず―。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読みました。何度読んだか記憶にありませんが、宇宙からの声が聞こえるようで夢が大きく広がります。気がついたら涎をたらして眠っていましたが、これはジョパンニからの贈り物と感謝をしつつペロリとなめました。
 
   10月17日(土)

気分転換にかあちゃんと八郷そば街道にクルマを走らせる。うまくいけば一面のコスモス畑に出会えるかもしれない.。ときめき色を胸にしてハンドルをまわすが車窓から見える風景は稲刈りを終えた田んぼと黄色いセイタカアワダチソウ。今年はなんとなくコスモスの群生地がなくなったような気がする。

お目当てのそば家さんを見つけ意気込んで十割そばを注文。ボサボサして硬く、さらにおいらには出汁がしょっぱくておいしくない。東北の山村で少年期を過ごしたから濃い味が好きと思われているようだが、どういうわけかおいらは薄味が好きなのだ。このしょっぱさが茨城の定番だとかあちゃんいわく。定番というのは個人の好みを全部奪いとる魔物ではないかと怒りを込め1000円也の元を取らなければと汁を全部飲む。嘆かわしい。

夕方、町内の役員会に出席。先に行われた運動会の反省と来月に予定されている「歩け歩け大会」の担当を決める。ほとんど昨年と同じ役割でシャンシャン。役員会に出席するメンバーは団塊の世代が中心でさまざまな話題に意気投合する。この顔ぶれがいつまで続くのかと区長は全員を見渡す。誰ひとり、最初に櫛の歯が欠けるのは自分ではないと信じている。これはすごいものだ。おいらもしかりなり。情けない。
 
   10月16日(金)

ブリと大根の煮物をつまみにウーロンハイを飲みながらブログを書く。姫丸子から頂いた好物の柿の種は袋の中でお寝んねしていてもらおう。気が付いたら柿の種をパリパリやっていたりすることもあるが、ここはぐっとガマンの子ならぬよれよれオジンオシッコもらさずとする。

朝9時、骨折治療のため整形外科へ。院長、肺炎で入院中だったが今日は大丈夫。当方の診断は、肋骨は順調に回復しているのでハラマキははずしてもいいと許可。うれしい。鎖骨はまだまだ不安定。コルセットは必ず着けておくように。次は一カ月後にきてください。執行猶予の判決を申し渡されたような気分。勘定を済ませてそそくさと退散。

「中身のいっぱいつまった空缶」と「帽子女子」から応援メール届く。ありがたいものだ。メールをプリントアウトしてトイレの真正面に張っておこうかと考える。その場合、老眼のオジンは超大文字にしなければならい。インクと紙がもったいないやとやめる。

追伸:大根とブリの煮物だと思っていたらブリならぬ水煮のサバ缶。これは「アカン!空缶!」。世の中、どうなっているのだろう!!。
 
   10月15日(木)

昨日、骨折の世話になっている整形外科に治療に行ったら玄関のドアに張り紙がある。「院長、肺炎のため入院中。17日より診療を始めます」.。普段は駐車場に数台の車があった。今日は一台もなく閑散としている。おかしいと思ったら「本日休診」。医者の不養生というものかとすごすごと引き下がった。

さて、今日は歯医者の予約日。昨日のこともあり心配しながら出向くと診療中。さらに、治療も今日で終了。明日は整形外科に行こう。先生が無事に退院してくれていたらと願う。

CROSSの帰り、つくばイオンの本屋に立ち寄る。フロアいっぱいに陳列された雑誌類の多さに圧倒される。趣味から実用本までその守備範囲は広く全部を見てまわるだけで体力を消耗してしまいそう。ケガ以来、何かと体力の温存に努めるようになった。悲しいことだ。

部屋で本を読んでいたら久しぶりにゴキちゃん登場。相変わらず真っ黒でどっちが頭で尻尾か分からない。前進する方が頭だろうとノロノロとした動きを追う。スリッパ攻撃を得意とするかあちゃんは台所。敵が現れないうちに隠れてくれればと念じているとバタバタと足音が廊下に響く。その瞬間、ゴキちゃんのスピードは一気に増し本棚の下に消える。エライものだ。
 

 
 10月14日(水)

相棒のブログには反応メールも届くという。ところがよれよれオジンのブログは皆無といっていい。年に数通あっても内容は簡単なもので豆腐のようにどこまでも真っ白。ところが今日、ブログを読んだというヒトがTISTにいた。遠藤周作の「白い人・黄色い人」ならぬ丸い顔の女性。スーパームーンは闇夜に消えたが、「満月まんまる娘」とでも呼んでおこう。

「満月まんまる娘」は、黒縁のメガネをかけている。ものすごく頭脳明晰なキャリアウーマンという雰囲気。ヒトは外見で相手を7、80%を判断するという。意味もなくクビをかしげる。昼、お天気がいいのでカメラを片手に意味もなくクビをかしげながらCROSS周辺を散歩しパチリパチリ。(左右写真)

今朝、パソコンをいじっていたらアドビのライトルームの使いかたを思い出す。そして、元通りになる。こうなると神がかりに近い。再びスーパームーンを見るよう。ハッピー、ハッピーなり。そういうことで今日もつつが終わる。これじゃ、反応メールなどあるわけないよ。バイバイ!!。
 
   10月13日(火)

CROSSに行く。それなりの仕事をやる。もっともこの場合CROSSにとって生産性があるものかと問われれば天を見上げるしかない。PCに向かいキーボードを叩き午後3時頃になると背中に痛みが走る。疲れからくるのだろうか―。「頼んでもいないのに―」とは、骨折の具合を心配してくれたTISTのY女史からの有り難い慰めのお言葉。ありがとうございます。

「人間にとって科学とはなにか」湯川秀樹と梅棹忠夫の対談集を読む。初版は1967年で買い求めた中古本は1994年34版とある。現在はどれぐらい版を重ねているのだろう。いずれにせよロングランだ。「科学はいまや人間を置き去りにして、かぎりない巨大化・精密化の道をたどりつつあるかのようにみえる。しかし、他の文化的創造物と同様、科学もまた人間の営みの産物である。にもかかわらず、人間をして人間不在の科学へと駆り立てるものはなにか―」。

金魚ちゃんにエサをやるのを忘れさせるような興味津々の対談集だ。
 
   10月12日(月)

日本中の青空を荒川沖小学校の上空に集めたようなカラリと晴れ渡った空ではありませんでしたが、駆けたり転んだりと体を動かすには最高の天気のもとで「荒川沖小学校地区市民体育祭」が開催されました。

カメラを片手に東三丁目の応援席に。テントの下でとぐろをまいているのは顔見知りの町内役員たち。どこで知ったのかケガの具合を尋ねられる。秘密にしておいたはずだがどこからどうやって洩れたのか皆さんよくご存知で驚く。

運動会をぼーっと見ているだけではもったいない天気。会場を抜け出して散歩。途中、T・F氏に会う。Tシャツ一枚でジョギングをしている。こちらは下着に長袖のポロシャツ。さらにコルセットと半袖のダウンジャケットと4枚も重ね着。健康体とこれほど違うのかと愕然とする。「体の回復はどうか」「だいぶよくなりました」二、三こと話して走り去る。まったく元気なものだと感心して雄姿を見送る。
 
   10月11日(日)

イライラブツブツ、イライラブツブツで一日がおわる。マスターしたと自信を持っていたアドビのライトルームのソフトの使いかたがこんがらかってころびまわり振り出しに戻った。こうだ、ああだとイジクリまわして結論は冷却期間を置こうと幕引きをする。ヒトが作ったものをヒトがこなせないはずはないと果敢に挑むがいつも跳ね返される。能力がないのだ。それにしても時間を費した。本も読めなかった。口惜しい。

気分転換に野球を見る。巨人が負けているではないか。熱烈な巨人ファンではないが気分が悪い。小4から始めた新聞配達で配ったのは「読売新聞」。現在の購読誌は朝日新聞と浮気者。読売新聞には世話になった。そのせいか、なんとなく巨人を応援する。本当は勝っても負けてもどうでもいいのだが―。

不思議なものでPCとにらめっこをしていたら鎖骨と肋骨の痛みを忘れているではないか。それはそれは有難いことだと自然と笑顔がこぼれる。本物であることを祈願して今日のイライラブツブツを忘れよう。
 
  10月10日(土)

今日、10(テン)月10(トウ)日は、転倒予防の日だそうだ。これは年寄に対しての差別用語ではないかと疑う。怒ってみてもしょうがいないのだが、骨折治療中のよれよれオジンには重くのしかかる。

久しぶりに山王台の姫宅を訪れる。満月のよう笑顔で出迎えてくれたが、話を詳しく聞けば姫も体のあちらあこちらにガタがきているという。それなりにお年を召したのだからやむえない。毎日を慎重に過ごすように心がけるしかないと慰めあう。

姫宅の猫ちゃんたちは寒そう。ぴーちゃんはじっと目を閉じてソファーに座りこんでいる。のどをゴロゴロさすってやると気持ちよさそうに幸せいっぱいの顔。「ぴーちゃん、毎日世界の平和を祈って生活をしていますか?」と問えば「世界の平和より山王台だけが平和だったらいいの!」とは姫の元気な声。これなら大丈夫そうと安心して帰宅。

姫丸子からアメリカ土産も受け取り、久しぶりの長い運転だったが大丈夫。少しずつであるが日常の怠惰な生活に戻りつつあるようだ。
 
  10月9日(金)

「負けてはなりません!!」鬼怒川の堤防決壊による水害から1ヶ月経つというニュースをテレビで見る。インタビューで冒頭のような前向きにこたえる声も聞かれた。そうだ「負けてはいけません」とはいってもヒトはほんの些細なことでめげてしまう。めげていないのは我が家の金魚ちゃんぐらい。どこから見てもノー天気だ。飼い主に同化しようとこれまでどれほどの努力をしたか知っているか。結果がごらんの通り。エライものだ。

今日はかかりつけ医院と歯医者を巡る。難病指定の治療は症状が落ち着いているのでしばらく様子見となりクスリの服用は一時中止。あくまで自覚症状なしという申告によるもので先生はどこか不満顔。薬局で「血圧はいくつですか?」と聞かれるがわからない。薬剤師もどこか不満顔で「時々、測ってください」とピシャリ。

夕方、久しぶりにながみねへ行く。風呂場には誰もいない。大きな浴槽で手足を大きく伸ばし窓越しに雑木林を眺める。木々の葉っぱは秋の気配を漂わせ色づきはじめている。北国のような色鮮やかさはなく、化粧くずれしたようにくすみ、これも不満顔だ。
 
   10月8日(木)

TIST事務職員のS女史が「骨折の具合はどうですか?」といたわりをこめて尋ねる。
「あなたに愛がいっぱいあれば治るのだけれども―」
「愛はいっぱいあります―」
百点満点の笑顔でこたえてくれる。そこでチャラが入る。一方的で紋きり口調。作文を読んでいるようだ。ああ、くたびれオジンはなぜ素直になれないのかー。無念なり。そこでグーグル先生にお願いして「愛」を探してもらったら1億9千万超。あまりの多さにとても読む気になれない。

そもそも「愛」というのはどこに存在しているのか―。若いママを亡くした子どもがパパに何でも買ってやるからとデパートに連れていってもらった。何が欲しいかと問われた子どもは「ママ!」。

荒川沖本郷のスーパーカスミに本物の「愛」を売っているかもしれなと探しに行く。ハートマークの商品はいろいろあるが、一隅を照らすような愛は見つからなかった。ああ、愛を伝えることは金魚ちゃんにエサを与えるより難しいことを知る。バイバイだ。

 
   10月7日(水)

「アジア自由民主連帯協議会」理事のシャーカー氏とK先生の3人で市川駅近くのインド料理店で会食。インドのコルカタに基金を募り創立した「印日文化センター」の運営がうまくいっていない。シャカ―氏「これからは積極的に運動を展開してなんとか軌道にのせたい」と熱っぽく語る。「できる限りの協力はしたいが正直いってインドは疲れたというのが本音」と、胸のうちを伝える。

「アジア自由民主連帯協議会2014年度講演会記録」によれば、シャーカー氏は1980年代の中曽根時代の留学生10万人計画に基づいてバングラデシュからやってきた一人だという。日本語も達者でタゴールの著作もある。なにより全身から「なんとかしたい」というエネルギーがほとばしっている。どうなるか分からないが期待とともに希望を持ちたい。

千葉でK先生と会うときはいつもクルマで出かけていた。今日は長時間の運転に自信がないので電車とバスを利用する。乗り合わせたバスにはお年寄りが多い。運転手は「お座りください、発車します、次は停車します」と、何度もアナウンス。停留所から乗り込んでくるお年寄りに手を貸してやりたいが、こちらもポンコツ欠陥ニンゲン。ハラハラしながら見ているだけ。情けなさと無念をこめ、みなさまサラバだ。
 
   10月6日(火)

「金魚ちゃんおはよう、金魚ちゃんおはよう」。エサをやりながら朝のあいさつをするが金魚ちゃんは水面に顔を出しただ口をパクパクさせてパラパラとまいたエサを食べるだけ。返事はないということは大病を患っているのか―。はっきりいえば声をだせないほどハラすかしているのかー。かわいそう。こんな新鮮で明るいあいさつに応えることができないとは―。なんと神さまは罪作りなのだろう。

PCを「ウインドウズ10」にアップする。朝7時から始めて昼近くまでかかる。早く使い勝手を覚えなければ。そうでないとあちらさまこちらさまとやたらめったらとふりまわされ残り少ない人生がパソコンに食いつぶされてしまう。

CROSSの帰り、土浦港で開かれたドローンのデモステを見る。ドローンが離陸すると関係者全員が口をぽかあーんとあけて空を見上げドローンの行方を追う。ヒトは上を見上げる時は必ず口をあけるというのは本当だった。ああ、金魚ちゃんとそっくり。ありがとうございます。
 
  10月5日(月)

コロコロでわが書斎で居眠りしているカーペットのゴミを取る。一回まわすと幸せいっぱいの顔をしたゴミがたくさんつき白い巻き取り紙は万華鏡を覗くような鮮やかさ。それはそれは、芸術的な模様を描きだし一幅の芸術作品を鑑賞するようだ。これは具象画ではない、りっぱな抽象画と感動する。喜びは多い方がいい。巻き取り紙をちぎってはちぎってはコロコロとコロコロ音頭。

ああ、心が晴れる。バカじゃないか。それだけカーペットが汚れていることだよー。そんなことが何で分からないのか。自慢にもならないし恥ずかしくないのか。ハイ、まったく気にしません。本当のことですから―。

さて、今日の「肋骨・鎖骨等骨折回復進捗状況報告」長いタイトルだ。これじゃ誰も関心を示さない。さらに患者こと記載者はジジイでお色気はまったくない。やめよう、やめよう花いちもんめー。大好きな柿ピーを食べながら書く。よれよれオジンはノー天気な男だよ。バイバイ。
 
   10月4日(日)

かあちゃんの友だちのお父さんが亡くなったので仏壇に手を合わせに行く。101歳の誕生日に亡くなるという離れ業をやってのけた遺影は実に穏やかな顔して仏壇に飾られている。友だちには98歳のお母さんが病院に入院しているという。すっかり幼児化して3歳の言動で医師や看護師に迷惑をかけていると深いため息。

読書馬鹿という言葉もあるという。どういうことかと考える。文字の間、行の間に含まれる深い意味を読み取るというトレーニングもせずただ本のページをめくっているヒトをさすらしい。それでもいいのだ。暇つぶしの読書馬鹿に徹しよう。

今日一日、痛みもないので鎮痛剤をのまないで過ごす。ところが、ひょんなことから不意に顔をしかめるほどの激痛が走る。町内運動会も近づき走ることに関心も高まるが、この場合の走るはまったく違うのだ。体の一部分をスタートラインにして前後左右から痛みが広がる。それはそれは大きな迷惑なのだが、しばらくは付き合わなければならないようだ。

姫丸子からメール届く。孫と海外デートを楽しんでいるようだ。ヨシヨシだ。
そういうことで今日一日がおわる。バイバイだ。
 
   10月3日(土)

朝から爽やかな青空が広がる。今日は土浦市が一年で一番元気になる日。全国花火競技大会が開かれる。荒川沖駅構内も臨時切符売り場が設けられるなど大勢の人で賑わう。記札口から消える人々の表情は明るい。今日の青空のようだ。

昼過ぎ、K先生より電話。インドのコルカタ市内にある「印日文化センター」の運営について相談したい。約束の日時を決める。バングラデシュのショルカルさんと三人で話し合うこととする。要するに資金不足なのだ。バングラアカデミーが維持管理するという約束だが、そのバングラアカデミーも金がなくてこまっている。それでは、印日みんなでこまれば解決するかといえばそうはいかない。どうなることやら―。

夜、花火大会をテレビで見る。音に迫力がない。テレビの映像からは体を震わせるよう地響きが伝わってこない。五感で楽しむのがいいとわかっていても、役立たずの体ではやむえないのかとあきらめぼーっと見て過ごす。来年は現場近くで見たいものだ。明日のこともよく分からないのに勝手なものだと思う。
 
  10月2日(金)

朝起きるとドシャ降り。今日の休みを相棒に連絡しておいてよかった。こんな天気の中クルマを運転する自信がない。相変わらず肩は痛い。しばらく控えていた鎮痛剤を服用。クスリさまにはたくさんの種類でお世話になっている。クスリ同士が嫉妬してケンカをしてはこまると思い、ガマンできるならとしばらく休んでいたが気合いをいれてのむ。

ところが昼過ぎると青空が広がり蒸し暑いというおまけまでついてくるではないか。そしたら、不思議と肩の痛みも消えている。これは鎮痛剤が効いているのだから油断してはならない。しかし、痛みが薄らいでいるあいだに図書館から本を借りてこよう。このチャンスを逃してはならない。そういうわけで、クルマで出かけ10冊ばかりの本を返却して新たに5冊ほど借りてくる。おまけに、ブログ用の写真をもと欲をかいて乙戸沼公園を歩く。

乙戸沼公園のイチョウ並木はまだ「幸せの黄色いハンカチ」のように色づいていないが銀杏がたくさん落ちている。昨晩の大荒れの風雨でたたきのめされたのだろうか―。そして、クサイ、クサイ、クサイ。クサヤ、スカンク、スカンチッペ。どうして、哲学者ソクラテスの悪妻として有名なスカンチッペまで登場するのかわからないが、とにかく臭かった。
 
  10月1日(木)

ルンルン気分でCROSSに行ったのはいいが、昼近くになると猛烈な痛みが左肩を前線基地として背中まで襲う。これはたまらんと早退することにする。昨日は暖かくくお天気も良かったせいか今日のような痛みはなかった。今日は曇り空で雨が降りそうなお天気。骨折というのは空模様を見るのだろうか―。そうなると「女心と秋の空」となりなんとなく因縁のようなものを感じるがこまったことだ。とにかく辛かった。

帰宅して風呂に入り床につき休む。1時間ほど休んで起きると痛みが少しおさまっている。土日の休みを利用して明日の金曜日も休み3連休として静養しようと相棒にその旨を携帯で伝える。

今晩はお天気が大荒れだという。暗雲たれこめる我が肉体と足並みをそろえているのだろうか―。これは悩ましいことだが暦は確実に巡り今日から10月となった。なんとかカラりと晴れた秋空のように早く回復してほしいものだ。
 
   
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