怠惰な散歩  2014年10

   10月30日(木)

CROSSに行く。いばぶんの金銭や資料の整理をする。CROSSの仕事も少しはこなす。
うららか陽気の一日であった。うららかという言葉の響きにはどこか幸せの匂いがする。
そうだ、ぼーっはうららか人間なのだ。もう、気張ることも見栄にこだわることも金銭に目くじらをたてることもないのだ。
「うららか+のほほん」。残された人生はこれでいこう。

アル・ゴア著「未来を語る」を読み、あまりにも絶望的な世界の未来にがっくり。そこで立花隆著「四次元時計は狂わない」を買い求め読みだしたのだが、とにかくこれが面白い。とにかく、科学の発展による明るい未来を語っているのだ。未来に希望がもてる。最近では珍しくもう3度も読み返している。そんなわけで、昨晩は午前さまとなる。

帰宅するとかあちゃんが居る。三日ぶりのご帰還。夕食の心配から解放されほっとひと息。
そういえば「ほっともっと」という仕出し弁当屋があった。どうやら全国チェーン店でテレビコマーシャルで見たこともある。自宅から10分も歩けば「ほっともっと阿見店」がある。
今晩はそこの店に買いにいこうかと思っていただけに「ほっと」の重みを感じる。

それでは、皆さまそれぞれの夕食を楽しみ、「ほっともっと」の夢を見てください。
 
   10月29日(水)

そうだ、真剣にブログを更新しよう。毎日の暮らしぶりにそんな変化もないのになぜ顔をひきつらせてブログを書く必要があるのだ、という疑問符はごみ箱に捨てよう。

今日はピーナツの入っていない柿の種を食べながら書く。なぜなら、ピーナツは体によくないという話を聞いたからだ。うろ覚えだが、夏目漱石は大好物のピーナツを食べ過ぎ病気になったということを何かの本で読んだ。これは怪しい情報だ。信用しない方がいい。

しかし、世の中信じなければ生きられないような約束事がたくさんある。
例えば、青信号を信じて歩道を渡る。当然、クルマが停車しており安全安心と固く信じ渡る。ところが、有頂天クラブ会員のようなバカが運転するクルマが走ってきたらどうなるかー。

信じるというのは、約束を遵守すること。そうしなければ世の中のすべての歯車が狂ってしまうのだ。以上のような理由で「漱石とピーナツ」を信じるかは、みなさま方の風まかせであることご理解いただきたい。

今日もつつがなく終わった。いや、終わろうとしているのは本人だけで、不透明なまま時計の針は刻々と過ぎている。よれよれおじんのぼーっの時間を止めることは世界70億人がたばになって挑んでもできないのだ。もちろん金魚ちゃんもしかりだ―。
 
  10月28日(火)

夕方、緊急の写真打ち合わせのため山王台の姫とココスで会う。姫、何やらの割引券を片手に注文を戸惑う。どうやら、ハロウィンに合わせた期間中の特盛りアイスクリームケーキのサービス券らしい。

「ひとりでは多すぎますか?」
「少し多いかもしれません。ふたりならどうでしょうか?」

おじさんは甘いものは食べないからクビをヨコに振る。姫は思案のしどころとサービス券とにらめっこ。結局、女は度胸と注文。しばらくしてウェトレスがテーブルに運んできたケーキの大きさにびっくり仰天。これは、ひとりではとても無理。そこで、少しばかり分けてもらう。

しかし、なんだかんだと話しているうちにアイスクリームケーキはどんどん小さくなる。姫はパンで作ったようなモリカゴを残してぺロリ。ややオーバーにいえば丼ぶりに盛ったアイスクリームが消えているのだ。これは大変な事件だ。おまわりさんに行方不明ですと捜査願いを出さなければと慌てる。ところが、姫いわく、「女はベツバラという魔法を持っているのです」と涼しい顔。エライものだ。

山王台のお姫さま、いろいろ気遣ってもらいありがとうございます。
 
   10月26日(日)

「たかが海苔、されど海苔」ということで、「丸山海苔店・つくば工場店」の「つくば工場まつり」にノコノコとかあちゃんと行く。かあちゃんの話によれば「最近、おばあちゃんはのり巻きしか食べなくなった。それなら少しでもおいしい海苔を―」ということで言われるままに初めて出かけた。
要するに特売日ということで、少しでも安い海苔を買いたいというのが大きな理由。

こういうイベントは誰もが狙っているようで会場は超満員。各コーナーで海苔の試食をやっているので2、3枚つまんではパクパクやるがハラの足しにもならない。そこで、築地名物の「マグロカレー」を食べる。トッピングにあちこちからくすんできた試食品を盛る。ざまぁーみろ。
抹茶サービスもあり、「普段は一服1000円だが、本日に限り500円」と呼びこんでいる。昨日の茶席で二杯も頂いたのでご遠慮して、新茶の無料サービスでのどを潤す。こうなると「ざまぁーみろ、みろ」。

そんなわけで、不用品の整理は中断。
帰宅して女子駅伝をテレビ観戦。順位などどうでもよくかわいいランナーがアップされると応援にチカラがこもる。たかが走りタスキをつなぐという単純なスポーツだが、されどと講釈をならべて2時間余テレビにくぎ付け。バカみたい。
 
  10月25日(土)

平成26年度茨城県芸術祭茶会に行く。
茶券が1枚余りすったもんだがあったが、結局、山王台の姫とかあちゃんの3人で出席。

山王台の姫が主催する茶会には何度も金魚のフンのようにまとわりついてパチリパチリとやっているが、正式な茶会の流れというものを知らなかった。

それだけに勉強になり一つ利口になったような気がする。しかし、明日になればすかっり忘れているだろう。そういえば、車中は認知症の話題が多かったような気がする。

ここで茶会の様子などを書きたいところだが、生半可な知識ではボロが露呈されるだけなのでやめる。
ただ、茶席に出された和菓子をその場で食べずに3個ゲットしてきたことだけを報告。

もう一つの報告といえば、女性もそれなりの年齢を重ねると頭のテッペンの髪の毛は薄くなることを知る。これも勉強になり一つ利口になる。これは明日になっても忘れないと思う。

会場の県民文化センターのポプラは黄色い葉っぱに色づき晴れ渡った青空に映えていた。
こういう空を見ると気分爽快。日本文化の香りにふれそれなりに楽しい休日を過ごす。
みなさま、お疲れさまでした。
 
   10月24日(金)

筑波山神社へ「徳一が歩く」第3集を納品。
昨日の寒さが嘘のように暖かい。これは吉兆の表れとしばし神社周辺を散策。
平日だというのに登山客が多いのに驚く。
きっとこのうららかな陽気に誘われ足が向いたのかもしれない。

本年度の文化勲章受章者が発表される。
内密に聞いていた話だが、 数年前、我妻先生は「インドと日本の文化交流に貢献した」という理由で外務省推薦を受け受賞が内定していた。我妻先生の仕事はインドでは高く評価されていたが日本ではほとんど注目されていなかった。それだけに、出来る限りの応援をしようと努めてきた。ようやく先生の仕事が日本で認められたのかとうれしかった。
しかし、病で倒れ日の目を見ることはなかった。無念の思いをした。今でも持続している。

ゆるやかな秋日和。それなりの仕事を静かに遂行する。物語が少しは進んでいるのかと自問自答する。
静寂と沈黙だけが物語を作れるかもしれないと、ふと思う。
 
   10月23日(木)

今日は寒かった。寒いのは嫌いだ。山形の山村育ちだから寒さには強いと思われているがそうではない。
山形の冬は真っ白だ。その中で生活をしていると耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び―、ということになる。そんなことで、精神的に寒さに弱いのかもしれない。

さて、本日のできごとは可もなく不可もなくだった。
ただひとつ、山王台の姫の写真整理を終える。
アルバムを見ていると「世代交代」の意義と覚悟のようなものをヒシヒシと感じる。

一つひとつの整理と処分をと考えるが作業はなかなかすすまない。
ドンブリ勘定と投げやりな人生を送ってきたが、それでも「物」は増えている。
それも、他人からみたらガラクタと思われる「物」だらけで「ゴミ」だ。
最大の「ゴミ」は本人なのかも知れない。そう言い残してグドバイした人がいたことを思い出す。

寒いせいか、何か暗くなることだけが思い浮かぶ。
 
  10月21日(火)

今日はクロスで真面目に仕事。実をいえば中身はいばぶんのhp更新。こういう場合、クロスで就労をしたとはいえない。それでも、本人はクロスで仕事をしたと信じている。

突然、武田泰淳の小説「富士」で読んだ「愛を持って接しなさい」の一節を思いだす。
[[自分を信じることはどんな生き物にたいしても信じ愛すること。裏切られたら自らの愚かさを認めること。
そして、無茶苦茶に再び愛に徹すること。」
数十年前に読んだような気がする。

金魚ちゃんにその話しをする。水の中の会話。
まるで音のないメールのようなやりとり。金魚ちゃんには五官がないのかー。それでも続けるが反応がないのでバカバカしくなってやめる。そういえば、魚はいつも水の中で生活をしているので「水」という存在を忘れているそうだ。

愛のやりとりは難しい。さあ、寝よう。バイバイだ。
 
  10月20日(月) 

土曜日のハプニングの挽回ということで、T接骨院に行き資料を見ながら記事を1本書いて渡す。なんとか約束は果たせた。メシの種を大事にしなければー。その後CROSSへ。

午後は相棒と阿見町役場へ。タケノコ取材に同伴してノコノコとついてゆき竹林の写真をパチパチリ。

その後、ヤギ一家へどうでもいい陣中見舞い。ところがヤギならぬ二匹の子猫ともご対面。
聞くところよると今朝、神さまが玄関わきに段ボールで届けてくれたそうだ。
慈悲深い夫婦の絆を天上の国で知った神さまが授けてくれたらしい。
神さまの素早い決断と実行には神業に近い尊さを感じる。

CROSSの帰り、立花隆著「四次元時計は狂わない」文春新書を買い求める。
書き下ろしかと思ったら文藝春秋の巻頭エッセーをまとめたもの。それなら毎月読んでいるとがっくり。
大枚800円+消費税を払ったのだから読み切ろうとかたい決意。
貧乏根性が燃える。  
 
  10月19日(日)

今日いちにち青空がひろがる。心地よい休日だ。なにもやることがない。こういう場合はどうやっていちにちを過ごしたらいいものかと考える。考えてもいい知恵がうかんでくるわけでもなさそうなので自転車で
目的地もなく走りまわる。

本郷親水公園に人影なし。素晴らしい公園だといつきても思うのだが利用するヒトは少ない。ましてや老人の姿を見かけるのはまれだ。この周辺は新興住宅地。若い所帯が多く老人には近寄りがたいのかー。

本郷ふれあいセンターに行く。「信和会おさらい会」をやっている。きれいなおべべを着たおじさん、おばさんでにぎやか。おばさんたちはたっぷりと化粧をしている。きっと今朝は鏡の前に座る時間はいつもより長かったのではと推測する。

隣接する運動公園では若いパパママとこどもたちの歓声であふれている。自宅前の青空公園では絶対に見られない光景だ。ぼーっとこどもたちの動きを追いかける。目がまわるほどの忙しさで走りまわり遊具と戯れている。

空は青い。白い雲が流れている。時おり飛行機が飛んできて消える。金魚ちゃんは現れない。爆音で子どもの声が一瞬かき消される。ぼーっだけは生き生きとしてぼーっを食べ続ける。これが、平和な庶民の休日かとまた、ぼーっに集中する。
 
  10月18日(土)

今日は、夕方から水戸で仕事。さて出かけようとクルマのエンジンのスイッチをいれる。ところがクルルーンと音がすれるだけでエンジンがかからない。バッテリーがあがっているのだ。

それからが大変だ。気勢がそがれたので電車で行く気にもなれない。広報部長に電話をしてしかじかの理由で行けないとお詫び。了承してもらう。

さて、クルマの方だ。クルマQQ隊に連絡をしなければと携帯電話でアドレスを探すがわからない。それならネットで調べようとパソコンを立ち上げてつなぐがエラーのメッセージ。さあ大変だ。これもトラブルかと焦る。結局、なんらかの原因で電源が切れていたのだ。なんとかと解決する。それから30分ほどしてクルマQQ隊が到着して解決。

ー21世紀の実際的知能の新たな尺度のひとつは「インターネット上で関連情報をいかに容易に素早く検索できるか」なのである―「未来を語る」でゴアが述べているが、現実にそういう時代に突入していることを実感する。

バカ金魚は右往左往する主人をどんな目でみていたのだろう。
 
  10月16日(木)

酒を飲む。今晩はひとりではない。CROSSのメンバー5人と一緒の飲み会だ。大いに盛り上がる。
こういう親睦会も時にはいいものだと思う。

アル・ゴア著「未来を語る」を読む。読めば読むほど未来が暗くなる。
どうしたものかとクビをかしげて考える。複雑怪奇。
科学者は人類をどこへ導こうとさまざまな分野で研究に没頭しているのだろうー。
もっとも、これは科学者だけに限ったことではないだろうがー。

さてと自分の体調の行方だが、少しずつ回復に向かっているようだ。
なにより、本を読みたいという意欲が出てきただけでも救いだ。
その報告を金魚ちゃんにする。金魚ちゃん知らんぷりして泳いでいる。
わかるかな、君たちの未来はこの手に握られていることをー。
 
   10月14日(火)

今日の台風一過の空はブルーという形容詞を全部集めたような青空が広がる。
一瞬、生者は沈黙。

さて、今日の健康状態はどうだったのかといえば良しだった。
中学校の時にもらった通信簿はオール3。それを基準にすれば体調はオール4というぐらいか。

クロスに行く。相棒、みけんにしわを寄せパソコンに向かいキーボードをたたいている。いや、優しくうっているのかー。

この数か月は、他人にはどうでもいいことだろうがいろんなことで精神的に辛かった。
少し、目標ができたのでなんとなくハツラツする。
これも、生き生きとした青空を見たせいだろうかー。

青空よありがとう。
 
  10月13日(月)

奈良の姪っ子におくるブドウを買いにつくばのわくわくファームに行く。
店頭で新米のおにぎりの無料サービスをやっていたので一個もらう。パックに入っていたのでそのままポケットにしまう。ところが、誰かがもらったのはいいがテーブルに置いたまま席を離れたすきにカラスが猛然と飛んできてパックごとさらっていった。
周りの人々は驚いて「カアーッ」ならぬ「キャー」と声をあげた時には空を飛んで近くの芝生に着陸。カラスはなんどもクチバシでパックを破りおにごぎりを食べ始めた。

カラスよ、よく聞け。
農家のヒトはカラスに食べさせるために米を作っているのではないぞ。それも、新米の炊き立てのおにぎりを盗んで食べるとはなにごとぞ。農民に謝れ!謝れないなら!せめても「ごちそうさま」ぐらい言うものだ。カラスの世界にはそういう仁義はないのか。情けない。ふざけている。とんでもない。
「おらぁ―、とんでもないことは平然とできるし、空も飛ぶこともできるのだぞ、バ―カ」

もっとも、こんなことはニンゲン世界で日常茶飯事ですがー。そんなわけで今日はおわりました。
 
   10月12日(日)

今日は荒川沖小学校地区市民体育祭。
応援会場設営に役員が狩りだされているので朝6時過ぎに家を出る。現地に着くともうテント張りを終えている。ヒマなおじさんたちは朝が早い。この様子では定刻前から作業をやっていたようだ。

今朝も体調が悪くやめようかと思っていたが、老いた夫婦にはいつなにあるかわからない。なにごともご近所付き合いは大切にしておいたほうがいいというウラ心もあり踏ん張る。
東3丁目は参加した9町内の中で4位。打ち上げで保護者のママさんたちとしばしビール片手に懇談。
ふだんはまったくお目にかかれない女性たちが多いことに驚く。
結局、一日運動会と付き合う。

夕方、風邪がぶり返したのか体がだるく熱っぽい。
火曜日の出勤日までにはきちんと治しておこうと早目に寝ることにする。

みなさまお体を大事にしてくださいね。
 
   10月11日(土)

東京に行こうと思ったが体調が悪く中止にする。
午前11時ころチカエ女史に電話。
「今日、参加しようと思ったが体の具合が悪いから行けません」
「今、ゲストを迎えているところ。取り込み中で忙しい。はいあわかりました」ガチャリ。
そうだ、こんな電話など事務局としては迷惑なのだ。その間、数秒だった。

やはり、なにごとも体力がないと行動できないことを痛切に感じる。
それにしても風邪がなかなかぬけない。原因は暴飲暴食と不摂生だ。
わかっていても生活習慣を改めようとしない。こうなると重症のバカというものだ。

なにもすることがない。なにもする気になれない。なにもすることがない。なにもする気になれない。
ぼーっ、ぼーっで一日が終わる。
 
  10月10日(金)


 土浦の山新がオープン記念で特売しているから行こう。かあちゃんのせっぱつまった顔に貧乏を読む。なにか欲しいものはないかと聞くので「アル・ゴア著の”未来を語る”はないか?」「本はない」とピシャリと釘をさされる。

さて、未来という言葉に少し考えてみる。考えてみてもわからないが考えてみる。未来というのは過去ではない。しかし、過去を知り未来を語ることしかできないのではと思う。

さて、未来と過去は同じ土俵で語りあえるのか?。
もし、語り合えるとすれば場所と時間はどこだろうかー。
そうこうするうちに頭がこんがらってくる。
こんがらかった頭を冷やすために金魚ちゃんに「おまえさんは未来を語れるのか」「ばーか、酔っぱらいは早く寝ろ」「はい、わかりました」。それでは、みなさまお休みなさい。
 
   10月8日(水)

今日は昨日と一転して体調不良。あきらかな二日酔いだ。なぜ、翌日まで残るように酒を飲むのかー。飲んでいるうちに気持ち良くハイになるからだ。といっても前後不覚になると知れ支離滅裂で自分で何をいっているのかわからず、もちろん翌日には記憶がない。まったくバカとしかいいようがない。

これまでなんど反省しただろうか。天文学な数字までいかなくても数えきれないほど反省してきた。
サルでも反省できるというが、こちらの反省は言葉だけ上滑り。夕方になるとまた酒が恋しくなる。

そこで金魚ちゃんになにか特効薬はないものかと尋ねると「カンタンダヨ、ニンゲングッバイスレバ―」見事なご回答をいただいた。
「バーカ、毎日エサをやっているのは誰だか知っているのか?」と問いたい。
金魚ちゃんとの心中だけはごめんだ。


 
   10月7日(火)

天気良し、体調よし、財布よし。財布も中身は国家レベル機密事項。要するに限りなく小額なのだ。
出発進行を合図にCROSSへ。
そして、ゆるやかにそれなりにふわりふわりと仕事。

日本詩人クラブ会員で国際部担当の詩人・翻訳家のチカエ女史からイベント案内が届く。
元気印のハチマキをした彼女のハツラツ顔を思い出す。2年近く会っていない。

イベントのゲストはカリブの著名な作家だそうだ。
さて、どうしようか迷う。なぜなら会場が駒場東大。
加齢とともに東京に出かけるの億劫になったのだ。

優柔不断の性格はここでも生じる。しばし、返事は見送ろう。
「是非、是非!」というメッセージ。
心ゆれる乙女ならぬオジン、ここにあり。
 
  10月6日(月)

台風18号がやってくるというニュースでテレビは大騒ぎしている。18という数字は野球でいえばエースナンバーだ。そのエースが剛腕を武器に茨城を目指してやってくるという。これは動かないほうがいいということでクロスからの避難勧告(?)に従い休む。

インドの資料整理。どうも訪印回数があわない。これまでの記憶から抜けているのがあり、今回で11回目の訪印ということが判明。記憶力が衰えていると自覚しているが、よれよれおじんの台所事情を考えればインドへ行くということは一大事業だ。それなのに回数を忘れているとは何とも情けない。
お詫びと訂正だ。

この場合、どなたに頭を下げなければならないのか?
かあちゃんか、金魚ちゃんか、ごきちゃんかー。
よーく考えてみたがわからない。
そういうことで、お休みタイムにはいることにする。バイバイだ。
 
   10月5日(日)

昨日とうって変わって今日は寒い。それに、空から雨が降っている。
何の理由があって日曜日に出足をくじくような雨が降らなければならないのか。天気予報者もそこまで踏み込んだ意見は述べてくれない。

ただ天気図を見ながら台風はあっちのコンビニ方面に、こっちのファミリーマート方面に向かう。
そして、「雨は間違いなく空から降るでしょう」という経験値からだけだ。
これではこまるのだ。

「現代の科学技術文明は、遠からず衰亡する運命にある。我々は人類の存続をかけて、新しい世界観を学ばなければならないー。」
1982年、「第三の道ーインドとエントロピー」で、日本のロケット開発の草分け者として知られる糸川英夫が、インドから学べ述べているではないかー。
 
   10月4日(土)

今晩は土浦の花火大会。何と桟敷席へ招待されているのだ。まあ、なんとも慈悲深い方がおられるものだと感謝感激。夕方、山王台の姫と待ち合わせ場所の土浦駅西口へ。ふたりで桜川堤防を歩いて会場へ。

まあ、幸せな大勢の人々が桟敷席で花火打ち上げを今か今かと待っている。お天気もまあまあ。寒くなるのではと心配して厚着をしてきたが暑いぐらいだ。

夜空に豪華絢爛な花火がうちあがるたびに拍手と歓声が桟敷席に広がる。桜町の淑女が用意してくれた食べきれないほどのつまみと格闘しながら酒を飲む。夜空は極彩色に輝き、腹の底を突き上げるような爆音に酔い日本酒を酌み交わし、まあ贅沢な一夜を過ごさせていただき感謝のことばしかない。

鶴の恩返しということもあるので、乞うご期待ください。まあ、約束と決まりごとは破るために存在するのだと聞いたこともありますがー。
 
  10月3日(金)

澄み切った青空が地球を見下ろしている。白い雲も竹ほうきで乱暴にはいたように流れている。
頬をなでる10月の風は暖かく心地いい。静かに平和の時間が流れている。

さて、今日はどうやって終わったのかを振り返る。可もない消化不良で終わったような気がする。
そこで考える。日々が消化不良と呉越同舟しているようだ。

そこでまた考えるのだ。考えること事態が無駄ではないか。
そこで考えることやめ、ぼーっとする。
世の中、ぼーっだけが味方だ。バンザイ!!。
 
  10月2日(木)

今晩は豪華にすき焼きだ。それも和牛だ。

そこで思い出す。スペインの闘牛場の話だ。いざ本番前にひとりの少年がスタンドから飛び降りグランドをスタスタと試合目前の牛に向かって歩きだした、観客はなにごとかとハラハラドキドキ。少年は牛を目指す。牛は少年を目指す。少年と牛は寄り添うと少年は大きな牛の背中をなでる。牛はうれしそうに受け入れる。その牛の世話をしていたのは少年だった。結末は決まっている。

かあちゃんにその話をすると「身につまされるようだ」といいながら肉をパクパク食べている。
今晩はスペインの牛ではない。日本の牛だ。
 
  10月1日(水)

 今日から10月。空はどんより曇っている。昨日の暑さはどこへいったのやら今朝は寒いぐらいだった。そのせいか自分でも感心するほど眠れる。完全熟睡派だ。

不眠症で悩んでいる人もいるようだがそういう経験はこれまで一度もないような気がする。あったとしても短期間だ。原因として考えられるのはノー天気の性格からかもしれない。どんぶり勘定で生きてきたせいかもしれない。人生は冗談だよと笑って生きているかもしれない。人生はケセラケセラだとひらきなおっているからかもしれない―。

これはいいことか悪いことかを考える。考えても眠れることには変わらないのだが、形而上から探ってみようと試みる。そこで形而上ということはどんなことだろうと考えると頭が混乱してきた。もう、考えるのはよそう。

寒くなり動きが少し鈍くなったゴキちゃんの行動を見守る。彼は不眠症という病を知っているのだろうかー。うーん、難しい問題だ。
 
   
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