怠惰な散歩  2015年

   3月30日(月)

早朝7時よりモロモロの仕事をはじめ9時半ごろ終える。それからCROSSへ。もうクタクタに疲れている。

CROSSの事務所は業者が大がかりな清掃をしている。床のワックスが乾くまで入室禁止という。それなら、今日は帰ります。

阿見町の運動公園周辺を散歩。もう、梅の花は終わりに近づいている。コブシの花も少し黄色づんできた。お年寄りたちがキャーキャーとゲートボールを楽しんでいる。つくしを採りにきたという親子三人連れと会う。大いに春を感じる。

夕方、二ランジョンが来日したという電話が入る。これからどうするつもりだろうー。
成り行きを見守ろう。サポートしているTさんの苦労に同情する。
 
  3月29日(日)

かあちゃんと霞ヶ浦文化総合体育館へ。接骨師会の「元気アップ教室」に参加するためだ。かあちゃんは受講者のひとり。よれよれオジンは仕事。30分ほど取材をして帰路へ。今日は荒川沖の尾先神社の初午。町内の一員として毎年参加している。F氏も大きな体をして参列している。直会で世間話しに華を咲かせて三三五五別れる。

元気アップの原稿を書いてプロ野球観戦。わが愛する巨人の打線は不調だと嘆いていたら猛打爆発。物語の先々はいつも闇の中に潜みわからないものだと深いため息。

その後、カメラを片手に散歩へ。桜もほころびだし道路沿いの草花も咲きだした。カメラのファインダからも春を実感させる。途中で雨がパラリパラリと降ってくる。急ぎ足になるが体が思うように前に進まない。これはどうなっているのかと考えれば、へん平足で駆けっこが苦手だった少年時代を思い出す。運動会ではいつもビリの方でいくら頑張っても前のランナーを追いぬけず頭をポカリと殴りつけてやりたかった。しかし、今日は前には誰もいない。そうだ、帰ったら金魚ちゃんの頭を小突いてやろうと決意する。
 
  3月28日(土)

 ここ一週間、体調が優れなかった。それなのにそれなりに忙しかった。食うための仕事もあり、どうでもいいような雑事も重なり、それなりのところへ出向き頭を下げたりアクビをしながらクルマのワッパをまわしたりとヨレヨレになりながら奮闘した。

忙しいことはいいことかも知れないが本を読む気力もなく「積ん読本」としてデスクに読みかけの本が鎮座している。もちろんブログを書く元気もなかった。

3月も終わりに近づいた。正月を過ぎて三ヶ月が過ぎようとしている。月日が経つのは早いものだとしみじみ感じる。これも高齢になった証かと考える。そこで金魚ちゃんに尋ねる。
「あなたにとってのこの三ヶ月はどんなものでしたか?」「ばあーか、そんなくだらない質問をする時間があるなら庭の草取りでもしろ!」「はい、わかりました」。
雑草も生き生きとなる季節到来です
 
   3月26日(木)

筑波山神社へ納品に行く。帰り、せっかくここまで来たのだからとつくば梅林の散策を楽しもうと駐車場近くまで行くが、駐車料金500円也。クルマをUターンさせ某ホテルの駐車場へ。ここからだと少し歩くことになる。往路は下り坂だが復路は当然のように上り坂になる。帰りはは500円坂、500円坂、500円坂と息をハアーハアーさせながら駐車場へ向かう。

体の不調が続く。花粉症の薬を服用しているせいかも知れない。
体全体に力が入らないのだ。こまったものだ。

自宅に帰るなり早目に寝る。いつも寝るのは早いのだが―。
 
   3月25日(水)

今朝はどういうわけか電話が多かった。よれよれオジンが早起きなのを知っているからだろうと思ったが、電話をする相手もすっかり年寄りになり早起きになったことを理解して安心。ところがパジャマも着替えないうちに大家さんが玄関に現れる。これから東京だという。用件を伝えるとさっさと消える。73歳という年齢を感じさせないフットワークに脱帽。

よれよれオジンはその後CROSSに行く。そして水戸のご老候に「いばぶん」の報告。今日が誕生日で82歳になるという。
天上で過ごしているような人たちが地上で踏ん張っている。重ねて重ねて脱帽。

水戸の偕楽園の満開の梅は見ながらハンドルを握り、接骨師会の事務所に手土産を持ってあいさつに行く。
見慣れた事務員ならぬ梅むすめのお顔を拝見。事務長としばしの雑談をして帰りにつく。まあ、こんなそんなで一日は終わるものなのかと考えながら帰る。人生、万歳だ。
 
  3月23日(月)

そうだ、ブログを更新しよう。日本中でこれほど役立たず軽薄でぼーっとして無意味なブログはないと評価されていようが書き続けるのだ。マケマセン!!。クダラナイとけなされ、バカみたいとツバを飛ばされケツを足蹴りされようがマケマセン!!。幼児のヨダレのような新鮮な気持ちを持続させブログを書くのだ。ざまぁ、みろだ!!。

さて、本日の報告。朝、5時に目覚める。起きて一服してまた布団にもぐり込む。変な夢を見る。常陽新聞社の編集会議に参加しているのだ。懐かしい面々が廃屋のような事務所でニコニコしている。こいつらは疲れを知らない脳たりんの子どもたちか―、と一喝したところで夢は消える。

明日が楽しみだ。夢は意識すれば続きを見られるというからー。明るいものをと期待して眠ることにする。それでは皆さまハッピーな夢をー!!お休みなさい!!。
 
  3月19日(木)

今日からかあちゃんは出張老々介護。出張手当も時間外手当もない。報酬はクタクタの体で帰り、夢をみる余裕もなく安心マクラでのひたすらの睡眠。実母の介護に報酬を求めようとする考えるのは愚か者というのかー。ああ、情けない!!。でも、疑問もある―。

そこで金魚ちゃんに再登場してもらう。愚問に対する愚直一徹の答えを導くお代官さま。ひたすら、よろしくよろしくと平身低頭。

金魚ちゃん曰く、「今晩は疲れたからカンベンしておくれ。正直いっていつもバカな質問でおいらもすっかり老いの進行が早まっているようだ―」。

失礼しました。それでは、ごゆっくりお休みください。 
 
  3月18日(水)

ここ数日、お天気がぱっとしない。ぱっとしないということは曇り空が広がっている。そのせいか、頭の中もぱっとせずに曇っているのだ。もっともこれは連日のことで驚くこともないと諦めている。

だがだ、自分でも驚くような発想が浮かぶ時もある。それは酒の力を借りてだ。このことは、翌日になればすっかりと全部忘れている。すごいものだ。

そこで金魚ちゃんに何とか忘れない方法はないものかと問う。金魚ちゃん曰く。
「下手の考え休むに似たり」と、どんぴしゃりと断言して尾ひれを震わす。それから、追い打ちをかけるように、「酒の勢いを借りて素晴らしい考えが浮かんだー」としてもオマエさん、世の中には何の役にも立たないのだ。時間の無駄、無駄と口をパクパクさせる。

いつも明晰なお答えで、感謝していいものかと悩む。 
 
   3月16日(月)

CROSSでそれなりのお仕事。昨日の日曜日は終日ぼーっと過ごした。少し本を読んだ。「なつかしい時間」長田弘(岩波新書)の中に著者のこんな詩があった。

結局、わずかなものだ。
いま、ここに在るという
感覚がすべてだ。
どこにも秘密なんてない。

ひとは死ぬ。
赤ん坊が生まれる。
ひとの歴史は、それだけだ。
そうやって、この百年が過ぎてゆくのだ。
何事もなかったかのように。
(詩集「一日のおわりの詩集」みすず書房)
 
   3月14日(土)

かあちゃんと阿見町の島津梅林に行く。相棒の話では茶会もあると聞いていたが、今年は中止という。それを受付で知らされたかあちゃんはがっくり。プレゼントの桜餅をもらい、「寒いから早く帰ろう」とせかす。「はい、わかりました」。かあちゃんはこれから出帳介護。実家へクルマを走らせ到着。ここでは、いつも天ぷらのころものように「老い」というキーワードでくるまれ考えさせられることばかりだ。

島津梅林の幹丈はどれも低い。そして、どの枝も背伸びを許さずとばかりにひもでくくられ下辺へ下辺と導かれている。これこそ、ニンゲンの業を成せる技なりかー。

日本の盆栽文化が世界で人気を増しているという。かあちゃんも盆栽のように鉢植えのままで終わるのかー。考えるほど虚しくなり無念という言葉で逃げる。

みなさま、バイバイだ。
 
  3月13日(金)

体調が悪い。花粉症のクスリを服用しているせいか―。どうもいかん、「先に帰ります」と相棒に言い残しCROSSから消える。

健全な肉体には健全な精神が宿るというらしいが、こうなると何もかもがお手上げの状態だ。本を読もうとしても駄目、軽い散歩をしても駄目だ。しょうがないから、テレビで相撲を見る。強い方が勝つのはあたりまえだが、時には相手の墓穴で勝ちをひろう関取もいる。人生とは運と不運の連続線の綱渡りをしているのかも知れない。

明日は、体調がよければ阿見町で開かれるという梅祭りでも行こうかと考えている。
気分転換、運の転換を試みるのだ。さて、どうなることやら―。
 
   3月11日(水)

「うめぇー話がないものか―」と、つくば市の梅園公園に梅を見に行く。ナイフで切ったような青空に雲が流れている。地上に吹く風は冷たく頬をさす。うめぇー話がないが紅白の梅が咲きほこっている。子ども連れの若いカップル、老人ホームからやってきたお年寄りが数人いるだけだ。午後2時というこの時間帯に観梅でございますとノコノコ公園にやって来る人は世の中らはじかれた人たちか閑をもてあました若奥様族。

CROSSの午後は誰もいない。相棒は当然だが事務方の人たちもあちこちに出張。誰も目にもはばからないというわけで梅園公園を散策したのだ。ところがうめぇー話は公園を何周しても見つからなかったのだ。無念なり。

夕方、車検を終えたクルマを受け取りに行く。このクルマに後2年世話になるのかー。よほどのことがない限り共に生きるのだ。
そう考えると、パワー不足でガソリン大食いのクルマだが愛着をなんとなく覚えてくるものだ。
 
   3月10日(火)

クルマの車検の手続きをする。大きいクルマは何かと往生するから軽自動車でも充分とハラをくくっていたが、先立つモノがない。そうだ、福沢諭吉なる紙幣がない。そういえばしばらく見たことないなぁーと細かい硬貨に叩きのめされクタクタ財布を検分。やっぱり姿が見えない。きっと痴呆症を患い日本列島を徘徊しているのだ。それなら荒川沖にも立ち寄ってほしいと願う。

CROSSでほどほの仕事。いばぶんで徳一整理。
さて、次は何をして楽しもうかと考える。
インドをまとめているが、これはあまりにも大きなスケールで数年単位の時間を要するようだ。それより、まとめるだけの能力があるのか疑わしくなってきた。それでも続けるのだ。

山王台の姫から電話。サイトウさんが大喜びしてくれたという。うれしい限りだ。
ほかにもいろいろ話したようだが酔っていて記憶が曖昧だ。こまったものだ。
 
   3月9日(月)

CROSSに行き驚く。相棒がパソコンとしかめっ面でお見合いをしている。今日は出社日ではないのではー、ぼんやりと思案。すると、数分もしないうちに「帰りますから―」と言い残し、脱兎ごとく消える。何か狐につつまれたようだった。去る者は追わず。

さて、よれよれオジンは考えるのだ。中国のこと韓国の北朝鮮のことイラクのことイスラム国のこと、さらにはインドのことなど―、広く世界を巡り思考するのだ。

これはあきらなウソだ。本当はかあちゃんことおばあちゃんのこと、近辺の友だちのこと、そして金魚ちゃんのこと―、これが本音だと思う。

ウソつきは泥棒の始まりだというから、これまで数え切れないほどの窃盗を働いたことになる。ああ、罪深き人。とりあえず、ゴキちゃんが現れたら懺悔しよう―。

では、皆さまお休みなさい。
 
   3月8日(日)

昨日をどう過ごしたのかー?どうも記憶がぼんやりとしているが昨日も生きていたのだから今日があるのだろうと納得しながらブログを書く。
さて、本日の日曜日は荒川沖三丁目町内会の「防災訓練と歩け歩け・親睦会」。役員のはしくれとして、または写真担当として参加。

時おり小雨がぱらつくというあいにくの天気。しかし、こんな機会でないと町内の人と顔を合わせ話すこともないとイベントを決行。

参加者は圧倒的にヒマ老人が多い。テーブルや椅子をセットする姿はどこかあぶなっかしい。手を差し伸べてやりたいが、記録係としての責任を果たさなければならい。カメラのファインダーを覗きながら考える。逆の立場だったらどうかー?きっと同じようにぶざまな格好をしているのだろうと愕然とする。

とにかく、ラジオ体操や歩いたり、焼きそばにトン汁を食べたりして終了。結局、防災訓練はグリコのおまけのようなものでした。このグリコのおまけが分かるヒトは同世代だと思う。
 
   3月6日(金)

明日から休みだ。うれしい。今週はなんとなく気忙しく長く感じられた。
CROSSに行く。相棒と久しぶりにご対面。それなりに元気そうなご様子。しかし、顔を合わせて1時間も経たないうちに消える。これは正解だ。事務所に無意味なへばりつきをして無駄な時間を費やすることはない。仕事がなければそそくさと退散してあとは好きなことにエネルギーを使った方がはるかに有意義だ。

さて、よれよれオジンはその後どうしたかといえば、S氏の原稿整理を終え阿見町のアウトレッドへ。
なんとなく牛久大仏のお顔を見たくなったのだ。見た、写真も撮った。建造以来、立ちっぱなしで大仏さまは疲れているのではないかと心配になる。アチラが痛い、コチラが痛いと訴える知人がまわりに増えているせいかもしれない。大仏さまはすくっと背筋をのばし黙する。その覚悟と姿勢のよさは見事なものだ。

それを教本とし、駐車場の片隅の木蔭で泰然とタチションをしてサラバをする。夕方は冷えるのだ。そして、あるべきことは頻繁になるのだ。まったくノー天気な男だ。
 
   3月5日(木)

新聞のテレビ欄は見るがほとんどテレビを見ない。
最近見たのは琵琶湖マラソン中継。スポーツ番組は好きだからよく見る。今はオフシーズンで無念の毎日。だが、ようやくプロ野球のオープン戦がスタート。これからが楽しみだ。

テレビ番組欄を見ると素晴らしい企画で内容の濃いものと期待できるものがたくさんある、だが見ない―。さらに、モロモロの受信料を払っているのだから大損ではないか、だが見ない―。なぜ見ないのか―。見たくないだけに尽きる。かあちゃんはよくテレビを見ている。金魚ちゃんもテレビを見ない。チャンスがあれば水槽をテレビの前に運びテレビを観賞していただき感想を聞きたいものだと作戦を練っている。

では退屈で怠惰な時間をどうやって過ごしているのか?これこそ極意とする「ぼーっ」である。これ以上の表現は思い浮かばない。とにかく「ぼーっ」である。

今晩も「ぼーっ」とウーロンハイを飲み、「ぼーっ」とブログを書く。
そういうことで「ぼーっ」とサヨナラです。
 
   3月4日(水)

CROSSの仕事を早めに終えて映画「アメリカン・スナイパー」を見る。
戦争は国家間の戦い。そこで決着がつけばすべて終わりというわけにはいかない。いろんな形で後遺症となって表れる。虚しいとしかいいようがない。こんなことは何度も議論されてきたのだろうが―。なかなか出口が見い出されない。

少ししんみとなり夕暮れのイオン付近を散策。まったく平和だ。

年寄りになると昔のことを懐かしみ思いだすようになるという。そして粘着的記憶力を発揮するという。最近、山形で過ごした少年時代をよく思い出す。あのころが一番楽しかった時代ではなかったのではと思う今日この頃である。

さて、今日は書くことがもうないようだ。本でも読んで寝よう。
 
   3月3日(火)

かかりつけ医院へ。花粉症の処方箋をもらう。先生も花粉症だという。もう20年来の春のお友だちで目のふちが赤くなっている。話している間も自然と手が目にゆきかいている。診察室の中で一日を過ごしていると思われる人でもなるのかと感心する。同病相哀れむ。

昼過ぎにCROSSへ。相棒も今日は来ている。大きなくしゃみをして「花粉症かなー」といっている。そうだ、昨年まで何ともなかったのに突然に症状が出るのだ。これは年齢とは関係ないようだ。どうもCROSSメンバー6人のうち3人は花粉症のようだ。闘いはまだ始まったばかりー。作戦もくそもない。ただ、この季節を優しく抱きしめて過ごすしかないのだ。

インド頑張る。これは再度、我妻先生の「タゴール」を読まなくてはと本だなから引っ張り出す。付箋をしてあるが、みんな忘れていた。ああ、恐ろしいことだ。
 
  3月2日(月)

CROSSに行く。部屋ではお偉方が会議中。どんなことを話しているのだろうと耳に入る言葉を拾う。どうも内容がわからない。わからない方がいいのだと自分に言い聞かせ、ほどほどに仕事をして帰る。

午後から、かあちゃんと石岡へ。姫のボランティア活動のお手伝い。「喫茶去」まあ、お茶でも一杯いかがですかというわけだ。

いつも思うことだが、来訪するたびに施設の老人たちの顔ぶれが替っていること。担当者を除いてサポートする職員も代わっている。お雛さまが飾られた会場は華やかだ。その中で、お琴の演奏に合わせて全員で合唱。大きな声を出すことは健康にもいいように思う。もちろん古い歌がほとんどだが懐かしくなる。

自宅に戻り、当面の用事は全部済ましたなあーとひと息ついてウーロンハイで乾杯。
今晩はかあちゃんがいることもありつまみが多い。バンザイだ!! 
 
   3月1日(日)

本日の大仕事は電子レンジの文字盤を写真に撮り拡大プリントをしてレンジの前に貼り付けておくこと。

なにしろ、少年時代は川に水汲みに行きその水でコメをとぎ、かまどにマキをくべて火をおこしごはんを炊いていたオジン。電子レンジなどという便利屋の友だちはいなかった。もっとも、その時代、おいらの村にはテレビが一台しかなかったからレンジなどという異国語は、日常会話が山形のずうずう弁の村衆に通じるわけがない。(もっとも、当時はまだ電子レンジは発明されていなかった)

そんなわけで、久しぶりに台所に立ち特製ピラフを作る。これは、春近くなり暖かい陽気に誘われるように体が動くようなったせいかもしれない。
とにかく「作った・食べた・うまい」の三拍子。ざまあみろ。レンジの使用方法も少しは覚えた。
こうなると、「かあちゃん留守でもいい、レンジと冷凍食品とハサミがあれば―」。メシ作りに自信がみなぎる。なんとも情けない世の中になったものだ。左写真は「考えるピーッちゃん」。山王台でもっともオジンになついている猫ちゃん。では、バイバイ!!
 
   
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