怠惰な散歩  2014年

   3月31日(月)

今日で3月は終わり、わが自宅前の青空公園の桜が咲き始める。
照れているのか、まだ満開とはいかない。それでも花芽は処女膜を破るのに忙しそうだ。

CROSSに行く。どういうわけか、いばぶんの収支計算で忙殺される。悲鳴をあげる。
世の中は絶望だけではない。耐える。耐える。
民主主義という不可解なルールにあきれかえる。官が作ったルールはあくまでも自己防衛の類。それを順守しようとおどらされている国民の一人だと知りがっくり。

今月は休みなしのブログを目指していた。どうにか遂行することができた。バンザイだ!!

明日からは4月。別にこれといった期待もないが暖かくなることは確かだ。
それだけでも、なんとなく心がうウキウキする。良き4月であることを願う。
 
  3月30日(日)

小雨の中、石岡の東成井小学校へ。接骨師会の仕事だ。
野球をやっている小学生の肘の検査。会員がボランティアで行っている。話は聞いていたが一度は自分の目で見ておきたかった。同会先生方の熱心な取り組みに敬意をはらう。

仕事を終えて1000円散髪。よく考えてみたらよそ様の財産をハサミでバサバサと切り落として金を取るのだからたいした度胸だと思う。お陰でさっぱりすっきりしたのは事実だがー。

明日はCROSSに行き真面目に仕事をやろう。
決意はどうなるか―。わからない。

ブックオフで5冊の本を購入。わくわくする。

明日はおばばちゃんの誕生日。
いくつになったのかとかあちゃちゃに聞くと96か97歳かはっきりしないという。
面倒だから100歳と公言しようということになる。二人で大笑い。。
 
  3月29日(土)

朝の徘徊。
ヤギ一家コースを自転車で走る。ヤギ屋敷の玄関をあけて「こんにちわ、こんにちわ」と声をかけるが応答なし。田圃の繁忙期が近づきみんなで田んぼにピクニックに行ったのか留守のよう。ヤギ御殿に行きパチリパチリと写真。不法侵入者の意識がはたらきそそくさと立ち去る。

昼の徘徊。
取手の協同病院へ兄のお見舞いにかあちゃんと行く。休みのせいかがらんとした待合い室をうろうろする。一緒に行った姪っ子の双子の子供は我が輩とかあちゃんの顔をみると泣き出す。そのため、遠くから眺めることとなりうろうろしながら成長した子供の顔を覗く。

夜の徘徊。
夕食後テレビを見ながらうたた寝。目をさましたら9時。あくびをしながら阿見町の近隣公園まで散歩。カスミの休憩室でブログを認める。さては、皆さまお休みなさい。 

 
   3月28日(金)

空は青く暖かさもちょうどいいが、頭の中は曇っている。世の中、金がからむと複雑系になるらしい。

さてはさまざまな呪縛から逃れひっそりと生きたいと思うが現実はそういう環境ではない。ぼーっとすることが唯一の楽しみとしている者としては辛い。

せめての慰めといったら巨人が開幕戦で勝利したこと。しかし、こんなことで選手もファンも大喜びしているのはどこか間がぬけて滑稽だ。

そこで考える。人々はいったい何が欲しくて生きているのか?
まさか、巨人の勝利が欲しくて生きている人はいないだろう。
それでは、何か? うむ、わからない
わからないからとりあえず生きてみる。

そういうことで、バカを承知で凝りもせずぼーっは呼吸を休まないのであります。
 
   3月27日(木)

CROSSを早目に終え、納品のため水戸へ行く。メシのためだ。お金を稼ぐことは忍耐、忍従の世界。
帰宅するとかあちゃんが出張介護から帰っている。今晩も泊まりかと思っていただけに意外そうな顔したらかあちゃんも意外そうな顔をしている。

井上光晴の娘、井上荒野の「切羽」を読み終えて本棚へ。昔、井上光晴の本を夢中で読んだことがある。しかし、今はどんな内容だったのか思い出すことさえ困難だ。ただ、そういう時代もあっただけ。記憶力は猛スピードで落下しているようだ。

かあちゃんが今日帰宅すると出かける前に話していたことを思い出すまでしばらくの時間を要した。
そうやって、どんどん忘れていくことが増える。

忘却とは忘れ去ることなり。そのうち今日を生きていることも忘れて生きるようになるのか。
ああ、恐ろしや、恐ろしやだ。
 
   3月26日(水)

電子書籍を買ってもらったのはいいがつなぎ方がわからない。
相棒の意見に従い新しい無線ランと交換したらノートパソコンまでつながくなる。書籍は使い方までわからない。しびれをきらして相棒にSOS。自宅まで来てもらい解決。感謝、感謝。

午後からCROSSに行く。天気がすっきりしないせいか頭の中もすっきりしない。それでも、いばぶんの28日に開かれる理事会の書類作りに励む。バカみたい。こういう仕事はダイキライダ!!。

夕方、小雨ぱらつく。音はないが雨は降る。路上に黒いシミをつくりどんどんどん広がる。これを拡散というのか。世界中で議論している核の拡散防止条約なる意味が少しわかる。

世界は絶望だけではない。
我が家の金魚ちゃんを見ればいい。
狭い金魚鉢の中で5匹も飽食社会を享受している。すっかりのメタボ。
ジョイフルの担当者にこの金魚鉢で何匹がふさわしいのか?
「一匹です」と明るく元気な声でアドバイスをしてくれた担当者の顔を思い出す。

それなのにわが家の金魚ちゃんは購入したままの5匹が生きている。すごいものだ。
 
   3月25日(火)

CROSSに行く。相棒も来る。
すきま風を埋めるような時間でそれなりの仕事をやり終える。

かぜをください
しなやかでやわらかでめめしいかぜではなく
らいおんのおたけびのような
むねをつきやぶるような
せんこうはなびのような
まがいものとわらわれないするどいかぜをください

たちむかえるか
ふきとばされるか

さて、ぼーっには闘う勇気があるか?
 
   3月24日(月)

CROSSへ行く。いばぶんの今瀬理事長が帳簿を見る、直す、細かい。
なんでこんなことで大騒ぎしなくてはならないのか。世の中は不満と疑念だけで存在するのかー。
わからない、わからないということで中途のまま終える。

タナカ印刷よりTELあり。明日「徳一が歩く 第2集」を納品するとのこと。
筑波山神社には午後3時頃納品ということでまとまる。

電子書籍を買ってくれた兄は「顔面神経痛」で入院。10日ほどだというが治癒してくれることを願う。

周囲の人々はみんな高齢者となりいつ何があってもおかしくない。
「シュウカツ」をしなければならない。こういうことはなかなかできないものだ。

金魚ちゃんに聞いたら、「さては、毎日を精いっぱい生きることに尽きるだろう―」
神さまのようなこたえがかえってきました。
 
   3月23日(日)

仕事で水戸へ。「高齢者の元気あっぷ運動教室」の取材。
午後1時から4時まで3時間たっぷりつきあう。
終了して事務員に話す。
「写真を撮っている場合ではない。次回からは参加者のひとりとして扱ってほしい」「そうだね」と若い事務員うれしそうに偕楽園の満開の梅のような笑顔でこたえる。こまったものだ。

兄が電子書籍を買ってくれる。本人が愛用しており大変便利にしているのが理由らしい。
有難く頂く。ところが設定がわからない。こまったものだ。

どちらかというと紙の書籍の方が好きだ。本のデザインも楽しめるしページをめくる紙のてざわりもいい。
しかし、本は増えると邪魔になる。一度読んだ本はなかなか再読はしないのだから処分すればいいのだが、貧乏症のせいか捨てられない。こまったものだ。

 
   3月22日(土)

朝、体力増進のため自転車で阿見町本郷の多目的広場へ。さまざまな器具で体をほぐす。
気分がいいので本郷小学校、ヤギ一家コースを快走。ルンルン気分だ。

昼近く、藤代の兄夫婦の家に行く。母の仏壇に手を合わせるためだ。墓前にとなると山形まで行かなければならない。山の中腹にあるお墓はどうなっているのやら。まだ雪が残り行く手をはばんでいるもしれない。昼メシならぬ兄が作った昼うどんをごちそうになる。兄は料理好きだ。

帰り、牛久自然観察の森を散歩。森林の遊歩道をぶらぶらすると緑がなんとなくうきうきしてしているような気がする。今日は、花粉が多く飛ぶという予報だがそんなことにひるんではならない。

帰宅するといつものようにテレビで野球と大相撲を見ながら読書。
平凡で、ささやかで、謙虚な生活。これが高齢者の素直な人生というものかー。

それでは、皆さま、サラバだ。
 
   3月21日(金)

朝から風が強かった。昨晩予定した阿見の梅林を見ながらの昼食は中止。かあちゃんの作ったおにぎりはテレビで野球観戦しながらとなる。

普段はテレビはあまり見ないがスポーツとなればなんでも見る。音量を消して読書という離れ業もやる。さて、活字を追いかけるが脳髄に刻みこまれているかは怪しい。

あとは無限大のぼーっに徹する。ふと、CROSSの連中はこういう持て余し気味の時間をどう処理しているのかと考える。

バーカ、おまえのように欠伸の連続でアゴがはずれそうだとほざいてはいない。
世界の平和と日本の繁栄。家族の幸せを構築するために努力奮闘。
とにかく、高尚な世界に浸っているのだ。
 
   3月20日(木)

大相撲をテレビで見ながらチカリチカリ、カラカラ、ボリボリと音をたてカキピーナツを食べてはチビリチビリとウーロン割の焼酎を飲む。

毎日がこういう生活。惰性としかいいようがない。
世界にはこういう悠久というかぼんやりの時間が欠落している。残念だ。

やはり、国連でぼんやりの基調講演をしてぼーっの有意義さと高徳さを述べ世界にひろめなけらばと作戦を錬りかあちゃんに話す。かあちゃんあきれかえり、さっさと寝る。

さて、かあちゃんはどんな夢をみているのだろう。プップッのおならの世界かー。それならバンザイだ。
ふと考える。わが家の金魚ちゃんのオナラは聞いたことがない。
隠れオナラをしているのかー。

水戸の帽子女から便りが届く。元気そうだ。かわいい笑くぼはどうしたのだろう。
やはり、それなりのコジワちゃんが忍び足で散歩しているのだろうか−。
ぜひ会って確認をしたいものだ。
 
   3月19日(水)

よれよれおじんにとってのそれなりの人生ということを考える。
熟慮した結果、なにもないことを知る。辛いがも空っぽだが事実は消えない。
生きた根拠を残さない死に方を考える。
話題が暗いので電気スタンドを点けブログの文字を考える。

金魚ちゃんオシリから黒いウンコをなびかせ泳いでいる。
ある自然科学者に動物はどれだけウンコするのかという愚門したことがある。食っただけウンコにがでるという明解なこたえ。吾輩はウンコの重さに等しい思考能力が欠けているのかー。

水戸の県立図書館で開かれた民俗学会主催の講演会とビデオ上映。つつがなく終わる。

偕楽園の梅林を横目に帰宅。
そういえば、水戸在住の帽子のふっくらとした頬の梅娘(?}を思いだす
それなりに元気であればいい!!。
 
  3月18日(火)

 CROSSでCROSSのhpの更新。誰でも簡単にできる仕事だが、これで給金をもらっているのだから感謝だ。

相棒と石岡天王台のもと姫へ行く。屏風を一幅持参。もと姫の居間に似合いそうだ。
相沢和風揮毫の筆運びはどこかツララの尖ったような厳しさと優しさがある。季節は冬にしたためだろうかと勝手に考える。なんて読むのかわからないがなんとなく意味がわかる。

ながみで腰の温泉治療。これは金150円なり。
たっぷり2時間過ごす。こういう施設には必ずといっていいほど常連がいる。
そして顔なじみになり、お互いの健康を気遣っているようだが本心はわからないものだ。

今日は暖かく風が強い一日だった。
 
   3月17日(月)

それとなくCROSSに出勤。相棒もふらりと登場する。
早目に切り上げてかかりつけ医院へ。
待つこと2時間。ひたすら読書。診察は3分。

待たされる身が辛いか、待たせる身が辛いか。「走れメロス」の心境。
この場合、医師は誰がどんな顔をして待ち合い室で順番待ちしているのか知らないだろう。
待たす側としてはイヤなら帰ってもいいし来なくてもいいという心境か―。
持病を抱えた者は弱い立場にある。無念だ。

今月は休みなしのブログを目指す。さてどうなるのやら。
 
   3月16日(日)

荒川沖東3丁目の歩く会と老人と子供の交流会と防災訓練の異種格闘技ならぬイベントに参加。
総勢60人ほどが参加。災害に備えての互助精神を見直そうという心構えはいいことだ。
ああでもないこうでもないとペラペラ冗談を交わしながら老人たちは体を動かしていました。

午後からは、かあちゃんと金魚鉢の清掃。
これは、隣の家から井戸水をもらいながらだ。いつも親切にしてもらう。感謝だ。

それから野球と大相撲のテレビ観戦。
新しいテーマの写真と文章もまとまってきた。さて、いつ公開できるやら。
あとはやる気だが、これが問題だ。
 
   3月15日(土)

今日はどういうわけか常陸太田市の図書館に行く。
いばぶんの今瀬理事長の講演会がありその送迎運転手の役割を担った。最初は行くつもりがなかったが言葉のアヤからそうなってしまった。

図書館の新聞コーナーに「常陽新聞は8月31日で廃刊になりました」という貼り紙。
ううーんとうなる。うなっても事実だからしょうがないが昨年のできごとだというのにー。

民話の会のお話しは面白かった。地元の人の郷土愛から生まれた企画。
流れ者の吾輩には茨城に郷土愛というものがどうしても喚起されない。やはりこういうものは土着の民が掘り起こしていくものべきだと真面目に考える。

どちらかというと故郷喪失者。喪失者としての自覚を持ち生きなければならない。
 
  3月14日(金) 

CROSSでそれなりの仕事をしていると相棒がブラリと現れる。休みの予定だがと聞く間もなくオフクロのお返しだと手作りの梅干しをデスクへどんと置く。

CROSSの仕事を終えて自宅へ帰るとプレスリー歌声がガンガンと部屋をふるわせている。かあちゃん嫌いなお掃除となると気合をこめるために伴奏にしているのだ。古いレコード盤だからチリチリのおまけ付きだが気にしていない。

さて、夜はかあちゃんと梅干しの試食会。
にわか批評家はあれやこれやと梅干しのうんちくをならべる。
結論は家庭の手作りとしてはおいしい。なにしろ梅干し婆と爺が食べているのだからあたりまえのことだ。

そんなわけで、梅干しの頂き物で家庭の会話がはずむことを実感する。
そういえば「包みもの文化」というものが日本にあるということを思いだす。これは丸谷才一の本でよんだような記憶があるが定かには憶えていない。
「小さな包みもの」でも世間を騒がすようなものでなければハッピーなのだ。
では、みなさまおやすみなさい。
 
  3月13日(木)

 CROSSに行く。今日はどういうわけか相棒も登場する。彼の父の作品集を見せてもらう。書が読めない。それはわからないということだ。

わからないことはいいことだ。
どういうわけか空もぼんやりとして不安げな表情をしている。
どんな色を地上に見せていいものやらと混迷している。

CROSSを終えて帰宅。大相撲をテレビで見る。期待の希勢の里は遠藤に敗れる。
希勢の里は不安と恍惚の中で相撲生活を終えるのではないかと思う。
どうしても破れない大きな壁。ベルリンの壁も取り払われたというのにだ。
ヒトの精神は精緻すぎるほどカベが高くなるのだ。

ゴキちゃん姿を現す。相変わらず黒い。教会の牧師色だ。十字はきらない。ただ、部屋の片隅を世話しげに走る。無念だ。もっと堂々と生きてほしい。もしかしたら、かあちゃんのスリッパ攻撃の恐怖遺伝を受け継いだゴキちゃんかもしれない。「負けるなよ!!」とエールを送る。
 
  3月12日(水)

12日のことを13日に書く。ところが昨日のことがなかなか思い出せない。CROSSでやたらと雑用におわれてバタバタしていたような気がする。

そういえば、朝の散歩から帰ると大家さんのクルマがある。かあちゃんに聞くと「ヘルニアのおじさんどうした。おらぁー今日は東京だ」と言い残して出かけたという。新聞を読んでいると大家さん再登場。「切符を買おうとしたら財布がない。忘れてきたから1万円貸してくれ」。今日は1万円という大金があったからよいものの冷や冷やものだ。

その大家さん、東京から帰った夕方にも我が家で顔を合わせる。居間で談笑すること2時間。ぼおーっおじん、ひたすら焼酎のウーロン割りを飲み耳をかたむけうなずくだけ。大家さんはひたすら番茶をすする。
おかげさまで、少し飲み過ぎたようだ。飲み過ぎを相手のせいにするのはよくないことだと言い聞かせるが、やはりそう思うのだ。
 
   3月11日(火)

水ぬるむ、光ぬるむ、風ぬるむ。鏡をみると鼻毛もぬるぬると伸びて鼻孔からの脱出をはかっている。鼻毛は悲しみの色をしている。白く細くこの先への未来を語る力がない。ああ、かわいそうだ。

3年目の3・11。言葉はない。昭和時代にあった3・10東京大空襲の人為的な死者とが交錯する。

とにかく眠い。眠くなったら布団に入る。
ひたすらの大宇宙を思い描きながらまったく別世界に身を委ねる。
これが楽しい。

腰の具合もだいぶよくなった。日差しも温かくなったような気がする。
温かくなればルンルン気分でぼんやりとできる日が近い。バンザイだ!!
 
  3月10日(月) 

CROSSへ。水戸へ。ぼおーっへ。
これは暗号に近い。
読解できるヒトがいるとしたらこのくだらないブログに安心と疑心を目にヤニをつけ寝ぼけまなこで見ている方々と思う。
ありがとうございます。感謝なり。

ところで話は転じる。
昨日、町内会役員を務めている元県警白バイ隊員に問う。
彼はいつも腰をかがめている。長年の職業病だそうだ。
「腰の具合はどうですか?」
「世田谷野菜のグレサミンを飲んでいる。そのせいか、腰の痛みも膝の痛みも消えた」
ところが、よれよれおじんはテレビ宣伝で猛威をふるっているサプリメントはどれも信用していない。
悩む。悩みの重さは筑波山頂より高くもなく低くもない。

答えは明瞭だ。購入料金と効きめだ。
悩めるよれよれおじんは考察をやめて眠ることにする。バイバイだ。
 
   3月9日(日)

尾先稲荷神社祭礼に参加。昨日の体を痛めてみようという試みは痛みの反動となる。背中から腰にかけ天下国家を揺るがすようなシコリが残る。くしゃみひとつするにも戦々恐々だ。

ながみねに行き温泉、電動、電子マッサージをやる。びっくりするほど回復する。

自宅に戻り野球と大相撲をテレビ観戦。こいつらの体はどうなっているのだろうとため息をつきながら見る。

ぼんやりとしていても日々は過ぎるのだ。
青空をみたいと思うがなかなか空は晴れてくれない。ここ数日は薄墨がかかったような脳味噌。
この味噌は煮ても焼いても 食えないから始末におえない。

天気が晴れれば少しは気分が晴れると思うのだが自然は非情だ。
 
   3月8日(土)

ぎっくり腰になって1週間。痛みはやわらいだが違和感が残る。午前中タカギ接骨院へ。その後、明日開かれる尾先神社の初午祭準備の手伝いに行く。すでに作業は始まっておりそそくさと旗作りなどをやる。1時間もしないうちに終わる。帰り、ごほうびに弁当が支給される。なんだか弁当をもらいに行ったようだ。

少しは体を痛めた方がいいのではと考え、午後、自転車でサイクリング。
阿見町の公園で体をほぐす。
お天気がいいせいか、多くの子どもたちとパパママが遊んでいる。

この公園界隈の新興住宅地の開発が進み洒落た一軒家が次々建つ。日本も豊かになったのだと実感するが、さてこれから4、50年後はわが家周辺と様相を同じくしているのではないかといらぬ心配をする。

可もなく不可もなく今日も終わる。やたらと眠いので早目に寝る。もっともいつものことだがー。
 
   3月7日(金)

今日は金曜日。
金曜日は寒い曜日なのか寒いから金曜日なのかわからない。
明日は土曜日でCROSSは休み。なんとなく気分が明るくなる。理由は終日、ぼおーっと過ごせること。こうなると、ぼおーっの達人だ。

石岡の山王台に敷地3000坪に居をかまえ永遠の姫を自称する邸宅へ。
4月の茶会の打ち合わせ。それなりに終了。ブログ用の写真をパチリパチリ。

夕方になっても寒さは変わらず。どうしてこんなに寒いのか。寒さも凍え言葉を失ったのかこたえようとしない。それでいいのだ。
チンポ、いや沈黙は世界を救うのだ。よく意味がわからないが、そういうことで日々は過ぎるのだ。
 
  3月6日(木)

 寒い一日だった。寒さはぎっくり腰には天敵だ。かあちゃんからスリッパ攻撃に遭うゴキブリのようなものだ。そういえばひさしくぼおーっ宅でゴキブリちゃんを見なくなった。台所の片隅で寒さにおののき家族で肩を寄せ合い春を待っているのか。

ゴキブリだって生をつなぎとめるエネルギー補給が必要だ。姿を見せないということはぼおーっ宅には活力となる源が存在しない。
そこで、さまよえるゴキブリちゃんはタンス貯金が豊富で食べきれないほど食物を買い求めかたっぱしからどんどん捨ててくれる老婆ひとり老爺のひとりという近所の家へ駆け込んでいるのかー。

もみ手一本の哀願。アクビと怠惰と謙遜と厚顔を旗印に生きているのか。偉いものだ。

補給基地にもならないと見放されたぼおーっは首をすくめて暖かい日を待ちこがれている。まったく偉くない。
 
 3月5日(水)

考察の一日。
ながみね体験から。
更衣室でパンツを右足から脱ぐのか左足から脱ぐのかを観察する。ほとんどが両手をパンツの両はしをつまみ、そのまま下に引きずりおろす。問題は抜き手だ。5人しか報告できないが右足が全部だった。この方々は思想は右翼かー。わからない。

「うつむく青年」は谷川俊太郎、「遅れた青年」は大江健三郎、「うつむくチンポコ」はぼおっー。不可解な問いを組み合わせひも解き結末を導きだせれば世界平和になるのかー。ウウーン、わからない。

平和に祭典が終わった隣国では線香花の発火時間が迫っているようだ。
どうせ、みんなが最後は死ぬというのにそんなに急いで死に場所をつくるのかー。
わからない。どうぞ、ご勝手にだ!!。
 
  3月4日(火)

相棒にCROSSを休むことを伝える。
タカギ接骨院の後、ながみねへ行く。温泉治療だ。泡がぶかぶかと吹き出る湯ぶねで腰を温める。これが気持ちがいい。

風呂からあがり大座敷で横になる。今日はギャーギャーとうるさい婆どもが三組もいる。
それにテレビのボリュームがやたらと高い。耳が遠くなったお年寄りばかりだから仕方がない。

騒音の中で横になり目を閉じているとテレビから坊主のお経が聞こえる。一瞬、場は静まる。
どんな番組なのかはわからない。
みんな、あちらさまへの世界を思い浮かべ明日は我が身と思ったのだろうかー。

明日はCROSSに行き、それなりの仕事ができそうなくらいに腰の痛みは回復している。
 
  3月3日(月)

腰の痛みはだいぶ和らいだ。それでも少し無理な姿勢をとると痛みがでる。用心に越したことはない。

CROSSへ行く。少しばかりの用事を済ましてクルマに乗り帰ろうとすると相棒と会う。クルマの窓越しに仕事を頼み「腰が痛いから帰る」と伝言。相棒には世話になりっぱなしだ。感謝、感謝!!

タカギ接骨院へ。混雑している。今日は静かにしていた方がいいと言われるが、午後はボランティアでどうしても石岡へ行かなければならない。それなら、「腰バンドをしっかりして」とアドバイスを受ける。ゴムの腰バンドをしっかりと巻き付けると窮屈でクルマの乗り降りに苦労する。長い時間同じ姿勢でいるのでクルマから降り「コシちゃんがんばってね、コシちゃんがんばってね」といたわりながら背筋を伸ばさなければならない。

ケアハウスの茶会でそれなりの写真を撮る。どういうわけか腰の痛みは忘れている。それでも油断は禁物だ。きっと、今日の無理が明日に跳ね返ってくることも予想できる。クワバラクワバラだ。
 
  3月2日(月)

今日はながみね三昧とテレビ三昧で終わる。まあ、こういう休日があってもいいのだろう。こんなふうに書くといつもは何かに没頭し切磋琢磨しているのでは思われるだろう。
しかし、ぼおーっの生活の中にぎっくり腰が入り込み動けない。琵琶湖マラソンとプロ野球のオープン戦のテレビ中継もある。そこで、一番体に楽な時間の過ごし方ということになったのだ。

ながみねでは風呂に入り腰を癒す。そして電子マッサージの椅子に座りひたすらの読書。午前中のせいかとても静かでなかなかよろしい。

午後はうつらうつらしながらのテレビ観戦。はたとカレンダーを見ると今日は町内会の歩け歩け大会。すっかり忘れていた。すでに遅し。ましてや体が動いてくれない。「まぁ、いいかー」。あとで、会長に謝っておこう。それで、この件は終わりだ。
 
  3月1日(土)

朝、また腰がピクリとなる。これはいかん、そそくさとタカギ接骨院。昨晩の徘徊が原因なのだろうかー。

ただぼおーっと歩くだけでは駄目だ。筋力をつける運動をしなければというご忠告。小さい時からスポーツを得意としていなかった。嫌いではなかったがどんな運動競技でもランクは格下だった。そのせいか、運動嫌いを自負するようになった。「朝の準備運動を30分やりそれから散歩へ」といわれた時はキンタマが震えあがるほど驚き絶句。

幸い、今日も明日も休みだ。静かに過ごすことに徹する。お天気が悪いのも一因だとと曇った空を見上げツバを吐きたくなるが、自分の体にツバが戻ることが確実なのでやめる。

とにかく、静かに静かにだ。だからといって心臓をとめるわけにはいかない。
それなりに対応しようと反省。とりあえず寝ます。バイバイ!!。

 
   
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