怠惰な散歩  2015年2

   2月28日(土)

今日はぽかぽか陽気。いつも首に巻いているくたびれたマフラーも不要だった。
ところが、どうも気分がすっきりしない。伸びすぎた頭髪のせいだ。耳たぶの奥から聞こえる「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい」。チョキンチョキン屋さんが呼んでいる。そこで1000円散髪へ。短くと注文したら頭のてっぺんに宇宙船が着陸して飛び立ったような円形のハゲが目の前の鏡に出没。鏡よ鏡よ嘘だといって―。ああ、無常なり。

土浦港周辺を歩く。水ぬるむ季節となった。太公望が釣り糸をさげ真剣な顔をして水面を見つめている。たおやかなその姿をよれよれおじんも一緒にぼーっと30分近く見ている。たが魚は一匹もかからい。なんとなくバカバカしくなったのでその場を無言で立ち去る。

人生、自分の思う通りに釣り針にひっかかるものではない。魚も釣り人もそれを心得ている。どちらもエライものだと思う。
 
   2月27日(金)

CROSSの昼休み、カメラをクビからぶら下げ散歩。まさかカメラをぶら下げたストラップでクビをくくるほどの度胸もないがどんどん人家から遠い方へと足が進む。CROSS近辺にはまだ里山が多い。オジンは芽吹きだした林を目指す。春の息吹とキッスするのだ。タバコ臭くてたるんだ頬のオジンでは春は迷惑かも知れない。それでも歩いたのだ。

一時間ほど歩いて事務所に戻ると大きなくしゃみ三連発。どうやら、お土産に花粉症というカルテをかかりつけ医院から頂いたようだ。感謝していいものか―。

夕方、いろいろな打ち合わせのため山王台の姫といつものココスで会う。お互いのクルマが同時に駐車場に到着。こんなことは滅多にない。宝くじが当たるより奇蹟に近い。

姫はいろいろな過労が重なったのか肩が痛いという。加齢とともに体の補修個所が増える。そうなれば、それなりの休息が必要だ。がんばり屋の姫なだけに心配だ。快癒という奇蹟がおこることを祈念する。

姫、ぼーっほど大切なものはありませんぞ―。
 
   2月26日(木)

CROSSの発送も終えた。接骨師会にも入稿した。M先生から案内はがき校了という連絡を受けた。ニランジョンが3月末に来日するからよろしくという連絡もあった。山王台から3月2日のお茶会の出席確認の電話もあった。

「海賊とよばれた男(下)」も読了(大騒ぎするような本ではないような気がする)。その間、「遍路みち」、「神なき死ーミッテラン、最後の日々ー」、「イスラーム生と死の聖戦」、「知の逆転」など読みちらした。お天気も悪く、本日明朗とはいかない日々が続いた。

そんなこんなで金魚ちゃんにエサをやっていると、生命保険会社から契約内容の確認ということで訪問あり。かあちゃんと話しを聞き、それが済むとかあちゃんは出張介護でバイバイ、というわけで、ここ数日はなんとなく慌ただしく過ぎた。さらに加えるなら役に立たないブログも書かなければならない。ぼーっも重要な仕事だ。

そういうことで、今日は終わりです。
 
   2月24日(火)

音もなく今日が終わる。さて、どこで、何をやっていたのだろうか?.。気がついたら夕方。そして、自分の部屋でウーロンハイを飲み、ぼんやりとFMから流れる「神田川」を聴いている。

西武新宿線中井駅の近くの六畳一間のアパートに住んでいたことがある。駅からアパートまでの往復はいつも神田川沿いを歩いていた。
神田川はの水量がいつも少なくむきだしの醜い灰色のコンクリー水路をさらけだしていた。だが、大雨になると水かさは一気に増し濁流となって高田馬場方面に流れるというより走るのだ。さて、この水は最終的にどこに行きたいのだろうか?。まさか、母を尋ねて三千里でもないだろうに―。と思いながらぼーっと見ていたことがある。そんな、今日の一日だった。
時間は止まらない。これだけは間違いない。

そして、このくだらないブログに時間を割いている人がいるとすれば、それこそ、嫌味ではなく音もなく今日を終えた人のように思える。それなら、大いなる感謝をしなければ―。
みなさま、有り難うございます。今夜は爆睡してください。
 
   2月23日(月)

跋扈(ばっこ)という言葉を初めて知った。「事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である」という教訓を、第2代住友グループ代表は残したという。

日本語を深く理解していないことはこれまで何度も痛感した。その都度、日本語を正しく学ぼう、勉強しなければと思っていたが果たせずに今日に至る。

ピケティ氏は格差が広がる世界を警鐘。だが、と問いかける。「成長のため、一定の格差は必要。是正する必要があるのは、貧しい生まれだと能力を生かす機会まで奪われてしまうような極端な格差」。これには同感。

夕方、久しぶり帰ってきたかあちゃんと夕はんを共にする。晩ご飯のおかずは再会を祝いすき焼き。おいらの家でもすき焼きは食べれるのだぞー。バンザイだ。 
 

月22日(日)

朝早くからパソコンに向かう。仕事だ。これは大切な収入源となっているのだ。疲れる。肩がパリパリコキコキと悲鳴をあげている。ああ、この刺激を求めて仕事をやっているのかと思うと情けなる。

今日は日曜日。カレンダーの数字は赤く染まっているというのに燃えるような太陽は顔を見せない。あきらかに仕事をさぼっている。もっとも、何億年も働きっぱなっしだから、たまには休息は許されると思うが、おいらの休日にはできるだけ任務を遂行してほしい。

さて、ここで酒のつまみについて考える。山王台の姫から柿の種を頂いたのは昨日。そうかといって連日となれば飽きる。そのあたり、わが家の金魚ちゃんは365日同じメニューでも文句ひとつない。これは、ぼーっノー天気をはるかに超えた覚悟がある。ああ、これほどまでになれないおいらという存在の意味を考える。

久しぶりに現れた「海賊とよばれた男」ならぬゴキちゃんに訊く。「おまえは何が欲しいのだー」。小さな声で訴える。柿ピーだけがおつまみではないと思うのです。スーパーの食糧棚には魚から肉やホット野菜までたくさん陳列されていることお伝えしたいのです。バーカ!!

 
   2月22日(日)

朝をぼんやりと歩く。ほどよい座り心地のよい場所を見つけ、ぼーっと畑を眺める。白い大根はこんなところでとんでもない浮気をしましたというような顔をして土塊から天空を仰いでいる。細いのやら太いのやらニョキニョキと逞しさを競っている。かあちゃんはどれか?桜町はどれか?山王台はどれか?と品定。うーん、なかなか判断は難しい。無期限延長だ。

電車に乗りたかった、そして乗った。目的地は山王台の姫宅。着いたら炬燵に入ってのんびりとパソコンや本でも読もうと思っていたが大はずれ。姫宅を見学できるのはこんな機会ではないという「石岡まちかどギャラリー」の宣伝もあり見学者が絶えない。石段を上り下りしながら案内。もくろみは無惨にも打ちくだられる。

結局、お土産に柿ピーふた袋もらい帰る。人生、いつもどこかに幸ありと希望を持つべきかー
 
   2月18日(水)

CROSSに行く。仕事部屋には窓から射す光もなく何となく暗い。相棒も休み。こうなると大きな棺桶にぶちこまれているような閉塞感に陥る。そこで、そそくさと退散。

家に帰り、図書館から借りてきた「海賊と呼ばれた男」を読んでいると「ピンポパン、ルスデスカ、ピンポンデスヨ」と呼び鈴がなりドアを開ける。
建築家で画家のF氏が東京に行ったからと高級菓子を手土産にくれる。「巴裡 小川軒の元祖レイズン・ウィッチ」。

かあちゃんの話ではおいしくて大変高価だという。ところがかあちゃんは留守。残念なり。帰宅したら無我夢中で食べるのでは―。おいらは残念ながらは一度も食べたことがない。甘党ではないのだ。辛党をモットーとしており、山王台の姫から頂いた「梅しそ柿の種」で充分。いかに安い人間か、わかるかなぁ―。

晩飯は新橋発「巴裡 小川軒溌ならぬ、札幌発インスタントラーメン。具材だけは豊富にしようとタマゴ、レタス、3本100円のソーセージ、えい面倒だと酒のつまみの燻製シシャモも加える。そういえば、今読んでいる本は「海賊と呼ばれた男」。これこそ時宜を得た「海賊料理」ではないのか―、と自画自賛。もちろん味は秘密だよ。
 
 2月17日(火)

朝起きると窓から見える空は駄々っ子のように曇っている。空には表情がありすぎてヒトは解釈に困惑する。そういう意味で考えるなら空はハタ迷惑な精神の持ち主だ。

この季節、空が泣き顔になることは冷たい風を愛人としている証しだ。それもやたらと強く吹く。冷たい風は疲れを知らぬ子どものように暴れまわる。これは年寄りには辛い。それでも生きるのだ。

「ダンテの遺書」谷川悠里著(朝日出版)読了。面白かった。初めて読む作者は1981年生まれ。若い人は世界の国境を越え何事にも興味を示し果敢に挑戦している。ガンバレよ!!。

ところで、くたびれオジンはどうしているのかといえば、次に読む本を探している。表題は『みんなでバカになろう!!』。地球儀という本棚を回し探す。どうやら、中東の方面にあるらしい。遠すぎて借りに行けそうもない。
 
  2月16日(月)

今日もつつがなく終わる。朝が来て昼になり夜となる。地球はこんな単純な行為を数億年も繰り返してきたのだ。よく考えてみれば飽きもせずはサルでもできる単純明快なことを休みなく続け、さらに続けようとしているわけだ。これなら、わが家のゴキちゃんや金魚ちゃんでもできる。しかし、大いなる違いがある。生命体の時間軸と重量にはとうてい地球さま宇宙さまにはかなわない。どうも怪しげな文章だ。書いている本人でさえ意味不明。それでも書く、書き続けるのだ。

S氏と財団会計説明会を聞きに水戸に行く。まわりには2人も知っている人がいる。これは驚きだ。そして白髪の参加者が多いのに気付く。定年退職後、最後の仕事のよりどころとして○○財団の椅子に座りグッドバイを考えているのではと勘繰ってしまう。

今晩からかあちゃんは実家に里帰り、といってもひと駅の距離だが―。クラシックCDを聴きながら書く。タイトルも作曲者もわからないがいい音楽だ。窓から見える空は宵闇の世界に向かうようだ。静かなひと時を心ゆくまで過ごし、見果てぬ夢の数々に酔う。なんとなくセンチメンタルになる。

お友だちのゴキちゃんでも姿を見せてくれればいいのにと思うのだが現れない。スリッパ攻撃に遭う心配もないのに残念だ。安全シグナルを送る方法がわからない。わからなかいから人生は楽しいのかー。みなさま、バイバイだ。
 
   2月15日(日)

昨日は山王台の姫宅のひな祭りのお手伝いをしました。
約束のカツ弁当も頂きました。ボリュームたっぷりでお腹がパンクしそうになりました。女性はお人形を見ていると楽しくなると喜色満面でく話していました。
庭園から見上げる青空の中では、ぽっかり浮かんだ白い雲がどんどん風に流されていました。平穏で静かな休日を堪能しました。

今日はお仕事でつくば国際会議場へ。それなりの仕事をしてきました。帰ってからは読書とカキピーをつまみながらウーロンハイを飲みました。そして、ぽっかりぽっかり居眠りをしました。

2日間のお休みタイムはあっというまに終わりました。おわりです。
 
  2月13日(金)

朝から体がだるい。それでもCROSSに行き仕事を真面目にやる。もっとも内容は「いばぶん」の仕事だがー。そこは目をつむってもらおう。相棒から今日は13日の金曜日で不吉な予感がするから休むというメールが入っている。はじめて今日の曜日と日にちを知るが、おいらはまったく気にしない。ヒトそれぞれだ。

さて、世界を考える。どうも地球儀丸ごとキナ臭くなっている。40億年後には太陽がお隠れになって地球は宇宙難民となるというのに、どうしても早く滅亡したいようだ。うーむこまった。40億年後というが時間は絶対に止まらないのだぞー。わかるかなぁー。

山王台の姫から頂いた「柿の種」がなくなった。あたりまえだ、しっかりと食べたのだからー。そんなことを考え眠気まなこでぼーっとしていたら夕方、姫から明日の昼食はカツ丼(?)をごちそうしてくれるという電話が入る。それならばと、朝食はぬくことを決意。おいしいカツ丼をハラいっぱい食べるのだぞぉー。眠気がさめ勇気がわく。
 

 
2月12日(木)

今日は暖かい一日だった。いつもクビに巻いているマフラーは不用品となりクルマの中に放り投げられたまま。ああ、勝手なものだとノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフディちゃんならぬわが家のマフラちゃんは嘆いている。そうだ、モノゴトを進めるのはあくまでも自分勝手。マフラちゃん、罪深きぼーっを見捨てないでください。そして、また寒くなったら、かあちゃんより暖かい愛の温もりをお願いします。
メシの種を求めて水戸へ。それなりの意見がまとまり次号のページ割りが決まる。これは有り難い仕事として感謝の念を全員に伝える。フムフムとうなずいている。どうか、哀れなおじんとおばんを見捨てないでください。

今日は3日分のブログをまとめた更新。これはどういう意味を持つのか、うーん、わからない。 
 
 

http://ibabun.com/
 2月11日(水)

朝、布団から起きだしても体が思うように動かない。脳みそはマッサラ。土浦市民会館へTIST児童学科発表会に行こうと思っていたが中止とする。

ただ、ぼんやりと本を読む。「サリンジャー」、600ページ余に緞帳をおろす。やはり、ヨーロッパ戦線での体験が己の精神に歪みが生じたのではないのかと思う―。そのことによった傑作を生んだのかもしれない。もしかしたら、大岡昇平のように人肉を食った経験があるのでは―、と勘ぐってしまった。バカみたい。

いつの時代も、戦争の現場に狩り出され精神も肉体もグタグタにされるのは若者だ。奇跡的に生き残って帰還したとしても、その後、どうやって生きろというのだろう!!
少しはまともなことを書いたつもりだが、やはり甘い。まったく役立たない。まぁ、いいか。
 
   2月10日(火)

宵闇迫れば酒が恋しくなる。完璧なアルコール&ニコチン依存症、もしくは中毒症。これにパソコン猛毒症が加われば3拍子そろった超現代病患者。この重症患者には治療の施しようがない。グッドバイしてもらうことが最善の社会貢献か―。

ところが、そういう概念が薄い生き方をモットーとしているヒトほど長生きするものだ。そこにはカネの価値などドロドロうごめいている人間社会の常識が欠落している、というわけで、新潟特産大粒柿の種をつまみにウーロンハイで金魚ちゃんと杯を酌み交わす。金魚ちゃん、毎日が液体の中で暮らしているせいかまったく興味を示さない。ああ、これもさまざまな人生ありかと祝杯はあきらめる。

夕飯は自力勝負。さてはと思案。そして結論は今朝食べたみそ汁に冷や飯を入れて雑炊にして胃袋に流し込み満たす。あとはお休みタイムしかない。サリンジャーの「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」ではないが、これから枕を高くして夢の世界に入るのだ。バイバイ!!。
 
   2月9日(月)

厳寒の風を食う。アイスキャンデーより冷たく、冷や奴のようななめらかな舌触りもない。ただ、限りなくノドチンコまで冷たい風が突進してくる。とにかく寒い一日であった。

CROSS全体が寒く感じる。考えてみれば還暦を過ぎたうさんくさいオジンが4人がいるだけ。本日休みの相棒を加えると5人となる。ひたすらパソコンに向かい黙しキーボードをたたいている。ここに未来はあるのかー。はなはだ疑問だ。

帰り、オートバックスに立ち寄る。昨日からETCがうまく作動しないのだ。電話でトラブルを聞かれETCという言葉がなかなか出てこない。CTC、TCT、NECと続いてようやくETCが出てきた。こまったものだ。冷たい北風も助けてくれず無念なり。
 
 2月8日(日)

外は雨。M先生の絵描展の手伝いで千葉県へ。雨は利根川を越えても降っている。雨には県境もないようだ。M先生とはインドのコルカタで絵画展を開いた時に世話になった。雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズうまくいけばいいと念じる。

偶然にも姪っ子の双子ちゃんとM先生の孫は生年月日が同じ。自宅も近いので紹介する。仲良く遊んでいるらしい。広い家なのでどこで遊んでいるのか姿は見えない。

夜は「柿の種」をポリポリとやりながらウーロンハイを飲む。この「柿の種」は大粒で堅いからしばらくは格闘が続きそうだ。最近は流動食に近い食べ物に移行しつつある。体のあちこちが疲労困憊しているようだ。

腰の痛いヒト、肘の痛いヒト、クビの痛いヒトは金がなくてクビが回らず痛いのか―。
うーむ、考えるがわからない。わからないことだらけだからヒトは生きる価値があるのか―。ここでまた、わからなくなる。
 
  2月7日(土)

 山王台の姫と水戸へ。民俗学会が主催する「父は家元」の映画を見るためだ。ご老侯の茶の話しも聞く。予想したより参加者が多く70名ほど。「茶」の催事とあって着物姿の女性もチラホラいる。なんとなく華やいだ気分になる。終わって外にでると猛烈な寒さ。水戸は県南より2〜3度低いようだ。

家に帰り、姫からプレゼントされた「柿の種」をすきっ歯でポロポロかじりながらウーロンハイを飲む。この「柿の種」は純粋なものでピーナツが入っていない。「カキピーッ」ならぬ「カキー」。そして大粒だ。噛みごたえがある。しみじみ噛んで人生を考えなさいということかー。「ハイ、ワカリマシタ」。

そんなこんなで平穏で楽しい一日が終わる。忘れてはならないことがもうひとつある。「名古屋」という蕎麦屋さんて昼食をごちそうになった。ごちそうさまです。日々、感謝を忘れてはいけませんぞ。
 
   2月6日(金)

戦後の食糧不足の混乱期。作家武田泰淳の娘、武田花の話。泰淳がお寺の本堂でお経をあげているとハラを空かした花は自分のウンチを食べている。娘にハラを満たす食べものもなく無念なる思いでひたすら般若心経を唱える。無心に自分のウンチと戯れる花の様子を見ながら、こういうことで日本人は黄色人種とよばれるようになったのでは、とユーモアたっぷりに書かれたエッセーを読んだことがある。

おいらはカレーを食べ過ぎて黄色から濃黄色という人種に属されるようになるのでは―。

石油ストーブの赤々とした炎を見ながらこのエネルギーを利用しなければ損。一徹入魂カレー作る。ところが、かあちゃん出張介護で留守。それなのにあまりにも量が多すぎた。食べきれず捨てるのはもったいない。ごはんに盛ったり、酒のつまみにしたり、あげくの果てはぶっかけカレースパゲティ。昨晩から連続カレー攻撃。カレーはもう見たくないよ!。
 
   2月5日(木)

期待した雪は降らない。どこかで道くさをしているのか―。それとも大切なラブレターを玄関の下駄箱の上に忘れ慌てて取りに戻ったのか―。とにかく雪は降らない。

なんだか朝の天気予報にはペテンにかかったような気がする。あくまでも予報である。この言葉の使い方が微妙だ。だれにも責任はない。どこまでも素豆腐を食べるようなあやふやな表現。これでもよしとするかー。

CROSSの帰り三中公民館に本を返しに行く。図書館ではデスクで勉強している学生らしき男とおいらと同年輩らしいくたびれた男が新聞を読んでいる。もちろん、昔はさぞ美人だったろうと想像する窓口の女性もひとりいる。これは素晴らしいことだ。

とにかく、雪は降らないのだ。
それでは皆さま、明日も必ずお元気で!!。バイバイ。
 
   2月4日(水)

「CROSST&T」の編集会議に出席。編集委員10名。オブザーバー、事務局を含め15名と大所帯。こういう会議は短い方がいいといつも念じている。しかし、そうはならないのだ。それでも、無事に終了。「CROSST&T」の内容は充実してきたような気がする。編集委員バンザイだ。

こういう会議でペラペラ喋るのは得意ではない。15歳まで山形の片田舎でクワを持ち土を耕しながらうつむいてモノを考えるように育ってきたせいかもしれない。それだけではないだろうが、聞き役にまわるのが好きな性格のようだ。ただ、黙し、聞き入り密かに熟考し脳ミソの空白地帯を埋めようと頑張る。しかし、結果はやはり空白ページのままというからエライものだ。

明日は雪が降るという。白い世界を見るのも楽しいと思うが、いろいろと不都合も起きるだろう。それでも見たいと思う。勝手なものだ!!。
 
   2月3日(火)

水戸のご老侯と福島県いわき市に行く。相棒はいろいろと忙しくて参加せず。
空は晴れている。クルマをひたすら走らせる。常磐道沿いに流れる景色はすかりと枯山水。それでも春を探し求めているのか微かに梢に芽吹いている。

運転しながらだからしみじみとは見ていられない。それでも山々は確実に春の匂いを感じ取っているようだ。

さて、「徳一が歩く」の取材も最終章に入った。よく走りまわったものだ。これからはひたすら歩くことに励もう。その方が、しっかりと世の中を見ることができるようだ。
 
   2月2日(月)

CROSSに行く。特別なことはない。日々、これが普通なのかもしれない。毎日の生活が目まぐるしく変化していたら身がもたないというものだろう。

CROSSの帰り、かかりつけ医院へ。昨年の不始末がまだ終わっていない。1枚の診断書と関係書類を持ってまた保健所に行くことになる。面倒だがこれも生活の一部か―。そして、役にたたないブログを認めることも―。

■火葬の時、人間の体の大部分は水分であり、それは水蒸気となって中空に舞い上がる。そして、それは雨の一部となって、誰かの肩に降りかかるかも知れない。
それから、何パーセントかある脂肪分は、土にしたたり落ちる。そしてまた、何パーセントかある骨も、炭素になって土の上に散らばる。
それはガンジスの水に押し流されて少し下流まで行って、多少はその辺の土地に栄養分与えるかも知れない。「インド放浪」藤原新也(朝日新書)より

 
   2月1日(日)

荒川沖小学校で開かれた「どうすっぺ祭り」を見に行く。ステージでは常総学院のチアガールが元気に踊っている。まぁ、とにかくはつらつとして気持ちがいい。若さというのは大きな財産でもある。将来どんな絵柄が描かれるのかわからないが可能性を秘めた未来は平等にあるのだ。

三中地区公民館に本を返しに行く。欲張りジイさん7冊も借りているが2冊はすでに読んだ本だった。「サリンジャー」だけは再々延長。最後まで読み切れるか?。これまで何回も一度読んだ本を購入した。読み始めると「あれっ、これ読んだ」。物忘れはひどくなったがタバコと酒は忘れることはない。

さて、その酒を飲みながら考える。「何を考えるのかー」それからがわからない。それなのに気宇壮大なことが火が点いたように脳みそを駆け巡る。どれも実現しそうもない。例をあげるならー。この例が浮かんでこないのだ。やはり、ぼーっと時間をやり過ごすのがいちばん似合っているようだ。
酒に親しみながらさらに重大なことに気がついた。「柿ピーちゃん」がないのだ。ああ、無情なり!!。
 
   
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