怠惰な散歩  2015年

   9月30日(水)

時々、素晴らしいアイデアが浮かぶ。あくまでもマスターベーションに過ぎないが―。そこで、企画を整理する。「土」というテーマ。写真はモノクロ。もちろん簡潔な文章を記す。「土」というものにあらゆる角度から考察する―。うーむ、これはすごいと頭の中を駆け巡り翌日にはみごとに忘れている。そのスピードは天文台的な速度。バンザイです。

ここ1ヶ月、自らの肉体の骨折による痛みと共生。恨みつらみがあるのかまだ進行中。あざ笑うかのように忽然と全身に痛みが走り顔をゆがめる。それでも、随分と体の動きが楽になった。翌月までは延長したくはないと念じていたが風と共に去りぬとはいかず延長戦にもつれそう。バンザイだ。

今日で長月もおわり。みなさまはいかがな暦であったのか知るよしもないが、それなりの幸ある神名月をお過ごしになれればと祈願し、サラバとする。
 
   9月29日(火)

写真を覚え始めた頃はモノクロ一色だった。それが今やなんでもかんでもカラーの世界で凌駕されている。そのせいか、写真を読み込むという想像力や楽しみが失われているのではないか―。そういえば、テレビを最初に見た時はモノクロだった。そのせいか、一次通過した絵や写真などはモノクロが普通と思いこみ、そこからカラーの世界を想像したはずだ。すべてがカラー全盛時代になり、何か大きな精神的なときめきのようなものが欠落した。歴史的に高い評価を受けている写真は圧倒的にモノクロが多いような気がする―。

秋の夜長、ぼんやりとそんなことを考えていた。詩人で哲学者の串田孫一はぼんやりした時間の大切さを説いていたなぁー。ぼんやりとモノクロ目線で、さらにぼーっとする。

28日のスーパームーン観賞会は相棒こと相坊と一緒だった。相坊ブログ「重箱の隅に置けない」でも当日の模様が公開されている。相坊ブログはよれよれオジンよりはるかに高尚。秋の夜長か夜長の秋か―。ぜひご覧になってお楽しみください。
 
   9月28日(火)

霞ヶ浦の満月を見に行く。なんでもスーパームーンといってお月さまが地球に一番近くまでやってきて大きく見えるそうだ。そのお月さまはゆっくりと山蔭から昇り荘厳で雄大な姿を見せてくれた。期待したような月出ではなかったが久しぶりに拝見した自然の美しさに感動する。

夜、山王台の姫から体の具合はどうだと心配しての電話。うれしいものだ。それなりに回復しているようだと答える。来月のバザーの写真を撮ってほしいという。約1ヵ月後の話。それまでは大丈夫だろうとOKの返事をしてカレンダーに赤丸をいれる。

「忘却とは忘れることなり」。あたりまえのことだが、この忘却の悪玉菌がカレンダーをめくるごとに増殖しているらしい。すぐにメモしないと次の日は忘れているということはザラだ。そのメモをしたことさえ忘れるのだから恐ろしいというか、これが年を取ることかと感心するぐらいだ。

今日見た満月はカメラにおさめたから忘れることはないと思うが、それだって怪しいものだ。
 
   9月27日(日)

「高齢者ストーカー」というのが増えているそうだ。それも社会的地位の高かった高齢者に多い。被害者の相談を受けアドバイスをしているNPO法人の理事長は「この仕事をはじめて15年間、一度も農業を生業としているストーカーに会ったことがないんです」。そこで、昨日会ったヤギ一家の主人を思い浮かべる。これは、どういうことか―。

三中図書館に行ったら、窓口で親子が15冊も本を借りている。次の人も10冊。本好きが多いことに驚く。今日は朝から天気がぐずついていたせいか肩、背中が痛い。お天気をみるのだろうか―。そのため、夕方の観月会は欠席。相棒からしっかり見たという連絡。それはよかったです。

―土を耕し、種を蒔き、精魂込めて農作物を育てる仕事は、日々の自然の中で人間の限界を思い知らされることの繰り返し。自然の中で生かされていることを実感している高齢者にはないのでは―。というコメントで終わっている。そうですよね!
 
   9月26日(土)

今日の骨折の具合はどうか―。一進一退だ、というより快癒に向かっていると信じなければならない。痛くないからとコルセットを外して近所を歩いてみる。30分も歩くと背中や肩を中心に痛みが広がってくる。まだまだ体は半人前だ。

昨日、図書館から5冊の本を借りてきたが丸谷才一の「樹液そして果実」は難しくて途中でやめる。辻井喬の「遠い花火」は一度読んだ。後の3冊はみんな面白くないので数ページ読んで閉じる。今回はハズレだった。自分で選んだのになんというザマだろう。明日返してきてまた借りよう。

つくば市のどきどきファームへ行く。奈良に住む姪っ子にブドウを送るのだという。かあちゃんの風呂敷文化は健在なり。売り場をまわり試食品を探すが本日はどの台にもくだものはなし。ナシもないのだ。かろうじてミカンがあった。5粒ほど夢中で食べる。どきどきファームはくだものの試食品巡りが楽しみなのに残念なり。きょうもつつがなく終わる。
 
   9月25日(金)

阿見町の予科練平和記念館に「実物大零戦模型展示」の内覧会を見に行く。相棒とヤギ一家の主人も一緒。お天気がよかったら屋外での予定だったらしいが、あいにくの雨。零戦は格納庫の中におさめられていた。機体の赤い日の丸が妙に大きく見える。久しぶりにしっかりと日の丸を見たような気がする。

歯が痛くなり歯医者に行く。痛いのは歯ではなく歯茎だという。歯磨きは歯茎の衰えを補う役目を果たしているという。そういえば、ロクに歯磨きなどしなかった。これこそ数秒間歯磨きですましていた。口内のいがらっぽさがなくなればをそれでよかった。歯茎といわず、内からも外からも加齢さまがやってきて悪さをする。こまったものだ。

タテナガ、タテナガ写真にこだわってみたがやはり落ち着きが悪い。適宜にしようと思う。タテ写真で思い出すのは最近亡くなった中平拓馬の写真集。精神の疾患から立ち直り最初に出した写真集は全部タテナガだったような気がする。探してみたが見つからない。たくさんの本をため込んでもしょうがないから整理しようと思うがなかなか進まない。横着男はなかなかクビをタテにふらないのだ。こまったものだ。
 
   9月24日(木)

シルバーウィークも終わり久しぶりにCROSSへ行く。これといった変化は見られない。仕事の帰りながみに寄り昨日忘れてきた本を受け取りに行く。土浦市立図書館と青いシールが貼られた本は受付に鎮座していた。一晩、ながみねに宿泊したといっても内容が変わるわけでも料金をとられるわけでもない。お礼をいってそそくさと帰る。

借りた本の中に瀬戸内寂聴の「死に支度」があった。92歳になっても筆力は衰えない。まったくすごい婆さんだ。
― ハンちゃんは顔色も変えずに納戸に連れていくと、二つの使い旧したトランクをひっぱりだして見せた。「庵主死装束」と張紙した白いトランクの中に、真っ白な下着から腰紐の類まで整然と入っていた。足袋もまっさららのが二足ある。
「どうして二足なの?」
「私ひとりの縁起かつぎです。もしかして、お棺の中でよみがえったら、足袋をはきかえて帰ってきて下さい」
私は笑おうとしたのに涙があふれてきて、その場にしゃがみこんでしまった。

夕方、歯が痛くなる。まったくいろんなところからSOSが発信されてくる。よくぞこれで生きているものだと高笑いする。大笑いしたからといって歯痛が去るわけでもない。そんなことだったら医者も薬も不要になる。それぞれの持ち場の職にあずかり身をたてている人たちのために明日は歯医者に行こう。
 
  9月23日(水)

朝、相棒がお見舞いがてらお赤飯を持ってきてくれる。お彼岸になるとお母さんが作り知り合いに配っているという。そのおこぼれを授かったというわけだ。食べた。おしかった栗も入っていた。

ながみに行く。コルセットをはずすと体が軽くなったようになり気持ちがいい。湯上りに電子ソファーで休みながら読書にふける。最初は気持ちよかったが30分もしたら背中が痛くなる。時間のかけすぎかー?。そこで、読みかけの本はそこで忘れてきたらしい。気が付いたのは続きを読もうとした自宅で。本がないのだ、たしかズダ袋に入れたと思ったがない。もしやとながみに電話をする。回答は「ありました」ながみねではよく忘れ物をする。骨折の痛みも忘れてきたいと願うが、これは叶いそうもない。

最近、タテナガの写真を撮ることが少なくなった。そこで、ブログ用にタテナガを意識して写真を撮ってみよう。一面、曼珠沙華が咲いている風景に出会う。「タテ、タテ」と呟きながらパチリパチリ。空も晴れているが頭もハレハレのようだ。
 
   9月21日(火)

5日間の大型連休中(シルバーウィーク)に痛みが解消してくれることを期待したが駄目なようだ。試みとして朝から鎮痛剤の服用やめてみる。「これなら大丈夫か―」と思わせるほど昼ごろまでは痛みが消えたが、午後になると動くたびに背中や両肩や首筋に痛みが「どどどーん」とシルバープレゼントのようにやってくる。痛みが消えていたのは鎮痛剤が効いていたのだ。

金魚ちゃんにエサをやりながら両肩付近を見る。ゆらゆらと泳ぎまわりどこに鎖骨があり肋骨があるかわからない。どこまでのんびりとぼけて泳いでいる―。そうだ、水の中で生活できたらもっと楽になるのか。「金魚ちゃん、仲間にいれて」と頼んでみる。まったくの反応なし。エライものだ。

ソフアーの両肘を軽くのせ、姿勢正しくしていれば体はものすごく楽だ。まるで悪さをして廊下にたたされているような格好だが、この場合は座っている。そうやってひたすら本を読む。そういうわけで久しぶりにA級からB級までいろんな本を読む。本ばかり読んでいてバカじゃないか―。
 
   9月20日(月)

朝からすがすがしいお天気。こういう日は気分はハレハレになるのが普通。しかし、よくよく考えてみれば日本では1億2千万人が暮らしている。その中には死ぬほど苦しんでいる人たちも大勢いるのだからハレハレは決して平等ではない。その点、おいらの骨折の痛さなど屁の河童かー。

帽子女からメールが届く。曼珠沙華の写真が素敵という。素敵という言葉にはなんとなく照れくささがある。要するにおいらのようにガサツな人間には似合わない。どこから見ても道端で苦り切った顔で咲いているぺんぺん草。しかし、このように早い反応の便りはうれしいものだ。おいらのブログには返信を認めたくなるような問題提起も知的好奇心あふれ脳みそをくすぐるような高尚な内容は皆無。これではやむえない。「それでヨシ」。

さて、骨折の具合はどうかというと肋骨の方は顔をしかめるほどの痛さはなくなった。鎖骨はまだ駄目だ。まるで山姥にいじわるされているような痛さが不意に襲ってくる。ソファーに腰を深くして座り、肘掛けに左肘を軽くのせ本を読んでいるのが一番らくだ。そして、そのままヨダレをたらして眠りつく。これは平民に寄せられた神からの授かりものかと思うほど気持ちいい。そういうわけで今日も終わる。みなさまお休みなさい。
 
   9月20日(日)

リハビリを兼ねてながみに行く。今日は敬老の日ということで入場は無料。さらに豪華な賞品があたるという抽選会まで用意されている。大当たりから2番目は簡易シャンプーひとつ。老人の毛髪に増毛は期待できない。限りなくテルテル山が迫っている。そういう状況を鑑みて簡易シャンプー1個で十分ということだろう。ありがとうございます。

連休中はパソコンを開くのやめようかと思っていたが、なんとんく今朝開く。驚く。水戸の帽子女からお見舞いのメールが届いている。さらに、「庭に薄クリーム色の曼珠沙華 10本切って花瓶に・・・美しい・・・ 」。帽子女は四季折々の草花を楽しめる大庭園がある豪奢な屋敷に住んでいるのだろうかー。おお、かしこ、かしこなり。追伸、ありがとうございます。

夕方、鎖骨の痛さが和らいだのでカメラを片手に散歩。しかし、30分もしないうちに左肩中心に痛くなる。きれいな夕陽に祈る。沈む沈むお陽さまよ、今日いちにちご苦労さまでした。ありがとうございます。どうか、おいらの痛みも沈みゆくお陽さまを友としてしずんでください。お願いします。かしこ、かしこです。
 
   月16日(水)

今日は骨折の診療日。レントゲン3枚撮られる。レントゲン写真のモニターを見ながら先生いわく。肋骨は順調に回復しているが、鎖骨の方はずれている。画面をよく見ると折れた左と右が仲たがいしている。骨の持ち主は同じだというのにまっぐにくっつこうとしていない。左も右も自分の行きたいように進んでいる。「これは、しばらく時間がかかります」と先生いわく。とにかく、コルセットをはずさないで辛抱してください。「ハイ!」

2時間近く待って診察を終え時計を見たら12時近い。意気消沈、CROSSを休みとする。あまり休みが多いのでクビ宣告人員のひとりかー。そう納得すると気分サバサバ。すっきりした気持ちで読書に励む。

夕方、ひたち野うしく駅まで歩く。途中2度ほど休んだが、何とか2、3キロは歩けるようになった。どんな形でもいいから折れた骨さんたちが仲良くし痛みさえなくなればと願う。
 
   9月15日(火)

ルンルン気分でCROSSで仕事をやっていたら昼ごろから猛烈な痛みが背中や肩を走る。朝から体の調子がよかったので1日3回服用の鎮痛剤を飲まなかった。やはり、激痛から解放されていたのは鎮痛剤が効いていたのか―。明日は二週間ぶりの治療。鎮痛剤は処方してもらおう。どうも、今月は何もできそうもない。もっとも、いつもぼーっとしているのだから普段通りだが―。

相棒に早退を告げて帰る。自宅に帰っても痛みはどんどん増す。まいった!!。得意のぼーっもままならない。とにかく布団に入る。これがなかなか曲者で体を上向きにするだけで痛みとの闘い。それでもなんとか体を整えて眠る。一時間近く寝たら少しは楽になる。

相棒のブログを読む。まぁ、感心するほどあちらこちらと飛び跳ね動きまわっている。元気なものだ。うらやましい限りである。酒もタバコもやらず何を楽しみで生きているのかと思っていたら、あちらさま、こちらさまに顔を出して情報収集をしている。根っこはやはりマスコミ人間かそれとも十種競技のアスリートか。この勝者はキング・オブ・アスリートと称えられるというが、どうもよくわからない。
 
   9月14日(月)

隅田靖之さんが今月9日に亡くなったという連絡が入る。末期がんというメールをもらったのが7月26日。顔を見に行こうとかあちゃんと話していたがズルズルと日延べになっていた。病院でPCが使えるから落ち着いたらメールをくれるというので待っていたがその後一度もなかった。10月中旬に行こうと計画をたてていた矢先だった。考えてみれば今顔を見てもやつれた姿だったろうと思う。それなら、元気な時の思い出を残したまま別れたのがよかったのか知れない。「こんな日本の世話になりたくない!」そう言い残してリック一つで世界に飛び出した彼の元気な顔が浮かんでくる。40年も前のことだ。享年68歳。いつかまたどこかで会えるような気がする。

昔世話になった常陽新聞社の生きざまをまとめようという企画が浮上しておりその話を聞きにゆく。構想はまだ頭の中だけのようだ。どうなるか成り行きを見守りたい。作業を進めているO氏は今回の豪雨の被災者。まずは、それを片付けてからのようだ。

さて、おいらの体の具合はどうかというと、昨日のながみねでの湯治が効いたのかだいぶ軽くなった。何か自分の体でないような、これまでの痛い思いをしたのが嘘のようだ。油断は禁物。なにごともソロリソロリとやろう。
 
  9月13日(日)

リハビリをかねて久しぶりにながみねに行く。日曜日だというのに空いている。「どうしたのだろう?」職員や大広間のおじいちゃんやおばあちゃんからの声。秋なみ寄せるながみねか―。そういえば屋外ではヒグラシが「別れの夏―ふたりは~」哀調こめて鳴いている。屋外の喫煙所で秋に染まりつつある雑木林をしばし見いる。

ブログの写真はネタ切れにちかい、というよりなくなった。書いている内容はともかくそれなりの写真を載せるように心がけている。そのためには多くの写真を撮らなければならない。それがままならないのだ。

いつもは左肩にかけてカメラをぶらさげているが肩が痛くてかけられない。右肩にすればいいと思うだろうが、どうもがしっくりいかない。そのせいかカメラを持つ機会がぐっと減った。タイコ腹が減ればいいのだがそうはいかないようだ。しばらくの辛抱だとひっくり返しながら写真を探しているしだいだ。 
 
 
 9月12日(土)

「スルメを見てイカがわかるか!」養老猛司と茂木健一郎の対談集を読む。これはなかなか面白い。スルメは死んでいるがイカは生きている。すなわち、死んだスルメだけを見ていてはイカの本質がわからないということらしい。これは一理ある。フムフムと鼻をならしながらページをめくる。今の楽しみといったら読書とブログを書くことぐらい。なんとも淋しい日々だが体のことを考えればやむをえない。

気分転換にカメラを持ってルンルン気分で散歩に出かけても目的地へたどり着く前に体のあちこちが痛くなる。まだ、本調子ではない。テレビでは大雨の被災地のニュースでもちきり。山形の山村に住んでいたころ雪溶け水で家の近くを流れる犬川が氾濫して春先になると毎年のようにタタミ上げをやっていた。あの冷たく重い泥水を思い出すだけで身震いする。

わが家の魚ちゃんは水槽の中で身震いしながらエサをパクパクやっている。被災者の中にはペットとして金魚を飼っている人もいたかもしれない。金魚ちゃんたちの行方はどうなったのだろう。「泳げタイヤキクン」の歌のように「川は広くていいな」と泥水の中を泳ぎまわっているのだろうかー。
 
   9月11日(金)

青空が見える。昨日の大雨が嘘のような天気。同じ県内でも県西地方は甚大な被害を受けている。ノー天気にぼーっブログなど書いている場合ではない。こういう輩は国賊に等しいと罵倒されても逃げも隠れもしない。ぼーっ以外に認める知恵が浮かばない。にわか評論家やにわか先生にはなれないのだ。

CROSSでの昼食はかあちゃんが作ってくれた小さなおにぎりを二個。食べると昔住んでいた蓮河原町内へ。一級河川の出口にあたる桜川の様子を確かめたかった。いつもより水位は増している。その風景はのほほんとしたものだ。水は上流から下流に素直に流れ海にたどりつく。そのあとはおおらかな海とフォークダンス。かわいいものだ。河川改修されても川は元の道を憶えているという。河川の氾濫はただふるさとに帰ろうとするだけのこと。そこに人家が張り付いていたという結末が天災として悪名高い烙印をおされる。そう考えると川がかわいそうになる。

インドのオロクから電話が入る。「水の被害は大丈夫か?」インドでもテレビニュースで洪水を流しているようだ。今回の大雨を心配して電話をくれたのは千葉、東京、インド。ぼーっとしているうちに世界は狭くなっているようだ。
 
   9月10日(木)

CROSSに行こうと玄関を開けたらドシャ降り。この強い雨脚ではクルマを運転する自信がない。そこで決断と実行。臨時休みとする。
山王台の姫に電話を入れる。「危険だから屋外に出ないように。家の中で静姫としているように」。なにしろ、姫の家はこれまで茶室の裏側の鉄砲水、東日本大震災、雷とたて続けに自然災害に襲われ被害を受けている。母屋がある高台はともかく裏側の茶室は崖下に位置している。心配で見に行ったりして不意打ちをくらうかも知れない。それでなくても「すぐやる課」の性格。姫いわく「何事があるかわからないからじーっとしてます」。

体の具合はだいぶ良くなったと実感できる。それでも、これまで痛くなかった背中の真ん中あたりに激痛が走るときがある。これさえ消えればひと安心なのだがなかなか風去りぬとはいかぬ―。

夕方、姫から電話が入る。天気も落ち着いたので散歩がてら家の周りを見てきたが異常がなかったという。ヨシヨシだ。そこでおいらも散歩に出かける。ヤギ一家の田んぼを見る。ほとんど刈り取りが終わったようだ。楽しみは秋の収穫祭に招待されるか?。田植えの手伝いでクビになったから無理だろうとパチリパチリ。
 
   9月9日(水)

CROSSでそれなりの仕事に夢中で取り組んでいたら桜町の姫丸子ちゃんからメールが入る。「お見舞いをかねて新米をプレゼントしたいー」。わざわざ自宅付近まで届けてくれるという。いつもいろんなものを頂戴しているのにそこまで面倒をかけては申しわけないと、彼女の事務所に受け取りに行く。新米2キロを頂く。なんでも追突されクルマの後部は大破したが「わたしは頑丈だから元気」と笑顔で話す。詳しく聞く暇もなかったが、世の中一歩外にでればクワバラクワバラが潜んでいる。お互いに気をつけなければと別れる。新米ごちそうさまです。

古々米のオジサンの体の具合はどうかというと全体の痛みが和らぎ回復に向かっているようだ。それにしても、ほんのちょっとした油断が日常生活を一変させる。これが人生というものだろう。なにごとも順風満帆とはいかないところがおもしろいのだ。

夜、山王台の姫から電話が入る。毎日忙しく動きまわっている様子。どうやらソロプチで出世したらしい。キャプテン斎藤が肺炎で入院。順調に回復しており退院も近いという。おいらのケガのことを心配してくれているという。有り難いことだ。台風の影響で外は大荒れの天気。.どういうわけだか我が家の金魚ちゃんは知らんぷり。エライものだ。
 
   9月8日(火)

久しぶりに仕事をやったせいか体の節々が痛い。昨日は肩が凝り少し張るという状態だったが、今日は背中の真ん中あたりがグリグリ痛い。体を動かしているうちにさまざまなところに負担をかけているのだろう。完治2ヶ月というお医者さんの診断はどうやらあたっているようだ。

さて、晩飯をどうするか。冷蔵庫を覗くとピラフに必要と思われる具材が居眠りしている。これをたたき起こしなだめすかし我が胃袋に入れてやることを決意。玉ねぎを刻み卵をテクテクと割り不平不満をよりどころにして思い切りかき混ぜる。そのほか、ハムやニンニクなども一刀流の包丁を巧みにあやつり木っ端みじんにする。フライパンを熱しサラダ油を流す。ほどよい熱さになったら具材と残飯を落下させてグジャグジャかきまぜる。ころあいを見計らって調味料を適宜くわえる。そこで優しく愛をこめてゆっくりとゆっくりと味をしみこませる。これでチャーハンは完成。

味は食べてみないと分からない。しかし、決してまずいといわない。そんなことをいったらこれまでのすべてが徒労。明日のスタミナ源となるはずだ。しかし、今日の体の調子から明日は無理をしてCROSSに行くこともないと考える。相棒も休みだし―。お天気も悪そうだしー。
 
   9月7日(月)

CROSSに久しぶりに行く。何人かに骨折の具合を聞かれたが、ほとんどは知らないというか関心なしという様子。それでいいのだ。勝手にケガをしたのだから勝手に治せばいいということだ。それでも「骨折をしたことがあるか?」と聞くと、何らかの形で骨折やそれらしきケガを体験しているようだ。ニンゲン、つまづきながら生きているんですね。

さて、ここから「高尚な思索」へと進む。まず、高尚という意味だが「知性や品性の程度が高いこと」さらに続く「学問・技芸・言行などの程度が高いこと」思わず笑い出す。この意味からすると先に文章・物語が進まないことになる。そこで「低俗な思索」に変更。得意な分野だがなかなか次が思い浮かばない。「下手の考え休む似たり」ということで終了とする。

「CROSS T&T51号」の編集作業は順調に進行しているようだ。もっとも、相棒がすべてを仕切っているからうっかり口をはさんでいけない。静かに静かに邪魔にならないように見守る。今日からかあちゃんは出張介護。これで普段の生活に戻ったということだが、なんとも複雑な気持ちだ。
 
   9月6日(日)

パンツがきつくて太鼓腹が痛い。この場合、ぽっこりお腹をへこませればいいのか。パンツを大きなものに替えるべきなのか迷う。金魚ちゃんのお腹を見る。りっぱな太鼓腹だ。あきらかにメタボの兆候がモロに表れている。みっともない。でも、金魚ちゃんはそれを恥とは思わない。インドの既婚女性が肥えたハラを自慢するようなものだ。ハラについた豊かな脂肪は自分がどれほど恵まれた生活をしているかを示すシンボリックなものとしている。要するにダンナの働きがよくて金持ちで栄養満点の食生活で毎日をいかに楽しているかを見せつけているのだ。決して美しいと思わないが、おいらのかあちゃんはキリギリスのような体型をここ数十年維持している。

肋骨の痛みが和らぎほっとしていたら鎖骨の痛みが増したような気がする。きっと、肋骨の痛みに神経が奪われていたせいで鎖骨の痛みには鈍感になっていたのだろうと、かあちゃんと話す。そうだといいがと願う。

体を動かさないようにしてひたすら読書にふける。そして、体をいたわり明日に備えようと静かな散歩、静かな呼吸、静かなあくび、静かなおなら、静かなぼーっで一日がおわる。お休みなさい。
 
   9月5日(土)

胸の痛みが薄らぎ寝起きが少し楽になった。「よしよし」ひとり合点していたら左鎖骨の痛みが俄然と復活。コルセットがこすれるたびに顔をしかめる。月曜日からと張り切っていたCROSS出社が不安になる。たいした仕事もしていないのだから休んでも大きなな影響はない。そうわかっていても貧乏性のせいか顔を出さなければと焦る。この不安はなんだろうー。悪い方向にだけ思考が走る。67年間こうやって生きてきたのだ今さらじたばたしてもしょうがない。なるようにしかならないのだ。ざまぁーみろだ。

そういうことで、コルセットをゆるめにして昨日図書館から借りてきた本を読む。「還れぬ家」佐伯一麦(新潮社)。タイトルを見た時、高齢者がなんらかの病気で入院し、自宅で死にたいという願いがかなわなかった話ではないかー。おばあちゃんのことが頭をヨコギリ衝動的に借りる。物語はそれに近かった。

心不全で医師や子どもたちから入院治療すすめられた82歳の父はガンとして拒む。
― そうだよ、親父、このままでは死ぬよ。後悔するよ。
さて、ここでヨレヨレクタクタボロボロオジンは考える。親父は死んだら後悔などできるはずがない。死人に口なしなのだ.。要するに、後悔というのは入院を勧めている子どもたちだ。かあちゃんも「後悔したくないから」そういっておばあちゃんの出張介護に通っている。なかなか、難しいものだ。盲人は歩いていて何かにぶつかると安心するという。どこまで歩いても何にもぶつからない不安。このまますうーっと命が深い底に沈んでいくのでは―。これもしかりだ。
 
  9月4日(金)

今日からCROSSに出勤しようと思ったが体力に不安が残るので休むことにする。相棒にその旨を連絡。承諾してもらう。咳き込むと胸と背中が圧迫されて痛さが増す。これは辛いものがある。「何事も時期が来るのをじっと待つことが、もっとも良策だ」ということかー。

正しい姿勢で椅子に座りじっとしているのが一番楽だが、いくらぼーっを得意としていても長時間は無理。自然現象でトイレにも行かなければならないし、お腹が空けば茶碗とハシを手にしなければならない。自分だけ満腹になるのは倫理に反するので金魚ちゃんにもエサを与えなければならない。そのたびに細かい動きが要求される。金魚ちゃんからは、主人が負傷して悲痛な顔でエサをやっているというのに同情の気配は感じられない。教育が悪かったのかと反省しきりだ。

夕方、1週間ぶりにクルマを運転して図書館に本を返しに行く。愛車は車高が低いせいか乗降にはやや辛いがそれでも運転には支障がなさそうだ。これなら、来週から普通のぼーっとした生活を送れるのではと自信がつく。   
 
   9月3日(木)

どうしたものか、今日も朝になったら目がさめる。さてと、布団から起き上がる瞬間が問題だ。この時が一番辛い。どうしても胸に負担がかかり痛みが走る。ガマンできない痛さではないがインプットされた恐怖感が先に浮かぶ。まぁ、そうやって日々を過ごしながら回復していくのだろうが―。

山王台の姫から明日の茶会はスタッフの体調不良者が続出して延期になったという連絡が入る。姫も風邪気味だという。天候不順の日が続き体がその変化についていけないのか―。みなさま、お体にはくれぐれも留意してくさい。

「尼さんはつらいよ」勝本華蓮(新潮新書)によると、みなさんが抱いているような優美で清楚で教養あふれる尼さんのイメージなんてとんでもない。もしいたら「歩く文化遺産」という存在で今や絶滅危惧種に近いという。巫女さんもそうなのだろうか?。このなると世の中の女性がみんな妖怪に見えてくる。もっとも、青空公園の周辺には山姥が徘徊しているのが日常のことだから驚くこともないがー。
 
   9月2日(水)

整形外科の診察に行く。明日が休診日のせいか待合室は混んでいる。お年寄りが多いのはリハビリのせいらしい。さて、先生の所見では順調に回復しているようだが4ヵ所も折っているからしばらく痛いのはしょうがないだろうと涼しい顔。これまで多くの患者を診てきたせいか、すべてが時間が解決してくれることを知りつくしているようだ。ほとんどのことは時間が経てば「ああ、あんなことがあった」でおしまいとなるが、おいらの痛い時間は停止したままで進行形。これが辛いのだ。

山王台の姫に約束のお茶会には行けないとカンベンの電話を入れる。「20代、30代の体ではないのだから無理をしないできちんと治しなさい」。そこで気づく。今日はおいらの誕生日だ。67歳となった肉体は下降線をたどるだけ。無念なり。

部屋でじっとしていると足腰が弱っていくような気がして散歩。今日もこれといった大きな変化はないが、今週はしっかりと休ませていただき、来週からCROSSに行こう。
 
  9月1日(火)

「人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。筋肉も内臓も脳も神経も、すべて連動しているんだよ。骨折させないまでも過剰な足し算の介護で動きを奪って、ぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから、要介護3を5にする介護だよ。バリアフリーからバリア有りにする最近の流行とは逆行するけれど」。「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介著(芥川賞受賞作)

芥川賞受賞2作品を読む。話題の「火花」又吉直樹著は面白くなかった。面白い面白くないは個人の勝手だからどう思われようとこれも勝手だ。

夕方、ブログの写真と散歩をかねてソロリソロリと歩く。カメラを持って外に出るのは久しぶり。なんとかヤギ一家の田んぼが見える場所までと思ったが、小雨もぱらつき帰りも不安になり乙戸川の橋まで行き引き返す。稲穂は黄金色に輝きカシラを重たげにしてうつむいている。なんとなく自分の歩く姿に似ていることに気づき情けなくなる。

パチリパチリと数枚の写真を撮る。シャッターを押しているのはうつむくおじんとはカメラは知るまい。ざまぁーみろ。
 
   
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