怠惰な散歩  2015年

  8月31日(月)

「しょうがない、しょうがない、雨の日はしょうがないー」そんな歌があった。しょうがないことは日常茶飯におこるだろうが肉体に苦痛をあたえるようことはカンベンしてもらいたいものだ。

ここ数日、ぐずついたお天気が続く。太陽は雲に隠れどこかで目を見張るような美女と出会いデートでもしているのか。夏から秋が突然やってきた。ケガをした日あたりが境目のようだった。残暑が厳しかったらコルセットで体がしばりつけられているだけに辛かっただろうと思う。涼しい日が続いたのはありがたかった。回復に向かっているのかわからないが痛みが少しやわらいだような気がする。

夕方、相棒が見舞いにきてくれる。ありがたいものだ。栄養をつけるようにと手にはカキフライと鳥のから揚げ。ゆっくり療養するようにと温かい言葉。素直に受け入れる。「しょうがない、しょうがない」と言い聞かせて今日をおわりとする。
 
   8月30日(日)

朝から世界陸上の女子マラソンをテレビ観戦。ただ走るだけの単純な競技だが奥が深いものを感じる。3時間近く目をこらして真剣に見ていたせいか肩が凝る。あたりまえのことだろうが日本びいきの解説者。耳障りな時もある。

骨折は順調に回復しているのだろうか。少しずつよくなっていると期待しなければやるさせい。そこで、おまえさん、聞いているかい。痛いということはヒトをどれほど気分を滅入らせるかをよく理解して。きちんとした判断能力があるなら、お願いだからさっさとこの痛みを今日の曇り空に放りだしてくれよ!

夕方、すっかり体がさびついたような気がするので傘をさして散歩。そろりそろりとだ。自宅まできちんと戻れる計算をしながらだからボケ防止にもなるのかー。30分も歩いておわり。こもった空気が漂う部屋の中にいるより気分はいい。無茶はできないが少しは自信がもどる。
 
  8月29日(土)

ブログに骨折したことを書いたら「お見舞い」のメールが2通届いた。みともページを見ているヒトが二人もいる。メールネームは「空き缶」と「姥姫」。

日々のできごとを気休めに書いて自己満足しているだけだ。見たからといって何の効能もなくびっくりするような景品がもらえるわけでもない。まるで空くじを引くのような内容だが反応があることはうれしいものだ。

じーっとテレビを見て過ごす。山王台の姫からはお見舞いのメールだけではなく電話も入る。「鎮痛剤を飲んでいる」といったら、「鎮痛剤は強いからしっかり食べること」。心配してくれるひとがいるということは、しばらくは世の中をウロウロしてもいいよというお墨つきをもらったようでうれしい。

「灯台守の話」という本を読む。「人生とは夜に向かってただひすら暗くなっていく夕暮れ時だ」。これはいかん。それじゃこまるのだ。今の状態ではなおさらだ。作者はイギリスの女流作家のジャネット・ウィターソン。土浦の図書館で借りてきたのだがそろそろ返却期限が迫っているはずだ。返却する本が5冊ある。なぜ、返さなければいけないのか?。まぁ、しばらくはカンベンしてもらおう。 
 
   8月28日(金)

手さぐりで大人への入り口を探しているうちに風に吹き飛ばされ老人になった。老人は脚立に蹴飛ばされ悲鳴をあげていた。25日のできごとはそんことかとふりかえる。

肋骨と鎖骨の痛みは続く。寝起きが辛い。他人の痛みは100年でも我慢できるとうそぶいていた。今は痛いの痛いの飛んでいけー。神さまも仏さまも世界中の神さまという神さまを崇めます。どうか、痛いの痛いのどこかに飛ばしてやってください。
世界中の不幸なニュースからみれば大げさすぎる。そうであっても痛いのは痛いのだ。

かあちゃんと連れ立ってソロリソロリと歩き耳鼻咽喉科医院。
おじいちゃんは蓄膿症。おばあちゃんは難聴検査。おじいちゃんは今さら治療しなくてもー、おばあちゃんは加齢によるごく自然な難聴ー。
もう、明日への架け橋は不要なのかー。
 
   8月27日(木)

そうだ、がんばってブログを書こう。25日、CROSSの仕事を終えてルンルン気分で帰ってきた。ベランダの屋根までのびたカボチャを取ることになった。脚立に乗り作業をしていたら足元がしっかりしていなかった脚立は揺れ倒れた。不意をくらったおいらはそののま落下。横倒しになったままコンクリートたたきつけられる。激しい痛みが体全体に走る。

翌日、あまり痛みがひかないので整形外科へ。レントゲンを撮ると肋骨と鎖骨が骨折しているという診断。完治4ヵ月。唖然とする。コルセットで胸と肩を固定してあとは自然治癒を待つのみ。生まれて初めての骨折だ。30、31日に予定されていた旅行に参加するか迷ったが、夕方、キャンセルの電話を入れる。楽しみにしていた。準備もほとんど済んでいた。無念なり。もうチャンスはないだろう。

アサガオが2階のベランダまで伸び薄紫色の花を咲かせている。鎮痛剤を飲み痛みをじっとこらえアサガオの花びらを数える。ああ、無情。相棒には昨日、事情を話してしばらく休むと連絡を入れた。みんなにはいろいろと迷惑をかける。
 
   8月23日(日)

朝食は200円マック。ホットコーヒーと一番やすいソーセージマフィン。このようやくすんなりと注文できるようになった。おうむ返しの笑顔。よく仕込んだものだ。

本を読む。すぐに眠くなり目を閉じる。起きると本を読みまた眠くなる。この繰り返しで一日が終わる。
自分でも感心するぐらいに眠くなりとことん眠る。ところが「眠れる森の美女」とはいかない。「眠れる荒川沖のオジン」。目をさますと必ずといっていいほど口もとにヨダレ。こうなると「眠れる荒川沖のオジンとヨダレ」。

夕方、かあちゃんリックを背負って帰る。行楽地からバカンスを終えて帰ってきたような格好をしているが実態には辛いものがある。おばあちゃんはそれなりの毎日だったという。夏バテもせずに元気だ。みんなで元気で毎日を送れればいい。
 
  8月20日(土)

遊び疲れたからだにムチをうち町内会の夏休み老人と子どもふれあい会に行く。
会場に着いたら準備はすでに終えている。ぼんやりとソーメン流し仮設台を見ながらパチリパチリ。そうこうしているうちに子どもたちがチラチラホラやってくる。老人たちは満面の笑みで迎える。かき氷、スナック菓子などがふるまわれる。飽食時代の申し子たちは機嫌とりを知っている。ハラいっぱいでたいしてうれしくもないがほほ笑み返し。

F氏も孫を連れてきている。長男は少年野球の練習で間に合うかー。台風の影響か風が吹いて爽やかだ。ゲートボールも飛び出す。老人たちは子どもに指導。しかし、子どもたちは自分勝手流で遊んでいる。講釈はいい、楽しければいいのだ。

流しソーメンを食べ用事があるからと退散。昼寝をして山王台の姫宅へ。写真の取り込みなどを教える。ほとんど独学にちかいPC。知っていることは限られ操作もあやしいものがあるがカンベンしてもらう。時計を見ると午後7時近くになっているのでそそくさと帰る。クルマの時計を見ると6時を少しまわっただけ。
見間違えたのか時計の針が1時間と近く進んでいたのかわからない。
 
   8月21日(金)

朝食後、鯛の浦の遊覧船に乗り鯛の群れ船上から見ようということであったが、海上は波高く中止となる。楽しみにしていただけに残念だったが、はるか昔に見たような気がする。いつだったかー。頭をグルグル逆回転させて記憶をよびおこすが思い出せない。

二番目に楽しみにしていたのが東京湾アクアラインのドライブ。完成してから18年になるというのに初めての体験。TIST先生方に聞くと初体験が結構多いのに驚く。海ホタルから広いひろい海を見る。すごいものを造ったものだ。

最後は横浜の中華街で昼食と自由散策。たっぷり3時間ある。中国料理店がずらりとならびどこの店がいいのかわからない。結局、土浦でも食べられる八宝菜定食。食通でないのはこんなものだ。食後は、懐かしい山下公園を散策しておわり。暑かった。
 
  8月20日(木)

TISTの親睦旅行に参加。最初の見学地「航空科学博物館」へ行く。ガイドの説明を聞き展示品を見て驚くばかり。すごいものだ。

その後、今日という日をどう過ごしのかー。問うのは切ないというか、自分でどう消化していいのかわからない。曇り空を見て、雨のにおいをかぎ、水平線が望めない海を見る。波は激しく九十九里の浜辺に打ち上げる。台風がやってきているという。

夕食は豪華な海鮮料理。千葉県小湊の宿泊先で海をしばし見て温泉に浸かる。極楽というのか、もう、みなさんありがとうと海に叫んでいいのかー。海からもうあんたはいいよというメッセージを受けとっているのかー。

夕食後、酔いざましに1Fのロビーでミニコンサートを聴く。ぼんやりとした未来が見える。その空は明るいのかにび色かー。それから、それから。なんとなくセンチメンタルになる。
 
   8月19日(水)

ここ数日、涼しく過ごしやすかった。まだ8月の暦が10日あまり残っているから残暑がぶりかえすかも知れない。油断は禁物だ、といっても逃げ場がないからどうしようもないが―。

みどりのカーテンをもくろんで植えたニガウリが次から次へと大きくなる。その恩恵を受けたわが家の食卓にはニガウリ料理が連日ならぶ。それをニガニガしく食べる。もう、カンベンしてくれよと叫びたいが、これもあれも口にはいるのは神さまからのさずかりもの。「ニガちゃんありがとう」とニガイ顔をして食べる。

そこで考える。金魚ちゃんにニガウリを細かく刻んであげたらどうだろうか?。アイデアはいいが、いま金魚ちゃんに与えているエサのようにゴマ粒になるまで細かく切り刻むことができるか?不可能だ。なぜならおいらの家の包丁は切れ味が悪い。ネギを刻んでも龍のようにつながり冷やしそうめんのつけ汁の中で泳いでいる。たえがたきをたえしのびがたきをしのびニガニガしく子どものようにはしゃいで食べ続けるしかない。
 
   8月18日(火)

緑陰の下で微笑み返し日記。
ヒグラシが鳴きアブラゼミが緑の葉っぱをばたつかせ、くぐもった声をこんもり林に響かせる。まるで、疲れをしらない子どものようだ。夕方の日陰はちょうどいい湯かげんといったところ。時おり吹いてくる風は天然ウチワとなり体をつつみなでる。

CROSSで久しぶりに相棒と顔をあわせる。一週間ぶりかー。どちらにも大きな変化はない。明るく希望に満ちた話題もなければ不幸が重く肩にのしかかりつぶされそうなニュースもない。つつがなくということか―。

さて、緑陰の下で思索する。家に帰ったらビールにしようかウーロンハイにしようかー。悩み迷うおいらにヤブカがやってきてチクリ、チクリ。痒い、痒い。アリンコまで登場して手足をのたまう。これでは世界に発信できるような高尚な考えも浮かばない。

退散しよう、ということで緑陰の下の微笑み返しはおわり。バイバイ!
 
   8月17日(月)

土浦市内の旧鷹匠町に住むおしどり夫婦の旦那さまからメールが届く。「牛句」は「牛久」の間違いではないか。正解です。記者時代から「お詫びと訂正」には自信がありました。そろりゆるやかふんわりこっそりと自信をもって訂正。あとは知らんぷり。これがマスコミならぬみともブログです。

映画「日本の一番ながい日」を見る。感想は、戦争はいけないことだと思います。でも、ニンゲンが地球を支配している限り永遠になくならないと思います。

雨上がりの路上は濡れ黒ずむ。夏の暑さにあえいでいた樹木や田畑がうるおう。おいらの家の庭で名もなき雑草がにょきにょき顔で背をのばし元気を取り戻す。草花には雑草はないとおっしゃられたあるおひとのお言葉を素直に受け入れてくれているようです。

バンザイです。ウレシイです。
仕事がひとつ増えたのは確かです。どうしてかわからないが重ねてバンザイです。
 
   8月16日(日)

かあちゃん出張介護で留守。おいらは体調不良。体に力が入らない。まるで自分の体ではないようだ。意を決して1000円散髪とお風呂へ。少しは気分が快復する。

CROSSの夏休みも今日で終わり。何事にも始まりがあり終わりがある。

夕方、牛久運動公園を散歩。体育館で男子のバスケットボール大会が行われている。しばらぼーっと試合を観戦。勝敗などどうでもいい。20代が中心と思われる選手たちの図体の大きさに驚く。エネルギーがあふれている。これなら、まだ日本は大丈夫だと何となく感じる。

おいらには夏休みの宿題があったようだが、何の宿題だったのか忘れた。そんなわけで、明日からCROSSに行くことになる。かあちゃんも頑張っているのだからしっかりしなければと思うがどうなることやら。
 
   8月15日(土)

終戦、戦後70年、戦没者、過ちは二度と、2閣僚、靖国参拝、不戦…アブラゼミが鳴く―。夏は去りつつある。

矢沢永一は書いている。―こんなふうに妙に厳密かと思うと、「冥福」とか「遺憾」といった言葉のように曖昧模糊としているのが漢字です。便利そうでいて不便、不便そうでいて言い逃れするときなどは便利な言葉です。

夏、図書館は避暑地なり。老若男女が集り子どもはドラエモン。後期高齢者はコックリコックリ。ここでは、アブラゼミの協奏曲はごはっ度。静かに夏の時間が流れている。

さて、今日の収穫。本を2冊読めたこと。庭の草とりをしたこと、図書館で居眠りしたこと。
つつがなく一日がおわり、平和な日本に感謝すべきか?。やはり、金魚ちゃんから学び直すべきか?どれもこれもあれもみんなわからない。万歳だ。さようなら。
 
   8月14日(金)

アニキの家に行く。お盆を利用して墓前に座り手を合わせる。ご先祖さまはどこでどうやって暮らしているのやら――。アニキは留守。姪っ子と双子ちゃんが来ておりにぎやか。

――
いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、
ほんとうは、この世に

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるというこどだ。
死んだら、年をとらないのだ。
――

【長田弘・詩ふたつ。「花を持って、会いにゆく」「人生は森のなかの一日」】
 
   8月11日(火)

「沽券に関わる」という言葉がある。辞書をひけば「評判・品位・体面などに差し障る」。おいらにはそういうものがなくなってしまった。何か世の中が息苦しくなったりきな臭くなっていても「ああ、どうぞ勝手にやっていてください」。いい加減というべきか無関心派というべきか。それらの事項を紐解いて咀嚼して判断する能力が欠如してしまった。

そんな脳みそをクビの上にちょこんと乗せ相棒と東海事業センターのインタビュー取材に同行する。O氏がどんな研究をしており、うまくいけばニンゲン生活の営みにどれだけ役立ち貢献できるのか皆目見当がつかない。相棒はてきぱきと質問をして脳みそにたたきこんでいるようだ。エライものだ。

夕方、「佐野屋」にかあちゃんと線香を買いに行く。骨壺も売っている。ニンゲン焼かれて骨壺におさまると重さは2キロと聞いたことがある。カラの骨壺を持ってみる。結構な重さを感じる。2キロという重さは骨壺がほとんど占めているようだ。今、おいらの体重は65キロ也。
 
   8月10日(月)

CROSSの帰り耳鼻咽喉科のかかりつけ医院へ。蓄膿症の治療だ。オジンの年代ではもう遅いだろうが、「心配なら耳鼻科で診てもらってください」という脳神経科の先生のアドバイスが耳から離れない。本来なら40年前に治癒させておくべきだった。なんの不都合もなかったので放置していた。それが立ち眩みをおこしMRIなどという最新医療器の検査を受け発見されたことから始まる。以来、すっかり弱気になる。オジン、背中をまるめて通院している。

耳鼻科の帰り、大きな景色を見たくなったので牛久総合運動公園へ。多目的広場から見渡す緑の風景は心が洗われ安らぐ。さすがに、この猛暑の中ではスポーツをやっている人はひとりもいない。乾いたグランドが寂しげに夏の陽を浴びている。

空は澄み渡り白い絵の具を筆いっぱいにつけ刷いたように雲が流れている。それはそれは楽しげに時々刻々と変化。まるで恋に悩む乙女心のようだ。

空はなぜ青いのか?この大問題の答えは明朝、金魚ちゃんに聞こう!!。楽しみだ。
 
 

 8月9日(日)

昨晩の酒がぬけない。ひたすら寝ながら快復を待つ。胃袋の休息が必要なのだ。胃だけではなく内臓全部だろう。食べないのが一番いいことはこれまでの経験から学びとっている。二日酔いの快癒方法を体で覚えているのだからすごいものだ。これは決して自慢できることではないが、夕方には必ず快復しているはずだと自信を持って体を休める。

今日は暑さもやわらぎ過ごしやすい一日だった。しかし、猛暑は必ずぶり返してくるはずだ。その時の対策はない。ただ、ぼーっとしてじーっとしていることぐらいしか思いつかない。

午後、ながみねに行き風呂に入る。さっぱりする。耳栓をして本を読む。チラチラとテレビを見る。炎天下で球児たちが走りまわっている。まだまだ夏は終わらない。喫煙所でタバコを吸いながらブログを書く。カナカナカナカナとヒグラシが鳴いている。胃袋が目覚めたようだ。帰ったらビールを飲もう。
 
  8月8日(土)

今日は水戸で編集会議と暑気払い。午後からT先生と常磐線で会場の飲み屋に向かう。今日は黄門祭りが開かれているという。そのせいか泊りがけのはずだったが宿が取れないということで急きょ電車となった。

編集会議は30分ぐらいで終わらせビールで乾杯。40歳に一大決心をしてコピーライターから接骨院を開業したという変わり種もいる。彼の長男が某大手銀行に就職が決まりうれしそうに喜びを語る。これも40歳を過ぎてからの子ども。この先生は普段話している体育会系の先生方と違い話題が豊富で楽しい。

ご帰還は最終電車。車内は混雑して座れない。なんでもひたち海浜公園でロックコンサートがありそのせいだという。黄門祭りで宿が取れないほど混むとは思えなかったが、ロックコンサートで満杯だということだ。納得する。荒川沖駅まで立ちっぱなし。疲れた。
 
  8月7日(金)

これは本物の暑さだ。その本物の暑さの中で夏の甲子園大会が行われている。夏、初出場の霞ヶ浦高校は初戦で敗退。お疲れさまでした。選手たちにとって夏は終わったのか新しい夏に向けて第一歩が始まったのか―。

さて、オジンの夏は真っ盛り。連日の猛暑をいかに乗り切るか―。逃げ道がない。ただ、じーっとぼーっとして時間をやり過ごす。

扇風機をまわしては消し、クーラは除湿にしてスイッチを入れたり切ったりしながら読書にふける。内容を読みこなしているかは問題ではない。ただ、この暑さの時間をいかに消化していくかだ。とにかく暑い一日だった。 
 
   8月6日(木)

「キラキラ輝く夏の太陽とおっぱいをつかもう」。こんなコピーを三浦海岸の海の家のトイレに書いてひと夏過ごしたこともあった。20代の前半で肉体はギラギラ輝いていた。
60代後半に向かっている今夏は違う。ギラギラ輝く太陽の下でただ喘いでいるだけだ。

あのとき、青空のような未来があった!「裸足と貝殻」(三木卓・集英社)を読みおわる。終戦直後には混沌と不安が入り混じっていたが、それでもキラキラと輝く未来があった。新鮮なレモンをガブリとかじったような爽やかな読了感。猛暑の中で得た貴重な時間であった。

今日はCROSSの編集会議。それなりの充実した時間を過ごす。「科学の進歩と人間の豊かさとは―」。大きなテーマだ。これは、いつも自らに与えている課題でもある。猛暑は休息もとらず連日日本列島を走りまわっている。疲れないのだろうかー。
 
   8月5日(水)

昨日の「スクエアステップ教室」(左写真)で疲れがどっとでる。かかりつけ医院に行く。お盆休み前のせいか混んでいる。CROSSは休みとする。

谷川俊太郎の詩集を読む。第1詩集「20憶年の孤独」を読んだのは20代だった。キラキラと輝いていた言葉には驚きとともに何か気障さを感じた。それは育ちの良さがヒシヒシと伝わり困窮生活に明け暮れていたおいらにやっかみがあったのだろうと推測される。80歳を過ぎても言葉の持つ瑞々しさを失わないで書き続けているというのは素晴らしいことだと思うが、天才ゆえか生活臭のようなものが感じられない。

かあちゃん、我が家で収穫したゴーヤとキュウリを自慢げに見せカゴに盛る。カメラでパチリ。これが全部食卓にのりハラの中におさまり、出るところに出て消えていくのかと思うとなんとなく暗い気持ちになる。
 
   8月3日(月)

「猛暑」というはっぴを脱ぎ捨て「厳寒」というはっぴを着たいような一日だった。
言葉の中の言葉を探す。アブラゼミが鳴く。夏だ。命短しといわれるセミだって夏は自己主張するのだ。それは、ウルサイぐらいだ。

言葉の中から色を拾う。川本三郎の「言葉のなかに風景が立ち上がる」(新潮社)を読む。面白い。本物の言葉を探し出し、本物の言葉というものを書いてみたい――。

ヒトにはそれぞれに色の原風景があるはずだ。さあ、幼子に還り再び見ることができるか―。千差万別に浮気する本当の色をだれが知っているのだろうか―。これは、人類にとって神から与えられた永遠の宿題だ。

かあちゃん、介護出張を終えてご帰宅。元気なり。よかった。
明日の暑さは、ふたりのしわくちゃの手をあわせ乗り超えるられそうだ。バンザイだ。
 
  8月2日(日)

朝早く起きて霞ヶ浦の夜明けを見に行く。時計の針は午前3時半。外は真っ暗だ。
土浦市大岩田の水郷公園にクルマを停め、昔住んでいた蓮河原集落を歩く。人っ子ひとりいない。街頭に照らし出された細い道をブラブラと歩く。老いると思い出だけにしか生きられないというような本で読んだことがある。実感する。

自宅に閉じこもっているとめちゃくちゃ暑い。そこで本を持ってながみねに逃げる。風呂に入り、170円のインスタント焼きそばを食べ昼寝して本を読んで4時間近く過ごす。大広間にテレビがなければと思う。耳が遠くなった年寄が多いからやたらとボリュウムが高い。テッシュで耳栓をつくり耳に突っ込むがボリュウムは負けない。

帰り、三中公民館で本を借りる。どういうわけか詩集を読みたくなったので新川和江と谷川俊太郎を選ぶ。珍しく図書館は混んでいる。きっと、暑さ対策として選んだのが図書館ではないか―。熱心に読書を人もいたから、これは失礼しました。
 
  8月1日(土)

朝8時にどんぐり山観察会へ。太陽が顔を出してまだ間もないというのに暑さはうなぎ上り。これは冗談ではない暑さだ。雑木林に足を踏み入れカブトムシちゃんを探し歩く。肌にまとわりつくように汗がじわりじわりとからだ中にまとわりつく。[御供文範1]風はない。アブラアセミの鳴き声が遠くから聞こえる。カブトムシちゃん発見。パチリ。

夕方近く、土浦市のぴあタウンで故久保田時治氏の回顧写真展を山王台の姫と見る。頼まれた写真を渡す。アイスコーヒーをごちそうになる。いつもごちそうになっているばかり。こういう場合は遠慮しないことにしている。ごちそうさまでした。

夜は町内会の役員会と暑気払い。お盆が近づいたせいか死後の墓をどうするかで盛り上がる。年代的にそういうお年ごろになってきたメンバー。先々のことなんか誰にもわからないよ。そっれよりも、この猛暑をどう乗り切るかが当面の重要課題ということでお開き。
 
   
 怠惰な散歩2014年

10 11 12
 

 怠惰な散歩2015年
10 11 12

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