怠惰な散歩  2015年

   6月30日(火)

そうか、今晩もかあちゃんはいないのか― 。さて、晩飯をどうしようか。面倒だから食べないで済まそうか。そうもいかない。きちんとお腹は空いている。金魚ちゃんのように口をパクパクさせれば疲れ顔のオジンが餌をくれる。この場合、そうはいかなない。口をパクパクさせればヤブ蚊が音もなく侵入してくるだけだ。

空きっ腹に何度も問いかける。晩飯を作り食べようか作らず布団にもぐりこむか―。問いかけがなんども往復する。晩飯を作る気あるのか。まったく決断力が乏しいというより皆無だ。情けない。見苦しい。オチンチンもチンポコが小さすぎる。なんか変なことになった。それでもよしとしよう。

仕事を終えて相棒とヤマオカ農園に行く。とても疲れた野菜畑。雑草の中に孤高を誇りとしてトマトやキュウリ、ナスなどが実をつけている。イノチの重さを少しばかり考える。
 
  6月29日(月)
 
CROSSの帰り、日本の30年後とギリシャの憂鬱とわが家を取りまく希望と不安を考えながら乙沼公園を歩く。

白く光る池。そして水面を鏡として映えるみどり。どんなに逆立ちしても自然にはかなわい。ベンチに腰かけ無垢な偉大さを抱きしめる。観賞無料の風景にぼーっのときをつまみしばしを過ごす。

そんなわけでそれぞれの考えについてはみごとなぐらいに消える。
30年後は生きていません。
太宰治の小説「走れメロス」はギリシャ神話から。
わが家の希望と不安について、
「なんとかなるさー、ケセラケセラ、ルンルン!!」でおしまい。

では、みなさま、さよならです。
 
  6月28日(日) 

なでしこジャパン勝つ。早朝からテレビにかじりついて一喜一憂。試合はなでしこの押せおせで進むがゴールネットは鎮座したままで揺れない。金魚ちゃんなど水槽の中を暇なく動きまわり休みなく水を揺らしているというのにーだ。ネットを波打たせ待望の先取点をもぎとったのは試合終了間際。おんなは強い。

午後、強いおんなのかあちゃんは痩せたからだを奮い立たせ出張介護へ。よれよれおじんは読みかけの本を片手に「気をつけて」と見送る。何の手助けもできないおとこは弱く情けないものだと思う。

何も考えず無茶苦茶に本を読む。疲れると青空公園の深みどりのさざ波に目をやる。緑陰の下で思索。緑陰の下でのぼーっ。金魚ちゃんにそれらについての意義を問う。
「酒ばかり飲んでいないで緑茶でもいっぷくしてみたら」ありがとうございます。
 
  .6月27日(土)
.
プリンターの調子が悪く白枠の縁に黒いインクのシミが残る。もう8年も使っているから買い換えようと覚悟を決めた。その前にもう一度試してみようとノイズ清掃を何度か繰り返し印刷。10回も繰り返すと黒いシミのようなインクがつかなくなった。まだ大丈夫なようだ。このまま使いしばらく様子を見ることにする。

1000円散髪をして風呂屋で体重を計ると65キロ。ここ1ヶ月で5キロほど痩せた。鏡にはやせ衰えたオジンが映っている。タヌキを飼っているわけでもないのにぽっかり腹が体の中央からせりだしている。ニヤリと笑ってみる。醜くい、哀れ、唖然、無念なり。そそくさと鏡に背を向ける。

梅雨空に一日だった。梅雨空の下で、ヒトは哲学者になれるのか―。金魚ちゃんととに考え、すべてを酒を飲んで忘れることとする。
 
  6月25日(木)

朝5時に目ざめしばらくぼーっとする。ふと思い出したようにパソコンに向かいスイッチを入れる。昨日、山王台の姫から預かった写真アルバムを見いる。いろいろなことがあるものだなぁー。歳月の流れを身にしみて感じる。修志館開館は昭和60年。この頃は姫とはまったくのつき合いなかった。やおら、作業を始める。それから数時間して約束の土曜日納めのメドが立つ。

今日は暑かった。青空公園を取り囲むようにできた住宅街はひっそりとしている。まるで空気が死んでいるようだ。その中で掲示板に貼られた「東の夏祭り」のポスターだけ生き生きとしている。山車で踊るひょっとこ鉦を打つ女性。そのほか囃子方たちはみんな若いというより子どもたち。体全体は躍動感に満ちている。素晴らしいことだ。

この写真を撮ったのがすっかりくたびれたよれよれおじんというから何とも皮肉なものである。
 
  6月24日(水)

「アサヒカメラ」7月号と「一〇三歳になってわかったこと」の本を買う。
アサヒカメラの方は特集「ヌードの境界」に興味があったから。もう一冊はテレビで篠田桃紅のドキュメントを見て書の素晴らしさに驚いたから。とにかく素晴らしい感性をしている。もちろん、ここへたどり着くまでにはそれこそ言葉で語りつくせない苦労があり努力したことだろう。

まあ、トップランナーばかりでは社会はスムーズにまわらないだろうが、芸術の世界に限らず世の中には超ピカイチといわれるひとは必ずいるものだ。

夕方、ぴあタウンで元気印のハッピを着た山王台の姫と桜町の姫丸子に会う。姫丸子からはいつもたくさんのお土産を頂く。いつかは鶴の恩返しと思うが果たせないでいる。
 
  6月22日(月)
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今日は夏至だそうだ。日の出が早く夕焼けが遅く一年でお天道様が一番長く居座っているそうだ。そうですかー。どうも結構なことです。どういうこともよくわからずフムフムとうなずく。

CROSSのタコ取材で相棒とひたちなか商工会議所に電車で行く。観光資源の開発と商工会活性化に向け取り組んでいる熱意がヒシヒシと伝わる。お土産にもらったタコ弁当を食べながらタコの未来ならぬよれよれおじんの未来を考える。

こうして、腹一杯タダメシを食べれる現実に遠くの未来のことなど吹き飛ぶ。タコ弁当というからタコの具がどっさりと入ったものと予想していたが煮ダコが一切れ。量が多く残しそうになるがもったいないと全部食べる。ハラが重くなる。

桜町の姫丸子よりメールあり。プレゼントを山王台の姫に預けているそうだ。まさか、タコの煮物ではないだろうと思うが楽しみだ。頂き物はなんでもうれしいものだ。ここは素直に感謝、感謝、有り難う。
 
   6月21日(日)

土浦市内の駐車場に置きっぱなしのクルマを取りに行く。人通りも少なく眠そうなまち、土浦。こちらもぼんやりと眠そうにだらだらと歩く。

昼、自転車で阿見町界隈を快走。どこを見ても畑と田んぼと雑木林。走っても走ってもみどりでくるまれた風景ばかり。ここでも人っ子を見かけるのはまれだ。

かあちゃん、出帳介護へ気合いを入れて出かける。こちらは何に気合いを入れていいのかわからない。ぼーっと庭に咲く百合の花を見ては深い溜め息。

どうも気合いが入らない。退屈だ。そして何もやる気がおきない。
本を読もうと手にするが、数ページで投げ出す。
しょうがないので、怠惰な散歩に出かける。バイバイだ。
 
   6月20日(土)

今日は義父の三回忌。空は晴れている。太陽がギラギラと輝き完璧な夏日だ。久しぶりに見る親戚縁者の方々。全員がそれなりに年を重ねた顔をしている。話題は自分の健康についてが多い。その間隙をぬうように義父の思い出が語られる。

さて、会食の席で.は白髪のオジサンが献杯の音頭をとる。そして、ビールが運ばれてくる。目の前にビールがあるのだ。これを一杯飲まなければ今日が何の日かわからない。そこで、次々と出される料理に舌鼓しながらグラスをかたむける。もう、クルマの運転は不可能だ。明日、取りにこよう。そう決心すると安心して飲める。昼からの酒は酔いが早い。いい気持になり電車で帰宅。

自宅に戻るなりソファーで義父の夢を見ることもなく爆睡。勝手なものだ。
 
  6月19日(金)

.夕方、荒川沖東町内には子どもたちのの大きな声がこだまする。「明日は、子供会の廃品回収の日です。指定された場所に出しておいてください。よろしくお願いします」。子供会の運営資金確保には大切な行事。まいったかというほど町内を巡り男の子の声、女の子の声がなんども路地に響きわたる。

金稼ぎの流儀は幼い子どものうちにたたき込む。これが、荒川沖東町内の子供育成会の本音。そんな背景が見え隠れする。もっとも、これは我が町内に限ったことではないだろうが―。

明日は義父の三回忌。お天気がよければと願う。こんな機会でもないと会えない親戚や甥っ子姪っ子たち。みんな、それなりに老けてきたのではと思う。それでも、こういう席に参列できるだけでも幸せなこととするべきだろう。
 
  .6月18日(木)

東京に行く。場所は新宿区慶応病院の裏手にある住宅街のアートコンプレックスセンタ。とにかく作家たちは若い、20代前半のアーチストたちの作品が勢ぞろい。どう理解していいのかわからないような絵画やオブジェに目がクラクラする。

会場で、空きっぱらにワインとビールをたくさん飲んだせいか胃袋までクラクラする。

若いアーチストを応援している神林学生奨学会理事長と歓談。酔った勢いでわがままなことの連続。こまったものだ。世の中、こまった人がいて成立するものだ。

ニランジョンの展覧会以来のセンター訪問。こういうところで8年も若い人の芸術を発信しているのかと思うとうらやましくなる。館長に「こんな若い人の作品に囲まれていたら年をとらないねぇー」。館長、照れ笑い。いろいろな人生があるものだ。
 
  6月17日(水)

庭に黄色い百合の花が咲いた。昨年の今頃、石岡風土記の丘であった百合祭り野点の茶席を手伝い山王台の姫からお礼にと売店で買い求めてくれた。鉢植えから出して庭に移しかえたものだ。それが、見事な花を咲かせた。

百合は、この一年何を考えていたのだろう。考えはわからないが静かに生きていたことは確かだ。そして、ぱっと黄色い鮮やかな花弁を広げ地上に存在証明をする。なんとも素晴らしいことだ。

静かに、すーっとぼーっと毎日を送る。これがなかなか難しい。さまざまな邪念が取り巻き邪魔をする。とにかく、美しき百合と少しばかりの会話を楽しもう。
   6月16日(火)

.さて、何に疲れているのかを考える。というのはこの三日間は絶望的なほど体調が悪かった。確か、土曜日の夕方は快調で、そのようなことはブログにも書いたような気がする。ところが翌日の日曜日は朝から体がだるい。それが次の日、月曜日になっても回復せず、とうとうCROSSを休み終日寝ているというザマだった。

今日は、体調は思わしくないが踏ん張ってCROSSに行く。相棒はすでに仕事全開のようだ。なにか、パチンコ屋の宣伝のような文言だ。言葉には必ずウソがあるから気にしないことだ。

朝、とても弱ったヘビを庭先で見つける。金魚ちゃんのエサと水を与える。帰宅するとヘビちゃんは消えている。これを一期一会というのだろうかー。
写真右は昨年、山王台の姫からプレゼントされたユリ。黄色い大きな花を咲かせている。生命力を感じる。まだ、体がだるい。こまったものだ。
 
   6月13日(土)

退屈さにこらえきれず夕方、阿見町の本郷親水公園にチャリンコで行く。植裁の手入れを終え刈り上げられた芝生が美しい。公園では数人の中学生らしい男女がキャンキャンと騒いでいる。見たところ女性群がその場をリード。こうなると子どもから老人まで女性群のパワーで男性群をけちらす社会が成立するのでは―。無念なり。

なでしこジャパンもカメルーン戦に勝ち決勝進出を果たした。後半は完璧なほどボールを支配されどうなるのかとヒヤヒヤしていた。内容はともかく勝てば官軍。ここでも女性群が活躍。よれよれおじんはぼーっとしながらテレビを見ている。口惜しい。

昨日の夕方は体が辛かった。山王台の姫から電話があったが喋るのも億劫。全身ダルサ印のぬいぐるみを着せられているようだった。気づかいと励まされるように受話器をおく。これも、女性軍の勝ちか―。

公園には「犬のフン禁止」の看板がたくさんある。「犬のオシッコ禁止」はない。ましてや「人のオシッコ禁止」もなし。さらにオスメスの区別もない。みんなで「ひょうたん池に向かって放尿すべし」とでもいうのだろうか。考え込んでしまう。よれよれオジンは本当にバカじゃないかと思う。バイバイ!!
 
   6月11日(木)

今日はCROSSの編集会議。編集委員長と相棒が仕切る。
ぼーおじんは、ただみんなの顔を観察する。そして考える。どうして頭の中が真っ白になったのだろうか―。
こんなはずではなかった。昔はもう少し生きるのに覇気があったような気がする。
これも加齢からくるのか、身辺に明るい話題が乏しいためか―。

金魚ちゃんに悩めるぼーおじんは相談を持ちかける。
そういえばゲーテ著作に「若きウェルテルの悩み」があった。
大昔に読んだ記憶があるが、内容はすっかり忘れた。

忘れていいことがたくさんあるのにいつも肩のあたりにのせているような日々。
これは、こまったことだ。やはり、酒を飲んで寝よう。これがまたよく眠れるのだ。
我が辞書に「不眠症」という言葉はない。

写真は、F氏の奥さまと孫たち。青空公園で遊ぶ。おしっこスタイルは地上の生との契りを交わしているようでとても好きな写真だった。
しかし、評判が悪いようなので差し替える。6月16日(火
 
   6月10日(水)

頭がからっぽだ。何も思い浮かばない。思考力ゼロだ。
とりあえず、気を取り直してCROSSを昼過ぎに逃げ出す。山王台の姫がプロディースした「石岡広報誌の表紙絵展」をかあちゃんと見に行く。会場は石岡市内の目抜き通りの元本屋さんを改造したギャラリー。
目抜き通りといっても人影は少ない。夏の陽が燦々とアスファルトを焦がしている。
からっぽの頭でぼーっと会場をひとまわりふたまわりしてそそくさと帰る。

クルマのガソリンメーターもからっぽになりかかっている。
世界がからっぽのような気がする。

相棒のブログを読む。よくぞ書くものだと感心する。
きっと、頭がからっぽではないのだろう。
 
   6月8日(月)

CROSSに行く。今朝は5時に起きてぼーっとしていたので家を出るころ眠くなる。
CROSSには広い駐車場がありその先にはこんもりした雑木林がある。
ここの緑も美しい。夏の日差しを受けた濃淡の葉っぱが折り重なるよう風に誘われ波うつ。緑の海原を見るようだ。上空には成田に向かう飛行機が轟音をたて飛んでいる。

ふと思い出す。ヤギ一家の田植えは終わったのだろうか―。
アキタのカンチャンは奥さまとともに元気に過ごしているのだろうか―。
水戸の帽子女は―。
桜町の姫マルコちゃんは相変わらず闊達に走り飛びまわっているのだろうか―。
数少ないHP閲覧者の顔が途切れ途切れ浮かんで消える。

そうだ、金魚ちゃんに聞いてみよう。みんなからのメールが水槽の中で泳いでいるかもしれない。
相変わらずバーカなことを思いつくものだ。さっさと寝ろ。ハイ、わかりました。
 
   6月7日(日)

午後、細々とした食うための仕事を終えて石岡の山王台姫宅に電車で行く。ナントカカントカツアーの見学地に姫宅が選ばれ参加者が訪れる。その手伝いに行ったのだが何をやっていいのかわからないのでひたすら写真を撮る。

久しぶりの電車の移動。電車を利用するのは主に東京方面。今日のように水戸方面に向かうとなればなんとなくのんびりした開放感に浸る。

帰りは夕闇迫る時間帯。車内の多くの人々がスマートフォンとにらめっこして何やら操作している。これは圧倒的に若い人が多い。オジン、オバンは眠りこけるか車窓から流れる風景をぼんやり見ている。おいらは、ひたすらの睡眠タイムにはいる。

姫宅の庭の木々の深い緑は素晴らしかった。あんなにこんもりした緑を見るのは初めてのような気がする。緑はヒトの心に爽やかな風を送る。それも健康的でピチピチ肌の女学生のようなときめき風だ。
一本の樹木を伐採することは大きなリスクを伴うことを覚悟しなければならない。
そんな会話をしているうちに見学者がゾロゾロとやってきた。30人近くいるのでは―。
広い庭園も狭く感じるぐらいだ。緑の木立たちも驚いているようだった。


 
  6月6日(土)

 水戸に行く。民俗学会の総会に出席。組織の枠に入り管理されながら動きまわるのは不得手。ひとりで自由にアチラコチラに出入りしているのが似合っている。今年限りで退会しようかと考える。

「富士には月見草がよく似合う」と太宰治はいっていたが、おいらの場合は「ぼーっにはペンペン草がよく似合う」がふさわしいようだ。さて、ペンペン草というものがよくわからない。そこでグーグル先生が登場。ナズナのことで、田畑や荒れ地、道端など至るところに生える。「ペンペン」は花の下に付いている果実の形が三味線のバチに似ているから。グーグル先生はエライ。

水戸の帰り山王台の姫宅へ。いろいろ駄弁ってお土産に柿ピーをもらう。

さて、本日の面白い話題はなかったのかと今日を振り返ってみるが、ごく平凡で退屈でぼんやりとぼーっがミックスピザとなってお皿に盛られただけだ。これがおおかたの庶民生活というものだろう。


 
   6月5日(金)

朝は涼しすぎるぐらいだった。過ごしやすい気候のはずだが、体温調整がうまく機能しないせいか寒く感じる。

相棒とヤマオカ農園を視察。トマト栽培をしているので手伝ってもらえないかという。
どれほどの規模なのか?。大規模に営農していたら無理だ。先般の頭クラクラから体力に自信をなくした。ところが、現地を見るとささやかなトマト畑がある。唖然、驚嘆、呆然、目を疑う。これはミニ菜園だ。

おいらが自宅で野菜栽培しているのと遜色ないように思う。ただ、農地は広い。
これから、どうなるかわからないがこれなら手伝えるかもしれないと思う。

明日は明日の風が吹く。ヒトの話というのは風に吹かれてとんでもないところに飛んでいくものだ。
今日は今日でびっくり玉手箱を開けてみたらあっけにとられ安心したという、ただそれだけなのだ。
 
   6月4日(木)

目の中を虫が走るので眼科へ行く。9時に受け付けを済ませ終了したのが昼近く。
3時間を要する。こんなに目の病に悩んでいる人たちがいるのかと唖然。偶然にも荒川沖東3丁目の生き字引のような長老と顔を合わせる。あれやこれやと面白いエピソードや老人の悩みを聞く。みんな、がんばって生きていることを知る。

午後は、山王台の姫が主宰している茶席の手伝いに行く。いつもニコニコと張り切って入居者を励ましている姿には感服する。ボランティアには自己犠牲というのが必ず伴う。その覚悟がなければ長続きするわけがない。今日はかあちゃんは辛そうだった。おいらとおばあちゃん介護疲れか―。みんな若くはない。

肉体は若くはなく年々下降線を辿っているが気力だけはと踏ん張る。踏ん張り過ぎてコケルこともあるから用心、用心。

「一筆啓上 火の用 お仙泣かすな 馬肥やせ」。これに「オジン足元注意」が加わる。
 
 
6月3日(水)

朝、副収入の仕事をしていたら傘をさした大家さん現れる。東京出張だという。まるで鉄腕28号のようなタフな働きぶりだ。荒川沖駅東口まで同伴する。おいらの10倍の仕事をこなしている。まったくすごいものだ。「気ををつけて」と見送る。

10倍少ない仕事量とはいえどこちらも食えるぶんだけのカネを稼がなくてはならい。あちらから、こちらからと小遣い稼ぎのような仕事を朝5時からこなす。そのせいか、CROSSに出社するころはクタクタになる。

久しぶりの雨音。大地は歓喜する。イノチの源だ。わが家の金魚ちゃんは生命の源の中で毎日ぼーっと生きている。すべを悟っているのではと思える。まいりました。

写真右は、建築家で画家のF氏から頂いた水色のようかん。抹茶と一服たていただきました。初夏到来ですなね。かあちゃん、とても癒されていました。ありがとうございます。
 
  6月2日(火)

さて、今日の出来事を記そうか。朝起きて二階から下界見る。野良猫が悠然と歩いている。時間は5時過ぎ。青空公園集落住民の暁にはまだ早い。どの家も雨戸がしっかりと閉じられている。野良猫は箒払いのいじわる年寄りを恐れている。老いた婆さんだとあなどれない。日頃の不満鬱積を箒に賭けるのだ。野良猫は脚力には自信がある。そういう事態になったらいつでも逃げ出せるのだが、歌舞伎役者のように目をかっと開き皺という皺を逆立ちさせた形相が恐ろしいのだ。この時間帯なら心配することもない。

安心しきった野良猫は道路の真ん中で顎がはずれのではないかと心配するほど大きく口をあけてあくびをする。顔を上げた時に人影を見つける。二階から周囲を見ている男がいる。なにやらモウモウと鼻先から煙をはいている。朝から醜い男を見てしまったと目をそらす。

しかし、野良猫は気になり再び二階のベランダ越しの煙り男に視線を送る。すると、男は大きな口をあけあくびとともにプップッと朝の静謐な空気に水をさすようなな音を放つ。あきらかにオナラだ。人間の腐りきった残滓の臭いはごめんだ。さあ退散、退散。野良猫はブロック塀の隙間をするりと抜け消えてゆく。
これが、今日の出来事の幕開けでした。バイバイ!
 

  6月1日(月)

空を見る。5月と6月も同じ空の顔をしている。しかし、今日から6月だ。
今日も暑かった。昨日、東京で体感したビルディングとアスファルトからくるむさ苦しいような暑さではない。茨城は空が広く緑が多いせいか。しかし、本県の林野率は31.1%。全国で下から2番目。これは広大な霞ヶ浦を抱えているせいかもしれない。

おいらの頭髪占有率は毎年のように下降線をたどっている。
「65歳からの筋肉量は急速に減少します!」サプリメントの広告コピー。
これは嘘ではないことを痛切に感じる。
「お母さん、ぼくのあのピンピン張りの筋肉はどこへいったのでしょうね!」
突然、亡くなった母親を思い出す。

CROSSに久しぶりに行く。おいらのデスクもパソコンも元のままだ。
お願いだから見捨てないでと手を合わせ、それなりの仕事をやる。
ばーか、それなりといわず嘘でもいいから命ぼろぼろまで仕事をやりましたと書けー。
廃棄処分されるぞおぅ―。はい、わかりました。
 
   
 怠惰な散歩2014年

10 11 12
 

 怠惰な散歩2015年
10 11 12

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