怠惰な散歩  2014年

  8月31日(日)

今日で8月も終わり。なんとなく夏を乗り切ったという気分。
そして、こんなことを考える。
それは、いろんな人の援助や協力を得てやりたいと思ったことはやってきた。その出来具合がどう評価されようが、その場面では一所懸命にやったつもりだ。そして自分の力量の限界も知った。
もう、これからはそろやかにゆるやかに生きよう。

ということで、お庭の草取りと散歩とたばこプカプカと読書で一日が終わる。

「ワイルドスワン」(上)を読む。1993年1月初版とある。
当時、話題になり読もうと思っていたが機会を逃した。20年も経てから古本屋で買う。
上下会わせ200円也。読みごたえからいえばあまりにも廉価。
100円販売ラベルをはがし液ではがす。
まだ、続きの「下」がある。絶対に読み切りを誓う。明日から楽しみだ。
  8月30日(土)

 ぼーっと布団から起きだす。外は小雨がぱらついている。青空公園の桜の葉っぱを濡らす。
水の重みにたえかねた葉が一枚散る。ちりぬるおと呟やきしばらくぼーっとする。ぼーは雨音かー。

朝、傘をさして散歩。日傘ではない雨傘だ。雨はなぜ降るのかを考える。こんなバカなことを考えたからといって雨が止むわけではない。バカバカと呟きながら1時間ほど歩く。

昼、つくば市内のコマツ家へ。棺に入っているテイさんに手を合わせる。亨年89歳だそうだ。
写真を撮らしてもらう。
死化粧をした顔はおだやかな表情でとてもきれい。出棺の時に雨が降る。涙雨かー。

土浦市営場を後にして石岡へ。姫より最後の写真を預かり梨をもらう。
この家は門まで長い上り坂。もう60年以上、上ったり下りたり馴れてしまって苦ににならないという。今でも走って上がれると走ってみせる。老いたカモシカかー。
きっと、今ごろは「痛い痛い」とうなっているのではー。お大事に。
 
   8月28日(木)

CROSSから電話、昨日借りたクルマのカギを早く返すように。そんなに急いでいるとは知らないからゆるりと出勤。もっとも、これはいつものことだがー。

カギを返し急いで自宅へ。今日はぼーっとしていられない。2つ目の仕事を終わらさなけらば3度の食事を2度にしなければならなくなる。毎月ヒヤヒヤの家計なのだ。

それでも「何とかなる」という明るい標語を掲げて生きている。自分ながら感心する。「いいことばかり考えて生きよう」。そうだ、この精神が明日の日本、みとも家の未来を支えているのだ。

そんな折、昨年亡くなったおじいちゃんの妹が亡くなったという訃報。
これで、おじいちゃんの兄弟はみんな天国へ旅だったことになる。
これも運命なり。
 
   8月26日(火)

朝、わが家のアサガオの写真を撮る。
小雨がぱらついている。傘をさして少し散歩をする。
荒川沖東口駅前にある美容院の大きなガラスにぼんやり映る自分を見る。どうみてもくたびれたオジン。
ああ、醜い。

土浦市民会館で免許更新の講習を受けた後、かつて勤めた常陽新聞社跡地を見る。
風はない。緑が映える。ああ、無情。(右写真)

さて、このままでは希望がないブログ。そこで、抱腹絶倒するような話題はないかと考える。
例えば、青空公園のアブラゼミがひと夏ないただけで骸となる。最後は野良猫に食われ地上から消える。
そこでアブラゼミは怒り心頭。徒党を組み逆襲することはないのか―。
例えば、青空公園をかこむ洗濯物干し場は婆たちのくたびれた木綿の下着だけ。桃色吐息のシルクパンティーやブラジャーはないのか―。
例えば、青空公園のゴミ集積場でビニール袋を突っついているカラスにツルの恩返しのようなことを期待できないのか―。

なにもかもがバカバカしい一日が終わる。
ラッキーなことは、石岡の姫からおいしそうなおいしそうなごちそうをいただいたこと。
まぁ、ひとつだけもハッピーなことがあればよしとして焼酎をグイと飲む。
 
   8月25日(月)

ノートパソコンのセキュリティがおかしいので遠隔サポートで修正してもらう。その間、約1時間。
まったくすごいものだ。なにがすごいかといったら個人情報はすべて全世界にさらけだされていることだ。
個人も企業も国家もセキュリティは神経をとがらしているだろうが、ただ、一本の回線で世界がつながっていることは確かなようだ。

CROSSでお仕事。昼寝前の読書中に相棒が現れる。いばぶんHPで公開している「筆供養案内」の間違いを指摘され修正。

さらに、「ぼーっ」がどれほど脳に活性化を与えているかという意義を教えてもらう。
皆さま、必見ですぞ!!。
下記を必ずクリックして「ぼーっ」の効用を享受してください。どこまで信じていいのかわかりませんが―。
これも、ぼーっとしたまま書きました。よろしくお願いします。

*相棒より― 。
「ぼーっとする」のが脳にとって大切な理由
 
http://wired.jp/2014/08/22/brain-neutral/


 
   8月24日(日)

「朝顔が100個ぐらい咲いている」かあちゃんの朝の一声で目覚める。

ぼんやりと二階の物干し台までツタをはわせ「見てみろ」とばかり花弁を広げる濃い紫色のアサガオをぼんやりと寝床から見る。
写真を撮ろう。気ははやるがからだが動かない。そのまま三度寝をする。

食欲なし。ただひたすらの読書に徹する。そして居眠り。その繰り返しで一日が終わる。

もっとも、途中、ヤギ一家周辺まで自転車で気晴らしサイクリング。
ヤギ一家近くの 鹿島神社の境内でひと休み。
いつか来た時はオオムラサキを見たが今日は見当たらない。
お百度ふんで世界の平和を祈ろうかと神殿を数回まわる。結局、3回まわって終わり。

人生、こんな他愛のないことの繰り返しだ。きっと、平和すぎて退屈なだけだ。
 
  8月23日(土) 

町内の納涼大会へ。大会と冠がつけばさぞ大がかりなイベントと想像されるだろうがそうではない。わが町内3丁目の生き残り老人組がたくさんのコマセをまいて子どもたちを引き寄せ、ひとときを過ごそうという夏休み最後の企画。簡単にいえば老人と子どもたちの親睦会。

メニューは豊富でスイカ割り、流しそうめん、かき氷、トコロテン等々。特に天草から作ったというトコロテンは実にうまかった。
少年時代、山形の山村で夏休みに食べたツルツルとノドに流し込んだカンテンの酸っぱい味を思い出す。

終了後、ながみねへ。プールで泳ぐ、歩く。
これには作戦がある。夕方、うまい酒を飲みたいための体力消耗戦。

それからブックオフで古本を購入。今は本を読んでもどんどん内容を忘れる。読むバカ忘れるバカ。
どちらもバカの君主みたいなものだが、今の楽しみはこれしかない。
 
   8月22日(金)

今日も暑かった。このブログは暑い、暑いとしか書けないのか。ほかに何か重要なメッセージを発信できないもか。いくら読んでいる人が少ないとはいえ、暑いだけではあまりにも芸がなさすぎる。そこでいろいろ思案するが、やはり暑いのひとことで終わるのだ。

「山の郵便配達」ボン・チェンミン著、大木康訳(集英社)を読む。これは映画化された。封切られた時見たいと思ったが本県では上映されなかったのか見逃してしまった。

新聞などで最新の映画を紹介されるが見たいと思う映画はなかなか茨城では上映されない。
これも東京の一極集中か―。

とにかく暑いのだ。これは一極集中ではない。全国的に暑いのだ。
土砂災害で大きな被害が出たというニュース。茨城はそういう大きな災害がないなぁー。
まったく、暑い暑いとぼやいているのが情けなくなるというものだ。

  8月21日(木) 

ひたすらのぼーっに徹する。かあちゃんもぼーっ。金魚ちゃんもぼーっとして泳いでいる。セミがぼーっと庭の片隅で死んでいる。なんでもかんでもぼーっの世界。

死んでいるのか生きているのかさえわからないようにぼーっとしている。
これでもかこれでもかとぼーっとしている。

ぼーっとしながらCROSSへ行く。それなりの仕事をぼーっとして帰る。
外はうだるような暑さだ。暑さもぼーっとしているようだ。

暑さも夏季休暇でもとればいいと思うのだが、疲れを知らない子どものように暑さをふりまいている。
暑さはバカじゃないかと思う―。
 
  8月20日(水)

 今晩は踏ん張るのだ。なんとしてもブログを更新しよう。
ところが、かたい決意は酒の酔いとともに消えそうになっている。それでも、よいしょと四股を踏む。

書くぞ、書くぞといつのまにか背中をかく。肝心なところに手が届かない。かあちゃんはいない。ウロウロするゴキブリちゃんはしらんぷり。金魚ちゃんはサービス残業を拒む。絶望なり。
カミ(神)は水洗便所の中に消える。

暑い、これは本物の暑さだ。あんたは偉い。無料で熱を放射している。あんたは偉い。あんたは偉い。
しかし、部屋のクーラーのスイッチをいれればたちどころに涼しくなる。ざまぁみろだ。 

さぁ寝よう、さあ、寝よう。お休みない。あれ、ゴキちゃんがかあちゃん不在情報を仕入れたのか、黒い軍団がぞくぞく集合。パーティーでも開くのか。もう知らないよ―。

バイバイだ。
 
   8月18日(月)

今日のぼくはCROSSに行き真面目に仕事をしました。連続9日間の長期休み明けです。

事務所のドアを久しぶりにソロリソロリとあけました。自分のデスクがあるのか心配でしたがパソコンもあり椅子もありました。ほっとしました。去る者は追わずの職場です。ましてや、切れ者の相棒はすでにパソコンの前で渋面。そして、いつのまにか消えていました。ぼくなそれなりの仕事をして退散しました。

素直に家に帰りました。しばし金魚ちゃんと南シナ海の領有権について意見交換しました。いくら線引きしても魚には国境はありません。「子孫繁栄ならどこまでも泳ぎ闘いますぞ―」という天にもまさる力強いお言葉に深く頭をたれ拝聴しました。

かあちゃん、姪っ子の見送りにそそくさと実家へ帰りました。よれよれおじんは元気に散歩へ行きました。ひたすら歩いて世界の平和と日本国家の安泰を祈りました。

へこたれてはいけません。弱者は社会の愚痴をこぼし嘆いてはいけません。
その答えは自ら探すものです。そして、それなりのチャンスはあるはずです、という神の啓示を受けました。

さよなら―。
 
   8月16日(土)

ひたち海浜公園でお茶会とライトアップを楽しむ。出演者はいばぶん理事長とビジョビジョ(美女美女?)ふたり。
誇らしげに晴れ女と自称するビジョひとりの念力が幸をさす。出発時には大雨で懸念されたが公園散策のころはところどころに青空も見えるという天気。それにしてライトアップは美しかった。

お茶会は屋外を予定していたが降雨で室内で。暗過ぎてて写真ままならず。工夫すればもっと素晴らしいお茶会になるのではという印象。

石岡で夕食。それぞれの健康問題について熱のこもった討論。結論はどんなことでも慌てず細心の注意をはらって行動しようということに落ち着く。おてんばにならず年相応にということ。

帰宅後、別腹で焼酎を飲む。ようやくお盆休みが終わったという実感。
充実していたかについての判定は金魚ちゃんにまかせよう。
 
   8月15日(金)

兄に家に行く。ばばさま、ちちさま、ははさまの仏壇に手を合わせる。姪っ子の双子も来ているが、なかなかなついてくれない。1年に数回しか顔を会わせないから仕方ないかもしれない。
しかし、しばらくすると手を振ったり笑顔をふりまいてくれる。かわいいものだ。

暑さは本物だ。手抜きを知らない。
それでもお盆を過ぎれば気分的に楽になる。残暑があったとしても我慢できるのだ。なぜかはといえば簡単だ。セミの鳴き声が消えコオロギの音色が秋を運んでくるから。

さては、今日もなんとなく終わるが、終わりの先に明日がある。明日はどうなるかー。
わからない明日を待つ。待つ身が辛いか待たせる身が辛いかー。どちらも辛いと思う。
お休みなさい。
 
  8月14日(木) 

今日はおじいちゃんの新盆。仏壇に手を合わせに保立家へ。
久しぶりにおばあちゃんとご対面。少しやつれたような感じはするが元気そう。

おじいちゃんにも会う。これは遺影だが、じっとよれよれおじんを睨みぱなっし。
「おまえさん、大事な娘を幸せにしているのかー」
声なき声が脳髄をくすぐりかすめ消える。おそろしい。
「えーっ、それなりです。でも、娘の面影はなく今ではすっかりと婆さんになりましたがー」。
沈黙、合掌。

夕方、雨音とともに青空公園の緑樹を見る。
葉ずれの間からアブラゼミの湿った鳴き声を聞く。秋近しを感じる。

二日酔いのない世界を夢見てモーツァルトのCDを聴きながら酒を飲む。
モーツァルトはいい。涙腺がゆるむ。お休みなさい。
 
   8月13日(水)

完璧なほどの二日酔い。頭はぼーっ、胃袋モヤモヤ、夏の空が発狂しながら青く広がる。もたれる内蔵には絶望だけの世界が歩む。

ぼんやりしたまま朝を散歩。荒川沖駅前はお盆休みのせいか閑散としている。夏の日差しだけさんさんと降り注ぐ。とにかく胃袋を取り出して冷たくて清らかな水で洗いたいような苦しさ。

部屋に戻り体を休めウツラウツラの読書。
扇風機の羽音さえ不愉快だ。
金魚ちゃんが元気に泳いでいるのを見るだけでもハラがたつ。
金魚ちゃんには二日酔いはないのか。試みとしてたんと飲ましてみようか。

それからどうしたのかは書くことはできない、それほど貧しい1日で終わったのだ。
バイバイだ。
 
   8月12日(火)

朝を迎える。
いく日ぶりかで空は厚いなまり色の雲に覆われ自らの存在を誇示すかのように広い空を気ままに流れている。雲は語らず地上を見下ろす。青空公園の一角に居を構える後期高齢者夫婦は曇った空を見上げ安堵したように会話。
「今日は涼しくなりそうだね―」
「今週いっぱい頑張れば夏をのりきれるよ―」

朝を流す。
朝食はすき屋へ行こう。あうんの空気が流れる。目覚めからお互いにの気配を感じていたのか。
朝食はすき屋となる。
メニューを見ながら注文する。かあちゃんたまごかけごはん170円也。おとうちゃんぶっかけごはん250円也。ごはんはどちらも小盛り。しめて420円也。ふたり合わせての価値から判断して妥当な価格―。23円の金魚ちゃん1匹死す。残るは4匹で92円也。
 
  8月11日(月)

つくばイオンに涼みにゆく。ここならパソコンもインターネットもできる。便利なものだ。

なんとなく人を見ていると安心できるのだ。人のざわつきや子供たちのはしゃぐ声も気にならない。
何が一番すぐれているかといえばこれでけの人が繰り出しているというのに知り合いに一人も会わないことだ。

昼食後、ソファーで休んでいたらコロリと熟睡している。どれぐらい眠っていたのかと時計の針をみる。
どう安くみても20分は眠っていた。ここを通った人はポカンと口をあけ眠っているオジンをどう思ったか―。
完璧に無視していたと思う。目的が違うののだから当然だ。

図書券が残っていたので書店で新刊本を買うことにする。これは大ニュースだ。
価格は秘密だが、とにかく新刊本の購入だぞ!!

なんでこんなことで大騒ぎしているのだろう。バカみたい。いや、きっと本物のバカだよ。
 
   8月10日(日)

究極の酒のつまみとテーブルに出されたのは削り鰹節がたっぷりかかった冷ややっこ。文句はない。ないが何か物足りなさを感じる。

白くなめらかな表面からは豆腐の心情を読み取ることはできない。そこに削り鰹節がたっぷりとのっかり少し顔が見えるだからよけいにわからない。それでも、夏の風物詩としての威厳をかもしだしているようだ。

これだけでは味がないので醤油をかける。醤油の「しょう」の漢字はかけないがPCではいとも簡単にでてくる。エライものだ。
青空公園からアブラゼミの鳴き声が聞こえる。

冷ややっこを口にする。いつもの味だ。そうだ、冬こたつに入りながら食べる冷ややっこと同じ味がする。

ああ、こうしてお盆休みは過ぎてゆくのだ。
 
  8月9日(土)

別腹を体内に宿し自慢とそれを生き甲斐としている元姫二人と「美術家たちのコーヒーブレイク展」に。会場は「ギャラリーサザ」。開廊25周年企画という。ひたちなか市内にある有名な喫茶店。川又南岳氏の作品を展示しているというので出かけたが南岳先生は不在。

台風接近の影響か風が強い。女性の別腹も強い。
ペチャクチャ喋りながら注文した品をきれいに食べる。さすが淑女ふたり。惜しげもなく皿をなめたりスープをズルズルすったりしない。手さばきもスムーズ見事だ。しかし、よく見ると動く手には大波小波のしわが―。目をつぶろう―。

かあちゃんと夕食。テーブルにゴキブリあらわれる。
かあちゃんハローコンパクトボックスティシュの箱で攻撃(ドンキで買った特売品)。
ここで援軍あり。
とうちゃんスリッパで追い撃ち。ものの見事に全部かわされる。
真夏の夜のひと騒動。ゴキちゃんに負けまる。

明日は覚悟をせよ!!。
 
   8月8日(金)

CROSSに行く。部屋にはいると二人しかいない。完璧なほど夏休みモードだ。もちろん相棒もいない。今日に限ってではないが仕事をやる気なし。気分は完璧なお盆休み。「しばらく来ませんから―」と二部屋にあいさつして午前中で退散。つくばイオンで夏休みの大胆な計画を練る。黙考3秒なり。結局、 それなり、それそうおうに過ごそうという結論に終わる。これを黙考というのか怪しすぎる。

その後は、愛する「ながみね」へ。読書と昼寝とお風呂。まったく軽いニンゲンだと自分でふきだしてしまう。読んだ本は1980年代、新潮社新鋭書き下ろし作品シリーズ。このシリーズは当時たくさん読んだ。
今回は森万紀子著「雪女」。作者は山形県酒田市出身として知り親しみを感じる。
ただ、団地で孤独死をしていることに驚く。

久しぶりに雨音をきく。
草花が命をよび覚ましたように感じる。
バンザイだ。
 
  8月7日(木)8

 CROSSの編集会議。事務局、オブザーバー、編集委員をいれて16名。
なんとも人数が多いと思う。それでもつつがなく終わる。

よれよれおじんの気分はもうお盆休みに入っている。
さて、お盆休みに何を企てているのかー。
これこそ、ぼーっの不連続戦線に埋没しよう。

風のおとをきく
風のわだかまりもきく
風のすきまにも耳をかたむける
 
  8月6日(水)

 「亀田の柿の種 辛さ5倍」のカキノタネ食べながら焼酎を飲み青空公園で鳴きじゃくるアブラゼミの滅茶苦茶交響曲を聴きながら書く。
なんで夕方になると急に一斉に鳴きだすのか―。わからないからそば耳をたて真意を探る。鳴き声には強弱がある。そして、とてもエロっぽく聞こえる時がある。
夏は火照るおっぱいをつかみ濡れた茂みに顔をうずめ発射せよ!!

さては本日の報告なり。今日も暑かった。かあちゃん出張介護で本家へ。リックに日傘をさしてトボトボとおばあちゃんが住む土浦市の実家を目指す。「それなりに頑張って―」と見送る。すべての行程が見えるようだ。なかなか辛いものがある。

帽子女はま白きパンティでもはいて海外旅行中なのか返答なし。連載企画採否の返答なし。金魚ちゃんにエサをやっても返答なし。

土浦市広報誌がまわってくる。アタマも暑さでくるくるとまわっている。
無限大のボーッニンゲンに永遠あれと祈る。
 
  8月5日(火) 

朝も暑い。昼も暑い。夜も暑い。暑くない時間は何どきかー。よれよれおじんの暑くない時間は酒を飲んで完全熟睡している深夜。同じ酒飲みでもこの深夜というのか個人差があるのだろ。とにか毎晩よく眠れる。。これをバカ健康ニンゲンというのか―。わからない。

そんなことはどうでもいい。暑いさ中、山王台の姫ご殿へ。
駐車場からの坂道がしんぼう坂、がまん坂、こらえ坂。そこで開き直り、健康促進坂と命名。

なんだこんなで二人で冊子作りの準備のために写真整理。その間、姫の愛するネコちゃんたちはひたすらの惰眠。まったくエライものだ。

帰宅して夕食後ひとりで散歩。なま暖かい風が荒川沖に吹きわたる。乙戸川でホタルを探すが見つからず。おそらくここにはすんでいないのだろう。飛行機の点滅する信号灯の光を追いながら帰る。なんとも平凡な一日でした。
 
  8月4日(月)

 カギ紛失騒動でボロボロの一日だった。
だらしないといえばそれで物語は終わる。ところが終わりに導くまでは苦難の道。かあちゃんと二人でテンテコマイ。結論は、昨晩酔った勢いで土浦の「キララ祭り」に出かけたこと。バカだよ。人生、いろいろあるよ!。

そんなこんなでCROSSに行っても仕事に気合い入らず。HPの「徳一が歩く」をひとつ更新してバイバイする。合い鍵をジョイフル本田で作る。今朝、区長が持ってきてくれた夏祭り写真撮影の謝礼が消える。バカみたい。人生、いろいろありすぎるよ!。

さて、明日の朝を考える。アサガオはいくつ花を咲かせているのかー。そして、おはようと声をかけ聖水(?)をかけてやる。朝日にキラキラ輝くアサガオの水滴に世界の平和を祈る。
そして、大あくびをするのだ。万歳だ。
 
  8月3日(日)

 朝8時、牛久運動公園に行く。緑陰のベンチに座り多目的運動場の後ろに広がる大きな風景を見ながら、今日をどうやって過ごそうかと考える。そのまえに、今朝も目覚め乾いたのどを冷たいウーロン茶でうるおしタバコを吸い生きていることに感謝しなければならないのだろうかー。

ミンミンゼミがないている。なぜなくのかー。きっとなきたいからだろうと思う。

さて、今日のことだ。まず、牛久図書館に行き読書と居眠り。午後は帆引き船の撮影。そして、巨人×広島戦をあくびを繰り返しながら見る。どっちが勝ってもいいのだ。勝手にやっていろというものだ。気が向いたら土浦のキララ祭りでも見に行こう。そして、焼酎を飲み必殺激辛カレーを食べて寝る。

朝8時に今日が終わっているようだ。こうなると、なんで今朝起きなければならかったのか分からなくなる。ブログも午前8時30分にかき終えてしまった。おかしなことだが、これでも通用する社会になってきたのだ。科学進歩は走りぱなっしで退歩はない。人類滅亡を急いでいるようにしか思えない。バイバイだ。
 
  8月2日(土)

朝、どんぐり山観察会へ。雑木林の中はサウナのように暑い。汗が全身からふきでる。それでも子どもたちは虫かごと虫とり網を片手に元気に動きまわる。本日、カブトムシ、クワガタの仏滅なり。とはいえ、捕った昆虫たちは家に持ち帰ってた大事に育てると目を輝かせ自慢する。パパもママも同じように大切にしてね。

今日の暑さははんぱではない。これはヒト殺しだ。あきらかに犯罪だ。太陽をこらしめる刑罰はないものかと考えたら、ヒトが勝手に地球にすみついて暑い寒いとほざいているだけと知る。

そういえばワンちゃんもネコちゃんもセミちゃんもキンギョちゃんも暑さにこらえ生きている。くたびれてはいるようだが寒暖の愚痴をこぼすことはない。対応できないと悟ったらさっさと死ぬだけだ。偉いものだ。

貧乏に向かってうて、暑さに向かってうてと気合をいれ海賊カレーを作る。
かあちゃん帰ってきたら驚くだろうな―。なぜなら、めちゃくちゃに辛いのだ。後は知りませんよだ。

帽子女にもったいぶった詩を認めメール。これも、後は知りませんよだ。
 
 
8月1日(金)

水戸のご老侯と相棒と徳一調査で福島県会津へ。天気は明朗なり。体調も快調。足りないのは何かー。それは徳一について知らないことが多すぎるということ。それでも、相棒が作ったコース順にひたすらクルマを走らせ目指すお寺を訪ねる。そしてパチリパチリと写真を撮る。

途中、山王台の姫から電話が入る。
今進めている「父母、思いでつれづれ(仮)」の打ち合わせ。近々会うことにしてバイバイする。

徳一調査はそれなりの成果を得てご帰還。
帰るなり我が家の一員となった金魚ちゃんを確認する。
一匹も天上に昇ることなくひと安心。心安らかに眠れそうだー。

水戸の帽子女から久しぶりにメールが届く。返事は明日にしよう。
それでは皆さまバイバイお休みなさい。
 
   
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