怠惰な散歩  2015年1

   1月31日(土)

1月も今日で終わり。サヨナラ、バイバイだ。
今日は千葉でMさんの絵画展の打ち合わせに行く予定だったが、インフルエンザに罹ったということで中止。ぽっかりと空白の一日となる。そうかといって心臓コトントコンを停止したわけではない。

そこで、読書に励む。そして目が疲れるとコトンコトンならぬコックリコックリと眠っている。器用なもので老眼鏡と本を手に持ちポカンポカンの世界に入っているのだ。これは特技といえるのか?。判定はぼーっと生きている金魚ちゃんにまかせよう。

夕方、霞ヶ浦の写真を撮るため清明川河口に三脚にカメラを装着してねばる。今日は風が強い。それも生半可ではない。白い恋人は特急電車のように走る。こうなると舌鼓している余裕もない。全身が霞ヶ浦から吹く冷たい風で硬直してる。足踏みをしながら体をほぐす。厳寒の地で暮らす人たちには赤ちゃんのよだれのような寒さだと笑われそうだが、とにかく寒いのだ。

1時間ほどねばる。太陽は西に沈みあたりは薄暗くなる。そこで、バイバイをする。どうもありがとうございました。変容する夕方の自然を堪能させていただきました。ご縁があればまたお会いしたいと思います。
 
   1月30日(金)

朝からみぞれ交じりの雨。朝刊を取りに外に出るとみぞれ雨が全身にふりかかる。そこで一気に寝ぼけ眼(まなこ)が開く。眼は開いたが脳みそは準備中。ぼーっとしたまま新聞の見出しを読む。仕事とはいえ、よくもこんなにたくさん世界中から話題を集めてくるものだと感心する。その中で、どれがおいらにとって必要な情報か―。考えるが、わからない。

金魚ちゃんに餌をやる。おちょぼ口をパクパクさせて食べる。食後の歯磨きはどうするのだろうー。そういえばウンチするところは見たことはあるが、洗顔や歯磨きしているところを見たことはない。おいらが留守の時にこっそりとやっているのか―。どうもまったく違う宇宙社会で生きているようだ。それならば、どうやって交信するべくか。やはり餌で釣るしかないのか―。そうなるとニンゲン社会と鏡映しになる。そういうことであれば無念なりだ。

CROSSから帰り、自宅の豪華な書斎(?)で焼酎を飲む。あっ、ごきちゃんピカピカ床に現れた。こんにちはもこんばんはもない。用心したまえ。今晩はスリッパ攻撃を得意とするかあちゃんがいるぞー。おらぁ、知らねぇぞ―。
 
   1月29日(木)

今日があって明日もある。明日はまったくの白地図なのに色をつけながら明日を考える。もしかしたら七色の虹が自分の頭上にかかるかもしれない。そうなれば、すべてハッピーの世界。そしてハッピー枕とお友だちになり暗闇の中から虹を探す。夢だ。

そんなこんなのつまらないことを考えながらサリンジャーを読む。この男は生意気だ。しかし、自信たっぷりで生きているヒトの行く末は孤独の道しか残されていない。「そして、誰もいなくなった」のではなく「そして、誰も相手にしてくれなくなったのだ」。その信義を知った時は棺桶に入っているということだ。讃える意味で解釈すれば「悟った」と表現するべきかー。

ここで、【お詫びと訂正】
相棒が治療中というのは「肩」ではなく「肘」です。正確にいえば「右肘」です。「肩」にしても「肘」にしても、おいらには全く痛さを共有できませんがー。あしからず、お大事にー。

  1月28日(水)

 CROSSに行く。不在の相棒に電話。肩の治療中だという。あちらさまもこちらさも体のどこかに不具合な個所を抱えているようだ。まだ、認知症の疑いがある方はおられないようだが、予告なしでいつ症状が発生するか分からない。クワバラクワバラだ!!

山王台の姫から電話。Wさんがインフルエンザに罹り金曜日の茶会は中止。笠間のTさんの従弟が某国で不幸な事態に遭遇。てんてこ舞いをしているらしい。対岸の火事といって傍観している場合ではない。「災いを転じて福となす」ことを祈る。

CROSSの帰りに霞ヶ浦湖岸を歩く。なんとなく広い海原ならぬ広い湖面を見たくなったのだ。世界中でいろんなことが起こっているようだ。おいらは風邪をひいて白い恋人のお友だちとともに霞ヶ浦を眺望しながら考える。クビに刃など突きつけられていないだけでも平和なのか―。

しばし、霞ヶ浦とお話しをする。
湖から吹く冷たい風のせいかひっきりなしに白い恋人は流れる。なめる、しょっぱい。これが生きていることの証しか―。Tさん、気丈にとー。どこまでも気丈に!!。
 
   1月27日(火)

朝起きたら鼻水ズルズルで体がだるい。風邪をひいたようだ。この頃、風邪をひきやすくなった。かかりつけ医院に行かなければと時間が気になるがかだ体が動かない。あきらめて、午後の診察に変更することに決める。相棒に休むと電話。

パブロンを飲んで眠ること3時間弱。少しは体が楽になったから読書をと本を開くがぼーっとして頭に入らない。体調がいい時でないと読書は無理。ぼんやりと時間をやり過ごす。

午後3時30分かかりつけ医院へ。もう10数人が待ち合い室で待っている。順番がくるまで忍の一字。ここでもぼんやりと時間をやり過ごす。
薬局で薬をもらい自宅へ帰ったのが6時過ぎ。まいった。早目に寝ることにする。
 
   1月26日(月)

今日は3月中旬の暖かさだという。これぐらい、「ほんわかほんわか」でぼーっとした温もり顔の天気がいい。思わず青空を見上げチュッチュッの接吻。

これがいけなかった。ぼーっのキッスなどはた迷惑。世界の賢人が集まる地球気候変動に関するシンポジウムで日本のぼーっの「ほんわか」に対する疑問が噴出。さらに議論が沸騰。結論、バーカは無視すること。

「サリンジャー」、この600頁を越える本は半分ほどで停止中。(サリンジャーがなぜ人嫌いになったのか?ここに興味あり)。「キャパの十字架」(沢木耕太郎著)これまた途中で居眠り。

今、どういうわけか猛烈に本を読みたい。どうしたのだろうか―。自分でも分からない。今生も終わりですよ!というシグナルかー。とにかく、暖かい日よりでした。
 
  1月25日(日)

 ああ、疲れた疲れた。仕事で千葉県へ。4時間ほどカメラを片手に右往左往。その間、ずーっと立ちっぱなし。これは堪えた。赤ちゃんのつぶらな瞳を見て活力をもらう。可憐な蝋梅を見て働けることに感謝。ウソだ―。

さては、今日も終わった。終わりがあれば始まりがあるということだ。そうだ、明日があるのだ。だからどうだというのだろうー。それが分からないのだ。バーカじゃないかしら。

姪っ子に頼んでインドのオロクに娘の結婚祝いに1万円を送金してもらう。手数料2700円也という。これが、どういうことかよく分からないのだ。バーカじゃないかしらー。終わりです。
 
  1月24日(土)

朝、起きたら暖かくて窓から青空も見える。シメシメだ。すきやで朝定食。マックで100円コーヒー。7時頃の時間帯はどの店もご同輩と思われるオジンたちが結構多い。みんな、どこか物憂い顔をして覇気がない。世の中から締め出されたような暗い顔。
思わず、トイレに駆け込み鏡で自分の顔を見る。まったく鏡もいらないような同じ顔をしている。 こまったものだ。

「インド」頑張る。どういう意味か不明だろうが本人が分かっていればいいのだ。

写真はキャプションで大嘘をつくこともできる。写真に限らず世界中で毎日生まれる大嘘はどれぐらいだろうかと考える。これは天文学的な数字になるかも知れない。
こまったものだ。
 
   1月23日(金)

朝、かかりつけ医院へ。難病指定の書類不備で手間取る。要するに、昨年の暮れに土浦保健所に提出しなkればならなかった申請書の提出を忘れていたのだ。今年1月から書式が変わったのでさらに面倒なこととなった。ともかく、そんなこんなで午前中がつぶれてしまった。

そういえばと思い出す。年内に土浦保健所にこの書類を提出しなければ―。それが年末の何となくの気忙しさの中でぽっかりと穴があいてしまった。ストンと脳みその中から抜けてしまったのだ―。それは見事というしか表現できない。物忘れの頻度が確実な速度で進行しているようでこの先末恐ろしい―。

人間の脳は悪い思い出を排除し、いい思い出だけを保つようにできているという。それなら、今回の顛末はどういうことか―。考えてもわからない。金魚ちゃんどうしよう―。
 
   1月22日(木)

風呂に入る。温かいのはあたりまえだが、風呂場はいつも寒い。そして、トイレの中も寒い。冷気がとぐろをまいている。きっと、たまにしか利用されないので寂しさでこらえきれなくなっているのだろうー。

常陸太田市で開かれた「スクエアステップ講習会」には雨にもめげず100人ほど参加。大盛況で驚きだ。会場は老人パワーであふれている。おいらもその仲間に片足を突っ込んでいる年齢。しっかりと眼をあけてみんなの動きを見る。参加者は圧倒的に女性が多い。そして、元気だ。男性陣は形勢不利。やはり、平均寿命が証明するように女はいくつになっても強いのだ。

明日は晴れてくれればいい。そう願って桃色吐息の夢でも見ながら寝よう。
では皆さま、お休みなさい。
 
   1月21日(水)

寒い一日であった。小雪もパラパラと降った。空はどこまでもどんよりと重く曇りおいらの心も暗く重くなる。CROSSで明日の準備などをしてご家路へ。明日、天気が悪かったら参加者は減るだろう。なにしろ、高齢者対象の健康体操教室なのだからー。

相棒から借りた「その女アレックス」を読む。これは面白い。そういえば「その女 、帽子女子 iPadから送信」への返信はどうしよう。おいらの心が明るくなってからにしよう。

マスコミは拉致誘拐身代金要求殺人予告期限付のニュースであふれている。テレビで二人が拘束された映像を見た瞬間、これは合成画像ではないかと思う。二人の視線の行方から感じ取る。真実はどうかー。

おいらの家で飼っている金魚ちゃんの視線は、朝一番輝いている。なぜかといえば腹を空かしてエサを求めているからだ。偉いものだ。輝けるものがあるということは―。
 
   1月20日(火)

そして、それからを目指してひたすら歩く。ただ、歩くのだ。風が冷たい。鼻水がとろーりと流れる。ああ、これも生の証しかと愛おしくなる。

帽子女からメールあり。返事は明日にしよう。宿題は多い方ほど頑張れるような気がするからだ。そのほか訳のわからない英語のメールあり。世界は狭くなっているとはいえ地球そのものが縮小しているのでもあるまいにと思う。

最近、ゴキちゃんの姿が見えなくなった。これは何となく淋しいものを感じる。わが家は食糧乏しくゴキちゃんにも相手にされなくなったのか―。それなら奮発して富裕層が食べているというごちそうを部屋中に置いておこうか―。そこで、重大な問題が生じる。貧乏おじんはどうやって購入するかだ。

解決方法が分かっているだけに辛い。
ゴキちゃんよ、待つ身が辛いか待たせる身が辛いか。走れメロスの心境だ。どうか、冬の寒さにもめげずに健康には留意してと祈る―。
 
  1月19日(月) 

先週の木曜日の深夜、どういう風の吹き回しかウロウロと近所を徘徊した。深夜の思索といえばなんとなく格好がいいが、ただ歩きかっただけ。最近はぼーっと歩くのが最大の日課となっているのだ。

ところが、金曜日の朝、体が動かない。風邪をひいたのか全身を荒縄でしばられているようにだるい。これはいかんとクロスを休む。相棒にその旨を電話。

それから、昨日までの3日間、ひたすらの正岡子規の「病状六尺」。パブロンと友だちになり布団生活。もう、若くはないから無茶はできないのだ。

さて、今日は久しぶりにCROSSへ。なんとなく仕事をしてサラバ。
人生なんてこんなもんだ―と思いながら帰る。アホなぼーっおじんでございます。
 
   1月15日(木)

「雨の日はしょうがない―」という背文字の半てんを着てぼーっと過ごす。
帰宅するとかあちゃん出張介護へこれから行くという。
どしゃぶりの雨の中。レインコートにリックと雨傘姿。どう見ても里帰りという華々しさがない。暗い。悲痛感が漂う。「お互い、気をつけてー」と見送る。

おいらは、かあちゃんが作っておいてくれたサバ味噌。味噌サバをつまみに相撲観戦。外は雨。しみじみと冬の雨の冷たさを感じる。もっともヌクヌクこたつに入ってぼーっと感傷に浸っているのだからズルイというものだ。

さて、本を読む。「サリンジャー」。鈴木大拙に会って禅の教えを受けたという。まったく知らない世界が次々と出てくる。世の中には知らなくてもいいことが大半だが、知っておいたほうが精神衛生上よいこともあることも知る。これは、あくまでも個人的なことだが―。

珍しくFMから浅川マキの歌が流れている。
歌詞は廊下の電灯よりもトイレの灯りよりも限りなく暗い。
 
   1月14日(水)

突然、 HPが更新できなくなる。これは大事件だ。またパソコンとの戦いが始まる。J・COMの遠隔サービスはお役に立てませんで申し訳ありません。次はジャストシステム。お使いの製品はサービス終了です。HPの案内で修復をお願いします。
老眼鏡をかけてマニュアルを見ながらあれやこれらと奮闘。
約1時間かかり修復。バカみたい。イライラの1時間を返してもらいたいものだ。

帰宅後、柿ピーを食べながらテレビで相撲観戦。かあちゃんもぼーっとつきあう。

今後の予定を考える。体力、気力、金力を踏まえてのひとり会議。こういう考えにいたったのは朝日新聞の夕刊で「森山大道写真展」の記事を読んだからだ。

これは熟慮する必要あり。思考の整理とこれからの行方を探るヒントになる。今日はここまでだ。
 
   1月13日(火)

CROSSでそれなりのお仕事。相棒はたくさんのお仕事。相棒、肩が痛いと何度も叫びいたわるように肩をなでる。
「他人の痛さは100年でも200年度もガマンできる」といっていたのはおいらのおふくろさん。東京女子医大の看護学校の産婆科を卒業して看護婦(士)に。
母子家庭の親方だったおふくろさんは強かった。その裏返しの言葉が前述の「100年でもガマンできる」という表現だったのか―。その遺伝子を引き継いだせいか、相棒が痛いという肩は右か左かはっきりとしない。

気合い、根気、集中力と三拍子が完全に崩壊している。
あきらかに加齢のせいだと思う。ここからの脱出の方策はあるのか―。
ないと思う。なぜなら、なにもかもポンコツ状態なのだから―。

そこで考えるのだ。ポンコツについてだ。廃棄物とポンコツはどういう関係にあるのか―。どういう関係であらねばならないのか―。

いつものように、「ワカリマセン」という結論。
ああ、情けないというか涙もでない。さらばだ!!。
 
   1月12日(月)

「牛久シティマラソン」の応援に行く。風も強く寒いのにみんな頑張っている。最後尾のランナーは駆けているというよりも急ぎ足というう感じ。それでも、一所懸命だ。この大会は牛久市、阿見町、土浦市をまたいでいるので「牛久阿見土浦マラソン」に呼称を変更したらーとも思う。

みんが頑張っているのでおいらもインドを頑張る。少しは駆けたならぬ、書けた。

夕方、アジア大会のサッカーと大相撲をテレビで見る。
みんな動きまわり走っている。ただ黙々と走っていれば人生もなんとかなるのかとも思う。おいらはこれから先どこまで走れるのやら―。
 
  1月 11日(日)

 ぼーっは神様がくれた休暇。感謝しながらぼーっと朝を歩く。空は晴れわたり風もない。阿見町の親水公園のベンチに座りぼーっと空を見上げる。静かだ。この辺は洒落た住宅やアパートが整然と建ち並んでいる。こういう風景を見ていると何となく落ち着かない。どこにも隙がないようで息がつまるのだ。欠伸と深呼吸をして再び歩く。

ひなたぼっこをしている犬を見る。あれは偉い奴だ。
ああして、じっとして一日を過ごせるのだからすごいものだ。ヒトには絶対に真似ができない。あの心境になりたいと思うのだが、どうでもいいようなことを考えて気が散りイライラする。

ただひたすら歩く。3時間も歩いたら太股が痛くなってきた。神様が歩くのはもうやめなさいとシグナルを送っているようだ。ぼーっのまま帰宅する。

わが思惟するものは何ぞや
すでに人生の虚妄に疲れて
今も尚家畜の如く飢ゑたるかな。
我れは何物も喪失せず
また一切を失ひ尽くせり。(萩原朔太郎)
 
  1月 10日(土)

ああしたこと、こうしたことで今日も終わる。
閉じこもりオジンとなってインド雑文をまとめようとパソコンに向かうがなかなか進まない。インド関連の本を開いては数行。プツリと切れる。

そのうち「サリンジャー」の本を読みだしたら止まらない。まだ半分も読んでいないが次が楽しみだ。ヘミングウェイと同時代の人物だったことを知り驚く。もっともヘミングウェイは先輩。第二次世界大戦中、ドイツ陥落作戦で部隊は違うがかたや広報部員、かたや諜報部員として戦場をともにしていた。サリンジャーの全貌を知るうえでは格好を本だ。この本の発売を新聞で知り購入しようと思った。価格を知って驚いた。4600円也。サラバであった。それは2013年のこと。やっぱり、図書館をもっと利用しよう。

さて、インドは何処へ行ったのだ。行方不明だ。荒川沖東口のまちかど交番に相談に行こうか。それとも、金魚ちゃんに「まいごのまいごのインドちゃんを探してください」と頼もうかー。どちらもバカバカしいと一笑されそうだからやめる。でも、インド雑文のまとめはやめないぞー。
  1月9日(金)

水戸のご老公宅へ。現在のいばぶん財政状況と今後についてご意見を賜わる。おおむね、ぼーっおじんのシナリオで了解をもらう。

さて、ふんわり人生とぼんやり人生について考える。
どちらにも核がない。ぼーっおじんの身辺は穏やかで平和だ。
ところが世界中のアチラコチラでは殺し合いや騙し合いで忙しそうだ。

そういえば、かあちゃんのゴキブリに対するスリッパ攻撃はすさまじいものがある。
戦いというものは命がけなのだ。ぼーっおじんには、その周辺で謎多く複雑にとぐろを巻いている因果関係に興味もなく理解能力もないのです。

「愛を持って接しなさい」という素朴な言葉が好きです。「普遍的な愛」です。
それでは、みなさま、平和な日本枕をたかくしてお休みください。バイバイ!!
 
   1月8日(木) 

クルマのオイル交換をする。もう走行距離は15万キロ近くになる。
それでも、インドのコルカタ市内で煙をもうもうと吐き、エンジン音もけたたましくクラクションを鳴らし続け走る、というより運転技術を競っている。そんな走行距離は限りなく不明というオンボロ車よりはるかに性能もよく快適だ。欠点は大メシ食いだ。ヒトに限らず万物の生きものたちは年齢を重ねるごとに食欲は減少するものだが、おいらのクルマは年ごとにシワが増え食欲が増しているようだ。.

軽自動車の「タント」が昨年の売り上げナンバーワンだという。価格、燃費、税金も安いうえに室内空間も広いとなれば当然のことだろう。若者のステータス意識が変化しつつあるようだ。うれしいことだ。充たされた社会の豊かさから、自らが求める有用性を思考して判断ができるようになったのか―。等身大であればいいと思う。不満があれば身を焦がして闘えばいい。

なにか真面目でにわか評論家でおせっかいオジンのたわごとを書いてしまった。深く反省。これからは慎みます。
 
   1月7日(水)

ぼくはエジソンデンキからもらった2015年カレンダーを見ています。
1月はみごとなほどの赤富士の写真です。これを何かに怒り狂い山が燃えているというイメージです。どう解釈してもお目出たい写真とは思えません。

そこで考えました。世界中の人々が共通して新年を祝えるにあたって、どんな写真がふさわしいのだろうか―。結論、わかりません。とにかく、新年を迎えたのです。

今日は七草がゆ。かあちゃんのオリジナルで、現代の七草がゆはブロッコリー、長ネギも入っています。とにかく七種類の野菜が入っていればいいということです。
はい、わかりました。素直に食べることにしました。
 
  1月6日(火)

矢代亜紀の「舟歌」を聴きカキピーを食べながら書く。しみじみ日本人だと思う。
CROSSで久しぶりに相棒と再会。それなりの正月を過ごしたようだ。

水戸の帽子女からこれもまた久しぶりにメールが届く。鈴木大拙「それはそれとして、ありがとう」の言葉を噛みしめて生きたいという。
それ相応のお年を召しているのだから噛み過ぎてお体を壊さないようにと願う。

ハンさんから電話。そういえばインド旅行の記念写真の始末がついていなかった。
お得意の「お詫びと訂正」。謝りに徹する。電話口からの応対だからお互いに顔は見えず、怒り心頭のハラ具合まではわからない。それでいいのだ。

山王台の姫とネコちゃんのお顔を拝見。かくかくしかじかなりの挨拶でおわる。
土浦の桜町周辺で元気マークを無料販売をしているらしい桜ガールの声も電話で聞く。さらにお年賀まで頂戴する。姫+ガールの手土産をぶらさげてご帰還。有り難うございます。
かあちゃん留守。さあ、世界一おいしい100円のサバ缶をあけて晩飯としよう。
バイバイ、お休みなさい。 

(写真は2015年1月1日撮影。阿見町花室川河口から見た霞ヶ浦の初日の出)
 
   1月5日(月)

正月休みもおわった。楽しみにしていたが過ぎてみればあっというまだ。カレンダーは前進のみ。偉いものだと感心することしかり。それにしても残念なり、無念なり。
ここで奮発。今日からぼーっ日記が始まるのだ。ふんどしならぬ欠伸を噛み殺しパソコンに向かう。
そして、2015年を自分なりに占ってみる。毎日がハレだ。ハレハレだ。ハレ以外を考えたくないのだ。
過ぎ去った日々に輝いていた虹は、今ではすっかり黄昏雲で覆われている。それでも明日はハレだ。
未来を描く物語が浮かばず退路に導かれるままの明日だが、それでも明日はハレだ。

「ハレハレ、ぼーっぼーっ」と何度も声を出して復誦してみる。
かあちゃんからも金魚ちゃんからもゴキちゃんからも返答なし。
きっと、「ハレハレとぼーっぼーっ」の近未来的で平和な因果関係が理解できないのだろう。
それでもよしと高邁な精神で赦し給うて、今年も仲良くしよう。
 
   
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