怠惰な散歩  2015年

  5月31日(日)

今日で5月も終わり。どうして始まりがあり終わりがあるのかを東京へ行く電車の中で考える。ゴトンゴトンと響く車輪の音色が睡眠導入剤となり熟睡。まっさらになり目をさます。ということで始まりと終わりの哲学的な考察はバブルとなり消える。

神林学生奨学会授与式の写真を撮る。記念写真を含めスナップ少々。昼食会は授与式会場の一橋講堂から学士会館へ。会場ではベトナムと中国の女子留学生がお互いのメールアドレスを交換している。

さて、オジンは中国、韓国、台湾、ベトナムの留学生に囲まれて話しに耳をかたむける。カタコトだが会話は全員日本語。若い人の未来は希望に満ちている。それなりに皆さま頑張ってください。

それにしても、今日の東京は暑くオジンには辛い一日でした。
 
  5月30日(土)

体調がだいぶ回復した。もう大丈夫だと思うが用心して家で静養することにする。

同居者の金魚ちゃんに「おはよう」とあいさつをしてエサをやる。病気知らずの金魚ちゃん口をパクパクさせて水面まで顔をだしてエサを求め食べる。そのツラ、どう見てもハラスカシ金魚。時にはナマズにでも変身してもらいたいものだ。

それから、アサガオ、ニガウリ、トマト、ナス、キュウリに水をやる。おっと忘れてはいけない。昨年、山王台の姫から頂いたユリの花にも優しさと愛情をたっぷりこめ清い水をかける。花芽もしっかりとついている。いつバンザイするか楽しみだ。

太陽がジリジリと強い光を放ち庭を焦がしている。もう、完全武装で夏が到来したようだ。これから、日々暑さが増していくのかと考えるだけでぞっとする。夏を待ちこがれた青春時代は遠い過去のものとなったが、とにかく、今夏も生きてみましょう。
 
  5月29日(金)

今日はゴミ出しの日。かあちゃん強盗スタイルでせっせと励む。病気あがりのおいらでは頼りにならない。こうなると、やはり女は強いと認め頭をたれ礼をいうしかない。

耳鼻咽喉科に行き、鼻の中の清掃と治療をしてもらう。細い管を鼻腔の奥までさしこみ悪さをしている鼻汁を吸い取るのだ。この治療を受けるようになって空気の吸い込みもよくすっきりするようになった。

今まで、思考定まらずぼーっとしていたのは蓄膿症が原因だったのかー。完全治癒したら天才的なひらめきで荒川沖町内に明るい未来をもたらすことができるかも知れない。そうなれば、この老人住宅街のヒーローとして崇められるのではー。考えただけでワクワクする。 
 
  5月28日(木)

CROSSを休む。この原因については、CROSS に出社した月曜日の午後、体調がおかしくなって早退した日から記さなければならない。そこまで書く気力が今はないので後日、顛末記としてまとめよう。

午後、相棒が様子を見にくる。疲れた顔で面会。経緯を説明するが本人もよくわかっていないのでシドロモドロ。お互いに健康には留意しようということで別れる。

ひたすらの療養につとめる。療養ということは病人をさすのかー。残念ながらそのようだ。無念、口惜しい。そこで、世界中で病気で苦しんでいる人のことを考える。どうにもならない。勘弁してくれ。今はおいらがもがいているのだからー。
 
  5月24日(日)

朝6時から昨日の庭掃除の後かたづけ。昨晩、かあちゃん出張介護から解放されて帰ってきた。早朝の後かたづけを手伝うという。あてにしない。きっと疲れはて爆睡していることはわかっている。

後かたづけが終わり近くになりかあちゃん虫よけ万全装備マスクの強盗スタイルで現れる。どきっとする。あらかた終わっていたのを確認して安心したように「残念なりー」。参加することに意義あり。時計を見ると9時近くになっている。=左写真、きれいきれいになったお庭。

朝食がてら荒川沖本郷のカスミへ。日曜日は9時から11時まで10%引き。レジには長い行列。どちらさまも必死に生きようとしている熱気が伝わる。庶民は庶民らしく慎ましく生活するがいい。

その後、5段ギアの自転車で三中地区公民館へ本を借りに行く。図書室2名。事務所には4名の職員。みんなお喋りに余念がなく昼めしと閉館を待っているようにしか見えない。これは山姥的な思いすごしかも知れない。いけないことだ。
 
  5月23日(土)

朝6時に起きて庭の垣根の剪定。かあちゃんは留守だからひとり奮闘。狭い庭なのにそれなりの木々が植えられている。ここ数日、急に緑深く覆い茂り息苦しさを感じていた。休憩しながらがんばること4時間。葉っぱや小枝が入った大きなゴミ袋が6体もできる。トラ刈りの垣根を見て多いに満足する。

昼ごろ、ブログ用の写真をと荒川沖小学校の運動会を見にゆく。突然、ファインダーに知人が現れる。プログラムは「デカパンで仲良し」。親子が大きなパンツをはいて仲よく走るリレー競走。彼は、小学6年生の孫と走っているではないか―。おいらと年齢の差はそんなにないはずだ。すごい、たまげる、負けた。しょんぼりしながら強い日射しにあえぎながらグランドを後にする。

昼食後、ながみねへ。ひと風呂あびて大広間で熟睡。目覚めるなり、一瞬ここはどこかと自分を確かめる。体力が落ちたことを痛感した一日だった。
 
  5月23日(金)

あっ、ゴキちゃんだ。久しぶりのご登場。その体はあくまでも黒く黒く、限りなく黒い。そして、すばしっこくこれなら明日開かれる荒川沖小学校の運動会にも堂々と参加できそうだ。今晩は畳の上で準備運動といったところかー。

さて、明日の休日の過ごし方を考える。庭の垣根の剪定をする。草とりをする。あくびとぷーっとおならを数回する。飽きたら荒川沖小学校運動会にヨロヨロと出向き子どもたちの元気な声をもらいエネルギーを蓄電する。

夕方になると一転して爺の集団が顔をそろえる町内会の役員会に出席。未来を語れない話題にお互いを慰めあう。ああ、こうして一日を終わるのであろう。人の日々の過ごし方なんてこんなものと予測できる―。何とも悲しいことだが、それでもよしとしよう。
 
   5月22日(木)

毎日があくびの連続だ。あくびはあくびをするためにあくびが存在する。
ああ、天才的な発想だ。これなら、かの有名な「ノータリン賞」を受賞できるかも知れない。賞金はと調べる ―。「金魚ちゃんのエサひと袋」。それも近隣のマーケットで自費で購入とある。はたまた驚くのは、選考委員は全員自らのあくびに誇りに持つこと。これには、負けた!!。絶句!!。
そういうわけで、今日も終わりました。

夜の徘徊散歩を終えて帰宅すると山王台の姫から電話が入っている。折り返しコールをすると元気な声。スカイツリ―に初登頂してきたという。忍耐と我慢とあくびをこらえての初登頂。感想はときくと「あれなら横浜のランドマークがよっぽどいい」という。

あくび連続線のおじんはどちらにも行ったことがありません。バイバイ。
 
   5月20日(水)

相棒とCROSSで校正原稿の発送におわれる。それでも午前中で終了。終わるなり相棒はCROSSにはもう用事がありませんと、愛するママチャリでバイバイする。それを屋外の喫煙所でタバコをふかしながら見ていたら、こちらも戦闘気力を失う。そこで、相棒の背中を追うようにCROSSをバイバイする。

さて、自宅に戻り。新聞を読みながら世界を考える。青空公園には明るく爽やかな青空が広がる。考えれば考えるほど何もわからくなる。わからないから生きているのだと開き直る。

無念無想を求め、ただひたすら歩く。靴はジョイフル本田で買った8,500円ならぬ850円のスニーカー。これが一番足にぴったりする。地下足袋感覚から土塊の下で蠢いている声を求めるが、まったく聞こえない。そんなこんなの一日でした。
 
  5月19日(火)

それぞれの人々が背負った重さ。そこで受けるダメージはなかなか第三者には理解してもらえないものだ。

肩こり、首こり、目こり、頭こり、胃こりなど多彩なメニューで症状となってでてくる
その点、金魚ちゃんはエライものだ。
それらの症状を遊泳しながら静かに解きほぐしている。
ああ、ぼくは金魚ちゃんになりたい。

そこで考える。水がなくなったらどうしよう。
田中角栄は、反抗心旺盛なコイが池から飛び跳ねて地上でバタバタしていたらを誰が池にもどしてくれるか―。

世の中、いろいろと難しいものだ。
 
   5月18日(月)

相棒とドローンテスト飛行場開設の記者発表の席に行く。久しぶりにの記者会見会場に出向き懐かしさとともにドロドロとした過ぎ去った現場の日々を思い出す。あちらさまも、こちらさまも知ったかぶりの質疑応答。これも大事な資本主義社会経済の流れ。お願いですから、主催者もマスコミもそれなりに一所懸命に仕事を励んでください。

さては私事。筋力の衰えを感じる。あのコンモリヤマのような筋肉は行方不明。どこかで迷子になり何処かなる土地で彷徨っているようだ。それでは、交番に出向き「迷子の筋肉を探してください」と捜索願いを出そうかと考える―。

こんな話もある。「醤油を買いに行く」と出かけた妻が帰宅しないまま3年経った。また、「靴を買いに行く」と明るい声で玄関をしめ家を出た妻が5年経っても帰ってこない。ダンナは「まだ気にいった靴が見つからないのか―」と待っている。ああ、こうなると時間というのがわからなくなる。バイバイ。
 
  5月17日(日)

大事な大事なお仕事で水戸へ行く。
常磐道沿いの景色は美しい緑に抱かれるようにして車窓を流れる。この季節は爽やか幸せニコニコマークが点灯しっぱなしだ。

山王台の姫に電話。水戸の帰り寄りたいと伝えると役員会で城里町に行くとのこと。
夕方5時過ぎに帰るという。明るい声に誘われるように待ち時間は長いが立ち寄ることにする。さて、4時間ほどの待ち時間をどうやって過ごすか―。美野里町のわくわくファームでのんびりする。ブタちゃんを見る。その後は書店に行き本を1冊購入。公園のベンチで読みながら待つ。

姫と会ったのは午後5時過ぎ。いろいろと相談をする。励まされ心明るくなりルンルン気分で帰る。それにしてもジャケット姿の姫は格好良く似合っていた。
 
   5月16日(土)

久しぶりにブログを更新。毎日に大きな変化などないのだから無理をしてブログを書くこともないのだが、何となく書いておかないとどこかに何かを忘れてきたような気がするから不思議なものだ。

今日は朝からどんよりと曇った空。その中で「茜色の空」辻井喬など数冊の読書と散歩で一日が終わる。姪っ子から「子どもが風邪をひいたので、明日の訪問は中止してほしい」と電話が入る。幼稚園に入ったということでお祝いを兼ねて遊びに行こうと予定していたが、あらためて日時を設定することとなる。

今日は、金魚ちゃんに「おはよう、おはよう」と声をかけただけ。姪っ子のほかに誰とも喋らず。こういう日があってもいいものだと思う。「金魚ちゃんおはよう、おはよう。バイバイ、バイバイ」。
 
   5月11日(月)

久しぶりにCROSSに行く。相棒は必死の形相で仕事をしている。
9日間連続の休みは結局、大半をぼーっと過ごすこととなってしまった。こういう結末は予想されたことだったが―。

タゴールの詩に、「このように 日が過ぎるのなら それでも良いのではないか―」と、いう一節があった。まさしく、「このように ながいぼーっの日々があったら それでも良いではないか―」と、いうことだ。

岩波新書の「なつかしい時間」を読み終えてしばらく経つが、著者で詩人の長田弘が亡くなった。いつかはじっくり読んでみたい詩人のひとりだった。

かあちゃん久しぶりに帰宅。何かどんどん痩せていくようだ。体重38キロ。大相撲をテレビ観戦しながら気づく。関取ひとりでかあちゃん4人が目の前にいることになる。化け物みたいに大きい。大家さんから電話が入る。いろいろと町の話題を提供される。まったよくいろんなところから情報を集めてくるものだと感心する。
 
 5月9日(土)

さて、今日の秘密を話そうか。簡単にいえば朝、かあちゃんとともに目覚めたということだ。それはどういうことかといえば生きているということだ。さあ、わからなくなった。なぜ、夫婦そろって朝になると目を覚ましてお互いの皺くちゃ顔を確認をしなければならないのかー。

そこで皺一本ない金魚ちゃんの顔を見て考える。そもそも金魚ちゃんの顔はどこにあるのか―。考えただけでおいらの脳みそがぐちゃぐちゃになり混迷の渦中に陥る。これはこまったものだ。

どういうわけかカメラのカタログを見る。どういうカメラが欲しいのかではなく、どういう写真を撮りたいのかでカメラの選択肢は限られてくる。それが、わからないのだ。もう、写真なんかやめなさいという神からの啓示かー。辛いものを感じる。
 
   5月8日(金)

相棒から電話がはいる。今日はCROSSにご出勤してお仕事に励んでいるようだ。こちらはゴールンウィークの後半に入っている。ある筆者のTX原稿に添付された写真の解像度が悪いので再撮してほしいとのこと。TXは最新の技術を結集してつくられた。そのせいかホームも線路も完全防御されオリに囲まれたような中で電車が走る。そんな事情もあり電車の流動的な雄姿は写しにくい。昔、そんなことで苦労をしながら写真撮った記憶がある。

ドライブがてら、相棒の注文に従いかあちゃんとTX研究学園駅へ。ホームに入ると少し撮れそうなのでパチリパチリ。

帰り、乙沼公園を散歩。ふところはさみじくシワ多しふたりの頬をなでる夕風が心地良い。元気な声を張り上げ遊んでいる子どもたちを目の前にしながら時の流れに身を委ねる。ああ、平和日本を感じる。限りなくノーテンキに生活することを緑陰のベンチに座りながらかあちゃんとそよ風に誓う。
 
 
5月7日(木)

上野千鶴子が「50代の研究者は若いころの生産性を失って、過去の自分の業績を模倣し始める」という新聞記事を読んで、なるほどと頷く。どういうわけか、62歳で逝った義兄ふたりを思い出す。葬儀の日、思わず「こうなると早い者勝ちだね」ともらしたことがあった。どうもウツはうつうつとやってくるようだ。

朝から読書に明け暮れる。疲れると惰眠。その繰り返しで今日は終わる。

庭に植えたゴーヤ、トマト、キュウリ、ナス、アサガオは順調に育っているようだ。金魚ちゃんに聞く。「明るい話題はないですか?」「バーカ、この時期、農家は大忙しだ。それなのに読書と惰眠をむさぼっているおまえさんとじゃれている暇はないよ」「はい、わかりました」
 
  5月6日(水)

 午前5時、東の空がオレンジ色に輝きだした。決断と実行だ。歩こう。どうも断続的にウツがやってきているようだ。歩いて脳みそに刺激を与えれば世界は明るくなるかもしれない。歩く、歩く、歩く、歩く―。

かあちゃん留守で元気であればいいというものではないと思うが、老々介護実行中で留守。そこで朝食はマック。パソコンを持ち込んでインドがんばる。そこで、また考える。どうしても介護となると女性軍に頼まざるを得ない。男性軍はポカンとしているだけだ。情けないことだと思うがどうしていいものかわからない。

後は読書、読書、バカじゃないかと思う。そこで汗を流そうと自転車で町内をぐるぐる。たどり着いたところがブックオフ。3冊買う。自宅に戻りまた読書。再度、バカじゃないかと思う。いや、完全なるバカなのだと唱えながら自転車のペダルを踏む。道筋には色とりどりのツツジが咲いている。これをゴガツバカ、ツツジバカというのだろうかー。わからないまま自宅に到着。どうもいかんぞ。
 
  5月5日(火)

今日は子供の日。おじぃちゃんやおばあちゃんにも子ども時代はあった。もちろん、わが家のかあちゃんにもおいらにもー。そして、優しくしてくれる数少ない友だちにもあったのだー。だが、それははるか遠い昔のこと。今ではりっぱな達観者ならぬ高齢者とよばれるようになった。なんとも淋しいものだ。それでも、子どもの日は毎年やってくる。子どもよ子どもよジジババを大事にしろよー。

なぜなら、ほがらかニコニコおちゃめでカワユイと優しくされる時間は100㍍走者の瞬きのようなスピードで駆け抜けるのだぞー。

朝を散歩。少しばかりぱパチリパチリ。その後、読書。そして、インド紀行文の作業に励む。頭をぐるぐるまわして考えるがなかなか前に進まない。大枠はできているが細部をつなぐ言葉が浮かばない。力不足を痛感。それでも書き続けるのだ。
 
  5月4日(月)

元気をもらおうと風土記の丘で「野点」を主宰している山王台の姫の激励に行く。しばらくその様子を遠くから眺める。覗き屋だ、いやらしい男だ。.
日差しは初夏を感じさせるような暑さ。大姫は、きびきびと茶席を動きまわり接待している。たいしたものだ。大姫だけでなく桜町の姫丸も手伝いに加わり爽やかな笑顔をふりまいている。

今朝からなんとなくウツ状態だった。覗き見の後、大姫にあいさつをしてしばらく園内を散策。「みんながんばっているのだからー」と、自分を励ますように藤だなの下でぼーっとする。こういうのを「野点ぼーっ」、「出張ぼーっ」というのだろうかー。

天ぷらそばをごちそうになり、手みやげまでもらって帰る。こうなると「激励ではなくタカリ」。少し、ウツが晴れる。そして、ブログを更新したくなった。明日がハレの日であることを祈る。
 
  5月3日(日)

今日は憲法記念日。近年、日本をにぎわしているという物忘れ老人の治癒を願う健忘症記念日ではない。もしかしたら、数十年間後にそういう記念日が制定され、「あなたはりっぱな健忘症です」という表彰を受ける受賞式があるかもしれない。その第1号がおいらだったりして。いらないよ!!。、

草取り、読書、あくびを繰り返しながら一日が終わる。夜、山王台の姫に明日の野点のことで電話。愛猫「マサオ」が亡くなったという。その悲しみをこらえようとしているのか、つとめて明るく元気な声が耳もとに広がる。こらえきれない悲しみなんてないのだよー、と自分にハッパをかけるように受話器を置く。明日は必ず、行こう。
 
  5月2日(土)

朝8時、柴原農園へ。農業体験をやらせて欲しいと無理をいって頼み押しかけたのだ。「おはようございます」とあいさつして簡単な打ち合わせ。弟さんの手元で働くようにーという指示。

さて、田んぼに向かう。仕事は田植機の補助作業。ストックが無くなった苗を田植機に補てんする仕事。それが終えるととにかくヒマだ。心地よい風が吹く。ぼーっと田んぼと田植機の動きを追いかける。単調そうに見えるが細かい動作をしているのがぼんやりと見える。田んぼのあぜ道にかすかに風が吹き雑草をふるわせる。知らず知らずのうちにまぶたを閉じエンジン音を子守歌にコックリコックリ。

コックリ、コックリを運転席からつぶさに観察された新米労働者に下された評価は無用。午後はクビ。それでもよかった。たっぷりと田んぼのにおいをかぎ50数年前に苗運びを手伝ったこと思い出した。はた迷惑だったでしょうが、ありがとうございます。
 
   
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