怠惰な散歩  2019年1

   1月31日(木)

「木は切るな、切るならオレの首を切れ」。王様は都市開発計画が進められている配下の者に訓示した。「パリの憂鬱」(福永武彦訳?)で昔々読んだ。国土開発の当時の社長だった清は、某駅前開発の時、「あの桜の木は地元の人たちの思い出がたくさんつまっている桜の木だから絶対の残すように」と部下に命令した。辣腕営者というイメージがあっただけに感動した。木は切るものではなく増やすものだ。どれだけ、人びとや自然界に貢献しているか分からない。それこそ天文学数字だ。

おいらの家から見える階下の広い空き地には桜の木が一本あり、春になると満開の白いピンク色の桜を楽しむことができた。どうも、その土地は持ち主が不動産会社に売ったらしい。桜の木は次の開発のために無残にも作業員がチェンソーで切っている。おいらは悲しい目で状況を見ている。目頭が潤んでくる。

山王姫宅の庭には大きな樹木が元気に育ち空を覆い隠すほどまでになっている。秋になると葉っぱが舞い落ち豊穣な土となる。それを栄養源として名も分からない幹は自慢気に喜々と競い太くなっている。あの豊かな樹林の素晴らしさをいつまでもと願う。本日で1月も終り。これまでブログを見て頂いた方々に感謝をする。ありがとうございました。
 
   1月30日(水)

今日は金曜日だと思っていた。水曜日だといわれ何か得をしたような気がする。こういうことはよくあることだ。わが家のころころ花壇にやってくる鳥はムクドリ、ヒヨドリ、スズメ、ノバト、ということを「日本大歳時記」で知る。グーグル先生ではない。グーグル先生は何でも教えてくれるが、どこか味気ない。やはり本を開いて調べるのが何となく、しっかりと頭に入るような気がする、

スマホ時代に生まれた若い人はすんなりと受け入れられるだろうが団塊世代はまだまだ紙文化に頼ることが多い。決して紙文化はなくならないと思う。書店に行けば幾種類もの雑誌がずらりとならんでいる。壮観なぐらいだ。一体こんな本を誰が読むのだろうとクビをかしげたくなるのもある。需要があるから発刊しているのだから確実に読者はいるはずだ。

ころころ花壇にやってくるのは鳥だけではなく野良猫も威風堂々とやってくる。エサをついばんでいる鳥を狙っている。当然、鳥はやって来ない。それでも、野良猫は身を低してじっと、ぼーっと待つ。それをおいらは家の中らぼーっと眺めている。長閑な時間は流れ今日も無事に終わるのでした。バイバイ。
 
   1月29日(火)

「無罪放免かー」。昨日、担当医師が胃カメラを一度飲んで見ましょうという意見に従い胃の内視鏡検査を受ける。鼻からにゅうーっと管が入る。何用あるのか?と問う前に先生は「息を吸って吐いて―」。蛇の親戚みたいな怪獣は指示者の先生の従僕か太鼓持ちのように静かに目的の場所に向かう。モニターに刻々と映し出される。「軽く、目を閉じていいです」こうなると半眼、うむ、これは禅の世界ではないかー。結果が「とてもきれいな胃をしています。大丈夫です」。有難いお坊さんの法話を聞いているよう。

「新聞はコトバだ」と書いた詩人がいる。素晴らしい言葉だ。言葉には聞こえない言葉、聞きたくない言葉、聞こえない言葉。それは、まるで電車の操車場のように複雑にからまり、目的地にはるかに遠い時もある。それが日常だろうが、それが積もり積もるとノイローゼになる。残念であり、こまったものだ。
 
   ■悲しみの朝

世界の人々は
便利さと快適さを
求めやまずしのぎあい
戦い続ける
いつのまにか
私も渦に巻き込まれ
泡だてもがき生きる
後戻りできないという
悲しい宿命が
疲れた背中にのしかかり
どんどん息苦しくなる
そういうことかーと頷き
今日も朝を迎える
 
   1月27日(金)

大相撲のテレビ中継を見ながらブログを書く。ハラハラドキドキの横綱稀勢の里は引退して鶴竜と白鵬も途中休場という中で千秋楽を迎えた。横綱不在で大関もバタバタパタパタしてどの力士も優勝してもおかしくない場所となった。テレビの相撲中継は取り組みだけでなく観客席を見るのが面白い。粋な着物姿で相撲を観戦している姉さんや怪しげな人物評価も面白い。

刑務所では大相撲のテレビ観戦がゆるされているという。やくざの親分は自らを力を誇示するようにテレビに映る桟敷席の前に座り観戦する。服役中のやくざの下っ端は親分を見て安心する。娑婆にもどってからの保障として。それが、なんかの事件でチケット販売のルールが変更になりかなわなくなった。

大阪国際女子マラソン、大相撲と久しぶりにテレビの前にどっしり座った。テレビはニュースやスポーツ、ドキュメントを以外はほとんど見ない。老いから来る集中力の低下のせいだ。いい番組もたくさんあると思う。しかし、それも仕方ないこと。バンザイです。
 
   1月26日(土)

NHKFM「ラジオマンジャック」聴く。テーマは「偶然」。山王姫宅と別れ自宅に着くなり偶然にも同時にカミナリが鳴り雪が降りだす。偶然ということについて考察する。偶然とぼーっは何かの架け橋になれるかー。「バーカ、なんで架け橋が突然出てくるのか」とは金魚ちゃんの声。さらに続く。「サラサラヒラヒラ降る雪を見て頭がおかしくなったのか。雪国で暮らしさんざんいじめられたというのにだ」。

山王姫がお土産にアワビの煮物をくれた。姫は丁寧に保冷剤をいれて紙袋にいれようとしたが手元を間違え落としてしまった。落としたところ探すが見つからない。付近にあったテッシュペーパーの箱や炬燵の中まで。さらに、その付近で寝ている猫のピーちゃんまで起こして探すがない。

察するに、もともと保冷剤を手にしていたのかも怪しくなる。「ああ、これだからいやになる」と嘆くが保冷剤は出てこない。「水が出るものではないから。そのうち出てくるのだろう」。新しいの持って来て入れる。これは偶然にも神隠しにあったのか―。年寄、みんなでボケれば怖くないぞ!!
 
   1月25日(金)

ここしばらく、ころころ花壇のエサ場に飛来しなかった野鳥がふわりちょぼちょぼと現れるようになった。これまではエサが豊富な自然界。こまることもなかった。ところが厳寒の季節となりどこも枯山水。やってくるのはモズとスズメ。どちらも一般的で面白くない。それでも水飲み場で乾いた喉を癒すように水を飲んでいるのを見ているとうれしくなる。

空気は乾燥している。女性はスベスベお肌を保つのに毎日苦労しているだろう。磨けば輝くという年代を過ぎたお年寄りにはなおさら辛いことだ。さぁて、そういう悩みの渦中にいる人は―。あたりの知り合いを見わたすと絶望的。ガンバレと応援したくなる。それでも今を生きていることに感謝をしなければ―。

潮来マリーナ社長より電話あり。しばらく動かないで静養していたら体調が回復したという。「動けば回る」の名言をはいた人。それだけにこれからも現場仕事を探して動き回るだろう。80歳になっても「男のロマン」を追い続ける。おそれいりましたです。
 
  1月24日(木)

リルケの「マルテの手記」を読む。これは面白い。どんな時代でも人は悩み迷い苦しみながら生きてきたのだ。ドイツの作家で読んだのはトーマス・マン、ヘルマンヘッセぐらいだろう。それも数冊で今ではタイトルの記憶はあるが内容については覚えていない。

タゴール研究家の我妻先生の専門はドイツ文学でヘルマンヘッセだった。さらに北里大学や千葉大学で医学生にドイツ語を教えていた。しかし、ドイツ文学の話を聞いたことがない。いつもタゴールのことばかりだった。二ランジョンが土浦協同病院でガンと診察された時に担当医師はかんばしくない病状のせいかドイツ語で会話をしていた。先生は「久しぶりに学生のドイツ語を聞いているようだった」。

 寒さに強く、花もちがよいというキク科の「佳花」が姫丸子よりプレゼントされる。目出たいこともないのに不思議。きっと寒さにめげず、鼻水を流さないようにという意味がこめられているのだろう。素直に頂く。ありがとうございます。
 
   1月23日(水)

夕方、吉瀬の雑木林を歩きパチリパチリ。すっかり緑の葉っぱを落とした樹木が弱い西日を受けている。この時間は雑木林に弱い光が射し込みさまざまな黒い影をつけてくれる。これが一つのアクセントととなり写欲をかきたてる。それを探すにはクルマを下りて歩いて探すしかない。

自分の足で歩く歩けることは健康にもいいしお金もかからない。ちんたらちんたら歩く。自分の影までちんたらちんたらついてくる。「なんてこの男はノロマなのだろう―」。黒い影は悲しみを噛みしめながらついてくる。おいらは思いついたように立ち止まりパチリパチリ。黒い影もピタリと歩みを止める。素直なものだ。それにしても体が重い。そうか、昼食をいばぶん事務所のオーナーにおごってもらった。思いきり食べた。それがいけなった。普段の粗食に慣れている胃袋がびっくりしている。

「目で見るつくば」に「奥井薬局」も1ページ追加できないもかのと奥井薬局に木村さんと行く。登美子さん機関銃のように喋る。「今日聞いただけでどうまとめまるかわからない」と木村氏。さて、どうなるのやら―。
 
   1月22日(火)

部屋の中から星が見える。いつも同じ位置で輝いている。山形に住んでいたころの冬の夜空はそれこそ降るように星が見えた。星の名前など分からず知ろうとも思わなかった。ただ、凍えるような寒さに震え眺めているだけだった。母と一緒に暮らしていたころ反物の届けるお使いをたのまれた。兄と冬の夜空を歩いて行った。途中でウンチをしたくなりしゃがんで星空を見ながらしたことがあった。紙など持っていないから雪でやる。冷たさがお尻から走る。

毎晩見える星はなんだろうとグーグル先生に尋ねてみる。すると、星座占いが出てきた。9月生まれのおいらは乙女座。基本的性格として、「感性が鋭く豊か。分析力に富み、物事をじっくり知ろうとする人」。おいらの場合は違う、「慣性に甘えやすく貧しく、分析力に穴があき、物事をあっさりかたずけようとする人」となる。そういうことで今日も終わるのです。
 
   1月21日(月)

「白骨街道」と日本の兵士が呼んでいた。30万人が死んだとも。なぜ、あんな遠くまで人殺し(戦争)に行ったのだろう。「ビルマの竪琴」をようやく読み切る。これはアマゾンで購入。なぜ、今さらという感じだが、これには訳あり。

30万にも死んだというなら土浦市民全部が二度死んで追いつく人数。これはただごとではない。この時代、戦争が起きればその数はケタ違いだろう。ハイテク、人工頭脳と恐ろしい時代に遭遇してしまった。人工頭脳が「人間が地球上に生息するのには負が多すぎる。全滅させよう」と決意して実行するかも知れない。そうなると、かあちゃんも金魚ちゃんもあの世行き。

ビルマはミャンマーという国名に代わった。国名を変えれば全ての負は消えるのか。そうだったら、日本も国名を変えたらいい。バカなことをいうなと一喝され一蹴されるだろう。いつの時代も負の遺産を国民は背負っているのだ。そんなことを言っていた人もいた。ごもっともなことです。
 
   1月20日(日)

おいらの部屋から見えるカマボコ屋根の家の煙突から立ちのぼる煙を見ながら考える。おそらく薪ストーブを使用しているのだろう。マキは怪しげな赤色をくゆらせ燃えているのだろう。炎には同じバージョンはないはずだ。それにあやかるように煙にも同じゆらめきはない。ああ、そうか、昨日と同じような今日を過ごしたとしてもま昨日と全く同じようにコピーはできないのだ。

これは久々の大発見。そうか、日々の暮らしは昨日をコピーしているようだが実際は微妙に違っている。それが退化しているのか進歩しているのかは別としてやはり違っている。これはどういうことか?

そういえば、金魚ちゃんも同じだ。毎朝与えているエサの食いつきが違う。歓喜の尾びれ、どうでもいい尾びれ、まぁ、仕方ないという義理尾びれの振りながら食べる。百態金魚。あんたはエライ!
 
   1月19日(土)

ようやく立って歩けるようになった子どもがチョコチョコと走ってママと競争している。なんとも微笑ましい光景だと見ていたら子どもは体を突っ込ませ過ぎバタッと道路に倒れた、ママは一人で起き上がるのを待つが子どもは大声で泣きだした。「倒れるなら走るな!」「走るなら倒れるな!」「泣くなら走るな!」と怒鳴ってやりたかった。

年寄りも同じで「転ぶなら歩くな」「歩くなら転ぶな」。さて、これは怒鳴るわけにいかない。なぜならそういう体においらもなりつつあるからだ。足から衰えていくのは分かっているから散歩でもと思うが寒さで足踏みしてしまう。こまったものだ。コヨミが早く進んでもらいたいと思うが、こればかりはどうしようもない。

奥井薬局の資料を見る。大変優秀な人物を輩出している。頭脳明晰ということはどういうことか。わが家系とは雲泥の差。どれぐらい離されているからといえば前を走るランナーが見えない。こうなると透明人間で闘いを挑むようなもの。こまったものだ。
 
   1月18日(金)

風の冷たい一日であった。よれよれおじんはそれにもめげずにいばぶん事務所へ。平和の郷といわれるつくば市吉瀬に足をはこんだ。なぜかと問われれば、、茨城県つくば市吉瀬村ををじっくり観察して世界に発信したいからだ。「小さな村から、日本が世界が見える」。いつか、どこかで書いたこと。ああ、それ以来一歩も進んでいないようだ。

目はショボショボ頭カララで筑波下ろしの冷たい風にもめげずスタコラスタコラ歩く。吉瀬に来るようになって初めてだ。とにかく大きな構えの屋敷がゴロゴロしており庭木も完璧なぐらいに手入れされ寒そう。

そういうことで、「土浦幻聴」をひと休みして、新たな気持ちで吉瀬集落を撮ろうと思う。そこで気づいたのだが豊かな自然の散策道がたくさんあることだ。これでは、ぼーっとする時間がないようだ。
 
   1月17日(木)

大久保社中の初釜が石岡のケアハウスゼーレで行われた。かあちゃんもうやうやしく着物姿で出席。本日の茶会は出席した5人の女性全員が着物姿。いつも茶会は略式で行われており、ホームの職員や入居者に正式な茶席を見てもらいたいという主旨。そこで元乙女たちはあでやかな着物姿で登場となった。

入居者もいつもの茶会と雰囲気が違うと感じたのか緊張した面持ちで始まるのを待っている。ピーンと会場の空気が張りつめているようだ。こういう緊張感の中の茶席もいいものだと思いながらパチリパチリ。

山王姫は表千家でかあちゃんは裏千家の流派。なんでも表があれば裏があるからこういうことも当然だろう。そこで各派はさまざまな工夫をして微妙に所作が違うという。素人目には全部同じに見えるところが面白い。

静かな緊張感ということで考える。緊張したぼーっというのはできるのだろうか。決して緩やかでない緊張したぼーっの時間。これはなかなか難しそうだ。しかし、そういうことに挑戦してみるのも悪くないと思う。
 
   1月16日(水)

稀勢の里がついに引退した。ハラハラドキドキの相撲観戦がなくなったのは淋しい。まだ32歳というから、怪我さえなければこれから数場所は相撲が取れたと思うと残念。力士に怪我は勲章とでもいうのかどこかに故障を抱えて相撲を取っているのがほとんどだろう。とにかく激しい格闘技だ。

鴻野伸夫写真展の製作を始める。4月開催だが余裕をもって進めておきたい。奥井薬局の歴史をまとめてみたらと提案したら登美子さんが賛成と手をあげてくれた。そこで資料を見せてもらう。全体をぱっと見て、これはおいらの力では無理か。巨像にアリが戦いを挑むようなものだ。さて、どうする―。

庭の土いじりをする。これが自分に一番適した仕事のような気がする。知的生産性労働に限界を感じている昨今だけに奥井薬局は重荷かもしれないが、やれるだけやろうと思う。
 
   1月15日(火)

空は鈍色に広がりとても寂しい顔をしている。兄貴の家までクルマを走らせる。御供家に残された古いアルバムをスキャンしたデータが見つかりプリントした写真を届けるためだ。兄貴はオフクロが持っていたアルバムはどうしたろうと問いただしてきた。アルバムはオフクロから借りスキャンしたのを憶えている。そして、アルバムはオフクロに返した。アルバムにはおいらが写っているのが一枚もない。生まれる前だから当然。おいらの写真がないならとまったく記憶にないオヤジの写真を数枚スキャンした。

転居やパソコンの入れ替えでデータは何処へお隠れになったのかとクビをかしげていたら、ひょっこり顔を出したのだ。写真を見なおしてみると見覚えのあるのはオフクロと祖母の顔だけ。オヤジも赤の他人のよう。60年以上前の家族はそれなりに一所懸命に生きていたようだ。

午後、17日に開かれるケアハウスゼーレの初釜の準備の手伝いに石岡に行く。山王姫とは久しぶりのご対面。それなりに元気そうで会場づくりに大きくタクトをふりまわしていた。おいらはオブザーバーでぼーっと成りゆきを見ているだけ。参加することに意義ありとでもいうのだろうか―。
 
   1月14日(月)

今日は成人式。土浦市民文化会館も本日で休館する。一緒に働いていたシルバー仲間はどうしているのだろう―。次の職場は見つかったのだろうか―。人間はまわりの環境が変わってもそれなりに順応して生きていくものだ。これは、おいらの経験則。シルバー仲間は人生のベテラン。きっと、うまく立ちまわっていると思う。

石油ストーブにかけたヤカンがカラカラと音をたて白い湯けむりをあげている。どういう理由があって白い煙をはいているのか?。白でなく赤ではいけないのか。そこには国家的なしばりがあるのか?。問うてみるが返答なし。究極的バカの質問に応じることは国家の恥。そうですか、わかりました。

さて、本日も稀勢の里が負ける。もう終わりか―?。無念と残念。人生なんてその繰り返し。郷里に帰ってたくさんのアンコが入った「稀勢の里大福店」でも開いたら。そのアンコはたっぷりでつかみ切れない未来がこめられていると人気になり繁盛するかもしれないよ。外野は勝手なものだよ!!。
 
   1月13日(日)

静かに時間を食う。そうだ、東の空から太陽を昇るのを見ながら過ぎ行く時間を、静かな時間に浸り一日を過ごす。空は晴れている。そして夕方になれば陽は傾き西の空に静かに静かに消える。漆黒の夜の訪れ。思索の時間だ。ところがよれよれおじんはその前に酔っ払って寝てしまう。睡眠が命の元。これが、よく眠れるのだ。ぼーっの特技というのは、いつ、どこでも、なんなく眠れるということ。

今日から大相撲始まる。また、ハラハラドキドキの日々が続く。かあちゃんいわく。どちらかが勝てばどちらがが敗けるということ。見事な正解なり。勝負は白と黒しかない。灰色はなし。天の声のようにも聞こえる。

そういうわけで、稀勢の里はまた負ける。どうしたのだろう。体も心もボロボロ。
高村光太郎に「ボロボロダチョウ」という詩があった。そのなかに「もうよせ―」というフレーズがあったような気がする。「人間よ、もうよせ―」。そんなこんなで今日もお仕舞いです。
 
   1月12日(土)

雨が降る人馬は濡れる。わが家のころころ花壇にも雨が降り花どもは濡れる。雨が降る鼻水がしたたり朝刊を濡らす。そういうことで、今日は久しぶりに雨が降った。大地にとっては恵みの雨だろう。ほどほどの雨ならいいがこれが際限ない大降りとなると始末に負えない。人々はうろたえいつもは信じていない神さまに祈ったりする。神さまもインチキお祈りを先刻ご存知で身勝手な人間の願いに見向きもせずスマホでゲームを楽しんでいる。人々は神さまがスマホに夢中で無理なら我々もグーグル先生に頼んで神さまの登場を願う。スマホの神さまは応えてくれる「よきにはからいたまえ」。

図書館に本を返しに行く。正月は貸出期間が長いことに欲をかき大型写真集をどっさり借りた。そのため重さも相当なもの。「旅の重さ」ならぬ「本の重さ」がどこまで身についたかは不明。これからは数少なくして、1冊の本をしっかりと読み切ろうと心に決める。「嘘つき―、嘘つきー 嘘つきー」とキツツキのような鳴き声が聞こえてくる。さて、わが家では小鳥は飼っていないが―。玄関の金魚鉢が波うっているのでした。
 
   1月11日(金)

お天気もうららか暖かそうということで、笠間の日動美術館に行く。「ARTとEAT食にまつわる美術のはなし」の企画展を観る。食の絵画や陶器、写真はともかくゴッホやピカソなど世界的に有名な作者も展示されている。驚くほど内容が盛りだくさん。これならわざわざ東京まで行かなくてもいいと思う。

食に関する写真公募があり応募した。おいらが撮った2枚の写真も展示されている。どうやら、主催者の想定外か応募点数が少なく送られてきた写真を全部展示しているようだ。

日動美術館の屋外に展示されている彫刻群もいい。青空をバックにパチリパチリ。そういえば箱根の彫刻の森にはもう長いこと行っていない。東京に住んでいたころは気が向くとクルマを走らせ何度か行った。あの元気はなくなった。残念、無念なり。今年は美術館巡りをしたいと思うが、どうなるのやら。
 
   1月10日(木)

おお寒、こ寒の一日であった。この冬一番の寒さだとニュースで流している。きっとアナウンサーはぬくぬくほかほか部屋からマイクに向け話しているのだろう。そこで「この冬一番の寒さ」という原稿を読んでいるだけ。こちらは乏しい暖房器具をフル回転させて寒さをしのいでいる。

一日かけて「目で見るつくば」の原稿に目を通す。目がチョボチョボで頭はクラクラ寒さで体ガクガクと震え、おしっこタイムの間隔のどんどん短くなる。駆けこむトイレでおしっこチョロチョロと勢い弱し。ああ、情けなや、情けなや。

夕方、おいらの部屋のストーブを点ける。しばらくすると庭側のガラス戸がどんどん曇ってくる。外はかなり冷え込んでいるようだ。いつも見える夕焼け空がどんどん霞んでいく。こんなことはこれまでなかった。

寒いのもダメ、暑いのもダメ。そういう時期はクマのように冬眠できる人になりたいと願う。「バーカ、そんなにイヤならずうーっとずうーっと永遠に眠っていればいいじゃないか」。声の主を無視。すべて無視することから一歩が始まるのだ。
 
   1月9日(水)

いばぶん事務所で「目で見るつくば」のうち合わせ。いろいろと相談しながら進める。結局、もう少し見直して完全原稿として入稿することになる。この見直すという作業が容易ではない。こうなると、おいらの能力をフル回転させるしかない。それも怪しいがやるしかないとハラをくくる。

オーナーも途中から顔を出す。ヒゲをはやすようになってしばらくになるが、段々と似合うようになった。自分の顔にすっぽりおさまっているのだ。男はみんなヒゲを伸ばすようにしたらどうだろう。なんとなく不潔で暗い社会になりそうだ。やはり、ほどほどの数で十分だろう。

そういえば、わが家の金魚ちゃんにどうだろうかと覗くがよく見えない。チョロチョロ動きまわるし薄暗い。何より目が悪くなった。加齢によるものですと指摘されれば「はい、そうですか」と納得するしかない。スマホを自由にあやつり細かい文字を素早く打っている若い人を見ると人種が違うように思える。クワバラ、クワバラだ。
 
   1月8日(火)

リルケは「マルテの手記」で、「詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば70年あるいは80年かかって、まず蜂のような蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩が感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ」(大山定一郎訳・新潮社)。これは、茨木のり子詩集からの孫引きです。
そうか、それなら70歳からの詩人はどうだろう。それもありかー。そこで1編。

教えてください

ねぇー
教えてください
川面にちかい
土手のかたすみで咲いている
つぼみは黄色く
花弁が白い花ですよ
水しぶきを浴び
冷たい風に吹きさらされ
凍えながら
一所懸命に咲いている
小ちゃな花ですよ
ねぇ、教えてください
 
   1月7日(月)

サラリーマンは正月気分を追い払って今日から通常の仕事に戻るのだろう。おいにはそのような義務的な労働がないからいつまでもルンルンの正月気分。そうはいっても三度三度メシを食うにはカネが足りない。そのためには働くことだが年とともに狭き門がますます狭くなり今では体をヨコにして入るようだ。

「狭き門」という小説があった。大昔読んだが作者はアンドレ・ジイドだと思う。ここでグーグル先生に登場願う。パッと出てくる。正解はフランスの作家でノーベル賞を受賞しているアンドレ・ジッド

こういう記憶は普段は何処で眠っているのだろう。不思議だ。不思議、不可解なことは日常茶飯事。今日もいばぶん事務所に出向いた。「君は、なぜ、なに用あって貧しい顔を見せに事務所に行くのか?」と問われれば、「ぼんやりとした不安」と遺書を認め自殺した芥川龍之介と同じとこたえるしかない。「ぼーっ」と「ぼんやり」は親戚関係にあるのだろうか?。ぼーっとぼんやりとした絡み合いの謎は深まるばかり。そこで、ぼーっとさようならとする。
 
   1月6日(日)

世の中には、分からぬことも知らなくとも見なくても聞かなくてもいいことが山ほどある。しかし、ほんの常識といっていいことは身ににつけておいた方がいい。それは親からでも教育現場がらでもいい。それに遅れをとった場合はどうなるか。大人になってこまるだけだ。そういうことを本日つくづく知る。

横尾忠則というイラストレーターはある意味で天才、奇才だ。おいらがそう思う類の人物は数十人いる。彼らの仕事には最早自分がいないわからない精神状態の中でそれぞれの仕事している。そこがすごいのだ。あきらかに凡人とは違う。しかしだ、世界はそういう人々だけでは成立しないことも知るべき。

インドのの二ランジョンとパピアから新年メール届く。面白いことに日本人はなし。遠くに住む人は懐かしさがつのるが近所に住む知り合いは遠い人となる。争い事も同じ。今の日本もそんな気がする。金魚ちゃんにそのことを問う。「バーカ、近隣の洗濯物が見える家とは昔から仲が悪いんだよ。垣根のない金魚鉢の世界をしっかり観察しろ」。はい、わかりました。サヨナラ。
 
   1月5日(土)

いばぶん事務所へ行く。お隣の喫茶店は今日から通常営業のようだ。辺りにはりっぱな屋敷が建ち並ぶが人影は見えない。猫が一匹陽だまりを求めウロウロしている。その猫目とおいらの目が合ったとたんに小走りで駈けて行く。何処へ行くのやら猫自身も分かっていないのでは―。そう、おいらも何の目的で事務所へやってきたのか分からない。

詩人の立原道造と茨木のり子の詩を読み比べてみると立原の方は女性的で女の茨木の方は切り口が男性的だ。世の中全体がそういう傾向にあるのもそのせいか。まったく関係ないと思う。

男性は女性より弱い動物のかもしれない。荒川沖に住んでいる頃、向かいの家の主人が妻に先立たれ独居老人となった。町内会の会長などを務め行動と言動はしっかりとしていた。それが、伴侶を失い意気消沈。まったく以前の雄姿は影を潜めた。あの時、ああ、男って弱いなぁーとしみじみ思ったものだ。逆の場合はカミさんの方が憑き物から解放されたように生き生きしている婆さんが近所にはたくさんいた。ああ、こまったものだ。
 
   1月4日(金)

晴れた冬空が広がる。朝からパソコンに向かいあちゃらこちゃらにメールを送る。インドのショットさんから新年おめでとうのメールが入っていたことを忘れていたので返信。彼は今ごろどうしているのだろう。二ランジョンの便りでは今年は例年になく寒いという。彼の住むに西ベンガル州シャントニケトンと日本では比較にならないだろうが、寒さ慣れしていないベンガル人に辛い寒さなのだろう。

寒いと空が広い。広い空は自由だ。なにしろ雲や霧といった邪魔者がいないのだから堂々と青さを披露できる。そうなればシメシメだ。大きく背伸びして両手を広げ万々歳と大きな顔をさらに大きくして青空になる。まいった。

まいってばかりでは人生は真っ暗。年寄りには年寄りの夢を抱かなくてはいけない。そこで考える。そうだ、ぼーっと広い青空を眺めてひねもす過ごすことかも知れない。ところが、情緒不安定なおいらはヨッコラショ、ヨッコラショと動いてしまう。かあちゃんいわく「動けばお金がかかる」。わかりました。さよならです。
 
   1月3日(木)

大きくて広い空を見ると安心する。山形の片田舎で田んぼに囲まれた環境で育ったせいかもしれない。春になると雪どけ水が大量に押し寄せ氾濫する最上川の支流である犬川の近くにわが家はあった。土手を乗り越えてやってくる水に浸からないようにと畳上げで苦労している人々を見おろすように空はどこまでも広く輝いていた。その記憶がこびりついているせいか、雄大で端と端をどこでつないでいいか分からない空が目の前に現れるとほっとする。

K氏から大量の原稿(PDFファイル)が送られてくる。これは集中して読まなければと覚悟を決める。瑞惠先生の事、おいら本人のこと、かあちゃんのことが重なりぼーっとしている暇もないとフンドシをしめる。

夕方、かまぼこ屋根から立ちのぼる煙を見てセンチになる。命の匂いを感じたからだ。これは素晴らしい感動。酒が進む。これはいかんほどほどに―。「バーカはまだフンドシをしているのか。越中フンドシならぬ山形フンドシか。ああ、情けない、情けない」。
 
   1月2日(水)

ただ走ってタスキをつないでいるだけのスポーツ、箱根駅伝をテレビ観戦。これを見るとお正月を迎えたような気がする。走るという単純な行為に何の付加価値もつけない素朴なスポーツだ。しかし、テレビに釘付けになっているわけにもいかず、かあちゃんの年始回りのアッシー君をやる。

毎年のように正月はお天気がいい。空気が乾いて空が澄み切っている。まるでおいらの心を写しとり穢れがない小太郎君のようにも見える。「バーカ、新年早々うぬぼれているんじゃない!」。濁った水槽で新年を迎えることになった金魚ちゃんはおちょぼ口で吠えている。

「写真は光の集合体を切りとった過去のコピーだ」。ウンウンと頷く。そうだ、今年は波風を立てずウンウンと頷いて過ごそう。そうすれば快便、快適、快活な日々を送れるのではないか。金魚ちゃんにそのメッセージを送る。反応有り。金魚ちゃん仲よくウンチを友に揺らりゆらり泳いでいる。なにもかもがうまくいきそうだ。バンザイ。
 
  1月1日(火)

今日から2019年、平成31年になった。平成という元号は終り新しい元号が4月に発表されるという。どんな元号になるのやら。おいらも勝手に考えてみる。「あらら」「そんな」「明日もあります」」

初日の出の写真を撮りに水郷公園に行く。思ったより人出も少なく意中の写真は撮れなかった。狙いは朝陽に染まる群衆がポカンと口を開け日の出を眺めている光景。タイトルは「初日の出とポカン」。ニンゲンは上を見あげる時はどんな人でも半開きの口になるという。残念ながら撮れず。

「時代を語る 林忠彦の仕事」、森山大道「写真との対話、そして写真から写真/写真」を見ながら読む。写真はわからない。すべて過去の記録としかない事実。さらに無限のコピーが輪をかける。文字もしかり。そうやって2019年もブログを続けていこうとしている。恐ろしいことだ。なぜなら、すべてがウソでくるまれているかもしれないし、ウソを信じさせる包囲網にがんんじがらめにされているかもしれない。それすら、分からない時代に入ったような気がするが、すくっと背筋を伸ばして生きてみようと思っている。

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