重なり合う静寂  2018  

手すり

家中、手すりだらけになったね
トイレやふろ場には
昔から備えられていたけど
今じゃ所かまわず
家主のような顔をしている
とうとう玄関にも
息子が日曜大工で作っていった
手すりを利用しながらでも
二本足で歩けるなら幸せよ
じいさん快活に笑う
真新しい銀色の手すりに
朝露が光り輝いている

1


69回目の夏

夏だ、まぎれもない69回目の夏だ
ヒマワリが風に揺れ
遠くから祭太鼓の叩く音が聞こえてくる
どんどんドンドンどんどん 
なにもかも終わった、終えたというのに
なにに胸をときめかせるのか―

出羽三山を見あげながら過ごした夏
あの夏はミーコというブチの猫がいた
群立するビルの谷間から見た三角や四角い青空
あの夏はゴンというヒマラヤンの雑種の猫がいた
妻と別れた翌日にゴンは死んだ

東京生活に疲れ逃げるように
利根川を渡りこの土地にやってきた
筑波山を望み霞ヶ浦に抱かれて
この夏おばあちゃんが九九歳で亡くなり
この夏十年連れそった金魚一匹が昇天
庭の片隅になにかへの怒りをこめ
ふつりあいなほど大きな穴を掘り埋めた

これから何回の夏を過ごせるのだろう
なにを求めなにをしたくて
わたしは生を受けたのだろう
なにもわからずぼっーの日々は続き
「69」という数字は逆さにしても「69」だと呟いたり
とりとめない日々は刻々と過ぎていく

まっ白になって
なにも残さず
生きた痕跡も残さず消えたいと思うが
これまでの汚点の数々は消せるわけではない
それが普通だよといい聞かせても
心の奥底にわだかまる重みはなんなのだろう
わからない わからない わからない
わからないという花束を
両手いっぱいに抱え消えるのだろう

人生は片道切符しか手にできないことをごく最近知った
年をとることは死が近づいていることもごく最近知った
閉じる、仕舞う、消滅する。
なにかわからないものを抱え着いた駅舎には
だあれもいない―まっ白、まっ白。
それでいいのだ、さらばだ、グッドバイだ。

2


 イノチに関わる危険な暑さです

カナカナカナとよく響く声でヒグラシが鳴いて
ミンミンゼミが鳴いて
声の主がわからない小鳥たちも鳴きだして
朝陽が昇りはじめ
空をオレンジ色に焦がしはじめ
時計の針は午前4時40、41、42分……と刻む
昨日の朝をコピーしたような朝だ

多くの人はまだ寝息をたてているのだろう
ひとの気配を感じさせるものがなにも伝わってこない
静寂という爽やかな空気にイノチは抱きすくめられている

あと数時間もすれば
「イノチに関わる危険な暑さです!」
「この猛暑を災害だと認識してください!」
アナウンサーが落ちついた声で活字を追い
身の安全を確保するように呼びかけるだろう

これまで一度も聞いたことのない表現だ
戦後世代のぼくらは
空襲警報を経験したことがない
戦争が真っ只中のあの時代
防空頭巾を被り
毎日がこんなふうな状況下で生きていたのだろうか―
戦争に思想はあったが災害に思想はない
あるのは真面目すぎるほどの寓直さだ
人さまに恨みをかうようなことは何ひとつしていない
勝手に大騒ぎすればいい―。

太陽は何食わぬ顔でギラギラ輝いている
とにかく、今日を生きることだ
生きるということに思想はいらない
生きてやるという意志があればいい

3


 恐怖

世界中が異常気象に見舞われ
世界中の人々は恐怖に慄いているという

人類は、異常な時代をくぐりぬけ
これまで2000年以上の歴史を編んできた

35℃以上は猛暑日とされる
知らなくていいことを教えてくれる
なにを今さらとも思う
からだで猛暑日を体験しているのだから

私の規範に思想はない
好きなだけエネルギーを放射すればいいだけだ
光の強さに右往左往する惑星があり
そこにどんな生き物が生存しているのか
知る由もなけば知らなければならない理由はない

この暑さを災害だと認識してください
それが私にとっても災難の言葉だ 

4


重なり合う静寂 

しずかな夜と
しずかそうな夜が重なり
退屈そうに時刻(とき)は過ぎゆく

その静寂(しじま)をうめるように
コオロギはコロコロ コロコロ コロコロ
スズムシがチリリン チリりン チリリン
夜はしんしんと眠そうにふける

失われた夢の数多(あまた)を
思い出すように
闇夜の空をぼんやり見あげ
これが仕事と輝き続ける星くずに指を折る

ひとっつ、ふたっつ みっつ よっつ―
片手の指では足りず
両手をひろげ夜空にかざし折る
いつっつ むっつ ななっつ やあっつ―
ああ、失われたものは戻ってきゃしないのに

突然、ジェット機が夜空を割いて出現し
もうよせよというように
赤い警告灯を点滅させ
微かな爆音を残し
闇夜に吸い込まれるように消えてゆく

ああー
静かな夜に
夜はしんしんと降り積もり
今晩も眠れぬ夜をいたずらに焦がし
数多の夢を消していく―。

5


茶畑の女 

茶花を手に裸足であなたは歩み寄る
あなたはわたしの前にすくっと立ち
両手を広げ白い歯をのぞかせ笑った
その瞳には青空が映り
背後に迫る深緑の広い茶畑はそよ風に波打ち
カメラのシャッター音が空気を乱すと
二人のあいだに沈黙の時が刻まれるー。

茶畑に点在している
掘立小屋に住み茶摘みを生業としているという
ガイドは日常の暮らしぶりには口を閉ざす
遠くに視線を送ると粗末な炭焼き小屋のようなものが見える
電気を引く電線は見当たらず
灯りは夜空の星くずを拾いあつめているのかー。
飲み水はどこから汲んでくるのかー。
つづら折りの急峻な坂道を登り運ぶのかー。
煮炊きの火はどんな工夫をしているのかー。

爽快な二月の風は渓谷を伝い
標高一二〇〇メートルの樹木をも揺らす
仏教徒が七割というあなたもそのひとりかー。
お釈迦様の歯を祀っているという
朝夕、キャンデー市内の仏歯寺からお祈りはここまで届くのかー。

あなたは私の手から受け取った一〇〇ルピーを握りしめると
再び白い歯を見せ微笑んだ
何だかわからない解放感と安らぎを覚える

翌朝、
わたしはホテルの洗面台の大鏡に向かい歯を磨く
今日、わたしは日本へ帰るのだ
タバコのヤニで黄色くなった自分の歯を見てほくそ笑む
そして、わたしはあなたの白い歯を思い出す

6


朝の光 

「心」という漢字を模った花壇をつくった
心は色とりどりの花を咲かせ
朝露を浴び
そよ風に揺られ
光をふるわせている

遠くではホトトギスが鳴き
ヨシキリやスズメのさえずり
ヒヨドリやモズもまじり
朝の静まり返った
空気を震わせ
風に運ばれてくる

今日、
わたしは生きている

背筋をのばしたり俯いたり
大波小波もたつことがあった
それでも
わたしは今日を
生きている
人生、これっぽちも
未練はないよとうそぶき
これまでの歳月を思い起したりしてみる

去年の暮れだった
これが最後の借家だと覚悟していたが
突然の追い出しをくらった
年寄りにはつらい
市営住宅を申し込み決まっていたが
知り合いから空き家があるからどうだろうとー

早速、妻と見にゆくと高台のどんずまりに平屋は建っていた
一年も借り手がなく
日当たりのよい放置された庭は
雑草がわがもの顔で占領し
真ん中には
どうしてものけられなかったという
筑波石がでんと居座っている

花盛りの庭にしよう
筑波石を真ん中に「心」花壇作りが始まり
一年があっという間に過ぎた
最後は美しいものを愛でながらさらばしたい
もうこれが最後で
次の転居先は棺桶と決めている

7


 幕が下りるとき

薄暗い室内灯の下で
まっ白なステージ壁面を背に
わたしは大舞台に初めて立つことができた
役回りとして与えられた小道具は
チリトリとホウキに布モップと水モップ
モップを両手でしっかりにぎりしめ
教わった手順を間違えないよう持ち替え
台詞なしでただうつむいて
広い舞台を往復する
くたびれた掃除夫に
バックミュージックはない

定年退職後は
働ける仕事がどんどん狭められ
救いの場を求めるように
シルバー人材センターに駆け込んだのは
昨年の今ごろ
新緑が眩しく輝き
どこかしこも生命力で漲っているようだった

ロングランの公演は一年続いて
いまだに幕が下りる気配はない

「休みやすみやってください」
「こんなところで倒れられたらこまりますから―」
管理職員のやさしい言葉は本物と信じたいが
そんなことでふりまわされるのはごめんだ、とも聞こえる

一二〇〇席の椅子にはひとりの観客はおらず
暗い室内灯の下で沈黙し微動だもしない
それでも、わたしは生まれた時から
観客席の椅子たちに操られていたような気がしてならない

8


期待するもの 

雨上がりの朝
湿った空気が体を包む
何を期待し散歩するのだろう
低血圧で朝の弱い妻は
うつらうつらまどろみ温かい味噌汁の具材を思案中か―
期待し期待するものは
ふたりだけの食卓に漂う
ほんのりとした朝の匂い

9


朝陽 

水郷乙女像に訊く
未来の空は
どんな色かと
どんな匂いなのかと
どこまでも青く澄んだ空は広がっているのか
どこまでも香しい匂いに包まれているのか
乙女像は遠くを見つめ
ただ黙して朝陽を浴び
どこまでも明るい未来を信じようとしている

10


 夏がやってきた

夏がやってきた
聞こえる波音は
限りないときめき色
二人の胸を熱く焦がす

夏がやってきた
若さだけで突っ走るのではない
まやかしをひらかすのではない
ぼくらの愛のメモリーを
まっ白なキャンパスに描くことを誓うのだ
なにもかもまるのみしてくれる
偉大で寛容なる海を信じー

11


海、叫び 

ザッザザアー ザッザザアー ザッザザアー
あなたはこらえきれなくなり
大きなくしゃみをした

わたしに思想はない
ただ、おもむくだけの意思が動いただけだ
病気が重くなったのは
わたしをないがしろにしてきた
ニンゲンたちのせいだ
堰を切ったように
何もかにもぶちまける
ザッザザアー ザッザザアー ザッザザアー

その瞬間
わたしのすべての器官は
いたたまれず咆哮したのだ
大地も海原も山河も
しっかりと手を取り合って
病気に挑み訴えたのだ

地上に棲む生き物たちが
阿鼻叫喚の世界の渦に飲み込まれ
嘆き悲しもうが
わたしには何の傷みもない
この戦いに思想はいらないのだ
ザッザザアー ザッザザアー ザッザザアー

12

 朝の足音

朝日の射す
老健施設の廊下
パタパタ パタパタ パタパタ
介護士の忙しげな足音
スーッ スーッ スーッ
明日への回復を信じ
リハビリに励むお年寄り
朝はそうやって
グッドモーニング

13

秋 

空の向こうに
また空が広がり

その向こうに
また空が広がり

食べきれそうもない
綿菓子がありそうで
こまっています

晴れた
秋の一日。

14

  
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