春、少女へ          
                 
            1980年代


夏がやってきた 

夏がやってきた

去年もその前の年も

夏がやってきたはずだ

 

ぼくらは

訪れる夏ごとに

一つひとつの夏を打ち消し

まったく新しい夏に期待をよせ

夏のさ中を走りつづけてきた

 

今年も夏がやってきた

それはきみにとって

まったく新しい夏を経験するのかも知れない

それでも すべての真実を知るために

打ち克たなければならないのだ

 

銀河宇宙船に乗りこむ母に

きみは無事を祈り

満願の笑みをたたえ

見送らなければならないのだ

 

すべてを打ち消し

まったく新しい未来へ向かって

起つことを恐れてはいけないのだ

 

未来の混沌と不安や

耐えられる悲しみに

うち克つ力は ぼくらにはあるのだ

 

晴れた夏の夜

静かに お星さまとお話しするがいい―。


01(金澤詩人賞2019年11月29日応募)

 

ぼくはだんだんと
夏がいやになってきた

あんなに好きだった夏なのに
と、ぼくに聞いてみた。

ぼくの夏は遠くに遠くに
いってほしいと泣いている。

夏に泣くなんて
まるで、メンコを知らない子どものよう。

夏よください。
薄い竹箱に入ったアイスクリーム
ぼくはとてもおいしく食べた。

あの時の夏は
アイスクリームの甘さと
溶ける口惜しさと
生まれて初めて見た青い海に
わけもなくふるえていた。

今、ぼくは
夏を
うしろから蹴とばしてやりたい。

02

 

菜の花の上に
両手をのせ
見つめた
山間から見える
ぼくらの空は
くす玉色だった
朝、
ぼくらは大きなくしゃみをした
夜空は
満面の笑みを称えると
一瞬にして
消えた

03

  一枚の写真から

ぼくは舌ざわりを失った
ぼくは匂いを失った
そして
ぼくは
とつてもいい気持ちになれなかった
一枚
裸になった女性の写真の前で
ぼくは
五感のすべてを
失われていきそうだった

04

 誕生日

ぼくがちいちゃなちいちゃな子どものころ
父と母がいないというだけで
毎日、雪が降りっぱなしだった

ぼくが少年を過ぎるころ
道端には彼岸花が咲きっぱなしだった
ぼくは
毎日踏みつけながら歩いた
それでも、うしろからうしろから
彼岸花は地上に赤い花を咲かせていた

ぼくが成人式を迎えるころ
菊の匂いがたちこめる棺におさめられ
ぼくは永遠に消えることになった
ぼくは悲しくなって
青空を見たいと泣いた

記憶につながる
ぼくの生は
それっきりで
去年30歳になったのだとH・Sに言われた夜
ぼくは誕生日の暦の上に
おもいきりザーメをぶちまけた

それが、実にイキのいい奴だった
これじゃ
煮るか焼かないと食えないと思った

05

 東に進めば

ぼくはたくさんの言葉をもらった

食べきれないケーキのように

ぼくはたくさんの言葉をもらった

 

地上に吐き出された言葉は

多摩川の土手を駆け抜け

東に向かって進めば間違いない 

言葉を運んでいる風は応えていた

 

たどり着く場所を

ぼくは承知していた

 

そこには深いお濠があり

石垣に囲まれた

菊のご紋のお城があり

言葉の神さまがいるはずだった

 

言葉の神さまは

眼鏡の奥から

ぼくの言葉をかみしめ聞いていた

 

ぼくは有頂天になり

ミキサーで混ぜ合わせるようにして

夢中で喋り続けた

 

言葉の神さまは

ただ 遠くの空を見ていた

青い空は限りない静寂をたたえていた

 

ぼくは悲しくなり

言葉の神さまを見つめた

神さまは

昔 ぼくの村に住んでいた

口をもぐもぐと動かし

日だまりでノミを取っていた白髪の老人と同じだった

 

言葉を噛んでいるだけで

飲み込んで消化できなく

とてもこまっている様子だった

06(金澤詩人賞2019年11月29日応募)

 怠惰な話

ひもといでみた
玉手箱を開けて
ぼくはびっくりした
「結婚するのです」

「結婚するのです」
山や谷や川や。花や水や、小鳥や、
動物や、空や、雲やー
そんなものではありません
相手は人です
それも女性です

ぼくは玉手箱を
何度も揺すってみた
夢や夢の続きじゃないのかって

結婚するのです
わかちあえる
力の関係を
奇妙に保って
ぼくは
彼女と
結婚するのです

そして
二人は生きるのです

07

  風の便り

愛した女(ひと)は
雲の上に乗って
三年と三月と三日になります

耳をそばたて聞く
風の便りによれば
満開の桜の下で
酔いながら
花びらをあつめ
首飾りを作っているとも

せみ時雨を合図に
海岸でパラソルを広げ
彼岸の頃まで
毎日、海を眺めていたとも

イチョウ並木を
時計の針のような正確さで
夕暮れになると歩き出し
二人の部屋に敷く
絨毯を編んでいるとも

降りしきる
雪の中で
せっせと
カマクラをこしらえては
おもちを焼いているとも

風の便りによればば
愛した女は
雲に乗りそこなったとも聞いています

そして
生きていた頃の
あのうるおいのある目で
季節を追っているとも聞いています

08

  春、少女から

地上には
生まれて来なくても
いいひとは
たくさんいるけど

殺してもいいという
ひとは
いつの時代にも
ひとりもいなかった

夜になったというのに
おとなたちは
まだ
影ふみをやめようとしない

09

  空に

晴れた空の彼方に
食べきれそうもない
綿菓子が
雄雄とぼくを見下ろしている

聞こえるかい
ぼくは
すっかり酒に浸り過ぎて
君を食べたりなんかしないよ

ぼくの瞳は
汚れちまって
ぼくの体は
まいってしまってるけど

とても
もう一度
君を食べようという気など
おこりゃしないよ

それでも
黙してる君は
ちいちゃな子どもに
とつてもない夢を与え
とつてもない落とし物を
与えるのだろう

ああ、
それは真実らしき
真実の
真実なんだ

ぼくは二度と食べないよ

10

 

空の向こうに
また空が広がり

その向こうに
また空が広がり

食べきれそうもない
綿菓子がありそうで
こまっています

晴れた
秋の一日。

11

 不安

ゆすぶる
こころに
泣き止まぬ
不安が重なり

ぼくは
泣きながら
母を追いかけた

レールを走り
レールを走り

着いた所は
ぬくもり失った
東京の母だった

12

 原爆ドーム

わだつみの声が聞こえる
耳の裏側に
染みついたように
ぼくから離れようとしない

西方に旅したのは
数年前の
夏に近い春のことだった

ぼくの喉はカラカラに乾き
ぼくの魂は
クラゲのように揺れていたが

原爆ドームのかたわらに
うららかな陽を集め
起っている記念館で
ぼくがあれを凝視した時から

すでに
今日まで動こうとしない
ぼくはおろかで
おっちょここいだけど

涙は人並みに流れ
膝をガクガクと
音をたて崩れていくのが
よくわかった
ヒトよ、ヒトよ
ヒトは
ヒト殺しもできるんだったね
たったひと握りの
はしにもかからない
ただ、驕りのためという名だけで

トレンチに
人々だけが
今は
おが屑のようにくすぶっている

色の濃さといい
臭いといい
形といい
オードブルだけが俯いて
シルバーのトレンチは
まるで
別世界のような
素晴らしさだ

ぼくはもう歩けないよ
ぼくはもう目明きは嫌だよ
ぼくは十字架など背負う
気力も体力も
とうの昔に
汚れきったドブ川に捨てたんだよ!!

13

 夢よ

夢はいつまで続くのか
ぼくを愛してくれる女が
あまり身近に現れたから
ぼくの言葉は投げやり
ぼくの態度はひねくれ者
君はなぜ
そんなにぼくを庇うのか
地中の奥底から噴出するような
優しさは
君のささやかな未来への
薄明だと信じているとしたら
大きな間違いだ
しかし、若さは
夢をみることだけで
精一杯なのかも知れぬ
おもいっきり
君を抱いてみたいが
この肉体は
土に還る術しか知らない
人は骨を抱くことはできるが
骨は人を抱けないのだよ

14

冬や 

凍てついた空の彼方に
光あまたの星くず
三日月が斜めに寝て
ゴウゴウ、ザワザワ
波の音が聞こえる

眠れぬ夜は
星の数のように
あまたの夢を追うがいい
眠れぬ夜は
並のように
人の優しさを追うがいい
眠れぬ夜は
ただ、在るばかりの
ただ、在るばかりの
海のように
目を開けて脈をせきたたてていればいい

15

 セブンティーン

 ママ、ママ、
 聞こえるかい
 このときめきを
ぼくは起つことを
 覚えちまって
赤貝の食べ方を
 知っちまった
セブンティーンの
 輝く白い海鳴り
ぼくは、ぼくは
 いつも握りしめて
 語り掛けるのさ
君よ
 天なるものへの
  飛翔を試みよ!!

16

 ピエロ

鰯雲の背に

幅広い肩をいからせ

疾風のように消えてゆく

ピエロの丸い赤い鼻

 

すでに失われたものは

客席から還ってきゃしないのに

怒涛の拍手も黄色い奇声も―

 

小刻みに動くピエロの姿勢は

グッドバイの挨拶に変わり

 

彼岸のころ

縁側で母と見た

うさぎの餅つきを

二度と見ようとしない

 

あれじゃ

あれじゃ

童話の本を広げるのを忘れた

哀しいピエロの最後だよ

17(金澤詩人賞2019年11月29日応募)

  流れ

もんもんと もんもんと
ゆれゆれ、ゆられゆられ
青い葉の水晶

さらさら さらさら
ひかり ひかり みずみずと
重なる光の色。

おちこぼれ ながされ
うらぎられ うらぎられ
とけかかる生の息づかい

いくばくのひめごとを
もよぎ色のまま
だきしめているのだろう

もんもん もんもんと。

18

 あかね空

あかね色に研ぎ澄まされた
刃の命。
磨かれた重みを
ただ、照らしていた
あの赤い色は
燃えつきるための命。

休息はまやかし。
過ぎしみどりの日々は、
幼児の記憶。

愛された命を
僕はどうして燃せばいいのか
ただ、疑心、疑心のまま。

遠く秋の鱗雲を追う
継子は
けして、秋とは知らなかった

19

歳月 

その昔、
僕はひとりであった。

たった、
ひとりの人間であった。

風のように舞ったり
雲のように泳いだり、
空のように飛んだり

とつてもない
ひとりの人間であった。

今の僕は
土壁に磔にされ
棘の多さに
まいっているだけです。

20

 いつわり

傷口は明るく
透明に開いていた

透かしてみてごらん
なにひとつないじゃないか
一本の骨も
一本の血管も
みんな溶けてしまって
残っているものといったら
乾いたザーメ
それだけを大切に
僕は
股間にぶら下げて
生きてきたのだ

僕は
君を愛していなかったのだ
ただ
気分が向いた時は
君のアナポコが欲しくなったのだ

ほらほら
乾いてしまったというのに
ザーメはまた動き出し
チンポコまで
強靭な弓なりを見せ
天に昇ろうとしているよ!!。

21

 貧乏人と酒 

貧乏人には
場末の赤ちょうちんで
汚れたカウンターに肘をつき
安酒を
コップの底を覗きながら
割りばしをカタカタならし
酒を飲むのがよく似合っている

隅にある公衆電話では
学生が親へ
仕送りの催促をしている
うまくいかないのか
だんたん語調が荒くなる
しかし
なんだかんだと話しているうちに
ありがとう
という弾んだあいさつで終わる

同じ貧乏人でも
よく分からない貧乏が重なって
残り金を気にしながら
ぼくは酒を飲む

一本の線を通した
向こうには
父がいて
母がいて
愛する兄弟がいて
愛する故郷がある

ぼくは酒をみる
貧乏を酒にみる
そして自分の肉体を考える。
頑健な肉体を考える。
酒は貧しすぎた人が
編みだした手淫のようなものか
酒は豊かな人の驕りのようなものか

酒を見る
自分を見る
ぼくは手淫を知らなかった
愛する故郷を知らなかった
ぼくは子どもだった
目の前にあるものが
すべて一条の糸で
つながっていると思っていた

すでに、ぼくは故郷を失い
父を失い
母も失いそうになっている
父が、母が、残してくれた
姉や兄とも
だんだん疎遠になっていく

ぼくに与えられた生を
酒に見る

ぼくは愛したい
かつて知らずのうちに
ぼくが抱きしめていた
ぼくの故郷や
記憶のとどまらぬうちに
死んだ父や
死ぬことの準備に忙しい
老いた母や
姉や、兄を
ぼくは
力強く愛したい

そして
培われた貧乏だけの絆を
なめあうようにして
場末の赤ちょうちんで
コップ酒をかち合わせながら、
カウンターに肘をついて語りたい
故郷や精神や
青空や夕陽や
愛する地上を語りたい。

22

 白い包帯

白い包帯に身をつつめば
君よ病人だ、そっとしていなさい

ひとよ
ひとの優しさは
雲間から射す陽のように
呼びかけることはできぬものか
めくりめくるまわる
暦の中に
いくつの過ちを繰り返せば
気が済むというのだ

ひとよ
ひとは乳の枯れた山羊を
愛することはできぬのか―。

23

 君よ

君よ見てしまったね
肉塊というものを
あんまり赤すぎ
あんまり小さく
何がなんだかわからなかったが

あれじゃ
ヘイいらっしゃいと
店先には陳列できないよ

あの肉塊は
形も不透明なうえに
男女の区別さえわからず
名前さえついていないのだから
とても
へいいらっしゃいと
店先に陳列できないよ

泣いているような気がする
あの赤い肉塊が
きっと
まいごなんだよ

24

  線路の向こうに

それじゃあんまり
まっすぐすぎて痛くないですか
かたちは
たしかに整って
オリンピック泳者を
目の前でみるような素晴らしさですが
相手は
二本の線路と電車
スターターもいないのに
目の前に迫った
電車にエィとばかり
かけ声も勇ましく
あなたは何処へ飛びこむのですか?
私は知りました
死は生と違って
エィというひとことで
誰もが断ち切れるのですが
自らの命を抹殺するのには
熟練された病と未熟な病を
頭のてっぺんから足先まで
蔓延らせ
おもいきりのよい踏み込みの大事さを
とにかく知りました

私は生きます
死をあこがれた青い時代はとうに去り
自らの生を
ことごとく全うして
くそじじぃくたばれくたばれ
とこだまが
戻ってくるほどまでに生きようと
あなたの
エィと
垂直に伸びた
後ろ背を
目の前で見てからは
とくに
私は私に言い聞かせるのです

25

 青い精神

乳母車にのった
青い精神は
今日もぼんやりと
青い空を見ている
季節は巡り
白い股引が
スリムのブルージンには
窮屈な冬がやってきた

はかない肉体の火照りも
すっかり影失せ
空っ風の吹きさらむ道を避け
乳母車にのった
青い精神は
暖かい縁側で
コックリコックリと
まあ健やかに眠っている
全てはブルーを反射させ
28歳と3カ月の男は
眠っている

26

 兵士よ

兵士よ 弾丸をこめよ

兵士よ 照準を合わせよ

兵士よ からだの震えを止めよ

兵士よ 肩の力をゆるめよ

兵士よ 呼吸を整えよ

 

兵士よ………

好きな恋人の

ふくよかでやわらかな

乳房を愛撫するように

 

兵士よ ゆっくりと

兵士よ 引き金をひけ

兵士よ………

兵士よ………

兵士よ………

ああ―

ああ―

 

ところで

的はなんですか?

27(金澤詩人賞2019年11月29日応募)

 弓形線

あの空を見ていると
弓形線を描くような
猛烈な恋ができそうだ

金属音を残して
飛ぶジェット機の
飛行機雲の爽やかさに似た

夏の乾いた魂に
焼けつくような恋が
できそうだ

空よ、空よ、なぜ青い
食べ過ぎた青空のパックを
ぼくはどこに捨てよう

28

 お日さま

こぼれ落ちそうな
お日さまを
どうやって網ですくおうか
明日は学校で
満点が100の十五夜お月さん
ぼくは裸馬
ぼくはミンミンゼミ
ぼくはフナ
ぼくはバッタ
ぼくは鬼ごっこの名人
赤い前掛けつけた
お地蔵さんに
ウインクしよう
お日さま
お日さま
どうか山の彼方に
沈まないでください

29

  雨音

闇夜の研ぎ澄まされた
静寂の中に
聞こえる雨音
あれは
天と地を結ぶ
唯一の渡し舟なのかもしれぬ
あれは
空を飛べぬ人間の
哀しみの詩なのかも知れぬ
語り部の君は
今ごろ桃色吐息に備え
寡黙の陰部を開くように
体中に石けんを塗り
今夜の協奏曲の準備に忙しい
ぼくは疾走する放射に備えて
ウイスキーを
雨音で割るように飲む

30

 郵便局

哀しみを失った目に
あふるるばかりの涙は
二度と
野原を越え

谷を渡り
山を登り
雲を縫って
空へ還ろうとしない
あれはあまりにも大きな落とし物
君の怠惰が
料理をできぬ手や足は
汚れた畳の上で寝そべっている
起き上がることは
とんでもないまやかし
ましてや
鏡の前に座り化粧することなど
行執台にたつようなこと
やさしさは
駅のコインロッカーにしまいこまれ
悲しみは
速達便でやってくる
いつも買いに行く郵便局の
窓越しに見える
極彩色の切手は
悲しみを捨てるには
あまりにも美しすぎる馭者たち

31

  満潮の時

静や
動や
空間に生じる無とは
きっと やわらかい
おまんこの襞のようなものだ
満潮
引き潮を
よくわきまえて
いつも
妖艶の笑みを湛えている

32

  夢の彼方に

風や木漏れ日や
霧のたちこめる町を
ぼくはよく歩いた
この先が
どのように展開して
どのような結末が
スクリーンに
映し出されるのか
ぼくは分からなかった
しかし
ぼくはよく歩いた
女々しい愛を求めて
公園で休む鳩や
池で泳いでいる
小魚や鯉に
虚しい胸襟を開いて
求めたものだった
とても耐えられそうもない
ざわつきや
苦悩をいとも簡単に
吐露したものだった
水溜りに映る
空の青さを
摘み取ることができぬように
一握りの感傷を
宝物のように大事に抱え
夢や夢の続きを
いつまで
追いかけるのだろう

33

  ポルノ雑誌

いつも人はひとりの方がいい
と、思っていた
ぼくは大事に
一冊の外国製のポルノ雑誌を
持っていた
処理できるものは
全てひとりでかたずけようと
大事にだいじに持っていた
その雑誌も
本物の女性が
突然に飛びだしてきてからは
深く暗い場所へと移り
今は
何処にあるかもわからない
それでも
まだ手もとにあることは
その女性が
薄っぺらな紙の上に座り込む時が
必ずやってくると信じているからだろうー。

34

酔っ払い 

酒の酔いは
悲しいかな
いつも本物で
濁流のように
体が押し流される
ああ、
呼びかけた
あわいきらめきのあまたは
いつの夜も
朝を迎えるまでの
瞬時の輝きでしかなかった
おやすみしてる
子どもたちよ
明日は、また
その豊かな未来に向かって羽ばたくのか
その時、ぼくは
布団の中にもぐりこんで
ひとりで、一日中
悶絶してるというのに

35

  老いた電柱の陰から

大きな家の門構えは
なんてしっかりしているんだろう
隙間なんかありゃしない
あれはきっと棲む人のこころが
荒んでいるから
外側だけでもぴったりと
閉じているのだろう
それに比べて
市井の人の住む家並は
なんて温かい
佇まいで包まれているのだろう
あの表札も
あの垣根も
ひと吹きの風に壊れそうだが
あの路地にも
あの老いた電柱の陰にも
澄んだ声があふれ
太陽さえも
恥ずかしがって
まともに照らそうとしない
幸せは
不思議なこころのつながり
向こう三軒両隣から
静かに
運ばれてくるものとは知らなかった

36

  土に還る

夢はいつまで続くのか
ぼくを愛してくれる女が
あまりに身近に現れたから
ぼくの言葉は投げやり
ぼくの態度はひねくれ者
君はなぜ
そんなにぼくを庇うのか
地表の中から噴出するような
優しさは
君のささやかな未来への
薄明だと信じているとしたら
大きな間違いだ
しかし、若さは
夢を見ることだけで
精一杯なのかもしれない
思いきり
君を抱いてみたいが
この肉体は
土に還る術しか知らない
人は骨を抱くことはできるが
骨は人を抱けないのだよ

37

 言葉の並木道

言葉は
もう掌の上にのらない
二人が
いつものように歩く
並木道の影も寄り添わない
遠く、近く
あるもののあるものが離れていく
静寂
静寂の散歩が長く続く
風は
風にのらない

雲にのらない

陽にのらない

空にのらない
子どもの頃
ぼくは
風にも
雲にも

陽にも
青い空にも
飛べたものだった

38

燃えつきるもの 

燐寸を取り上げ
火を点けてみる炎は
確かな暖かさを添えて燃える
燃えつける痛さとは
死ぬことだろうか
右手で押さえる
煩いっぱなしの
この胸の痛みは
本物か―。

39

 夢のはて

人の世の道すがらに

彷徨うきみよ

いつの日か旅立つことはあるのか

求めえやまなかった あまたの夢や

その夢から夢への続きはどこへ消えたのだ

 

老いた大木の下で休むきみよ

きみの休息は

いつ果てることもない

時間の連続の中に押しこもうとするのだ

その体の中心部から

与えられる引力に寄りかかり

幾多の嘘を塗りたくれば

きみは気がすむというのだ

語るべく友さえ遠くに去り

 

ふり返ってみても

いく年の夏を迎え

いく年の夏を捨て

肉体に埋没させようとするのだ

心気さや困惑などは

とうの昔に捨てざるを得なかったのだ

 

きみの手や足や顔を見るがいい

いくつの夢を上塗りしては

石鹸で洗い流してきたのだ

もうよせ

つまらぬ秘めごとは

あぶくいっぱいのきみが

へその緒を切られ

産湯で丁寧に洗い流された時から

きみには夢など何ひとつなかったのだ

 

きみよ ひとの生の道すがらに起つ

影法師なるものが

きみと宇宙を結んでいる

救いの架け橋であることさえ忘れ

きみがいつも語りかける優しさは

足うらにこびりついた

あくがれだけの夢にしかすぎなかったのだ

40(金澤詩人賞2019年11月29日応募)

目覚める季節 

いつも思っていた
目覚める季節が
雨が止む時を
しかし、ヒトは
痩せた神にはなれぬのだ
ざわつく林のひと時に
ここをふらつかせるのだし
男は女のやさしい声に酔ってしまう
歩き疲れて
急に足早になる時
すでに人は駄目になっているのだ
疾走は未来じゃない
気怠さの腕に持つ
数多の夢は
蜃気楼でしかすぎないのだし
雨宿りする家の庇は
人のつまらない汚泥物で壊れそうだ
悲しさや 喜びや
行く手の開けた
朝焼けの道に 人は
何を欲しているというのだ
人が背負い続けてきた重みとは
大地に立つその人であることさえ
すっかり忘れてしまって
ぼんやりと雨宿りをしているのだ
そして
いつも思っているのだ
目覚める季節が―
雨が止む時を―

41

喧騒 

時ならぬ喧騒が続き
驚いて見上げる空は
まぎれもない紺碧の空
君や君の家族が望んでいた
平和とはこういうことを
さすのだろうか

長い間磨きぬかれた
生への鍛錬や
静寂をうめる
無味乾燥な言葉の放出も
一つの平和な家庭の中に
必要とするもであったのか

痛々しい傷口に
わけのわからぬ薬を塗布して
白い包帯に身をつつめば
君よ病人だ
そっとしてなさい

人よ
人の優しさは
夏の白い雲の上から
呼びかけることはできぬのか

両手を広げ求めた
愛の蕾を摘み取るような
しっぺ返しや裏切りは
人の上に正座した
悲しい童話でしか過ぎなかったのではないか

人よ
人の生き方は
川の岸につながれた
山羊のようなものかも知れぬ
乳の出るうちは
洪水のように愛され
乾いた乳房をなでるころ
君は川に放り投げられるのだ

人よ
聞こえるか
夕焼けにこだまする
あの澄んだ幼児の歌声が―

42

遠い道 

二人は
よく歩いたものだった
海岸や
森や
山や
川や
町や
村や
家や
茶碗や
箸や
皿や
湯飲みや
歯磨き粉や
石鹸や
布団や
敷布の上を
二人は
よく歩いたものだった
のちの
のちへの
色縫いのために
二人は
よく歩いたものだった

43

夏へ 

君は青いジーンズで
いつまで街を歩くことができるのだ
君はいつまで白いスニーカーで
走ることができるのだ
君はあの青い海を
いつまで抱きしめていることができるのだ

夏がやってきた
今年も迎える夏の
身支度もできぬまに
夏がやってきた

それでも君は
海へ 海へ
いつもの恰好で
夏の海へ出かけるのだ
そして見つめる海へ
君は話しかけるのだ
還らぬ優しさを求めて
忙しく
話しかけるのだ

君はあの青い海に
潜ることができれば
まだ還れるところが
あるという

しかし
人は
静寂の
海や空を
永遠に抱きしめていることは
できぬのだ

おぼつかぬ
口を動かして
語りかける未来や
そのまた未来は
波間のクラゲのように
すっかりと空白になって
夏の終わるころ
自分に
還れることができるのだよ

44

  午後5時の放射線

小さな脳髄を
あけると
広場には群衆がつめかけ
眩しいばかりの陽を
散りばめていた
そこには
確かな今日があり
そこには
明日があって
そこには
長い影を引きずった
ぼくがいた
陽は昇るのか沈むのかさえ
定かでなかった

晴れた空の下で
ぼくは小さなたましいを
陽に向けて放り投げた

失われるものは
無限で
死は
時の経過の
ひとコマにしか過ぎないのだけれど
囁きかけた未来は
薄い
透きとおった
コップの外

西日の射す部屋だった
たった一つの偽りの休憩所
ぼくはうれしくなって
何時間も
その部屋に居た
冷たいばかりの
白い陶器は
水を
さらさら さらさら
浮かべていた

魂のないぼくは
飛ぶ 飛ぶ
アンドロメダの
還らぬ光を目指して
或いは
熱いヒマワリを目指して
或いは
午後五時の
放射線に向けて

45

比較するもの 

比較するものがそこにあるから
君の乳房は小さく
君のおしりも貧弱に見えるけど

乳房の重さで計れぬ
美しいたましいがあれば
メジャーの長さで計れぬ
おしりに寛容さがあれば
その二つでよいのだ

今日も空は青いし
炊飯器には温かい
ごはんはあるし
二人していられるのなら
ものの重さを
目盛りで計るのではなく
小さな幸せを
立方体でみることができるならば
ぼくらは
その二つがあればよいのだ

46

悲しい空 

ビルの谷間の一角に
悲しく青くのぞく空を見つめていると
ほっとする
その下で
窮屈そうに流れる
水のせせらぎを見ていると
ほっとする
そして
ぼくの細い影が路上に映ると
ほっとする

在るものは在るもののように
いつも在ることにほっとする
在るものがあるだけで
そこには未来も過去も何もない

在るもの壊れそうもなく
壊そうと思っても壊れるものではない
それでも壊そうとしているぼくらは
きっといつか
ノアの箱舟が欲しくなるときが来るのだろう

在るものが在るようにあって
黙していることの恐れの日を
ぼくらはまだ知らないでいる

47

 約束

一日の始まりの中に
約束事が横たわり過ぎて
嘔吐の連続だ

必ず還らねばならぬなら
万物は沈黙した海を
横腹をえぐられた山林を
見届けに旅立たぬのによいのだけど

生きることが逃避の連続なら
約束事が本物なら
契りある場へ一本の糸をくくりつけ
ぼくは彷徨いつづける

海を
太陽を
生あるもの全てが
神から授けられたものと信じられなく
ぼくはうつろな眼で水平線を追う

惰眠から醒めぬぼくは
いつものように


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