ぼんやりとした時間
                             2019
乙女像   

さあ、乙女よ
初日の光について考えよう
こうしたこと、ああしたこと、そうしたことを
全部くるんでくれる
年初めの光についてだよ
きっと何もわからないと
答えるかもしれない
でも、西日があなたの瞳に映るまで
時間はたっぷりあるよ―
だから、今年いちばんの光について
さあ、考えてみよう

1■

教えて下さい  

ねぇー
教えてください
川面にちかい
土手のかたすみで咲いている
つぼみは黄色く
花弁が白い花ですよ
水しぶきを浴び
冷たい風に吹きさらされ
凍えながら
一所懸命に咲いている
小ちゃな花ですよ
ねぇ、教えてください

2■

七〇歳の詩人  

「詩は本当は経験なのだ―」
「マルテの手記」でリルケは述べているという
孫読みではいけないと慌ててアマゾンで取り寄せる。
大昔に読んだが内容は加齢に比例し
どんどん記憶から薄れた
今ではまったく消えてしまっている。

七〇歳まで生きやりたいことをやり終りし人か―
そんな虚脱状態の中でリルケの言葉と出会った
そうだ詩を学び直してみよう!七〇歳の詩人。
痴人の間違いではと知人にからかわれたが
遅すぎることはないと起き上がる。

シルバー人材センターで働いた昨年の夏
炎天下での草取りはきつかった。
「イノチニカカワルアツサデス
サイガイダトニンシキシテクダサイ」
そのアナウンスに引き込まれるように
突然、高熱と猛烈な下痢が襲った。
病院に駆け込むなり
潰瘍性大腸炎と診断され一ヶ月の入院を強いられ
猛暑日後半と70歳の誕生日を
白いベッドで迎えるはめとなった。

そういえば、かの方も
同じ病気で首相の座を下りたことも―
三三一ある難病指定のひとつで
医療費は大幅に免除されるのは大助かり
かの方も、その恩恵を享受しているのだろうか―
憲法改正を声高に訴えている、かの方も―

さぁーて、これからは―
遅れてきた青年ではないが
遅ればせがら七〇歳の詩人と名のるのも悪くない
決して、死に向かっているのではない
しっかりと、今日を生きるため―。

3■
つかれた心   

つかれた心につかれた心をかさね
つかれた心のおもさをはかる
つかれた心はつかれた心に
つかれたこえでたずねる
たいじゅうけいではかれるおもさですか?
それとも
てんもんがくてきなおもさですか?

つかれた心に心をのせても
つかれた心はおもさがわからない
つかれた心にふたたびとう
つかれた心は、はてなのなついん心に押す
つかれた心は
はてなはてなとつぶやきながら
けいだいをぐるぐるとなんどもまわる

はてなは鳥居
はてなは参道
はてなは御手洗
はてなは賽銭箱
はてなは鈴
はてなは二礼二拍一礼
はてなは鏡
はてなは剣
はてなは勾玉

さて、はてなの本当のことはなんなのか
つかれた心は考える
その問いに答えがないのを知っている
だから考えてもわからない
つかれた心は黙してうつむく
つかれた心はうち克つことを知っている

つかれた心に
どこに安らぎがあるのか
わからない
だから人生は面白い
だから生きろ
生きてみろ
生きていろというのかー。

4▲

老人とブーゲンビリア   

ホテルの手入れの行き届いた庭園には
赤いブーゲンビリアが咲き誇っている
魂の花とも呼ばれ
暑さに喘ぐ老人の心を揺さぶる
サーモンピンクの花は
どこまでも重く激しい生命力を見せつけている
その猛々しいほどの色づきに憎しみさえ覚える

コテージのベランダにはブーゲンビリアと
そっくり色のソファーが
テーブルをはさんで向かいあっている
片方はカバー取り換えられ鮮やかなサーモンピンク
もう一方は
さんざん使い古され色あせほころびさえ見える
どうして、一緒に取り換えなかったのだろう―?

汚れ色あせたブーゲンビリアのソファーに
どれだけの人々が座りこんだのかー
そして、疲れた心の窓を開き
ブーゲンビリアを眺めて時を過ごしたのだろうかー

色あせたブーゲンビリアのソファーから
人生の交代期を知ったのか
色鮮やかなソファーから明るい未来を感じたのか
嫉妬と怨嗟、誕生と終焉
その間に存在する生命の躍動に感謝し
ブーゲンビリアから吹く静かに風を受け
去りし数々の思い出に浸っていたのか―

遠くからベッドメーキングしている
若やいだ明るく澄んだ声が聞こえてくる
彼らには未来がある
老人は、ブーゲンビリアに向け
オーバーなジェスチャーで投げキッスする

5●
タラの芽

花売り場で
タラの芽の苗木が
嫁ぎ先を待っている
瞼に浮かんだのは
食卓にのった天ぷら
思わず二本買う
苗木は差別化され
値札は六百円から
千円までの三種
苗木の太さも丈も
それぞれの値段に
これが等身大か―。
息せきって
庭の片隅に植える

6■

沈黙の木

 鈍色の空には黒い雲が大きくたれこめ
広い空を覆っていた
その雲から雨は休みなく降っていた
降りやまない雨はないいつかは止む
沈黙の木にぶら下がったりんごは
静かに雨あがりを待っていた

沈黙の木にぶらさがったりんごは
おばばが黄泉の国の旅へ
細まる鼓動に耳をそばだてていた
心音はだんだんと小さくちいさくなり
暗雲に吸い込まれ途絶えた
沈黙の木にぶら下がったりんごは
悲しみの涙を流し
涙は雨粒にまじり消えていった

沈黙の木にぶらさがったりんごは
おばばが永遠の刻(とき)を
つかみとったことを認めると
広い空を見あげた
いつのまにか雨はあがり
雲間から薄日が射し込んでいた

沈黙の木にぶらさがったりんごは
遠くから新たな心音とともに涙を忘れ
赤ちゃんの元気な産声をきいた
沈黙の木にぶら下がったりんごは
ほっとするように
細い枝からすとんと地上に落下した

7 ●
二ランジョン

四五歳になった二ランジョンに二年ぶりに会った
「病気はどうー?」
医者は宣言したという
「もうこれ以上の治療法はない、あと五年」
一瞬、悲しそうにクビをふり
肩で息をし遠くに視線をやり
重いしっかりした日本語で言った
あの虚ろいの眼差しはなにを探していたのだろう

あこがれの日本に
初めてやってきた二〇年前
体調がすぐれないと訴え病院へ
甲状腺がんと診断され「すぐに手術を」
あの時もこんな目をしていた

すぐにインドに帰り
何度も手術と入退院をくり返した
若さという武器で乗りきっていたが
がん細胞は体内のあちこちに巣くっていた

オペ後体調も回復し何度か日本にきた
手術痕を見せてもらい
「ツキノワグマのようだ」
親しみの冗談は
ひとのイノチの重みも考えず
ひとつの日本語を覚えさせるはめとなった

別れの日、
二ランジョンはわたしに抱きついて
すうーっと二人から空気が薄れ消えるように
「ねぇ、みんなで天国に行こう」
その温かい抱擁もあっという間に機中の人となった
「飛行機は天国まで飛ばないぞ!」
 そういって、わたしは見送った。
 
8■

風の行方

冷凍庫から逃げ出した風は
心地よい風に乗り
店内をひとまわり
レジ担当者は不在
するりと抜け
出入口が開くのを見て
チャンスとばかり外に出る
暖かな空気と合体して
密室から解放された喜びに浸り
夏の青空をどこまでも翔けてゆく

9▲

朝を迎えうつ
窓を大きくあけ
朝を迎えうつ
ひんやりした清々しい空気を
肺の奥まで届けようと
深呼吸を数回繰り返す

今日を生きるというより
今日も生きることを考える

時代は平成から令和へ
何もかにもが変わるわけではない
何もかにもが変わろうとしているだけだ
翻って歴史を遡れば
いつの時代もそうであった
ヨロコビの遺産に酔いしれたり
アヤマチの遺産に懊悩したり
予期せぬ天地動乱に慄き怯えたり
それでも連綿と歴史を刻んできた

いつの時代もそうだった
願う神もわからず祈り続けてきた
あがらうことの虚しさにしおれながらも
ただ、何も願わず手を合わさせてきた

今日という日が平穏であればいい
そうであるべきだ
そうでなければならないのだ
大きく深呼吸をして
わたしは、朝を迎えうつ

10●

令和のノコギリソウ

朝、大きく窓を開け
背伸びして大きく深呼吸をする
朝もやの中で空気を震わせ
もう、ウグイスは鳴いている
誘われるように名も知らぬ野鳥たちがさえずり
空気は忙しく瞬きをする
見てきたもの 聞いてきたもの
みんなに伝えるところを知っているかのように
さえずりの音色は朝もやに吸い込まれ消える

庭には
わたしが輝いていたころにスポットをあてるかのよう
ノコギリソウの白い花芽が水玉を揺らしている
あの昭和、平成時代 
ノコギリソウのようにすくっとした姿勢で
青い吐息を撒き散らし
都会のコンクリートジャングルを走りっぱなしだった
夢はたわわに実り
みんな摘み取れるはずだと信じていた
あれは夢幻で蜃気楼だったのだろうかー。

多くの草花や樹木の名に
興味もなく覚えようとはしなかった
自然界の生き物たちに耳をかたむけ
話しかける楽しみを知ったのは
令和という元号に入ってから
ノコギリソウという花を知ったのもそうだ
わたしが動植物たちに耳をかたむけずとも
朝つゆを浴びたノコギリソウの白いつぼみは
令和の新しい風を誘うように小刻みにふるえている

11■

桜蓮川を目ざして
あたりは真っ暗闇
星も見えず月明かりもない
周囲の様子はわからず不安だ
それでも歩みを止めるわけにはいかない
ともかく
水のにおいのする方に向かい歩き続ける

とんだ目に遭った
桜蓮川の側道を横切ろうとしたら
急ブレーキの音
そして、ひょいとつまれ
気がついたら狭い庭のまん中
ネットが張られた大きなタライへ
ベランダから八つの瞳
おいらを見てはしゃいでいる

一週間、忍の一字でガマンした
自由をしばられ息苦しさに耐えられず
今宵、ネットを突き破り脱走

水のにおいがだんだん強くなる
アオコ臭がすると嫌われている桜蓮川に近づいた
この川がどんなに蔑まされていようが
おいらには昔なじみの切ってもきれない故郷だ
今では、子どもを背中に乗せ
ひねもす過ごすようにまでなった
あの幸せな時間を再び取り戻さなければー。

川岸の集落の公民館で
なにやら宴会が開かれている
祝いごとでもあったのか夜の宴
弾んだ笑い声が絶えない

ツーンと懐かしい臭いが鼻孔をくすぐる
ああ、ようやくたどり着いた
突然、公民館の灯かりが大きく揺れ
罵声が飛び交い
物がぶつかりあう音が聞こえる

ああ、いやだ!いやだ!
目をつむり耳に栓をして
さあ、子どもたちが待つ水の中に飛びこもうー。

12■

長電話
妻が電話を握り
「ありがとう、ありがとう」
なんども頭を下げている
「あの時の
  ありがとうは
   どれほど救いになったかー」

初夏の日差しが眩しくなった昨年
義母は九十九歳で黄泉の国へ旅立った
それまで寝たきりになった義母を
妻は妹と交替で世話をしていた
そのさ中、妹は体調不良で休みを余儀なくされた

声がうわずっている
 「すうーっと胸のつかえがおりるようなー」
  
孤軍奮闘の妻でさえ後期高齢者
介護疲れで身も心も折れそうになると
毎晩のように
「ねえちゃん、ありがとう、ありがとう」
感謝と励ましの電話があったという

かけ放題の電話は
「ありがとう、ありがとう」から始まり
家族の近況から自分たちの体調など
よもやま話は延々と続く
何度も同じ話題をリプレーするのは
冥途の母にも伝えようとしているのだろうか―

こうして、眠れぬ夏の夜は過ぎ
長電話が終わると
「ありがとう、ありがとう」
妻は拝むようにして受話器を戻す

13 ■
ピーちゃん

ピーちゃんのお仕事はひたすら眠ること
お掃除や炊事洗濯は
みんーなご遠慮させてもらい
寝心地のいい場所を探しただ眠ること
パパ、ママから教わったのは
いつでもどこでも
すべてを忘れ健やかに眠ること
ごはんの用意ができたら
あくびをこらえ起きだし
満腹になったらまた眠る
仕事は真面目に
いつも真剣勝負でなければー
そういうことでお休みなさい
バイバイでぇーす!!

14 ▲
てるてる坊主

まちがきれいになればなるほど
息苦しくなってくる
新しいものが出回り
便利になればなるほど
息苦しくなってくる

世間さまが
カミソリでそぎおとしたかのように
ぬけめない話し方をすればするほど
息苦しくなってくる

そして、もっともらしい
生き方を求めればもとめるほど
なにか、のっぺらぼうの
てるてる坊主になってしまうようなー。

快適な暮らしを求め
人々はたゆまぬ努力をしてきた
それゆえに快適と不快が
双子の赤ちゃんのように生まれ育った
それが足かせとなり
息苦しくなってきているのだろうか―。

成熟した社会とは
みんなで
てるてる坊主になることだろうか―。
抗うという免疫力まで剥奪され
生きなければならないのだろうか―。

てるてる坊主に訊いてみたい
地上の人々をどれほど愛しているのか?―、と。

15■

ぼんやりとした時間

こうして
ぼんやりとしていても
時間はどんどん過ぎてゆく

時間というのを
人生の中で
どう組み立て測ればいいのだろう

なにもせずぼんやり庭を見る
それでも時間はどんどん進んでいく
遠くに目をやると
坂道を上っていくひとと犬
犬とひとの背中にも
どんどん時間は過ぎていく

どうしたものかと
自分に問いかけてみる
ぼんやりした思考は
ぼうーっとしているだけ
それでも
時間だけはどんどん進んでいく

なにもかもが
まやかしだった
あの時も、その時も
どんどん進みゆく時間の中で
ぼんやりと
消える時間を追っていただけだ
このじれったさを
時間は解いてはくれない

そうしてひとは呼吸を休むことなく
自らの終着点を目指し
どんどん時間を食いつぶしていく

16■

朝の談笑

「おはよう」「おはよう」
「チーちゃんは今日は―」
「休ましたよ。もう高齢だからー」
「最近、Aさんが見えなくなったね」
「入院したそうです」
「どこの病院?」
霞ヶ浦またいだ対岸の
小高い丘に建物を指さし建つ
「あそこの病院、家族だけが面会できるそうだ」

「ワンちゃんおはよう」
初めてのわたしに
クンクンと鼻をぴくつかせすり寄ってくる柴犬
「ワンちゃんおはよう」
「ワンワン、ワンワン」と尻尾を振り吠える黒い犬

自転車でやってきたのは一人
犬を連れてきたのは三人
初老の男が六人で女は一人
毎朝、顔を合わせあいさつを交わしているようだ

スズメが一匹
足もとにチョコチョコ寄ってくる
野鳩が羽音をたて下りてくる
「なあ、あげるものがないんだよ」

湖はキラキラ輝き
昇りだした太陽は湖面から高く離れ
夏の光は強く
談笑する人たちに平等に降りそそぐ
Aさんの話題はなく
数分もすると三々五々
それぞれの散歩コースに向かう

協同病院からも霞ヶ浦は見えるはずだ
もう、湖とも面会謝絶になっているのだろうか―

17▲

 古楽の時間

朝まだきのひととき
静まりかえった部屋は
パイプオルガンの音色
時間は静かに流れ
夜露に濡れた窓が
明るさを取り戻し
少女の紅いほっぺに
だんだん赤味を増す
時間は静かに過ぎる
ひとの命に終わりはあっても
時の流れに休息も終わりはない
朝は古楽の音色にのり
静かに明けていく

18■

麦わら帽子

あの麦わら帽子はどうしたのだろう
そう、夏の暑い日差しをさえぎり
麦の香りが鼻先をくすぐる
編み目の帽子ですよ

あの時
麦わら帽子にランニングシャツで
川縁を駈けたのはなぜだったのだろう

ギラギラ太陽で
顔中に吹きこぼれる汗で
まわりはぼんやりぼやけ
心臓だけがパクパク波打っていた

そうだ
あの時の麦わら帽子を探しに行こう
探しているのは
追憶の日々ではない
停まったままの時間
19

水の嘆き

水は湖の中で毎日泣いていた
涙は透明なはずなのに
いつも緑色のアオコに覆われ
大好きな青空が見えない

水は自分を忘れそうになり
透きとおった昔の水に還してほしいと
なんども、なんども
上流の父や母に助けを求めた

それは、それは長い歳月
雨の日も、風の日も、雪の日も―
降り積もる歳月に罪はない
いつもの願いは
無常という波間に揺られ消された

水はさよならをしたい
嘆きの声を言い残して天上へ

それでも終りではなかった
水蒸気となり雲の仲間入り
ほっとする間もなく
自らの重さに耐えきれず
やがて地上に下りた
それを、人びとは雨と呼んだ

そして、再び湖に戻り
アオコの下に隠れ
涙が枯れそうになっても
水として生きなければならなかった

水は本当の死に場所を見つけ
死にたいと願っていた
そこは何処にあるのかー
知りたいとも思わなかった

20■

カラスなぜ鳴くの

夕方五時になると
小松公民館の
防犯スピーカーから
「七つの子」のメロディーが流れてくる

そころにわが家では夕食の準備がはじまる
わたしはウーロンハイを飲みながら
テレビのニュースをぼんやり見る
世間には信じられないようできごとが
次々と起こり
脈々と伝えられてくる
ブラウン管から乾いた映像が流れ
歯切れのいい声が加わる
現場の匂いはどこにもなく冷めている
傍観者として
今、どれほどの人が同じ画面を見ているのだろう

妻は食事を終え茶碗を片づけると
「お先にはいらせていただきます」
「あがってきたほうがいいよ」
「あがってきたほうがいいですか」
「そうして欲しい、しずまれたらいろいろ面倒だ」

年上のカミさんと一緒になる時
「七歳も年上でも大丈夫―」
「死ぬころは同じでいいだろう―」
そうやって結ばれ四十数年

縁側に迫る雑木林から
ミンミンゼミが耳朶を揺らし
てっぺんの小枝にカラスが止まり
カアカアと鳴いている

「では、お先に休ませていただきます」
「明日、起きてきてほしい」
「ハイ、明日も起きてラジオ体操をやります」

喧嘩も下大笑いもした
二人して涙も流したこともあった
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の鐘の音。

カラスが、カカアカカアカカアと三度鳴いたような気がする

21▲

隅田さんへ

もう会えないかもしれないから
茨城に出向いてくる
そういうメールをもらってから数日だった

ガンが見つかって入院することになった
今年は行けそうもない
遠路はるばるの見舞いはごめんこうむる
病院でもメールのやりとりはできる

妻をめとることもなく
酒も煙草も嗜まず
玄米を主食としベジタリアンに徹し
質素な生活ぶりは
坊さんに見習わせたいほどだった
近所には妹夫婦が内科医院を開き
なにぶん健康を管理する環境は整のっていた

自分を過信していたのだろうかー
きっと健康診断を一度も受けなかったのだろう
この国の世話になりたくない
そういい残して放浪の旅立った
二十代の真ん中あたり怖いもの知らずだった

欧州からの頼りが届いたと思ったら
米国でヤンキー娘と同棲している
ただ、喧嘩をすると手がつけられない
貴国では台風は女性から命名するそうだ
暴れるのは一過性のもの。そんな返事を出した

日本に帰国した時は三十代の真ん中
この国の世話になりたくない
その言葉の落ち着き先は
最高学府まで出したのに
嘆きうろたえる母の住む京都へ
母が亡くなると妹夫婦の住む兵庫へ
最後の寄る辺は血の繋がる身内だった

ガン宣告から三つきもしないうち
六〇年の最後を看取ったのは
あれほどかわいがっていた妹だったのだろうかー
生きて死ぬということは
一輪差しの花が
天上にすうーっと引き抜かれ空っぽになることですね―。

22▲

コオロギは語る 

語ることは最上の嘘
さあ、ここから緞帳があがり
物語は始まるのだ

嘘についての定義
嘘についての尺度
嘘についての真意
嘘についての義務

この質問事項に
解答はなく誰もわからない
答えることができるのは
明るい日差しを追い出され
秋の夜長を寄り辺とする
キリキリキリと鳴くコオロギ

澄み切った鳴き声は
真実を伝えようと
漆黒の闇に広がる
だが、ひとには
鳴き声の意味を理解できない
コオロギは悲しげに
おぼろ雲に見え隠れする三日月に向かい
キリキリキリと鳴き続ける

コオロギは知っている
悲しみの裏側にひそんでいる
明るい未来があることを

嘘についての定義
嘘についての尺度
嘘についての真意
嘘についての義務

念仏を唱えるよう
コオロギは考え
ずうーっと鳴き続ける
明るい朝を迎えるまで鳴き続ける

23▲

夜の鳴き声

昼、カナカナが鳴き
夜、コオロギとスズムシが鳴きだす

その音色は
漆黒の空気をふるわせ
彼らの流儀を貫くように
果敢に鳴き続ける

わたしも何かに向かって
いつも泣いていた
悲しむことの理由も分からず
喜ぶことの理由も分からず
涙することなく泣いていたのかもしれない

キリキリキリチリチリチリ
コオロギとスズムシは
わたしの胸奥の心を揺さぶるようだ
せつなく聞こえるのは
何か、わたしがとんでもない過ちを犯し
見えない罪に怯えているのかー
カナカナはどうしているだろうー

24▲

かわいそうな人 

細くなった皺だらけの腕に
高価そうな金ぴかの腕時計と結婚指輪をつけている

末期患者の烙印を押されたように緩和病棟へ移され
病室の小さな窓から射しこむ日に
金ぴかの腕時計と指輪が光り揺れる

「血管を探すのも容易ではない」
看護師はそういって腕をさする
その突き刺さった一本の針からビニール管を通し
閉じそうになる命を支えているという

ゴーグルのような酸素呼吸器をつけ
乾いた唇が小さく震え何かを伝えようとしている
モグモグしているだけで言葉にならない

「腕時計も指輪もはずしてください」
看護師は何度も頼んだそうだ
その時 信じられないほどの力で拒絶するという

どれほど大切にしているのか
あなたは腕時計も指輪も離そうとしない
九五年という過ぎ去った歳月をふりかえり
自分の命の残り時間を測り
秒針から読み取ろうとしているのかー
指輪から思い出を手繰り寄せようとしているのか―
とうにいない伴侶の形見というが―

もう全部腕からはずしたら
もっと軽く心地よく
あちらさまへ 旅立てるのでは
そう思うとかわいそうな人

頑固さと肩書で生きてきた人の散り際は
なんともかわいそうで
あなたの手を握り締め別れる時
わたしの血管と見比べ
生の現在と生の過去の階段を数えてしまい
さようならも言わず病室を後にした

25 ■
ほうきの音 
今朝はゆっくりとなめらかで
ラヴェルのボレロを聴いているようだ
ザッァーザッァーザッァーザッァー
落ち葉とほうきと地面が
三位一体となり
心地よく安心して聴けるほうきの音

あの日の朝はお昼から
ご主人のお別れ会がある日だった

ザッァ、ザ、ザッァ、ザ、ザッァ
いつもより速く
何かに追われているようで
気ぜわしく聴こえた
庭に散った枯れ葉は
ほうきと地面と板挟みになり
悲鳴に近い声をはりあげていた
きっと、帰らぬ人を
あきらめふっきろうと言い聞かせ
急いで掃いていたのだろう

命を掃く
落ち葉を掃く

今朝はいつものほうきの音に戻った
うるさく吠える犬や
小鳥、虫のさえずりさえ消えている
時刻(とき)は休むことを知らない
居るべきあなたは永遠に帰らない
ザッァーザッァーザッァーザッァー

今、思いおこしてみると
わたしは、いつも
あなたのわき役に徹していた
でんぐり返し
さあ、わたしが主人公になって
舞台の真ん中で大きく羽ばたこう
ザッァーザッァーザッァーザッァー

26●


筑波山 
    
日本の山はお化粧できるからうらやましい
韓国からの留学生ジャンさんはそういって
化粧っけのない頬をゆるめ
なだらかな稜線に散見する紅葉を追い
自分に言い聞かせるように目を細める
ああ、女性らしくしおらしい表現だ
韓国の山はお化粧をしないのだろうか―

一億年前、海底の地殻変動で持ち上げられ
天文学的な数字の巨大エネルギーで
関東平野に忽然と出現した筑波山
いつの年も惜しみない秋景色を楽しませる

男体山には筑波男大神
女体山には筑波大女神
まるで、平等社会を先取りしたように
二つの峰に男女の神を太古から祀っている

寒かろう暑かろうと
宮司と氏子らの手で
春秋二回の衣替えをしてもらう

神と仏の御座す山と崇められ
太古から民を見守り続けてきた
温暖な気候のせいか
いつも控えめに薄化粧
日光連山のような派手さはない

それでも
お化粧できる山はうらやましい
ジャンさんは続ける
何かと出費がかさみ生活が大変―
そのせいか、口紅もつけていない

女体山にやってきた女神は
どんなお化粧で
舞い降りてきたのでしょうね―

27■

噛む

空を噛む
雲を噛む
地を噛む
時間を噛む
季節を噛む
噛む感触は
砂を噛むよう
咀嚼と嘔吐を往復
それでも
日々は刻々と進む

28■

おとうとよ

おとうとよ
そちらの今日は晴れていますか
ほら、ふたりして山王台から見た青い空ですよ

おとうとは階段を踏みまちがえ
あねのわたしを残し
あっという間に風に運ばれ消えてしまった

脊のびして子の乗る電車見送れば切なき胸に日ぐらしの声*
母は大きく手をふりおとうとを見送り
いつか電車に乗り再び帰ってくると信じていた
今、おとうとは片道切符の電車に乗り
父母が住む黄泉の国へ旅立った

空手道に自らの精神の鍛練の場を求め
父の質実剛健の遺伝子を引き継ぎ
なにごともトレース紙に直線を引くような生き方だった
おとうとよ
それはたくましく美しく頼もしく
まるで、亡き父の後ろ姿を見るように誇らしかった

思い出は山王台の青空に吸い込まれてしまったけども
わたしはわたしの心の引き出しの中に
いつまでもしまっておきます
青い空の思い出をセピア色にくるんで

あっ、ふたりして山王台から見た青い空に
すじ雲がすうーっとながれ
まるで、おとうとのようにまっすぐに―
おとうとよひとときのさようならです

 *大久保とみ句集「つわぶき」より

29■

夢見る少女

少女はケラケラと笑う
目もとは小さくふるえ
頬がゆるみ揺れる
それでも目は固く閉じられている

少女が歩道で寝ているのを
まったく気づかなかった
街灯もなく暗い歩道
小石に躓くように少女の足を蹴った
少女は気がつかないのか
目を閉じ眠ったまま
寝返りをうちケラケラとまた笑う

褐色の肌におかっぱ頭の髪はボサボサ
十二、三歳ぐらいだろうか
みすぼらしく薄汚れた衣服から
笑顔を見せる日々は少なかろう
少女はまたケラケラと笑った

喜びの絶頂にあるのだ
どんな夢を見ているのだろう
腹を抱え笑い転げるような夢

少女は裸足でスカートをはいている
粗末な毛布を胸まで引き上げ
小さな両手でしっかり握りしめている
ケラケラ笑うたびにこぶしに力が入る
まぎれもない生がある

コルカタ市街の廃墟に近いビル群
闇夜の四角い空から降り注ぐ
星くずたちは
少女の心の裡にも明るい光をさし
明日への生きる希望を与えているのだ

「クサイ・ウルサイ・キタナイ」
コルカタの印象を聞かれ答えた
少女のケラケラ笑いを目の前にして
神は民に平等に希望を与えたのだ
わたしは自戒しなけれと星を見あげる

30■

黒猫のバラード

黒猫が叢に隠れ
庭のえさ場にやってくるスズメを狙っている
かっと見開いた瞳は
朝陽に照らされ黄金の輝きを増している

飼い猫はキャットフードしか食べなくなり
野山の小動物を追いかけなくなったというが
わが家周辺を縄張りにしている黒猫は
野生の本能を失っていない

食えるものは何でも食い生きのびるという
素朴な質問に素朴な答えを全身に集中させる

狙うスズメは上空を何度も飛びまわり
地上の様子を探り警戒し
なかなか餌台に下りてこようとしない

黒猫が敵であることをどこで教わったのか
捕まれば羽を取られ肉をちぎられ血を流せば
死んでしまうことを
親鳥からか、その親からか
学ぶことはたくさんあった
雨のしのぎかた
風のかわしかた
なんといっても空を飛ぶという基本的なこと
そして、生き抜き生き延びるということ

あたりの音は風に掃き消されたのか
不気味なように静まり返っている

お腹が空きすぎ業をにやしたのか
意を決し深呼吸をひとつして
緊張した静寂を突き破るように
スズメが次々と餌台に下りてきた
チィチィチィと囀りながら
忙しくエサをついばんでいる

その時、黒猫の黄金の目はかっと光り
やや前かがみに姿勢をかえた
短距離走者のようなかたちだ
思わず「美しい」喉元あたりから声が出そう

その瞬間、黒猫は果敢にジャンプ
餌台のスズメたちはぱっと一斉に空に逃げた
ショーはあっという間に終わった
スズメはひとつの危機をのりきったことを

今日のできごとを後々のために伝えるだろう
餌台のまわりには食い散らせた米ぬかが
朝陽を受けキラキラ輝ぎ

その黒猫の死体を見たのは
やはり、早朝で朝陽が昇りはじめた時刻
黒猫は自らの時間を静止させ
ピンク色のはらわたを見せていた
空には黄金の光を受けた数羽にカラスが
確認するようになんども旋回している

31■

秋晴れの明るい声

肩身が狭くなったと溜息をつきながら
国立西洋美術館の喫煙所で
電車に揺られ二時間もの我慢を
吐き出すように紫煙をくゆらせる
この喫煙場所も来年から廃止されるという張り紙

肩身どころか息苦しさを感じる近年
どこまでも自由な秋晴れの広い空を見上げる
と 蒼穹な空に丸裸で飛び込むような甲高い声
「おじさんがいる」

ロダンのアダム像を見あげ
少年が「おじさんがいる、おじさんがいる」
大きな声で叫んでいる

つぎの言葉をひそかに期待する
「おおきなおちんちんがぶらさがっている」とー
それは少年の口から発せられなかった

斜め前のベンチに座っている中年女性に
「何歳ぐらいですかね―」
「喋れる年ごろだからね―」といいながら
結婚指輪を光らせ指を三本突き出す
もう一本の華奢な指には細いタバコがはさまれている
「三歳ですかー、素直でいい表現ですねー」

少年は地獄の門を足早に通り過ぎ
ロダンのエヴァ像を見上げ
「おちんちんがないよ」「まいった」

「ぼくは何歳?」
「三歳」
中年女性はしてやったとニヤリとほほ笑む
あどけないような静かな秋のひとコマだった

32■
すまされないこと

すんだことで
すまされることは
これまで
なにひとつなかった

すべからずかんがえなおすことに
けいちょうできるかだ
それは ひととして
ひとであるべきすがたではないか

そらもちじょうも
すいへいせんにもどし
かんがえつづけ
ひびをおくることを
一瞬でも
おろそかにしてはならない

33■

 安らかであれ

ひとつひとつひもとけば
思い当たることにぶつかる

羊水の中でひたすら眠りつづけ
そろりと這い出してみれば
平凡で怠惰な日々多きこと
食って飲んで騒いで眠り
思い出したようにまぐわり
天上に昇る快楽にうつつを抜かし
時には迷いどおしの日々に身もだえ
この世の不条理に嘆き悲しみ
もっともらしいポーズをとったり
物語には始まりがあり終わりはあるというのに―

ああ あなたはわたしに
なんの命題を与えてくれたのか―
あなたは問うたびに
ひたすら 安らかであれ 安らかであれ
言霊のような声を天上から降らせる

ああ あなたはわたしに命をかしずかせ
ひとひらのしずくをすくいとるように
そうーっと わたしの命に寄りかかる
ああ 命とはありがたき
生きることだけを生きがいとすれば
なにより尊く誇りたかきものとだれかがいう

今日より明日を考える余裕もなく
夜空から降り注ぐ星くずのように
これがそうであれがそうだと
たたみかけてくる言葉の放射光に
ひとときの安らぎも許されず
わたしは悲しい生き物ではないと信じ
今日という日を生きても
明日に向かって生きることを強いられ
ああ みんなまやかしのころもをまとい
わたしは どこからともなく吹いてくる
風の徒労の使者だったのか―

34■
朝日のあたる本棚

朝日のあたる本棚に白い埃がうかび
さまざまなガラクタが無造作に置かれ
姿勢をただしている本の背表紙は
肩身を狭くし白黒の文字を浮かびあがらせる

いくたびの引きずり回しにも耐え
我ここに在りて と訴えているように
積読という名の書物群は沈黙したまま
どんな気持ちでお座りしているのだろう

引っ越しするたびに本は減っていった
そして いつの間にか増え
独り身の気楽さを背に転居を繰り返し
邪魔になった本はいく度も古本屋に消えた

主人を離れた本たちはどうしているのだろう
見知らぬ人の手に渡ったのか―
断裁と再生で生まれ変わったのか―
それでも ひととき わたしの息遣いにふれたはずだ

三叉路にたちまっすぐ進むか右へ曲がるか
左に行くかと悩んだ時 そっと教えてくれた
どっちでもいいのだよ ただ いのちはひとつだぞ―。
水面のさざ波をぴたりと鎮めるようなすごみみがあった

今朝も本棚に朝日は射し込み
くすんだ背表紙が浮かび
息を吹きかけ蘇生させようとしている

35■

窓を叩く

マッチ箱のような二階建ての家が建ち並び
水を張った蓮田に影を写す
マッチ箱の家は二倍になり四階建てとなる

覚めやらぬ早朝
あたりはシンと静まり返り
昇り始めた太陽に導かれるように
マッチ箱を並べたような家々は
ゆらゆらと水面に影を泳がせ全容を見せる

水が張られた蓮田に一羽の白鷲が水音もたてず
大きな羽をひろげ舞い下りる
水面に映った二階のベランダ越しの窓をつたい
エサを求め抜き足差し足で歩を進める
まるで一軒一軒の窓を叩たいているようだ

白鷺のくちばしが水を打つたび
波紋が何重もの輪をえがいていく
音はなく静寂だけが救いの神のようだ
白鷺は細い脚を進め次々と窓を叩く
そのたびに波紋はどんどん増える
マッチ箱の住人たちはだれも気づかない
今日という日がもう始まり
時間が音もなく過ぎていることを―。 

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