情 景                                                                                             bR



 黒川橋と子猫

 黒川橋の欄干からぼくは何度カマス袋に入った子猫を捨てただろうか。ぼくの家では一匹の猫を飼っていた。白と黒のブチでもちろん雑種でメスだった。名前はクロと呼んでいた。クロはぼくが物心ついた時から家族同様にみんなにかわいがられていた。集落には猫や犬を飼っている家がほとんどだった。飼っているというより勝手に住みついたのを放し飼いしているといった方がふさわしかった。犬を連れて散歩をしている暇な人などいなかったが、どの家も家畜の牛や山羊のほかに犬と猫を飼っていた。
 気ままに生きたいように生きていろという環境の中で育ったクロは近所でさかりを迎えたオスネコたちには格好の相手だった。どこで交情するのか知らなかったがクロは子沢山だった。5、6匹と産んだ子猫は人の目立たぬ押し入れの奥やその頃あった納屋の隅で産んでいた。
 クロは何度も子猫が捨てられることを知っているからなるべく家族の分からない場所を選んで産んで育てようとしていたがお腹をすかした子猫の細い鳴き声ですぐに発見されていた。一番早く見つけるのは必ず母だった。それは、クロの腹が大きくせり出し急に元に戻ると、ふくらんだオッパイの乳首が濡れて餌を食べるようになるからだ。それを母はじっと観察している。
 子猫の目があかないうちに処分するというのが鉄則だった。母は数匹の子猫をカマスに入れると荒縄でしっかり縛りぼくに渡す。袋の中からか異変に気づいた子猫の不安に怯えたようなれ鳴き声が不規則にもれてくる。「早く、クロが帰ってこないうちに」それははっきりとした口調で有無をいわせないものがあった。
 ぼくは、その袋を両手で抱えて家を出る。あたりは薄暗くなっている。カマスの毛ばだって毛がはだにチクリチクリと刺さる。黒川橋までは歩いて10分ほどだ。途中で重くなりぶら下げている両手を何度も持ち変えて歩く。カマスからの声がだんだんと小さくなる。それを合図のように黒川橋の中央に立つ。欄干にもたれ両手で持ち上げそのまま力を抜くとカマスはびしゃんと水に叩きつけられた音が返ってくる。黒川はそんなに早い流れではないせいもあり下流に向けてカマスがゆっくりと流れ出す。ぼくは反対側の欄干まで走る。橋の下をくぐり抜けたカマスが流れてくる。それを見ながら川向こうに目をやると暗くなり始めた川面が白く光っている。そこは死んだ子猫が行きつくはずのお寺の灯明のようにも見える。それを目指してカマスは流れていく。なかなか沈まない。ゆっくりとカマスは死の確かな場所に向けて流れている。
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