情 景                                                                                             bS



 犬川の氾濫

 犬川は春先になると雪解け水で必ず氾濫して村人を慌てさせていた。慌てさせるというより混乱に陥れていた。川辺に近いぼくの家も例外ではなかった。どういうわけかぼくの家の前にある道路まで水があふれるがそれ以上の高台まではいかず、ぴたりと止まるのだった。
 冷たい雪解けの水は床上まで流れ込みそのたびに家族中で畳上げがおこなわれた。もともと家財道具の少ない家だった。畳をはがすと手渡しで2階まで力を合わせてあげた。ぼくの記憶ではその時は家族全員がそろっていた。といっても家の主である父はいなかった。それでも祖母がいて母と姉と兄が一人ずついて5人そろってにぎわいのある家族だった。ぼくはどんな手伝いをしたのか覚えていない。小さな子どもだったから逆に邪魔になっていたのかも知れない。
 ただはっきりと記憶の片隅にほくろのように残っているのは一変した春先の雪景色だった。どの家もくみ取り式のトイレだった。尻を拭くのは新聞紙を丁寧に切った紙を利用していた。貧しい家も豊かな家もこれだけは共通していた。それが、水に浸かりトイレからあふれだしてくる。雪面は白から薄い黄色になり点々と新聞紙が散っている。それは、はるか遠くに連なる山並みの白い頂きとあいまって何とも美しい景色だった。人糞は田畑に適当で平等な栄養を与える。そんなことも知らずぼくは2階に積み上げられた畳の上に登り自慢げにあたりを見回して満足しているのだった。
 母が東京に出てから犬川の氾濫はなかった。なんでも上流にダムができたからだと聞いた。ダムがどういう機能を持ちどういう役割をしているのか分からなかった。ただ、祖母と二人切りの生活ではとうてい畳上げに対応できるものではなかった。そういう事態になれば村衆の手を借りなければならない。そこには必ず見返しが用意されなければならない。それを知ったのは祖母がぽつりと漏らした言葉だった。「昔と違って春先が楽になった。誰もいなくなってどうしようかと思っていた。お礼も考えなければならないからー」。お礼がどういうものか分からなかった。ただ、何か大きな重しが祖母の両肩にのしかかるような事態になるのだということは何となく理解はできた。以来、春先の洪水と黄色い雪面を再び見ることはなく脳裏の片隅の風景として残っているだけだ。
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