情 景                                                                                           bQ




ピンポンとオート三輪

 村の公民館には卓球台が一台あった。そして、一組のラケットとボールが卓球台の上にぼくらを待っているように置いてあり、子どもたちはいつでも出入りでき思い出したように出向いては遊んだ。どうやって毎日の遊びを探していたのか今でも不思議でならない。集落には娯楽設備なるものが何もなかった。あるのはどこまでも広がる肥沃な田んぼ。そして雑木林。畑もあったが、それは自分たちの家族が食うぶんを満たすだけであった。
 そういえば、野菜の行商人がリヤカーに積んで集落をまわっていた。村のどこの家でも畑を持ち野菜を作っていたから不思議だと思っていた。その行商人は村を一回りすると公民館前の空き地にリヤカーを停めてタバコを吸って休んでいた。いつしかリヤカーがオート三輪に変わっても休憩所は公民館の前だった。リヤカーの時は誰も公民館の中から行商人を見ているだけだったが、オート三輪になってから車を見るのが珍しいぼくらはピンポンをやめて遠巻きにして眺める時もあった。行商人はオート三輪を自慢するようにニタニタと笑い誇らしげにぼくらにクルマの説明をしてくれた。ぼくらは「ウンウン」と頷いていたが何が何だかさっぱり分からなかった。耕運機もそのころ田んぼに顔を出すようになっていた。
 兄と遊んだ記憶は夏の一日だけだった。姉と遊んだ思い出は瞼を裏返しても浮かんでこない。姉や兄と一緒に遊んだ記憶がないのは兄とは6歳、姉とは7歳も違い遊び相手として物足りなさがあったのだろう。二人は賑やかな小松町の中学校に進級しており町場の生徒たちも加わり新鮮な友人が増えたことも原因のひとつかも知れなかった。そんな環境にいれば遊びは当然のように集落の子どもたちだけに限られてくる。同級生にMがいたがクラスが違ったせいか深いつきあいはなく登下校の時に一緒になるぐらいだった。
 そのためひとりでいつも遊んでいたが公民館で卓球をする時は4、5人で出かけていた。顔も名前も忘れたが脳裏に浮かぶのは子どもにしてはやや高すぎる卓球台で白い玉をやりとりしていた光景だ。
 女の子はいない。いがぐり頭の子どもが時間を忘れてボールを叩いている。1時間も遊んでいると飽きてくる。誰とはなく帰ることをうながす。その声を待っていたかのように帰り支度を始める。ただ、ラケットとボールを元の位置に戻しあけはなったガラス戸を閉じるだけでいいのだが、いつもラケットとボールの戻し場所でもめた。卓球台にならべて帰ればいいだけだが、ここにあった、いや違うともめた。そして全員が納得するとじゃり道を一列になってどこか足取りも重く帰るのだった。そして、誰もが無口になり家の前に着くとバイバイといって走っていく後ろ姿を見送るのだった。公民館から一番はずれに家があるぼくはいつも最後はひとりだった。家には祖母とクロが待っているだけだった。
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