「一日一文」 木田元編 (岩波書店)
31日  見知らぬひとよ、もし通りすがりにきみがわたしに会って、
わたしに話しかけたいのなら、
どうしてきみがわたしに話しかけてはいけないのだ?
そして、どうしてわたしがきみに話しかけてはいけないのだ?

【ホイットマン】アメリカの詩人。「ホイットマン詩集」岩波文庫。
30日  自尊心はわれわれの生存の道具である。それは種の永続の道具に似ている。それは必要であり、われわれにとって貴重であり、われわれに楽しみを与えてくれる、しかしそれは秘めておかなねばならないものである。

【ヴォテール】フランスの作家・思想家。「哲学辞典」法政大学出版局。
 29日 生きているのは退儀である。死ぬのは少々怖い。死んだ後の事はかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、変な声を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまえば、その後は、やっぱり死んだほうがとくだと思う。とにかく、小生はもういやになったのである。

【内田百閒】小説家・随筆家。「内田百閒全集」福武書店。
28日   攻撃は元来健全なもの、どうかそうあってほしいと思う。だがまさに攻撃衝動は、本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険きわまりがないのである。つまり本能というのは自発的なものだからだ。もし攻撃本能が、多くの社会学者や心理学者たちが考えたように、一定の外的条件に対する反応に過ぎないのであれば、人類の現状はこれほど危うくなりはしなかったろう。もしそうなら、反応を引き起こす緒原因をつきとめて、取り除くこともできよう。

【コンラート・ローレッツ】オーストリアの動物学者。「攻撃 悪の自然誌」みすず書房。
27日  大衆を飢餓と不潔と無知に安住させておくことにかまけているような宗教に私は関りをもちいたくない。人びとはこの世でもっと幸福になりもっと文明に浴することができるし、真の人間、わが運命の主、わが心の長になることができるのだ。宗教的であれ何であれ、そう人びとに説かぬようなどんな集団とも私は関りをもちたくない。

【ネルー】インドの政治家。「始りへの旅」。編者訳出。
26日   思索は言葉をちり集めて単純な語りにする。言葉は存在の言葉である。雲が空の雲であるように、思索はその語りでもって、言葉のうちに目立たぬ畝(うね)を切る。その畝間は、農夫がゆったりとした足どりで畑に切っていく畝間よりももっと目立たないものなのだが。

【ハイデガー】ドイツの哲学者。「ヒューマニズム書簡」編者訳出。
 25日 暁闇(ぎょうあん)の中、爆弾で噴火口のようにあけられた穴だらけの道にクリスが目をこらしているあいだに、私はふと先刻の写真をとりだしてみた。それらは、ちょっとピンぼけで、ちょっと露出不足で、構図は何といっても芸術作品とはいえない代物であった。けれどもそれらは、シシリヤ攻略を扱った限り、唯一の写真であり、海上部隊の写真班が、海岸からなんとか、発送の手配をつけたものより幾日か早いにちがいないのである。

【ロバートキャパ】ハンガリー生まれの写真家。「ちょっとピンぼけ」文春文庫。
24日  文字は倦(う)まずたゆまず読むべきで、のんびりやっていたんでは駄目だ。急ぎ読んでこそ、さきに読んだものとつながらなくなる。私など本を読むのに、六一歳まで読んできて、やっとあらまし道理がこのように見えてきたが、こういう様は真似てくれるな。

【朱子】中国、南栄の儒者。「朱子集」朝日新聞社。
23日 
 物を書くとは、いったい、どういうことを言うのでしょうか?近ごろになってやっとわかったのは、もともと見るということだ、ということです。ただし、―いいですかー見られたものが、作者がそれを見たのときっちり同じ形で、読者のものとなるように見ることです。しかし、本当にそれを生き抜いたことだけがそう見え、そうなってくるのです。しかも、それについて書くことを生き抜くということこそが、近代文学の秘密なのです。
【イプセン】ノルウェーの劇作家。「イプセンの読み方」岩波文庫。
 22日  ここに医者らしいタイプの紳士がいる。だが、どことなく軍人ふうのところもある。だから軍医にちがいない。顔はまっくろだが、手首が白いところを見ると生まれつき黒いわけじゃない。とすれば、熱帯地方から帰ったばかりだということになる。顔のやつれているのを見れば、だいぶ苦労した上に病気までしたことがわかる。左手にけがもしている。動きがぎこちないからだ。イギリスの軍医がこんな苦労をした上に、けがまでした熱帯地方というのはどこだろう。言うまでもなくアフガニスタンだ。これだけつづけて考えるのに、一秒もかからなかった。
【コナン・ドイル】イギリスの小説家。「シャーロックホームズの冒険」岩波少年文庫。
21日  
美の真実な感銘が沈黙以外の結果を生むはずがないのは、よく御存知でしょうに……? やれやれ、なんてこった! たとえばです、日没という、あのうっとりするような日々の魔法を前にして、喝采しようという気をおこされたことが、あなたには一度だってありますか?

【ドビュッシー】フランスの作曲家。「ドビュッシー音楽論集」岩波文庫。
20日 
パリはまことに大海原のようなものだ。そこに測鉛(そくえん)を投じたとて、その深さは測ることはできまい。諸君はこの海洋をへめぐり、それを描きだそうと望まれるだろうか。それをへめぐり、かつ描くことにいかに精魂をこめようと、またこの大海の探検家たちがいかに大勢で、いかに熱心であろうと、そこにはかならずみ未踏の地が残り、見知らぬ洞穴(ほらあな)や、花や、真珠や、怪物や、文学の潜水夫からは忘れられた前代未聞のなにかが残ることだろう。

【バルザック】フランスの小説家。「ゴリ爺さん」岩波文庫。
19日 
回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものだった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向かって一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーブに焼(く)べられる一本の草にも、それ相応があり来歴があり、思い出がなければならない。平凡なる私の如きも六十年の生涯を回顧して、転(うた)水の流れと人の行末という如き感慨に堪えない。

【西田幾多郎】哲学者。「西田幾多郎随筆集」岩波文庫。
18日 
 魂の際限は、どの途をたどっても行っても、君は見つけ出すことはできないだろう。それほどにも深いロゴス(理)を魂はそなえているのだ。

【ヘラクレイトス】古代ギリシャの哲学者。「ギリシア哲学者列伝」岩波文庫。
 17日
わたしたちは、宇宙を旅することを夢みている。だが宇宙は、わたしたちの内にあるのではないか。わたしたちは精神の深みを知っていないー内に向かって神秘にみちた道が通じている。ほかならぬわたしたちの内にこそ、永遠とその世界ー過去と未来があるのだ。

【ノヴァーリス】ドイツ・ロマン派詩人。「青い花」岩波文庫。
16日  
 苦しむことほど苦いものはない。しかし苦しんだことほど甘美なこともない。世間では、苦しむことほど身を醜くするものはないが、逆に神の前では、苦しんだことほど魂を飾るものはないのである。

【エックハルト】ドイツの神学者。「エックハルト説教集」岩波文庫。
 15日 
薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない。

【シレジウス】ドイツ・バロック時代を代表する神秘主義的宗教詩人。「シレジウス瞑想詩集」岩波文庫。
 14日
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり

野のなかにかがやきて一本の道は見ゆここに命をおとしかねつも

【斎藤茂吉】歌人・精神科医。「斎藤茂吉選集」岩波書店。
 13日 言語、神話、芸術を「シンボル形式」と呼ぶとき、この表現にはある前提がふくまれているように思われる。それは、言語も神話も芸術もすべて精神の形態化の特定の様式であって、それらはすべて、遡れば現実というただ一つの究極の基層に関わっているのであり、この基層が、あたかもある異質な媒体を透かして見られるかのように、それらそれぞれのうちに見てとられるにすぎない、という前提である。現実というものは、われわれにはこうした形式の特性を介してしか捉ええないように思われるのだ。

【カッシーラー】ドイツの新カント学派の哲学者。(岩波文庫)
 12日 
子供たちに、新鮮な空気が入り、明るく、陽当たりよく、広々とした教室と、涼しい寝室とを与え、また戸外でたっぷりと運動をさせよう。たとえ寒くて風の強い日でも、暖かく着込ませて充分に運動させ、あくまでも自由に、子供自身の考えに任せて、指図はせずに、たっぷり楽しませ遊ばせよう。もっと子供に解放と自然を与え、授業や詰め込み勉強や、強制や訓練は、もっと減らそう。もっと食べ物に気をつかい、薬に気をつかうのはほどほどにしよう。

【ナイチンゲール】イギリスの看護婦。「看護覚え書き」現代社。
 11日
金魚のうろこは赤けれど
その目のいろのさびしさ。
さくらの花はさきてほころべど
かくばかり
なげきの淵に身をなげすてたる我の悲しさ。

【萩原朔太郎】詩人。「萩原朔太郎詩集」岩波文庫。
 10日
 私は常に物ごとを二つのレベルで、同時に考えることが大事だと思っている。すなわち、一方では与えらたシステムの中での可能性を探求する改革的な関心の持ち方、そして他方では基本的な変化についての長い時間幅のユートピア的な関心というふたつがそれである。これらふたつのレベルをごじゃまぜにして、現状維持に対する妥協なき攻撃を加える方が、はるかにやさしいことだ。

【リースマン】アメリカの社会学者。「孤独な群衆」みすず書房。
9日 
群衆はとつじょとして姿を現し、社会における最良の場所を占めたのである。以前には、群衆は存在していたとしても、人目にふれなかった。群衆は社会という舞台の背景にいたのである。群衆は社会という舞台の背景にいたのである。ところが今や舞台の前面に進み出て、主要人物となった。もはや主役はいない。いるのは合唱隊のみである。

【オルテガ・イ・ガゼット】スペインの哲学者。「大衆の反逆」角川文庫。
 8日
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けなければなありません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけがありません。後になって過去を変えたり、怒らなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

【ヴァイツゼッカー】ドイツの政治家。「ヴァイツゼッカー大統領演説全文」岩波ブックレット。
7日 
自分は今幸福かと自分の胸に問うて見れば、とたんに幸福でなくなってしまう。幸福なる唯一の道は、幸福をでなく何かそれ以外のものを人生の目的にえらぶことである。自意識も細かな穿鑿心(せんさくしん)も自己究明も、すべてをその人生目的の上にそそきごむがよい。そうすれば他の点で幸運な環境さえ与えられているなら、幸福などということをクヨクヨと考えなくとも、想像の中の先物買いをしたりむやみに問いつめて幸福をとり逃がしたりせずに、空気を吸いこむごとくいとも自然に幸福を満喫することになるのである。

【JSミル】イギリスの哲学者・経済学者。「ミル自伝」岩波文庫。
6日   
さて駿足のアキレウスが、ヘクトルを休みなく激しく追い立てるさまは、山の中で犬が子鹿を追うよう、その巣から狩り出し山間の低地を追ってゆく、灌木の茂みにかがんで身を潜めても、嗅ぎ出してはどこまでも追い、遂に捕まえるーそのようにヘクトルも駿足のぺレウスの子から身を隠すことができぬ。

【ホメロス】古代ギリシアの詩人。「ホメロス イリアス」岩波文庫。
5日 
滄浪(そうろう)の水が澄んだら、
冠のひもを洗うがよい。
滄浪の水が濁ったら、
自分の泥足を洗うがよい。

*滄浪ー漢水の下流 *冠のひもー君主に仕えることの象徴。

【屈原】中国、戦国時代の楚の人。「中国名詩選」岩波文庫。
4日 
銀笛のごとも哀しく単調(ひとふし)に過ぎぬもゆきにし夢なりしかな
いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月(さつき)はきたる
かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし

【北原白秋】詩人・歌人。「桐の花」岩波文庫。
3日 
偉大な古作品は一つとして観賞品ではなく、実用品であったということを胸に明記する必要がある。いたずらに器を美のために作るなら、用にも堪えず、美にも堪えぬ。用に即さずば工藝の美はあり得ない。これが工藝に潜む不動の法則である。

【柳宗悦】民芸研究科・宗教哲学者。「民藝四十年」岩波文庫。
2日 
現象学はバルザック作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦であるーーおなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。

【メルロポンティ】フランスの哲学者。「知覚の現象学」みすず書房。
5月1日  鶸色(ひわいろ)に萌えた楓(かえだ)の若葉に、ゆく春をおくる雨が注ぐ。あげ潮どきの川水に、その水滴は数かぎりない渦を描いて、消えては結び、結んでは消ゆるうたかたの、久しい昔の思い出が、色の褪せた版画のように、築地川の流れをめぐってあれこれと偲ばれる。

【鏑木清方】日本画家。「築地川」岩波文庫。
30日 
本書は哲学の諸問題を扱っており、そしてーー私の信ずるところではーーそれらの問題がわれわれの言語の論理に対する誤解から生じていることを示している。本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。

【ヴィトゲンシュタイン】オーストリア生まれの哲学者。「論理哲学論考」岩波文庫。
29日 
大菩薩峠は江戸の西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐の国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた。それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るる川は笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿(うる)おし田を実らすと申し伝えられてあります。

【中里介山】小説家。「大菩薩峠」筑摩書房。
28日 
幸福になる前に笑っておかねばならぬ。笑わぬうちに死んでしまうようなことにならぬとも限らないから。
(第4章 心情について)
人間にとっては唯三つの事件しかない。生まれること、生きること、死ぬこと。生まれる時は感じない。死ぬ時は苦しい。しかも生きている時は忘れている。
(第11章 人間について)

【ラ・ブリュイエール】フランスのモラリスト。「カラクテール」岩波文庫。
27日 
ある日のことであった。正午ごろ、舟のほうへゆこうとしていた私は海岸に人間の裸の足跡をみつけてまったく愕然とした。砂の上に紛れもない足跡が一つはっきりと残されているではないか。私は棒立ちになったままたちすくんだ。まさしく晴天のへきれきであった。それとも私は幽霊をみたのであったろうか。耳をすまし、あたりを見まわしたが、なにも聞こえなかった。なにもみえなかった。もっと遠くをみようと、小高いところにもかけ登った。浜辺も走りまわった。しかしけっきょくは同じで、その足跡のほかはなにもみることができなかった。

【デフォー】イギリスのジャーナリスト・小説家。「ロビンソン・クルーソー」岩波文庫。
25日 
これ、泥に入りて玉を拾うたる心地に候。此のほどの机上のたのしびぐさに候。

【与謝野蕪村】江戸中期の俳人・画家。「与謝野蕪村」河出書房新社。
24日 
大乗仏教の哲人たちは、宇宙の本質は空であると説いている。同じ宇宙の一部分であるこの本に関する限り、彼らの言うところはまったく正しい。絞首台や海賊たちがこの本をにぎわしており、標題の「汚辱」という言葉は大仰だが、無意味な空騒ぎの背後には何もない。すべて見せかけに過ぎず、影絵に等しいのである。だがほかならぬその理由が、面白さを保証するだろう。

【ボルヘス】アルゼンチンの詩人・小説家。「汚辱の世界史」集英社文庫。
23日 
 明日、また明日、また明日と、小刻みに一日一日が過ぎて行き、
定められた時の最後の一行にたどりつく。
きのうという日々はいつも馬鹿者どもに、
塵泥(ちりひじ)の死への道を照らして来ただけだ。
消えろ、消えろ、束の間のともし火!
人生はただ影法師の歩みだ。
哀れな役者が短い持ち時間を舞台の上で派手に動いて声張り上げて、
あとは誰ひとり知る者はない。

【シェークスピア】イギリスの劇作家・詩人。「マクベス」岩波文庫。
 4月22日
わたしはこう思うのです。このような奇跡を人間はつくることはできるのだと‥‥‥。罪のないばかを言って汚らしい地獄に生きながら、このように美しいものをつくることができる人間の頭をなでてやりたくなるのです。でも、今日はだれの頭をなでてやるわけにはいきません。手を噛み切られてしまいますからね。頭をたたいてやらねば、情け容赦なくたたいてやらねばならないのです。われわれは、理想としては人間に対するあらゆる暴圧に反対なのですけれどもね。そうです。この仕事は、おそろしくむずかしいものですよ!(レーニン)

【レーニン】ロシアのマルクス主義者。「世界の名著」中央公論社。
 4月21日
 経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりははるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外ないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。

【ケインズ】イギリスの経済学者。「ケインズ全集」東洋経済新報社。
 4月20日
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の身なればとて、こころにまかせて、身にも、すまじきことをもゆるし、くちにも、いふまじきことをゆるし、こころにも、おもふまじきことをもゆるして、いかにも、こころのままにてあるべしとまふしあふてさふらふんこそ、かへすがへ不便におぼえさふらへ。ゑひもさめぬさきに、なをさけをすすめ、毒もきえやらぬにいよいよ毒をすすめんがごとし。くすりあり、毒をこのめとさふらんことは、あるべくもさふらはずとおぼえ候。
*くすりありー薬があるから毒を好み食えと勧めるようなことは、あるべきことではない。

【親鸞】鎌倉初期の僧。「日本古典文学大系」岩波書店。
 4月19日
いろいろな種類の多数の植物によっておおわれ、茂みに鳥は歌い、さまざまな昆虫がひらひら舞い、湿った土中を蠕虫(ぜんちゅう)ははいまわる、そのような雑踏した堤(つつみ)を熟視し、相互にかくも複雑にもたれあった、これらの精妙(せいみょう)につくられた生物たちが、すべて、われわれの周囲で作用しつつある
法則によって生みだされたものであることを塾考するのは、興味ふかい。

【ダーウィン】イギリスの生物学者。「種の起源」岩波文庫。
4月18日 
不意に目の前に差し迫った死の威嚇が現れてきた人々には、崖から下へ滑る登山家や水に溺れる人や首を吊った人には、注意の急激な転換が生ずることがあるようです。――それまで未来に向けられて行動の必要に奪われていた意識の方向が変わったために、突然それらに対し関心を失うことが怒るようです。それだけでも十分に「忘れていた」何千という細かい事が記憶によみがえり、その人の歴史全体が眼の前に動くパノラマとなって展開するのです。

【ベルクソン】フランスの哲学者。「思想とは動くもの」岩波文庫。
 4月17日
 「親のない子はどこでも知れる、爪を咥(くわ)へて門に立つ」と子どもらに唄はるるも心細く、大かたの人交じりもせずして、うらの畠に木・萱など積たる片陰に屈まりて、長の日くらしぬ、我が身ながら哀れ也けり。

■我と来て遊べや親のない雀 弥太郎 六才。

【小林一茶】江戸後期のは俳人。「おらが春」岩波文庫。
4月16日 
色は、私を捉えた。自分の方から色を探し求めるまでもない。私には、よくわかる。色は、私を永遠に捉えたのだ。私と色は一体だ―これこそ幸福なひとときでなくて何であろうか。私は、絵描きなのだ。

【パウル・クレー】スイス生まれのドイツ人画家。「クレーの日記」新潮社 
4月15日 
あまり善良すぎることはおやめなさいよ。少し、気楽に、自然に、そして意地悪なさいな。一生に一度ぐらい、少し悪者になってみるのも、案外いいものだ。

【ヘンリー・ジェームズ】イギリスの小説家。「ある婦人の肖像」岩波文庫。
4月14日

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地ーーみな黙りこくっている。

【レイチェル・カーソン】アメリカの女性海洋生物学者・作家。「沈黙の春」新潮文庫。
4月13日 
私はどこへ行こうか、もし行けるなら。
誰になろうか、もしなれるものなら。
何を口にしようか、まだあるなら。
そう言っているのは誰だ。私だと言っているのは?

【ベケット】フランスの劇作家・小説家。「反古草紙」作品社。
 4月12日
陣立てを終わり犠牲の卦(け)も吉兆を示したのだ、アテナイ軍は進撃の合図とともに駆け足でペルシア軍に向かって突撃した。両軍の間隔は8スタディオンを下らなかった。ペルシャ軍はアテナイ軍が駆け足で迫ってくるのを見て迎え撃つ整えていたが、数も少なくそれに騎兵も弓兵もなしに駆け足で攻撃してくるアテナイ兵を眺めて、凶器の沙汰じゃ、全くの自殺的な狂気の沙汰じゃと罵った。ペルシア方はアテナイ軍の行動をこのように受け取ったのであったが、一団となってペルシア陣内に突入してからのアテナイ軍は、まことに語り伝えるに足る目覚ましい戦いぶりを示したのである。
*スタディオン 距離の単位。1スタディオンは約185メートル。

【ヘロドトス】ギリシャの歴史家。「歴史」(中)岩波文庫
 4月11日
住みついてみると、北海道の冬は、夏よりずっと風情がある。風がなくいて雪の降る夜は、深閑として、物音もない。外は、どこもみな水鳥のうぶ毛のような新雪に、おおいつくされている。比重でいえば、百分の一くらい。空気ばかりといっていいぐらいの軽い雪である。どんな物音も、こういうしとねに一度ふれると、すっぽりと吸われてしまう。わずかに聞こえるものは、大空にさらさらとふれ合う雪の音くらいである。

【中谷宇吉郎】物理学者。「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫。
4月10日 
冷淡で利害的関心から離れた理性は、行動の動機ではない。理性は、幸福を獲得し不幸を避ける手段をわたしたちに教えることによって、欲求もしくは傾向性から受けとる衝動を導くにすぎないのである。好みこそ、快と苦をもたらして、そこから幸福と不幸を産みだすがゆえに、行動の動機へと生成するものである。好みこそが、欲望と意志との第一のバネ、第一の衝動である。

【ヒューム】イギリスの哲学者・歴史家。「道徳原理の研究」編者訳出。
4月9日 
 孟冬(新暦十二月三日)、例年ならば黒菅(くろすげ)の城下には霏々(ひひ)として白雪が舞っている頃である。だが、この年は何故か雪がおそかった。五日前の夜、亥の下刻に及んで初雪が僅かに降ったが、それも程なくやんで、夜明けとともに、冴えた藍いろの空が粟粒ほどのぞいたかと思うと、重たく淀んだ雪雲がみるみる黒菅盆地の刈りあとの田面(たのも)を這って飛び散り、あくまでも澄んだ初冬の空が、また柔らかい和毛のような日差しをなげつづけはじめていた。

【田宮虎彦】作家。「末期の水」岩波文庫。
4月8日  
いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

【ブッダ】仏教の開祖。「ブッダのことば」岩波文庫。
4月7日 
念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法を能々(よくよく)学すとも、一文不知(いちもんふち)の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同(おなじう)して、智者のふるまいをせずして、只一かうに念仏すべし。

【法然】浄土宗の開祖。「法然一遍」岩波書店。
4月6日
冷え切った、ほとんど暖房のきいていない列車の客室で、私はB型の模様に覚えていることを新聞のすみの余白に書きとめた。それからケンブリッジに向かってガタガタと走る汽車の振動に身をまかせながら、二本鎖と三本鎖のどちらが正しいか考えてみた。‥‥自転車でカレッジへ帰り、裏門をのり越えるころには、私の腹は決まっていた。二本鎖で模型を組立ててみよう。フランスも賛成してくれるに違いない。
*B型の模様 二重らせん構造を証拠だてるDNAのX線回析像。

【ジェームスワトソン】アメリカの分子生物学者。「二重らせん」講談社文庫。
 4月5日 
第一に、私は、全人類の一般的性向として、つぎからつぎへと力をもとめ、死においてのみ消滅する、永久の、やすむことのない意欲をあげる。そして、このことの原因は、かならずしもつねに、人が、すでに取得したよりも強度のよろこびを希望するとか、ほどよい力に満足できないとかいうのではなくて、かれが現在もっている、よく生きる、よく生きるための力と手段を確保しうるためには、それ以上を獲得しなければならない。

【ホッブズ】イギリスの哲学者。「リヴァイアサン」岩波文庫。
 4月4日
死は(厳密に考えて)われわれの真の最終目標ですから、私は数年この方、人間のこの真の最善の友ととても親しくなって、その姿が私にとって恐ろしいものでもなくなり、むしろ多くのやすらぎと慰めを与えるものとなっています!そして、神さまが私に、死はわれわれの真の鍵だと知る機会を(私が申すことがお分かりになりますね)幸いにも恵んでくださったことを、ありがたいと思っています。私は、(まだこんなに若いのですが)もしかしたら明日はもうこの世にいないのではないかと、考えずに床につくことは一度もありません。

【モーツァルト】オーストリアの作曲家。「モーツァルトの手紙」岩波文庫。
4月3日 
長安に男児おりまして、
二十で心はもはや朽ち果てて、
楞伽経(りょうがきょう)は机上に積まれ、
楚辞(そじ)がうしろに置かれます。
人生にはどうにもならぬ行きづまりがある。
日が暮れるとまずは酒を飲むぐらい。
現在ただいまお先は早くも真っ暗なんで、
しらが頭になる必要はないですよ。

【李賀】中唐の詩人。「李賀」岩波書店。
4月2日 
そのとき、貧しい家の子供たちのうちでいちばん下の子がはいってきました。それは小さい女の子でした。その子は兄さんと姉さんの首にかじりつきました。なにかとても大事なことを話してきたのです。でもそれは、ないしょで言わなければならないのことでした。「あたしたち、今夜ねー何だと思う?-あたしたち、今夜ね。あたたかいジャガイモがたべられるのよ!」そして女の子の顔は幸福に光りかがやきました。ろうそくがその顔をまともに照らしました。

【アンデルセン】デンマークの詩人・作家。「アンデルセン童話集」岩波文庫。
4月1日 
 僕はこの地に、僕の息子のように受け入れてくれた国民を残し、僕はこの地に、僕自身の一部を残して行く。
僕は、新しい戦場に、君が僕に吹き込んでくれた信念と、わが国民の革命魂と、もっとも神聖な革命家としての義務を果たすための良心たずさえて出かける。帝国主義のあるところ、いたるところで戦う。それが僕の決意を固め、僕の苦痛を柔らげよう。

【チェ・ゲバラ】中南米の革命家。「ゲバラ、革命の回想」筑摩書房。
3月31日 
 世間の人びとの目に私という人間がどう映るかはわからない。しかし、私自身には、目の前に真理の大海が未知のまま広がっているというのに、私ときたらただ浜辺で遊び戯れ、時おり普通のものよりも滑らかな小石やきれいな貝殻を見つけては喜ぶ子供のようなものだった、としか思えない。

【ニュートン】イギリスの物理学者・天文学者・数学者。ブルースター「ニュートン伝」。
3月30日 
秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶる悲し。
鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。
げにわれはうらぶれてここかしことび散やふ落葉かな。

【ヴェルレーヌ】フランスの詩人。「上田敏全訳詩集」岩波文庫。
3月29日 
ラブレーの修道士の知恵は、自分の安泰のためにも、ほかの人々の安泰のためにも、本当の知恵ですよ。曲がりなりにも自分の義務を果たし、いつも憎院長さんのことをよく言い、世界を勝手気儘に運行させておくという奴です。それで大部分の者が満足するんだから、世界は丸く納まるわけでさ。わしがもし歴史を知っていたら、悪はいつでも誰かの手をへてこの地上にやって来たということを、あんたに証明して見せるんだがなあ。

【ディドロ】フランスの作家・思想家。「ラモーの甥」岩波文庫。
3月28日 
幼年のころ、わたしはみずから自分の蜂の巣のように想像した。さまざまのなんでもない。ごく平凡な人びとが、生活についての自分の知識や思考の蜜を蜜蜂のようにこそこへ運んできては、だれでもできるものでわたしの精神を惜しげなく富ましてくれるのだ。しばしこの蜜はきたなく、またにがいことがあったけれども、あらゆる知識ーやっぱり蜜であった。

【ゴーリキー】ロシア・ソ連の小説家。「幼年時代」岩波文庫。
3月27日   
春の苑(その)紅にほふ桃の花下照る道に出て立つ少女。
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも
うらうらに照れる春日に雲雀(ひばり)あがり情悲(こころかな)しも独りしおもへば

【大伴家持(おおともやかもち)】奈良時代の万葉歌人。「万葉集」岩波書店。
3月26日
純粋で、私欲のない利他主義は、自然界には安住の地のない、そして世界の全史を通じてかつて存在したためしのないものである。しかし私たちは、それを計画的に育成し、教育する方法を論じることさえできるのだ。われわれは遺伝子機械として組み立てられ、ミーム(遺伝子)機械として教化されてきた。しかしわれわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。

【ドーキンス】イギリスの生物学者。「利己的な遺伝子」紀伊國屋書店。
 3月25日
愛憎の念を壮(さか)んにしたい。愛することも足りなかった。憎むことも足りなかった。頑執(がんしゅう)し盲排(もうはい)することは沸き上がって来るような壮(さか)んな愛憎の念からではない。あまり物事に淡泊では、生活の豊富に成り得ようがない。長く航海を続けて陸地に恋焦がるるものは、往々にして土に接吻をするという。そこまで愛憎の念を持って行きたい。

【島崎藤村】詩人・小説家。「藤村随筆集」岩波文庫。
3月24日 
 一口にいえば、キリスト教が解決しようとした問題は、一方には貧民における貧困の存在と、他方には富者の富を侵犯から防衛する国家権力と、この二つをいかに和解させるかということにあった。そしてその問題を、一切露骨に本質だけをいえば、彼等は、貧民たちに、富者には困難な来世の救済を約束することによって、解決したのであった。

【ラスキ】イギリスの政治学者。「信仰・理性・文明」岩波書店。
3月23日 
さて、第六刻から、地のすべてを闇が襲い、第九刻に及んだ。また、第九刻頃に、イエスは大声を上げて叫び、言った、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。これは、わが神よ、わが神よ、なぜ私をお見棄てになったのか、という意味である。そこで、そこに立っていた者の何人かが、これを聞いて言い出した、「こいつはエリヤを呼んでいるぞ」。すると、すぐさま彼らの一人が走って行き、そして海綿をとって酢で満たした後、葦の先につけ、彼に飲まそうとした。しかしほかの者たちが言った、「やめろ。エリヤがやって来てこいつを救うかどうか、見てやることにしよう」。しかしイエスは、再び大声で叫びながら、息を引き取った。

【イエス】キリスト教の祖。「新約聖書」岩波書店。
 3月22日 
自由は置き物のようにそこにあるのではなく、現実の行使よってだけ守られる。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうることなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、もの判断などひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持ち主などにとっては、はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう。

【丸山真男】政治思想史学者。「日本の思想」岩波文庫。
 3月21日
しかしもう去るべき時が来たーー私は死ぬために、諸君は生きながえるために。もっとも我らが両者のうちいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がない。

【ソクラテス】古代ギリシャの哲人。プラトン「ソクラテスの弁明」岩波文庫。
 3月20日
いかなる保守主義的イデオロギーをも持たぬ保守的な国家であるアメリカは、今や、むき出しの、恣意的な権力として、全世界の前に立ち現れている。その政策決定者たちは、現実主義の名において、世界の現実について気狂いじみた定義を下し、それを押しつけている。精神的能力においては第二級の人物が支配的地位を占め、凡庸なことを重々しくしゃべっている。そこでは自由主義的言辞と保守的ムードが蔓延し、前者では曖昧さが、後者では非合理性が原則となっている。

【ライト・ミルズ】アメリカの社会学者。「パワーエリート」東京大学出版界。
3月19日 
愚かさは悪よりもはるかに危険な善の敵である。悪に対しては抗議することができる。それを暴露し、万一の場合には、これを力ずくで妨害することもできる。悪は、少なくとも人間の中に不快さを残していくことによって、いつも自己解体の萌芽をひそませている。愚かさに対してはどうしようもない。

【ボンヘッファー】ドイツの教師・神学者。「ボンヘッファー獄中書簡集」新教出版社。
3月18日 
19世紀においては神が死んだことが問題だったが、20世紀においては人間が死んだことが問題なのだ。19世紀において、非人間性と残忍という意味だったが、20世紀では、非人間性は精神分裂病的な自己疎外を意味する。人間が奴隷になることが、過去の危険だった。未来の危険は、人間がロボットとなることかもしれないことである。たしかにロボットは反逆しない。しかし人間の本性を与えられていると、ロボットは生きられず正気でいられない。

【エーリッヒ・フロム】ドイツの精神分析学者。「正気の社会」中央公論社。
3月17日 
人は田舎や海岸や山にひきこる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身n内にひきこもることが出来るのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠れ家を見出すことはできないだろう。

【マルクス・アウレリウス】古代ローマの皇帝。「自省録」岩波文庫。
3月16日 
あかねさす紫野行(むらさきのゆ)き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る
熱田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮(しお)もかなひぬ今は漕ぎ出でな
君待つとわが恋ひをればわが屋戸(やど)のすだれ動かし秋の風吹く

【額田王】万葉歌人。「万葉集」岩波文庫。
 3月15日
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。
私どもは隠されてしまった我が太陽を今や取戻さねばならぬ。

【平塚らいてう】婦人運動家。「平塚らいてう評論集」岩波文庫。
 3月14日
人間の自然的本質は、社会的人間によってはじめて現存する‥‥ここのはじめて人間の自然的なあり方が、彼の人間的なあり方となっており、自然が彼にとって人間となっているのである。それゆえ、社会は、人間との完成された本質統一であり、自然の真の復活であり、人間の貫徹された自然主義であり、また自然の貫徹された人間主義である。

【マルクス】ドイツの経済学者・哲学者。「経済学・哲学草稿」岩波文庫。
3月13日 
メロディーは音から成り立っているのではなく、詩は単語から成り立っているのではなく、彫刻は線から成り立っているのではない。これらを引きちぎり、ばらばらに裂くならば、統一は多様性に分解されてしまうにちがいない。このことは、わたし(なんじ)と呼ぶひとの場合にもあてはまる。わたしはそのひとの髪の色とか、話し方、人柄などをとり出すことができるし、つねにそうせざるを得ない。しかし、そのひとはもはや(なんじではなくなってしまう。

【ブーバー】ウィーン生まれのユダヤ系哲学者。「我と汝」岩波文庫。
3月12日 
この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎へる
おだやかな日は
またと来ないだろう
そして蒼空は
明日も明けるだろう

【伊東静男】詩人。「伊東静男詩集」岩波文庫。
 3月11日 
サパング(日本国)は東方の島で、大洋の中にある。大陸から1500マイル離れた大きな島で、住民は肌の色が白く礼儀正しい。また、偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのた法外な金で溢れている。この島の君主の宮殿について、一つ驚くべきことを語っておこう。その宮殿は、ちょうど私たちキリスト教国の教会が鉛で屋根をふくように、屋根がすべて純金で覆われているので、その価値はほとんど計り知れないほどである。

【マルコポーロ】イタリアの商人・旅行家。「マルコポーロ東方見聞録」岩波文庫。
 3月10日
 両人対酌すれば山花開く、
一杯 一杯 復(ま)た一杯。
我れ酔うて眠らんと欲す 卿且(きみしばら)く去れ、
明朝 意有らば琴を抱いて来れ。   ■(山中にて幽人と対酌す)

【李白】盛唐の詩人。「中国名詩選」岩波文庫。
 3月9日
余は五、六歩横丁に進入りしが洋人の家の樫の木が庭の椎の木炎々して燃えあがり黒烟(こくえん)風に渦巻き吹きつけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定(みさだむ)ること能(あた)わず。唯火焔の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これは偏奇館楼上少からぬ蔵書一時に燃るがためと知られたり。

【永井荷風】小説家。「断腸亭日乗」岩波文庫。
3月8日 
桃の夭夭(ようよう)たる、
妁妁(しゃくしゃく)たる其の華。
之(この)の子 于(ここ)に帰(とつ)がば、
その室家に宜しからん。

【詩経】五経の一つ。「中国の名詩選」岩波書店。
 3月7日 
笑いは深い世界観的な意味を持つ。笑いは統一体としての世界、歴史、人間に関する真理の本質的形式である。それは世界に対する特殊な普遍的観点である。この観点は世界の別な面から見るが、厳粛な観点よりも本質をつく度が少ないわけではない。(多くないとしても)。

【バフチーン】ロシアの哲学者・文芸評論家。「フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化」せりか書房。
 3月6日
芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家は、象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いているようなものだ。それは19世紀ころの芸術家たちの風俗だが、まだそんな風なポーズを欣(よろこ)んでいる人が多い。文芸は経国の大事、私はそんな風に考えたい。生活第一、芸術第二。

【菊池寛】作家。「新潮」大正11年。「文芸作品の内容的価値」。
 3月5日
国破れて山河あり、
城春にて草木深し。募
時に感じて花にも涙を濺(そそ)ぎ、
別れを恨んで鳥にも心を驚かす。

【杜甫(とほ)】中国の詩人。「中国名詩選」岩波文庫
 3月4日
春四月ともなれば、春の装いに着かえ、若者六、七人をひきつれて遊山に出、沂水の川で浴(ゆあみ)し、舞うの広場で風に吹かれ、歌を口ずさみながら帰ってきましょう。それを聞いた孔子が深い溜息をもらして、曰く、私は点に賛成だ。

【孔子】中国、儒家の祖。「現代語訳 論語」岩波現代文庫。
3月3日 
日本の天皇制やファシズムについて、社会科学者の分析があるが、私たちに骨がらみになっている天皇制の重みを、苦痛の実感で取り出すことに、私たちはまだまだマジメではない。ドレイの血を一滴、一滴しぼり出して、ある朝、気がついてみたら、自分が自由な人間になっていた、というような方向での努力が足りない。それが八・一五の意味を、歴史のなかで定着させることをさまたげているように思う。

【竹内好】中国文学者・評論家。「日本と中国の間」文藝春秋。
3月2日 
翌日彼女は森へ出かけた。曇った、静かな午後で、暗緑色の山藍が榛(はしばみ)の矮林(わいりん)の下に拡がっていた。すべての樹木は音も立てずに芽を開こうとしていた。巨大な槲(かしわ)の木の樹液の、ものすごい昂(たか)まり。上へ上へと騰(あが)って芽の先まで届き、そこで血のような赤銅色(しゃくどういろ)の、小さな焔(ほのお)かと思われる若葉となって開こうとする力を、彼女は今日は自分のからだの中に感じた。それは上へ上へと脹(ふく)れあがり、空に拡がる潮(うしお)のようなものだった。

【D・H,ロレンス】イギリスの詩人・小説家。「完訳チャタレィ夫人の恋人」新潮社。
 3月1日
 午の時に、空晴れて朝日さしいれでたる心地す。たひらかなにおはしますうれしさのたぐひもなきに、をとこにさへおはしましけるよろこび、いかがはなのめならむ。昨日しをれくらし、今朝のほど朝霧におぼほれつる女房など、みな立ちあかれつつやすむ。御前には、うちねびたる人々の、かかるをりふしつきづきしきさぶらふ。

*たひらかに‐安産だった。なのめ‐なみ一通り。おぼほれつる‐ぼんやりしていた。立ちあかれ‐その場を去って。うちびたる‐年を重ねて経験豊かな。つきづきしき‐ふさわしい人。

【紫式部】平安中期の物語作家。「紫式部日記」岩波文庫。
2月28日 
 根源的なことがらについての疑問、たとえば人間の起源や目的、運命などに関する問いに対しては、われわれは決して答えられないかもしれない。しかし、個人としてであれ、政治的な人間としてであれ、われわれは将来起こることがらに対して多少の発言権があるはずだ。われわれの運命は、われわれ自身が作る以外のどのようなものでありうるだろうか?

【メダウォー】イギリスの動物学者・免疫学者。「科学の限界」地人書館。
 2月27日
壁を作り、家を建て、ダムを建設し、そしてその壁、家、ダムのなかに、そこばくの人間自身をそそぎこむこと、そして人間自身に、壁、家、ダムの力をそこばくでも取り入れること、その建設からたくましい筋肉を得、その構想から明瞭な線と形を獲得すること。なぜなら、人間はこの宇宙における、有機物、無機物を問わず、ほかのどんなものとも違って、自分の創り出すものを越えて成長し、自分の考えの階段を踏みのぼり、自分のなしとげたもののかなたに立ちあらわれたるものだから。

【スタインベック】アメリカの小説家。「怒りのぶどう」岩波文庫。 
2月26日   
人間の歴史は下水溝渠の歴史に反映している。死体溝渠の溝渠はローマの歴史を語っていた。パリーの下水道は古い恐るべきなものであった。それは墳墓でもあり、避難所でもあった。罪悪、知力、社会の抗議、信仰の自由、思想、窃盗、人間の法律が追跡するまたは追跡したすべてのものは、その穴の中に身を隠していた。14世紀の木槌暴徒、15世紀の外套盗賊、16世紀のユーグノー派、17世紀のモラン幻覚派、18世紀の火傷強盗、などは皆そこに身を隠していた。百年前には、夜中短剣がそこから現れてきて人を刺し、また掏摸は身が危うくなるとそこから潜み込んだ。森に洞穴のあるごとく、パリーには下水道があった。

【ユゴー】フランスの詩人・小説家・劇作家。「レミゼラブル」岩波文庫。
2月25日  
一生すぎやすし。いまにいたりて、たれか百年の形体をたもつべきや、我やさき人やさき、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。されば、朝に紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
〇 六親眷属 すべての親族縁者のこと。 「六親」は、父、母、兄、弟、妻、子。 または、父、子、兄弟、夫、妻など親族のすべてをさす。
【蓮如】室町時代、浄土真宗中興の祖。「蓮如文集」岩波文庫。
2月24日 
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。もし一切が必然であるなら運命というものは考えられないであろう。だがもし一切が偶然であるなら運命というものはまた考えられないであろう。偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもっている故に、人生は運命なのである。

【三木清】哲学者。「三木清全集」岩波書店。
2月23日  
状況の中に捲き込まれて私自身に目醒めつつ、私は存在への問いを発する。状況の中にある私自身に獏とした可能性を見いだしつつ、私は、私自身を本来的に発見するため、存在を探求しなければならない。しかも存在そのものを見いだそうとするこの試みの挫折の中でのみ、私は哲学するようになるのである。

【ヤスパース】ドイツの哲学者。「哲学1哲学的世界定位」創文社。
2月22日 
構造主義は世界から歴史を抜きさるのではない。構造主義は歴史に、内容だけではなく(これは何度となくなされてきたことだ)、形式をもまた結びつけようとする。素材だけでなく、知的なものを、イデオロギー的をものだけでなく、審美的なものを、歴史に結びつけようとする。

【ロラン・バルト】フランスの評論家。「現代思想の冒険者たち」講談社。
2月21日  いま熱情に燃え盛っている青年が、もし自分の老いさらえばた後の姿を見せつけられたなら、恐れ戦(おのの)いてとびすさることだろう。柔軟な青年時代を過ぎ、きびしく非情な壮年に達しても、心して人間的な行いを保持してゆくように努めたまえ。途中で取り落としてはいけない。後で取り戻すことはできなから!未来に横たわる老齢はつれなく怖ろしいもので、何一つもとへ戻してくれはしないのだ!

【ゴーゴリ】ロシアの小説家・劇作家。「死せる魂」岩波文庫。
 2月20日
理性の危機は個人の危機の中で表明される。個人の能力のとして理性は発展してきたからである。伝統的哲学が個人と理性について抱いていた幻想――その永遠性についての幻想は消えつつある。個人は、かつては、理性をもっぱら自己の道具として考えていた。今日、個人は、この自己物神化の正反対のものを体験しつつある。機械が運転手を振り落とし、虚空を盲滅法に突進している。完成の瞬間に、理性は非合理で無能力なものになった。

【ホルクハイマー】ドイツの社会学者・哲学者。「理性の腐食」せりか書房。
2月19日
クム・ダリヤ下流およびデルタの周辺では、水も植物も動物も、すべてが新しい。まさにだからこそ、今度私たちが計画した旅は、とらえて離さない大きい魅力があるのである。私たちは、アジアの一番奥の心臓部の、一見気まぐれではあるが広範な地表の変化をこの目で確かめるには、絶好の機会にやってきたのである。

【ヘディン】スウェーデンの地理学者・探検家「さまよえる湖」岩波文庫。
  2月18日
われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれはそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費(らんぴ)しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬く間に雲散してしまうが、たとえ並みの財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方のよって増加する。それと同じように、われわれの人生も上手に按者する者には増加する。それと同じようには、著しく広がるものである。

【セネカ】ローマのストア派の哲人。「人生の短さについて」岩波書店。
  2月17日
私は好んで闇のなかへ出かけた。渓(たに)ぎわの大きな椎の木の下に立って遠い街道の孤独な電灯を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを知った。またあるところでは渓の闇に向かって一心に石を投げた。闇のなかには一本の柚の木があったのである。石が葉を分けて戞々(かつかつ)と崖へ当たった。ひとしきりすると闇のなかから闇のなかから芳烈な匂いが立騰(たちのぼ)って来た。

【梶井基次郎】小説家。「檸檬・冬の日 他九編」岩波文庫。
  2月16日
心なき身にもあはれは知らぬけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕ぐれ
年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり小夜(さよ)の中山
風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬ我が思いかな
願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月(もちづき)のころ

【西行】平安末・鎌倉初期の歌憎。「新古今和歌集」岩波書店
 2月15日
誠に人生は夢の如しといふうちにも、小生の一生の如きは夢より果敢なくあけれなるものなるべし。………かくして空想に入りて一生を流浪の間に空過ごし、死して自らも益せず、唯妻子を路頭に迷はのみにてはあまりも情けなく候へど、これも持つたが病已むを得ず候。

【二葉亭四迷】小説家。「二葉亭四迷全集」岩波書店。
  2月14日
一体人間は、二つの魂の誕生をもっているといえよう。世界がこんなに美しく、世の中がこんなに面白いものかと驚嘆する時がある。これが第一の誕生である。そして、いつか、それとはまったく反対に、人間がこんなに愚劣であったのか、また自分も、こんなに下らないものだったのかと驚嘆し、驚きはてる時がくる。これが第二の魂の誕生である。しかし、この時、人々は、ほんとうの人生を知ったというべきであろう。

【中井正一】思想家「美学入門」岩波文庫。
 2月13日
神を見るとは夢幻にかれを見るということではない、また神秘的にかれを感ずるということでもない、神を見るとイエスキリストを真の神として認ることである。かの最も不幸なる人、かの罪人として十字架に懸けられ、エリエリラマサバクタニの声を発しながら気息絶えし人、かの人を神と認むるをえて、人生のすべての問題の解決はつくのである。神を見るとは実に神を見ることである。わが罪を担うてわれ代わりて屈辱の死を遂げ給いし人なるイエスキリストを神として認むることである。

【内村鑑三】宗教家・評論家。「内村鑑三は所感集」岩波文庫。
  2月12日
それは考えることしばしばであり、かつ長きにおよぶにしたがい、つねに新たなるいやます感嘆と畏敬とをもって心を充たすものが二つある。わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則がそれである。二つながら、私はそれらを、暗黒あるいははるか境を絶したところに閉ざされたものとして、私の視界の外にもとめたり、たんに推し測ったりするにはおよばない。それらのものは私の眼前に見え、私の存在の意識とじかにつながっている。

【カント】ドイツの哲学者。「実践理性批判 人倫の形而上の基礎づけ」岩波書店
  2月11日
我々は幼年のとき、自分に理性を全面的に使用することなく、むしろまず感覚的な事物について、さまざまな判断をしていたので、多くの先入見によって真の認識から妨げられている。これらのから解放されには、そのうち僅かでも不確かさの疑いがあるような、すべてのことについて、生涯に一度は疑う決意をする以外にないように思われる。

【デカルト】フランスの哲学者。「哲学原理」岩波文庫。
  2月10日
おもいでが 音もなく
ながい巻物をくりひろげる
わたしは嫌悪のこころをもって
おのれの生涯を読みかえし
身をおののかせ のろいの声をあげ
なげきつつ にがいなみだを流す。
けれども悲しい記録のかずかずは
もはや消し去るよしもない

【プーシキン】ロシアの詩人・小説家。「プーシキン詩集」岩波文庫。
 2月9日
バラ色、ライラック、黄色、白、青、浅緑の、真紅の家々や教会ーそれぞれが自分たちの歌をー風にざわめく緑の芝生、低いバスでつぶやくき樹々の枝のアレグレット、それに無骨で無口なクレムリンの赤い壁の環。‥‥このときを色彩で描くことこそ、芸術家にとって至難の、だが至上の幸福である、とわたしは考えたものである。

【カンディンスキー】ロシア生まれの画家。「カンディンスキーの回想」美術出版社。
 2月8日
社会主義が正統派社会主義達の夢見ている文明の出現を意味すると信ずべき理由は殆どない。ファシストの特徴が現れる可能性の方がむしろ大きい。それはマルクスの念仏を唱える人びとにとっては予想外の解答であるに相違ない。けれども歴史は時々たちの悪い戯れに耽るものなのである。

【シュンペーター】オーストリア生まれの理論経済学者。「資本主義・社会主義・民主主義」東洋経済新報社。
 2月7日
茫漠とした幼児期を、はるか遠く振り返ってみると、まず目の前にはっきり浮かんでくるのは、綺麗な髪をした若々しい容姿の母さんと、容姿などあったもんじゃないし、目ん玉が真っ黒けだから、目のあたり一面が黒ずむんじゃないかと思えるほどだったし、頬っぺたも腕もぱんぱんに固く真っ赤だから、小鳥だって、リンゴよりこっちの方をつっ突くんじゃないかな、と思ったペゴティーの姿だった。

【ディケンズ】イギリスの小説家。「ディヴィッド・コパフィールド」岩波文庫。
   2月6日
真の芸術と真の芸術家はどんな口実で攻撃されてもかまわない。保護されるのはいつもまやかしの弱い芸術なのだ。真面目な芸術家たちに対し、多くの干渉がなされた。私は今ここにそれをあげつらう気はないが、いつの日かそれについて語るかもしれない。私は彼らの主張に対抗し、その槍をへし折ってやりたい。

【クリムト】オーストリアの画家。「クリムト」「岩波世界の巨匠」第三期、岩波書店。
  2月5日
絵から絵へと眼を移しながら、ぼくはある何かを感じることができた。形象と形象とが交互に入りまじり、命が並びあい、色のうちに形象の奥にひそむ命がほとばしり、色と色とが互いに生かしあい、あるときにはひとつの色がふしぎに力強くほかの色すべてを支えているのが感じられた。そして、あらゆるもののひとつの心、ひとつの魂、絵を描いた人間の魂、絵を描くことによって、はげしい懐疑から生じる硬直性痙攣に対してこのヴィジョンをもって答えようとした男の魂を、見てとることができるのだ。

【ホフマンスタール】オーストリアの詩人。「帰国者の手紙」岩波文庫。
 2月4日  
三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで
はじめはきみの顔を隈なく見るため
つぎはきみの目を見るため
最後はきみのくちびるを見るため
残りのくらやみは今のすべてを思い出すため
きみを抱きしめながら。

【プレヴェール】フランスの詩人。「プレヴェール詩集」マガジンハウス。
  2月3日  
私が江戸に来たその翌年、すなわち安政年、五国条約というものが発布になったので、横浜は正しく開けたばかりのところ、ソコデ私は横浜に横浜に見物に行った。その時の横浜というのは、外国人がチラホラ来ているだけで、掘立小屋みたいな家が諸方にチョイチョイ出来て、外国人が其処に住まって店を出している。其処へ行ってみたところが、一寸とも言葉が通じない。此方の言うこともわからなければ、彼方の言うことも勿論わからない。店の看板も読めなければ、ビンの貼り紙もわからぬ。何を見ても私の知っている文字をというものはない。英語だか仏語だか一向わからない。

【福沢諭吉】思想家・教育家。「新訂 福翁自伝」岩波文庫
  2月2日
義務感は、仕事において有用であるが、人間関係ではおぞましいものである。人びとの望みは、人に好かれることであって、忍耐とあきらめをもって我慢してらうことではない。たくさんの人びとを自発的に、努力しないで好きになれることは、あるいは個人の幸福のあらゆる源のうちで最大のものであるかもしれない。

【ラッセル】イギリスの数学者・哲学者。「ラッセル・幸福論」岩波文庫。
 2月1日
 諸君、幸徳君ら時の政府に謀叛人(むほんにん)と見做(みな)されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるのを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。「身を殺して殺す能(あた)わる者は恐るるなかれ」。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わざるるごとく言い、させられるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸(ぬす)んで、一切の自立自身、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。

【徳富蘆花】小説家。「謀叛論」岩波文庫。
 1月31日  誰にでもこのあわれみの心があるものだとどうして分かるかといえば、その理由はこうだ。たとえば、ヨチヨチ歩く幼子が今にも井戸に落ちそうなのを見かければ、誰しも思わず知らずハッとしてかけつけて助けようとする。これは可哀想だ、助けてやろうとの一念からとっさにすることで、もちろん助けたことを縁故にその子の親と近づきにならおうとか、村人や友達からほめてもらおうとかのためでなく、また、見殺しにしたら非難されるからと恐れてのためでもない。

【孟子】中国、戦国時代の思想家。「孟子」岩波文庫。
 1月30日  サッィヤーグラハ、または魂の力は英語で「受動的抵抗(バッスィヴ・レジスタンス)」といわれています。
この語は、人間たちが自分の権利を獲得するために自分で苦痛を耐える方法として使われています。その目的は戦争の力に反するものです。あることが気に入らず、それをしないときに、サッィヤーグラハ、または魂の力を使います。

【ガンディー】インドの政治家・思想家。「真の独立への道」岩波文庫。
  1月29日  人間は物を考える理性と、物を創り出す力とを、天から授かっています。それでもって、自分に与えられているものを、ますます殖やして行けという神様の思召(おぼしめし)なんです。ところが、今日まで人間は、創り出すどころか、ぶち壊しばかりしていました。森はだんだん少なくなる。河は涸れてゆく、鳥はいなくなる、気候はだんだん荒くなる、そして土地は日ましに、愈々(いよいよ)ますます痩せて醜くなっていく。
 1月28日  神がほんとうに存在するということが不思議じゃなくって、そんな考えが、ーー 神は必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地悪な動物の頭に浮かんだということが驚嘆に値するのだ。そのくらいこの考えは神聖で。殊勝(しゅうしょう)で、賢明で、人間の誉となるべきものだ。

【ドストエフスキー】「カラマーゾフの兄弟」岩波文庫。
 1月27日  「わしが言葉を使うときには」と、ハンプティ・ダンプティは、鼻であしらうように言いました。「その言葉は、わしが決めただけのことを意味するんじゃーそれ以上でも、それ以下でもなくな。」「問題は」と、アリスは言いました。「一つの言葉に、そんなにいろんなにいろんな意味をもたせることができるのか、ということです。」「問題」と、ハンプティ・ダンプティが言いました。「どっちが主人か、ということーそれがすべてじゃ」

【ルイス・キャロル】イギリスの童話作家。「鏡の国のアリス」岩波少年文庫
 1月26日 田城介入道覚知、遁世して梅尾に栖みける比、自ら庭の薺を摘みて味噌水と云う物を結構して上人にまいらせたりしに、一口含み給いて、暫し左右を顧みて、傍なる遣戸の縁に積もりたるほこりを取り入れて食し給いけり。大蓮房座席に候ひけるが、不審げのつくづくと守り奉りければ、「余りに気味の能く候程に」とぞ仰せられける。

【明恵】鎌倉後期の華厳宗の憎。「明恵上人集」岩波文庫。
 1月25日 良心というものは、それぞれ個人の中にあって、社会がそれ自体を保持するために発展させてきた法則の番人なのだ、と私は思う。われわれがその法則を破らないように見張るために配置された、われわれの心の中の警官である。自我という中央のとりでに座をしめたスパイである。人が仲間から是認されたいという欲望は、ひじょうに強く、人から非難されるのをこわがる気持ちは、ひじょうに激しく、それだから、自分で敵を門の中へおびき入れてしまっているのだ。

【モーム】イギリスの作家。「月と六ペンス」(岩波文庫)
 1月24日 そのとき、けだかい美しさと気品を備えたゼルペンティーナが寺院の奥からすがたを現す。彼女は黄金の壺をたずさえている。その壺から美しい百合の花が一輪咲き出している。かぎりないあこがれが言い知れぬほどの歓喜となって、彼女のやさしいひとみにもえている。こうして彼女はアンゼルムスをじっと見つめて、口をひらいたー「ああ、いとしいかた!百合が花を開きましたわー最上の願いが達せられました。わたしたちのしあわせに比べられるようなしあわせがこの世にあるでしょうか」

【ホフマン】ドイツ・ロマン派の作家、司法官。「黄金の壺」岩波文庫。
 1月23日
さて、諸君、小説というものは大道に沿うてもち歩かれる鏡のようなものだ。諸君の眼に青空を反映することもあれば、また道の水溜まりの泥濘(ぬかるみ)を反映することもあろう。すると諸君は、鏡を背負いかご籠に入れてもって歩く男を破廉恥だといって非難する!鏡は泥濘を映し出す、そこで諸君はそのか鏡を非難しようというんだ!

【スタンダール】フランスの作家。「赤と黒」岩波文庫。
 1月22日
ある書物はちょっと味わってみるべきであり、ほかの書物は呑み込むべきであり、少しばかり書物がよく噛んで消化すべきものである。すなわち、ある書物はほんの一部だけ読むべきであり、他の書物は読むべきではあるが、念入りにしなくてもよく、少しばかりの書物が隅々まで熱心に注意深く読むべきものである。

【フランシス・ベーコン】イギリス・ルネッサンス期の政治家・哲学者。「ベーコン随想集」岩波文庫。
 1月21日
ナチュラリストの考え方の中には、真実なのに嘘、知っているのに知らないことになっている事実が、いろいろある。知っている事実でも、認めるのに耐えられないというので脇へ押しのけられたまま、意識的に論理的思考から外されてしまうのもあれば、綿密に検討されたにもかかわらず、自分一人の心の中でさえ、事実であることを絶対認めないといったことが起こるのだ。

【ジュージ・オーゥエル】イギリスの小説家。「オーゥエル評論集(岩波文庫)
 1月20日
われわれは、独りでは安らかに生きることができないこと、われわれ自身の幸福が遠い他の国々の幸福を係わっていることを学んだ。われわれは、砂に頭をうずめたダチョウや飼葉桶の中の犬としてでなく、人間として生きねばならぬことを学んだ。われわれは、世界の市民、人類共同体の成員となるべくことを学んだ。

【フランクリン・ルーズベルト】第4回大統領就任演説(1945年1月20日)
 1月19日
世の中に無神経ほど強いものはない。あの庭前の蜻蛉(とんぼ)をごらん。尻尾を切って放しても、平気で飛んでいくではないか。おれなども蜻蛉ぐらいのところで、とても人間の仲間入りはできないかもしれない。むやみに神経を使って、世間のことを苦に痛み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それが為に頭が禿げ髭が白くなって、まだ年も取らないのに耄碌してしまうというような憂国家というものには、おれはとてもなれない。

【勝海舟】幕末・明治の政治家。「氷川清話」中央公論社。
 1月18日
 国家、すなわち、法律が存在する社会においては、自由とは人が望むべきことをなしうること。そして、望むべきでないことをなすべく強制されないことのみ在しうる。
独立とはなんであるか、そして、自由とはなんであるかを心にとめておかねばならない。自由とは法律の許すすべてをなす権利である。

【モンテスキュー】フランスの政治思想家・法学者。「法の精神」岩波文庫。
 1月17日  もしもお前の好きなようにしてよいと言われたならば、私はいままめでの生涯を初めからそのまま繰返すことに少しも異存はない。ただし、著述家が初版の間違いを再販で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが。

【フランクリン】
アメリカの政治家・化学者。「フランクリン自伝」岩波文庫。
 1月16日  ただ過ぎるに過ぐるもの、帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。

雪は檜皮葺(ひわだぶき)、いとめでたし。すこし消えがたになるたるほど。また、いよ多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをがし。
時雨、霰は、板屋。霜も、板屋。庭。

【清少納言】平安中期の歌人、随筆家。「枕草子」岩波文庫。
 1月15日
人の一生は重荷に負いて遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りてまくる事をしらさば、害其身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過たるよりまさり。
慶長八年正月十五日 家康

【徳川家康】徳川初代将軍。「東照宮遺訓」
 1月14日
 ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だっが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動したーしかし、それは遅すぎた。

【マルティン・ルター】ドイツの牧師。「彼らは自由だと思っていた」未来社。
 1月13日
雪は、また、マイケル・フュアリーが埋もれている丘の淋しい教会墓地のいたるところに降っている。雪はゆがんだ十字架や墓石の上に、小さな門の穂先の上に、不毛ないばらの上に、深々と降り積もっている。彼の魂は雪の降る音を耳にしながら、しだいに知覚を失っていった。雪が、かすかな音を立てて宇宙に降り、最後の時の到来のように、かすかな音を立てて、すべての生者たちと死者たちの上に降りそそぐのを耳にしながら。

【ジョイス】アイルランドの小説家。「ダブリンの市民」集英社。
 1月12日
うじ虫には明瞭な自我の観念も宇宙の観念もないけれども、踏みつけられたうじ虫でさえも、苦しんでいる自分を彼以外の全宇宙と対立させる。虫は私にとっては単に世界の一部分にしか過ぎないが、虫にとっては私が世界の一部分でしか過ぎない。われわれはすべて全宇宙を異なる場所において二つに分割しているのである。

【ウィリアム・ジェームズ】アメリカの哲学者・心理学者。「心理学」岩波文庫。
 1月11日
会話において、何かをかくしているものほど、危険なものはないよ!あるフランスの老賢人が私にいったことがある。話というものは、考えることを妨げるための、発明だ、とね。そしてまた、人がかくそうと思っていることを発見するための、誤りのない方法でもあるわけだ。人間というものはだな、ヘイスティングズ、自分自身をあらわし、その個性を表現するために、会話が与えてくれる機会には、抗しえないものだよ。

【アガサ・クリスティー】イギリスの」女流作家。「ABC殺人事件」東京創元社。
 1月10日
世の中に事件がなにも起きていない。ニュース取材者たちは眠っている。あるいは競争相手のニュース記者たちのほうがもっと機敏である、といった印象を人々に与えないためには、どうしたらよいか? 印刷や放送の経費が増大するにつれて、輪転機をいつも動かし、テレビをいつも放送していることが財政的に必要になった。疑似イベントを製造しなければならない必要は、いっそう強くなった。かくしてニュースの取材は、ニュースの製造へと変化したのである。

【ブーアスティン】アメリカの歴史学者。「幻影の時代 マスコミが製造する事実」東京創元新社。
 1月9日
人は女に生まれるのではない、女になるのだ。社会において人間の雌がとっている形態が定めているのは生理的宿命、心理的宿命、経済的宿命のどれでもない。文明全体が、男と去勢者の中間物、つまり女と呼ばれるものを作りあげるのである。

【ボーヴォワール】フランスの女性作家。「第二の性」新潮社。
 1月8日
宇宙にはじまりがあるかぎり、宇宙に創造主がいると想定することができる。だがもし、宇宙が本当にまったく自己完結的であり、境界や縁をもたないとすれば、はじまりも終わりもないことになる。宇宙はただ単に存在するのである。とすると、創造主の出番はどこにあるのだろう?

【ホーキング】イギリス生まれの理論物理学者。「ホーキング 宇宙を語る」早川書房。
 1月7日
いつも読書しながら、一種の絶望感をおぼえる。確かに面白い。対決もある。だが眼と頭だけの格闘はやはり空しい。人生はまたたく間もないほど短いのである。ハイデッカー、ヤスパース、サルトルにしても、実存を説きながら、なんであのようにながながと証明しなければならないのか。その間に絶対の時間が失われてしまう。サルトルに言ったことがある。「あなたの説は共感するが、あのびっしり息もつまるほど組み込まれた活字のボリューム。あれを読んでいる間、いったい人は実存しているのだろうか。」彼は奇妙な顔をして私を見かえした。私はいま生きているこの瞬間、全空間に向かって、八方に精神と肉体をとび散らしたい。

【岡本太郎】洋画家。「エッセィの贈り物」岩波書店。
 1月6日
冬ごもり 春さりくれば 飯乞(いいこ)ふと 草のいほりを 立ち出でて 里に行けば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく ひふみよいむな 汝がつけば 吾はうたひ あがつけば なほうたひ つきてうたひて 霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも

【良寛】江戸後期の禅僧・歌人「良寛」筑摩書房。
 1月5日
書物はしばしば別の書物のことを物語る。一巻の無害な書物がしばしば一個の種子に似て、危険な書物の花を咲かせてみたり、あるいは逆に、苦い根に甘い実を熟れさせたりする。

【ウンベルト・エーコ】イタリアの記号論学者。「薔薇の名前」東京創元社。
 1月4日
不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が鳴りひびいて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。いまのところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。

【カミュ】フランスの作家。「シーシュポスの神話」新潮文庫。
 1月3日
仮りに、われわれは不死なるものになれそうもないとしても、やはり人間はそれぞれふさわしい時に消え去るのが望ましい。自然は他のあらゆるものと同様、生きるということについても限度を持っているのだから。因みに、人生における老年は芝居における終幕のようなもの。そこでへとへとになることは避けなければならない、とりわけ十分に味わいを尽くした後でな。

【キケロ】古代ローマの政治家・哲学者。「老年について」岩波書店。
 1月2日
正しく哲学している人々は死ぬことの練習しているのだ。そして、死んでいることは、かれらにとっては、少しも恐ろしくないのだ。こういう風に考えてみたまえ。かれらが到るところで肉体と神体たがいをしてきて、魂それ自身だけを持とうと熱望きたのに、そのことが起こると、恐怖を覚え憤激するというのでは、これ以上の不合理はないだろう。


【プラトン】古代ギリシャの哲学者。「バイドン魂の不死について」岩波文庫。
 2021年
1月1日

東(ひむかし)の野に立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ。

淡海(あふみ)の海夕波汝(な)がけば情(こころ)もしのに古(いにしへ)思いほゆ

ぬばたまの夜に来れば巻向(まきむく)くの川音高しも嵐かな

【柿本人麻呂】万葉歌人。「万葉集」岩波書店。
   
世の定めとて大晦日(おおつもごり)は闇なる事、天の岩戸の身代このかた、しれたる事なるに、人みな常に油断して、毎年の胸算用ちがひ、節季をし廻いかね迷惑するは、面々覚悟あしき故なり。一日千金に替がたし。銭銀なくては越れざる冬と春との峠、是借銭の山高ふしてのぼり兼たるほだしー。

【井原西鶴】江戸前期の浮世絵作者・俳人。「世間胸算用」岩波書店。
 
「叔父さん、どうしたらいいでしょう?僕は望んだ。たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じ所にいる。いや同じ所にもいない!退歩してしまった……僕はなんの役にもたたない。なんの役にもたたないんです。……
……ゴットフリーはやさしく言った。「そんなことこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる。それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねぇ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。その他のことは私たちの知ったことじゃない。

【ロマンロラン】フランスの作家・評論家。「ジャン・クリストフ」岩波文庫。
 
心を蕩(とろ)かすエロースとキュプロス生まれの愛の女神が、わたしどもの胸と膝とに魅惑の気をば吹きかけて、男たちの心中に甘い情念、棍棒使いの心を醸し出してくだされば、わたしどもギリシア人のあいだで平和の女神と呼ばれるでしょうよ。

【アリストパネス】古代ギリシャの喜劇作者。「女の平和」岩波文庫。
  大好きなパパ 42年4月30日
こっちはみんなとっても元気。ママはボルガ川のほとりにつるこけももをとりにいくんだ。
僕たちは夏休みになっらら村に行くんだよ。ママはコルホーズで働くし、パパは僕にフランス語を勉強するように言うけれど、僕はピアノの練習をしているよ。そして遊んでいるし、マリーナとはもうけんかをしていない。パパ、早く戦争から帰ってきて!ママとマリーナと僕とモスクワに早く帰りたい。
マリーナは、服をつくっているよ。
強く、強くキスします。

【タルフコスキー】ソ連の映画監督。「タルフコスキー若き日」青土社。
 
ぼくは子供と話すが最も好きだ。彼らからは、彼らがいつか理性的存になりうることが期待できるからだ。しかし理性的存在になった者ときてはーやれやれ!

【キルケゴール】デンマークの思想家。「あれかこれか」白水社。
 
わたくしたちは引きよせられるように近々と厨子の垂れ幕に近づいてその顔を見上げた。われわれ自身の体に光線がさえぎられて、薄暗くなっている厨子のなかに、整然として異様な生気を帯びた顔が浮かんでいる。その眉にも眼にも、また、特に頬にも唇にも、幽かな、しかし刺すような印象の鋭い、変な美しさを持った微笑が漂うている。

【和辻哲郎】倫理学者。「古寺巡礼」岩波文庫。
 
もし一人の人間を殺せば、それは人殺しになる。だが、数百万人の人間を殺せば英雄としてほめたたえられる。女や子供たちを虐殺する爆弾を発明したやつは祝福される。この世界で成功するためには、組織的にやりさえすればいいのだ…。

【チャップリン】映画俳優・監督。「チャップリン増補版」岩波書店。
 
今日はクリスマスイブだ。君がいないので淋しい。君も、ぼくがいないので淋しかろう。でもぼくは菌を見つけなくちゃならないんだ。…ぼくのことは心配しないで欲しい。良い本を読み、映画やショウに出かけて淋しさをまぎわらしてくれ。細菌を見つけたらすぐとんで帰る。…フレクスナー先生にさえも手紙を書く時間がないんだ.…これから実験室に帰るねばならぬからこれで…。

【野口英世】細菌学者。「野口英世」岩波書店。
 
あながたは、研究室で虫をひどい目に合わせたり、こま切れにしたりして、研究していられる。わたしは、セミの声にかこまれ、青空の下で観察しています。あなたがたは、細胞や、原形質を薬品をつかって実験していられる。わたしは、本能のすばらしいあらわれかたを、研究しているのです。あなたがたは、死体をせんさくしていられる。わたしは、生きた生命をしらべているのです。

【ファーブル】フランスの昆虫学者。「昆虫と暮らして」岩波少年文庫。
 
ひとかどの人物とても、幸運の友を、嫉み心なく立てることは、
なかなか人間生来の性がゆるさぬ、
悪しかれと願う邪毒が、心の臓に坐りこみ、
その病をえた男の重荷を、倍にもおおくするもの。
おのれの痛みで、おのれ自身の心が晴れず、
他人の幸さいわいを見つめては、呻きをかさねる。


【アイスキュロス】古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人。「ギリシャ悲劇全集」岩波書店。
 
バルザックやドストエフスキーを読むと、あの多様さを、あの深い根底から縦横無尽に書きまくっていることに、呆然とすることがある。人生への、人の悲しき十字架への全き肯定から生まれてくると尊き悪魔の温かさは私を打つ。

【坂口安吾】小説家。「坂口安吾全集」。ちくま文庫。

 
天才とは努力し得る才だ。というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を労せず成功する場合には努力はしまい、彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は寧(むし)ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るという事が屡々起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うことだという事になるだろう。

【小林秀雄】文芸評論家。「モオツァルト」創元文庫。
 
しかし、カテドラルよりは人々の眼を描きたい。カテドラルがいかに荘厳で、圧倒するような印象を与えようと、そこにはない何かが人間の眼にはあるからだ。一人の人間ー哀れなルンペンであろうと、夜の女であろうとーの魂はぼくの眼には興味深いものだ。

【ゴッホ】後期印象派の画家・オランダ生まれ。「ヴァン・ゴッホの書簡集」みすず書房。
 
だが、愛というものはたんにわれわれの生活に不可欠的にとどまらず、それはさらに、うるわしい。
われわれはすなわち、友人愛に富んだひとびとを称賛するのであり、多友ということはうるわしきものごとの一つに数えられている。

【アリストテレス】古代ギリシャの哲学者。「ニコマコス倫理学」岩波文庫。
 
雲が押しかかるように低く空にかかった。もの憂い、暗い、そして静まり返った秋の日の終日、私は馬に乗ってただ一人、ふしぎなほどうあら淋しい村を通り過ぎて行った。そうして夕暮れの影が迫ってきたころ、とうとう陰鬱なアッシュア家の見えるところまでやってきた。どういうわけだか知らないが、その建物をひと目見た刹那、耐えがたい憂鬱の情が私の心を襲ってきた。じっさい耐えがたかった。

【エドガー・アラン・ポー】アメリカの詩人・小説家。「アッシュア家の没落」春秋社。
 
事に従へて、人の子の道を知らむことを請(こ)う
書を読みて、帝京偏(ていけいへん)を暗誦(あんしょう)したりき
薬の沈痛を治むること 纔(わずか)に旬日(じゅんじつ)
風の遊魂(ゆうこん)を引く 是れ九星(きゅうせん)
余(それ)より後、神を怨み兼ねて仏を怨みたり

【菅原道真】平安前期の貴族・学者。「菅原道真」岩波書店。
   
…私はルビコン川(賽は投げられた)の岸に立っている思いでした。この小さな本が出たら、その日から私は後へひくことはできない。公衆にたよっている医師の身の上として、公衆から空想家と見られ「よそごと」に気をとられる人間と思われると、どんな運命になるか、わかっています。私と家族のものの生活とこれからの安定をこの一枚の切り札かけている思いです。しかし私の骨身にしみこんだこの世界語の考えを捨てることはできません。…私はルビコン川を渡ったのです。

【ザメンホフ】旧制ロシア領時代のポーランドのユダヤ系の眼科医・言語学者。「エスペラントの父 ザメンホフ」岩波新書。
 
運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしめることはできない。

【九鬼周造】哲学者。『「いき」の構造』岩波文庫。
 
行動をほこる君たちフランス人よ!このことはよくおぼえておきためえ。君たちは知らぬまに、思想家の助手になっているのだ。思想家はごくあつつましく静まっていながら、君たちのすべての坑道をきわめてはっきりと、まえもってきめてしまうことがある。マキシミリアン・ロペスピエールはジャン・ジャック・ルソーの助手にすぎなかった。ルソーがたましいをあたえておいた胎児を、時代の母体からひっぱりだした血まみれの助産婦だった。

【ハイネ】イギリスの抒情詩人・評論家。「ドイツの古典哲学の本質」岩波文庫。
 
誰だって、自分の欲望、思想、苦痛を正確に示すことはできない。そして、人間の言葉は破れ鍋のようなもので、これをたたいて、み空の星を感動させようと思っても、たかが熊を踊らすの曲しか打ち鳴らすことはできないのである。

【フローベール】フランスの小説家。「ボヴァリー夫人」岩波文庫。
 
されば今ここで諸君の決心を要求する。身に害の蒙(もう)まえに屈服するか、それとも、私がよしと判断するように、戦うか、そして若し戦うとすれば、原因の軽重いかんにかかわらず妥協を排し、汲々たる現状維持を忌避する態度を決して貰いたい。対等たるべき間柄の一国が他の国に、法的根拠もない要求を強いれば、事の大小如何(いかん)にかかわらず、これは相手に隷属を強いることにひとしい。

【トゥキュディデス】ツキジデスとも。アテナイの歴史家。「歴史」岩波文庫。
 
私は、女々しいまでに、古陶器に惚れこんでいる。どこか大きなお屋敷を拝見にでかけると、まず陶器戸棚のことをたずね、つぎに画廊である。人間にはすべて、習い覚えて身についたものとはっきり思い出せないほど古い昔の趣味が、なにかしらあるものであるとでも言うほか、私には、この好みの順序の説明のしようがない。

【チャールズ・ラム】イギリスの随筆家・評論家。「エリア随筆」みすず書房。
 
かねて教へえあれごとし左の足を折敷き、右の膝をたて、手をかさねてさし出せば、女帝右の御手を伸、指さき光太夫が掌の上にそとのせらるるを三度舐(ねぶ)るごとくす。これ外国の人初めて国王に拝謁の礼なるとぞ。さてもとの座に退き立居たるに、国王左右に命じて光太夫が願伏を取り出させ御覧ありて、此疏草(このしたがさ)は誰が書たるや定めてキリロならんと有ければ、キリロならんと有ければ、キリロ謹んで渠(かれ)が申すままに草したる由を答へ申す。叉此書面に相違なきやありければ、キリロ仔細も候まじと答へける。時に国王ベンヤシコと宣(のたま)ふ声高く聞へける。是は可憐といふ語なり。

【大黒屋光太夫】江戸後期、伊勢の船頭。「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」岩波文庫。
 
わたしは時勢を憤って、それを切り開こうとか、狂瀾を回らそうとかいうようなアンビション、希望といいますか、それがない、今日でもそうです。時の流れを見る。時の勢いを見る、人心がだらけているなら、それはだらけさせる風潮が時代に漲っている。これを回転する、逆流させるという豪気努力はわたしの及ぶ所ではない、西園寺が冷淡だと言われる所以であろうが、自分ではこれを冷淡とは思わない。時流に逆らいもしなけらば時流に従いもしない。

【西園寺公望】政治家。「随筆 西園寺公望公」岩波書店。
 
その二十歳櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

清水へ祇園をよぎる桜月夜にこよひ逢う人みなうつくしき

やは肌のあつき血汐にふれも見てさびしからずや道を説く君

なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

【与謝野晶子】歌人。「みだれ髪」岩波書店。
 
「ほら、ニグロ!」。それは通りがかりに私を小突いた外的刺激だった。私はかすかにほほえんだ。「ほら、ニグロ!」。論は次第に狭まった。私はあけすけにおもしろがった。「ママ、見て、ニグロだよ。ぼくこわい!」。こわい!、こわい! この私が恐れはじめられたのだ。私は腹をかかえて笑おうとした。だが、そうできなくなってしまっている。

【フランツ・ファノン】仏領西インド生まれの革命思想家・精神科医。「黒い皮膚・白い仮面」講談社。
 
「ディズニー」というのは、ある抽象的なもの、人々の心の中にあるイメージを指している。ディズニーという言葉を聞けば、ある種のエンターテインメント、独特のファミリー・イメージが浮かんでくる。だから、僕自身はもはやディズニーじゃない。昔はディズニーだったけど。

【ウォルトディズニー】アメリカの映画制作者・監督。「ディズニーランドという聖地」岩波新書。
 
量子力学の成果はたしかに刮目に値します。ただ、私の内なる声に従えば、やはりどうしても本物ではありません。量子論のもたらすところは大なのですが、われわれは神の秘密に一歩とて近づけてくれないのです。いずれにしろ、神はサイコロバクチをしない、と確信しています。

【アインシュタイン】理論物理学者。「アインシュタインーボルン往復書簡集」三修社。
 
文人画の芸術家にとって、写生とは単にデッサンの稽古ではなかったのだろう。技術の錬磨は生活の発見につながる。芸術と生活との可能はひとしく天地山川ノ間に求められるべきもであり、一木一草といえどもこの関係からのがれられない。欄を描き竹を描く。いずれもかくあるべき生活の形態に対応する。技術はどうしても神妙でなくてはならない。描いてへたくそであったとすれば、精神も生活もひでい目に逢う。伝神の語、ひとをあざむかないゆえんである。

【石川淳】小説家。「夷斎筆談」ちくま学芸文庫。
 
哲学者たり、神学者たり、
詩人、剣客、音楽家、
将(は)た天界の旅行者たり、
打てば響く毒舌の名人、
さてはまた私の心なきー恋愛の殉教者!―
エルキュウル・サヴィニャン・
ド・シラノ・ド・ベルジュラック此処に眠る、
彼は全なりき、面(しか)して亦(また)空なりき。
…だが、もう逝こう、では失礼、そう待たしてもおけない、御覧なさい、月の光が迎えに来ましたからな!

【エドモン・ロスタン】フランスの詩人・劇作家。「シラノ・ド・ベルジュラック」岩波文庫。
 
この宇宙は、神の頭をかすめていく思いつきのひとつにすぎない。これはかなり不愉快な考えであるーもし、あなたがマイホームの頭金を払ったばかりなら、なおさらだ。

もし、ディオニュソス(ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神)、いま生きていれば!どこで彼が食事を取ればいいのだ?

【ウディ・アレン】ニューヨーク出身の映画監督・脚本家。「これでおあいこ」河出書房新社。
 
わたしは書物をたいへん大事したので、ついに彼らのほうもお返しにわたしを愛するようになった。書物は熟しきった果実のようにわたしの手のなかではじけ、あるいは、魔法の花のように花びらを広げて行く。そして、想像力をあたえる思想をもたらし、言葉をあたえ、引用を供給し、物事を実証してくれる。

【エイゼンシュティン】ソ連映画の開拓者。「自伝のための回想録」キネマ旬報社。
 
 若者はではなくて、美しく生を送ってきた老人こそが、祝福されていると考うべjきである。というのは、男盛りの若者は、考えが定まらず、運によって弄ばれる、老人は、かつて期待はすらむつかしかった善いこどもを、損なわれることなく安全に感謝の念によって包み、老齢を、あたかも泊りり場として、そこに憩うているからである。

【エピクロス】ギリシャの唯物論哲学者。「エピクロス 教説と手紙」岩波文庫。
 
生にとって掛け替えのない解脱の機会、それは‥‥われわれの種がその蜜蜂の勤労を中断することに耐える僅かの間隙に、われわれの種がかつてあり、引き続きあるものの本質を思考の此岸、社会の彼岸に捉えることを存している。われわれの作り出したあらゆるものより美しい一片の好物を見入りながら。百合の花の奥に匂う、われわれの書物よりもさらに学殖豊かな香りのうちに。あるいはまた、ふと心が通い合って、折折一匹の猫とのあいだにも交わすことがある。忍耐と静穏と、互いの赦しの重い瞬きのうちに。

【レヴィ=ストロース】フランスの文化人類学者。「悲しき熱帯」中央公論社。
 
巨匠たちの歴史作品に見られるように、歴史は決して一直線でも、単純な因果の方程式でも、暗から光への必然の進歩でもなかった。それよりも歴史は、すべての糸があらゆる他の糸と何かの意味で結びついているつぎ目のない織物に似ている。ちょっと触れただけで、この繊細に織られた網目をうっかり破ってしまうかもしれないという恐れがあるからこそ、真の歴史家は仕事にかかろうとする際にいたく心をなやますのである。

【ノーマン】カナダの日本史研究科・外交官。「クリオの顔 歴史随想集」岩波文庫。
 
新しい科学、サイバネティックスに貢献したわれわれは、控えめにいっても道徳的にあまり愉快でない立場にある。既述のように、善悪を問わず、技術的に大きな可能性のある新しい学問の創始にわれわれは貢献してきた。われわれはそれを周囲の世間に手渡すことができるだけであるが、それはベルゼン(ナチスの強制収容所)や広島の世間でもある。

【ウィナー】アメリカの数学者。「サイバネティックス」岩波書店。
 
彼れを知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼れを知らず己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎(ごと)に殆うし。

【孫子】中国、春秋時代の兵法家。「新訂 孫子」岩波文庫。
 
私が国家学に心を傾けた時に、私は何か新しい事柄、未聞の事柄を説こうとしたことではなく、ただ実践と最もよく調和する事柄を確実かつ疑いえない理論によって証明し、あるいはそれを人間的本性のそのものから導き出そうとしたものであった。そしてこの学問に関することどもを、数学を取り扱うのと同様の捉われない精神をもって探究するために、私は人間の諸行動を笑わず、歎かず、呪詛もせず、ただ理解することにひたすら努めた。

【スピノザ】オランダのユダヤ系哲学者。「国家論」岩波文庫。
 
飛ぶ鳥、飛ぶ石、千の
えがかれていく軌跡。まなざしは
うばわれ、摘まれる。海は
あじわわれ、酔われ、夢まどまれる、ひととき、
魂は昏(くら)む。つぎのとき、秋のひざし
照りはえる。ひとつの盲目の
感情。

【パウル・ツェラン】ドイツの詩人。「パウル・ツェラン」小沢書店。
 
此の世のなごり、夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそ あはれなれ。あれを数ふれば暁の、七つが時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘のひびきの聞きをさめ、寂滅偽楽(じゃくめついらく)と、ひびくなり。

【近松門左衛門】江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者)「曽根崎心中
 
奈良博物館にて

くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
かげ うごかして かぜ わたる みゆ

あきし の みてら を いでて かへるみる
いこま が たけ に は おちむ と す

すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の
ひま にも すめる あき の そら かな

【会津八一】新潟県生まれの歌人・書家・美術史家。「南京新唱」岩波書店
 
本当に芸術を愛していては、なかなか「批評家」なんかなれない。私の場合、一つの小さな愛好でさえ百の嫌悪から成り立っている。だから「批評家」になるには、百対一の割合で、その百の嫌悪の根拠をを人の前に説明する饒舌な閑人となることを覚悟せねばならぬ。そんな閑があったら、もしろ昼寝する。

【林達夫】評論家。「林達夫評論集」岩波文庫。
 
われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身でありますーそれは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽くし身命を捧げた、偉大な主義に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれが一層の献身を決意するため、これら戦死者をむだに終わらしめないように、われらが堅く決心するため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。

【リンカーン】アメリカ合衆国16代大統領。「リンカーン演説集」岩波文庫。
 
人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方あれと思わぬこと、未来に対しても、永遠全体にわたってけっして。

【ニーチェ】ドイツの哲学者。「この人を見よ」岩波文庫。
 
近代の禅僧、頌(じゆ)を作り、法語を書かんがために文筆をこのむ、是れ便(すなわ)ち非なり。頌をつくらずとも心に思はんことを書出し、文筆ととわなずとも法門を書くべきなり。是をわるしと見ざらんほどの無道心(むどうしん)の人は、よく文筆を調(ととの)へていみじき秀句ありとも、忠言語ばかり翫(もて)あそんで理を得べからず。

【道元】鎌倉初期の禅僧。「正法眼蔵髄聞記」岩波文庫。
 
辛抱です。神来を頼みにするな。そんなものは存在しません。芸術家の資格はただ智慧と、注意と、意志とだけです。正直な労働者のように君たちの仕事をやりとげよ。
真実であれ、若き人々よ。しかしこれは平凡で正確であれという事を意味するのではない。低級な正確というものがあります。写真や石膏型のそれです。芸術は内の真実あってこそ始まります。すべての君たちの形、すべての君たちの色彩をして感情を訳出せしめよ。

【ロダン】フランスの彫刻家。「ロダンの言葉抄」岩波書店。
 
ゆたかな社会における貧困の除去を社会的・政治的な日程に強力に載せようではないか。さらに進んで、その中心に据えようではないか。そしてまた、地球を守るという名目で地球に灰しか残さないようにする懼れのある人たちから、われわれの豊かさを守ろうではないか。

【ガルブレイス】制度学派の流れをくむアメリカの経済学者。「ゆたかな社会」岩波書店。
 
理性的なものは現実的であり、
そして、現実的なものは理性的である。

存在しているものを概念的把握するのが哲学の課題である。けだし、存在しているものこそが理性だからである。個人に関して言うなら、各人はもとよりその時代の子である。哲学もまたそうであって、思想のうちに捉えられたその時代である。

【ヘーゲル】ドイツ古典哲学の最大の代表者。「法哲学綱要」序文(編集部訳)
 
バスチアンは、ふと、さっきからずっとあの本に吸いよせられているのに気づいた。そして今は革のいすの上においてある、あの本に。パスチアンは目をそらすことはどうしてもできなかった。まるで、磁気のような力が発していて、自分を魅(ひ)きつけて放そうしないかのようだった。パシチアンは、いすに近よった。そうっと手をのばした。手が本にふれた。― その瞬間、わなのかけがねがおちたように、パシチアンの中で何かがカチッと鳴った。

【エンデ】ドイツの児童文学者。「はてしない物語」岩波書店。
 
こうしてこの九年間、わたしは十九歳から二十八歳まで、わたしはさまざまな欲望に、みずから惑わされ、人を惑わし、みずから裁かれ、人を裁いた。そしておおやけに自由学科という学問を鼻にかけ、ひそかには宗教の名をかたって、一方ではうぬぼれが強く、他方では迷信が深く、いずれにおいても空虚であった。

【アウグスティヌス】初期キリスト教会最大の思想家。「聖アウグスティヌス告白」岩波文庫。
 
アイマンを診断したイスラエルの精神病医は、アイヒマンは「まったく正常な人間であって、彼を診断したのわたし自身よりも、かえって正常なのではないかという気がするぐらいだ。と、いっている。別の研究者はアイヒマンを、模範的な家庭の父親と見なしている。アイヒマンは主として公文書や輸送計画や統計にたずさわっていたのだが、それでもなお、犠牲者たちをじぶんの眼で見る機会があった。最後の世界大戦を現に立案している者たちは、もは犠牲者たちを見ることもないだろう。
*アイヒマン=ユダヤ人虐殺の実行責任者として裁かれた。

【エンツェンスベルガー】ドイツの詩人・評論家。「政治と社会」晶文社。
   
ルターに敵意をもつある貴族が言った。「きみは聖人かね。ねえ、もしきみがわしよりに先に天国に行った場合、あとからくる私の目玉をくりぬかないでもらいたいな」。
するとルター博士は答えて言った。「若殿よ、私がどんなにあなたの目玉をくりぬきたいと思ったところで、天国であなたにお目にかかることはないでしょう」。

【ルター】ドイツの宗教改革者。「世界の名著」中央公論社。
 
かごの鳥はもと棲んでいた林を恋い、池の魚はもとの淵を慕うといわれるが、わたしも世渡り下手な性格をあくまで守り通して、故郷の村に帰ってきて、村の南端の荒地を開墾することにした。

【陶淵明】中国、詩人。「中国名詩選」岩波文庫
 
一敗地に塗(まみれ)たからといって、それがどうだというのだ?。すべてが失われたわけではないーまだ、不屈不撓(ふとう)の意志、復讐への飽くなき心、永久に癒すべからず憎悪の念、降伏帰順も知らぬ勇気があるのだ!敗北を喫しないために、これ以外何が必要だというのだ!

【ミルトン】イギリスの詩人。「失楽園」岩波文庫。
 
 「これはどうしたのだ? 俺が倒れかかっているのか? なんだか足がへなへなする!」とアンドレス侯爵は考えると、たちまちあおむけにぶっ倒れた。彼はフランス兵と砲手の争闘の結果がどうなったか、赤毛の砲手が殺されたかどうか、大砲は鹵獲(ろかく)されたか助かったか、それを見るつもりで眼を開いた。が、なにも見えなかった。彼の頭上には高い空ー晴れ渡ってはいないが、それでも測り知ることのできない高い空と、その面をはってゆく灰色の雲のほか何もない。

【トルストイ】ロシアの小説家・思想家。「戦争と平和」岩波文庫。
 
神父は、どこから話しはじめたら良いのかとまどっているらしかったが、やっと前にいったことを繰り返した。「賢いひとは葉をどこに隠す? 森の中に隠す」。
相手はなんとも返事をしない。「森がない場合には、自分で森を作る。そこで、一枚の枯れ葉を隠したいと思う者は、枯れ木の林をこしらえあげるだろう」。依然として返答はない。神父はいっそう穏やか口調でつけ加えるー「死体を隠したいと思う者は、死体の山を築いてそれを隠すだろうよ」

【チェスタートン】イギリスの作家・批評家。「折れた剣」東京創元社。
 
すべて歴史判断の基礎には実践的要求があるので、すべての歴史は「現代史」という性格を与えられる。なぜなら、叙述される事件が遠く離れた時代のものに見えても、実は、その歴史は現愛の要求および状況ーその内部に事件がこだましているのであるーについて語っているのええあるから。

【クローチェ】イタリアの哲学者。「歴史とは何か」岩波新書
 
神様方のお心は、ただ私を苦しめ、トロイアをば、とりわけ憎もうとなさることであったとしか思われぬ。牛を屠(とふ)って勤めた奉仕も空しいことであった。しかしまた、神さまがこれほどまでに根こそぎ、トロイアを滅ぼされることがなかったら、わたしらは名も知られず、後の世の人に歌いつがれることもなかったろうにー。

【エウリピデス古代】古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人。「トロイアの女」人文書院
 
事実というのは決して魚屋の店先ある魚のようなもではありません。むしろ、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕らえるかは、偶然にもよりますけれども、多くは彼がどの辺りで釣りをするか、どんな釣り道具を使うかーもちろん、この二つの要素は彼が捕えようとする魚の種類にによって決定されますがーによるものです。全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。歴史とは解釈のことです。

【E、H、カー】イギリスの外交官・国際政治学者。「歴史とは何か」岩波文庫
 
私も、命を惜しむ臆病者ですが、去就進退の分は、多少わきまえております。罰せられ、辱められて、生きながらえるのが、私の本旨でないことは、申すまでもありますわい。また、奴隷奴婢(ぬひ)のたぐいも、なお自害せぬわけがありましょうぞ。隠忍して活きながらえ、糞土の中に幽せられて、あえて辞せぬ所以(ゆえん)は、自己のねがいを果たさぬのを恨み、このままうずもれて、文章が後世に表れぬのを、鄙(はず)るからです。

【司馬遷】中国、前漢の歴史家。「武田泰淳全集」11巻、筑摩書房
 
余明治の社会において常に甚だ不満なり。故に筆を取れば筆を以て攻撃し、口を開けば詬罵(こうば)を以てこれを迎ふ。今や咽喉この悪腫(あくしゅ)を獲(え)て医治なく、手を拱(きょう)して終焉を待つ。あるいは社会の罰を蒙りて叱る(しかる)にあらざる耶、喝吾々(かか)。

*詬罵:ののしりはずかしめること *手を拱:手立てを講ずることなく。

【中江兆民】思想家。「一年有半」岩波文庫
 
われらまもなく冷たき闇に沈むらん。
いざさらば、束の間なりしわれらが夏の強き光よ!
われすでに聞く、中庭の甃石(いしただみ)に
悲しき響きを立てて枯枝の落つるのを。

【ボードレール】フランスの詩人。「悪の華」角川文庫
 
茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿をとりあわせているのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の予告を配合したものである。またいらいらするような暑い夏の日に、昼のお茶に行って見れば、床の間の薄暗い涼しい所にかかっている花瓶には、一輪の百合を見るであろう。露のしたたる姿は、人生の愚かさを笑っているように思われる。

【岡倉天心】明治時代、美術界の指導者。「茶の本」岩波文庫
 
金持ちの人間が、楽しく遊んでいるように見えて、じつは、我が身を犠牲にしてやみくものにまゆをつむいでいる蚕のような生活をしているとは、ほとんどのひとが気がつきません。これが金持ちの本来の姿なのです。おそらく疚しい手段で手に入れたであろう財産を、守り、管理するべくかれらは、自分自身の骨身をけずっているのです。だから、健康と生きていく不自由しない資産と、なにものにもまさる穏やかな良心があれば、深く感謝しましょう。

【ウォールトン】イギリスの随筆家・伝記作家。「完訳 釣魚大全」虎見書房。
   
戦争は体験しない者にこそ決し。この格言は、諸事にわたって経験の乏しい者こそ、嬉々として危険を買って出る、と教える。事実、アリストテレスも「修辞学」の中で、なぜ若者というものが向こうみずで、それにひきかえ老人は臆病であるかを説明している。それによれば、若者はよもやまの物事に通じていないので、かえって自分を恃(たの)むことすこぶる厚く、老人は幾多の経験を経ているので、それがために気遅れもする、というのである。

【エラスムス】オランダの人文学者。「人類の知的遺産」講談社
 
骨肉も尚お死ぬるものだという事は父母の死以来一応合点されていながら、其が自分の子供の上になると、何の理屈無しに死ぬなという堅い自信を持っていたものが此時以来がらりと崩れてしまったのである。私は其後度々墓参をした。凡てのものの亡び行く姿、中にも自分の亡び行く姿が鏡に映るように此墓表に映って見えた。「これから自分を中心として自分の世界を除々として亡び行く其有様を見て行こう。」私はじっと墓表の前に立っていつもそんな事を考えた。

【高浜虚子】俳人。「落葉降る下にて」永田書房。
 
いまぼくはルクシティアの狂乱した表情を、細部にわたって述べてみよう。彼女の手は、強引に接吻しようとするタルクィニウスの口を避けるように見せかけながら、明らかに手のひらを彼に与えている。また下腹部におかれているもういっぽうの手は、宝物への接近をはばむどころか、いまやうきあがって、指をのばしている。つまり、トネールが表現しようとしたものは、ひとつの魂、ひとつの肉体において、精神的嫌悪と快楽の氾濫が同時に起こる様相である。その情景を彼は二つの手の様相に表現した。すなわち、一つの手は嘘をつき、もういっぽうの手は、指にみなぎってきた罪を告白しているのだ。

【クロソウスキー】フランスの作家・画家。「歓待の掟」河出書房新社。
 
どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言いあててみよう。
新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。
だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けることである。

【ブリア・サヴァラン】フランスの司法家。「美味礼讃」岩波文庫
 
 味は濃厚を要するが、油濃くてはいけない。味はあっさりを要するが、水くさくてはいけない。この似て非なる感覚の一毛一凛の差は、これを誤ると千里を離れることになる。濃厚とは精取ることも多くして糟(かす)を去ることをいうのである。もしいたずらに脂こきを貪るならば、もっぱら豚脂を食うに越したことはない。あっさりとは真味が出て俗塵のないことをいうのである。もしいたずらに水くさを貪るなら水を飲むに越したことはない。

【袁衣(えんばい)】清の詩人。「髄園食卓」岩波文庫
 
人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気阻喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となる。
(汝自らを知れ)1909年10月23日

【アラン】フランスの人生哲学者。「アラン 幸福論」岩波文庫
 
花はあきらめた。すぐ枯れてしまう。果物のほうが忠実だ。果物は肖像を描いてもらおうとしている。色褪せてあやまっているかのようにそこにある。香りとともに果物の考えていることが漂ってくる。果物たちは、さまざまな匂いのうちにあなたのもとのにやって来て、収穫された畑や育ててくれた雨のこと、ひっそりと見ていて曙のことを話してくれる。

【セザンヌ】フランスの画家。「セザンヌ 絶対の探究者」(二玄社)
 
朝方の風物の変化は非常に早かった。しばらくして、彼が振り返って見た時には山頂の彼方からわき上がるように橙色の曙光がのぼって来た。それがみるみる濃くなり、やがたてまたあせはじめると、あたりは急に明るくなって来た。萱は平地のものと比べ、短く、そのところどころに大きな山独活が立っていた。あっちにもこっちにも山独活が一本ずつ、遠くのほうまでところどころに立っているのが見えた。そのほか、おみなえし、われもこう、萱草、松虫草なども萱に混じって咲いていた。小鳥が鳴きながら、投げた石のように弧を描いてその上を飛んで、また萱の中にもぐり込んだ。

【志賀直哉】小説家。「暗夜行路」後編 岩波書店
 
いまはできるかぎり身をもちくずそう。なぜって、私は詩人になろうと思っているのだし、見者になろうと努めているからです。すべての感官を錯乱させることによって未知なるものに到達することが肝心なのです。大変苦痛ですが、そのためには強くならなければならず、生まれついての詩人でなければなりません。そして、私は自分が詩人であることに気づきました。われ思う、なんて言うのは間違いです。人われを思う、と言うべきでしょう。私とは一個の他人なのです。

【ランボー】フランスの象徴派詩人。ジョルジュ・イザンバール宛書簡。編集者訳。
   
余は嘗て倫敦で懇意になった物識りの亜米利加人から、当才位の赤ん坊は健全でよく育ってさえ居れば、スチューにしても、焼いても、炙っても、茹でても実に美味いもので、滋養分に富んで居るということを聞いたことがあるが、フリカシーやラグーにしてもかなり喰えるだろうと思う。
【スウィフト】イギリスの作家。「ドレーピア書簡」岩波書店。
  遥かに行くことは、実は遠くから自分にかえって来ることだった。これは僕に本当の進歩がなかったことを意味してはいないだろうか。それとも本当に僕の「自分」というものがヨーロッパの経験の厚みを耐えて、更に自分を強く表したのだろうか。今僕はこの質問に答えることができない。これに答えるには数十年の歳月がかかるだろうからである。ただ僕は、自分の中に一つの円環的復帰がはじまったことを知るのである。

【森有正】仏文学者・哲学者。「バビロンの流れのほとりにて」筑摩書房
 
私は肉体をまとった感情であり、肉体をまとった知性ではない。私は肉体である。私は感情である。私は肉体と感情をまとった神である。私は人間だ。神ではない。私は単純だ。私のことを考えてはいけない。私は感じ、感情を通して理解しなければならない。

【ニジンスキー】ロシアの舞踏家。「ニジンスキーの手記」(新書館)
 
ああ、あんた方の汗まみれの思考とインクの洪水!なんとたくさんの紙が、人類の教育を促進するために黒くされたことか!論難者と宣言。言葉を孵化(ふか)し、字句にこだわった。詩脚を数え、字義を解釈した。あれほど多くの知ったかぶり。何ひとつ人間にとって疑う余地のないものはなかった。一語一語に七つの反論が持ち出された。地球は円いか、パンはほんとうに主の肉体かどうか、という人間どもの論争がどこの説教壇からも降ってきた。ことにあたしたちは彼らの神学論争を愛したわ。聖書は実際、そんなふうにもこんなふうにも読むことができた。

【ギュンター・グラス】ドイツの作家。「女ねずみ」図書刊行会
 
ゆたかな社会における貧困の除去を社会的・政治的な日程に強力に載せようとではないか。さらに進んで、その中心に据えようではないか。そしてまた、地球を守るという名目で地球に灰しか残さないようにする懼(おそ)れのある人たちから、われわれのゆたかさを守ろうではないか。

【ガルブレイス】制度学派の流れをひくアメリカの経済学者。「ゆたかな社会」岩波書店
 
やったことはとんでもないことだが、犯人(今、法廷にいる、すくなくてもかってはきわめて有能であった人物)はまったくのありふれた俗物で、悪魔のようなところもなければ巨大な怪物のようなものでもなかった。彼にはしっかりしたイデオロギー的確信があるとか、特別な悪の動機があるといった兆候はなかった。過去の行動及び警察による予備尋問と本審の過程でのふるまいを通じて唯一推察できた際立った特質といえば、まったく消極的な性格のものだった。寓純だというのではなく、何も考えていないということなのである。(犯人 アイヒマン。元ナチス親衛隊中佐でユダヤ人虐殺の実行責任者)

【ハンナ・アーレント】アメリカの政治哲学者 「精神の哲学」(岩波書店)
 
孤独ほどつきあいやすい友達と出会ったためしがない。われわれは自分の部屋にひき籠っているときよりも、外でひととたちまじっているときのほうが、たいていはずっと孤独である。考えごとをしたり仕事をしたりするとき、ひとはどこにいようといつもひとりである。孤独は、ある人間と同胞とをへだてる距離などによって測れない。

【ソロー】アメリカの随筆家。「森の生活」岩波文庫
 
 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道(そのかんどう)する物は一(いつ)なり。風雅におけるもの、造化にしたがひて四時(しいじ)を友とす。

【松尾芭蕉】江戸前期の俳人。「芭蕉紀行文集」岩波文庫
   拙者事不慎にて、上へ御苦労相かけ候ては恐人候間、今晩自殺致候。御母様へ対し申訳無之、不忠不幸の名後世にのこり、何とも其許にも申訳無之、さぞさぞに御困難可被(なるべく)候間、必死御救申上候様頼在(ようにたのみ)候。茂兵衛・喜太郎などへも宜敷、此様(このよう)なる書は涙のたね故、略し申候。頓首。
十月十日 助右門様 

【渡辺崋山】幕末の文人画家 「日本思想体系」岩波書店
 
映画は、けっしてレポートではない。
映画は、一つの夢である。
夢であればこそ、卑俗(ひぞく)にも滑稽にも平凡にも醜悪(しゅうあく)にもなりうる。たぶんそれは悪夢のようなものだ。だが、夢はけっして嘘ではない。
(従順な芸術はありえない)

【オーソン・ウェルズ】アメリカの映画監督・俳優 「現代のシネマ」三一書房
 
あかねさす太陽神が茫漠(ぼうばく)たる大地の表に、黄金の糸をなすその美しき髪を広げたまうやいなや、かつまた、嫉妬深き夫をやわらかなベッドに残し、ラ・マンチャの地平の戸口や露台から、人びとにその姿を現しはじめた薔薇色に輝く曙の女神を出迎えんとものと、色あざやかな無数の小鳥たちが、琴にもまさる囀(さえず)りもて、心地よく甘美な調べを奏ではじめるやいなや、音に聞こえし騎士ドン・キホーテ・ラ・マンチャは、懶惰(らんだ)を誘う羽毛の褥(しとね)を蹴り起ちて、その名も高き愛馬ロシナンテにうちまたがり、古来人に知られしモンティエルの野に足を踏み入れたり。

【セルバンテス】スペインの作家 「ドン・キホーテ」岩波文庫
 
君は帰期(きき)を問うも未だ期有(あ)らず
巴山(はざん)の夜雨 秋池(しゅうち)に漲(みなぎ)る
何(いつ)か当(まさ)に共に西窞(せいそう)の燭(しょく)を剪(き)って
却(さて)しも話すべき 巴山夜雨の時を

【李商陰】晩唐の詩人 「中国詩人先週」岩波文庫
 
われわれは、だれしも自分の中に電力や磁力のようなものをそなえている。そして、同質なもの、異質なものに接触するに応じて、磁石のように、引力と斥力(せきりょく)を働かせるのだね。‥‥恋人たちのあいだでは例の磁力がとりわけ強いので、とても遠いところまで作用が及ぶのだね。私が青年時代にひとりで散歩したりしていると、恋しい娘に無性に会いたくなり、じっと娘のことを考えていると、本当に彼女が私のところへやって来たようなことがじつによくあったな。「部屋にいても、落ちついていられず、」と彼女はいうのだった、「ここへ来ずにはいられなかったのですわ。」

【ゲーテ】ドイツの詩人・小説家。エッカ―マン「ゲーテとの対話」(下)岩波文庫
 
色彩とは?それは身体の中にたくましくめぐる血である。色彩とは、生命のしるしである。庭や畠にある花には「古色は」はない。空は天気のよいときには青い。耕しおこされた土、立った岩、露わな地層などのくすんだ協和音は、冬のあとの春ごとに生まれかわる生の爆発の堅固な踏み切り台である。色彩!

【ル・コルビュジェ】フランスの建築家・画家 「コルビュジェ 伽藍が白かったとき」岩波書店
 
司馬遷は生き恥をさらした男である。土人として普通なら生きながらえるはずのない場合に、この男は生き残った。口惜しい、残念至極、情けなや、進退谷まった、と知りながら、おめおめと生きていた。腐刑と言い宮刑と言う、耳にするだけでにけがらわしい、性格まで変わるとされた刑罰を受けた後、日中夜中身にしみるやるせなさを噛みしめるようにして、生き続けたのである。そして執念深く『史記』を書いていた。

【武田泰淳】小説家 「武田泰淳全集」筑摩書房
 
日本の橋は材料に以て築かれたものでなく、組み立てられたものであった。原始の岩橋の歌さへ、きのふまでここをとび越えていった美しい若い女の思ひでために、文字の上に残されたのである。その石にも玉露もつかう。その は枯れ絶えても又芽をふくものだのに、と歌われた。日本の文化は回想の心理のもの淡い思い出の陰影の中に、その無限のひろがりを積み重ねて作られた。

【安田鸒与重郎】文芸評論家「日本の橋」新学社
 
 私は民衆芸術ということを肩ってきたが、それはすべて建築というあの一語で総括されよう。民衆芸術はことごとくその大きな総体の部分であり、家を建てるアートからすべては始まる。よしんば染色や布を織ることを知らなくとも、金や銀や絹やのいずれももたず、半ダースの黄土顔料と焦茶顔料以外に塗る顔料がなくとも、材木と石と石炭とそれにこうしたどこにでもあるものを使ってわれわれを雨風から守るだけでなくて、われわれの心のうちに起こる想いと念願を表現させるようなわずかの切り道具さえあれば、すべてのものに通ずる価値ある芸術を組立てることができるだろう。

【ウィリアム・モリス】イギリスの詩人・工芸家・社会改革家 「ウィリアム・モリス研究」晶文社
 
件の肩衝(かたつき)、丹後の太守値千金に御求候て、むかしの継目(つぎめ)ところところ合わざリけるを、継なをし候はんやと、小堀遠州へ相談候へば、遠州此肩衝破れ候て、つぎめも合わぬにてこそ、利休もおもしろがり、名高くも聞こえ侍れ(はべ)れ、かやうの物はそのままにて置くがよく候と申されき。

【小堀遠州】江戸時代前期の茶人・造園家「茶話指月集」吉川弘文館
 
利休云(いわく)、さびたるはよし、さわしたるはあしし、古語にも風流ならざる処、又風流とこれあり候、もとめては風流なるは、かえって風流ならざるなり。

【千利休】安土桃山時代の茶人「茶道名言集」講談社学術文庫
 
仏法を行(ぎょう)ずとも若し悟を開くことなくば、其の工夫いたづらなるべしと疑ふて、いまだ行じても見ずして、かねて退屈する人は愚の中の愚なり。若しさやうの疑を起こさばただ仏法のみあらず、世間の凡夫のしわざ何事かかねて治定(じじょう)せるや。

【夢窓疎石】鎌倉後期から南北朝時代の臨済宗の憎「夢中問答」岩波文庫
 
 おのれの古典をとくに、師の説とたがえること多く、師の説のわろき事あるをば、わきまへいふこともおほかるを、いとまるじきことと思う人おほかれめれど、これすなわち師の心にて、つねにをしへられし、後によき考へ出来たらんには、かならずしも師の説にたがふとて、なはばかりそとなむ、教えられし。こはいとたふときにをしへにて、わが師の、よにすぐれ給へる一つ也。

【本井宣長】江戸中期の国学者「玉勝問」岩波書店
 
 私たちは、完全に体系的なヴィジョンを有する輪郭のはっきりとした一種の追放者であるには、あまりにも急拵(きゅうごしら)えで過去の経験も様々なばかりか、単に憐憫(れんびん)を誘う難民の群れであるためには、あまりにも多弁で悶着を引き起こしすぎもする。私より年長のある親類は、少なくとも、二十五間に亘って私にこう言い続けてきた。「パレスチナ人と、ひとつの病である」と。私は彼の見解を共有するわけではないが、私たちが数々の分類を受けるという事実は、疑いなく私たちの友や敵や私たち自身に多大な困難をもたらしている。

【サイード】パレスチナ出身のアメリカの批評家・文学研究者「パレスチナと何か」岩波書店
 
 娯楽は元来芸術性を持っているのだ、そして芸術も最後まで娯楽的特色と絶縁することは出来ない。芸術の大衆性をまともに考えれば、そうあらざるを得ない。勿論娯楽はそのままので芸術にはならぬ。だが芸術に案内人であり客引きでなければならぬというのだ。だが芸術それ自身が抑々(そもそも)、生活への案内人であり客引きではなかったのか。

【戸坂潤】哲学者・評論家「思想としての文学」勁草書房
 
詩人の精神というものは創作の用意がすっかりととのっている場合には、いつでも別々の離れた経験を合わせて一つにするが、ふつうの人間の経験はごたごたでしまりがなくばらばらである。ふつうの人が恋をしたりスピノザを読んだりする場合、この二つの経験はたがいに何のかかわりもないし、またタイプライターの音や料理のにおいとも関係ない。だが詩人の精神の中ではこういう経験がいつも新しい全体を形成しているのだ。

【T・Sエリオット】イギリスの詩人・批評家「文芸批評論」岩波文庫
 
私も若いころは、たくさんの夢を見たものである。あとであらかた忘れてしまったが、自分で惜しいとは思わない。思い出というのは、人を楽しませるものではあるが、時には寂しがらせないもでもない。精神の糸に、過ぎ去った寂寞の時をつないでいたとて、何になろう。私としてはむしろ、それが完全に忘れられないのが苦しいのである。

【魯迅】中国の小説家「吶喊(とっかん)」岩波文庫
 
幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し
丈夫玉砕すとも甎全(せんぜん)を愧(は)づ
一家遺事 人知るや否や
児孫の為に美田を買わず

【西郷隆盛】幕末・維新期の政治家「西郷南洲遺訓」岩波文庫
 
粥(かゆ)も旨い。ビスケットも旨い。オートミールも旨い。人間食事の旨いのは幸福である。その上大事にされて、顔まで人が洗ってくれる。糞小便の世話は無論の事。これをありがたいといわんずば何をかありがたいといわんや。医師一人、看護婦二人、妻と外に男一人附添うて転地先にあるは華族様の贅沢也。

【夏目漱石】英文学者・小説家「漱石日記」岩波文庫
 
金銀の美しさ、金剛石や紅玉その他の宝石のすばらしい輝きも一つとして炎の輝きと美しさに比べられるものはありません。炎のように光のように光を発する金剛石があるでしょうか。金剛石が夜きらきらするのは帆の炎のおかげです。炎が照らすから金剛石は輝くのです。炎は暗やみのなかで光を発しますが、金剛石これを炎を照らさなければ光りません。ロウソクだけはひとり光ります。そうしてみずからのために、またこれをこしらえた者のために光を発します。

【ファラブデー】イギリスの化学者・物理学者「ロウソクの科学」岩波文庫
 
人間の力で考えられることは、いついかなる時でも、明瞭平明な言葉、曖昧さを断ち切った言葉で表現される。難解不明、もつれて曖昧な文体で文章を組み立てる連中は、自分が何を主張しようとしているのかをまったく知らないと言ってよく、せいぜいある思想を求めて苦闘しながら、それを漠然と意識してるにすぎない。だが彼らはまたよく、言うべくことを何も所有していないという真実を、自分にも他人にも隠そうとする。

【ショーペンハウアー】(ドイツの哲学者)「読書について 他2編」岩波文庫。
 
女ってものはあらゆる情熱がありますが、コレクションだけはしないもんです。切手でも、昆虫でも、古版本でも、そんなものを集めている女の人にあったのことはありますか。そんなことはありえないんです。女ってものは徹底できないし、それに、そんな情熱がないのです。

【チャペック】(チェコの劇作家・小説家)千野栄一「ポケットの中のチャペック」晶文社
 
律は看護婦であると同時にお三どんなり。お三どんであると同時に一家の整理役なり。一家の整理役であると同時に余の秘書なり。書籍の出納原稿の浄書も不完全ながら為し居るなり。しかして彼は看護婦が請求するだけの看護料の十分の一だも費(ついや)さざるなり。野菜にて香の物にても何にても一品あらば彼の食事はえはるなり。肉や肴を買ふて自己の食料となさんなどと夢にも思はざる如し。もし一日にても彼なくば一家の車はその運転をとめると同時に余は殆ど生きて居られざるなり。故に余は自分の病気が如何やうに募るとも厭はずただ彼に病なきことを祈れり。彼あり余の病は如何ともすべし。もし彼病まんか彼も余も一家もにつちにもさつちにも行かぬこととなるなり。故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり。

【正岡子規】俳人・歌人「仰臥漫録」岩波文庫
 
 私が求めているのは不条理なことー 生に意味があってほしい、ということ。私の闘っているのは不可能なことー 私の生を意味あるものにしようとすること。

【ハマーショルド】スウェーデンの学者・政治家「道しるべ」(みすず書房)
 
刀も菊も共に一つの絵の部分である。日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく、軍国主義であると共に耽美的であり、不遜であると共に礼儀正しく、頑固であると共に順応性に富み、従順である共にうるさくこづき回されることを憤り、忠実であると共に不忠実であり、勇敢であると共に臆病であり、保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる。彼らは自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる。

【ルース・ベネディクト】アメリカの女性文化人類学者「定訳 菊と刀」(現代教養文庫、社会思想社)
 
花はさかりに、月はくまなきをのみ、見る物かは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方も知らぬも、猶(なお)あはれに、なさけ深し。咲きぬべきほどの木末(こずえ)、散りしほれたる庭などこそ、見どころ多けれ。

【吉田兼好】鎌倉末期の歌人「徒然草」
 
われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられる強さを持っている。

われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。

人は決して今思っているほど不幸でもなく、かつて願っていたほど幸福でもない。

われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識のある人とは思わない。

【ラ・ロシュフーコー】フランスのモラリスト(ラ・ロシュフーコー戯言集)岩波文庫
 
 我を過ぐれば憂いの都あり、我を過ぐれば永遠(とこしえ)の苦患(なやみ)あり、我を過ぐれば滅亡(ほろび)の民あり。義は尊きわが造り主(ぬし)を動かし、聖なる威力(ちから)、比類(たぐい)なき智慧、第一の愛我を造れり永遠の物はほか物として我より先に造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、汝等ここに入るもの一切望みを棄てよ

【ダンテ】イタリアの詩人「神曲 地獄」岩波文庫
 
「ようし、日本のゴッホになる」「ヨーシ、ゴッホになる」―その頃のわたくしは油絵ということとゴッホということを、いっしょくたに考えていたようです。わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。ブルッシャンブルーで描かれたゴッホのひまわり、ぐるぐるして目の廻るような、輝きつづく、あんなひまわりの絵が描きたかったのです。わたしは描きに描きました。指で描いたり、チューブのまま絵具を三本の四本もしぼり出しながら、蛇がのたうちまわるように描きました。何もわからず、やたら滅法に描いたのでした。

【棟方志功】版画家「板極道」中央文庫
 
若者は自分の気力を呼び覚ますために、そしてそれを黴(か)びさせ、臆病にさせないために、自分の規則をゆすぶらなければならない。規則と規律で引き廻される生活ほど、弱いものはない。私の言うことを真に受けるなら、ときどき極端に走るがよい。さもないと、ちょっとした道楽にも身を滅ぼし、人のつきあいにも扱いにくい不快な人間になる。

【モンテーニュ】フランス・ルネッサンス初期の思想家。『エセ―』岩波文庫
 
ぼくはきょうまで、だれもがいくつもの顔を持ち合わせていることに気がつかなかった。何億という人間が生きているが、顔はそれよりもたくさんにある。だれもがいくつもの顔を持っているからである。

【「リルケ」オーストリアの詩人。「マルテの手記」岩波書店】
 
九月 世上の乱逆・追討、耳に満つと雖(いえど)も、これを注(しる)さず。紅旗(こうき)・征服■(せいじゅう)は、吾(わが)事にあらず。

【藤原定家・鎌倉前期の歌人「明月記」】
 
肉体は悲し、ああ、われは 全ての書を読みぬ。
遁(のが)れむ、彼処(かしこ)に遁れむ。未知の飛沫(みなわ)と天空の
央(さなか)に在りて 群鳥(むらどり)の酔(え)ひ痴れたるを、われ知る。
この心 ■(おおうみ)深く■(ひた)されて 引停(ひきとど)むべき縁由(よすが)なし、
眼(まなこ)に影を宿したる 青苔(せいたい)古りし庭園も、
おお夜よ、素白(そはく)の衛守(まもり)固くして 虚しき紙を
照らす わが洋灯(ともしび)の荒涼たる輝きも、
はた、幼児(おさなご)に添乳(そえじ)する うら若き妻も。

【マラルメ・フランスの詩人{マラルメ詩集」岩波文庫】
 
ユークリッド幾何を習いはじめると、直ぐその魅力のとりことなった。数学、ことにユークリッド幾何の持つ明晰さと単純さ、透徹した論理ーそんなものが、私をひきつえたのであろう。
しかし何よりも私をよろこばしたのは、むずかしそうな問題が、自分一人で解けるということであった。幾何学によって、私は考えることの喜びを教えられたのである。何時間かかっても解けないような問題に出会うと、ファイトがわいてくる。夢中になる。夕食に呼ばれても、母の声は耳に入らない。苦心惨憺の後に、問題を解くヒントがわかった時の喜びは、私に生きがいを感じさせた。

【湯川秀樹・理論物理学者「旅人 ある物理学者の回想」角川文庫】
 
 うっとりするまで、眼前(まのあたり)真黄色な中に、機織(はたおり)の姿の美しく宿った時、若い婦女(おんな)の衝(つ)と投げた梭(おさ)の尖(さき)から、ひらりと燃えて、いま一人の足下を閃いて、輪になって一ツ刎(は)ねた、朱に金色を帯びた一条の線があって、赫燿(かくよう)として眼を射て、流のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如く失せた。山棟蛇(やまかがし)が、菜種の中を輝いて通ったのである。

【泉鏡花・小説家「春昼」岩波文庫】
 
 残酷な不動の九月の太陽に照りつけられてかさかさしに乾ききった外壁を背景として、二度咲きウィスタリアの花の、甘い、あまりにも甘い香りにむせかえる薄暗い屍棺(しかん)匂いのする木陰があり、そこへときおり雀の群れがやってきては懶惰(らんだ)な子供ありふれたしなやかな棒切れを鞭打つような大きな羽搏き(はばた)きの音をたてて埃(ほこり)を舞いあげていた。

【フォークナー・アメリカの小説家「アブサロム、アブサロム!」新潮社】
 
 私は自分の心の中に、死にゆく人々の最後のまなざしをいつも留めています。そして私は、この世で役立たずのように見えた人々が、そのもっとも大切な時間、死を迎える時に、愛されたと感じながら、この世を去ることができるためなら、何でもしたいと思っているのです。

【マザー・テレサ・カトリック修道女「マザー・テレサ愛と祈り」PHP研究所】
 
夫(そ)れ山に入りて仙となるも、世に何の益かあらん。社会紛擾(ふんじょう)の中にあり、若しくは争闘苦戦の中に立ちながらに、即ちキルが如く、ミガクが如く、トグが如くして、此(この)苦中にあって仙と化けするを得ば、自然社会にも益あらんと存候(ぞんじそうろう)。之は即ち浅学なる不肖目下の信仰にて候。

【田中正造・政治家「田中正造全集」岩波書店】
 
二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。―ー藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の心の先とは、すっかり違った胸の悸(ときめ)き。旅の郎女(いらつめ)は、脇目もふらず、山に見入ってゐる。そうして、静かな思ひの充ちてくる満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂(い)わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生(かこしょう)に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世(みらいせ)を思ふ心躍りだ、とも謂えへよう。

【折口信夫・国文学者「死者の声」中央公論社】
 
たしかに、知識人とは、もともといつでも、戦う前からすでに敗北しているもの、いわば、永遠なる敗北を宣告されたシジフォスのごときのものであり、勝利している知識人なんぞというものがうさんくさいのです。ところがまた一方では、もっと深い意味において、知識人は、自己のあらゆる敗北にもかかわらず敗北しないでいるーーシジフォスのようにーーとも思います。まさに自己の敗北によって勝利するのです。

【ヴァーツラフ・ハヴェル・(プラハ生まれの劇作家)「ハヴェル自伝 抵抗の半生」岩波書店】
 
私は自分の罪を感じ、みまもり、触ってみた。私の罪は、全部が全部、子供への憎悪、復讐の願い、金への執着という、あの蝮(まむし)の醜い巣から生まれたものばかりとは言えない。このからみあった蝮の彼方にあるものを探求する努力を惜しんだことに由来する罪もあった。この穢(けが)らわしいからみあいが、私の心そのものででもあるかのように、また、この心臓の鼓動が、爬虫類(はちゅうるい)の蠢(うごめ)きと入り乱れているかのように、私は穢わらしい蝮にばかりこだわっていた。<br>
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【モーリアック:(フランスのカトリック作家)「蝮のからみあい」新潮文庫】
 
サモア、ツツイラ島パコパコ 1925年8月31日
今朝、夜明けに港に入りました。今朝は雲の多い夜明けで、太陽は陰うつそうにほんの少し現れたにすぎず、われわれが「南海で陸にかこまれた唯一の港」に入ってきたとき、きり立った黒い崖が迫る海岸に打寄せる波が白く映えていました。この港はかつては火山の噴火口であったとかで、周囲は垂直にそそりたっています。海までぎっしり木が生えており、狭い海岸沿いに椰子の木が縁どっています。

【マーガレット・ミード・(アメリカの文化人類学者)「フィールドからの手紙」岩波書店】
 
たえがたい暑さであった。私の寒暖計は摂氏五二度を示していた。私は焼けつくような渇きをおぼえたが、水も酒ももっていなかった。しかしオディッセウスの宮殿の遺跡にいるのであったから、私はわが身のなかに感じる大きな感激のために暑さも渇きも忘れていた。私は地形をしらべたり、オディッセイアの詩をひらいてこの場所を舞台にした感激的な場面の描写を読んだり、また八日前にシシリアの山頂から楽しんだものにおとらぬ、眼前の四方にひろげられたすばらしい展望に驚嘆したりした。

【シュリーマン:ドイツの考古学者「古代への情熱」岩波文庫】
 
航海する者は自分のもつなわの長さを知ることは、それは大洋での深さをすべて測れなくても、たいへん役に立つ。航海を導いて、難破の恐れがある浅瀬に乗り上げないよう用心させる必要がある場所で、じゅうぶん底へとどく長さがあると知っていれば、よいのである。この世での私たちの務めは、なんでも知り尽くすことでなく、私たちの行為にかかわりあるものを知ることである。

【ジョン・ロック:イギリスの哲学者「人間知性論」岩波文庫】
 
私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子どもたちと、かつての奴隷主子どもたちとが、一緒に腰を下ろし、兄弟として同じテーブルにつくときくるであろう。
私には夢がある。いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、肌の色によってではなく、人となりそのものによって人間的評価される国に生きるときがくるであろう。
(1963年8月28日、ワシントン大行進、リンカーン記念塔での演説)

【キング牧師:アメリカの牧師】
 
まことのことばはうしなわれ
雲ははちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

【宮沢賢治:詩人・童話作家「春と修羅」】
 
 昭和二十年(一九四五)……八月になって、急に戦争が終わった。ふいに、世界が光につつまれ、あらゆる可能性が一時にやって来たように思った。だが、つづいて、過酷な無政府状態がやってきた。しかしその無政府状態は、不安と恐怖の反面、ある夢を私にうえつけたこともまた事実である。父と父に代表される財産や義務からの解放。階級や、人種差別の崩壊……

【安倍公房・作家「安倍公房全集」新潮社】
  身に病あり、胸に愁いあり、悪因縁はおえども去らず、未来に楽しき到達点の認められるなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれども銭なく、望みあれど縁遠し、よし突貫此の逆境を出てんと決したり、五六枚の衣を売り、一行李(ひとこうり)の書を典し、我を愛する人二三にのみ別(わかれ)をつげて忽然と出発す。時まさに明治二十年八月二十五にち午前九時なり。
*典し=質入れ

【幸田露伴・小説家「突貫紀行」】
 
根をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な要求であると同時に、もっとも無視されている要求である。また、定義することがもっともむずかしい要求のひとつである。人間というものは、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きと保持している集団の存在に、自然のかたちで参与することによって、根をもつ。

【シモーヌ・ヴェイユ:(フランスの思想家):「根をもつこと」(岩波書店)】
 
わが名をよびてたまわれ
いとけなき日よび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名よびてたまはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびたまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ

【三好達治・詩人「三好達治詩集」】
 
君はぼくのいまやっていることを見ているだろう。かばんのなかにすきまができたから、そこへ乾草をつめているんだ。ぼくらの人生のかばんもそんなものだよ。すきまがないように、なんでもいいからつめこまなければならないんだ。

【ツルゲーネフ・ロシアの小説家「父と子」】
 
私は、歴史の潮の満ち干がどのようなものであるかを実体験から十二分に知っている。それは、それ自身の法則に従っている。いらいらするだけでは、この満ち干の交替を早めることはできない。私は歴史の展望というものを個人的な見地から見ないことにしている。生起していることの法則性を認識し、この法則の中に自分の見出すことー。これが革命家の第一の義務である。

【トロッキー:ロシアの革命家:「トロッキーわが生涯」】
 
 「おばあさんがここへきて住むようになってから、ときどき時間のなかをあともどりしたでしょう?」
「時間の中をあともどりした?」
「つまり、過去—むかしへあともどりしたでしょう?イギリスの」
「トム。あんたがわたしぐらいの年になればね、むかしのなかに生きるようになるものさ。むかしを思い出し、むかしの夢をみてね。」
トムはうなずいた。庭園では、なぜいつもあんなにいい天気ばかりつづいたのか、「時間がときどきさきの方へすっとんでいったのかと思うと、またあとへもどったりしたのか、それでわかった。おばあさんの夢のなかでどの時期をえらんだかということに関係があったのだ。

【フィリバ・ピアス:イギリスの児童文学作家「トムは真夜中の庭で」】
 
 はるか下の方で川が歌う
川と空と木の葉のすそ飾り。
新しい光は
南瓜(かぼちゃ)の花の冠を戴く。
おお、ジプシーたちの悲しみよ!
清らかな、いつも孤独の悲しみ。
おお、河床と
はるかな夜明けの悲しみよ!

【ガルシア=ロルカ:スペインの詩人「ジプシー歌集」】
 
鉄かぶと鍋に鋳直したく粥のふつふつと湧(わ)ける朝の静けさ

あなたは勝つとものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

焼けはらに茂りおひそふ夏草のちからをたのみ生きゆかむとす

【土岐善磨:日本の歌人(夏草)】
 
敵よりも恐ろしからむ食ひ物のけふこのごろのこのともしさは
人も我もただ食ひ物のこと思ひ日を過ごしゆく囚人のごと

この頃、食べ物がひどく不自由になって、好物の菓物を食べられないのは勿論のこと、味噌汁も毎朝食べることが出来ず、三度三度の飯すら、いくら外米が混ざっていてもいいと思うけれど、腹一杯はとても食べられず、一日中食い足らぬ気がしているので、私のような用なしの老人は、坐っていると思うこともなく食べ物ばかり思うようになって居る。

【河上肇:日本の経済学者(自叙伝下)】
 
 およそ偉人英雄はただ存在買い求めるということだけによって、数十数世紀にわたってわれわれの精神生活を支配していることは疑いのしれないところだが、しかしそれは精神生活だけのことである。現実の生活、実際生活においては、政治という権力がものいう世界においては―そしてそのことは、あらゆる政治的軽信をいましめるために特に強調しなけらばならぬ点だが—すぐれた人物、純粋な観念の持ち主が、決定的な役割を演ずることはまれであって、はるかに価値は劣るが、しかしさばくことのより巧みな種類の人間、すなわち黒幕の人物が決定権を握っているのである。

【ツワイク;オーストリアのユダヤ系作家】
 
 一つのすぐれた力が私の知らない世界が私を私の知らない一つへの目的へと駆り立てる。その目的が達せられない限り、私は不死身であり、堅忍不抜(けんにんふばつ)であろう。しかし私がその目的にとって必要でなくなるや否や、たった一匹の蠅でも私を倒すに充分であろう。

【ナポレオン・フランスの皇帝。1769.8,15~1821.5.5「ナポレオン言行録」】
 
 タヒチでは、太陽の光線が、男女両性へ同じように光を投げかけるように、森や海の空気が、皆の肺臓を強健にし、肩や腰を大きくし、ひいては海浜の砂までも大きくするのである。女は、男と同じ仕事をやる。男は女に対して無頓着である。――だから、女には、男性的なところがあり、男には、女性的なところがある。

【ゴーガン:フランス後期印象派の画家(ノア・ノア タヒチ紀行)】
 
闘牛場の中央で、ロメロは牛の正面で半身になり、ムレータのあいだから剣をひきだし、爪先で立って、長い刃に沿って狙いをつけた。ロメロが攻めると牛も襲いかかってきた。ロメロの左手にあるムレータが、相手の目をくらますために牛の鼻先へたれさがると、左肩をぐいと牛の角のあいだに傾いて、剣が牛の肩口に突き刺さった。一瞬、彼と牛は一体となった。

【ヘミングウェイ;アメリカの小説家「日はまた昇る」】
 
元気で行くがいい――生きて帰るにしても、戦場の露と消えるにしても! きみの見通しは暗い。ー―素直に言って、きみが生還するかどうかという問題は考えないようにして、答えずにおこうと思っている。きみの単純さを上昇させた肉体と冒険は、肉の領域では生きて帰れない世界を、精神の領域で深訪させた。きみは瞑想に耽(ふけ)りながら、死と肉の放縦(ほうじゅう)のなかから愛の夢が予感に満ちて誕生してくる瞬間を経験した。この世界の覆う死の祝祭のなかからも、雨に煙る夕(ゆうべ)の空を一面焦がす陰惨な狂熱のなかからも、いつの日か愛の生まれてくるときがあるだろうか。

【トーマス・マン:ドイツの小説家「魔の山」】
 
 ー愛するベッティーネ、最も愛する乙女よー芸術! ―誰がそれを理解するでしょうか。この偉大なる女神に誰と語ることができるでしょうかーーー! わたしたちが一緒に喋り合った、というより筆談し合った数日がどんなにわたしに楽しかったでしょう。あなたの才気あふれる、愛らしい、魅力ある答えが小さな紙片は皆取っておいてあります。ですからあの束の間の対話の一番良い所が書き残されたのも、この悪い耳のお陰と喜んでいます。

【ベートーヴェン:ドイツの作曲家(ベッティーナ・ブレンターノ宛)】
 
 私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より、一段高い存在になる必要があるかもしれない。それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時は私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり子猫でもかわいがって人間は人間として尊敬し親しみ恐れはばかりあるいは憎むよりほかはないのかもしれない。

【寺田寅彦:物理学者「寺田寅彦随筆集」】
 
 僕は夜、どこかで打ち上げられる花火ほどすばらしいものはないと思うんだ。青い色や緑色に輝いている照明弾がある。それが真っ黒な空にのぼってゆく。ちょうど一番美しい光を発するところで、小さな弧を描くと、消えてしまう。そうした光景を眺めていると、喜びと同時に、これもまたすぐ消え去ってしまうものだという不安に襲われる。喜悦と不安と、この二つは引き離すことはできないのだ。そうしてこれは、瞬間的であってこそいっそう美しいんじゃないか。

【ヘッセ:ドイツの作家「クヌルブへの追憶」】
 
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事。肝要の花なり。そもそも、一切の時、諸芸道において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。しかれば、秘事といふことを顕せば、させる事にてもなきものなり。これをさせる事にてもなしと云ふ人は、未だ秘事の大用を知らぬが故なり。

【世阿弥:室町初期の能役者「風姿花伝」】
  8月7日
 生まれて来ないのが何よりもましだ。が、この世に出て来てしまった以上はもとのところに、なるべく早く帰ったほうが、それに次いで、ずっとましだ。

【ソポクレス:古代ギリシャ三大詩人の一人「コローノスのオィディブース」】
  8月6日
 文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終幕に直面している。アウシュビッツのあとでは詩を書くことは野蛮である。しかもこのことが、なぜ今日では詩を書くことが不可能になってしまったのを教える認識をさえ蝕んでいるのだ。精神の進歩をもおのれの一要素として前提するような絶対的物象化が、今やこの精神を完全に呑みこもうとしている。

【アドルノ:ドイツの哲学者・社会学者・美学者】
  8月5日
彼女は自分と夫のあいだに何かしら一つの幕を、何か一つ障害物を感じていた。二人の人間が決して魂までは、心の奥底までは、たがいにはいりこむものではないということに、生まれた初めて、気がついたのである。ならんで歩くものであり、ときどきからみ合うことはあっても決してとけ合うものではない、人間めいめいの精神的存在は永久に、一生孤独のままであるということに、気がついたのである。

【モーパッサン:フランスの小説家「女に一生」】
  8月4日
 自分自身に適せず、踏み迷って、休むことを知らない存在、それが人間である。理性的存在としては余りにも多くの自然を有し、自然的存在としては余りにも多くの理性を有している――どうすればよいのか。

【ジンメル :ドイツの哲学者「日々の断層」】
  8月3日
春から秋に掛けての英国の自然が、我々東洋人には直ぐに信じられないくらい美しいならば、英国の冬はこれに匹敵して醜悪(しゅうあく)である。そして冬が十月に来る国では、この二つの期間はその長さに掛けて先ず同じであって、英国人はこういう春や夏があるから冬に堪えられるのでなしに、このような冬にも堪えられる神経の持ち主なので春や夏の、我々ならば圧倒され兼ねない美しさが楽しめるのである。

【吉田健一:英文学者「英国の文学」】
  8月2日
私はローマに滞在した。ひかりにずぶ濡れになって。そう、
破片だけが夢見ることができるように!
私の網膜にうかぶのは、燦然たる円形。
あたり一面の暗闇にこれで充分だろう。

【ブロッキー:ロシアの詩人「ローマ悲歌」】
 8月1日
かのしら雲を呼ばむとするもの
まことにかぞえふるべからず
飛べるものは石となりしか
さびしさに啼き立つる
ゆうぐれの鳥となりしか

【室生犀星:詩人・小説家「抒情小曲集】
  7月31日
今でも明らかに記憶するのは、この小山の裾を東へまわって、東おもての小松原の外に、舟の出入りにはあまり使われない四五町ほどの砂浜が、東や南に面して開けて居たが、そこには風のやや強かった次の朝などに、椰子の実の流れ寄って居たのを、三度まで見たことがある。一度は割れて真白な果実の露われ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の小島から海に泛(うか)んだものかは今でも判らぬが、ともかく遥か波路を越えて、まだ新しい姿でこんな浜辺まで、渡って来て居ることが私には大きな驚きであった。

【柳田国夫:民俗学者「海上の道」】
  7月30日
 人間は苫屋(とまや)に住まい、恥じらいの衣服に包まれている。内気で用心深くからもあるからだが、巫女が神火を守るように魂を守っているからだ。これこそが人間の分別である。だから神々に似たものである人間には、自由が、つまり命令し遂行するより高い力が与えられたのだ。創造し、破壊し、没落し、永遠に生きる支配である母のもとにもどっていって、おのれが何者であるかを証言し、その母からそのもっとも神的なもの、つまりすべてをはぐくむ愛を受け継ぎ学んだことことを証言せんがため。

【ヘルダーリン:ドイツの詩人(「1800年の断片的草案」より】
  7月29日
 すべての人間の類似が進めば進むほど、誰もが全体に対して自己をますます無力と感ずる。自分の他のすべての人よりはるかに優れ、彼らから区別される点は何も見当たらないので、彼ら全体と対立するとすぐ自分の方を疑う。自分の実力を疑問視するにとどまらず、その権利にも疑問を持つに至り、さらに大多数の人に間違っていると言われるときには、自分の誤りを認めんばかりのある有様である。多数者は強制する必要がない。人を説き伏せてしまうのである。

【トクヴィル:フランスの政治学者「アメリカにおけるデモクラシー」】
  7月28日
 あるとき私は滝つぼで、黒漆をかけたように頭の光る古色蒼然たる鮠(はや)を釣ったことがる。ちょっと奇怪な感じがした。この鮠は魚篭のなかでながいこと重々しく跳ねまわっていた。そのとき、下から見上げる滝の上に短い虹が現れていた。立ちのぼる水しぶきが産んでいる虹である。そして、水しぶきの渦巻きが動くがつれ、虹も位置を変えていた。横幅の狭い虹であった。

【井伏鱒二:小説家「川釣り」】
  7月27日
 私は、どのような発明や発見の場合も、科学上のアイディアのひらめきと同時に魅力的な女神が私の人生に現れる、という体験をしてきました。-こうしたことは私の人生にいくどとなくありました。私が何かの発見をしかけ、思考の感覚を高めていると、いつも私にとって非常に魅力的な女性が現れ、ふと気がつくと私は恋の陥りかけているのでした。そして私がそれ以上深入りせずに踏みとどまれた時だけ、私は発見に専念できたのでした。

【バックミンスター・フラー:アメリカの数学者(バックミンスター・フラー)】
  7月26日  
生に関する技術では、人間は、何物も発明しませんが、死に関する技術では、人間は自然を凌駕して、化学や機械の力で、悪疫、流行病、飢饉(ききん)というような、あらゆる殺戮(さつりく)を行っています。

【バーナード・ショー(1856.7.26~1950.11.2 イギリスの劇作家「人と超人」】
  7月25日
 自然は完全なものだが、人間は決して完全ではない。完全なアリ、完全なハチは存在するが、人間は永遠に未完のままである。人間は未完の動物であるのみならず、未完の人間である。他の動物と人間を分かつもの、それはこの救いがたい不完全さにほかならない。人間は自らを完全さへ高めようとして、創造者となる。そして、この救いがたい不完全さゆえに、永遠に未完の存在として、学びつづけ成長していくことができる。

【エリック・ホッファー:アメリカの社会学者・港湾労働者「魂の錬金術」】
  7月24日
 諸君はまだそういう大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明かりを投げかけているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。

▼【谷崎潤一郎:小説家(陰翳礼讃)】
  7月23日
 私たちは挨拶をかわした。車が角をまがるのを見送ってから、階段をのぼって、すぐ寝室へ行き、ベッドをつくりなおした。枕の上にまっくろな長い髪が一本残っていた。腹の底に鉛のかたまりをのみこんだような気持だった。こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。
▼【チャンドラー:アメリカの探偵小説家「長いお別れ」】
  7月22日  
遊びせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さへ動(ゆる)がるれ。/心の澄むものは、霞(かすみ)花園夜半(よわ)の月、秋の野辺、上下も分かぬは恋の道、岩間を漏り来る滝の水。/風に(なび)くもの、松の梢の高き枝、竹の梢とか、海に帆かけて走る船、空には浮雲野辺に花薄。

▼【後白河法皇:平安後期の法皇川迫】
  7月21日  
”メッセージ”が”メッセンジャー”より早くとどくようになったのは、電信の登場以来のことである。それ以前には”道路”と”書かれたことば”とは、相互に密接に関係していた。電信の登場とともにインフォメーションは、石やパピルス(紙)などの固体から分離した。それはちょうど金銭が獣皮や金塊や金属から分離し、最後に紙になったのに似ている。
▼【マクルーハン:カナダの社会学者まるくはーん「人間拡張の原理・メディアの理解」】
 7月20日
風が立つ!-生きる努力をせぬばならぬ!
広大な大気が私の本を開いては閉じ!
波が飛沫となって岩からほとばしる!
飛び去るがいい、光りにくらむページよ!
砕け、波よ! 喜びに沸き立つ水で
三角帆が餌をついばんでいた穏やかなこの屋根を!

【ヴァレリー:フランスの詩人「海辺の墓地」】
 7月19日
フロイトから生まれた人間の概念は、西欧文明のもっとも決定的な断罪であると同時に、そのもっとも強力な擁護にもなっている。フロイトによれば、人間の歴史は、抑圧の歴史である。文化は、人間の社会的な存在だけでなく、生物的な存在も制約し、人間存在の一部分だけでなく、本能の構造それ自身を制約する。しかも、その制約こそ進歩の前提なのである。人間の基本的な本能は、自然の目標を追求するのにまかせておけば、すべての永続的結合と維持に反するだけでなく、統一を破壊してしまう。コントロールされないエロスは、その恐ろしい相手である死の本能と同様に、致命的である。
【マルクーゼ:ドイツの社会学者(エロスの文明)】
 7月18日  
結婚の幸福は、まったく運次第ですもの。お互いに気心がわかっていても、前もって似ていても、そんなことでしあわせが増すってわけのものじゃないわ。後でいくらでも似なくなってきて、お互いに気まずくい思いをするのがおちよ。だからあなたも、一生を共にする人の欠点は、なるたけ知らないでいた方がしあわせなのよ。

▼ジェーン・オースティン【イギリスの女流小説家:「高慢と偏見」(上)】
 7月17日
十七日晴れ。家を下谷辺に尋ぬ。国子のしきりにつかれて行くことをいなめば、母君と二人にて也。坂本通りにも二軒見たれど気に入けるもなし。行々て龍泉寺丁と呼ぶ処に、間口二間奥行六間計なる家あり、左隣は酒屋なりければ其処に行きて諸事を聞く。雑作はなけれれど店は六畳にて五畳の座敷あり。向きも南と北にして都合わるからず見ゆ。三円の敷金にて月壱円五十銭といふに、いさ々かなれど庭もあり、其家のにはあらねどうらに木立どものいと多かるもよし。 (樋口一葉:小説家)
 
 7月16日
誦(よ)め、「創り主なる主の御名において。
いとも小さい凝血から人間をば創りなし給う。」
誦め、「汝の主はこよなく有難いお方。
筆をもつすべを教え給う。
人間に未知なることを教え給う」と。
はてさて人間は不遜なもの、
己れひとりで他は要らぬと思いこむ。
旅路の果ては主のみもと、とは知らないか。 

(ムハンマド:イスラム教の開祖)
 7月15日
 「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつ、破局だけを見るのだ。 (ベンヤミン:ドイツの思想家)
 7月14日  
怠惰は克服さればならぬ病気だ。しかし僕は特定の学習計画の厳格な実行を勧めようとは思わない。僕自身これまで二日間と続けて、決まった計画通りに実行したことがない。人間は気持ちが赴くままに読書するべきものだ。課題として読む本は余りその当人のためにならない。 (サミュエル・ジョンソン:イギリスの文献学者)
 7月13日
日常の暮らしは跡形もなく崩れ去って、あとに残ったのは、およそ非日常的な、ものの役に立たない力、それこそ一糸まとわぬまで丸裸にされてしまった魂の内奥だけなんだわ。でも、この魂の内奥にとって何一つ変わっていないの。だって、それはいつの時代だって、寒そうにがたがた震えていたんだし、たまたまる隣合った同じように丸裸の孤独な魂に、いつも身をする寄せるようにしていたんですもの。 

(パステルナーク:ソ連の詩人・作家)
 7月12日
東洋では霊性的美の欠けたものを、ほんとうの美とは見ないのである。霊性的生活から遊離した美は、ただそれだけのことで、それ以上には何の意味を持たない。茶人は、床の間に、何もおかずに、まだ開きもせぬ一枝の花をそのまま、何の偽りもない花瓶の中に入れて、壁にかけておく。この蕾に、天地未だ分かれざるとき、いわゆる神が「光あれ」といった、そのままの影がうつって見える、といったら、今日の東洋の人々は、これを背(うなべ)うか、どうか。 (鈴木大拙:仏教学者)
 
 7月11日
 一度でもって、おそらく十万人の市民を殺害し得るような原子爆弾は、他の武器と同じと考えてよいだろうか? われわれは古くからあるがしかし問題のある原則、すなわち”悪のための戦いに許されない手段も、善のためにはすべて許される”という原則を適用してよいものだろうか? つまり原子爆弾も悪のためでなく善のためなら作ってもよいのか。 (ハイゼンベルク:ドイツの理論物理学者)
 7月10日
少したって、陰気に過ごしたその一日と、明日もまた物悲しい一日であろうという予想とに気を滅入らせながら、私は無意識に、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。ところが、お茶のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあることに気づいて、びくっとしたのである。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいた。 (プル―スト:フランスの小説家)
 7月9日
抽斎は医者であった。そして官史であった。そして経書(けいしょ)や諸子のような哲学方面の書を読み、歴史をも読み、詩文集のような文芸方面の書も読んだ。その迹(あと)が頗(すこぶ)るわたくしと相似ている。ただ相殊(あいこと)なる所は、古今時を異(こと)して、生の相及ばざるのみである。いや。そうではない。今一つ大きい差別(しゃべつ)がある。それは抽斎が哲学文芸において、考証家として樹立することを得るだけの地位を達していたのに、わたくしは雑駁なるじヂレッタンチスムの境界を脱することが出来ない。わたくしは抽斎に視て忸怩たらざることを得ない。 (森鷗外:小説家)
 7月8日
実際我々が目にする状況、つまり巨大な収入、途方もない負債、強大な陸海軍、政府それ自身が一大銀行家として一大商人であるような現在の事態においては、もしも或る種の極悪な悪名高い行動や致命的な改革によってこれら民衆の代表が法律の柵を越え出て恣意的な権力を導入しようとする事態が生ずる場合には、これら代表が国家公共の利益に対する或る程度の配慮を保持することを可能にする唯一の方法は、民衆という団体そのものが介入する以外にないというのが私の信念である。 (エドマンド・バーク:イギリスの政論家)
 7月7日
ストア派は魂から欲望と情念を除き去る。よいものも、悪いものも、まったく罪のない願望まで。こういう人たちにたいして、わたしは抗議する。かれらはわたしたちの心から主要な力を除き去る。かれらは人が死ぬまえに生きることをやめさせる。 (ラ・フォンテーヌ:フランスの詩人)
 7月5日
 北溟に魚あり、其の名を鯤(こん)と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず、化して鳥と為るや、その名を鵬(ほう)と為す。鵬の背、其の幾千里なるかを知らず、怒(ど)して飛べば、其の翼は垂天(すいてん)の雲の若(ごと)し、是の鳥や、海の運くとき則ち将に南冥に徙(うつ)らんとす。南冥とは天地なり。 (荘子:中国の思想家)
 7月4日  
発見は前もって積み重ねられた苦しい努力の結実であります。みのりの多い多忙の日々の間に、なにをやってもうまくいかない不安な日々がはいりこんできます。そういう日には研究対象そのものが敵対心をいだいているのかと思われてきます。こういうときこそ、じぶんの気の弱さ落胆とたたかわなければならないのです。ピエル・キュリーの不屈の忍耐心には一分のゆるみもありませんでしたが、それでもときには「ぼくたちの選んだ人生は、やはりつらいな。」ともらしました。(マリーキュリー:フランスの物理学者)
 7月3日
ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎする夢からさめると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。彼は甲羅のようにかたい背中を下にしてねており、ちょっと頭をあげると、褐色の腹のせりあがっているのがみえた。弓なりになったつっかえ棒のような幾つもので仕切られていて、その腹のてっぺんには、今にも布団がごっそりずり落ちんばかりになりながら、辛うじてまだふみとどまっていた。(カフカ:小説家)
 7月2日
こうしてわたしは地上でたったひとりになってしまった。もう兄弟も、隣人も、友人もいない。自分自身のほかにともに語る相手もいない。誰とも人と親しみやすい、人なつっこい人間でありながら、万人一致の申し合わせで人間仲間から追い出されてしまったのだ。人々は憎悪の刃をとぎすまして、どんな苦しめかたをしたら感じやすいわたしの魂にこのうえなく残酷な苦痛をあたえることができようかと思いめぐらしたすえに、わたしをかれらに結び付けていたいっさいのきずなを荒々しjく断ち切ってしまったのだ。(ジャン=ジャッ・クルソー:フランスの作家)
 7月1日
 世界の充実性の為にすべてのものは聯結(れんけつ)していて、各物体は距離に応じて多かれ少なかれ他の物体に作用を及ぼし又作用によって他の物体から状態の変化に蒙(こうむ)るものであるから、おのおのの単子は自分自分の視点に従って宇宙を表現し宇宙のものと同じ様に規則立っている活きた鏡、即(すなわ)ち内的作用を具えた鏡だということがわかる。(ライブニック:ドイツの数学者)意味がよく分かりません。
  
  6月19日
人間は自然の中にあって何者であるか?無限に比すれば虚無、虚無に比すれば、一切、無との中間物。両極を理解するには、それから無限に隔たっているので、事物の窮極との始原とは、彼にとって、底知れぬ秘密のうちに詮方もなく隠されている。彼の引き出された虚無をも、彼の呑み込まれる無限をも、ひとしく彼は見ることができない。(パスカル)   
  6月20日
画家は孤独でなくてはならぬ―画家は孤独で、自分の眺めるのをすべて塾考し、自己を語ることによって、どんなものを眺めようともそのもっとも卓れた個所を選択し、鏡に似たものとならねばならぬ。鏡は自分の前におかれたものと同じ色彩に変わるものだ。このようにしてこそ、画家は「自然」に従ったように見えるだろう。(レオナルドダヴィンチ) 
  6月21日
人間は自由である。人間は自由そのものである。もし……神が存在しないとすれば、われわれは自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。……われわれは逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現した。(サルトル)
  6月22日
人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうかだ。なぜならば、軽く傷つければ復讐してくるが、重ければそれができかにから。したがって、そういう誰かを傷つけるときには、思いきって復讐の恐れがないようにしなければならない。(マキアヴェッリ) 
 
  6月23日
槍が専門なればとて、向こうの堤を通る敵を見のがしては味方の損なり。そのとき下手ながらも鉄砲を心得おり打ってみれば中ることもあるべし。小生何一つくわしきなけれどいろいろかじりかきたるゆえ、間も合うことは専門家より多き場合なきあらず。一生官途にもつかず会社役所へも出勤せず昼夜学問ばかりしたゆえ、専門家より専門のことを多く知ったこともなきにあらず。(南方熊楠)  
 
  6月24日
夢はひとに未来を示すという古い信仰にもまたなるほど一面の真理は含まれていよう。とにかく夢は願望を満たされたものとしてわれわれに示すことによって、ある意味ではわれわれを未来の中へと導いていく。しかし夢を見ている人間が現在だと思っている未来は、不壊(ふえ)の願望によって、かの過去の模像として作り上げられているものである。(フロイト)
 
 6月25日 
二人は同時に、小刀で腕の血管を切り開いて、血を流した。セネカは相当年をとっていたし、節食のため痩せてもいたので血の出方が悪かった。そこでさらに足首と膝の血管も切る。激しい苦痛に、精魂もしだいにつきはてる。セネカは自分がもだえ苦しむので、妻の意志がくじけるのではないかと恐れ、一方自分も妻の苦悶のさまを見て、今にも自制力を失いそうになり、妻を説得して別室に引き取らせた。最期の瞬間に臨んでも、語りたい思想がこんこんと湧いてくる。そこでセネカは写学生を呼びつけ、その大部分を口述させた。(タキトゥス)
 
  6月26日
「いよいよ生まれるのだ」と彼女は言った。「わたしは家に帰ります。わたしが呼ぶまで部屋にはいねえでください。新しく皮をむいた葦をするどく切って持ってきてください。それで、へその緒を切りますだ」。彼女はなんでもないように畑を横切って家のほうへ向かっていった。それを見送ってから、彼は向こうの畑にある池のへりへ行って、細い緑の葦を選んでたんねんに皮をむき、鎌でするどく切った。
(パールパック) 
  6月27日
私が庭園の東屋で最後のページの最後の数行を書いたのは、1787年6月27日の日というよりも夜の11時と12時の間であった。私は筆を擱いた後で、田園、湖水、山脈の景観を見渡すアカシア並木の散歩道を何回か歩き廻った。空気は温暖で天空は澄み渡り、丸い銀色の月が湖面に映って万象寂(ばんしょうせき)として声がなかった。(ギボン・イギリスの歴史家)
 
  6月28日
あぶないぞ!あぶないぞ!あぶない無精者故、バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう。こんな女が一人うじうじ生きているよりも、いっそ早く、真っ二つになって死んでしまいたい。熱い御飯の上に、昨夜の秋刀魚を伏兵線にして、ムシャリと頬ばると、生きていることもまんざらではない.沢庵を買った古新聞に、北海道にはまだ何万町歩と云う荒地があると書いてある。ああそういう未開の地に私達の、ユウトピヤが出来たら愉快だろうと思うなり。(林芙美子・小説家) 
 6月29日
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」と、王子さまがいいました。とつぜん、ぼくは、砂がそんなふうに、ふしぎに光るわけがわかっておどろきました。ほんの子供だったころ、ぼくは、ある古い家に住んでいたのですが、その家には、なにか宝が埋められているという、いいつたえがありました。もちろん、だれもまだ、その宝を発見したことがありませんし、それをさがそうとした人もないようです。でも、家じゅうが、その宝で、美しい魔法にかかっているようでした。ぼくの家は、そのおくに、一つの秘密をかくしていたのです……「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないものさ」と、ぼくは王子さまにいいました。(サン・テグジュペリ;フランスの小説家) 
6月30日 
パリから出かけてみると、ブルッセルは、小じまりしていながら、どこか淋しい影がある都会で、それはやはり北欧という感じをふかく印象づける。殊更、冬の日は短く、弱々しく、それでも暖味のある淡い陽ざしが、中世からつづくブラパン侯国の古風な石の建物の凹凸を、つつましく浮きあがらせている。小柄で、品のいい町で、盛り場にいても、羽目を外した少女のいじらしい悔根のような、動悸の音がききとれるほど、しずかな街の気配である。(金子光晴:詩人)