わ・た・し・は・霞ケ浦 -02
 
光さす空に

 今日も空から降りそそぐ光の粒子を受け、わたしは輝いている。

 あこがれを抱く愚かさを知るには遅すぎたかもしれない。かつて、地上に生きるひとや、不揃いなかたちの嘴をもった海鳥や、飼い主に捨てられ彷徨う野良猫たちなど、あらゆる動植物の生き物のためにわたしは輝いていたことがあった。しかし、今は、そのようなおごりもかなぐり捨てた。

 
それでも、わたしにはいくつかの輝く理由があり、あるべきだった。放射された光は波間をくぐり抜け、もう一度、舞い戻ろうとするがものの見事にうち落とされる。それでも、何かに取り憑かれたように、わたしの偉大なる父である太陽に戻ろうとする。その繰り返しが無限大に繰り返されるが、わたしはその闘いに一度も飽きたことがない。
 
ひととわたしが違うのはそこだ。わたしは永遠に輝くからだ。ひとが寿命を延ばしたからといってもせいぜい百数年の移ろいを知るだけだ。輝きは永遠だ。何億光年も前から放たれた光の粒子はわたしの膚に静かに突き刺さる。ちくりとした痛みが心地よく湖面に突き刺さる。そして、その痛みにわずかばかりの嗚咽をもらしてわたしは少しばかりのエネルギーをちょうだいする。

 輝きはまっすぐに青空に向け、太陽に戻る行為に入る。時には空を飛ぶ鳥の翼にあたったり、その上を飛ぶ飛行機の胴体にぶつかり、雲を抜け宇宙を走る。いつ太陽に辿りつくか計り知れない長い旅をする。いずれかの光の粒子はその途中で挫折して輝きを失うかもしれない。それでも、光果てるまで輝き続けるのだ。


 
四十五億年前に地球が誕生した時からわたしは輝いていた。現代の人類が誕生して、たかだか十、二十万年ぐらいしか経っていない。その間、生命そのものが滅んでしまってもおかしくないような時代が何度もあったが、わたしの輝きは永遠で不滅なはずだ。






 
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