わ・た・し・は・霞ケ浦 -01
 

ぼんやりとした不安


 
朝陽が昇りわたしを照らし出した。空には雲ひとつない。音のでないテレビ画面を見るような奇妙な静けさの中でわたしは現れ、光はまばゆさを増しながらゆるやかにわたしを抱く。

 いつもの朝と同じだが、今日はなんとも不愉快なことから緞帳が上がった。目覚めの悪いわたしの鼻先に死んだ魚の腐ったような臭いを突きつけられたのだ。その日を占う朝のだいじなひとときをだいなしにしてくれた。

 今日だけではない、ここ何年か同じような経験をしてきた。わたしだけではない。わたしと共に生きているあらゆる動植物にとって、朝瞬きの印象が一日の気分を左右することを承知しているのだろうか。朝の光には畏敬を持って迎えなければならない。それが、今日までひとが湖とともに歩んでこられたたったひとつの約束であった。その時々にふりかかるいやな思いに、ぼんやりとした不安を覚える。

 その昔、わたしは水と海が混ざり合う汽水湖だった。人びとはわたしを流れ海と呼んだ。気ままに山を下り台地を抜け海を目指し流れていたのだ。ぼんやりとした不安を抱くことなどなかった。あふれる自由の中で、人びとだけが右往左往していた。
 今朝、少年がわたしに向かって放尿した。それぐらいなら、これまでに何度も受け入れてきた。そのあとの金切り声にわたしは不安になった。少年の華奢な体の背後から母親が金切り声で叫んでいる。「手は水道で洗うのよー」。

 朝陽の中に、蔑視されたわたしは、反撃を加えようと体を揺する。それは、わたしにとって大きな努力だ。努力はなかなか認知されないことを覚悟しながら、わたしは、体をくらげのように懸命に揺する。わたしの不安が解消されることなど期待できないと知りながら。






 
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