怠惰な散歩  2020年7

   7月31日(金)

今日で七月も終わり。夕方、今年初めてミンミンゼミの鳴き声を聴く。長梅雨に終止符を告げるように鳴いている。これから一気に暑さがやってくるのかと想像するだけでウンザリ。インドのオロクさんから電話あり。二ランジョンと連絡をとってほしい。そこで電話を入れるが通じず。二ランジョンの住んでいるシャントニケトンは超田舎。電話がかかりにくいのだろうか。メールを送る。これもいつ返事が来るのかわからない。こまったものだ。

いばぶん事務所でS氏に会う。彼にはネット販売のお手伝いをしてもらっている。一度出品したがさっぱり売れない。そのため一時の熱はすっかり冷めてしまった。S氏はおいらがもっていた古いノートパソコンを修繕してネット販売専用にしたらということで二台持ち帰る。

詩人クラブから同クラブ70周年記念詩集が送られてくる。枕にできるぐらいの本の厚さだ。おいらのも会友の詩ということで一編掲載されている。会員から寄せられた多くの詩の中から探すのは容易でない。それでも1ページ載っている。生きた詩を書いた記念として本棚に入れておこう。
 
   7月30日(木)

今日は、かあちゃんのアッシー君。われわれの仕事はクリニック通い。本日は眼科。あたりの車を見渡すと送迎役の男たちが手持ち手持ち無沙汰のようにして運転席に座っている。おいらと同じくアッシー君をやっているようだ。スマホでパチリパチリやりここまで駐車場で書く。

薄日が射して青空が見える。何か遠い記憶が蘇るような変な気持ちで空を見上げる。さあ、このチャンスを逃してはならない。楽しみの草取りに精を出すことにする。まずは土作り。これが基本の基本とわかっているが勉強もせずにやたらめったら。それでも作物は生きるのに必死だ。それなりに実をつけるから不思議。

合間に山王姫の写真アルバム作り。過去数十年をさかのぼるというのは結構大変。焦らずのんびりやろうと思う。その合間に昼寝をしてルバイヤードの四行詩を読む。これを下敷きにして何かできないかー。うーん、難しそう。
 
   7月29日(水)

今日は朝から忙しかった。2ヶ月ぶりの定期診察日、病院の玄関を入るなり体温測定、受付を済ませると血液検査。タバコも酒も平常心を持ってたっぷり吸い飲んでいる。検査があるから控えるなどという姑息なことはしない。ところが待合室のモニターは盛んに喫煙による健康の害について流している。無視する。とにかくこれから何時間待つのかだ。ここまで待合室で書く。

降り積もった雪は春になれば溶ける。春までひたすらじっと待てばいいのだ。そういう北国で育ったせいか待つのは苦にしない。一時間も待てば呼び出しがかかるだろうとキンドルで中原中也の詩を拾い読み。さらには文庫本のルバイヤードの四行詩をパラパラめくる。これは11世紀のペルシャの詩人。これはいい。

診察時間は真空居合切りという短さ。薬局で山のように薬を受け取る。そういえば病院の会計にはビニールのカベがなかったがここはしっかりガードしている。病院は検温をして来院者を入れているから安全というのか。いろいろ考えるが分からない。
 
   7月28日(火)

専門学校へ郵便物を受け取りに行く。転送届をしているがまだ間に合わないらしい。事務室の女子職員二人は大きなマスクで応対してくれる。若い女性はピチピチしていいといつも思うがお二人はまだ独身。どうしたものかー。これは同学校の七不思議に入るのではー。

いばぶん事務所に行く。写真アルバムのスキャンを頑張ってやる。下のブドウ園からチェーンソーの鋭い音が聞こえる。ノコノコ歩いて様子を見に行く。オーナーの息子たちが太い丸太を切り刻んでいる。とてもおいらでは立ち向かえない。若さの馬力だと感心していると息子がやってきて父の容体が悪いと低い声で話す。

近しい人たちはみんな年寄。いつお迎えが来てもおかしくない。しかし、オーナーはおいらより五歳も若くまだ六十代。いろいろとやりたいこともあり計画もあっただろう。そうでなかったら潮来マリーナからクルーザー二梃も譲り受けたりしなかったはずだ。持ち直してくれればと願う。
 
   7月27日(月)

今の大仕事はこうやってどうでもいいような内容のブログを更新していくことだろうかー。そんな思いで今日も書き始める。いばぶん事務所に行きK氏から預かっている本の在庫調べ。K氏はただいま病気療養中。病院での面会は禁止ということで連絡はSMSでやりとりしている。便利になったといえば便利だがなんとなく索漠としたものを感じる。

昼過ぎ、山王姫宅へ。還暦から今日までの写真アルバムを作ろうということになりその相談と準備。写真好きの彼女は山ほど写真がある。そしていろんなところへ出かけては写真に収まっている。おまけに愛する猫と狸のショットスナップとバラエティー。これを整理するのには時間もかかる。おいらは暇だからちょうどいいのか。ただ根気がなく集中力が衰えたのは辛い。

別れて自宅へ戻ると同時に山王姫から電話。横浜のお坊ちゃまからのその後について。彼はボタンを完璧に掛け違えているようだ。いろんな人がいるから世の中は面白いと思うが話を聞いてみると腑に落ちないことばかり。こまったものだ。
 
   7月26日(日)

雨続きで散歩に行くのがまままならなかったせいかブログ用の写真がなくなった。昼ごろ青空が覗く。これはチャンスと自転車で颯爽と水郷公園へ出かけ写真を撮ろう。そしたら急に空はは雲に覆うわれ雨が降り出す。いさぎよく断念する。

「草野心平ーわが青春の記ー」を読む。無頼派の詩人というべきか若い頃は滅茶苦茶だった。「私の青春には生存はあったが生活はなかった。無残な生活はあったが、精神が伸びてゆくような余裕のある生活はなかった」とあとがきで述べている。

心平の長男の嫁さんに東京の神楽坂で会った。名前は智恵子でその娘は櫻子。フラメンコをやっており何とか賞などとりサンケイホールの舞台で見たことがある。きれいな人だった。櫻子という名前はおじいちゃんにあたる心平がつけてくれたそうだ。「桜」に「子」か。桜だけでもかわいいのに、さらに子か。詩人だと思った。
 
   7月25日(土)

よくぞ雨が降ります。土方殺すには刃物はいらぬ雨が三日も降ればいい。この数週間は毎日のように雨。日雇い労働者は大量に死んでいることになる。無言のお天気殺人事件。そういえば、ここしばらく面白い推理小説を読んでいない。今はどういう探偵ものの本が読まれているのだろう。

井上ひさしの「十二人の手紙」が読まれていると新聞で紹介されていた。読んだこともあるし確かに持っていたはずだ。探すがない。何処へ消えたのか。「吉里吉里人」も「東京ローズ」もない。どちらもぶ厚い本だったように記憶している。

詩人会議3号で岩波書店の社長が井上ひさしの一文を紹介している。これは読書についてだ。「生活の質を高めるということを考えると、いちばん確実で、てっとり早い方法は、本を読むことなんですね。本を読み始めると、どうしても音楽とか絵とか、彫刻とか演劇とか、人間がこれまで作り上げてきた文化の広がり、蓄積に触れざるを得ないー」。これを孫引きというものか。あきらかにそうだ。それでもよし。
 
   7月24日(金)

雨も上がったので水郷公園は賑わっているだろうかと見に行く。家族連れが多く見受けられるが盛況というほどでもない。コロナ渦の影響でみんな自粛しているのだろうかー。自粛しているというより萎縮しているような気がする。

土浦市立図書館の駐車料金は2時間まで無料。それを超過すると現金で払わなければならない。今日は200円も払う。土浦駅間の1等地にあるだけに駐車場は狭い。それもグルグルとまわりながら坂道を走らされる。駅前の賑わいを取り戻そうと市役所も駅前にでぇーんと座っている。

人間とは何か/私とは何かという/日常世間からは忘れられた問いを/正面に立て/生涯かけて どこまでも追っていくのが/お寺 という場の仕事であり 詩人の仕事でもあります ■(永劫の断片としての私・山尾三省)
 
   7月23日(木)

今日から「GOTOキャンペーン」が始まった。みとも家は何処かへ行く予定はまったないのでパンツのゴムがゆるんだようにポカン。ところが、降りしきる雨にも負けず山王姫の断捨離の手伝いの一つとして楽建舎に行く。これにはわが台所の一助にもなるのではという、別の思惑もある。ああ、卑しいよれよれオジン。悲しいことだ。

T社長、快く引き受けてくれる。何となく頼もしい男に会ったようでうれしくなる。さすが土建屋だ。おいらも地下足袋はいて土建屋稼業を長いあいだやっていたから彼らの気質を少しは知っている。昔からの人情機敏は受け継がれているようだ。ひと安心。

青空が見たい。とにかく青空を見たい。これだけ科学技術が発達したとニンゲンは威張っているのに澄み渡った青空はこしらえることはできない。やはり、ひとよ奢るなかれ、というべきかー。
 
  7月22日(水)

タイトルが「祈り」というのに惹かれて何気なく図書館から詩集を一冊借りてきた。読んでみてこの作者が考えていることとおいらが考えていることに何か通じるものがある。興味津々読む。

1937年生まれでおいらより10歳年長。62歳で亡くなっている。東京から屋久島に家族とともに移り住み、耕し、詩作し、祈りの暮らしをして一生を終える。詩集の中にこんなのがある。『鈴木大拙の言葉に「外は広い 内は深い」。エライ方の残された言葉とはいうのは、単純、素朴でありながら心の深みへずしんと心地よく響きこんでくる』。山尾三省という詩人。

つくば市教育委員会へ本を届けた後、急遽、絵を預かりに山王姫宅へ行くことにする。姫宅に着くと「ピーちゃんがいなくなった」とオロオロしている。しばらく姿を見せないだけでケロリと帰ってくるだろうと思うが姫にとっては大事件。しばらくしたらひょっこりピーちゃん顔を見せる。感激のご対面。いろいろなことがあるものだ。 
 
   7月21日(火)

何か楽しいこと面白いことはないかと土浦図書館へ。図書館にそんなものがあるはずがない。みんな押し黙って本を読んでいるか探しているか勉強しているという静かな空間があるだけだ。それも全員がマスクをしているから美人か不美人かも分からない。それでも図書館に行くのは簡単な理由。とにかく部屋でぼーっと外を眺めているのに飽きたからだ。

館内の書棚の本を警備員のように見て回る。本というのは随分とあるものだと感心する。どこかの誰かが書いたり作ったりしたのだろう。そいうふうに考えると「本」という媒体を通してたくさんの人が生活をしているわけだ。驚くのは月刊誌や週刊誌など雑誌類の多さ。誰が読むのだろうとクビをかしげる。

せっかく来たのだからとブログを書いて本を借りる。借りたら返しに来なければならない。近くの公民館の返却ポストでも良いことになっているが数回しか利用したことがない。本を返すという仕事がまだ良しとするべきかー。
 
  7月20日(月)

心重い一日だった。お天気が悪いせいだけではない。体全体の裡から外から得体の知れないものでどんどん絞めつけられるような倦怠感。こういう日は何もする気になれない。ひょっこり餌台に飛来してくるスズメやキジバトをぼんやり眺めているだけだ。

それでも、気を取り直していばぶん事務所に行。つくば市教育委員会へ贈呈する本の準備をする。ここもひっそりとして気分が重くなる。若くて元気のいいピチピチギャルでも現れてくれればありがたいが隣家の猫がノソリノソリ庭を歩いているだけ。それもオスネコのようだ。がっくり。

本日は宿直日。出かけるまで草取りやぼんやりと本を読んで時間をやり過ごす。そうだ、何でも自らの力量に見合った尺度で事をやり過ごせばいいのだ。気負いは迷路に入り込んだり脱線したりするものだ。「少しはわかってきたようだなー。おまえさんにはそれが限界だよ!」金魚ちゃんから天の声。「はい、わかりました」 

■大久保純子邸の夏景色 その6
 
   7月19日(日)

久しぶりに山王姫宅を訪れる。久しぶりに青空が顔を見せる。チャンスとばかりに庭をまわりパチリパチリ。ここ数日はお天気が悪く写真を撮る気にならなかったがファイトがわく。薮蚊ご用心しながら庭を一巡。ようやく夏らしい景色を撮れたような気がする。

先祖を人一倍敬い大切にしている山王姫はお盆の準備中。家紋入りのりっぱな提灯を見せてもらう。帰りにはたくさんのお土産を頂く。ありがとうございました。

敬うといえば、どうやら親をないがしろにして遺産だけ欲しがっている人もいるようだ。おいらは親からもらったのは元気な体ぐらいで物品は何ひとつなかった。そのせいか物欲には乏しい。それでも貧乏とは縁切りしたいと常々思っているがそれは叶わぬようだ。これも人生なり。
 
  7月18日(土)

最近、スマホを重宝するようになった。この手の平サイズの物体を自由に操れるようになったら怖いものなしかもしれない。若い人は難なくこなしているだろうが団塊の世代には辛いものがある。

写真と詩の抽出終わる。さて、これらをいかに料理するかだ。特段
、かならずやりとりなければということはない。いわゆる、詩人の田村隆一が「人生は締め切りががあるからいい」という締め切りがないのだ。こうなるといつ出来上がるかわからない。それもそれでいいのだろう。

詩人会議から贈呈本が届く。加藤徹詩集「見つめる先へ」。手にしながら、やはり詩単独でまとめるのがいいのだろう。ところが写真とのコラボでやりたいというのだから欲の皮が突っ張っているというもの。どうなることやら。
 
   7月17日(金)

雨が止んでいる間にと土手の草刈りをやる。土手に腹ばいになるような姿勢で両手でチョッキンチョッキン。これも老化を防止する健康体操だと思えばいい。神さまはおいらを捨てていない。大地のにおいを嗅ぎながら息をハアハア吐きながら雑草を刈る。午後、いばぶん事務所で人に会う約束がある。あまり体力を消耗しないうちに引き上げる。

事務所でK氏と木村さん寄贈本の相談。ようやくつくば市訪問の日取りが決まる。これで解放されるかと思うと肩の荷がおりたようでほっとする。

帰り土浦図書館へ。コロナ対策のためテーブルや椅子が間引きされている。しかし館内はガランガランでその必要なし。市内の目抜き通りもガランとしている。ガランガランのオンパレード。静かでいいとはもう思えない。とにかくどこもかしこも寂しすぎる。せめて、青空でも広がってくれればいいいが空を見上げればしかめっ面の灰色。ああ、寂しい寂しい。
 
   7月16日(木)

大漁  金子みすゞ

朝焼け小焼けだ
大漁だ
大和鰮の大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。

(大正13年3月)
 
   7月15日(水)

早朝、滝の園の喫煙室で話す。介護員がひとり辞めると連鎖的に二人三人が辞めるという。その補充期間は過酷な勤務スケジュールになるという。喫煙室にはバングラディシュの人と日本人でメガネをかけた青年。ハローワークはコロナの影響で盛況だという。補充人員の応募はあるが、念を押すように「介護職しては向いていないようだから面接にきても採用しないほうがいいのではー」。いろいろなことがある。

夜勤は夕方4時から翌朝9時まで。ハードな仕事だ。仮眠時間はあるが、ほとんど眠らないという。とてもじゃないが体力がなければ務まらない。若さがそれを補ってくれるのだろうかー。

コロコロ菜園の草取りをする。目に見えない小さなたくさんいる。虫よけスプレーで防御するがそれでも数か所刺される。まったくすごいものだ。一匹の蚊に刺されうろたえるのだからニンゲンなんて弱いものだ。
 
  7月14日(火) 

ぐずついたお天気が続く。これはいけないことだ。なぜならおいらの心がどんどん沈んでいくのだ。おいらの心は潜水艦ではない。できたら青空をかける飛行機雲のような明るく爽やかなものであって欲しい。

お天気が悪いからと沈んでばかりもいられない。そこでどうするか。いばぶん事務所へ行き木村滋著「ナミテントウ」の発送をする。初めてCROSSに注文が来たのだ。神奈川に住み娘とテントウムシを飼育して観察しているという女性。そのことを伝えると木村氏大喜び。やはり、ひとりでも読者がいるということは誰でもうれしいものだ。

空に おにあいの色は
どんなのだろう
水に おにあいの色は
どんなのだろう
土に おにあいの色は
どんなのだろう

どんな色は
みんな仲よく
ときめき色
 
   7月13日(月)

うすら寒い一日だった。おかげで草取りがはかどる。わが家の土手は「魔の崖」だ。急斜面で背が高い。絵を描くのが好きだったプロレスラーのジャイアント馬場のふたり分ぐらいある。日当たり良し土壌良しで雑草がすくすく伸びる。刈り払い機では太刀打ちできない。それでも、おいらは奮闘する。

おいらの家にある草刈り鎌を総動員して土手にフンバリガンバルフンバリガンバル。半分ほど終え本日の作業終了。とことん疲れる。ああ、悲しき我が老いたる肉体。悲しいが、これが現実だ。

夕方、タバコを買いに行くついでに散歩。この場合、夕方の散歩途中にタバコを買うと書くべきか?。大いに悩む。「バーカ、さっさとハナ煙突の掃除をやめたら」金魚ちゃんからの天の声。ありがとうございます。
 
  7月12日(日)

ブリンカーのインクで買いにケーズ電気へ行く。作戦を練る。マッサージ売り場に行き揉みもみしてもらいながらスマホでブログを書こう。ところがコロナの影響で電源を切っております。試供される方は係員までお声をおかけ下さい。そそくさと売り場を風とともに去る。

ここからは霞ヶ浦湖岸で書く移動ブログと名ずけよう。今はいつどこからでも更新できる。そんなに急いで何を伝えようとしているのだろう。

最後は自宅で書く。今朝から「金子みすゞの生涯」矢崎節夫著を読みだす。これまではマスコミが騒ぎ、さらにのほほんと世間が騒ぎ一時を賑やかにしていただけと思っていた。一つの詩を読む。感動するのがあった。ああ、知らなかったことはいいことです。さようならです。
 
   7月11日(土)

いばぶん事務所へ行く。山王姫から横浜に住んでいるという不思議老人からの話を聞く。どうもコロナ渦の中、変なおかしな老人も増えているようだ。親の財産をあてにするなんておいらには信じられない。ああ、情けない悲しくて絶句。

写真と詩の組み合わせを考え図書館から借りてきた参考本を読む。その手のものはやはり谷川俊太郎が圧倒的に多い。彼の詩には「谷川俊太郎節」というものがない。コラボレーションにはもってこいで、編集の仕方では一番取り扱いやすいんじゃないかと思う。ずうっーと格下のおいらはどうまとめるべきか―。ぼうっーと庭を見ながら思いめぐらす。あっ、オシッコがしたい。慌ててトイレ。まとまるわけがない。

クルマのフロントガラス交換の見積もりの電話が入る。お値段を聞いてかあちゃんと暗い顔をしながらぼんやり庭を見る。だんだん心も体も沈んでいく。ああ、これもあれも人生。吹っ切るようの当直の仕事へ行く。バイバイです。
 
   7月10日(金)

いろいろなことがあるものだ。ほんとうに一寸先は闇だ。おいらの不注意でクルマのフロントガラスにヒビが入った。交換するしかない。お金がかかる。ビンボーに追い打ちをかける。まったく、世の中どうなっているのだろう。人生、永遠の友はビンボーであると神さまから与えられた。その覚悟はあるがお金を都合するしかない。今度借金したら永遠に返せないかもしれない。それならそれでいい。どうせおいらは死んでいるのだから知ったことではない。

いばぶん事務所のS氏が書類を届けにきてくれる。しばしの雑談。少しは和む。そうか、人というのは誰かとお喋りすることで気がまぎれるのか―。不思議な作用があるようだ。

「徒然草の鑑賞」寺田寅彦著(青空文庫)をキンドルで読む。そうか、「徒然なるままに~」というのは釈然としないが、ビンボーにビンボーな追いはぎが襲いますます超ビンボーになることか。ありがとうございます。ここで一句浮かぶ「ビンボー急須からビンボー茶をそそぎ飲むビンボーオジン」。
 
   7月9日(木)

朝、地震がある。ドッドッドという地面を叩くような不気味な音。そして、バケツを逆さにしたようなどしゃ降り。コロナ渦で世の中が縮こまっているというのさらに追い打ちをかけるよう。ますます心も体も萎縮してくるよう。もう、勘弁してくれと言いたい。

堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」をようやく読み終える。2カ月近くかかった。集中力が欠けているせいだろう。老いて増々元気なりとはいかない。現状を維持するだけで精一杯。何事も慎重に慎重に。

山王姫宅へ伺う。腰痛は回復に向かっているというが顔を見るまで分からない。元気そう。よかった。せっかくここまで来たのだからもったいないと足もとは慎重に慎重に歩を進めながら庭の写真を数枚撮る。小雨がパラツキやぶ蚊がいる。かゆいかゆい。ほどほどにして切り上げる。山王姫は背筋をきちんと伸ばせるようなり楽になったという。それはいいこと。何事も健康な体があつてこそ。これからは何事も慎重に慎重にと願う。 ■大久保純子邸の庭その5
 
   7月8日(水)

1926年4月創刊の「アサヒカメラ」という写真月刊誌が7月号で休刊となった。この雑誌には随分とお世話になった。アマチュア写真の勉強の場であった。アサカメは朝日新聞発行で昔は毎日新聞が発行の「カメラ毎日」という月刊誌もあった。これはもうずうーっと前に廃刊になっている。

有楽町にあった朝日新聞社や竹橋にある毎日新聞社へコンテスト写真応募のために何度も足を運んだ。もう、ずうーっと昔のことである。近年の写真界はまったく様変わりしている。スマホで手軽に写真を楽しめるから撮る人は増えているだろうが表現の方法はおいらが写真を覚え始めた時とは大きく変容している。

写真だけでなく世の中全体が大きく変化している。もうこの急速な発展についていけない。そこでついていくことはあきらめ庭にやってくるスズメを眺めながらのんびり暮らすことにする。バイバイです。
 
  7月7日(火)

霞ヶ浦を見たくなったので見に行く。小雨がぱらつき時おり強風も吹く。こんな天気に霞ヶ浦見学などとノーテンキな人はいなようで人っ子ひとりいない。九州地方は大雨で避難勧告も発令されているというのにー。

しかし、人には他人が理解できない行動を起こすことはシバシバある。まぁ、万引きや空き巣に入るような悪さでないから許してもらおう。この原因を考え思いついた。どうも当直明けに発症するようだ。ぐっすり眠っていると思っていてもやはり体の芯から眠っていないようだ。そこで不安定な精神状態に陥るらしい。

その不安定な精神を落ち着かせようと霞ヶ浦を見たくなる。これで気分が晴れるとしたらこんな安いことはない。ただ黙って霞ヶ浦を見る。本日の湖面はどす黒い。何か悪さをしたようだ。これにも大きな原因があると思われるが霞ヶ浦は黙って波をたてているだけだ。エライものだ。 
 
   7月6日(月)

NHKラジオのニュースは緊迫した声で「大雨注意報」を連呼している。「自分で命を守るように注意して身の安全をはかってください」。こちら茨城土浦地方はのんきなもので「九州は大変だなぁー」とおいらはぼんやり庭を眺めている。そこへ、必死になってエサをついばみにくるスズメちゃんたち。どちら様も命がけ。

人の運と不運は紙一重。おいらはこれまで生を歩んできた。もし30歳で死んでいたら今日までの42年間は目を開けて見ていないわけだ。同年生まれで30歳にして亡くなった人も大勢いると思う。そういう意味では運がいいといわなければならない。

いばぶん事務所へ。写真整理。つくば文化郷もオーナー不在でどこか寂しい。主人のいない館はひんやりした空気で覆われているよう。どんなボロ屋でも人が住んでいるというだけで周囲の空気が和んでいるように感じる。今晩は当直日。どういうわけか仕事がある日が多い。これを運がいいというのだろうかー。

■詩人会議8月号
https://www.shijinkaigi.net/2ffe6cb59140028e245787d2c5cd1cc8
 
   7月5日(日)

谷川俊太郎が「―この歳になると活字を読むよりも/風に揺れる木々を眺める方が好ましい―」と「茨木さん」という追悼詩を書いている。茨木さんとは詩人の「わたしが一番きれいだったとき」の詩を書いた茨木のり子。

そういうわけで雨の合間を縫って草取りをやり部屋から見える雑木林を眺め遅々として進まない堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」を読み、宮本常一の「忘れられた日本人」鶴見和子の歌集「花道」「「詩人会議8月号」詩誌「これから第9号」をパラパラ読み一日は終わる。こういうのをパラパラ人生というのか。

夕方、山王姫から電話あり。足腰の痛さを気にしなくてすむまでになったという。それはいいことだ。きっと連日のぐずついた天気も影響しているのかもしれない。すっきりした青空を見ればけろっと治るかもしれない。しばらくは慎重に慎重にしていたほうがいいと電話を切る。
■詩人会議8月号
 
   7月4日(土)

朝から雨。タバコがない。ニコチン中毒のよれよれおじんは傘をさしてタバコを買いに行く。わが家からいちばん近いのはファミリーマート。時間は午前5時過ぎ。徒歩で20分近くかかる。クビにぶらさげたカメラはおいらがシャッターを押してくれるのを待っている。見慣れた風景だけに意欲わかず。

店では外人さんがカタコト日本語で応対。女性だだが大きなマスクをしているので美しいのかかわいいのか若いのか年寄りかも不明。茨木のり子に「わたしが一番きれいだったとき」という詩がある。彼女の場合は戦争真っ只中。今は、コロナ騒動の真っ只中。みんなかわいそう。

外人さん、銘柄わからず番号で伝える。数字は世界共通。そして世界は数字で管理され動いていることを改めて知る。雨の中のタバコ買いはブラブラ歩いて1時間ちかくかかる。タバコなんかやめてしまえばいいのにと呟きながら帰る。
 
   7月3日(金)

今日は母ちゃんの誕生日。お祝いということで潮来市の紫陽花寺として有名な二本松寺へ行く。おいらの家では誕生祝いになにか目出たことをする習慣がなかった。そのせいか、誕生日だからといってごちそうを食べるとか贈り物をもらうこともなかった。ただ一日を平穏に終え煎餅布団で寝て終わり。いろいろな育ち方があるものだ。

帰り、「動けばまわる」をモットーとしている潮来マリーナへ立ち寄る。キャンプ場「なぎさ」の整備は順調。だんだん景観がよくなる。家族の反対コールは日々増しているという。「男のロマン女のガマン」そういうことだ、やりたいことをしっかりやってオサラバする。これも人それぞれの人生、万歳だ。

姫丸子が大好きという「こうのまんじゅう」を届ける。姫丸子は元気そう。考えてみれば数日前に会ったばかり。元気でいてくれなければこまる。「断捨離の祈り」の小冊子の感想二件届く。一つ目は、アップ写真だけでないほうがー。二つは光と影のバランスがなんともいえない味をかもしだしていますねー。出汁に「味の素」を使用しています。
 
   7月2日(木)

土浦図書館に涼みに行く。これはあきらかに図書館というもの理解していない。図書館というものは本を読んだり調べものをしたり本を借りたりする公共施設。それを承知しながら目的として「涼み」に行くとは市民としてのモラルに欠けている。そういう輩はどれぐら居るのだろうと数えてみる。どうやら同輩はおらず、本を読んだり探したりしているのがチラチラ数十人。静かな静かな「涼み図書館」。

それではおいらも図書館を正しく利用する人になろうと書棚から1冊の詩集を取り出し読み始める。歌集「花道」鶴見和子著(藤原書店)。「鶴見和子曼荼羅全9巻」を揃えていたのはk・A氏。全部あげるからと言われた時おいらは断った。結局、k・A氏の所蔵本は全部茨城県の図書館に寄贈。館員の手際の早さに驚いたものだった。

自宅のわが書斎にはクーラーはなく扇風機だけ。そこで体が慣らされているせいか図書館に1時間も居たら寒くなってきた。そそくさと本を借りて帰る。
 
  7月1日(水)

紫陽花の季節だ。そうだ、紫陽花寺、雨引観音に行こう。そういうわけで月命日のおばあちゃんの墓参りを済ませてから小雨ばらつく中、クルマを走らせ一路、雨引観音へ、

雨引観音の紫陽花は満開。平日で悪天候だというのに人出も満開。マスクも満開。爺婆だけでなく若い人も多い。コロナ騒動で仕事がないのだろかと余計な心配までしてしまう。

山王姫から順調に回復に向かっているとの連絡あり。世界中の神様からご加護を頂き祈りは届いているようだ、ということは神様もそれなりに仕事をしているのか―。それなら市井の人もノンビリ紫陽花見学などしている場合じゃない。偉い、偉い神様に負けないようと思うが本当に仕事がないのだ。みんなみんなこまっているのだ。それでも、紫陽花は咲いていました。
 

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