怠惰な散歩  2020年1

   1月31日(金)

元気を出してブログを書こう。冷たい北風がビュンビュン吹く一日だった。吹雪の朝、小学校へ通っていたころを思い出す。まともに真向いから吹いてくる北風と雪で数人の子どもたちは立ち往生。その時、上級生は風よけになり北風に背中を向け下級生をかばう。あのころの吹雪に比べたらそれこそ筑波下ろしというのは子どもみたいなものだ。

いばぶん事務所へ行く。ここでも北風がビュンビュン吹いている。部屋の中にも隙間から冷たい風が入ってくる。「風と水は自分の行き先を知っている」と誰かが言っていた。「バーカ、自分が考えだけではないか。誰かとごまかし涼しい顔をするかわいそうな人」と、天からの声あり。

畑に顔を出したフキノトウのクビをはね採ってきた。天ぷらにして食べた。おいしかった。詩人会議3月号においらの詩が採用され載っている。このごろは、これだけ楽しみでもあり喜びでもある。金魚ちゃんに報告。「あっ、そう」で終わり。
 
   1月30日(木)

朝焼けが美しそうだと霞ヶ浦を目指して歩く。外は薄暗い。今日は暖かくなると期待しているが朝はまだ寒い。四つ角にある喫茶店はひっそりとしている。バーカ、こんな朝早くから営業しているわけがないよ。そうです、皆さんはまだ布団の中でお休みしているのです。どうしても早く寝る癖がついているから朝は早い。早起きして何か得するようなことがあるのか。何もない。

久しぶりにキンドルで高村光太郎の「智恵子抄」を読む。「レモン哀歌」を最初に知ったのは中学生のころで兄からだという薄い記憶。「狂った智恵子は口をきかないー」(風にのる智恵子)という一節もある。自分の妻を「狂った」と言い切る勇気というものはと考える。

どうやら、専門家に健康診断ではおいらのパソコンは狂ってしまったようだ。データの保存と早急に買い替えたほうがいいというアドバイス。パソコンは新しくすれば解決するが、精神的に病んだ人間となるとそうはいかない。こまったものだ。
 
   1月29日(水)

朝、暗いうちに起きて長田弘の詩を読む。切れ切れだからその間に谷口ちかえ詩集も入る。頭がすっきりしているせいか言葉一つひとつがビンビン入ってくる。最近では珍しいことだ。外は激しい雨が降っている。天気予報では午後には晴れるとのこと。青空が見たい。

大久保先生のひ孫のコー君をパチリ。照れて逃げ回る。3歳になれば恥ずかしいということを知っているのか。驚きだ。保立氏より色紙などがたくさん送られてくる。それもついでにパチリパチリ。

天気も回復して青空が広がった午後、長興寺の石仏の写真を撮りに行く。「祈り」シリーズのためだ。今年はのテーマは決まった。どこまで体力と気力が持つかだ。暖冬だというから夏場はどうなるのだろうと心配になる。それにしても今日は暑いぐらいの陽気だった。山新でタネイモの男爵を買う。明日の畑仕事がが楽しみだ。
 
  1月28日(火)

雪は降らない、雨が降る。一日中部屋にこもってぼーっとして過ごす。ぼーっが飽きたら本を読む。福嶋大樹著「中原中也」と「長田弘全詩集」。そのあいだにおしっこしたりして夕方になる。酒が待っている。ちびちび飲みながらFM放送を聴く。そして、だんだん酔っぱらってくる。

中原中也の詩がいい。「腕を振って―」「怠惰を逃れるすべがない―」。わが家には「中原中也全集5巻」がある。ここ数年ひもといたことがない。ただ、本棚に並んでいるだけ。それも薄っすらと埃がたまっているのが老眼からも見える。ああ、かわいそう。

文芸社から運がよければ出版してやるからという案内が届きメールで詩20編を送る。封書で送付しようと思ったがどうせボツになるのだからお金をかけないほうがいいという結論。ただ、これま書いてきた詩を整理できたことに感謝する。夕方になっても雨はやまない。だんだん心が暗くなる。こまったものだ。
 
  11月27日(月)

空は朝からどんより曇り空気も冷たく寒い。今日はきっぱりとした冬だ。冬ということばに白い雪を連想するが雪はない。ただ、いつ空からひらひらと舞ってきてもおかしくない天気だ。雪はしんしんと降るのかコンコンと降るのか。山形の片田舎ので暮らした経験からいうとしんしんと降るがふさわしい。夜、雪はしんしんと降り積もり朝になれば真っ白な雪世界。集落にぽつんぽつんと点在する家の屋根しか見えない。誰もひっそりと過ごしじっと春を待つ。

福島泰樹著「誰も語らなかった 中原中也」を読む。中也の詩に「汚れちまった悲しみに」に雪が出てくる。若いころから何度も口ずさんできたから暗唱できる。汚れちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れつちまつた悲しみに/今日も風さへ吹きすぎる―

雪はすべてを白という字で隠してくれる。白の世界は車窓から眺める景色は美しいがそこで生活するとなる雪との戦いで明け暮れる。春になれば黙ってても解けるというのにだ。
ただ、月明りと星くずの広がる夜の雪原はそれこそ痺れるほど美しい。
 
   1月26日(日)

寒い一日だった。寒さは何もかにもを萎縮させる。もちろんおちんちんもそうだ。オシッコする時の慌てる。どこにあるのか分からないぐらいに縮こまっている。それに股引きをはいているからなおさらだ。オシッコが近くなった老人には辛いことだ。

日曜日の土浦イオンに行く。大変な盛況ぶり。若い人が圧倒的に多い。さも天下を取ったようにおしゃれをしてさっそうと歩いている。あんなにめかし込んでもあと50年もすればジジとババ。もっとも不慮の災害などに巻き込まれその前に消えることもありうる。それを考えたら現在を精一杯謳歌すればいい。

本屋さんを覗く。山のように本棚に本が並んでいる。これらの本は誰かの手で書かれ出版されたはずだ。そのエネルギーに玉げる(山形弁で驚くの意)。その玉は寒さで縮こまっている。たくさんの本は並び買って欲しい読んで欲しいという顔をして陳列されている。今日は買わないよ。なぜなら土浦図書館から「長田弘全詩集」を借りてきたから。ざまぁみろだ。
 
   1月24日(金)

暖かい一日だった。暖冬だというが本当だ。年寄りには寒くないから大助かり。久しぶりに霞ヶ浦を目指して散歩。暖かいから外を歩こうという気にさせるのだ。ともかくブラブラ歩く。朝陽がようやく昇りだし東の空が赤くなる。とても美しい。うれしい。

朝食をとってから屋外作業。お隣のオジサンも帽子に長靴姿で畑の手入れをしている。やはり暖かい陽気に誘われたようだ。わが家の雑草はまだ眠っているから草むしりはない。土手の生垣造りをやる。使い古しカワラを埋め込む。しばらく前からやっているがのんびりしているからいつ終わるのか分からない。無制限一本勝負といったところ。

午後、いばぶん事務所へ。吉瀬は実に静か。大きな家がごろんごろん建ち並んでいるが人を見かけることは少ない。猫が我が物顔でウロウロしている。。わが家の庭を堂々と横切っていく猫が数匹いる。それはわれここに在りとばかりの顔をしている。あの自信に満ちた歩き方を見習わらなければと思う。しかし、加齢という電車に乗っているせいか若い時の勢いを失いつつある。ここはフンドシを締めなおしてガンバロー。
 
   1月23日(木)

どこまでも霞んだ景色は灰色に覆われ
なにもかもをベールに包み込んでいる
なにを隠そうとしているのだろう

ひとは人知れぬ秘密を抱え
人知れぬ場所に隠しておく
どこに仕舞いこんでしまったのか―
月日が過ぎ忘れてしまうこともある
忘れてしまったことさえ忘れたとき
とんでもない時に思い出し慌てる

そんな日々の営みの今日
一面に広がるもやった景色は
静かにしずかに宵闇の中に消えようとしている
 
   1月22日(水)

暮れなずむ霞ヶ浦を見ながら書く。いわば出張ブログ。湖では水鳥たちもお休みの準備をしている。彼らは今晩はどんな夢を見るのだろうか?。ニンゲン世界と違って借金取りに追われるような夢は見ないだろう。貨幣制度がない世界で生きているのだから当然のこと。気楽なものだ。ではどんな夢を見るか?。ケンカしたこと交尾を挑んだメスにそっぽを向かれたこと。おいらの知らない天国の暮らしぶりなのかもしれない。

最近、ようやく気付いたのだが、テクノロジーの発達というのは時間を縮小することに尽きるということ。これは日進月歩で限りなくニンゲンが滅亡するまで続くのだろう。

その弊害としてどんな現象が現れるか―。ここまで考えて己の知能の限界を知る。難しいことを考えても必ず途中で挫折するという宿命をどうやら背負っているようだ。なにごともぼーっとしながらケセラケセラと口笛を吹いて生きていくのがおいらには似合っているようだ。そういうことで今日はお終いです。
 
   1月21日(火)

昨晩の睡眠時間が短かったせいか朝から体が重い。それなり頑張って一編の詩を投稿する。何度も推敲しているうちにアタマがクラクラする。著名な詩人の詩をパラパラと読むとますますアタマが混乱する。やはり、おいらの詩には言葉の鋭さがないと痛感する。

そんな折、詩人会議から勉強会を開くので参加しないかという案内が届く。場所は東京、曜日は土曜日。当直予定表を見るとその日は出勤日。不思議なもので月6日しか働いていないのに巡り合わせの悪さ。これが人生か―。

午後、山王姫宅へ。きれいになった茶室と枯山水の庭をひとまわりしてパチリパチリ。いばぶんの今後のことなどの相談をする。この先どうなるかわからないがケセラセラとやっていくしかないような気がする。加齢とともに体力も気力も衰えてきたせいだろう。これも人生か―。
 
   1月20日(月)

関脇高安は元気なし。どこか体の具合が悪そう。もしかしたら休場したいぐらいではないか。両横綱は休場しており役不足の場所で休むにも休めない事情があるのだろうか―。こういう場所の入場料は割引きにならないのだろうか―。多くの相撲取りが休んでいるというのにどうも納得がいかない。

いばぶん事務所で「目で見るつくば」を1冊売る。つくば市小田に住む人で近所の公民館で見て欲しくなったという。田舎暮らしもいいと小田に越してきた。まだ東京の会社に勤めており、片道2時間かかって通ったという。ああ、驚き驚きです。まだ、つくばの歴史に浅いので「目で見るつくば」は参考になるという。

うららかな陽気に誘われ庭いじり。これが実に楽しい。もっともらしい顔をして本を読むということはどういうことかと考える。背伸びせず前のめりせず等身大の生き方が一番健康にいいのではと思う。それでも、長田弘の「なつかしい時間」を再読する。「読書は本を読むことでなく、本に親しむという習慣のこと―」だそうだ。
 
   1月19日(日)

15日、早朝1時間余の立ちんぼが効いた。風邪をひき、さらに首筋を痛めてしまった。少しばかりの無理をして肉体労働をしたのがいけなかった。老いた体にドスンとまとまって症状があらわれ動けない。とにかくパブロンを飲んで寝ることを二日間続いた。今日、ようやく少しばかりの元気を取り戻す。

今日は風もなく暖かな天気。体調も良くなったので野良仕事、といっても畑の土をすこしだけ起こしたぐらいだが―。こんな日でないと金魚ちゃんの水槽の水替えはできないとフンドシしめてやる。きれいになって気持ちがいいと思うのだが感謝の言葉がない。ただ、しっぽをゆらりゆらり。彼らの世界には礼儀というものはないようだ。無念なり。

谷口ちかえ詩集「木の遍歴」を読む。「人知れず 一本の木に会いに行く 口にする前の言葉をみんな聞き取り 木は木の言葉でしきりにうなずく  上空を吹く風に 無数の葉と葉をこすりあわせて囁いて」(一連目)。感動する。「人知れず 一本の木に会いに行く―」を何度も読み返す。大好きなフレーズだ。こんな詩を書きたい。(バーカ、無理無理と温情知らずの金魚ちゃんの声)無念なり。
 
   1月15日(水)

スタミナがつくようにウナギの干物をつまみにピチピチやる。うな重なるものを食べたのはいつだろう。記憶の糸をたぐってもたぐっても思い出せない。これは記憶喪失でもボケでもない。脳みそにインプットされていないのだ、ということは食べたことがないということになる。しかし、高級な食べ物として王様になったようなウナギを今日は食べている。それも干物という珍しいもの。もちろん貰い物だからご相伴できる。

昨日は当直日。今朝の5時ごろだった。「今、救急車が来るので医務室のカギを開けてください」。当直の若い介護士が駆け込む。それからバタバタドタバタとあっちに行ったりこっちに走ったり。聞けば昨日、病院を退院して入居したばかりだという。ひとのイノチの行方は一寸先は闇。

搬送先の病院が見つからないようだ。1時間余、小雨ぱらつく玄関前で救急車を目の前にして待機する。ようやく受け入れ先の病院が決まったのか赤色灯をつけサイレンをならして救急車が走り出す。寒かった。介護士もおいらも送り出せばやることがない。それからは日常業務にとなる。ようやく明るくなりだした。あのオジサンも明るい快復の方向にと願う。
 
   1月14日(火)

義兄と10数年ぶりに会う。革ジャンに750CCのバイクに乗ってわが家にぶらりとやってきたのだ。バイク好きは知っていたが72歳になっても乗っているとは驚く。現在、4台のバイクを愛用しテントを持ってキャンプにも毎年行っているという。まあ、元気で何よりだ。

バイクといえばおいらが初めて乗ったのは50CCホンダスーパーカブ。中学生の時に兄から借りて乗った記憶がある。後は、東京時代に新聞配達の時。土浦に越してからはバイクとは縁が切れたと思ったが新聞社をクビになり生計のため新聞配達。その時もバイクのお世話になったが苦い思い出もある。大雨が降っていた日でスリップしてバイクを転倒させ新聞はびしょ濡れ。配達できなくなった新聞の手配で大騒ぎしたことがあった。

今住んでいる小松界隈は坂道が多い。電動自転車でもきついぐらいだ。ホンダスーパーカブがあれば便利だと思う時がある。でも、バイクは転倒する危険もある。転んだら痛い。そう考えると三輪バイクがいいのか-。かあちゃんの移動手段は自転車だったが小松に越してから一度も乗っていない。それが懸命だ。
 
   1月13日(月)

部屋にこもっているより外にいるほうが暖かいような一日だった。午前中はヤギ一家の主人に頼まれた仕事をこなす。その合間に庭にビニールを敷いて草むしり。その繰り返し。昼過ぎに出来上がりメールで送信。そのことを伝えようと電話をするが応答なし。今日は土浦では出初式があったからその関係で忙しいのかも知れない。

いばぶん事務所へ。やはりここも暖かだ。「バーカ、車で15分もかからない場所に移動しただけだぞ」とは金魚ちゃんの声。そういえば今日はエサをあげていないような気がする。それでも金魚は「ハラ減ったエサをくれ」とは叫ばない。エライものだ。いや、発信する術を知らない。そう思うとかわいそう。

ニンゲンはその点すごい発信装置と受信装置を発明した。その装置はどんどん進化して時間のカベを越えようとしているようだ。真空管時代に生まれ育ったニンゲンにはとてもついていけない。この先どうなるのだろうか。その予測を「ホモ・デウス」では述べている。そういえば「ゴヤ」に夢中になり下巻は途中で休んでいる。慌てて読みだす。お休みなさい。
 
   1月12日(日)

久しぶりに阿見町のヤギ一家の主人に会う。職業は町会議員と農業を主として、他にも手広く事業をやっているようだが詳しいことは分からない。ただ、今日は成人式に出席してきたそうだ。あれやこれや頼まれごとをしてお米をもらう。猫とヤギを三頭ずつ飼っていたが今はヤギは一頭になったとのこと。さては、そおーっとヤギ汁にして食べたのでは―。(バーカ、つまらないことを想像するな・天の声)

土浦図書館に本を返しに行く。4冊借りていたが全部返してしまったら「ゴヤ」とさようならしなければならない。2冊は延長してもらう。ついでだからとブログを書く。図書館内の風景と雰囲気を考える。話し声も少なく歩き方はそろりそろりと忍び足の人が多い。咳払いもくしゃみもご法度。まるで忍者屋敷のよう。こういう世界もあってもいいのかと思う。

ヤギ一家の庭先に大量のもみ殻が積まれている。「今度もらいに来る」「どうぞどうぞ」。その場合はドロボーのように忍び足でなく堂々と偏平足を地面につけてもらいに行こうと固い決心。それにしてもわが家の庭は今はとても寂しそう。冬はしょうがないのか―。
 
   1月11日(土)

庭のエサ台に野鳩が四羽のやってきてエサをついばんでいる。知恵を絞って新しいエサ台を新しく作ってやったのに野鳥は全然やってこない。どうしたものかと寂しくしていた。何か不満があるのか不備なことがあるのかと―。一度尋ねてみたいと思っていたが野鳥はやってこないからどうしようもない。もっとも、質問に答えてくれることはないだろうが―。

「ものを見るということは、見ることに耐える。あるいはまた、見る対象に見られることに耐えるという営為を含むものでなければならないであろう」(堀田善衛ーゴヤ スペインの光と影)。奈良原一高という写真家が「スペイン偉大なる午後」という写真集を出した。40年ほど前だ。その中に「午後5時 午後5時―」という詩があった。午後5時から闘牛場でショーは始まる。すごい写真だと驚いた。その写真集は度重なる引っ越し暮らしに耐えて今でも本棚にある。

今年の干支はネズミだそうだ。よく考えてみればおいらは年男だ。(バーカ、今ごろ気づいたのか‐天の声)そうか、何回目だろう。もう次を迎えることはないだろう。いばぶん事務所でそれなりの雑事をする。今日は寒い。
 
   1月10日(金)

「ゴヤ」を読む。とにかく面白い。すごい、ただの文士ではない。なぜ面白いのが―。それは、裏付けのある自分の言葉で書いているからだ。作家の中村真一郎は若い時、毎日、同時に十冊ぐらいの本を読みすすめていたという。先輩の堀辰雄からそのきりのない雑読に忠言を受けたという。「芥川さんのようになるよ」。「バーカそんなことも分からないで本を読んでいるのかー」。きつい天の声。

昼過ぎ、ゴヤも疲れたので庭の手入れ。うららかな太陽の光。隠れている雑草をむしり取る。冷たい土の中でも懸命に生きている雑草。すごい生命力だ。PCのOutlookが開通する。遠隔サポートサービスで直してもらう。便利な方法があることに改めて驚く。

午後、フカヤさんがウナギの干物を持ってきてくれる。珍しい。息子が韓国で買ってきたものらしい。その後、姫丸子がお花と食べ物を持ってきてくれる。最後は、隣のサカモトさんが果物を届けてくれる。何でもいただきます。みなさま、ごちそうさまです。ありがとうございます。
 
   1月9日(木)

今日は病院での定期診察日。先生と顔を合わせるなり「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしく」。一瞬ひるむ。今年一年も先生とお付き合いしなくてはいけないのか―、うーん無念。思わず返す言葉を失う。そういうことで初診察日は幕開け。結果は健康を維持しているとのこと。

午後、ぶらり山王姫宅へ。クルマから降り玄関へ続く緩い坂道の写真を撮ろうとしたらメモリーが入ってませんのシグナル。しまったと思ったが遅い。バーカと金魚ちゃんの声が聞こえそう。ともかく、山王姫からメモリーを借りて庭をグルグル。これもメモリーが満杯のマーク。なんとかブログ用だけ撮る。こういう時、スマホで写そうという発想が出てこないのが情けない。楽建社の人が来て修繕の打ち合わせで二人は外に出る。ひとり庭を眺める。さすがに歴史があり趣がいい。コロコロ花壇とは違う。あまり遅いので様子を見に行こうと玄関に向かうと戻る。山王姫怪訝そうな顔。悪さはしていません。

今日はどんな日だったのだろう。事実として分かっていることは令和2年になり9日目を迎え、夜空には満月らしきものが光を煌々と輝いていること。そして、焼酎のウーロン割をチビリチビリやりながらブログを書いているということ。「バーカ、それでいいのだ」と天の声。有難く拝聴して本日の店じまいとする。
   1月8日(水)

「雨は降る、人馬は濡れる」は遠い昔の話。わが家の餌台にやってくるスズメは傘もさしていない。そんじょそこらに捨てらた傘はたくさんあるというのに。もっともスズメ用の傘は捨てられていないようだ。持ち合わせていないならカッパでも着てきたらと思うがそれもないらしい。ともかく、今日はシトシトピッチャンの一日だった。

「土方殺すには刃物はいらぬ、雨が三日も降ればいい」というりっぱな格言(?)がある。そういう職業を糧とした生活を20年ぐらいやった。その経験からいうと、土方はしたたかな肉体を持っているからまったくへこたれない。仕事ができなくてもケセラセラ。そういう日は酒と博打で過ごす。どういうわけか酒は集まり博打好きが自然で集まる。美しきドナウではないが美しき雨の日をルンルン気分で過ごすのだ。

今日は、あの頃のことをしみじみ思い出す。そして、はかどらない読書の一日でした。さようならです。、
 
   1月7日(火)

朝起きると体が重い。洗面所で顔を洗おうと鏡を見ると鼻毛が不気味な色と形をして一本伸びている。それを見てますます体が重くなった。しみじみと自分の顔など見たことがない。鼻毛のついでに顔全体をなめるように見る。ああ、年寄りのむくんだ顔がしっかりと鏡に映っている。見苦しい。そそくさと鏡とオサラバする。

ようやく「ホモ・デイス」上巻を読み終える。まだ下巻が残っている。「ゴヤ」は4部作のよう。そのうち1と2は図書館で借りてきて読書中。まだ1の半分も読んでいない。すっかり読書をする力が衰えた。慰めの雨が夕方からパラパラと降り出す。

夕飯はかあちゃんが作ってくれた七草がゆを食べる。グーグル先生によれば、「春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、その一年の無病息災を願って1月7日に食べられる。正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休めるため為とも言われる」ここまでウィキペディアからのコピー。こういう時代になったのだ。2020年はますますコピー文化の花盛りだろう。ああ、情けなやーなり。
 
   1月6日(月)

久しぶりにCROSSに行く。預けてあった写真パネルの借用のためだ。貸借というのが気にいらないが、ともかく一度ギャラリーなが屋門で写真展を開きたいと思っていたので借用することにした。えっちらこっちらとセキノさんと運ぶ。

CROSSでは、はつらつ元気印の若き女性三人と再会。三人のうち一人は既婚者で結婚生活を楽しんでいるというからごちそうさまです。ところがほかの二人はどういうわけか嫁にも行かず独身生活を謳歌しているという。理想とするような男性諸氏とは縁がないのか現れないのか選り好みしているのか分からない。月日の経つのは早くすべすべお肌も比例する。早く男を探してこいと老婆心ながらの激励。もっとも夫婦となれば我慢比べという負の側面もあるが―。

居並ぶ校舎群を見ながら、これが西谷氏の残した遺産か―と深いため息。いろいろなことがあった。「バーカ、生きていれば当たり前だよ。センチメンタルに浸るような年齢でもないだろうー」と、金魚ちゃんからの天の声。
 
  1月5日(日)

パソコンのメールは元相棒に自宅まで来てもらい直してもらう。無事に開通。どうなっているのか分からないがこれまでのアドレスでOK。近所にこういう人が住んでいるというは心強い。久しぶりに会うが元気そう。ニュースつくばのデスクとして頑張っているよう。持ち前のフットワークをいかして集めたつくば周辺の情報をチラチラ聞く。

なにしろ彼は博学で漢字に強い。おいらのブログの誤字脱字間違いを指摘される。ごもっとも、書きながら自分でも分からなくなるぐらいだから。まして誤字脱字間違いは当たり前。それでも、ここに一人の閲覧者がいることを確認。

午後、江戸崎の五百羅漢の写真を撮りに行く。久しぶりカメラ二台をクビからぶら下げる。急な坂道をヨロヨロしながら登る。赤い頭巾を被った石像がズラリ。今年の写真テーマのロケハン。大いに参考になる。バンザイだ。
 
   1月4日(土)

不良じじいの朝帰りとでもいうのか、午前8時30分に仕事を終え帰宅時間は9時。途中、桜川の景色を見てきたせいだ。土手を散歩している人を見ているとほっとする。どうしてか分からない。朝の新鮮な空気を吸っている同輩がいるという安心感だろうか―。

春キャベツを植える。うまくゆけば4、5月ごろ収穫できるというふれこみ。さて、どうなるのやら。とにかく花壇にしても菜園にしても黒い土がむきだしになっているのが見苦しく腹立たしいのだ。そうかといって、雑草で覆われるのもしゃく。そのため、せっせと安い物を探してきて植える、植えるのだ。きっと、もっと大きな飢えを感じているせいかも知れない。

パソコンのデータ移動をしていたらメールが機能しなくなった。いろいろ試みるがどうしても分からない。ヘルプだ。誰か助けてくれ。インドの二ランジョンとショットさんにメールがきていたから返信しようと思ったが送受信できない。ああ、今晩は神さまを信じるから助けてください。お願いです。
 
   1月3日(金)

閑暇を楽しむ。なかなかいい言葉を見つけた。ところがこれを実行するとなるなかなか難しい。いろいろな煩悩が働き、いかに退屈をしのぐかになりがちだからだ。おいらはぼーっを得意としているが、ただぼーっと時間をやり過ごしているわけではない。いつも、次に何をやろうかと考えていることが多い。とても閑暇を楽しむ達人とはいかないのだ。

今年初めての当直日。これまで、翌朝はいつも起きるとすぐにNHKFMの「古楽の時間」をトランジスタラジオで聴いていた。電波の入りが悪く雑音が多かった。そこでスマホで聴くようにしたら音質がいい。こういう便利なことに気づくのが遅い。これこそ年寄りの悲しさだ。

滝野園に行く前にイオンに寄る。混雑している。みんなもう欲しい物はもう持っているのではと思うがニンゲンの欲望に際限はない。おいらは、本屋さんの新刊本を見て回る。よくもこんなにたくさんの本が出回っているのかとため息。とても読み切れない。まあ、表紙ぐらいは読めるだろうとグルグル。一冊も買うことなく後にする。
 
   1月2日(木)

ああでもない、こうでもないと考え、悩み、ああ、今のおいらの詩作の能力はこんなもと「詩人クラブ・70周記念アンソロジー」に「詩・一編」を投稿。さて、どうなることやら―。

考えて見たら、さあ、今日はどうなることやらが朝起きた時からのスタートしているわけだ。寒い朝の空気をはねのけるように布団から出て手足を伸ばした人が勝ち。人生に勝ち負けがあるとは思わないが、とりあえずの朝の空気を吸えたことに感謝。

そんなわけで、ともかくつつがなく終わる。「ただの文士」読み終える。ゴヤは数ページ読み進んだがゴヤがまだ登場しない。映画「ウエストサイド」の冒頭シーンを参考に書き進めているからスペインを俯瞰的にとらえた文章が延々と続く。目が疲れて眠くなる。
 
  1月1日(水)

本日より令和二年、2020年の始まり。始まれがあれば終わりがある。終わりがあれば始まりがある。そうやって人間は歴史を刻んできた。朝、おせちを食べる。餅一個だけだが腹の具合が悪くなる。どうしても餅ちゃんとおいらのお腹は相性よくないようでこまる。昨晩の飲みすぎも手伝っているようだ。

そんなわけで、ハレナイ元旦となった。それでも一日は刻々と過ぎていく。窓越しからぼんやりと雑木林を見て時間をやり過ごす。そして、堀田善衛の「ゴヤ」を読む。合わせて娘が書いた「ただの文士」も読む。そうすると睡眠導入剤よろしく眠くなる。本を片手にウトウト眠る。夢を見る。山形の田植え風景だ。

堀田善衛は「文士の仕事は田植えのように原稿用紙に文字を植えていくようなもの」と娘に話している。まてよ、おいらの記憶では田んぼに引いたマス目の線の交わったところに苗を植えていたではないか―。その方が狙いを定めやすい。逆に考えればマス目の真ん中に苗を植える方が難しい。怪しい記憶だが―。
「バーカ、令和二年もガンバレヨ!!」金魚ちゃんの声。寒い一日だった。
 

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