怠惰な散歩  2019年12

 12月30日(月)

本日は曇りなり。部屋にこもり静かに読書すべし。そういうことの一日だった。ところが本読みはままならない。すぐに眠くなる。それでも堀田善衛の本を読み始める。

新しい小鳥の餌台を作ってやったのに小鳥はやってこない。そこで、エサでつろうといつものコメヌカだけでなくホームセンター買い求めた小鳥のエサや残飯、パンのミミなどをバイキングよろしく用意してもやってもこない。今年はもうこないのかとあきらめていたらシジュウカラ(?)がやってくるようになった。パンを忙しくついばんでいる。写真を撮ろうと思ったらさっと飛んでいく。「トンデモナク可愛くない」。

「ただの文士」堀田百合子著(エッセイスト)。堀田善衛の娘で1949年生まれというから、おいらより一歳年下。百合子という名前は武田泰淳の妻と同じ名前。堀田が悲しんだのは親交があったサルトルと武田泰淳が亡くなった時だそうだ。何か見えない濃密な糸で「ただの文士たち」は結ばれていたようだ。
   12月29日(日)

何となく気ぜわしくなった。「故郷へのユータンラッシュで東海道新幹線は混雑―」など、ラジオのニュースを聞くとはなし耳に入ると一段と気ぜわしさが増す。そうだ、みんな故郷へ帰れ。そして東京には二度と戻るな―。

詩人・長田洋の本を探しに本屋さんに行く。最近はこの手の「本屋さん」を目にすることが少なくなった。もしかしてここならと阿見町のスーパーカスミ二階へ。驚くような事態が発生した。書棚で本を探している時、「あれっ、詩人の名前は何だったけ」。雑巾を絞るように懸命に思い出そうとするが分からない。完璧なる記憶喪失。ああ、恐ろしや恐ろしやだ。

来年の写真テーマの参考にと阿見町の平和記念館へ。お日柄もいいせいかたくさんの若い親子連れがピチピチパチパチ元気に遊んでいる。うん、これは、いい。パチリパチリ。お休みなさい。

「ほうきの音」詩人会議2月号
 
   12月28日(土)

うららかな陽気の土曜日。隣の家の主人は大掃除に余念がない。昨日もやっていたような気がする。そう、昨日のことをはっきり憶えていないのだから昨年の年末はどうだったのか知るよしもない。ただ、主人は実に念入りに清掃をしている。おいらと同じでそれだけヒマなのだろう。違うのはおいらには大掃除する気などサラサラないということだ。

忘れることが日常茶飯になると忘れるという言葉さえ見失ってしまう。今の時代スマホは必需品となり手放せなくなった。そのスマホをどこに置いたか分からなくなるとハプニング。こんなせちがない世の中になったのか必死で探すというわけだ。こまったものだ。

今年最後の宿直日。来年の今ごろはどうしているのだろう。まったく想像がつかない。ともかく来年も生きる予定だが、これだってどうなるかは分からない。詩人会議に今年初めておいらの詩が載っている。毎月投稿するつもりだが、さあ、何回採用してもらえるのやら。これも分からない。とにかく暖かく過ごしやす一日だった。
 
   12月27日(金)

NHKFMの「元気のでるクラッシク」を聴きながら書く。いつも思う音楽はいい。なにしろ垣根がない、壁がない、聴くときの気分でどうにでもなるという離れ業を持っている。逆にいえばそれだけの言葉のニュアンスを多くを含んでいる。さぁ、しっかり考えろ。

午後、山王姫宅へ。ただ、屋敷内の景色を写真におさめたかった。長い付き合いだというのに美しい庭園の眺めただけ写真を撮ることはなかった。令和二年はチャンスがあれば写真におさめよう。

セキノさんとの約束でいばぶんで会う。要件はそそくさと素早く終わる。おいらにとって重要案件など何もない。ひたすらの沈黙と冬眠。もはや、自分で満足できることは全部やってきた。他人を不愉快にさせたことあったろうがそれは勘弁してもらおう。
 
   12月26日(木)

姪っ子のあっこに赤ちゃんが誕生したということでお祝いに藤代の兄夫婦の家へ行く。あっこには3人目の子どもとなる。最初は双子の女の子で今回も女の子で全員が女の子。誕生日が12月24日でクリスマスイブ。これなら世界中の人に毎年祝ってもらえる。素晴らしいことだと思うが何かと困惑するようなことも起こるような予感もする。「バーカ、余計な心配するな。祝儀はあげたのか」とは天の声。

あるスーパーのカジュアルコーナーに行くとよく見かけるオジサンがいる。スマホに夢中で長時間いじっている頭部はテカテカで薄い白髪が忘れ物をしたようにしがみついている。年のころ65~70歳ぐらい。おいらはヒマだからじっくり観察する。彼はイヤホンをつけ画面に夢中だからまったく気づいていない。しびれを切らして席を立つのはおいらだから、その後の彼はどうするのか分からないし興味もない。ただ、同年配らしいだけに混迷する社会現象を表しているように思う。

人間観察は面白いものだ。そう思っても最近は人がたくさん行き交うような場所にには出向かないからなかなかチャンスがない。もしかして、誰かにあのヨレヨレオジンはどういう精神状態だろうと観察されているかもしれない。ああ。怖いクワバラクワバラ。
 
   12月25日(水)

いばぶん事務所へ。これといった大仕事があるわけではないが出向く。木村さんと成田さん来る。「てんとう虫」の本づくりの打ち合わせ、といってもおいらは傍観者。ただ、そばで二人の話を聞いて頷くだけ。ウナズキロボットのよう。

朝の頭がすっきりしているうちにと「詩」を二編投稿する。何度もなんども推敲するうちに気がづけば元に戻っているという不思議。心に響きぐさっと胸を突き刺すような―、と頑張るが、これは限りなく奥深く難しい。自分ではそれなりにまとまっていると思うが第三者はどう評価するか。結果が楽しみだ。

来年の写真テーマに「壁」という言葉が閃く。これまでたくさんの企画が生まれたがまだ定まらない。迷える子羊ならぬ迷える老い羊は白髪をふるわせ逆立たせ頑張るが決まらない。そうやって今年が終わり来年も迷い一年が終わってしまうのだろうか。ああ、情けなや、情けなや。

夕方、姫丸子がたくさんのクリスマスプレゼントと笑顔を届けてくれる。うれしい、ありがとうございます。

 
   12月24日(火)

みなこ先生と我妻先生夫妻の墓参りに行く。告別式に参列しなかったので心残りだった。それなら年内に墓参りに行こうと考えていただけにようやく約束を果たしほっとする。みなこ先生はそれなりに元気そう。周囲の親しい人がどんどん居なくなり淋しくくなるとポツリ。

帰り途中、小貝川の土手を散歩。ここからは富士山も見える。朝、市川に向かう時富士山が見えた。「あっ、富士だ」と思わず声をあげてしまった。小貝川からは富士山は雲に隠れ見えなかった。牛久沼の湖畔から黒富士が見える場所があるはずだと行く。そこで富士山をパチリ。

今晩はクリスマスイブ。若いころは何か胸をときめかしていたが今は「あっ、そう」で終わり。雑種文化の国民性があるニッポン人はどんな祝い事でも食べてしまう。おおらかというのか懐が深いというのか幸せ、ハッピー人種とでもいうのだろうか。ともかく、いつものようにイモ焼酎をチビリチビリやり今宵を過ごそう。
 
   12月23日(月)

朝、畑仕事を済ましぼんやり新聞を読んでいたら山王姫から電話。頼みごとがあるから来れないか。ポカポカ陽気に誘われて出向く。寒中見舞いのはがき作りを手伝う。ところがプリントする段にばってトラブル発生。ああでもないこうでもないと二人で奮闘。こうなると頭の中はパニック状態。おいらの年代は何度もパソコンに虐められてきた。きっと、あまりにも進化した近代兵器についてゆけなのだろう。

山王姫はキャプテン齋藤のことを思い出し「かわいそうでしかたがない」と、すぐに涙ぐむ。頑固一徹であったキャプテン齋藤だったが、それだけ魅力もあった。いずれみんなオサラバする時がやってくるのだろうが親しくしている人を喪うと淋しいものだ。

明日は千葉の市川霊園に我妻和男先生と絅子先生の墓参りに妹の美奈子先生と行くことになっている。我妻先生夫妻とはいろんなことがあった。美奈子先生と思い出を語り合うのが楽しみだ。お天気もよさそうだし、何となくいい日になりそう。金魚ちゃんに報告。「エサをわすれないように」。「ハイ、分かりました」。
 
  12月22日(日)

高校駅伝をテレビ観戦。このただ走りタスキをバトンするという単純な競技は見始めたら最後まで見ることになる。おいらの家系は運動能力は格段に落ちる。落ちるといっても生半可ではない。トコトン駄目なのだ。ただ、スポーツ観戦は大好きだ。

図書館に本を返しに行く。借りるつもりはなかったが、とっさに堀田善衛の「ゴヤ」を読みたくなる。そこで、昔を思い出しながら再読してみようと数冊借りる。「ゴヤ」は、まりちゃんに読んだかと聞かれて読んでいないと返事したことも影響している。

「方丈記」は手元にもあり何度か読み返した。ほかにも多くの著作を読んだが「ゴヤ」は読んでいない。数年前に単行本で書店にならんだ時に買おうか迷った。結局、金がなくてやめた。本屋で手に持った感じは厚くて重く金額も高価だった。それ以来、ぷっつりと糸が切れたように忘れていたがまりちゃんの一言で正月は堀田善衛に集中することにした。
 
   12月21日(土)

寒い一日だった。こういう日は本を読もう。「ホモ・デウス」上巻をようやく読み終える。現代は人間至上主義という。人間至上教ともいうという。科学の力で暴かれたこれまでの神々の存在は否定されつつあるという。さて、これからの世界はどうなるのか?。新しい神が誕生するのか?例えば「人口知能教」なようなものが―。わからない。

チャーコ来訪。カミさんとペチャクチャ1時間ほど。帰ったと思ったらしばらくして戻って来る。スマホを忘れたらしい。家中探してもない。電話をしてみようということになりかける。着信音はクルマの中から。それならわざわざ戻らなくてもと思うがこういうことは年寄りのどなたも常にありえる。ジワリジワリとやって来る老いの進行形は休むことを知らない。

今晩は当直日。真っ暗になってからの出勤という環境にも少し慣れてきたようだ。ルンルン気分とはいかないが悟りきったような心境で家を後にする。今日もそれなりにつつがなく終わる、ということは明日もあるということ―。さて、明日はどうなるかはさっぱり分からない。だから、面白いのかもしれない。
 
   12月20日(金)

春を思わせるようなポカポカ陽気に誘われ八郷へドライブ。蕎麦を食べた後、廃校になったという里山朝日小学校を見に行く。ほのぼのとしたネーミングがいい。廃校になってから多目的施設として利用されているらしい。ガランとした校舎から人の声が聞こえるが姿は見えない。小高い山々に囲まれた小学校は自然豊かで教育環境には実に素晴らしい。何とももったいない。

たくさんの竹を頂戴したお陰でいろんなアイディアが浮かぶ。今日は布団干し作りに頑張る。気持ちはどんどんアップするが息切れも早い。そのたびにぼーっとしながらひと休み。そして考える。これが幸福な時間というものだろうか。夢中になって下手な大工仕事をしてはぼーっ。この繰り返しでいつ完成するか分からない。それでいいのだ。

ブログは夕日を見ながら書こうと高台にある駐車場に行く。残念ながら澄みわたった空には雲が浮いていない。ギラギラ西日が眩しく車内に射し込む。カメラも用意して美しい夕日をパチリという作戦は見事に空振り。お天気だけはままならない。それにしても今日は暖かく過ごしやすい一日だった。明日は寒くなるという天気予報。はずれて欲しいと願う。
 
   12月19日(木)

寒い一日だった。どんより雲からいつ雨が降り出しもおかしくない空模様。気分が滅入るので防寒コートを着て手袋をして散歩に出る。霞ヶ丘の住宅街を歩くと人影がまったくない。まるで死んだような風景。冷たい空気に建ち並ぶ家々に人の気配が感じられない。寒気がする。

夕方、桜水会の長寿館野球部の祝賀会に出席。どういうわけか写真を撮ってほしいと頼まれパチリパチリ。桜水会の理事長は土浦一校の野球部OBで大の野球好き。900人も職員を抱えているから野球部も1軍と2軍がある。長寿館チームは2軍。なんでも東日本大会で優勝したお祝いだそうだ。

祝宴は華やか。応援団の声援ありジャズ演奏とメニューは盛りだくさん。別室に用意してもらった食事を取りながらパチリパチリ。なにしろ、職員二人もカメラを持ってパチリパチリやっているから気楽なもの。こういうのはなかなか良いものだ。
 
   12月18日(水)

人はいつの時代も快適な生活を求め努力してきた。そこで快適な生活について考える。これを考えるには快便ですっきりした状態がいいのではとまずはトイレ。洋式便器に座りながら昔から比べたら比較にならないほどトイレ事情はよくなったとしみじみ思う。そういえば大宅壮一の娘が「朝、廊下突き当りのトイレのドアを開けると父の大きなお尻が見え煙がモンモンと立ち込めていた」と、父の思い出を書いているのをなんかの本で読んだことがある。今の日本ではそんな光景を目にすることはないだろう。

夕方、滝野園に行く。毎週土曜日出勤を平日にしてもらないかというおいらの我がままを三人で話し合う。それぞれの既得権を譲るのはなかなかできないようだ。ましてや、長年にわたって決まった曜日の出勤に慣れてしまい、それを崩すのには抵抗があるようだ。それでも隔週土曜日と平日ということで了解してもらう。土曜日というのは何かと所用が多いので助かる。

日本と韓国戦のサッカーを見る。日本敗れる。こういことがあってもいいのだ。
 
   12月17日(火)

光と影を求めての写真は無理な一日だった。朝から霧雨が降り曇天の空は希望を失ったおいらのように暗い。暗い気分を晴らそうと明るいブログをと考えるが思うように表現できない。難題はそっちのけでいつもぼーっ印公認のスタイルでペンを進めよう。

どうも頭が冴えないと思ったら髪が伸びて鬱陶しくなったからだと気づき湯楽の里の散髪屋へ。今はシルバー割引の散髪もあり通常より100円安い。知らなかった。早速利用。散髪を終えるとすっきり爽やか。これなら午後からいいことが起こりそうな予感。

昼食後、猛烈に眠くなる。そこで午睡。わが家のオーナーが遊びに来たようだがそれも知らず爆睡。自分のイビキで目覚める。考えてみれば当直で午前四時から起きて動いている。年寄りにはいささかハードだ。たっぷり昼寝をしたから夜は眠れないだろうと思われるだろうが、これがよく眠れるのだ。寝る子は育つ、寝る年寄りは棺桶が限りなく近くなる。バイバイでぇーす。
 
   12月16日(月)

朝夕は寒かったが昼ごろは暖かく過ごしやすかった。詩人クラブが年一回発行している機関誌「詩界」を読む。特集は「新しい詩の声のベクトル」。ベクトルとは大きさだけではなく、方向性も持った量のことだそうだ。今年で創立70周年を迎える同クラブは若い人向けの詩を募集しておりその名も「カナリア賞」。歌を忘れたカナリアになって欲しくないという願いが込められている。絵文字文化の真っ盛り、さあ、どこまで反応を示してくれるのやら―。

数日前に剪定した枝の整理をする。小枝をナタでバッサリアッサリと切っていくのは気持ちがいい。そこで考える。このナタも使い方によっては凶器になる。ギロチンのように人のクビをはねることもできる。そうやってあたりを見渡せばあらゆる物が凶器と化する。何といっても怖いのは「人間凶器」ああ、こんな怖ろしい世の中を71年も生きてこられたのは運がいいと思わなければ―。

今晩は宿直の日。ここ二回ほど所用で交代してもらった。週末はなにかと雑用が入る。来年は平日に変更してもらおおうか―。こういう我がままは通じるのだろうか―。駄目もとでとにかく頼んでみよう。明日の朝の天気予報は雨。朝の見回りがある辛い。これもあれも仕事と考えなければ―。
 
   12月15日(日)

朝から気分爽快。百点満点の答案用紙をもらったように体も心もすっきりしている。こんな朝は久しぶり。どうしてなのかと考える。「バーカ、考えなくていいから動け。動けばまわるのだ」。

金魚ちゃんの意見に従い動く。詩人会議、詩人クラブ、茨城詩人協会などいつどこでもらったのか記憶は定かではないが、日付通りにスクラップにおさめる。本来ならすべて廃棄してもいいものばかり(二度と読むことない)。もったいないけちんぼ精神がモロに出る。ああ、悲しき老ヤギよ。そうか、ヤギを飼おうか。ヤギさんに全部食べてもらえばきれいさっぱり。明日の宿題にしよう。

ベートーベンの「運命」を聴きながら書く。おいらはこの音楽の合唱付が好きだ。歌詞は全然わからない。自分勝手にその時の気分で詩をつける。これが楽しい。その場合、酒を飲んでいる時だから文字としては残らない。「忘却という名の忘却へ」。これはこれで素晴らしいことはないかと思う。
 
  12月14日(土)

日本詩人クラブ12月例会・忘年会に出席。場所は東京グランドホテル。東京に住んでいたころはホテルでアルバイトをしていたこともありいろんなホテルの情報を得ていたが今はさっぱり。東京グランドホテルというのは初めて。浜松町駅から徒歩10分と案内には記されているが、おいらのトロトロ足では20分ぐらい。

詩を愛好している人や詩人はどんなことを考え行動しているのか?。そんな好奇心からこれまで詩人会議を覗き今回は詩人クラブとなった。会場には100人近いお年寄りが集合してワイワイガヤガヤ。それも遠方の北海道、岡山からやってきたと聞いてびっくり。茨城からでは近い方になる。

フルートとヴァイオリンで奏でる西條八十という演奏会もあった。懇親会はワイワイガヤガヤ。久しぶりに顔を合わせ話が弾む人もいれば、おいらのように初めての参加者はひたすらごちそうに箸を運ばせるという案配。入会を薦めてくれた谷口さんはベテランのせいか顔見知りが多くろくろく話をする機会もなかった。ともあれ、これで一区切り。これから先はどうなるのや進路は未定なり。
 
   12月13日(金)

今日は昨日と大違いでとても寒い。この寒さで庭の花も畑の白菜や大根が縮んでいる。何か寒さに震えているようでかわいそうになる、といって大きくなって食べごろになればたちどころに食べてしまうのだが―。

図書館で本を物色していたら携帯電話が鳴る。これは大事件だ。すぐに係員が目を吊り上げ駆けてくる。屋外で電話をするようにと命令形。そのことは経験済みなのでそそくさと電話を切りベランダへ。便利な世の中になり着信履歴が残るからすぐに連絡が取れる。でも、これがトイレの中だったらなかなか冷静沈着に対応できないのではと考える。特に、「うーん」とうなった時には難しいような気がする。

「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真集」(岩波書店)を借りる。この写真集は以前にも借りたことがある。その時はさーっと流し読みして終わった。今回は明解な目的がある。来年のテーマ写真の参考にしようと思うのだ。どこがどう脳みそに焼き付き消化できるかは不明。それは、それで良しとすべし。
 
   12月12日(木)

晴耕雨読をモットーとしているわけではない。しかし、今日のポカポカ陽気を逃すわけにはいかない。野外の仕事に専念する。まずは、ころころ花壇から始まり芝生の手入れ、木々の剪定。そしてこころ菜園の土起こし。おまけに、自宅近くこんもり山から散った枯れ葉を集め腐葉土作り。ああ、大忙し。

ネットで名言集を探したら滅茶苦茶おぞましいほど登場。それこそどこまでも懇切丁寧。いろいろ読んで見ると毎日更新というのもある。ああ、なんだか有難味がなく奥行きが空洞。読んでも身に入らずそそくさと閉じる。おいらは、時代遅れなのだろう。

土浦図書館では所蔵していなかった岩波書店の「世界の名言集」を買おう。どうしても活字本でないと身が入らない。昨日、借りてきた「世界名言名句1001」もいいが責任編集が外国人。日本人が少なすぎる。ここで奮発する。岩波文庫に収められ編集員が選んだという「世界の名言集」をアマゾンに申し込む。さて次ページの展開はどう繰り広げるわからな。積読にならないことだけを願う。
 
   12月11日(水)

『時は過去の美しさを奪う 意地悪な 追いはぎである』ラファエル。「世界の名言1001」(三省堂)を土浦図書館で借りる。本の厚さは広辞苑並みで枕にも使えそう。写真入りのコート紙で950ページもあるから厚くて重い。とても気軽に持ち運べるものではない。本には適度な重量というもが要求されるべきだと思う。借りたからにはエンヤコラと持って家に帰る。

文化郷オーナーの容態は少しずつよくなり見通しが明るくなってきたという。良かった良かった。何より希望を持つことが大切だ。遠くから金魚ちゃんの声が聞こえる「バーカ、すっかり希望を失いぼーっと生きているオマエさんが発する言葉ではないよ。バーカ、バーカ」。

バカでもチョンで生きる権利は平等。そうやっておいらのぼーっ精神を慰める。今日は暖かかったが青空は見られなかった。それだけ何となく暗い一日だった。やはりおてんとうさまが顔を見せないのは淋しい。淋しさを晴らすように畑の手入れ。畑の土塊もお日さまが射さないのを淋しがっているようでどことなく元気がない。それでも、明日は必ず訪れるのだ。バイバイでぇーす。
 
   12月10日(火)

表紙の「色は匂へど―」を間違える。表紙は顔だ。間違いに気づいたらすぐにお詫びと訂正。そこで早朝、修正したものを山王姫宅のポストに投函。家を出たのは六時十五分。到着は六時四十五分。まだ出勤通学前で道路は空いていたこともあり正味三十分で行けることを確認。

自宅を出る時は暗雲がたちこめていたが、帰る時は薄日も射し茜色の石岡を見ることができた。雲に隠れ筑波山は見ることはできなかった。それからつくば市吉瀬にクルマを走らせる。そうだ、一年かけて吉瀬の写真を撮るとオーナーに約束を守るためだ。まるで、走れメロスみたい。昨晩の雨で吉瀬の自然は息づいているかもしれない。大きな期待をふくらませハンドルを握る。

来年の写真目標の参考書を探そうと土浦イオンの書店へ。お目当ての新聞の広告で知った本は残念ながら参考にならず。岩波文庫の「生の短さ」セネカ著を購入。衝動買いに近い。タイトルが気にいった。立ち読みしたら気になることが書かれている。何より「生の短さ」というタイトルがいい。そうだ、命の長短で人の心の重さを量ることはできないのだ。金魚ちゃんに今日のことを報告。寒さに震えているのかピクリと動かず。もちろん返答はなし。残念だ。
 
   12月9日(月)

■「歳を取ることに関していちばん恐れているのは、時代遅れになって、周りの世界が理解できず、ろくにその役にも立てず、ノスタルジーに浸っている老人と化すことだ」「ホモ・デウス」(上)p67。これを読んでノスタルジーに浸るという意味を考える。山形の思い出、茨城のことなどをテーマにこれまで自分なりに写真としてまとめてきた。待てよと考える。東京時代が抜けている。それなら来年のテーマにしようか―。悩む。

そこでもうひと思案。これまで挑戦したことがなかった一冊の本を参考にテーマを仕立て写真を撮ってはどうか―。そこで思いつく本を頭の中で整理する、といってもその中身は薄いものだが自分なりに考える。ここで思いつくのは日本国憲法をテーマに写真にまとめたもの。タイトルも著者も分からないが、そういう一手もあると明るい兆しが見える。

荒川沖のジョイフル本田に所用があるという山王姫と現地で会い「色は匂へどー大久保純子邸の秋景色―」の写真アルバムを渡す。いばぶんでセキノ氏に頼まれた仕事を終え吉瀬のスズキへ。愛車パレットのリコール。どこがどう不具合かよくわからない。担当者はひたすら平身低頭。修理を待つ間は暇だからブログを書く。それにしても外は寒い。この風の冷たさは本物だ。
 
  12月8日(日)

朝から晴れて気持ちがいい。畑を耕していたらジャガイモが小さいのやら大きいのやら出てくる。そういえば、夏の終わりここに種イモを植えていた。どうせ駄目だろうと思っていたがジャガイモは成長していたのだ。しばらくはジャガイモ料理が続きそうだ。

小松近辺をカメラを片手にブラブラ歩く。左まわりか右まわりにするか。どっちにしても坂道を登らなければならない。取りあえず左まわりにしようと進むと小松公民館で餅つき大会をやっているのに出くわす。そういえば参加申し込みの回覧板がきたことを思い出す。パチリパチリやりながら来年の写真テーマを考える。とにかく令和二年も生きる予定。一時間余歩いて考え 結論出ず持ち越しとなる。

せっかく小鳥のえさ台を新しく作ってやったのに小鳥は一匹もやってこない。荒川沖に住んでいるころは住宅街で飛来してくる小鳥にもなく関心がなかった。小松に越してきたらたくさんの小鳥が住んでいることを知った。えさ台を作ったらスズメたちがやってきてとてもうれしかった。それが一匹も来ない。いろんな種類のエサを置いて待っているというのに―。
 
   12月7日(土)

家を出る時はどしゃ降りの雨で寒かった。ところが上野駅で下り改札口を出てみれば雨は上がっていた。迫る夕暮れに公園口の景色は煙っている。世界遺産となった国立近代美術館に急ぐ。ロダンの彫刻群は雨に濡れ黒光りしている。イチョウの木が鮮やかな黄色。この一角に喫煙所がある。一時間余の禁煙を解くように紫煙をくゆさせる。灰皿には張り紙「1月26日をもって撤去する」ああ、辛いことだ。

本日は神林留学生奨学会の年末交流会。会場はいつもの上野精養軒。参加者は80人ほど。中国、韓国、タイ、ミャンマー、タイ、新疆ウイグル人もいる。それにOBやその家族、役員など多彩。その中にどういうわけかおいらもいる。渡されたネームプレートは写真家となっている。怪しげなものだ。とにかく食べることに専念する。食欲旺盛の参加者が多いので料理がすぐになくなる。その合間にパチリパチリ。

終了してからまっすぐ家に帰ろうと思ったら事務局の加茂さんから二次会は25人の予約をしている。不足だと違約金が取られる。数合わせで是非参加をといわれ出席。二次会は女の強さを発揮し90%が女子。真向いに座った中国人は取手芸大で陶芸を勉強中とのこと。みんな頑張ってくださいと先に席を立ち帰路へ。ああ、お疲れさまでした。
 
  12月6日(金)

寒い一日だった。寒さは億劫と萎縮をひとまとめにして運んで来る。もれそうになるオシッコさえ面倒。これはヤバイ、いわゆる尿漏れ現象だ。慌ててトイレに駆け込むという具合だ。

こういう日は読書に限る。久しぶりに購入した新刊本「ホモ・デウス」ユヴァル・ノアハラ著(河出書房新社)上下を読みだす。これは実に面白い。ところが、数ページ読むと眠くなる。本を片手にこっくりコックリコックリしてバタンという音で目をさます。その繰り返しが何度か続く。そのたびに外に出てコロコロ花壇を見てまわる。


意を決して山王姫宅の秋景色のアルバム作りに頑張る。鮮やかな紅葉が眩しくなるほど次々とパソコンの画面にあらわれ目がくらくらする。それでも何とかメドをつける。今晩は当直日。明日は東京に行く用事があるのでヌマジリさんに交代してもらう。天気予報では明日の朝は寒くなるという。そろそろモモヒキが恋しくなる季節のようだ。そういえば、ペットショップには金魚ちゃん用のモモヒキは売っていなかった。クリスマスプレゼントにと思っていたが 残念、無念なり。
 
   12月5日(木)

もう書くようなことが何もない。背中をかくのだって孫の手を借りなければ届く範囲が限られる。硬直した体は自分の思うように動いてくれない。いわゆる意思疎通がうまくいかずかみ合わないのだいのだから文章を書くという作業もままならない。

しかし、それでも書き続けるのだ。キーボードを叩いているうちに何かいい知恵が浮かんでくるかもしれない。その念じながらここまで書いてきた。それも霞ヶ浦を見ながらだ。霞ヶ浦は鏡のようになって澄んだ秋空を写している。巨大な鏡だ。かあちゃんがペッタンコペッタンコやるときにつかうおもちゃのような手鏡とは比べようもない。

鏡といえば「うぬぼれ鏡」という随筆があった。亡き母が好きだった作家の萩原葉子が書いたものだ。萩原葉子は萩原朔太郎の娘。葉子の息子は映像作家、演出家、エッセイストの萩原朔美。毛並みというか血筋というものはどこまでも続いていくものらしい。どうでもいいことをここまで書いてきてようやくブログらしきものになった、ということで本日はお終いとする。バイバイです。
 
   12月4日(水)

なにか、こう、ちっとも力が入らない。ぼーっとする力もわいてこない。ぼーっとするにはエネルギーなど必要がないと思われるだろうがそうでもないのだ。ぼーっとすることは一点をじーっと見つめぴたりと体を固定させ動かないことだ。それにはクビが座っていなければならない。そのエネルギーは生半可なものではない。今日はその力もなく腑抜けのような状態だった。

それでも踏んばってコロコロ花壇の手入れをする。多くの花々はおいらのかあちゃんのように皺だらけとなってしおれている。たくさん楽しましてもらったがここは「エィ」と根っこから引き抜きゴミ捨て場へ直行。おさらばをする。それからパンジー、ビオラなど格安で求めてきた花を植える。花とおじさん頑張る。

そういえば、最近スズメたちがエサを食いに来なくなった。野良猫を警戒してかと案じてエサ台を高くして猫に襲われないようにと新しくこしらえてやったのにだ。待てよと考える。そういえば近所でも小鳥たちのさえずりを聞かなくなり見かけなくなった。もしや、この前の台風で大勢の小鳥たちが死んでしまったのだろうか―。そういうこともあり得る。それでも、小鳥たちの好みのエサをいろいろ用意しておこう。エサを食いにくるまで待つのだ。チィチィとうるさくさえずりを聞かないとやはり淋しい。
 
   12月3日(火)

石岡の山王姫宅へ紅葉狩りに行く。広い庭園は時間帯によって百面相の景色を見せる。昨晩の雨でこんもり林はキラキラ雨粒を残しているかと期待する。訪れた時間は正午ごろだったせいかその名残はなかった。それでも青空をバックに秋模様は限りない美しさを称え迎えてくれた。

広い庭園をコソ泥のようにカメラをぶら下げウロウロ。こっちでは体を斜めにしてはあっちではしゃがんだりと老人の体操時間。とにかく足もとが不安定というより足の力が弱っているからつまづいたり転んだりしてケガをしないように慎重かつ大胆にパチリパパチリ。

終わってからコーヒーをごちそうになりながら庭を見る。こんもり林の光の動きはその時点で大きく変化している。おいら好みの紅葉色はどこかに雲隠れしたらしい。とにかく豊かな土壌で木々や草花は生き生きとしている。これも歴史の重みというのだろうか。それを守り続けようと踏んばっている山王姫はエライものだ。
 
   12月2日(月)

雨の中、いばぶん事務所へ。セキノさんと山王姫から電話がはいる。走行中電話は厳罰という新聞記事を読んだばかり。呼び出し音を無視するか雨は休みなく降る。この時期の雨は冷たく風も優しさを駅のコインロッカーに置き忘れたように容赦なく吹く。貧乏人は股引きをはいて寒さをしのいでくださいと黄色の点滅信号。追い打ちをかけるように筑波山からのからっ風が鼻水もふき流す。ああ、おまえという奴はでハクション。

谷口ちかえさんから詩集「木の遍歴」(土曜美術出版社)が送られてくる。素晴らしい詩集。装丁もいい。詩の書かれた言葉の行間の重みを読み取れるか―。ゆっくり読もうと思う。少しずつ何度も読んでから感想は書こう。書けるかどうか分からないがー。

山王姫宅の庭園を写真に撮りブログで公開したら姫から「すごい」という評価を得る。今回の撮影はいろいろと問題がある。時期、時間などを考慮すれば住人が一番知っているということだ。自然は人間の都合など考慮してくれない。それでいいのだ。
 
  12月1日(日)

豊里の夢工房ギャラリーで開かれている写真展を見に行く。シノザキさんが展示する写真プリントを手伝った関係から。最近、展覧会に足を運ぶことが少なくなった。もっぱら家に引きこもり終日ぼんやりすることが多くなった。これも加齢による出不精という病のひとつだろうか―。

会場にはギャラリーオーナーの彫刻や焼き物なども展示されている。さらにシノザキさんが制作した「常陸風土記」のビデオ上映会もあった。茨城の風光明媚な景色、そして太古の歴史を知ることができる。なかなか勉強になるイベントだった。

足裏の痛みはまだ治まらない。これは内科的な治療が必要なのかと素人考えがあれやこれやと思いつく。とにかく、クスリで生かされているようなもの。それだけに、これ以上のクスリの数を増やしたくないというのが本音。しばらくは様子見してからとする。
 

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